前回の記事から6ヶ月以上経ってしまっていますが…以前に既に考察して纏めていた続きを載せたいと想います。
⑬動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている為
人間は極度のマゾヒストでない限り、苦しみが少しでも小さいほうを自然と選んでしまうという性質があると想います。
無理をして菜食を実践してゆく人もいるのかもしれませんが、苦しみのストレスによって病気になって早死にするのでは本末転倒です。
良い生き方が完全菜食にあるからこそ人は完全菜食を選ぼうとするのです。
森の中で原人が暮らしていた頃、最初は彼らは完全菜食であったかもしれないし雑食であったかもしれません。
人間の歯の構造を観てみると小さな犬歯があります。
犬歯とは動物では肉を食い千切る為の歯です。しかし人間の犬歯は肉食動物の鋭利で立派な犬歯と比べてあまりに貧弱なものです。
これでは到底生肉を食い千切ることは叶いません。
では何のための犬歯なのでしょうか?
一説に、太古の人間は、まるでハイエナやハゲタカのように肉食動物が狩って食べ残されたその死肉(屍肉)のおこぼれを喰らって生き延びていた。とされています。
確かにこの話なら至極納得が行きます。
何故ならその腐敗して行こうとする死肉であるなら、人間の犬歯で食い千切ることのできるほどに柔らかい状態となっているはずだからです。
先祖が、まるで餓鬼のように転がっている死体を貪って口の周りを腐った肉で汚しながら食べていたのかと想像すると悲しくなりますが、そうであった可能性は十分考えられます。
そして人類の祖先はやがて獲物を狩れる武器を作るようになり、火を起こすことを覚えます。
獲物を狩っても人間の犬歯では硬いゴムのような生肉を食い千切って食べることはできません。
小さく切ったとしても、もののけ姫のアシタカのように、噛み切れずに出してしまうことでしょう。
じゃあサンはどうしてたんだと考えると、たぶんサンは小さく肉を切って噛まずに飲み込んでいたか、それともモロの君(犬神)に噛んで柔らかくしてもらった肉を食べていた可能性も考えられます。
硬い肉や生では食べられない植物を食べる為に、人間は火を起こすことを覚えたのでしょうか。
肉を加熱して柔らかくすることで、ようやく人間は自分の歯で肉を噛んで食べることができます。
初期人類の大部分は日常的に人肉を食べていた!?(スペイン研究)
初期人類、原人たちは、今のわたしたちのような倫理観を持っていたのでしょうか?
もっとも、現代でも食人の習慣がある地域もあるのかもしれません。
彼らがどのような想いで人を食べているかはわかりません。
しかしもし、他にいくらでも食べ物があるのならば、あえて人を食べることなどしないほうが良いと考えるのが自然です。
人類の脳が、肉食によって進化して来たという根拠はどこにもありません。
もし、本当に肉食によって人類が進化してきたのならば、何故、肉は人間にとってこれほどに消化に悪く、内臓を駆使させて老化を早め、さらに腸内で腐敗し、悪玉菌を増殖させて血液を汚し免疫力を低下させ、体内を酸性に傾けて病気になりやすい身体を作り上げるのでしょうか?
肉食が人間にとって正しいのであれば、もっと人間の身体にとって良いことばかり起きてくれるのではないでしょうか?
古代の人類の食生活に肉食が正しかったとしても、現代の人類にも同じく肉食が正しいということにはなりません。
人間の体内構造とは進化して変化して行くものだからです。
「脳が進化する」とは、人間の「倫理感」「道徳観」「不正や不義」といった感覚や感情も進化するということです。
そうでなければその進化を喜べるでしょうか?ただ利己的に進化しても人は同類を殺し、殺し合いの末に滅びてゆくでしょう。
もっとも、現在、畜産業の大量生産や海の乱獲によって人類は急速に第六の大量絶滅へと突き進んでいますから、この現状を観ても「脳が肉食によって進化したから肉食は正しい」などと言っていたらそれこそ本当に脳は進化していない事を意味しています。
人間が本能的に不快な感覚を催す「動物を殺す行為、動物を解体する血生臭い行為」について自然と拒否反応を起こし、できればそんなことを行なわなくとも生きて行く事のできる身体になりたいと願うのは自然なことであり、本当に賢い進化ができるのであれば、人類は自分の体内構造さえ変えてゆくことができるはずです。
よって、古代の人類が肉食をしていたから現代人も肉食をしないと健康になれないという根拠にはなりませんし、また人間よりも脳の進化していない肉食動物が肉食をして弱肉強食の世界に生きているからと言って、それ以上に脳の進化した人間も同じく肉食をして弱肉強食の上に生きて行くことが正しいという根拠にもなりません。
話を戻しますと、「動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている」状態とは、言い換えると「植物性のものだけを食べて生きることの喜びよりも動物性のものを食べることの喜びがまだ上回っている」状態にあると言えます。
その場合、植物を樹からもぎとる行為よりも動物を殺して解体する行為のほうが喜びであると自分自身に胸を張って言えるでしょうか?
