komaの こまごまひとりごと

気が向いたときに更新しています。ただいま「歌の力」カテゴリ工事中。すみません。

子どもといっしょに百人一首 59

2019年11月24日 | 百人一首 黄札

 

 

          
       夜もすがら 物思ふころは 明けやらで

         閨のひまさへ つれなかりけり
            ねや

       

 

  

 詠んだ人・・・俊恵法師(しゅんえほうし)

 詠んだ人のきもち・・・一晩中、振り向いてくれない人のことを思って
            眠れずにいる今日このごろは
            夜もなかなか明けず
            寝室のすきまさえ(明るくならなくて)
            無情に思えてしまうよ。

 

 

    夜もすがら・・・一晩中

    物思ふ・・・恋に悩んで、物思いにふけること

    閨・・・ねや。寝室。

    つれなかりけり・・・無情である。思いやりがない。

              

(作者は男性ですが、女性の気持ちになって詠んだとの見方もあります。夜にたずねてきてくれない男の人のことを、一晩中思っている。早く朝になってほしいのに、夜さえなかなか明けてくれず、寝室のすきまから朝の光はまだもれてこない。すきまさえも冷たいなあ・・・。この解釈は色っぽくて素敵ですね)

 

 

 


子どもといっしょに百人一首 58

2019年10月20日 | 百人一首 黄札

 

 

 

        花さそふ 嵐の庭の 雪ならで

        ふりゆくものは わが身なりけり

 

 

 

 詠んだ人・・・入道前太政大臣(にゅうどうさきのだいじょうだいじん お坊さん)


 詠んだ人のきもち・・・嵐の吹く庭には、風にさそわれて散った花が
            雪のように降っているけれど
            本当に老いていくものは、私自身だなあ

 

 

    花・・・桜の花

    さそふ・・・風が花をさそって散らす、という意味

    ふりゆくものは・・・花びらが降る、という意味と
              自分の身が古びる、年老いていく、という
              意味を、かけている


 

 

   


子どもといっしょに百人一首 57

2019年09月13日 | 百人一首 黄札

 

 

                     
     み吉野の 山の秋風 さ夜ふけて

       ふるさと寒く 衣うつなり
                      ころも

 

 

 

 

 詠んだ人・・・参議雅経(さんぎまさつね)

 詠んだ人のきもち・・・吉野の山に秋風が吹くなか
            夜はふけて寒くなり
            古い里であるここには
            ころもを打つ音だけが聞こえてくるよ

 

 

      み吉野の山・・・奈良県の吉野山

      ふるさと・・・ここでは、昔、天皇の離宮があった
             吉野のこと


      衣うつ・・・布をやわらかくするために、
            木の棒(きぬた)で叩く作業

 

 

 

      

 


子どもといっしょに百人一首 56

2019年07月16日 | 百人一首 黄札

 

 

        むらさめ  つゆ
         村雨の 露もまだひぬ まきの葉に

       霧たちのぼる 秋の夕ぐれ
       
きり

 

 

 

 詠んだ人・・・寂蓮法師(じゃくれんほうし・お坊さん)

 詠んだ人のきもち・・・にわか雨があがったあとの水滴が
            まだかわかず、木の葉にのこっている。
            そんな葉のあたりに霧がたちのぼっている
            (さびしい)秋の夕暮れだなあ。

 

 

   村雨・・・にわか雨。通り雨。

   ひぬ・・・干ぬ。かわいていないという意味。

   まき・・・杉やひのきなどの、りっぱな木のこと。

 

  

 

  


子どもといっしょに百人一首 55

2019年05月23日 | 百人一首 黄札

 

                        かた
     ほととぎす 鳴きつる方を ながむれば

       ただありあけの 月ぞ残れる

 

 

 

 詠んだ人・・・後徳大寺左大臣(ごとくだいじのさだいじん)


 詠んだ人のきもち・・・ほととぎすが鳴いたので、
            そちらを見てみたら(もうその姿はなくて)
            明け方の月だけが、空に残っていたよ

 

 

      ほととぎす・・・春から夏にかけて飛んできて
             夏のおとずれを告げる渡り鳥

 

     ありあけの月・・・夜明けのころに、まだ見えている月

 

    

 

 


子どもといっしょに百人一首 54

2019年03月11日 | 百人一首 黄札


 

                         
       秋風に たなびく雲の たえ間より

            もれいづる月の かげのさやけさ

 

 
 

 詠んだ人・・・左京大夫顕輔(さきょうのだいぶあきすけ)

 詠んだ人のきもち・・・秋風に吹かれて
            たなびいている雲の切れ目から
            さしてくる月の光は
            なんて清らかで明るいことだろう

 

     月のかげ・・・月光

     さやけさ・・・清らかに澄んで明るいこと

 

 

 


子どもといっしょに百人一首 53

2019年02月23日 | 百人一首 黄札

 

 

