誰かは言った。"すべては今起きている"と。
今殺し、今殺され、今死に、今、生まれる。
今愛し、今裏切り、今怯え、今、信じぬく。
ひとつのその答えが在る。
人間の受け入れ難い答えが隠されている。
誰かは言った。
"自然は一番残酷なものだ"と。
この世界で一番過酷なもの、それは自然だと。
人間も動物も、それらを囲むすべての存在、僕らが行い、僕らを待ち受けるもの。
"自然"、僕らは自然に生かされ、自然に殺されゆく。
答えはシンプルだ。
"神は与え、神は奪う。"
Hunterの父親は何を与え、何を奪ったか。
そして何を与えられ、何を奪われたか。
グラスは愛する家族に、愛を与え、与えられた。
そしてその愛に支えられ、彼はHunterとなって家族を養っていた。
彼は殺し続けた。
日々殺し、殺された者達の無念を、痛みを、苦しみを、怒りを、考えて苦しむことはなかった。
そうまるでそれは釣りを娯楽とする釣り師のように。
彼はハンティングを愉しんでさえいた。
獲物に狙いを定め、命中した瞬間、歓喜を挙げた。
獲物が地獄に堕ちる瞬間、そのスローモーションの時間のなかで彼は、自分の家族が満たされて幸福な人生のなかにいる夢を見た。
獲物は地面に力なく倒れ、傷口からは血が溢れ出て、これを止めようとする者はいない。
グラスのように、彼の傷口を縫おうと必死になる人間もいない。
フィッツジェラルドは頭の皮を生きたまま剥がされたが、彼が獲物の皮をまだ心臓が止まってもいない間に剥がしたことは数え切れない。
"なんて酷いことを"フィッツジェラルドにそう言う人間はいなかったか?
彼はグラスの息子ホークを殺した。
彼は妬んでいた。
グラスと、ホークの間にある深い愛を。
アベルと神の間に在って、自分の間にはないことを嫉妬してアベルを殺したカインのように。
フィッツジェラルドはホークを殺し、グラスも殺そうとする。
彼は何処かで願望していた。
"それでも"赦されると。
自分は神に赦されると。
赦されるべきだと。
フィッツジェラルドは、自分は赦されるというただ一つの希望を抱いてカイオワ砦まで辿り着いた。
だが心は、虚しかった。
テキサスでのんびり死ぬまで暮らせるだけの金を手に入れた。
だが心に、神はいない。
俺の心に、愛はない。
フィッツジェラルドは自分の運命をこれほど酷く虚しく感じたことはなかった。
俺は金を手に入れた、だが神を殺した。
俺は愛を殺し、そして金を手に入れた。
ははは、神は奪い、そして与える。フィッツジェラルドは酔い潰れながらそう呟いて小屋の外でぶっ倒れた。
その頃、グラスは美しく青い眼でバッファローの仔に襲い掛かる狼の群れを眺めていた。
次の瞬間、グラスの頭にこう浮かんだ。
いいぞ、いいぞ…そうだ…!よしっ、倒した!これでお零れの腐肉を頂けるかも知れん…。
グラスの頭の中はバッファローの仔の肉のことでいっぱいだった。
唾がぐんぐん溜まってきて生唾を何度と飲み込んだ為、喉の穴が傷んで何度と噎せる。
この時、腹が減って死にそうだったが、グラスの心のなかは燃えていた。
言い換えるならば、グラスの心の底はあたたかった。
何故か、何故ならグラスのなかには、愛が生きていたから。
それは神の愛だった。
グラスはこうして何度死んでもおかしくない状況で自分が生きていること、生かされていることに何度も神に愛されていることを信じて喜びに打ち震えた。
グラスはもともとクリスチャンだった。
クリスチャンでHunterだった。
動物を殺し続け、なんとも想わない愚かなクリスチャンだった。
夢で廃墟となって壁や天井の崩れ落ちた教会の鐘の下の壁に、イエス・キリストが磔にされていた。
なんと美しい光景だろう。グラスはその時、こう確信した。
嗚呼、わたしたちは…選ばれたのか。
イエス・キリストの受難の道を…共に歩む為に。
共に地獄へ…
わたしたちは生まれたときから、そう決まっていたのか。
グラスは恍惚な天からの光に抱かれる。
そのなかで、ホークの亡霊を力づよく抱き締める。
目が醒めてグラスは想う。
今頃あいつ、何してるんやろう。
フィッツジェラルドのことをグラスは凍える雪原のなかで想った。
あれ?グラスは辺りを見回す。
俺また独りに…
おらんなってもうた…グラスは探すが、もうわかっていた。
受難の道。
何処まで歩いても、荊の棘が全身に突き刺さってグリズリーの爪の如くに肉を切り裂く。
俺が選んだ道なのか…神よ。
そう想いながら一つの樹を見上げる。
イエスが囁く。
"この者のなかから、我は野蛮ではないと言う者だけが、あの者達に石を投げよ"
この時グラスは自分の行いのすべてを振り返る。
"野蛮な者"、野蛮な者が、野蛮な者を殺すのか。
いや違う。野蛮な者は、清き者を殺すのだ。
嗚呼、俺が殺してきたもの達、彼らは野蛮ではなかった。
ヘラジカ、狐、うさぎ、猪、熊の仔、ビーバー、野鳩、狼…彼らは野蛮ではない。
野蛮なのは生きようと必死に頑張って、助けを請うているその生命を自分の欲と、幸せの為に殺し続けてきた俺のほうだった。
そうだアイツらのように。
俺の友を殺した後にああやって楽しく喰ったり飲んだり唄ったりfuckしたりしているアイツらと俺は同じだったではないか。
グラスはただ、奪われた馬を奪い返して逃げようと想った。
アイツらは、殺される価値もない。
俺のように…?
