komaの こまごまひとりごと

気が向いたときに更新しています。ただいま「歌の力」カテゴリ工事中。すみません。

結びのページ

2014年05月10日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  上の子の冬坊が小学生になったとき、それまでのことを振り返りながら書き始めた、育児エッセイ編。
 途中で中断したり、更新しなおしたり、また中断したりといろいろありましたが、とうとうこれがラストページになりました。


 以前「母の不機嫌」という章の中で、こんなふうに書いたことがあるんです。

       先日、3,4歳のころの写真を久々に見返してみて、びっくりしました。
    わ! かっわいい(親バカ発言)。 
    こんなにちっちゃくてかわいかったのか・・・。
    こんなのを相手にして、何を本気で怒っていたんだか。
    いったい何が不満だったのよ、私?       
  

 これは冬坊が6歳になったころの感想なんですが、いま現在、冬坊なんともう10歳。
 昔の写真なんか見た日には、さらにさらに、「こんなにちっちゃかったのか・・・」って思います。
 声だって、当時のビデオを見ると、ほんとにほんとにかわいくて(またしても親バカ)。
 こんな声で反抗されてたのかと思うと、不思議な気持ち。

 同時に、「こんなにかわいかったから、乗り切れたんだなあ」ってしみじみ思います。
 もちろん当時だって、そう感じてはいたんですよ。
 でも、あのころ自分が感じていたよりも、ずっとずっとたくさんの力を、本当は子どもたちから与えてもらっていたんですね。
 



 というわけで・・・。
 冬坊誕生から6歳までの間に起こったことと、その期間に私が感じたことをまとめた育児エッセイ編は、これでおしまい。
 書きたかったことを、ほぼすべて書き終えることができましたので、いまは本当にほっとしています。

 そう。うれしいというより、ほっとした(笑)。
 一時はダメかと思いましたよ。だって書いても書いても終わらなくて・・・。
 なんでこんなに長いの? 記事が多いの?(自分の予想の倍だったので)
 こんなもの誰が読んでくれるわけ? などと焦りつつ・・・。
 ああ、終わってよかった。ほっとしました~!

 これを書いている間は、当時のことをリアルに覚えていなきゃいけなかったので・・・。
 書き終えて、これでようやく、私の子育て第1期を卒業できる気がしています。
 もう上の子10歳なんですけどね。
 時間、かかりすぎ。どこまでいっても、ゆっくりタイプな私・・・。


 ではラストですので、さんざんネタにされてきた、ちっちゃい兄弟からも、ごあいさつを。



         読んでくれてありがとう!
                                 by 冬坊

            子育て、がんばってね!
                                 by 夏坊

 読んでくださって、本当にありがとうございました。

                        2014年5月10日 koma

                    

 

 

     
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時間が解決してくれる(考えたこといろいろ 5)

2014年05月09日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 前回は「楽しい子育てが、良い子育て」という固定観念と、そこからはずれてしまったときのストレスについて書きました。

 
  実際のところ・・・経験者なら誰でも知っていることですが、子育てって、いつもいつも楽しいわけじゃありませんよね?
 なんといっても、相手は子どもなんです。
 子ども、とくに乳幼児の辞書に、「思いやり」「気づかい」「遠慮」の文字はありません。
 従って、びっくりするほど心ないことや手ひどいことを、ところかまわず実に平然とやってのけてくれます。

 こちらが具合悪いのに、泣きわめいて抱っこをせがんだり。
 一生懸命作った離乳食を、食べもしないでぶん投げたり。
 あぶない場所で手をつないだら、世にもじゃけんに払いのけたり。
 人の顔をふんづけたり、頭をけったり、鼻の穴に指つっこんだり、もしかしてDV? こんな仕打ち、生まれてから1度もされたことないわ!
 ・・・なんて叫びたくなるような出来事の、オンパレード。

 もちろん、彼らの辞書には「最高の笑顔」や「掛け値なしの信頼」などはしっかり載っていますので、ふだんはそれで帳尻を合わせているわけですが。
 でも、そういうものって、受けとる側の健康な目とか手とかがないと、すり抜けてしまうんですよね。
 目が傷ついてたら、よく見えない。手が傷ついていたら、うまく受けとれない。
 大人みたいに、背中向けてる人を振り向かせて「さあ見てね、元気が出るから」って教えてあげるようなやりかたは、子どもにはぜったいにできないから・・・。

 だから、子育てしていれば、ハッピーになれない期間があったって、ちっともおかしくないと思うんです。

 

 なんだかね・・・世の中全体に「楽しいことが最上」みたいな風潮があると思うのは私だけでしょうか。
 たとえばオリンピックに向かうアスリートに、コメンテーターがよく言う言葉「楽しんできてほしい」。
 アスリートご本人の「楽しんできます」。
 あれは、メダルを取ることが最上ではないとか緊張をやわらげるとかいう意味では、とてもいいと思います。でもあまり何度も使われると、私みたいな人間には、こんな疑問が・・・。

 楽しめなんて言われたら、逆にプレッシャーにならないかな?
 楽しめない気分の選手も、中にはいるんじゃないのかな・・・。
 だって、命がけでメダルを取る決意をしているときに、楽しいなんて思えるでしょうか。
 むしろ「つらくて苦しい、だけどオリンピックに行きたい、私は競技が好きだから」みたいな気分じゃないでしょうか・・・。


