あまねのにっきずぶろぐ

1981年生
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

他者(自分自身)を救う為に誰もが今すぐ出来る第一歩。アーティストSue Coeの描く現実

2018-03-25 22:24:43 | 人類の苦痛の根源

今日、イギリス出身のSue Coe(スー・コー)というアーティスト/活動家を知りました。

 

 

The Spent Hen  (2012)

 

 

Sheep Shearing

 

 

 

彼女は版画や絵画や芸術家の書籍や漫画によるイラストレーションなどで様々なこの世界の深刻な問題を描いています。

経済的抑圧、性的搾取、政治的腐敗、アパルトヘイト(種差別)、エイズ、刑務所(投獄)、戦争、工場農業、飢餓など彼女の取り上げる問題はすべて社会的不公平についての問題で、中でも一番力を入れているのが”動物に対する人類の残虐行為”という深刻な問題です。

 

 

 

   

Sue Coe (born 21 February 1951) 

 

 

Sue Coeは1951年にイングランドのスタッフォードシャー州タムワースで生まれました。

彼女は幼少期を豚の養殖場と"と殺(屠畜)"場の側で過ごし、毎日のように家畜たちの悲鳴を聞いて、また家畜への残虐行為を何度と目撃しました。(毎朝、豚の叫び声で目を覚ましたそうです)

幼い頃から学校の実験室やと殺(屠畜)場から動物を助けたりしてきた彼女は後年の1986年から1992年にかけて、米国、カナダ、イギリスの屠畜場の内部に足を踏み入れ、と殺(屠畜)場内の様子をスケッチブックにドローイング(図案の線描)し、カメラでビデオを録画しました。

「ドローイングは分かち合われた時間の親密さを明らかにする(Drawing reveals intimacy of shared time)」

と言った彼女はどのような想いで殺される未来が待ち受けている動物たちと、残虐な方法で殺されゆく動物たちの姿を描いていたのでしょう。

きっと自分や自分の大切な家族が殺されてゆく感覚だったと想います。

彼女は他にもストックヤード(肥育場、牛を食肉用として出荷する為に飼料を必要以上に与えて太らせる為の施設)、ミートパッキング工場(食肉を解体、処理、包装する工場)、牛の放牧場、酪農場(搾乳場)、鶏卵工場にも足を踏み入れます。

彼女は、米国のシンシナティにある食肉処理センターのための「Porkopolis」と呼ばれる一連の作品を生み出しました。

 

 

Standing Pig (1993)

 

 

(1989)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

The Selection1991. 





Queenie Poster by Sue Coe   VIEW LARGER Queenie Escapes the Slaughterhouse (2011)


 

Triumph of Fundamentalism (2005)

 

 

Second Millenium, 1998

 

 

You Consume Their Terror, 2011

 

 

 

 

彼女は、「幸せな動物(happy animals)」の絵をたくさん隠し持っているそうです。

残虐な絵ばかりを描いているのは、彼女が残虐な絵が好きだからではないことがすごく彼女の絵を観ていると伝わってくるのです。

わたしも残酷なことを表現する小説や詩を多く書くようになってきました。

それはこの現実世界が本当に残酷でならないことが毎日普通に行なわれ続けている世界だからです。

彼女もわたしも、現実に起きていることを表現することによって、平和を願う心を自分も作品を鑑賞する人にも強く抱かせ続け、この世界を平和に向わせたい気持ちがすごく強いのだと想います。

この世で行なわれ続けている残酷なことが本当に苦しくてならないからこそ、残酷な表現をし続けていかねばならないのです。

「動物達は今自分を殺そうとしたり虐待しようとする人間の目をじっと見つめる事があります。

その目にはなぜ自分がこんな目に遭わされているのかという困惑と恐怖に満ちています。

そして何も悪い事をしていないのに、もっといい子になるから許してください、という懇願の思いがひしひしと感じられる。 

私は挫けそうになった時、動物達のその目を思い出し、悲しんだり希望を失っている時間はないのだと自分を奮い立たせます。」

Sue Coeのこの言葉を、わたしは忘れたくないと想いました。

苦しんでいる人こそ、わたしは動物たちの苦しみを知って欲しいと想っています。

動物たちを救いたいと願う気持ちは、自分自身(人間)を救うことに他ならないと感じているからです。

自分だけの苦しみに囚われることのほうが人間は苦しいと想うからです。

他者の苦痛を知り、心から救いたいと想えることにこそ、”光”が見える筈です。

だからどうか、目を背けないでください。

 

 

 

 

 

 

 

参考サイト

🌟ビーガンアーティスト Sue Coe

🌟スー・コー(Sue Coe) について

🌟From NMWA's Vault: Sue Coe

🌟Sue Coe

 

 

 

 

 

 


