こんにちは。今日は、朝の気温が氷点下ぎりぎりとなりました。今年は、冬の到来が早いのでは、と感じる朝でした。
今日、たまたま「リーダーシップなくして仕事は無い」というタイトルの記事を読みました。日本の大学の教授の方が、インタビュアーに答える形の記事でした。その中で、「大切なのは、当事者意識を持つことです。チームの目の前にある課題を自分の問題と考え、自分の責任で問題を解決する。独立採算的な考え方で現況を乗り超える覚悟を持つということです。」と、この教授はおっしゃっていました。
最近、私もある2つの体験を通して、”当事者意識を持つということ”について考えていました。
ひとつは、先日、日本のある国立大学の大学院生たちのボストン研修旅行の夕食会にお招きいただいたときの体験です。大学院生、そして既にマスターを取得してPhDの取得を目指している生徒さんたち、教授の方々、そして大学職員の方々の総勢30名ほどでしょうか、ボストンにありますハーバード大学、MITなどの大学との交流イベントやセミナーに参加されていたようです。同じテーブルに同席したのは、職員や教授の方々3名、女子生徒さん2名、男子生徒さん3名でした。生徒さんたちとお話しながら強く感じたことは、当事者意識がとても希薄な点でした。私がこの世代の生徒さんたちに意見や考えを訊いてみたかったこと。たとえば、移民問題についてーどんどん高齢化が進み、少子化問題もなかなか解決されない中、これから日本国内で必要となってくる労働力をどう補っていくのか?たまたま、前クリントン大統領が講演の中で、この日本の問題に触れ、日本はこれから移民を受け入れるのか、それとも女性をどんどん活用するのか、それとも両方の政策を早急に進めなくてはいけない状況にある、と話していました。この問題について生徒さんたちに意見や考えを訊いてみたところ、こんな問題があることをはじめて聞いたかのような反応でした。生徒さんの中に、代替エネルギーとして新しい電池の開発に興味をもっている生徒さんがいらしたので、原発について、これから日本はどうしたらよいのか、考えを訊いてみたところ、やはりまるで人事のような反応で、自分の意見や考えを何も聞くことができませんでした。
グローバルな人材を育てなければいけないという政策から、この国立大学の生徒さんたちの海外研修旅行も実現したようですが、これから社会に出ていくこの世代の人たちこそが直面していく問題に対して、当事者意識の希薄さに驚きました。
もうひとつは、この9月から高校留学をスタートした生徒さんとの体験です。この生徒さんの体験は、言葉だけでなく、根本的なシステムも異なるアメリカのボーディングスクールに日本から留学した生徒さんのほとんどが通る、通るべき道とも言えるでしょう。授業選択、単位、成績管理を学校や親任せでなく、生徒自身に求められることもありますが、日本人生徒さんたちが一番戸惑うことは、自分でアクションを起こすということです。学校によっては、留学生のために、入学1年目は理数系や歴史の授業を留学生用に用意する学校もありますが、そうでない学校もあります。この生徒さんは、いきなり理数系の授業を他の同学年の生徒たちといっしょに受けることになり、その日出された宿題の内容さえわからないことがありました。日本の学校では、内容はともかく、宿題や課題は決められた期日まで提出することが要としつけられていることもあり、とりあえず白紙のまま宿題を出すこともあったそうです。先生に失礼のないよう、「やってみたけれどわからなかった」というメモを添付することもあったそうです。しかし、先生からは何も反応がありませんでした。
そこで、手をこまねいてたたずんでしまったのです。自分の置かれている困った状況について、各教科の担当教師やアドバイザーと呼ばれる先生に自ら相談することができなかったのです。中間テストの結果から、私や保護者の方も、初めてこの生徒さんの状況を知ることになりました。保護者の方いわく、日本の学校では、とにかく先生とコンタクトを個人的に取らずに済むよう気をつけていることが大事だったそうです。先生と話すことは呼び出された結果であり、問題児とレッテルを貼られてしまうのだそうです。
