ここはフロリダ州Miami Beach(マイアミ・ビーチ)市、通称Miami(マイアミ)。
マイアミ・ビーチ最南端の最も古いSouth Beach(サウス・ビーチ)に「VEGA-Bar(ヴェガ・バー)」というBarがある。
VEGAN料理だけを出す珍しいBARだ。みんな略して「VEGA(ヴェガ)」と呼んでいる。
Master(マスター)はどこか訳あり風な表情の濃いエドワード・スノーデン似の34歳のHot guy。
店の中からはオーシャンがビーチ際に並んだアールデコ様式の建築物の怪しげなフラッシュピンクやエメラルドグリーンなネオンサインに照らされ颯爽と立つヤシの木たちがいつでも潮風に揺られて葉を靡かせているのが見える。
サウスビーチに面するOcean Drive(オーシャンドライブ)通りは1983年の映画「Scarface(スカーフェイス)」の中でアル・パチーノ演じるトニー・モンタナが残虐なマフィアを殺したあの道路だ。
実はマイアミの治安の悪さは映画やゲームの中だけの話ではない。
Murder(殺人)、Robbery(強盗)、Assault(傷害)も多くギャングの抗争や銃犯罪、ドラッグで蔓延したスラム街もある。
合計犯罪件数が全米平均の2倍に達するというこのマイアミに邦人がリゾート気分で旅行に行き、犯罪に合いトラウマを持ち帰ってくる確立も低くは無い。
スラム地域や街の中だけでなくビーチ内でも犯罪は多く勃発している。
熱帯の美しい青い海と白い砂浜とヤシの木が人々を解放的にさせるリゾート地と野蛮で残虐な犯罪、危険なバイオレンスが同居した都市、それがMiami(マイアミ)だ。
旅行者たちだけでなく住人たちもギャングによる拷問覚悟でみな毎晩、この海辺にあるBarで寛ぎ酒を飲んでいる。
アルコールやドラッグ中毒患者センターからの帰りに、自分の身の健康を案じてこのVEGAN-BARに訪れる客も多い。
問題の多い客にも寛容なマスターがいけないのか、ここは他のどこのBarよりも野蛮な客が多いのは確かだ。
しかしここのところ、誰にでも優しい微笑を浮かべていたマスターが、カウンターに肘を着いては終始、窓の外のオーシャン (Ocean) を眺め続けながら溜め息をついている。
「よおマスター。どうしたんだよ最近。自棄に浮かねえ顔ばっかりして心ここにあらずじゃねえか。なんかあったのか。オレでよかったら話聴かせてくれよ。いつもオレのくだらねえ相談に嫌な顔一つしねえで乗ってくれてっからよ、オレだってお返ししてえじゃねえか、なあ何があったんだ」
ドラッグ中毒センターに通い、仕事にありつけないで三ヶ月間この店のツケを溜め込んでいる名前はトニーという長髪の右腕には「Thou shalt love thy neighbour as thyself(隣人を自分のように愛しなさい)」とイエスの言葉を彫った男が、その前歯の抜けた顔でマスターに笑いかけて酒臭い口でそう言った。
マスターは大きくまた息を吐いてトニーに向って答えた。
「それがどうやらここのところ、恋煩いのようで、お酒しかお腹に入らないのです」
「へえ、マスターほどのイイ男が恋にずっと苦しんでたのか、そりゃよっぽどな女なんだな。全然オレは恋煩いなんてもんは経験したことがねえが、ドラッグしか受け付けなくなった日々は嫌と言うほど経験してきたから、だいたいどういう苦しさかは想像できねえこともねえな」
「でも昨夜、MISO(味噌)スープはちょびっとだけ飲めました。でも固形物がまったくダメなんですよ」
「わかるよ。オレも固形のドラッグがダメで粉ならいけたときがあったからなあ。でもいい加減、そのうち無理してでも喰わねえと、みるみるうちに痩せ細っていくぜ。ほら、あのアル中のあの女みてえによ。今夜もアル中センターからの帰りにここに寄るんじゃねえか、あいつ、人のこと言えねえけど、あいつにアルコールを出すマスターも罪だよな」
マスターは飲んだ自作カクテルを想いきり咽て苦しそうに咳をした。
「まさか、マスター。あんたの惚れた女って、あいつじゃねえよな」
マスターは無言で目を逸らし、口を手の甲で拭ってグラスを洗い出した。
