komaの こまごまひとりごと

気が向いたときに更新しています。ただいま「歌の力」カテゴリ工事中。すみません。

子どものおしゃべり再び(エピソードいろいろ 1)

2014年04月30日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 冬坊の出番が続きましたので、満を持して(?)夏坊にも登場してもらおうと思います。
 このエッセイは「上の子6歳まで」のくくりで書いているんですが、それだと夏坊3歳までになってしまうので、この章だけは少し延長した特別編。

 では、夏坊のおしゃべりをどうぞ。


☆ 園服の袖口からシャツを引っぱり出そうとしているので聞いてみる。
  「なんで引っぱり出すの?」
  「それは・・・」
  「それは?」
  「それは・・・」
  「それは?」
  「しゅみなんだよ!」        (4歳0カ月)


☆ 冬坊にさかんに話しかけるも、いっこうに返事をもらえない夏坊。
  気合いをいれて、いきなり
  「冬坊、話がある!」           (4歳2カ月)


☆ かぶりの服を着ようとしたけど、頭がはいりにくい。
  私が「頭大きいねー」と言うと、得意そうに
 「ぼく、冬坊より脳みそいっぱいあるよ。だって頭が大きいし、石頭だからね!」
                          (4歳5カ月)


☆ 自分の肩をさわりながら、質問する。
  「なんで手ってここからはえてるの?」   (4歳9カ月)


☆ うんちが何日も出ていない。
  「おまるにすわりなさい」などとうるさく言われていると、突然叫び出した。
  「いちねんで! いちばんたのしかったのは~!
   うんちがいっぱい! 出なかったこと~!」
   自分で叫んで、自分で爆笑。あのねえ・・・。    (5歳3カ月)


☆ 公園での防災訓練お知らせチラシ。「災害に強くなろう」と書いてある。
  「ぼく、災害に強くなりたいから公園に行きたい! さいがいって何?」
  次の日も訓練を忘れていなかった夏坊。
  「ぼく、いち早く公園に行きたい!」
  「いち早く?」
  「いちはやくって何?」           
  いち早く、早くも、あるいは、すでに・・・などなど。
  幼稚園児とは思えない言葉を駆使する夏坊でした。       (5歳6カ月)


 

☆ ママが着ていたパーカーのフードを、ママの頭にかぶせると、じっと顔をみつめる。
  「あれ、ママの顔、なんか少し四角いね」
  「四角い?」
  「うん。本体は丸いんだけどね」
  ママ、本体も四角いつもりなんですけど・・・。    (5歳7カ月)



 小さい子どもの、こまっしゃくれたおしゃべりが、こんなにも楽しいなんて。
 2人目を産んでいなければ、想像もつかなかったことでしょう。
 ありがとう、夏坊!

 あ、こまっしゃくれただけでなく、ほのぼのしたものもあるんですよ。
 こちらです。



☆ 幼稚園の帰り道。道ばたに花が咲いているのをみつけて、うっとりと言う。
  「もうすぐ春だねー。あたたかい気持ちだー・・・」
                              (4歳4カ月)


☆ 同じく帰り道。
  道ばたにしゃがんでアリの群れを見ていたら、同じくらいちっちゃな虫が混じってた。
 「これは?」とたずねる夏坊。
 「これはアリさんじゃないねえ。なんだろう」とママ。
 「虫さん、笑ってるよ」
 「お顔が見えるの?」
 「うん。小さいけど、おかお、見えるんだよ」      (4歳9カ月)


 

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     夏坊のおしゃべりは、コチラにも!   

 
      楽しんでいただけましたでしょうか。
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たどりついた、ことばの世界(ことばの発達 3)

2014年04月25日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 3歳になってようやく「ま」の発音に成功。
 その後はじょじょに、口にする音がふえてきた冬坊ですが、ことばというより、気が向いたとき好きな音を呟いている感じでした。


 で、なぜかよく「パパ、ママ、テュテュ、ワアワア、ザー」とくりかえしていたので、まずワアワアというのを弟の呼び名にすることに決定。
 まだ赤ちゃんだった夏坊。わあわあ泣いていたので、ぴったりです。

 どうして呼び名なんかつけたのかというと、当時冬坊のやきもちがパワフルで困っていたので・・・。
  名前を呼べれば弟への親しみがわくんじゃないかと思いつきまして。
 このアイデアは、けっこう効果ありました。人って何歳であっても、名前を呼ぶこと(そして呼ばれること)で関係性を強められるんですね。

 もうひとつ、テュテュのほうは、かわいい音だったのでおばあちゃま(私の母)の呼び名に。
 これには後日談があって、なんとハワイではおばあちゃんのことを「tutu」と呼ぶそうなんです。
 うれしい偶然に、びっくり!
 おばあちゃま本人もすごく気に入り、以来ずーっとこの呼び名のまま。発音は文字にしやすい「チュチュ」に変わりましたけどね。
 一方「ザー」というのはしばらく自分自身に使ってましたが、こちらはかわいくないため、早々に変更(笑)。


 そして、しゃべらないまま幼稚園に入園しました。
 とにかくちっちゃくて幼い外見だったせいか、おしゃべりしなくてもたいした違和感もなく(親の目には)。
 先生方にもかわいがってもらえて、ことばの件で困ったことは、とくにありませんでした。困ったのは年少3学期の登園拒否・・・あ、これはややこしくなるので別の機会にでも。
 年少さんなんて、おしゃべりできたところで、わけわからない発言が多いですからね。園内で無口でも、あんまり支障がないのかも。


