大島弓子さんのなつかしのイラストピンナップです。
万葉集の一首とともにどうぞ。
しろがね くがね
銀も 金も 玉も 何せむに
まさ やまのうえのおくら
優れる宝 子にしかめやも 山上憶良
(銀も金も宝玉も、どうしてすぐれた宝といえよう。子どもの宝にまさるものがあるだろうか)
以前このブログで「万葉のうた」というイラスト集をご紹介しました(記事はコチラ)。
上の写真は、それに折り込まれていたピンナップをうつしたものです。
年代物の感じが出てますが、いま見ても、とってもかわいいですよね~。
和歌に合わせて描き下ろした絵なのか、もとからあった絵に和歌を合わせたのかわかりませんが、下のローマ字が「迷子一時預かり所」となっていて、遊び心もあります。
かわいいので、かつてはピンナップを切り取って、部屋に飾ったりしてました。
といっても、イラストや和歌が好きだっただけで、当時、現実の幼児が好きだったわけではございません。てか、はっきり言って苦手。接する機会もなかったしね。
しかし、あれから百年・・・(笑)。
先日、冬坊の国語の教科書の中にこの歌を発見したときは「わあ・・・」と思いました。
なつかしい!
そして、なんていい歌! 当時はピンときてなかったけれど・・・。
なんで教科書を見たのかというと、期末試験の成績を上げなければいけなかったからです(涙)。
冬坊は、私の子とは思えないほど国語が苦手。まあ父親も絵に描いたような理数系だし、これはもう、勉強でどうにかなるものでもないでしょう・・・。
などとのんきにかまえていたのですが、受験前のこの時期、さすがにのんきにはできない事態になりまして。
それであわてて教科書を見てみたら、テスト範囲がちょうど「和歌に親しむ」だったんですね。
あ、これなら私でも何とかできるかも。そう思い、久々に親子で顔つきあわせてお勉強していたときにみつけたのが、上の一首でした。
もう、思わず冬坊に意味を力説しましたよ。ついでにピンナップをさがして引っぱり出して(お勉強はどうした)当時の自分についても説明しました。
遠い遠い昔の歌人の歌が、いま生きている人たちの心にも通じている。その不思議さや感動についても説明しました。
冬坊は、まったく感動しませんでした。
まあ、いいんです。私だって、わかったのはつい最近なんだもの。
もちろん、子育てがきれいごとではすまないことも、この年齢になればよーくわかっております。でも、だからこそ、こういう純粋な歌によけいに感動するんですよね。ここのところは冬坊には言いませんでしたけどね。
調べてみたら、山上憶良は、奈良時代の660年あたりから733年あたりに生きた人で、遣唐使でもあったらしいです。
自分自身の歴史を見ただけでも、なんて昔に読んだ歌なんだろうって思ったというのに、660年生まれとは・・・。
なんてなんて大昔。
そして、人間ってなんて不思議。1000年どころではない大昔なのに、全然いまと変わっていない。
ちなみに・・・小倉百人一首の第一首の作者である天智天皇は、626年生まれ。百首目の順徳院は、1197年生まれの方でした。
悠久の時の流れの不思議さも、同時に感じさせてくれた、貴重なお勉強時間になりました。
ありがとうございました