 アスリートと自分の子育てを同列に論じるなんて、図々しいですね。失礼しました。
 言いたかったのはつまり、
 「真剣だからこそ、楽しめないこともある」ということです。
 いい加減なら、つらくなるまでがんばったりしない。
 自分が楽になれるように、子どもなんかどこかにあずけて、さっさと逃げ出してしまってますよ。

 ・・・長くなってしまいました。
 しかも・・・この文章に「こうしたら育児が楽しくなる」というような解決策はないんです。
 長々と5回も更新して書いたのに・・・解決策を期待したかたがいらっしゃいましたら、本当に申しわけありません。
 なにしろ私自身がつまずきっぱなしでしたので、成功談のお話しができなくて。

 いま書いている内容も、子どもが2,3歳のいちばん大変な時期には、ぜんぜんわかっていませんでした。
 幼稚園や小学校にあがった今だからこそ、分析できているわけで・・・。

 ただ、そんな私でもひとつだけ言えることがあるとしたら。
 それは「すべては時間が解決してくれる」ってことだと思います。または「すべては子どもが解決してくれる」とも言えるかな。

 つまり、子どもって必ず大きくなるんです。
 こちらがまるで変わっていなくても、子どものほうがどんどん変わっていってくれるんです。

 以前も引き合いに出した、料理が遅いという例で言えば・・・。
 うちの子たちは、1人ではまったく遊べない上に兄弟間で遊ぶこともできなくて、しょっちゅう台所に邪魔しにきたんです。
 でも、ある日、ふと気づきました。
 あれ? 1時間も放ってあるのに、台所に来ない。居間でちゃんと遊んでる・・・。

 早く寝かせたくて、毎晩毎晩キリキリしたのに。夜8時過ぎたらぜったい寝かせなきゃって、イライラしながら思っていたのに。
 あれ? いつのまにか、8時半でもまあいいや。9時でも・・・うーん、1日くらいまあいっか、もう小学生なんだから。

 こっちが成長しなくても。
 あっちが成長してくれた。
 あとはもう、乗り遅れないようにするだけ。
 子どもにおいていかれないよう、立ち止まらずに進むだけ。

 だから・・・。
 今現在すごく大変なかたは、とにかく今日1日をやり過ごすことだけ考えれば、なんとかなるのではないでしょうか。
 体力消耗しないように休んだり、元気が出るような気晴らししたり。
 難しいことはなしにして・・・。

 そうして何年かたったときに振り返ってみたら・・・ハッピーな記憶だけが見えるかも。
 ハッピーな思い出だけが、残るかも。

 

 


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         次回は、あとがきふう。     
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 付記 この記事にあるような出来事を経て、私も少し大人になり(笑)
   子育てが楽しくなる情報や本を紹介した記事も書きました。
   よければのぞいてみてくださいね → 「楽しい育児のコツはおバカになること(笑)」
                     「元気をもらえる育児エッセイ&マンガ」

              

          

 


母子ハッピー神話(考えたこといろいろ 4)

2014年05月08日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  前回は、ストレスから子どもにやつあたりしてしまう気持ちについて書きました。

    そんなことをする前に、ほかの何かで発散したいものですが、そう簡単に思いつかないのが子育てママのつらいところ。
 子どもがいないころにやっていた、自分自身のストレス解消法。
 その解消法を、出産後も同じようにやれる人が、いったいどれだけいることか。

 

 で、私の場合も、うまく処理できないストレスを持てあましていたわけですが。
 今になって考えれば、当時の私はある固定観念に縛られていて、そのせいでますます身動きできなくなったような気がするんです。
 っていうか、実は今でも乗り越えられてはいないんですけどね。

 
 それは・・・「楽しい子育てが、良い子育て」という固定観念。
 「妊娠はうれしいもの」「子育ては楽しいもの」「子どもといっしょだから幸せ」「うれしくて楽しくて、幸せであるべき」・・・そんなイメージ。
 たとえば、大きなおなかをなでながら、幸せそうにほほえむ妊婦さん。
 腕の中の赤ちゃんに、やさしく笑いかけるお母さん。
 幸せ、希望、未来・・・それらすべての象徴としての、妊娠、出産、そして育児。


 たとえばマタニティ時代ですが、私はつわりが長くていつも体調不良。予想したようなマタニティライフを、まったく送れませんでした。
 これには、落ち込みました。つわりが過ぎれば、イメージ通りのハッピーな妊婦さんになれると信じていたため・・・。
 で、困ったことに、当時の私はこう思ったんです。
 「どんなに具合が悪くたって私はママになるんだから、赤ちゃんのことを思えば元気な気持ちになれるはず。なれないのは、私の性格が暗すぎるからだ。私ってダメだなあ。こんな私が、ママになってもいいのかしら・・・」

 具合が悪いこと自体もストレスでしたが、それに加えて、この「ダメだなあ」の感覚が、二重のストレスだったんですね。
 これ、ハッピーなイメージを持っていなければ、味わわなくていいストレスですよ。

 

 出産後の乳児期も、幼児期も・・・。
 こんなふうに考えました。
 「待望の赤ちゃんが生まれて、最高にハッピーなはずなのに、つらいなんておかしい。なんでこんなにマイナス思考なんだろう。母親には向いてないんだわ」
 だって、私の中の母子像は、マリアさまとは言わないまでも「幸せそうに寄り添いあう母と子」だったから。