いや…殺されるより、苦しみ抜いて生きて死なねばならない。
グラスは自分が何処へ向かおうとしているかわからなくなった。
フィッツジェラルドをこの手で殺し、息子の敵を討ちたい。
だがそれはこれ以上、自分が野蛮な者に成り下がるということである。
どこまでも、神から遠ざかり、その先、どうやって生きてゆけばいいのか。
俺は全てを喪くした。
もう喪うものはない。
グラスは隊長にそう告げ、こう続けた。
でも奴は、喪えるものがある。
隊長は心のなかでグラスに訊ねた。
それはなんだ?
グラスは心のなかでこう答えた。
自己愛、己れへの愛、つまり、神への愛だ。
グラスは寂しそうに言った。
「アイツと共に、俺は地獄へ向かう。」
フィッツジェラルドがグラスの耳に何度も囁く。
"俺を殺しても、ホークは戻らねえぞ"
だが彼は、本当はこう言っている。
「赦してくれ。俺を赦してくれ。俺は哀れな人間だ。俺はオメェのように、人間の愛を知らねえで今まで生きてきたんだ。俺には何も残っちゃいねえ。こんな哀れな人間を殺して何になる?オメェも俺と一緒に地獄へ堕ちるだけだ。堕ちるのは俺一人で良い。そうだろう?改心する…神に懺悔しながら死ぬまで孤独に生きて、最期は野垂れ死するさ、俺みてえな人間は。でもオメェは何度でも遣り直せる。そう想わねえか。オメェは作用反作用の法則というものを知っているか?物理学で、なんでもこの法則がこの宇宙の真理だと聴くじゃねえか。いやそう聴いたんだ。だれか忘れたけどな、へへっ…俺ァ、この法則はほんもんだと睨んだよ。これは言わば重さの法則だ。この世の全ては、テメェの相手に遣ったまったく同じ重さの作用で、テメェに返ってくるんだよ。つまりこういうことだ。俺たちが感じる苦しみには重さがある。小指を椅子の脚にぶつけた痛みの重さと、グリズリーに首を引き裂かれた痛みの重さは違う。他人が目の前で殺される痛みの重さと、愛する者が目の前で殺される痛みの重さは違う。重さは、深さだ。そこにある苦しみの深さは違う。テメェはなんでこんなことになってるんだ?答えを言ってやろう。それはテメェのしたことが、まったく同じ重さでテメェの人生に返って来ただけだろう。言ってやるよ。俺ァ、実は前世の記憶がはっきりとあるんだ。俺は前世、今の俺に生まれ変わる前、俺はちいさなちいさな、白いふわふわのころんころんのうさぎだった。あの日のことを、よく憶えてるよ。なぜなら、俺の一番に愛する母うさぎを、オメェは空から巨大な悪魔のような黒い羽根を広げて、その尖がった鋭い爪先で俺の母うさぎの首元を思い切り引き裂き、右腕を硬い嘴で喰いちぎって、背中を脚で押し潰し、それでどうしたと想う?