「えっ、マジかよ。おいおいマスター…あいつは…あいつはやめとけ。いやほんとに、悪いこと言わねえ。あいつはよせ。アイツ・・・マジで気違い女だぜ…オレから見てもな。こないだなんてオレになんつったと想う?『いま書いている小説で、輪姦(まわ)される女の主人公の話を書いてるんだが、なかなかうまく想像できないから、良かったら今度何人か集めてくれないか。やっぱり自分で経験するのが一番だよね』っつってよ、酒飲んで笑って話してたぜ。信じられるか?そんな女、観たことねえよ。アブねえよあいつは、あいつは完全に気がイっちまってるね。あいつだけはよしとけ、マスター。あんな女と関わったらよ、マスターが今度は廃人みたいになって、この店も続けられなくなるぜ、そしたらオレたちゃどこの店で飲めばいいんだよ。オレみてえな客を快く受け容れてくれるのはマスターしかいねえんだよ、このマイアミビーチにはな」
マスターはビーチをぼんやり眺め、トニーの歯抜け顔を一瞥して首を横に振ってまた溜息をついた。
無言で一口、マスターとトニーは酒を飲んだ。
少し経つと店の出入り口がカランと鳴った。
「あ、おいおい、噂をすれば…」
ピンクのフラミンゴ型のリュックを右肩に掛けてトロピカルな模様の水色とピンクの丈の短いワンピースを着た女が、俯き加減で深刻な顔つきで店の中に入ってきてカウンターではなく奥のテーブル席に座った。
「なんちゅうリュック背負(しょ)ってんだ、あいつ、いい歳して」
トニーはあからさまに軽蔑する眼差しを女に向けて言った。
マスターが女のもとに行くより先に、トニーは女の側に歩いていき、女を見下ろして言った。
「よお、輪姦小説は順調に進んでるか?」
女はトニーを見上げてわなわなと震えだして答えた。
「なんで、なんでそのことを知ってるんだよ」
トニーは声をあげて笑った。
「HAHAHA!なんでって、おめえがこないだオレに酔っ払って豪語していたからだろうがよ。忘れたのか。おい、今度オレのダチを3,4人か集めてやっからよ、経験してみるか、したいんだろ?くだらねえ輪姦小説の為になあ、Hehehe!」
「そ、そんなこと、き、きみに言った憶えはないし、きみあんまり失礼じゃないか?!ぼくは、か、か弱き女なのに…」
女はマスターのほうをちらちらと窺いながら声を震わして言った。
「おい、おまえみたいな変態女がなあ、オレたちの大事なマスターに手出しすんじゃねえぞ」
「手出し?ぼくまだ手を出してないけど?!胸も股間もまだ出してないぜ、変な言いがかりをするなあ!アホヤロウ!」
女はそう叫び立ち上がってトニーと取っ組み合いだした。
マスターが走ってきて二人を引き離し、「争いはやめてください」と冷静に言った。
女は息を荒げ、「おい、トニー。外へ出ろや」と言って顎を向けて出入り口のドアを示した。
トニーは肩を上げて「御手上げだ」のジェスチャーを大袈裟にして、「マスター、こんなヤクザまがいな下品な女の何処がいいんだ?」と言った。
マスターは自分が告白する前にトニーに自分の想いをばらされたことがショックで俯いて黙っていた。
女はこのマスターの態度に、嫌われてしまったと勘違いし、トニーに向って目を血走らせて言った。
「トニー、外へ出ろ。いいブツ(コカイン)が入ったんだ。半額にしてやるよ」
コカインに目が無いトニーはこれに目を剥いて応えた。
「マジかよ…安くしてくれるのか」
「その代わり男共も紹介しろよ」
「わかった、次の週までには集めてやるよ」
「よし、じゃあ外に出ようぜ」
「おう」
女とトニーは真夜中のビーチに出て、潮風香る波の音だけが辺りに響き渡る砂浜で二人向き合った。
そして女はブツを出す素振りでリュックの中を手で探り当て、ジャックナイフを手に取ると小さな刃を右手で引き、トニーに向って「来いや」と言って目を光らせた。
トニーは半笑いで後退りし、「hehehe、いってえなんのつもりだよ、ブツはどこなんだ?」と言って額の汗を袖を捲り上げたレモンイエローのアロハシャツの肩で拭った。
「ねえよ、そんなものは」女はニヤニヤと笑いながら言った。
「おい、へ、変な気は起こすなよ。オレを刺していってえテメエになんの得があるんだよ。豚小屋にぶちこまれるだけだぜ、hehe…」
「終ったんだよ、すべて」
「いってえ何が終ったんだよ」
「きみの御陰でぼくの恋が終ったっつってんだこのファックヤロウ」
「悪かった、謝るよ。だから刺すな。な?大丈夫だよ、マスターはあんな小さいことで気を変えるような男じゃねえよ。マスター呼んできてやっからよ、話つけろ」