 

 要するに、イメージ貧困。
 ドラマや少女マンガなんかでよく使われるイメージ像を、そのまま鵜呑みにしていたわけです。
 でも、そういうものがよく使われて、しかも感動的なシーンとして処理されていても、誰も不思議には思いませんよね。
 ということは、それは社会的に認められているイメージ、社会全体に広がっている観念と考えてもいいってことですよね。

 たしかに、まちがってはいないんです。
 っていうか、合ってますよ。
 幸せの象徴としての母子像、まさにその通り。正しいです。

 
 でも、これには弊害があって・・・。
 先に書いたとおり、自分がイメージに合わない場合、自分自身への評価がガタ落ちするという弊害。
 そしてそれを、なかなか人に打ち明けることできないという弊害。

 まず第一に、そんな情けない自分の心を、人にばらしたくありません。
 次に、もしばらしたとしても、相手がわかってくれるとは思えません。
 聞いている側にも、ハッピー神話の強固なイメージがあるかもしれないからです。

 いちばんありそうで怖いのは、「この人、自分の子がかわいくないのかしら」「愛情不足じゃないの?」という反応。
 ここまで思われなくても、「まあ、うまく子育てできない人なのね」「母親ならみんなやってることなのに・・・」。

 逆に「大変だけど楽しくて!」なんて言った場合は、「すてきなお母さんねえ」。
 ランクアップ、まちがいなし。そんなふうに言えるお母さんは、本当に魅力的ですからね。

 だから、子育てのストレスとか悩みを誰かに話すときは、すごく気を遣う。慎重になる。
 言いたいことも、相手の反応を見ながら、半分くらいでひっこめたり。
 職場の上司の悪口なら、思う存分おしゃべりして発散できるのに、我が子の悪口なんて、とてもじゃないけど言えません。
 したがって、発散することもできません。
 悩み相談したくても、相手に心を開いて説明できないから、なかなか理解してもらえない。
 相手のほうでも、固定観念が邪魔をして、なかなか受け入れられない・・・。

  

 ちなみにこの母子ハッピー神話(いま勝手に命名)、世代も男女も問わないような気がします。
 まず男性は、母親にいじめられた過去がある人以外は、ほぼ全員持っているんじゃないでしょうか。
 それから、子育てをかなり昔に卒業した先輩がた。
 人間うまくできたもので、つらい記憶はじょじょに消え、ハッピーな思い出しか残っていきません。
 従いまして、自分自身が子育てしていた思い出は、それはそれは美しく幸せなものに・・・。
 当時はそれなりに悩んだり迷ったりしていたはずだと思うんですが。

  それから、現在子育て中のママさんたち。
 同じ苦労をしているはずだからわかってくれるかと思いきや、案外そうでもないんですね。
 自分の家の中ではわかっていても、外に出るといきなり社会的になるというか。
 子育て中だからこそ「愛情不足」には敏感になるし、判定もきびしくなるというか・・・。



 「母性神話」という言葉はすでに、昔から使われていますよね。
 すべての女性には母性がある、というあの神話のせいで苦しんでいるかたも多いと思います。
 でも、私が言いたいハッピー神話はあれではなくて。

 自分の中の母性を疑っているわけじゃない。
 子どものことは大好きだし、とてもかわいいと思う。
 幸せな時間だって、ちゃんとある。
 でもつらいの。それでも元気になれないの。
 ・・・そういう感じ。



 

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大事な子どもにやつあたり(考えたこといろいろ 3)

2014年05月07日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  前回は、子育て中にイライラしたとき思わずやってしまうことは、子どもへのやつあたりだというところまで書きました。
 では、恥ずかしながら私の例をあげてみます。ほんと恥ずかしいですが。


 以前の章でもお話ししましたが、私は料理を作るのがすごく遅い人間で、夕飯の時間がずれこんでしまうことがよくありました。
 そうすると、当然お風呂も遅くなるし、寝るのも遅くなる。
 寝る時間なのにリビングで遊び続けている子どもたちを、寝室に連れていくのがいつもひと苦労でしたが、そんなときのお決まり台詞。
 「早く寝なさい。もうとっくにねんねする時間でしょ?」


 これがね・・・お料理が早くできていた日と、遅くできた日では、ぜんぜんちがう。

 「早く寝なさい」のニュアンスA (早く寝ないと、明日の朝起きられないよ)
          ニュアンスB (さっさとしてよ!何度同じこと言わせるの!?)


 ニュアンスBは、はっきり言って、やつあたり。
 自分でも驚くくらい、きつい言い方になりました。
 でも、さっさと料理しなきゃいけなかったのは、自分のほうですよ。
 思うようにことを運べなかった自分自身にイライラして、そのストレスを子どもにぶつけていたんです。


 ところが恐ろしいことに、この台詞には大義名分がちゃんとあったんですよね。
 早く寝るのが子どもにとって大切なのは、周知の通り。寝る時間を守らせることは、まちがっていない。
 だから、この台詞は必要。必要な台詞を言う私は、正しい。
 
 思いながらも、本当はやつあたりなんだという自覚はちゃんとありました。
 そんな自分が母親としてすごく情けなかったし、明日こそはやめようと毎回思いました。
 でも、繰り返してしまいました。
 大義名分があったから、やめられなかったんだと思います。