オメェは何かを想いだしたような顔をして何処かへ飛んで行っちまった。
幼い子うさぎの俺は一体母親が何をされたのか、まったくわからなかった。オメェは俺たちの天敵、雄の立派な白頭鷲だった。残された瀕死の母うさぎの前で、俺はずっと泣いていた。そのとき、雪が降って来て、痙攣して鳴くことすらできない息も絶え絶えの真っ赤な血で濡れた母うさぎの上に、真っ白な雪が積もって行くのを俺は朝が来るまで凍えながら眺めていた。でもいつの間にか眠っていて、俺はとても永い夢を見ていたんだ。
現実世界ではたったの一時間ほどだったかもしれないが、俺は夢のなかで、オメェと再会したんだ。オメェは人間になって、結婚し、ハンターになっていた。俺は喰いつなぐのがやっとのしがない独り身の毛皮商人、うさぎの皮も嫌という程、殺してすぐに剥いでやった。俺はオメェに出会った瞬間、嫌ァな気持ちになったよ。すぐにわかった。臭いがしたんだ。血腥い実に嫌な臭いだ。まあすべてを想い出したのはそのあとだがな。そういや今日は何年の何月何日だ?確か俺の母うさぎの命日じゃなかったか。ははは、どうだ、オメェもちょっとは想い出したか?馬鹿なことはよせ。先に仇を討つべきは、俺だったんだ。俺はでも、オメェを殺せなかったオメェから殺される前に。殺すべきところが、しくじっちまった。ホークをオメェの代わりに殺しちまったことは完全なerrorだった。赦してくれ。オメェの代わりにアイツは死んだんだ。だれが悪いって言いたいんだ?最初の最初に。悪の根源はどこだ?俺か?オメェか。神か。自然か。野蛮で愚かで残虐なすべての存在の根源は何だ?もしそれが見つからないなら、俺を殺さないでくれ。頼む。俺はテキサスの田舎で居心地の良いバンガローでも建てて、うさぎを趣味で撃ち殺して、その肉で安い赤ワインを毎日飲んで死んでいるように暮らしたいんだ。爺さんになったら、ライフルで一発心臓を撃ち抜いて自殺でもするさ。俺には何もない。俺は神を殺したんだ。……俺を殺したところで、神は喜ばない。俺の記憶の中では、俺はもう生きていない。……ひとつ、訊いてもいいか?何故、俺たちは何にも残されちゃいねえのに、何故、まだ殺し続けるんだ?弱く、愛を求める者たちを…。俺たちが、本物の息を、吹き返すまでか。」
今殺し、今殺され、今死に、今、生まれる。
今愛し、今裏切り、今怯え、今、信じぬく。
ひとつのその答えが在る。
人間の受け入れ難い答えが隠されている。
誰かは言った。
"自然は一番残酷なものだ"と。
この世界で一番過酷なもの、それは自然だと。
人間も動物も、それらを囲むすべての存在、僕らが行い、僕らを待ち受けるもの。
"自然"、僕らは自然に生かされ、自然に殺されゆく。
答えはシンプルだ。
"神は与え、神は奪う。"
Hunterの父親は何を与え、何を奪ったか。
そして何を与えられ、何を奪われたか。
グラスは愛する家族に、愛を与え、与えられた。
そしてその愛に支えられ、彼はHunterとなって家族を養っていた。
彼は殺し続けた。
日々殺し、殺された者達の無念を、痛みを、苦しみを、怒りを、考えて苦しむことはなかった。
そうまるでそれは釣りを娯楽とする釣り師のように。
彼はハンティングを愉しんでさえいた。
獲物に狙いを定め、命中した瞬間、歓喜を挙げた。
獲物が地獄に堕ちる瞬間、そのスローモーションの時間のなかで彼は、自分の家族が満たされて幸福な人生のなかにいる夢を見た。
獲物は地面に力なく倒れ、傷口からは血が溢れ出て、これを止めようとする者はいない。
グラスのように、彼の傷口を縫おうと必死になる人間もいない。
フィッツジェラルドは頭の皮を生きたまま剥がされたが、彼が獲物の皮をまだ心臓が止まってもいない間に剥がしたことは数え切れない。
"なんて酷いことを"フィッツジェラルドにそう言う人間はいなかったか?