「トニー、きみはぼくが女だから馬鹿にしてんだよ。そこを自覚しろや」
額から滴る汗を舌舐めずりしてトニーは嗄れた声で言った。
「そうかも、しれねえな…反省するよ。オレはたしかに、女を見下してきた。でもそれは、オレが、haha、馬鹿でモテねえからだよ、きっとな。おまえは悪くねえよ」
「口だけなら、なんとでも言えるよな。ぼくはこれまで散々男に馬鹿にされてきたよ。我慢ならないんだ。男に女として見下されることがね」
「いってえ、どうしたら赦してくれんだ?hehe、オレにできることならしてやるよ」
「一発、刺させろ」
「それはまずいだろ、オレだって刺されたら黙っちゃいねえぜ、サツにしょっぴかれてアルコールを一口も飲めない日々を送りてえのか?」
「言ってるだろ。きみの存在が、我慢ならないんだよ。でも刺させてくれたなら、せいせいするかもしれないから刺させろって言ってんだよ」
「Hehehe、そんなこと言って、また小説の題材にしてえんだろ?なあそうだろ。わかってるぜ。おまえは危険なことが好きでなんでも小説の為に挑戦したいって、前もべろべろんなってオレに言ってたじゃねえか。人を刺すことの経験をしたいからオレを刺すなんて、そんな馬鹿げたことはよせ。な、マスターに、いくらなんでもマジで嫌われちまうぜ」
「いいんだよ、もう嫌われたから」
「マスターはまだおまえを愛してるよ。オレにはわかんだ」
「そうかな?」
「そうに決まってんだろ。あいつは愛の深さが人と違う」
「やっぱそうかな。そうかもしれないな。ちょっと安心したよ。じゃあさ」
「なんだ」
「きみにブツをやるよ。しょうがねえな」
「いいのか?Hehehe」
「いいぜ、来いや」
女は何故か波打ち際まで歩いていき、トニーは女にブツを渡してもらおうとニヤついた顔で近づいた。
その時、女はブツを渡すと見せかけてもう一度リュックの中でナイフを握り緊め、その刃をトニーの左脇腹にぷっすりと突き刺した。
トニーは後ろにぶっ倒れ、「な、ナンヤコラァ」とか細い声で言って血の噴き出る腹を押さえた。
「Hahaha!ざまあみれ、ファックユー!(糞ったれ!)」
そこへマスターが走って来てトニーの脇腹をハンカチで押さえて言った。
「このことはどうか黙っていてください。黙っていてくれるなら、あなたの三か月分のツケも免除しますし、これからあなたの店の代金をすべてタダにしますから」
「なんだって?それは、ほ、イ、イッテエ、ほ、ほんとうか、マスター」
トニーは痛みに顔を歪めながらも目をキラキラさせてマスターに向って言った。
「本当です。その代わりこのことは誰にも黙っていてください」
トニーは痛みと嬉しさで涙を流し、「や、やったあ…」と言って傷みに気絶した。
女はマスターとトニーを見下ろし、冷ややかな声で血塗れたナイフを握り緊めたまま言った。
「マスター。このアホなトニーに、そこまでする必要ないだろ。ぼくは警察に連れてかれる覚悟で遣ったことだよ。警察呼んでくれよマスター」
マスターは振り向かずに言った。
「あなたは黙っていてください。これはわたしとトニーとの問題です」
「マスター、トニーのことはほっといて、ぼくにカクテルを作ってくれよ。”Hot Miami Blood(ホット・マイアミ・ブラッド)”をさ」
「わたしが初めて作った、血のように赤い海のようなカクテルですね?」
「そうだよ。このマイアミの海は、時に真っ赤なネオンサインに照らされて、あんな色にもなる。きっとここで数々の、殺された者たちの血の色が、海を赤く染めるんだ。嗚呼、もっと生きたかったぜ。ってさ、ぼくに訴えて来るんだよ。そんなカクテルを、マスターは作ってくれたんだ」
マスターは背を向けたまま静かに言った。
「しかしあなたに、飲ませるカクテルはありません」
「どうゆうこと?」
マスターは女に振り向いて、女の心の底を見詰める目で言った。
「わたしの、”血”以外に」
「精液?」
「違います」
マスターは即答した。
「どうゆうこと?」
女はもう一度投げ掛け、ビーチサンダルの足にかかる波の心地好さが、このバイオレンスな予感めいた不安と共に在るこのマイアミの夜に、街の喧騒も掻き消すほどの波音の激しさを感じずにはいられなかった。
しろにじのホットな🌴ホットラインマイアミ🌴BGM ②