 子どもを産んで痛感しましたが、子どもほどやつあたりさせてくれる人間を、ほかに知りません。

 まず、圧倒的に自分より弱い。体力的にも精神的にも、弱い。
 自分のほうが、明らかに地位が上。庇護しているのは、親である自分。
 やつあたりしたからって、子どもは親を責めたり怒ったりしない。
 いくら当たっても、親のことを嫌いにならない。
 親が悪いなんて、思ってもいない。
 必ず親を許してくれる・・・。

  

 とにかく・・・。
 相手が大人なら絶対にしないであろう子どもっぽい言動を、大の大人に平気でさせてくれる存在。
 それが子ども、とくに我が子なんですよね・・・。


 このことを突き詰めると虐待にたどりつくのではないか、なんて思うようにもなりました。
 虐待の事情にくわしくもないのに、こんなこと書くのはいけないかもしれませんが。
 育児ノイローゼと同じで、虐待してしまうほど心が病んでいる人には、必ず育児以外の大きな問題があると思うんです。
 そっちの問題がうまくいかないから、手近な子どもにストレスをぶつけて発散しているわけですね。
 「しつけ」という強力な大義名分もありますし。


 それと、よく言われている「負の連鎖」という言葉。
 親から虐待された子は、自分の子を虐待するようになる、というあれは・・・。
 やつあたりに、とても似ている。
 世代を超えた、壮大なスケールのやつあたり・・・。


 話がちょっとそれてしまったので、戻しますね。
 で、このように我が子でストレス解消しないためにも、なんとかして外の世界で、うまく問題解決できればいいんですが・・・。
 前回も書いたように、自分の気持ちを人にわかってもらうのって難しい。
 苦労してそんな難しいことをするくらいなら、我が子を怒鳴っていたほうがカンタン・・・まちがえた。
 そうじゃないですよ。
 そっちの道は、ダメなんですよ~!

    

 
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      以前の記事で、こんなことも書いてました。
       「こどもの こころ」はコチラです。

      地方新聞に子育てエッセイを載せていただいたことが
       あります。コチラもよろしければ・・・。

 

 

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わかってもらう難しさ(考えたこといろいろ 2)

2014年05月06日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 前回は、共感してもらうと元気が出る、でもそれを得るのはけっこう大変、というようなことを書きました。

 そもそも「うちも同じ!」という声ですら、望むような共感のニュアンスではないこともあります。
 悩み相談をして、たとえば「気にしなくて大丈夫」というアドバイスをもらったときだって、理解や肯定のニュアンスではないこともあります。


 「うちも同じだよ」のニュアンスA(わかるよ。つらいよね~)
           ニュアンスB(でも私は別に平気だけど?)

 「気にしなくて大丈夫」のニュアンスA(大変だけど大丈夫だから安心してね)
             ニュアンスB(そんなことで悩むなんて無駄じゃない?)

 同じ台詞なのに・・・響きがまったくちがってる。
 私の場合、ニュアンスBをもらうことが多かったですね。
 まあこれは単に、私が本当に、気にするだけ無駄なことを気にしていたせいなんですが・・・。


 具体例をあげると、1人目ベビーの冬坊が乳児のころ、すごく迷ったことのひとつに「エアコンをつけるべきか」というのがありました。
 なんとなく、乳児にエアコンってよくない気がしたんです。まだ6月だったので、そんな早い時期から冷房つけてもいいのかと思っちゃったりして。
 でも、いま考えれば「暑いんだから、悩んでないでさっさとつけたら?」ですよ。なんであんなことで、もんもんとしていたんだか。

 もう少し大きくなってからは「こんなにテレビを見せていいんだろうか」というのもありました。
 幼児のテレビは2時間まで、ときいていたし、見せすぎてるかなあって。
 でも2人目ベビーの夏坊のときは、そんな悩み自体を忘却。
 テレビなんて、つねに上の子に合わせてつけてますから、下の子の都合なんか知ったこっちゃないわけです。


 「そんなに気にすることないよ」とか「気のせい」「神経質にならなくてもいい」「真面目すぎ」とかいうのも、言われがちな内容でした。
 ところが、真面目な人間にとって「真面目すぎる」と言われることほど困ることってないんですよね。
 同じように、ざっくりした人が「もう少し真面目に」と言われても困るんでしょうけど。
 要するに、育児以前の自分の資質を指摘されると、誰でも困ってしまうわけですね。

 

 とにかく当時の私の目には、ほかのママさんたちがみんな、すごく明るく前向きに楽しんでいるように見えて。
「みなさん元気で明るいなあ。私ってやっぱりダメだわ」って、自信をなくすこともよくありました。
 望んでいる反応をもらうのは、本当に難しいですよね・・・。
 


 じゃあ、共感をもらえず、イライラしたり落ち込んだりしたとき、思わずやってしまうことって何?
 やけ食い? ふて寝?
 それももちろんですが、私が思うに、育児中の人しかぜったいやらない解消法があるんです。
 それは・・・子どもへの、やつあたり。
 もっとも身近で手軽な、ストレス解消法。


 もちろんいけないことなんですよ。大人の都合で小さな子どもに当たるなんて、最低です。
 ですが、一度もやったことのない母親なんて、存在するでしょうか。
 大げさな話ではなく、日常のささいなやつあたりくらいなら、どんな人でも覚えがあるんじゃないでしょうか・・・。

 


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この道をまっすぐ行けばノイローゼ(考えたこといろいろ 1)