 ことばの教室には、幼稚園が早帰りの水曜日に直行していました。
 そのころの冬坊は、「自分が発音できるという自信のある音」しか、口に出そうとしなくて。
 これには、M先生も不思議がっていました。
 幼児ってふつう、ほかの人がさっぱり聞き取れないような音でも、平気でしゃべりまくるらしいんです。
 ところが冬坊は、「うまく言える」と思える音しか発音しない。言いかけても、口をとじてしまう。
 
 要するに・・・完璧主義? 3歳なのに完璧主義って、筋金入りですよね・・・。

 
  と、年少さん1学期のこのあたりで、冬坊の「数字マイブーム」が到来します。
  とにかく数字が大好き。まあ昔から、絵本を読んであげていても、ページ数のところしか興味ないような子だったんですが。
 それがエスカレートして、お散歩してても夢中で指差すのは、住所表示や車のナンバープレートばかり。
  家の中ではもちろん、時計やカレンダー。いちいち答えてあげなきゃいけなくて、すごーくめんどくさかったけど・・・。

 夏休み。
 カレンダーへの愛が高じて、ついに読めるようになりました、大好きな数字が!
 最初に発音したのがどの数字だったのかはわからないんですが、最後にできたのは6。
 ラ行はやっぱりハイレベルだったようです。
 それからは、あっというまにいろいろ言えるようになって。
 2学期の始業式、入園以来はじめて先生に「おはよう」とごあいさつ。このころには、いつのまにか2語文もしゃべれるようになっていました。


 いつのまにかと書きましたが、このあたりのことを育児ノートにあまり書いていなくて、よくわからないんですよね。
 なんでだろうと不思議な気がしますが、たぶん、こまかく書こうと思わないくらい自然な成り行きだったからじゃないでしょうか。
 ことばが出てきてあたりまえの、自然な流れ。
 子どもにとって、時期がくるってそういうことなのかもしれません。


 そのあとの冬坊はといえば、急におしゃべりになるわけでもなく、無口なまま幼稚園を卒園しました(笑)。
 小学校にあがったいまも、おしゃべりに関してはほんとに不器用。思ったことを口に出すのは、もっとも苦手な分野です。

 でも授業はふつうに受けられるし、お友だちもちゃんといるし、問題になったことはありません。
 6歳にもなると乱暴な物言いをする子もいるようですが、そんな中で冬坊のポジションは「きついことを言わない子」。
 個性を認めてもらえるって、うれしいですよね。
 


   ところで・・・育児エッセイ編の前のほうに、子どもの笑えるおしゃべりを書き並べた章があるんですが。
 そのとき、いちばん最初にご紹介した会話を、今回育児ノートを読み直していて久々にみつけたんです。
 それが書いてあったのは、始業式の「おはよう」を記した文の、すぐ真下でした。

 びっくりしました・・・そして、なんだか胸が熱くなってしまいました。
 会話自体は覚えていたけど、前後のことは忘れていたので。
 これ、ごあいさつができるようになったばかりのころの会話だったんだ。 
 けっこう長い道のりのあとに、たどりついたことばだったんだなあ・・・。

 そういうわけで、それを再録させていただいて、この章の締めくくりにしたいと思います。
 



 ☆ ようやくセンテンスを喋り始めた冬坊とおふろに入っている時に、
   なにげなーく訊いてみた。
   「今日、幼稚園で何したの?」
   「おならしたの」          (3歳7カ月)




 

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               たどりついた世界は、お笑いだった。
               「子どものおしゃべり」はコチラです。

 

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ちゃんと成長してるかな?(ことばの発達 2)

2014年04月23日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 3歳過ぎてもことばが出なかった冬坊の記録、つづきです。

 3歳1カ月のとき、市で運営している「ことばの教室」というところに通い始めました。
 幼稚園に入る前あたりから行く子が多いと聞いていたので、そのタイミングに合わせて。
 行ってみると、そこは先生と子どもが1対1で、1時間くらい遊びながら様子をみるというスタイルでした。
 完全個室。親は付き添いで見学です。

 発音の訓練でもするのかと思ったらそうではなくて、心身がちゃんと成長しているかどうかを、遊びながらたしかめている感じ。
 でもたぶん、子どもによってやり方を変えていたんだろうと思います。
 単純に「サ行」がうまく言えない子から、知能に遅れがある子まで、たくさんのケースを引き受けていたようなので。


 冬坊の先生は、前半はいろんな本とかプリントみたいなものを出してきて、遊びながらいろいろ話しかけてくれました。
 で、後半になると大きめのおもちゃが出てきて、冬坊が楽しめるかどうか確認しながら、私ともおしゃべり。
 そういう楽しい場所だったので、冬坊もすぐに慣れて、行くのを嫌がったことは一度もなし。
 私のほうでも、ふだん気になることを気兼ねなくお話しできるので、本当に安心できて・・・。

 まず、子どもにおかしな部分があれば、すぐに教えてもらえるだろうという安心感。
 何かの対策が必要なら、指示してもらえばいいんだという安心感。
 そして、自分の不安な気持ちを聞いてもらえるという、安心感・・・。


 実は、3歳にもなると、心配していなかった私の心にもさすがによぎるものがあったんですよね。
 自閉症という可能性・・・。

 1歳半検診のときですが、冬坊はとにかく会場内をかけまわっていて、追いかけるのに一苦労でした。ほかの子は誰も走っていないのに。
 その検診で、ことばが出ていないからという理由で面接を指示されて、後日、別の先生と面談。
 でもそこでは「もう少し様子をみましょう」という判断だったんです。
 あやせばちゃんと笑うし、質問すれば理解しているようだし、指差しもできたので。


