あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

底根の国

2018-10-23 03:39:45 | 随筆(小説)

俺は生まれて来てからずっと、全宇宙の存在の幸せをとにかく願って生きてきた。

それでふと気づくと、最近ふと気づいたことは。

俺って全宇宙の全員を悲しませてるやんけじゃんばいではないか。と言うことです。

え?いつまで町田康の言い方をパクるのだって?だってしょうがないですやんか。わたくしに彼が取り憑いて、ゆうたらわたくしは町田康師匠に憑依されて今も書いているに過ぎない生霊ですよ?

え?じゃあ本体はどこだって?そら、今頃インダス川の下流に位置する廃屋の床にいる胡桃の殻のなかに潜み続けている芋虫の腸内で便器に座って考え事をしている微生物の脳内にある宇宙のなかのずりずり星のミシミシっ屁(ぺ)という州のなかにあるキズチール人のエリアエラ型のコームギ・ウードンという男の住む家のキッチン下の小箱の中で息をし続けている常呂饂飩状の透明の線虫の腸内の宿便の内側に息を潜めて生き永らえている何者かですよ。

で、何の話をしようとしてたか、全く忘れましたが、最初まで遡って想いだしました。

俺は生まれてこのかた、すべてが幸福に永遠に生きてゆくことしか、考えて来なかったわけじゃないが、すべてが永遠に幸福に生きてゆくことを願い続けて生きて来た。

それだのに、最近ふと気づいたのだが、俺はすべての存在を悲しませているだけではないかな?と気づいたのである。

例えば質問箱サイトで真剣に悩んでる人の質問に真剣に真摯に時間を掛け、頭を悩ませながら回答をする。

すると最初は感謝される。だがその次にもう一度返信をして、より、質問者を幸福にしようと目を血柱させてまたも長い返信を送る。

と、どうしたことか。「これこれ、自分はこうなんだ。あなたにはわからないでしょう。あなたがわたしを○○と決め付けてることがとても悲しいです。」と返事が来てて、まだ質問の期限があるにも関わらず、早くも相手に質問を閉じられて返事して謝罪することも言い訳することも相手の言い分を違うと否定することもできず、途方に暮れる。ということがあるのである。

相手が苦しんでいて。助けてほしいと質問してるから、俺はその人間を助けようと必死に相手を救う言葉を書き連ねて送っただけなのに、悲しいことにそれが悉く裏目に出て、「もうあなたとは話したくありません。」と相手に心の扉をばたむ。と一方的に閉じられてしまうのである。

なんと虚しきことであろう?なにゆえ、こちらの想いだけでも汲み取っては貰えないのか?

俺はあなたを助けたいと想ってる。だから自分の遣りたいことを後回しにして、あなたに時間を使ってきた。

だのにひとつ俺の言い分が腹立ったからって、何も早々に質問を閉じることないではないか。

俺は傷つけたのであれば、「そうでしたか。それはごめんなさい。違いましたか。それは勘違いでしたね。でもあなたを傷つけるつもりなど、全くなかったのだ。あなたが地獄に落ちて欲しくなくて、俺はああ言ったんだ。それをあなたはなんだ。一方的に怒って、俺に理解などできるか。などという失礼千万なことを言って、どういうつもりなのかな?何故、俺に理解などできないとかって俺のこと決め付けるのだ。俺とあなたは、同じ障害に苦しんで来た仲間ではないか。なんでその仲間をだね、そんな風に冷たく言っちゃってくれるのですかな?酷いよ酷い。俺のほうこそもんのすごく悲しくなったよ。なんで俺の真剣な気持ちがあなたに伝わらなかったのだろう?あなたを救いたくないなら、あんな面倒なこと、金も貰えないのに無償で人の真剣に悩む質問に回答したりしないよ、しんどいからね、心が疲弊するからね。俺も落ち込むからね。もういい。あなたはそうやっていつまでも人に依存して、そうやって何人もの人間に甘え腐って生きてゆければええのだ。知るかあっ。もう二度とあなたを救う為に俺は頑張らない。我が神に誓う。あなたはそんな我儘人間だから、苦労をしておるのだ。これからも存分に苦労して苦しんで、どん底に落ち切って、そこから空を見上げて。暗いなあ。寒いなあ。恐いなあ。どうしたらええのだ。と人を助けを、呼ばわって、呼ばわり続けて苦悩し、地獄を味わえとまでは言いませんが、思う存分にどうか苦しめるだけ、苦しんでください。お願いします。ではわたしのあなたへの返信はこれで最後に致します。どうか御元気で。頑張って生きていってください。さようなら。」と相手に言いたかったのである。