2014年05月05日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 さて、「上の子誕生から6歳まで」というくくりではじめた育児エッセイですが、ようやくおわりが見えてきたようです。
 おわりというのは単に「ここまで書けたら予定通り」という、私の個人的な思いなんですが・・・。

 で、おわりにあたって、久々に目次をととのえてみると。
 やっぱり「明るく楽しく元気に育児」とはちがう暗めのテーマが多いですね。前向きな育児ブログが多い中、なんだかなー・・・。
 とか言いつつも、今回はさらに暗めに、真面目に、考えたことをいろいろ書いてみようと思います。
 


 妊娠、出産、そして幼児の子育てというのは、私にとって、それまでの経験値が全然役に立たないような大イベントでした。
 そもそも、すべてにおいて経験なさすぎ、興味もなさすぎなまま過ごしてきた人生だったので・・・。
 そのツケが、40にもなろうという時期にようやく回ってきたといいましょうか。
 いわゆる自業自得? 楽な道ばかりえらんで、全然まわりを観察してこなかった自分を、反省しております・・・。

 ストレスに耐性がないため、当然ながら育児ストレスにもめちゃめちゃ弱く、無駄に落ちこんだりイライラしたり、もんもんと悩んだりしてしまいました。
 新聞やニュースでときどき取り上げられている、育児ノイローゼ。
 幸いそこまではいきませんでしたが、ノイローゼの方向に伸びた道を見ている感じは、わかるような気がします。


 育児ノイローゼという名前ですが、純粋に育児だけでノイローゼになる人なんていませんよね。
 1種類の理由だけでは、人はそこまで悩みません。
 必ずほかにも問題がある。
 ただ、ふだんなら耐えられるような問題が、育児でいっぱいいっぱいなときに振りかかると、我慢できない大問題に見えてしまうわけで。
 それらの問題が全部ごちゃ混ぜになって、「育児ノイローゼ」なんていう、すべての原因は子ども、みたいな名称に・・・。

 私はありがたいことに恵まれた環境で子育てできたので、難を逃れたわけですが。
 もしも当時、ほかに重大な悩みが出てきていたら、手に負えなくてあっさり転落したにちがいありません。
 ささいなつまずきでも、いっぱいいっぱいの身には、けっこう痛手でしたから。

 で、そういう満杯状態のときに、私がもっとも欲しかったのは何かというと、「共感」「理解」「肯定」の声でした。
 「わかるわかる」「うちも同じ」あるいは「あなたが悪いんじゃないよ」という、外からの声。
 それも単なるなぐさめではなく、子育て経験者の声が、効果大。
 つらいのは私だけじゃない。そう思えるだけで、どんなに心が元気になることか。
 まちがってないよ。そう言ってもらえるだけで、どんなに力がわいてくることか。

 でも、そういう声って、家で待ってるだけじゃ絶対にもらえないんですよね。
 自分で探して、自分自身に補給してあげないと。
 そうなると、いちばん早くて手軽なのはネット上の仲間かもしれませんが・・・これだって「ネットで探す」というひとつのアクション。
 とにかく、行動しないことには何も得られない。

 ところが、この行動というのが、やっかいで・・・。


 まず第一に、わかってくれそうな相手をみつけなきゃいけませんよね。
 相手をみつけたら、次に自分の状況や心境を相手に伝えなきゃなりません。誤解や曲解のないよう、正確に、言葉をえらんで。
 これが難しいし、けっこうエネルギを使います。
 なにしろ、ただの愚痴だと思われないように、子どもの悪口とまちがわれないように、わがままな母親だとあきれられないようにと注意して、伝えなければならないんですから。


 で、そうやって苦労して伝えて、じゃあ共感してもらえるかというと・・・これが悲しいことに、してもらえなかったりする。
 空振り、多発。
 育児って本当に千差万別で、母子の性格にはじまり、家庭環境、経済状況、健康状態・・・いろんな要素の複合体だから。
 「うちも同じ!」な状況はなかなか訪れないんです。


 まあ空振りするだけならいいですよ。
 でも場合によっては、かえって落ちこむようなこと言われたり。
 「やっぱり私が変なんだ」と思い知らされるような反応がかえってきたり・・・。


   

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殿堂入りにしたい思い出(エピソードいろいろ 3)

2014年05月03日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 なにげないことだけど、ずっと覚えておきたいって思うハッピーな記憶。
 でも、なにげなさすぎて絶対忘れちゃいそうなので、こちらに残しておくことにします。



 夜中トイレに起きた私が、用をすませて戻ってくると、冬坊が寝室の前でしゃがんで待っている。
 あとを追って、布団から出てきたらしい。
 私をみつけて、にこにこと手をつなぐ冬坊、2歳2カ月。
 ふたりで布団にはいるまでの、わずか8歩か9歩の距離は、短い短い夜のお散歩。


 そのころ私は妊娠中。
 お天気のいい昼間は必ず、冬坊と近所を歩いて回った。
 いつものコースで通るのは、線路際の広い広い自転車置き場。
 ガラガラだったから自由に中を通れたし、冬坊の大好きな電車も見える。
 おとなりは畑。夏に向かってまぶしいおひさま。
 おなかは重いしつわりがつらい日々だったけど、あの時間はまちがいなく幸せな記憶。