 その後、幼稚園の親子教室にはいりました。
 集団生活、冬坊はみごとなまでに興味なしでした。ずーっと私の膝にべったりしているか、教室から脱走しているか。
 先生のことも思い切り無視してましたが、きっと「しばらく様子見」と思われていたんじゃないでしょうか。
 でも、とくに何か言われるわけでもなく普通に接してもらえたので、こちらも、きっと平気なんだわ、と思っていたわけです。

 幼稚園については。
 早生まれだったので、2年保育の選択もありだったかもしれませんが、入園させることに迷いはありませんでした。
 ちがう世界を見て刺激を受けることが、子どもにとって必要だと感じていたんですね。
 入園すれば、ことばも自然についてくるにちがいない、って。

 だから、子ども本人が全然関心のなかった親子教室にも、毎回出席。
 先生に顔を覚えてもらいたかったし、私自身もほかのママたちとお話ししたかったので、けっこう楽しかったです。

 
 
 考えてみると、当時の私はほんとに不勉強で、アスペルガーとか多動とかいう単語を、まったく知りませんでした。
 何しろ家にパソコンがなかったので、検索して調べることもできなかったわけです。
 いま、育児ブログの世界を見ていると、その手の文字がいっぱい出てくるのでびっくりしてしまいます。
 私の場合はむしろ、知らなかったことがかえってよかったのかも。情報が入りすぎると、性格的にもっともっと不安になっていたかも・・・。


 と、そういう感じだったんですが、さすがに3歳をすぎるとちょっとね・・・。
 そんなときに出会ったのが、ことばの教室の先生だったわけで。
 以前のエッセイ、「子どもの不機嫌」の章でも少しふれましたが、M先生、その節は本当にお世話になりました。
 もう、子どものための教室ではなくて、ほとんど母のための教室といっていいくらいでした。
 しまいには家族の悩みまでベラベラと打ち明けてしまって。教室を卒業しなきゃいけないのが、とっても心残りだった私・・・。


 ところで、先生の子どもに対する接し方を見ていて、印象的だったことがあるんです。
 たとえば何かの課題があって、先生が質問、子どもが指差しみたいなことをしている場合。子どもの集中力がなくなって、よそ見をはじめることも多かったんですが。
 そんなとき、先生はしゃべっている言葉は切らず、ただ子どもの手をタッチしたり、やさしくたたいたりするんですね。
 そうすると、子どもが先生のほうに視線を戻す。その視線をつかまえて、何事もなかったように話をすすめる・・・。

 この方法だと、子ども自身も注意されたとか思うことなく、すんなり課題に戻っていけるんです。
 専門家はちがうなあって、とても勉強になりました。


 ことばの教室は就学前の幼児が対象だったので、冬坊はまるまる3年かよってから卒業しました。
 電車で二駅、降りたあとは20分の道を歩いてかよった3年間。
 赤ちゃんの夏坊はおばあちゃまにあずけて、このときだけは冬坊と私のふたりきり。

 途中のデパートでお昼ごはんのおにぎり買って、並んでベンチで食べたのも、今ではいい思い出です。

 

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2歳になってもしゃべらない(ことばの発達 1)

2014年04月21日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 1人目ベビーの冬坊。2歳になった時点では、まったくことばが出ていませんでした。
 しゃべり始めは3歳半。けっこう遅いですよね。

 ことばの遅れを気になさっているかたの参考になればと思い、またもや育児ノートからの抜粋です。ギャグ?みたいな部分もありますが、臨場感が出るのであえて丸写し(笑)。

 

2歳2か月 3歳児向けパズルができるようになってきた。でもことばはまだ全然。
     ときどき会話しているようなタイミングで声が出ることも。
     「うにゃららうにゃら」と冬坊。「そーでしゅか」と私。
     「ほにゃはりゃふんりゃ」「そうなのそうなの」「むにもにはれほれ」

2歳5カ月 赤ちゃん返りで、散歩の途中もだっこだっこ。(私は妊娠8カ月くらい)
     ことばが出ないのも赤ちゃん返りのせいにちがいない。

2歳10カ月 食事中に「あ!」(あれをくわせろ)
     「あ!」(このスプーンじゃなくあっちがいい)
     「あ!」(ちがーう、それじゃなくてあっち)
     「あ~!」(ごはんつぶが手についた、とって~!)
     大変だ~!と手を差し出してくるのが、かわいくて笑える。

3歳0カ月 笛が吹けない、つまり息をふーっと吹けない。
     練習も全部だめ。本人まったく興味なし。

 半月後  散歩の途中に、ハーモニカでトライ。成功。
     「ま」の発音も外でやってみて、「まま」まで成功。

 4日後 「まま」は言えても単に発音してるだけで、ことばじゃないよね・・・。
     さすがに気になることがいろいろ・・・もうすぐ幼稚園なのに。

3歳1カ月 市の「ことばの相談室」へ。
     「まま、ぱぱ、てゅてゅー」とささやいてる。発声練習?

