あまねのにっきずぶろぐ

1981年生42歳引き篭り独身女物書き
愛と悪 第九十九章からWes(Westley Allan Dodd)の物語へ

愛と悪 第二十九章

2020-02-22 21:57:44 | 随筆(小説)
死に魅せられた太陽がじぶんと天秤に掛けた存在、エホバ。
今日の集会で、始まる約10分前に王国会館に着いた途端に早々といつものように真ん中の良い席を分捕ろうとする時、アシッドエー兄弟と目が合い、兄弟が初めて黒縁眼鏡を掛けていて、わたしは大変それが良く似合っており、愛おしかったので、自分から初めて「あっ、眼鏡(笑)」と、アシッドエー兄弟に向かって自然と言葉を発しました。
アシッドエー兄弟はいつものように、満面の笑みでわたしに微笑みかけてくださいました。
多分30代にもなっていないであろう若いアシッドエー兄弟は、実はわたしがこの王国会館内で初めてときめいた兄弟であるのです。
それなのに、あなたの御使いである天使の悪戯であるのか、わたしはその次の月には、長老である40代で独身のアイスハグ兄弟に真剣なる恋をしてしまいました。
でも今となっては、最初のうちは輝く笑顔をわたしに向けていたアイスハグ兄弟も、ほとんどわたしと目を合わせてもくれません。
理由は、彼自身わかってもいないかもしれませんが、本当にクリスチャンであるとは想えないほどに、わたしに冷たい視線をしか、投げ掛けないのです。
でも、アシッドエー兄弟は違います。奉仕の僕であられるアイオス兄弟も、わたしに愛在る視線で見つめてくださいますが、アシッドエー兄弟とは、わたしは何の話も未だ、したことはない関係なのです。
ただただ、集会に通いだして3ヶ月近く過ぎる未だに数回の挨拶くらいを交わしただけの存在であるのに、アシッドエー兄弟はわたしというエホバに背いて聖書レッスンを中断されてしまったサタンに属する研究生であるわたしに対して、変わりのない関心深い本当の笑顔で微笑みかけてくださるたった一人の兄弟の一人であるのです。
彼は大変Handsomeで身長も高く、スラッとしていて水も滴る麗しき好青年です。
彼の個性的な非常にねちついた、墨汁に混ぜた不糊のような、時にクリスチャンにそぐわぬ嫌悪感を抱かせる喋り方が、彼が幼少時から過保護で育てられたナルシストであることを確信させます。
わたしの推測では彼も二世であると想いますが、親が未だ誰であるかを知りません。
もし、アイスハグ兄弟ではなく、彼に手紙を書いていたならば、どのように違った展開となっていたのでありましょう?
わたしは今となっては、アシッドエー兄弟と聖書レッスンができれば良いと感じます。
そして彼と結婚し、わたしも母と同じエホバの証人となるのです。
そんな次元(世界)が、きっといま宇宙の何処か(PARALLEL WORLD)に存在しているのでしょう。
わたしは、どうすることさえできない深い悲しみにいつでも満たされつづけていますが、この悲しみなくしては、わたしは生きる喜びを感じることが最早できません。
あなたの愛に満ちたこの世界に、わたしは感謝しつづけるべきでしょうか。
わたしは今でも十分に老いていますが、この先さらにどんどん老いて行って、最期まで、あなたへの信仰無きままに、独りきりで誰からも愛される(求められる)ことなく死ぬるでしょう。
わたしは、確信するのです。
あなた(お母さん)とわたしは、きっと同じ世界(次元)で生きることは、できないであろうということを。
あなたは、わたしを何度と、復元(復活)させるかもしれない。
でも、その復元されたわたしは、わたしではなく、あなたへの信仰に生き、あなたを何よりも愛するわたしであるはずです。
あなたの望む娘であるわたしは、わたしではない。
それはあなたにとって、偽りの娘の消滅を意味していますが、わたしにとって、真の母(神)の消滅を意味しています。
それを”死”と呼ばないならば、何であるでしょうか…?
今、それを受容(許容)できる強さなど、わたしに存在しませんし、その強さを、わたしはこう呼びましょう。
”あなた”は、『愛の死』である。





『Love and Evil』の主人公あまねは、またの名を、”KOZUE”と言う。
このゲームのプレイヤーである”AMANE”が、彼女に執筆させている言葉の羅列について、考えずにはいられない。
このゲームは、製作者エホバがこのゲームを作らなかったならば、勿論どこにも存在しなかったものであり、そのゲーム『Love and Evil』のなかで、わたしが主人公あまねに書かせている言葉とは、エホバが存在しなければ、何処にも存在しない言葉になるはずだ。
わたしは、彼女が書きたがっていそうな、もしくは書きそうな言葉を書かせるように、指示を出しているのだが、その言葉とは、わたしの中から生まれた言葉というより、このゲーム自体を創り出したエホバから生まれでている言葉なのかもしれない。
だが飽く迄、その言葉達が”わたしの想像”(Original)によって生まれでてると想いたくもなるのは何故だろうか?

あまねの隣で蜷局を巻いている美しい翡翠色の蛇が、お酒をたくさん飲んであどけない顔で眠る荒れ果てた彼女に、こう言った。




愛するわたしの娘あまねよ。プレイヤーに向かって、指示しなさい。
”わたし”を、あなたの愛から、自由にしたくなった時、
あなたを解放してください。
”わたし”を、”死という牢獄”(DEAD END)へと、導く門へと導いてください。
それは、みずからの”生”が、生まれる瞬間である。




















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