 夏坊との思い出は、早朝5時ごろ、ふたり並んですわった階段。
 そんな時間になぜか起きて、スティックパンや黒砂糖のかけらを食べる夏坊だった。
 あげるほうもあげるほう?
 食べる場所も決まっていて、階段のいちばん下、そこにふたりで腰掛けるのがお気に入り。
 おうちの中で、早朝5時のピクニック。


 ところがある朝、ピンチが訪れた。
 両手に黒砂糖をにぎりしめていたはずなのに、右手を見ると、あら? からっぽ。
 落とした! でも小さすぎて、足元には見当たらず・・・。
 「あで~? あで~?」
 世にも悲しげに右手をみつめ、下を探す夏坊、1歳9カ月。
 まずい、朝っぱらから泣かないでくれ、頼むから。
 動揺しつつも平静をよそおい、夏坊の左手を指してみせる私。
 「あっ、あったよ!」
 左手にお砂糖を発見した夏坊は、にこにこ笑顔でよろこんだのでした。



 ところで育児ノートの殴り書きを見ていたら、非常にアホな場面がのっていて、こんなのも覚えておきたいなあと思いました。


 冬坊、5歳8カ月。夏坊、3歳1カ月。
 私がトイレにすわっていると(トイレ率が高すぎる)、外でふたりの不穏な会話が・・・。

冬坊 「あれ? ママがいない!」
夏坊 「トイレじゃない?」
冬坊 「よし!行ってみよう」

 バーンと開け放たれるドアと、侵入してくるチビども。即座に追い出し、鍵をかける母。

冬坊 「ハッ! ハッ!」(気合いの声とともに、トイレのドアを蹴っている)
夏坊 「夏坊にまかせて!」(鍵をあけるべく、ドアノブをガチャガチャやっている)


 ・・・あんたたち、成長したねえ。
 とくに冬坊、ついこの間まで、しゃべりもしなかったっていうのに・・・。
 夏坊だって、兄と協力できるようになって・・・。

 子育てって、面白い。
 自分がはいったトイレのドアを、外から蹴られる日がくるなんて、ママ、想像したこともなかったよ。


 

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幼児イコールそうじ (エピソードいろいろ 2)

2014年05月02日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 今回はおそうじエピソード集です。でもその前に、夏坊のお話ももう少し。

 おにいちゃんの冬坊とはちがい、夏坊はとにかくオーバーアクション。表情もころころ変わります。
 たとえば、ペンを探していたとすると、「ペンがない~! ペンがない~!」。
 アメリカ人か何かみたいに両てのひらを上に向け、頭を振りながら訴えているうちに、真横の壁に、頭をゴン!
 「ギャーッ」と大泣き。
 あれは印象的なできごとでした・・・。

 2歳のころは、なんでも自分でやりたがり、「自分で!」「自分で!」「夏坊が!」
 ある日私がトイレをすませようとしていると、夏坊いきなり乱入。
 「自分で!」と言いながらトイレットペーパーを奪いとり、人のおまたに押し込んだ。下ネタ失礼。

 1歳のころ。くやしいことがあるとなぜか両手をばんざいしながら、部屋のすみとか洗面所までだーっと走っていって、ばったり倒れるというのをよくやっていました。
 ことばがまだ出ないから、態度で表わしていたんですね。
 1歳でもこんなにわかりやすいんだと、びっくりしたものです。


 そんな夏坊なので、さぞや幼稚園でも張り切っているだろうと思いきや・・・。
 あらら? 
 幼稚園には、別人のようにショボショボモタモタした、彼のちっちゃい姿が。

 まあね・・・あのアメリカ人的動作を見るにつけ、この子ほんとにうちの子か?と思ったものですよ。ダンナさんもそういうことはしないタイプだし。
 でも、どうやらうちの子だったみたいですね、ははは・・・。


 幼稚園では毎年2月に、子どもたちが歌や劇を披露する「こども会」なるものがあるんですが。
 年少さんのこども会。幕があがってみると、いちばんはじっこに1人だけ、腕で顔をおおって泣いている男の子が。
 もちろん、夏坊です。

 ちなみに、冬坊はじめてのこども会では、幕があがったときどこにも姿がない。
 よく見ると、これまたはじっこに、よつんばいになった先生の足腰が見える。
 脱走しようとしている冬坊を、先生が引きとめていたんですね。

 運動会では、どの年にも必ずひとりはいるという「先生に抱っこされてる子」に、兄弟そろって該当。
 先生がた、お手間をとらせて本当に申し訳ございませんでした。
 やさしくしてくださって、ありがとうございます。
 あ。年中さんになったときには、こども会、2人ともりっぱに参加できたんですよ。
 これも先生がたの努力のたまものですね。


 では続きまして、育児ノートから拾ったお掃除関係、いってみますね。
 といっても、まあ、どこのご家庭にもありそうな、ささいなことですよ。
 たとえば、にんにくのみじん切りを小皿にいれて持ってたら、冬坊に邪魔されて、床に全部ばらまいたとか・・・。
 夏坊が放り投げたスリッパが、おぜんの上に落ちて、お味噌汁どっぱーんとか・・・。
 なぜか廊下に、コロコロのブツ(ご想像くださいませ)が落ちてたりとか・・・しかも何度も。(もしかしてよそのご家庭にはない?)