  同  「パパ、ママ、テュテュ、ワアワア、ザー」とくりかえしてるので
     テュテュをおばあちゃま、ワアワアを夏坊の呼び名に決めた。
     そしたら「ザー」が自分のことになっちゃったみたい。いまいち
     かわいくないなあ・・・。

3歳2カ月 幼稚園に入園

3歳5カ月 発音できない(する自信がない?)文字は絶対に言わない。
     相談室の先生も不思議がっている。

3歳6カ月 夏休み。
     数字にはまり、カレンダーの数字をとりつかれたように見ているうちに
     ついに! 数字の発音ができるようになる。
     6がいちばん最後。ラ行がむずかしいみたい。

3歳7カ月 血液検査をするも、なかなか針がささらなくて大泣き。
     「ごめんねー」と謝る看護師さんに「ごめんねーごめんねー」と絶叫。
     ことばの反復ができるようになってきた。(ちなみに看護師さんは
     「きみが謝らなくてもいいのよ」と泣きそうでした・・・)
     
   同 またたくまにいろいろ言えるように。
     語尾がみんな「の」になって、「するの~」「いやの~」「だめの~」
     とってもかわいい。

   同 夏休み明け。
     先生に「おはよう」が言えた!

 

 以上です。くわしい説明をつけ加えてみますね。

 まず2歳過ぎの時点では、心配性な私にしては珍しく、ほとんどまったく気にしていませんでした。
 理由はみっつあって、ひとつは知能に問題があると思えなかったから。むずかしいパズルとかも大好きだったし、頭が悪いわけないわ、と勝手に思いまして(もちろん親バカ)。
 ふたつめは、私が妊娠後期だったから。ちょうど妊娠、出産、乳児のお世話・・・の時期だったんですね。
 忙しくて気にしているひまがないし、その頃の冬坊はやきもちの嵐のまっただなか。機嫌が悪くて「育てにくい子」そのものの状態でした。
 ほかの悩みが多すぎて、ことばのことまで悩む余裕がない実情・・・。

 みっつめ。ことばが出なくても、すべて「あ!」で伝わり、不自由を感じなかったから。
 人間ってしゃべらなくても家族には通じるものなんだ。そんなふうに感心してしまったくらい、自然な感じがしました。


 とはいえ・・・。
 そんな私でも、さすがに3歳過ぎると不安を覚え始めます。そのころ気づいたのは、息を吹くのが苦手ということ。
 笛とか、しゃぼん玉とか、ろうそくを吹き消すとか。ティッシュをふっと吹く、ストローでぶくぶくする・・・そういうのが全然できない。やろうともしない。
 これが原因かも、と思いおうちで練習しましたが、うまくいかず。
 でも半月後。お散歩の途中でハーモニカをためしたら、成功したんです。お天気がいい春の日、開放的なお外でやってみたのがよかったのかもしれません。

 その後、いちばん発音がかんたん、かつ「ママ」と最初に言ってほしい下心から(笑)、「ま」の練習を始めました。
 これもお外で、私の口の形を見せながらトライ。最初は「んまー」の形をやってみて、成功しました。


 それでも当時のノートを見ると、こんな文章が並んでいます。
「楽しい? おいしい? どっちが好き? こういうことばに全然反応しない。幼稚園に行く話題を出しても、意味がわかっている感じがしない。親子教室にも通ってて、話を聞いてるはずなのに」

 

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ここではない、どこかで(おまけのひとりごと 7)

2014年04月17日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 

 おなかの赤ちゃんが、私をおかあさんにえらんでくれた。
 そういうことばを、どこかで読んだことがあります。
 すてきだな、いいなあって心がほっこりしたけれど。

 でも、それだけじゃないよね。

 この子が私をえらんでくれた。
 だけど、私だってこの子をえらんだ。

 私がえらんだ。たくさんの生命の中から。
 ほら、子犬とか子猫とかと出会ったときにもあるでしょう。
 いっぱいいるのに、なぜかたった一匹と目があって、

 あ、

 と思う瞬間が。両想いの一瞬が。
 そういう時間が、あったかもしれない。
 ここではない、どこかの場所で。
 

 

 

 

   

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後光(おまけのひとりごと 6)

2014年04月16日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 

      腕の中でねている顔を ふと見ると

      ほのかに明るく 光っている

 

      後光って 本当にあるんだ

      教えてくれた 生まれてみつきの

      小さなあなた

 

 

     

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夜泣きはきっと自然現象(赤ちゃんから子どもへ 3)

2014年04月15日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 たいていのママさんたちは、我が子が夜泣きしていたら、一生懸命泣きやませようとしますよね。
 抱いたりあやしたり歌ったり、いろんなグッズをためしたり・・・そのどれもが無駄だとわかっても、やっぱり抱っこまたはおんぶはしてあげるんじゃないかと思います。
 新米ママの場合はとくに必死になって・・・。

 で、どうしてそんなに泣きやませたいのかちょっと分析してみると、こんな理由が思い浮かびました。


1・泣いているイコールつらい状態。子どもがつらい状態のときは
  助けてあげるのが親のつとめだから。
2.常識的に、子どもを泣きやませるのは親の役目だから。
3・隣近所(または寝ている家人)への迷惑になる。
  子どもが迷惑をかけないようにするのが親の義務だから。
4・昼間の生活に自信がない。もっと運動させていれば寝てくれたかも。
  私のやり方が悪かったかも。私がイライラしてるから?などと思うから。
5.純粋に、我が子の泣き声が耐えられないという母性本能。
6.純粋に、うるさくて眠れない。