恐ろしい虐殺によって呪われる

2018-03-25 05:20:07 | スピリチュアル

地上の御花見シーズンにも愛が見られます。

 
それは親切、寛容、施しとなって表現されています。
 
旧交を温め、縁を確認し、離ればなれになった人が一堂に会するということにも、愛が見られます。
 
また、これまでの恨みは忘れようという決意もさせます。
 
しかし残念でならないのは、それに先立って大量の動物が殺害されることです。
 
物言わぬ神の子が、無益な犠牲にされていることです。
 
人間の堕落した享楽ごとが、そうした恐ろしい虐殺によって呪われるとは、何と悲しいことでしょう。
 
なぜ新たなる生命の息吹く春を呪うために、罪のない動物の血が流れねばならないのでしょう。
 
これはまさに地上のはりつけです。
 
罪なき動物に流血の犠牲を強いて春を呪うとは……。
 
いつの日か、愛と哀れみと慈悲と責任が人間を動かし、助けを求める動物たちへの態度を改めるでしょう。
 
そうした資質が発揮されれば、罪のない動物への容赦ない流血と残酷と無益な実験がなくなるでしょう。
 
地上に真実の平和が訪れ、狼と小羊が並んで寝そべるようになるでしょう。












マテリアル

シルバーバーチの霊訓より















わたしが家族を想えば

2018-03-25 02:53:02 | 想いで
最近また、お父さんの夢をよく見るようになった。
先日は夢の中でも死んでしまった父にスーパーマーケットで再会する夢を見たし、さっきは実家で、わたしが寝る部屋で寝ていると夜中遅くに起きてテレビを見ていた父が、トイレに行くためダイニングキッチンルームを歩いて行く後ろ姿をわたしは寝ながら見ていた。
その後ろ姿が、背を丸めてちょっとおどおどした感じに、歩いてて、深く悲しみを感じた。
目が覚めて、夢の中で父が着ていた黒っぽい赤の複雑な模様のシャツを、そういや気に入ってよく家の中で着ていたなあと想いだした。
高級そうな生地だったがよく着ていたからよれよれな感じになっていた。
たぶん、誰かのプレゼントで、外に着ていくには派手だから家の中で着ていたんやろな。
それでその歩いて行く後ろ姿が、何処と無くアル・パチーノっぽかったなと想った。
先日、アル・パチーノとジョニー・デップの映画「フェイク」を観たのだけれども、アル・パチーノ演じるレフティが、ジョニー・デップ演じるドニーの脇腹らへんをカチンときた際にこつくシーンが序盤にあって、そのこつき方が、わたしが父をカチンとさせて父を怒らせた時のこつき方とそっくりだと感じた。
あの時は、わたしは食事中に左にいる父が嘘を演じているのだと父に怒られていた姉をかばうためについ口走ってしまい、父を怒らせたのだが、あの父の怒りも、あの映画でレフティがドニーに怒った自分のプライドを傷つけられたという理由と同じだったはずだ。
なんかその感じが、すごくあの時の父とそっくりだと想った。
最近、アル・パチーノが好きになった。
アル・パチーノが出ていた映画は父と子供の頃によく観ていたと想うが、憶えていない。
まだ「スカーフェイス」と「フェイク」しか観ていないが、両方とも不器用だけどプライドは高く、素直で子供のようなところがあり、短気で人情味があるところなんかうちの父の性格とよく似ている気がした。
うちの父は下品なことが嫌いでかなり上品な人だったが、その一方でわたしに「あんな、人間はみんな変態やねんで」などと教える変わった人だった。
わたしは父だけは変態であってほしくなかったので、その言葉はどうしても受け入れたくなかった。
見た目は頬がこけた上品なマフィアのボスといった容貌だった。
そんな強面の父が白のクラウンに乗っていたから喧嘩を売られることがなかった。
威厳があって本当に格好良かった。
父は痩せていたけど、外に行くときにいつも掛けていた薄い茶色が入った眼鏡を掛けるとマフィアのボスにしか見えなかった。
そう言えば、アル・パチーノの目は優しくもありどこかギロついている。あの目が、父に似ているからかもしれない。
わたしがアル・パチーノに惹かれているのは。
アル・パチーノは父も好きだった俳優だ。
「ゴッドファーザー」も父と一緒に観たはずなんだが想いだせない。
父はお酒も煙草も博打も女も、手を出さず、仕事が終われば真っ先にうちに帰ってくる人だったが、わたしと兄を一人で育てながら、どのような想いで生きていたのだろう。
わたしが子供の頃に兄の眠っている顔の上を跨いだだけで、「女が男の顔の上を跨ぐとは何事か」とものすごく怒るような人だった。
母の若いときの男を誘うかのような表情の化粧の濃い写真を観ると「この写真は気に入らん」と言っていた。
成長するわたしに、父は亡き妻の面影を観ていたのだろうか。
わたしの母が死んだとき、父はまだ四十四歳だった。
実家で、今も猫たちと暮らす音信不通の兄は先日、四十三歳になった。母が乳癌の末期であるとわかった翌年で、死ぬ前年の年だ。
兄はどうしているのだろう。何もわからない。
わたしが家族を想うとき、いつも言い知れぬ悲しみに襲われる。
この悲しみは、一体どうすれば、どんな小説を書けば昇華できるというのか。
今年の一月にも、言い争いの末に到頭、姉からまたもや言われてしまった。
今でもお父さんはおまえのせいで死んだと想っている。と。
姉とも、もう当分仲直りができないだろう。
これでわたしは家族の誰とも、話をしない人間になった。
わたしが姉との仲を取り戻すために問い質しても、何も答えてくれない。
悲しい人間を探せば、この世界はきりがないが、わたしは死ぬまでどん底に生きるだろう。
其処は、精神の底と言えるのではないか。
わたしは精神の底に、辿り着いて死にたい。