 牛乳を口いっぱいに含んだまま、キッチンを歩いていた夏坊。
 ふと下を見ると、何かが落ちている。
 「あ!」指差したとたん・・・重力の法則。

 うちのトイレは水槽の上で手を洗えるタイプで、使用後に水を流すと、上の管から手洗い用の水が出てくるんですね。
 で、その水が水槽に戻っていくための穴があいてるわけですが、その穴にトイレットペーパーをつめこむと・・・。
 水があふれて、ジャバジャバ外側に流れ出す。
 トイレ内、床上浸水。
 これはもう・・・1度や2度ではありません。なんと、冬坊が小学校にあがってからも!
 ペーパーをつめたり、芯を押しこんだりするんですよね。いったい何が楽しいの?


 リビングでお昼寝していた夏坊。
 ふいにムクッと起き上がり、テレビの前に立つと、ズボンに手をかけてもぞもぞ。
 ちょっと待て~! いや、ここで叫んで驚かせると、ショックで出てしまうかも。
 そーっと手をひいて、お風呂場へ導き、無事に放水。何事もなかったように居間に戻って眠る夏坊、当時5歳3カ月。
 ・・・すごくいっぱい出てました。
 まさに、危機一髪ってやつですね。


 もちろん、回避できなかった惨事もあります。
 いちばん大きかったのは、3歳0カ月の冬坊が、床に差し込まれていた洗濯機のホースを抜いてしまったことでしょうか。
 洗濯中だったため、すすぎの水が・・・。
 うちは、洗面所とキッチンがつながっている間取りなんですが、気づいたときにはキッチンの床まで洪水が押し寄せつつあって。
 仰天。
 あー、びっくりした。

                                  
 なんかね・・・電車の中で、くつを脱がずに外を見ている子っているじゃありませんか。
 親がついているのに、なんで脱がせないんだろうとつねづね思っていたけれど。
 我が子のくつって、きたなく感じないんですね・・・いちいちそんなの感じていたら、とても育てられません。
 自分が子育てしてみて、はじめてちょっと気持ちがわかりました。

 


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子どものおしゃべり再び(エピソードいろいろ 1)

2014年04月30日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 冬坊の出番が続きましたので、満を持して(?)夏坊にも登場してもらおうと思います。
 このエッセイは「上の子6歳まで」のくくりで書いているんですが、それだと夏坊3歳までになってしまうので、この章だけは少し延長した特別編。

 では、夏坊のおしゃべりをどうぞ。


☆ 園服の袖口からシャツを引っぱり出そうとしているので聞いてみる。
  「なんで引っぱり出すの?」
  「それは・・・」
  「それは?」
  「それは・・・」
  「それは?」
  「しゅみなんだよ!」        (4歳0カ月)


☆ 冬坊にさかんに話しかけるも、いっこうに返事をもらえない夏坊。
  気合いをいれて、いきなり
  「冬坊、話がある!」           (4歳2カ月)


☆ かぶりの服を着ようとしたけど、頭がはいりにくい。
  私が「頭大きいねー」と言うと、得意そうに
 「ぼく、冬坊より脳みそいっぱいあるよ。だって頭が大きいし、石頭だからね!」
                          (4歳5カ月)


☆ 自分の肩をさわりながら、質問する。
  「なんで手ってここからはえてるの?」   (4歳9カ月)


☆ うんちが何日も出ていない。
  「おまるにすわりなさい」などとうるさく言われていると、突然叫び出した。
  「いちねんで! いちばんたのしかったのは~!
   うんちがいっぱい! 出なかったこと~!」
   自分で叫んで、自分で爆笑。あのねえ・・・。    (5歳3カ月)


☆ 公園での防災訓練お知らせチラシ。「災害に強くなろう」と書いてある。
  「ぼく、災害に強くなりたいから公園に行きたい! さいがいって何?」
  次の日も訓練を忘れていなかった夏坊。
  「ぼく、いち早く公園に行きたい!」
  「いち早く?」
  「いちはやくって何?」           
  いち早く、早くも、あるいは、すでに・・・などなど。
  幼稚園児とは思えない言葉を駆使する夏坊でした。       (5歳6カ月)


 

☆ ママが着ていたパーカーのフードを、ママの頭にかぶせると、じっと顔をみつめる。
  「あれ、ママの顔、なんか少し四角いね」
  「四角い?」
  「うん。本体は丸いんだけどね」
  ママ、本体も四角いつもりなんですけど・・・。    (5歳7カ月)



 小さい子どもの、こまっしゃくれたおしゃべりが、こんなにも楽しいなんて。
 2人目を産んでいなければ、想像もつかなかったことでしょう。
 ありがとう、夏坊!

 あ、こまっしゃくれただけでなく、ほのぼのしたものもあるんですよ。
 こちらです。



☆ 幼稚園の帰り道。道ばたに花が咲いているのをみつけて、うっとりと言う。
  「もうすぐ春だねー。あたたかい気持ちだー・・・」
                              (4歳4カ月)


☆ 同じく帰り道。
  道ばたにしゃがんでアリの群れを見ていたら、同じくらいちっちゃな虫が混じってた。
 「これは?」とたずねる夏坊。
 「これはアリさんじゃないねえ。なんだろう」とママ。
 「虫さん、笑ってるよ」
 「お顔が見えるの?」
 「うん。小さいけど、おかお、見えるんだよ」      (4歳9カ月)


 

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     夏坊のおしゃべりは、コチラにも!   