 このうち、5と6は問題ないと思うんです。
 でもほかの項目で目につくのは「つとめ」「役目」「迷惑」「義務」「自信がない」・・・。こういう言葉が心のどこかにあると、ただでさえ長い夜が、ますます長くなってしまう気がします。
 ほかの騒音、たとえばペットがうるさいとか工事の音がうるさいとか・・・そういうものに比べて夜泣きのお世話がつらいのは、こうした言葉のせいもあるんじゃないでしょうか。


 でも。たしかに昼間のリズムを見直したりいろいろためす努力は必要ですが、それでもだめってことはよくあるし。
 そうなってしまったらもう、よけいなことは考えず、ひたすら過ぎ去るのを待つ。そんな気持ちでいいんじゃないかと思うんです。
 ちょうど、土砂降りやかみなりが過ぎていくのを待つみたいに。
 いつ雨がやむかなんて、神さまにしかわからないですよね。
 テキはついこの間まで神さまだった存在なんですから、このたとえは、そんなに外れてないんじゃないかと思うのですが。

 ということで、夜泣きは自然現象。もっと言えば、自然災害!
 少しは気分が楽になってきませんか?


 自然災害なんだから誰が悪いとかはもちろん考えることないし、誰かの義務だなんて思う必要ないし、当然、夫婦そろって乗り越えるんですよ。
 土砂降りの中、妻が必死で屋根の修理をしているときに熟睡している夫なんていないでしょ。それと同じ。
 夫だって率先して様子を気にしたり交代したりしないと、のちのち熟年離婚の原因に・・・。


 あ。うちのダンナさんは、ヒストリーでわかるように大変協力的でした。夜のドライブなんて私には不可能ですが、嫌がりもせずつきあってくれました。
 で、思うのですが・・・まあ、個人差はあると思いますが、夜泣きのお世話は案外、男性のほうが向いているのではないかって・・・。
 なぜなら、「つとめ」とか「義務」とかいう言葉。これは母親にはかなり強力な呪縛となりますが、父親にはそれほどでもない気がするんです。
 少なくとも「昼間オレが遊んであげなかったせいで・・・」とか悩む父親なんていないですよね(主夫以外は)。
 父性本能というものがありますので、父親だって泣き声聞くのはつらいはずですが、これも母親ほどではないような・・・あ、うちだけ?
 でも育児雑誌やマンガでも、そういう意見をいくつか目にしたことあるし・・・。


 とにかく。泣き声に強い男性でしたら、夜泣き究極の対処法である「傍観」を、連日することだって可能です。
 実はうちでも1度だけ、やってみたことがあるんですよ。
 子どもが起き上がって抱っこをせがむようだとダメなんですが、そのときは布団の中で泣いていたので・・・手を出さず、見守ること1時間。
 ・・・寝ました、勝手に!

 疲れたり泣くのに飽きたら、寝るんですね・・・あやしてあげたりすると、かえって元気になって子どももがんばっちゃうのかも。
 1時間待つのは、私にはかなりの忍耐が必要でした。が、ダンナさんは平気でした。おそらく彼一人で子守をしていたら、はじめからこうしていたことでしょう・・・。
 この子どもに対する温度差が、当時はけっこう気になって、「なんで泣いてるのに平気なの?」とやつあたりしたくなったものですが・・・(笑)。
 そういうわけで、もし男性諸氏が覚悟を決めて夜泣き担当になってくれたら、つとめでも義務でもなく、「オレってパパとしても夫としてもナイス!」みたいな自己肯定感を味わえることうけあいです。
 もちろん、金曜の夜だけでもOK。パパさんたち、いかがでしょうか?(って、男性はこれ読んでませんね・・・)


 話がそれてしまいました。

 ところで・・・。
 1人目ベビーの冬坊で経験した夜泣き。2人目の夏坊ではどうだったのかといいますと。
 ほとんど何もありませんでした。泣いたとしても、困るようなことにはならず。


 ただ夏坊ならではの、おかしな行動がありまして・・・。
 なぜか異様に早起きだったんですよ。明け方4時半とか5時とか。
 で、私のことも強制的に起こすと、2階の寝室から1階に連れておりるよう要求。うちは1階リビングのほうにもお昼寝用の布団をひきっぱなしにしていたんですが、そのお布団へ直行。
 そして当然のような顔をして、再びおねんね、もちろん私の添い寝つきで。毎朝毎朝・・・いったいあれはなんだったんでしょう。

 でも、早く起こされるのはたしかに眠かったんですが、夜泣きに比べれば、はるかにはるかに楽でした。
 それになんといっても相手が泣くわけではなく、むしろご機嫌なのでほんとに助かった。
 育児ノート、夏坊1歳9か月のところには、「早朝5時30分、階段にすわり、黒砂糖食べたりパン食べたりが日課」なんて書いてあります。
 そう、食べ物も要求したんですよね。


 早起きして下に降りたり、変な時間にパンを食べたり、そういうことをもし冬坊がしていたら。もっと寝たいのに、とかこんな時間に食べさせていいの?とか、ストレスに感じたかもしれない。
 ここでも冬坊の特訓の成果が出て、母の高かったハードルも、かなり下までさがりました。
 もし夏坊が夜泣きしたとしても、前よりはずっと楽に対処できたことでしょう・・・。

 なんてことには、ならないでしょう・・・。

 私のことだから、きっと同じようにアタフタしたにちがいありません。
 そういう性格なんですよね。


  ページ  おわり。ありがとうございました  次ページ

        ことばが遅い件は2歳になってからのお話なので
         次の章で・・・。
 

 