       あわじしま       ちどり
       
 淡路島 かよふ千鳥の なく声に

           幾夜ねざめぬ 須磨の関守
               いくよ         すま せきもり


 

 詠んだ人・・・源兼昌(みなもとのかねまさ)

 詠んだ人のきもち・・・淡路島へと飛びかう千鳥が
            もの悲しげに鳴く声に
            須磨の関守は、幾夜、めざめただろうなあ

 

     淡路島・・・瀬戸内海にある島

     千鳥・・・海辺などにいる小型の鳥。
          冬の鳥として和歌では多く詠まれている。

     須磨・・・兵庫県神戸市
   
     関守・・・関所を守る番人


            

 


子どもといっしょに百人一首 52

2018年10月12日 | 百人一首 黄札

 

 

       大江山 いく野の道の 遠ければ  

                            あま はしだて
                 まだふみもみず 天の橋立

 

 

 詠んだ人・・・小式部内侍(こしきぶのないし 女性)

 詠んだ人のきもち・・・大江山を越え、いく野を通って行く
            道のりは遠いので、まだ天の橋立には
            行っていませんし、母からの文も
            見ていません。

 

   大江山・・・京都府にある山

   いく野・・・生野。京都府にある地名。
         「いく」は「大江山いく(行く)」という
         意味も掛けている。

  ふみもみず・・・ここでは「踏み」(天の橋立の地を踏む・到着する)も
          していない、という意味と
          「文」(手紙)を見てもいない、という意味を
          掛けている。
 

  天の橋立・・・京都府宮津湾にある、景色がよくて有名な場所

 

 

小式部内侍の母は、文才がすでに有名だった和泉式部。
その母が丹後の国(京都府宮津市。天の橋立のあるところ)に行っているとき、小式部内侍だけが歌合わせに呼ばれて参加した。
すると中納言定頼が「お母さんがいなくて心細いですね。歌の相談の使いはやりましたか。使いは手紙を持って帰ってきましたか」などとからかった。
その定頼をひきとめて、その場で詠んでみせたのがこの歌・・・だそうです。私も今回はじめて知りました(笑)。
二組の掛詞(かけことば)を即座にとりいれたテクニックで、母ではなく自分自身に才能があるのだということを、定頼に認めさせたわけですね。
こういう事情は、歌についている詞書(ことばがき)に書いてあるんですが、事情がわからないと意味不明な歌って、けっこう和歌には多いですね。

 

 


子どもといっしょに百人一首 51

2018年09月12日 | 百人一首 黄札

 

 

           おと
        滝の音は たえて久しく なりぬれど

       名こそ流れて なほ聞こえけれ

 

 

 詠んだ人・・・大納言公任(だいなごんきんとう)

 詠んだ人のきもち・・・滝の水が涸れて音が絶えてしまってから
            ずいぶんたつけれど
            その評判だけは伝わって
            いまも聞こえ続けて
いるんだなあ

 

     滝・・・京都市右京区嵯峨の大覚寺(だいかくじ)
         にある滝のこと

     名・・・評判。名声。

 

 

(涸れてしまった滝を、見たままに詠んだ歌で、修辞的なテクニックが読みどころのようです。
 上の句の「滝」「絶えて」「音」に対して、下の句でそれぞれの縁語「流れ」や「聞こえ」をもってくる。「な」の音をいくつも重ねる、といった部分ですね。でも、それはそれとして・・・。

 大覚寺というのは、平安時代に嵯峨天皇の離宮だったものを、崩御後の876年に寺として改めた名刹だそうです。でも、その庭園にあった滝は、大納言(藤原)公任のころにはもう涸れていました。
 公任が生まれたのは966年だから、彼の目から見た大覚寺は当時すでに「昔からあるお寺」、滝は「ずーっと前に涸れた滝」
だったんだろうと思います。

 そして今は、それから千年以上たった2018年・・・。
 大覚寺は立派に存続していて、時代劇のロケにもよく使われる有名な場所となっています。庭園の滝の跡地は、公任の歌のおかげで「名古曽の滝」と呼ばれるようになり、石碑も建ちました。
 もちろん歌のほうも、百人一首として今なお輝いているわけで・・・。

 この歌こそが、まさしく「名こそ流れてなほ聞こえけれ」になったんですね。人の命は短いですが、心をこめて作ったものがこうして受け継がれ続けているのをみると、とても長いものをみている気分になりますね)

 

 


子どもといっしょに百人一首 50

2018年08月12日 | 百人一首 黄札

 

 

       やえ
       八重むぐら しげれる宿の さびしきに
   
       人こそ見えね 秋は来にけり

 

 

 

 詠んだ人・・・恵慶法師(えぎょうほうし)

 詠んだ人のきもち・・・つる草がいくえにもおいしげる
            さびしい住まいには
            訪れる人もいないけれど
            秋だけはやってくるんだなあ。

 

    八重・・・たくさん

    むぐら・・・つる草