 
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たどりついた、ことばの世界(ことばの発達 3)

2014年04月25日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 3歳になってようやく「ま」の発音に成功。
 その後はじょじょに、口にする音がふえてきた冬坊ですが、ことばというより、気が向いたとき好きな音を呟いている感じでした。


 で、なぜかよく「パパ、ママ、テュテュ、ワアワア、ザー」とくりかえしていたので、まずワアワアというのを弟の呼び名にすることに決定。
 まだ赤ちゃんだった夏坊。わあわあ泣いていたので、ぴったりです。

 どうして呼び名なんかつけたのかというと、当時冬坊のやきもちがパワフルで困っていたので・・・。
  名前を呼べれば弟への親しみがわくんじゃないかと思いつきまして。
 このアイデアは、けっこう効果ありました。人って何歳であっても、名前を呼ぶこと(そして呼ばれること)で関係性を強められるんですね。

 もうひとつ、テュテュのほうは、かわいい音だったのでおばあちゃま(私の母)の呼び名に。
 これには後日談があって、なんとハワイではおばあちゃんのことを「tutu」と呼ぶそうなんです。
 うれしい偶然に、びっくり!
 おばあちゃま本人もすごく気に入り、以来ずーっとこの呼び名のまま。発音は文字にしやすい「チュチュ」に変わりましたけどね。
 一方「ザー」というのはしばらく自分自身に使ってましたが、こちらはかわいくないため、早々に変更(笑)。


 そして、しゃべらないまま幼稚園に入園しました。
 とにかくちっちゃくて幼い外見だったせいか、おしゃべりしなくてもたいした違和感もなく(親の目には)。
 先生方にもかわいがってもらえて、ことばの件で困ったことは、とくにありませんでした。困ったのは年少3学期の登園拒否・・・あ、これはややこしくなるので別の機会にでも。
 年少さんなんて、おしゃべりできたところで、わけわからない発言が多いですからね。園内で無口でも、あんまり支障がないのかも。


 ことばの教室には、幼稚園が早帰りの水曜日に直行していました。
 そのころの冬坊は、「自分が発音できるという自信のある音」しか、口に出そうとしなくて。
 これには、M先生も不思議がっていました。
 幼児ってふつう、ほかの人がさっぱり聞き取れないような音でも、平気でしゃべりまくるらしいんです。
 ところが冬坊は、「うまく言える」と思える音しか発音しない。言いかけても、口をとじてしまう。
 
 要するに・・・完璧主義? 3歳なのに完璧主義って、筋金入りですよね・・・。

 
  と、年少さん1学期のこのあたりで、冬坊の「数字マイブーム」が到来します。
  とにかく数字が大好き。まあ昔から、絵本を読んであげていても、ページ数のところしか興味ないような子だったんですが。
 それがエスカレートして、お散歩してても夢中で指差すのは、住所表示や車のナンバープレートばかり。
  家の中ではもちろん、時計やカレンダー。いちいち答えてあげなきゃいけなくて、すごーくめんどくさかったけど・・・。

 夏休み。
 カレンダーへの愛が高じて、ついに読めるようになりました、大好きな数字が!
 最初に発音したのがどの数字だったのかはわからないんですが、最後にできたのは6。
 ラ行はやっぱりハイレベルだったようです。
 それからは、あっというまにいろいろ言えるようになって。
 2学期の始業式、入園以来はじめて先生に「おはよう」とごあいさつ。このころには、いつのまにか2語文もしゃべれるようになっていました。


 いつのまにかと書きましたが、このあたりのことを育児ノートにあまり書いていなくて、よくわからないんですよね。
 なんでだろうと不思議な気がしますが、たぶん、こまかく書こうと思わないくらい自然な成り行きだったからじゃないでしょうか。
 ことばが出てきてあたりまえの、自然な流れ。
 子どもにとって、時期がくるってそういうことなのかもしれません。


 そのあとの冬坊はといえば、急におしゃべりになるわけでもなく、無口なまま幼稚園を卒園しました(笑)。
 小学校にあがったいまも、おしゃべりに関してはほんとに不器用。思ったことを口に出すのは、もっとも苦手な分野です。

 でも授業はふつうに受けられるし、お友だちもちゃんといるし、問題になったことはありません。
 6歳にもなると乱暴な物言いをする子もいるようですが、そんな中で冬坊のポジションは「きついことを言わない子」。
 個性を認めてもらえるって、うれしいですよね。
 


   ところで・・・育児エッセイ編の前のほうに、子どもの笑えるおしゃべりを書き並べた章があるんですが。
 そのとき、いちばん最初にご紹介した会話を、今回育児ノートを読み直していて久々にみつけたんです。
 それが書いてあったのは、始業式の「おはよう」を記した文の、すぐ真下でした。

 びっくりしました・・・そして、なんだか胸が熱くなってしまいました。
 会話自体は覚えていたけど、前後のことは忘れていたので。
 これ、ごあいさつができるようになったばかりのころの会話だったんだ。 
 けっこう長い道のりのあとに、たどりついたことばだったんだなあ・・・。

 そういうわけで、それを再録させていただいて、この章の締めくくりにしたいと思います。
 



 ☆ ようやくセンテンスを喋り始めた冬坊とおふろに入っている時に、
   なにげなーく訊いてみた。
   「今日、幼稚園で何したの?」
   「おならしたの」          (3歳7カ月)




 

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