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真夜中のドライブ(赤ちゃんから子どもへ 2)

2014年04月14日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 まずは育児ノートから、我が家の夜泣き部分の抜粋を。
 我が家の夜泣きは、約2カ月半。おわってみれば短期間でしたが、渦中にいるときは長かった。
 冬坊、1歳5か月からの、夏の記録です。

 

6月30日 昼間も外に出たがってばかりいるけど、夜中までも、連れてけ~!と大泣き。
     どーなってんの?
     パパが夜の12時ごろに電車を見せに連れていく(←これ3日ぐらい続いた)

7月16日 またもやこれ ↑ が。なんと夜中に4回もお外へ行ったあげく、
     お気に入り録画を30分見て、2時半にようやくねんね。
     ここ1週間くらいの間に、目に見えて自己主張が激しくなって、何かあるとすぐに
     物を投げたりビービーいったり、反抗期? 
     まだ2歳にもなっていないのに、先が思いやられる・・・。

8月23日 夜中1時と2時に大泣き。録画ビデオ見せる。
     朝5時に大泣き。お外へお散歩。
     お昼寝も抱っこから下におろそうとすると泣いちゃって、赤ちゃん返り??

9月7日  夜9時半、寝てないのに夜泣きモード突入。10時半からドライブ2回り。
     夜中2時にねんね。

9月8日  夜中2時前から、ドライブはさんで5時半まで夜泣き。
     5時半~6時半、ママとお散歩。
     朝食。うんち。9時~1時までねんね。

9月9日 夜中2時~5時、夜泣き。5時~6時、パパと散歩。朝食。
     7時~9時、ねんね。

9月12日 夜中2時ごろ、おっき。3時半、バナナ。6時半、バナナ。うんち。
     11時までねんね。

9月14日 鼻風邪ひいたみたいで、お医者さんへ

10月5日 ↑この夜以降、すんごい夜泣きはなんとかストップ!
      このままいってね。冬の寒い夜にお散歩なんてカンベンだよー。

10月末  半ば頃に2回くらい泣いたけど、夜泣きヒストリーはおさまったみたい。

 

 以上です。
 途中いくつかはぶいてますが、始まりとおわりの日付はこのとおり。
 どうして急におさまったのかは、いまだに謎。風邪がきっかけ? 秋に入って眠りやすくなってきたから? 単におわる時期がきたということ?
 わかるのは、これが真冬の出来事じゃなくて本当に助かったということだけです・・・。


 電車とありますが、冬坊は電車大好きで、昼間も連れてけ連れてけと大騒ぎでした。うちは線路の近くなので、気軽に連れていけたんですよね。
 このころは、昼間の生活リズムもけっこう乱れていて・・・お昼寝しなくて、夕方頃に爆睡、7時過ぎに起きて大泣き、とか。
 この時期に限らないんですが、冬坊は昼寝とか夕方寝(?)のあとの寝起きが、すごーく悪くて。
 毎回、夜泣き並みに号泣。あやすのに、ほんとに時間がかかるという傾向が、5歳くらいまで続きました。朝はなぜか平気だったんですけどね。

 ドライブとあるのは、夜泣きに効果的という体験談をあちこちで見かけたので。
 たしかに効果ありました。乗っている間はね(おろすと目覚めて、元のもくあみという・・・)。
 そして、テレビ。
 見せてしまいました・・・だめですよねえ、これは・・・。
 しかし、泣きやんでもらうにはもっとも有効、かつ長時間静かにしていてくれるというすぐれものだったため・・・。


 長い目で見れば、かえって夜泣きを長引かせる結果になって逆効果だったと思うんですが、当時はもう、いますぐ泣きやんでもらいたい、のひとことで。
 よく言いますよね。
 「夜泣きは必ずおわる」。
 これってたしかに、夜泣きに悩むママさんたちには、まさに希望の光のことば。
 みんなわらにもすがる思いで(?)この文句を唱えながら長い夜を過ごすのですが・・・。

 唱えながらも、ふと心をよぎるこういう台詞。
 必ずっていつよ。1年後? 2年後? 私は今日おわってほしいんだけど、今日!


 必ずおわることくらい、わかってるんですよね。でも寝不足で心がすさんでくると、思わず突っ込みたくなっちゃうわけです。
 このあたり、長いつわりに似てますね。おわるのはわかってる、わかっちゃいるけどいつなのよ、なんて。
 しかも、特効薬がない。巷でいろいろ言われていることをためしてみても、うちには効果なかったわ・・・って感じも、よく似ています。


 それにしても。いま考えてみると、そこまで必死になって泣きやませようとすることもなかったんじゃないかなあ、と思うのですが・・・。
 当時はなんというか、大事な大事な赤ちゃん(あ、1歳過ぎてるから、もう赤ちゃんじゃないか)を泣かせっぱなしにするなんて、とんでもないわ!と思い込んでいたふしがあり・・・。
 どうしてそんなふうに思っていたのか。
 当時の気持ちを思い出して、泣きやませたい気持ちを分析してみました。


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苦労したこと、しないこと(赤ちゃんから子どもへ 1)

2014年04月11日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

  「赤ちゃん」という呼び方は、どれくらいまで使うんでしょうか。
 育児ノートを見てみると、1歳1カ月のところに「さすがにもうベビーとは呼べない」と書いてありました。私の感覚では、赤ちゃんは1歳のお誕生日まで、だったみたいです。