それが、言えなかった。何一つ、俺は言い返す手段も持たなかったし、自分の想いに悪意など微塵もなかったのだということを相手に伝えることさえできなかったのである。

無念じゃわいっ。なんという理不尽な世界だろう?この世界は。

まあ俺のこんな態度はまだ序の口で、前はその質問箱で「死にたいです。」と言ってる質問者に、散々、何日間と掛けて、死ねばこれこれこんな悲惨なことになって、たれもかれもが悲しみに打ちひしがれて立ち直れないのだ。ということを必死に説得して相手をどうにか死なせないように、救ってやろうとしている回答者が、質問者の人を馬鹿にした一言の返信をきっかけに、完全にぶちギレ、長文の呪詛を相手に吐き続け、しまいには「さっさと死にやがれ糞野郎がっ。」と言っていたのを見かけて爆笑したこともある。

やはり、人と言うのは、どんなときでも謙虚であらねばならぬなあ。と想うのだった。

そうでないと、本当に苦しくて人の助けを請うて苦しんでいるときに、ちょっとでも我儘を言うと一度は助けの手を差し伸べられたその手で、谷底へと突き落とされてしまうのである。

別に助けようとしている人間が極悪で、相手に脅迫して大金を払えと言っているわけでもないのである。

とにかく苦しんでいる人間を助けようと、谷底に落ちかけている人間に手を差し伸べるのである。

しかし相手は「助けて貰えて当たりまえ」「優しいことを言って貰えて当たり前」「死ぬな、死なないで。と言って貰えて当たり前」なんて想っているからその気持ちにすぐにぼろが出て、相手の言い分にむかついて自分の利己的なものが露呈するのである。

聖者、賢者とは、よっぽどのことがない限りは人を助けるようなことはしない。

何故ならこの余は因果因縁、因果律の法則によって在る世界で、人が苦しむのはそれ相応の意味があって人が苦しんでいるからである。

そこで助けたら意味が無い。例え一度助けようとも、その人間は苦しむ必要が絶対にあるのでまた同じ壁にぶち当たる、事故に合う、災いが起きる。などして同じような苦しみを結句引き受けなくてはならぬのである。

その真理をわかっているものは無闇矢鱈に慈悲の想いでもって苦しんでいる人を助けるようなことはしない。

「苦しみは当然である。」と想っているからだ。

これを証拠に、ほれ見たことか、俺が安易に人を助けようとしたばっかりに、最後は恨み節を言い捨てられて関係を終らせられてしまったではないか。

人を助けるなんて、何一つ、ええことなどないのである。

俺はもう絶対に、人を助けたりはしたくない。

苦しみたい人間がただ己れの因果によって苦しんでいるだけだ。俺がそれを救える手などない。

俺はその代わり、人を助けようとする代わり、俺は人々を、どん底に突き落とす為に、その手を差し伸べ、谷底に、奈落の底へ落ちようとしている人間の手を、しっかと掴み、鬼の笑みで、にたり。と哂う。

まるで人が苦しむその姿を、喜び、もっと苦しめるようにと奮い立たせながら、この地上という底根の国で、人々が苦しみもがきながら自分の二本の足でしっかりと立ち、暗闇のなかを独り進むその姿を遠くから、茫洋と眺めながら。

 

 

 

 

 

 

 

 Yung Lean - Metallic Intuition

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



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