彼はグラスの息子ホークを殺した。
彼は妬んでいた。
グラスと、ホークの間にある深い愛を。
アベルと神の間に在って、自分の間にはないことを嫉妬してアベルを殺したカインのように。
フィッツジェラルドはホークを殺し、グラスも殺そうとする。
彼は何処かで願望していた。
"それでも"赦されると。
自分は神に赦されると。
赦されるべきだと。
フィッツジェラルドは、自分は赦されるというただ一つの希望を抱いてカイオワ砦まで辿り着いた。
だが心は、虚しかった。
テキサスでのんびり死ぬまで暮らせるだけの金を手に入れた。
だが心に、神はいない。
俺の心に、愛はない。
フィッツジェラルドは自分の運命をこれほど酷く虚しく感じたことはなかった。
俺は金を手に入れた、だが神を殺した。
俺は愛を殺し、そして金を手に入れた。
ははは、神は奪い、そして与える。フィッツジェラルドは酔い潰れながらそう呟いて小屋の外でぶっ倒れた。
その頃、グラスは美しく青い眼でバッファローの仔に襲い掛かる狼の群れを眺めていた。
次の瞬間、グラスの頭にこう浮かんだ。
いいぞ、いいぞ…そうだ…!よしっ、倒した!これでお零れの腐肉を頂けるかも知れん…。
グラスの頭の中はバッファローの仔の肉のことでいっぱいだった。
唾がぐんぐん溜まってきて生唾を何度と飲み込んだ為、喉の穴が傷んで何度と噎せる。
この時、腹が減って死にそうだったが、グラスの心のなかは燃えていた。
言い換えるならば、グラスの心の底はあたたかった。
何故か、何故ならグラスのなかには、愛が生きていたから。
それは神の愛だった。
グラスはこうして何度死んでもおかしくない状況で自分が生きていること、生かされていることに何度も神に愛されていることを信じて喜びに打ち震えた。
グラスはもともとクリスチャンだった。
クリスチャンでHunterだった。
動物を殺し続け、なんとも想わない愚かなクリスチャンだった。
夢で廃墟となって壁や天井の崩れ落ちた教会の鐘の下の壁に、イエス・キリストが磔にされていた。
なんと美しい光景だろう。グラスはその時、こう確信した。
嗚呼、わたしたちは…選ばれたのか。
イエス・キリストの受難の道を…共に歩む為に。
共に地獄へ…
わたしたちは生まれたときから、そう決まっていたのか。
グラスは恍惚な天からの光に抱かれる。
そのなかで、ホークの亡霊を力づよく抱き締める。
目が醒めてグラスは想う。
今頃あいつ、何してるんやろう。
フィッツジェラルドのことをグラスは凍える雪原のなかで想った。
あれ?グラスは辺りを見回す。
俺また独りに…
おらんなってもうた…グラスは探すが、もうわかっていた。
受難の道。
何処まで歩いても、荊の棘が全身に突き刺さってグリズリーの爪の如くに肉を切り裂く。
俺が選んだ道なのか…神よ。
そう想いながら一つの樹を見上げる。
イエスが囁く。
"この者のなかから、我は野蛮ではないと言う者だけが、あの者達に石を投げよ"
この時グラスは自分の行いのすべてを振り返る。
"野蛮な者"、野蛮な者が、野蛮な者を殺すのか。
いや違う。野蛮な者は、清き者を殺すのだ。
嗚呼、俺が殺してきたもの達、彼らは野蛮ではなかった。
ヘラジカ、狐、うさぎ、猪、熊の仔、ビーバー、野鳩、狼…彼らは野蛮ではない。
野蛮なのは生きようと必死に頑張って、助けを請うているその生命を自分の欲と、幸せの為に殺し続けてきた俺のほうだった。
そうだアイツらのように。
俺の友を殺した後にああやって楽しく喰ったり飲んだり唄ったりfuckしたりしているアイツらと俺は同じだったではないか。
グラスはただ、奪われた馬を奪い返して逃げようと想った。
アイツらは、殺される価値もない。
俺のように…?
いや…殺されるより、苦しみ抜いて生きて死なねばならない。
グラスは自分が何処へ向かおうとしているかわからなくなった。
フィッツジェラルドをこの手で殺し、息子の敵を討ちたい。
だがそれはこれ以上、自分が野蛮な者に成り下がるということである。
どこまでも、神から遠ざかり、その先、どうやって生きてゆけばいいのか。
俺は全てを喪くした。
もう喪うものはない。
グラスは隊長にそう告げ、こう続けた。
でも奴は、喪えるものがある。
隊長は心のなかでグラスに訊ねた。
それはなんだ?