 日進月歩で成長していく赤ちゃん。
 首がすわって、寝返りして、はいはい、おすわり、たっち、あんよ・・・。
 食事面では、母乳やミルクの量がどんどんふえて、離乳食が登場、そして卒乳。
 そのほか、人見知り、夜泣き、オムツはずれ、しゃべりはじめ・・・などなど、エポックメーキングな出来事が目白押しで。
 新米ママは大忙し。そのたびに右往左往してしまいます。


 うちの場合、身体の発達関係はふたりともだいたい平均通り。日々アタフタしてはいても、心配するようなことはありませんでした。
 母乳については、冬坊のときは出が悪くて、生まれて以来ずっと混合。でもほんとに食前酒ていどの量だったかな(笑)。
 マッサージとかはとくに受けず。出ないのが悩みではありましたが、私自身が粉ミルク世代の生まれなので、ミルクもそれほど抵抗なくて。


 でも、2人目夏坊のときは、前に比べるとかなりいっぱい出たんですよ。やっぱり最初のとき出なかったのは、ストレスのせいだったんでしょうか。さわったら勝手にピューッ、という噂にきいていたあの状態を、一度だけ経験したときはすごくうれしかった。
 うれしかったのに・・・4カ月目にして、母乳、ストップ。
 なぜなら、昼間ぜんぜんあげられなかったら。なぜあげられなかったのか。当時2歳後半だった冬坊が、やきもちやいて、授乳のたびに猛攻撃をしかけてきたから。

 上の子のケアについては出産前から気をつけていて、できる限りやってるつもりだったんですが、力及ばなかったようで。
 でもきっと、やってるつもりがまちがっていたり、的外れだったりしたことも、多々あったんでしょうね・・・。

 まあとにかく、抱っこを求めてぶつかってくるわ、ひっかいてくるわ、とてもじゃないけどおっぱいをあげる雰囲気じゃありませんでした。一度なんか、生後1か月のやわらか頭に、ひっかかれたみみずばれが・・・。
 こっちは両手ふさがってるので、しかたなく足で攻撃阻止したり。
 結局、母乳より短時間で飲みおわるミルクに、はやばやと切り替え。
 いま思い出しても、この件はすごく残念です。


 ところで、おっぱいをあげてる時の感覚をふと思い出したんですが、あれってどこか切なくありませんか?
 毎回ではなくときどきなんですが、私の場合、幸せと同時にとても切ない感じがありました。精神的なものというより、もっと肉体的な・・・キューっとするみたいな。子宮収縮? でもそういう時期は過ぎている気がするし・・・こんなの私だけなのかな。


 そのほかのことで印象に残っているのは、冬坊の「寝返り特訓」ですね。
 生後6カ月前後のころに、赤ちゃんみずから自主トレーニングに精を出していました。
 うつ伏せになったあと戻るのが大変だったみたいで、朝から晩まで自主トレの毎日。真っ赤になってうなりながら、がんばっていて。
 そんなにがんばることないのに、と思うくらい。あれだけがんばれば、大人だってどんなことでもできるんじゃないかと思っちゃいました。

 あと印象的だったのは、夏坊のおしゃぶり姿かな。苦労したというわけではなく、単に見た目がかわいいという印象(笑)。
 冬坊は、おしゃぶり使わなかったのに、夏坊は愛用していました。
 ただ、いつはずしたのかは記憶にないんですよね。育児ノートに記述がないかさがしてみましたが、見つけられず。
 苦労しなかった証拠ですが、2人目は扱いがてきとーだったと言えなくもない・・・。
 実は私、夏坊のへその緒、持ってないんですよ。お風呂上がりにいつのまにか落ちちゃったらしくて・・・冬坊のはしっかり取ってあるのに。
 ほーら、2人目って、育児ノートすらもなんて楽(笑)。


 あとは、おむつはずれ。
 これはかなーり遅くて、正直言うと、冬坊小学1年生の今も、おむつが夜のお友だちです。
 昼間のほうは幼稚園に入園前に半分くらいクリアのレベル。年少さんの一学期はしょっちゅうお着替えさせられてました。
 でもまあ、そういう子はほかにもいたし、冬坊は早生まれなので仕方ないかな、と。幼稚園の先生って大変な職業だなあ、なんてそちらのほうに感心してしまいましたね。

 年少さんの夏休みに、かなりできるようになったと思います。
 ただ、年長さんの7月に、はじめてのお泊まり保育があって、そのときはちょっと心配したかな・・・。さすがに、そういう心配をしている人があまりいなくて(ゼロではありませんでしたが)。幸い失敗しなかったので、成長したんだとほっとしました。
 
 夏坊のほうも、似たような経過。
 でも夏坊については、トイレトレーニングの記憶すらなく・・・苦労しなかった証拠、再び、ですね。


 で。
 それでは、何に苦労したのかといいますと。

 それはもちろん「夜泣き」と「発語」です。
 とくに夜泣きは、心がすさみましたとも・・・。くわしいお話は、次回で。

 

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神聖すぎてこわくなる(赤ちゃんのお世話 2)

2014年04月10日 | 子育て甘辛ホンポ(上の子妊娠~6歳)

 赤ちゃんのお世話がちゃんとできるかしらと、不安な気持ちで退院。
 晴れがましい気分や誇らしい気持ちも、もちろんあったんですが、半分くらいで。
 世間一般のイメージ・・・「退院イコールおめでたい出来事の象徴」みたいなことには、残念ながらなりませんでした。
 

