あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

俺の息子

2018-04-30 22:26:35 | 随筆(小説)
おまえだけやないけど、アホな人間っていうのは人の中の見下せる要素を血眼なって探してるよな。
それで一つでも見つかったらば飢えた餓鬼の様に飛び付き、相手への非難の言葉を投げ付ける。
醜いにもほどがあるよね。
例えば人が離婚した、不倫した、性犯罪を犯したとかでも、ものすごい湧いてるやんそんな奴等が。
2ちゃんとかヤフコメ欄とかそんな鬼畜たちの巣窟だよね。
俺はまったく興味がないね。人を見下して下らない優越感を感じるということに。
それって、よう考えてみたら、自分はどれだけ充たされていない人間であるかということを発言していることと同じだよな。
あまりにも恥ずかしいことなんだが、それすらも気付いていない。
生きることが余りに虚しい連続となると人間はそうなってしまう。
で、そういうアホな奴等に、「おまえは鏡に向かって全部ゆうてるねん」と言ってあげても
奴等は否定するんだよね。アホだから。あほだからそこがわからんねんね。
つまり自分にとって都合の悪いことは全部否定し、相手を攻撃することは正しいと信じている。
それで誰にも愛されないと嘆いて虚しい生活を送って死体喰うて生きている。
で、そんな奴が、他人なら「嗚呼、悲しいな」で終るが、
自分に子が出来て、自分の息子とかがそんな奴に育ったら、他人事やない。
息子はそんな奴だから、まあいつも想ってる。「お前の所為で」と。
俺と言う母親に対して、俺の所為で自分はこうなったんだと。
まあそこは否定しない。確かに俺の所為だろう。
俺は息子を愛していたが、結果的こうなった。
だからこないだも俺は息子に言ったんだよね。
「どないしたらええねん」と。
俺がどうなったら、おまえは変われるねん。と。
そしたら息子、「なんも、する必要なし。テメーにはもう、なんの期待もしていない」。
嗚呼、俺は、見放されたわけだ。愛する独り息子に。
いや、わからんよね、なんでこうなってしまったかは、俺にもわからんのよ。
ただそういう息子に出来上がってしまったことは事実である。
だから去年も、ジョイ・ディヴィジョンの「クローサー」をガンガンに掛けながら、
嗚呼、これ、今なら首吊って、死ねそうだよなあと泥酔しながら本気で想ったんだ。
俺が死にさえすりゃ、息子は変わってくれるだろう。そうあの夜本気で想ったんだ。
でも死ねなかったよね。この人生で遣り残したと感じることがまだ山ほどあったからね。
俺は俺の為に、死なんかった。
たとえ愛する息子とて、あいつの人生は二の次。
俺は俺の人生の為に、死ぬのをやめた。
俺は俺を第一に喜ばせたい。
あいつはその次でいい。
俺は別にあいつを第一に喜ばせる為に産んだわけじゃないからね。
俺を喜ばせる為だけにあいつを産んだんだ。
なのに親に感謝一つもできない息子に育ってしまって悲しいことこの上ないね。
俺は俺の為にあいつを産んだが、それでも我が命懸けて産み落としたんだ。
俺はあいつを産み落とす際、死んでも良かった。
死んででも俺は俺を喜ばせたかったんだ。
それは間違いなく、俺とあいつは、同一の存在と観ていたということだ。
あいつが死ぬことは、俺が死ぬことだった。
俺は死んででも、俺を産み落としたかったんだ。
何十年経っても、あいつは俺のままだ。
何一つ、違わない。
俺の中から外へ出てきた存在。
どれほど愛しているか、俺は俺の分裂存在である俺を。
あいつは俺を産んだ記憶を完全に失っている。
でも俺は記憶している。
あいつの体内の、全細胞が俺であるという記憶を。
あいつは俺でできている。
死ぬも生かすも、俺次第だった存在。
俺はあいつを堕胎することだってできた。
いや、そう考えると、実に不思議な気持ちになる。
そうしてたなら、あいつは今頃、どこで何しているやら。
ははは。どっか遠い宇宙空間に、素粒子として、浮かんで泳いでいるのかな。
それとも俺を恨み続け、俺の内から発し続けているのか。
「貴女が、わたし以外の人間を、愛せるはずはない」と。


























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