そうではないと否定するならば、それはまだ「動物性のものを食べる」ことと、「動物を殺して解体して食べること」がしっかりと自分の感覚のなかで結びついていない事になります。
その二つを結びつける為に、現実を直視し続ける必要があります。
目で見る。触れて確かめる。臭いを嗅ぐ。声を聴く。これらが現実に触れるという行為です。
目で見るためには映像、場の見学、牧場に行く。
牧場に行って手で家畜に触れることができるかもしれません。
場は独特な臭いと熱気で噎せ返っていて見学する学生のほとんどが嘔吐したり、吐き気を催し気持ちが悪くなると言われています。
そこでは家畜たちの悲しい鳴き声も聴くことができます。
現実から目を背け、「動物性のものを食べることの苦しみよりも動物性のものを食べられなくなることの苦しみの方がまだ上回っている」状態で完全菜食を続けていくと、その無理が祟って不調になるのは当然であると想います。
わたしは「美味しい食べ物」が食べたいという食欲は今でもすごくあります。
でも「美味しい食べ物」とは、動物性に限られているわけではないのです。
例えば、こないだもスーパーのキャベツと霜降りまいたけを炒めたものに、
- Simply Organic, Grilling Seasons, Steak, Organic, 2.3 oz (65 g)
- Simply Organic, レモンペッパー、3.17 oz (90 g)
- Simply Organic, アドボ・シーズニング、 4.41 オンス (125 g)
- Simply Organic, パセリ 0.26 oz (7 g)
これだけを振り掛けて食べたのですが、物凄い美味しさで癖になるほどでした。
スパイスの成分のところを観てもらえばわかりますが、何種類もの成分、スパイスがミックスされています。
この美味しい植物料理を食べても、肉の旨味が欲しいと感じることはありません。
菜食者になると決めたのであれば、何年と掛けてでも心から美味しいと感じる、植物だけで十分に満足できる料理をがんばってわくわくする想いで編み出してください。
⑭陰陽の陰の植物に偏りすぎた為(身体を温める植物もバランスよく摂る必要がある)
陰陽とはマクロビオティックの原理であり、また東洋の伝統的な世界観でもあります。
中国や日本では古くから、物事を陰陽というモノサシで見る見方が発達していました。
東洋のこうした考え方に共通なのは、陰の性質と陽の性質の織りなすメカニズムが、森羅万象に浸透しているとする点です。
ですから体質だけでなく、食べ物や人間関係や、科学の中にもその働きを見ることができるのです。
また、人の体質や性格にしろ、食べ物にしろ、まったく陽性だけとか、まったく陰性だけということはありません。
形あるものは必ず、両方の要素をもっています。
たとえば伝統的には男性は陽、女性は陰とされてきました。
全体的に比べると、そういえるのですが、部分的に見れば、男性も女性も複雑に陰と陽の性質をあわせもっています。
陽性
- 動物性
- 寒い地域でよく育つ
- 背が低い植物
- 根菜
- 丸い形の野菜や穀類
- 小さい野菜
- 水分が少ない
- 苦い、塩辛い
- ナトリウム=塩分(ものを収縮させる働きがある)が多い
- 日に干したもの
- 長時間、加熱したもの
- 圧力をかけたもの
- 植物性
- 暑い地域でよく育つもの
- 背が高く成長する植物
- 葉菜
- 細長い野菜や穀類
- 大きい野菜
- 水分の多いもの
- 甘みの強いもの、酸っぱいもの、辛いもの
- カリウム(ものを拡張させる働きがある)が多い
- 短時間、加熱したもの
- 圧力をかけないもの
・磁石のS極とN極のように、陽は陰を引きつけるという法則があります。
・陰陽の法則は、わかりやすい現象から実際に観察し、実践することにより、体得していくことが大切です。
完全菜食者であっても、避けるべき食べ物があります。
特に
- コーラ、砂糖入り飲料水
- イーストパン(砂糖入り)
- 菓子パン
- 日本酒(合成酒)
- 白砂糖(精製された砂糖)
- 化学調味料(人工添加物)
- 砂糖菓子
- アイスクリーム
- 複製塩
画像を拝借したサイト様
マクロビオティック的陰陽表