 で、自宅に帰るなり、まあ実の親のことですので書いちゃいますが、ベビーベッドを置く場所について同居の母と言い争い(苦笑)。
 そう、何度かお話ししたとおり、実母と同居してるんです。つまり、これ以上ない育児の協力者がいるってこと。
 それなのに何が不安かとお思いでしょうが、何しろ母が私を産んだのなんて半世紀も前のことで(そこまでじゃないか?)、もはやすべてが忘却の彼方に・・・。
  したがって、母も私と同じように不安だったと思われます。
 そんなふうにして、ヨロヨロ育児のはじまりはじまり。
 最初の1カ月はとくに、赤ちゃんを生かしておくこと以外、何も考えられないくらいでした。


 生かしておくというのは変な言い方ですが、別の言い方をするなら「死なないようにする」。赤ちゃんって、放っておいたら絶対に死んでしまう存在なんですよね。
 私がミルクをあげなければ、死んでしまう。目を離してベッドから落ちたりしたら、死んでしまう。私の責任。
 
 これが・・・プレッシャーでした。
 こわかった。すべてが自分の手にゆだねられているということが。
 放っておいたら生きていけない存在と、今まで暮らしたことがない。この点、前回もふれたようにお座敷ペット、たとえば生まれたての子猫なんかを世話したかたなどは、かなり意識がちがうんじゃないかと推測するのですが・・・。
 ただ、たとえペットが死んじゃったとしても、飼い主の罪にはなりませんよね。
 ところが、もし母親が育児放棄したり、適当に抱いて落っことしたりして死亡事故にでもなったら・・・。

 過失致死罪? 私、前科者になるの?


 すみません、法律上どうなのかはよく知らないのですが・・・ベビーベッドをみつめながらそんなことを考えていた、新米ママ時代の私。
 当時は、ベッドのあるリビングに自分の布団をおろして、一晩中そこで赤ちゃんを見ていたんです。
 夜中に何度も授乳したりあやしたりしなきゃならないから、ダンナさんが寝ている寝室より、リビングのほうがやりやすくて。
 ただ、そうなると、夜中に起きているのは自分ひとり。
 赤ちゃんは、1人のうちにはいりません。まだ神さまの段階なので。
 人間は自分ひとりきり、みたいな孤独な気分・・・。

 といっても、そこでダンナさんが来てくれれば助かったかといえば、そういうことでもないんですよね。なにしろ男の人はおっぱい持ってませんので(笑)。
 いま考えてみると、あのとき感じた孤独感は、いわゆるマタニティーブルー。ホルモンの乱れも大きかったのではないかと・・・。
 あと、栄養不良とか睡眠不足。
 どのママさんもそうだと思いますが、出産後の自分の食生活なんて、まさに二の次、三の次。睡眠なんて、四の次。ママ本人が楽かどうかなんて、五と六なくて、七の次。


 ・・・なんて。

 思いっきりネガティブなことばかり並べてしまい、恐縮です。これを読んで引いてしまった妊婦さんがいらっしゃいましたら、本当に申し訳ありません。
 でも!
 ご安心ください。つわりのページと同じことを書きますよ。
 こんな思いをしたにもかかわらず、約2年後に2人目を授かりました。
 こりてなかった自分に、拍手!
 っていうか、母性本能恐るべし!
 生まれた赤ちゃんの存在が、つらい体験を払しょくしてしまうくらいすばらしかったという証明でもありますね。


 本当に・・・。
 赤ちゃんのあの神々しさは、もう格別としか言いようがなくて。
 こんな存在がほんとに私のおなかの中にいたんだろうかって、まじまじとみつめてしまったくらいです。
 出産後しばらくして親戚が会いに来てくれたんですが、もう高齢のおじさんが、感に堪えないように言いました。
 「お地蔵さんにそっくりだなあ・・・」
 言われて私も気付きましたが、本当によく似ていますよね。とくに、水子地蔵さまに。
 お寺なんかで何げなく眺めてきた、たくさんの水子地蔵たち。あれがどんな思いで作られていたのかを、はじめて理解した瞬間でした。

 だからこそ。
 相手が神々しすぎるからこそ、あの時期のお世話が、あんなにつらく感じたんじゃないかと思うんです。
 泣かせちゃいけない、死なせちゃいけない、こんなに神々しいのに、こんなにかわいいのに・・・って。
 このテーマを書くのに、こわいとか恐怖とかおののいたとかいう言葉をたくさん使ってしまいましたが、それは単なるこわさというより「畏れ」に近い。
 妊娠出産という、これ以上ないほど神秘的な体験を経て誕生した命に対する「畏怖」だったのかもしれません。


 その証拠に。
 これもつわりと同じ展開。2人目のときは、比べものにならないくらいお世話が楽でした!
 なぜなら、その頃の私は嫌っていうほど知っていたから。相手は神さまではなく、正真正銘の人間さまだということを。

 教えてくれたのは、もちろん冬坊。夏坊が生まれたとき2歳半、いわゆる魔の2歳児です。
 泣きわめく魔の2歳児に比べれば、新生児の泣き声なんて小さい小さい、抱っこしたって軽い軽い。
 別の意味で神さまに見えました。


 でもこうして書いてみると・・・1人目の冬坊のおかげで、自分がどんなに助かったかがわかりますよね。
 つわりから始まって、すべて冬坊の母親養成スパルタ教育により、夏坊を楽に育てることができました。
 どうもありがとう、冬坊。
 でも次に特訓するときは、もすこしお手柔らかにお願いしますね(笑)。

 

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