グラスは心のなかでこう答えた。
自己愛、己れへの愛、つまり、神への愛だ。
グラスは寂しそうに言った。
「アイツと共に、俺は地獄へ向かう。」
フィッツジェラルドがグラスの耳に何度も囁く。
"俺を殺しても、ホークは戻らねえぞ"
だが彼は、本当はこう言っている。
「赦してくれ。俺を赦してくれ。俺は哀れな人間だ。俺はオメェのように、人間の愛を知らねえで今まで生きてきたんだ。俺には何も残っちゃいねえ。こんな哀れな人間を殺して何になる?オメェも俺と一緒に地獄へ堕ちるだけだ。堕ちるのは俺一人で良い。そうだろう?改心する…神に懺悔しながら死ぬまで孤独に生きて、最期は野垂れ死するさ、俺みてえな人間は。でもオメェは何度でも遣り直せる。そう想わねえか。オメェは作用反作用の法則というものを知っているか?物理学で、なんでもこの法則がこの宇宙の真理だと聴くじゃねえか。いやそう聴いたんだ。だれか忘れたけどな、へへっ…俺ァ、この法則はほんもんだと睨んだよ。これは言わば重さの法則だ。この世の全ては、テメェの相手に遣ったまったく同じ重さの作用で、テメェに返ってくるんだよ。つまりこういうことだ。俺たちが感じる苦しみには重さがある。小指を椅子の脚にぶつけた痛みの重さと、グリズリーに首を引き裂かれた痛みの重さは違う。他人が目の前で殺される痛みの重さと、愛する者が目の前で殺される痛みの重さは違う。重さは、深さだ。そこにある苦しみの深さは違う。テメェはなんでこんなことになってるんだ?答えを言ってやろう。それはテメェのしたことが、まったく同じ重さでテメェの人生に返って来ただけだろう。言ってやるよ。俺ァ、実は前世の記憶がはっきりとあるんだ。俺は前世、今の俺に生まれ変わる前、俺はちいさなちいさな、白いふわふわのころんころんのうさぎだった。あの日のことを、よく憶えてるよ。なぜなら、俺の一番に愛する母うさぎを、オメェは空から巨大な悪魔のような黒い羽根を広げて、その尖がった鋭い爪先で俺の母うさぎの首元を思い切り引き裂き、右腕を硬い嘴で喰いちぎって、背中を脚で押し潰し、それでどうしたと想う?
オメェは何かを想いだしたような顔をして何処かへ飛んで行っちまった。
幼い子うさぎの俺は一体母親が何をされたのか、まったくわからなかった。オメェは俺たちの天敵、雄の立派な白頭鷲だった。残された瀕死の母うさぎの前で、俺はずっと泣いていた。そのとき、雪が降って来て、痙攣して鳴くことすらできない息も絶え絶えの真っ赤な血で濡れた母うさぎの上に、真っ白な雪が積もって行くのを俺は朝が来るまで凍えながら眺めていた。でもいつの間にか眠っていて、俺はとても永い夢を見ていたんだ。
現実世界ではたったの一時間ほどだったかもしれないが、俺は夢のなかで、オメェと再会したんだ。オメェは人間になって、結婚し、ハンターになっていた。俺は喰いつなぐのがやっとのしがない独り身の毛皮商人、うさぎの皮も嫌という程、殺してすぐに剥いでやった。俺はオメェに出会った瞬間、嫌ァな気持ちになったよ。すぐにわかった。臭いがしたんだ。血腥い実に嫌な臭いだ。まあすべてを想い出したのはそのあとだがな。そういや今日は何年の何月何日だ?確か俺の母うさぎの命日じゃなかったか。ははは、どうだ、オメェもちょっとは想い出したか?馬鹿なことはよせ。先に仇を討つべきは、俺だったんだ。俺はでも、オメェを殺せなかったオメェから殺される前に。殺すべきところが、しくじっちまった。ホークをオメェの代わりに殺しちまったことは完全なerrorだった。赦してくれ。オメェの代わりにアイツは死んだんだ。だれが悪いって言いたいんだ?最初の最初に。悪の根源はどこだ?俺か?オメェか。神か。自然か。野蛮で愚かで残虐なすべての存在の根源は何だ?もしそれが見つからないなら、俺を殺さないでくれ。頼む。俺はテキサスの田舎で居心地の良いバンガローでも建てて、うさぎを趣味で撃ち殺して、その肉で安い赤ワインを毎日飲んで死んでいるように暮らしたいんだ。爺さんになったら、ライフルで一発心臓を撃ち抜いて自殺でもするさ。俺には何もない。俺は神を殺したんだ。……俺を殺したところで、神は喜ばない。俺の記憶の中では、俺はもう生きていない。……ひとつ、訊いてもいいか?何故、俺たちは何にも残されちゃいねえのに、何故、まだ殺し続けるんだ?弱く、愛を求める者たちを…。俺たちが、本物の息を、吹き返すまでか。」
Hell Ensemble by Ryuichi Sakamoto