この生徒さんに必要だったことは、まず、自分自身が置かれている状況について、当事者意識を持ち、状況を判断すること、でした。そして、非常に恵まれた環境であるボーディングスクールが提供しているツールを積極的に利用し、自分の抱えている問題を解決し、さらには自分のことを向上させていくアクションを自ら起こすことでした。この生徒さんは、これまでの既成概念の壁を越えて、まず自らアドバイザーの先生に相談に行きました。その後、各教科の教師との個人レッスンを週1回お願いできるようになり、上級生にも個人的に英語を見てもらえるようになったのです。ひとつひとつのステップには、大変な勇気とエネルギーが必要だったと思います。しかし、自らアクションを起こした結果、振るわなかった教科の成績も向上しています。この生徒さんとお話したときに、「ここでは、残念ながら、わかってちょーだい!ということは通用しないのよ。」と伝えました。面倒だけど、ひとつひとつ自分で動いてこそ、アクションを起こしてこそ、物事が展開していく社会なの、と。黙っていると、すべてAll setと理解されてしまうだけです。
保護者の方が常に数歩先に歩み、すべてお膳立てした上での子育てと、”当時者不在的なカルチャー”が、日本でどんどん加速しているように思うのは、私だけでしょうか。。。
高校留学、そしてサマーキャンプやサマースクール参加は、打たれても失敗しても無邪気に受け止め、へこたれずにチャレンジできる順応性をもったころに体験するからこそ、実り多き体験となるのでしょう。どんな些細な小さなことでも、困ったことがあれば自分でなんとか行動を起こし、自ら解決しなくてはいけない環境に、子供たちを放り込んであげる、という事に尽きるのでは、と考えています。
今日、たまたま「リーダーシップなくして仕事は無い」というタイトルの記事を読みました。日本の大学の教授の方が、インタビュアーに答える形の記事でした。その中で、「大切なのは、当事者意識を持つことです。チームの目の前にある課題を自分の問題と考え、自分の責任で問題を解決する。独立採算的な考え方で現況を乗り超える覚悟を持つということです。」と、この教授はおっしゃっていました。
最近、私もある2つの体験を通して、”当事者意識を持つということ”について考えていました。
ひとつは、先日、日本のある国立大学の大学院生たちのボストン研修旅行の夕食会にお招きいただいたときの体験です。大学院生、そして既にマスターを取得してPhDの取得を目指している生徒さんたち、教授の方々、そして大学職員の方々の総勢30名ほどでしょうか、ボストンにありますハーバード大学、MITなどの大学との交流イベントやセミナーに参加されていたようです。同じテーブルに同席したのは、職員や教授の方々3名、女子生徒さん2名、男子生徒さん3名でした。生徒さんたちとお話しながら強く感じたことは、当事者意識がとても希薄な点でした。私がこの世代の生徒さんたちに意見や考えを訊いてみたかったこと。たとえば、移民問題についてーどんどん高齢化が進み、少子化問題もなかなか解決されない中、これから日本国内で必要となってくる労働力をどう補っていくのか?たまたま、前クリントン大統領が講演の中で、この日本の問題に触れ、日本はこれから移民を受け入れるのか、それとも女性をどんどん活用するのか、それとも両方の政策を早急に進めなくてはいけない状況にある、と話していました。この問題について生徒さんたちに意見や考えを訊いてみたところ、こんな問題があることをはじめて聞いたかのような反応でした。生徒さんの中に、代替エネルギーとして新しい電池の開発に興味をもっている生徒さんがいらしたので、原発について、これから日本はどうしたらよいのか、考えを訊いてみたところ、やはりまるで人事のような反応で、自分の意見や考えを何も聞くことができませんでした。
グローバルな人材を育てなければいけないという政策から、この国立大学の生徒さんたちの海外研修旅行も実現したようですが、これから社会に出ていくこの世代の人たちこそが直面していく問題に対して、当事者意識の希薄さに驚きました。
もうひとつは、この9月から高校留学をスタートした生徒さんとの体験です。この生徒さんの体験は、言葉だけでなく、根本的なシステムも異なるアメリカのボーディングスクールに日本から留学した生徒さんのほとんどが通る、通るべき道とも言えるでしょう。授業選択、単位、成績管理を学校や親任せでなく、生徒自身に求められることもありますが、日本人生徒さんたちが一番戸惑うことは、自分でアクションを起こすということです。学校によっては、留学生のために、入学1年目は理数系や歴史の授業を留学生用に用意する学校もありますが、そうでない学校もあります。この生徒さんは、いきなり理数系の授業を他の同学年の生徒たちといっしょに受けることになり、その日出された宿題の内容さえわからないことがありました。日本の学校では、内容はともかく、宿題や課題は決められた期日まで提出することが要としつけられていることもあり、とりあえず白紙のまま宿題を出すこともあったそうです。先生に失礼のないよう、「やってみたけれどわからなかった」というメモを添付することもあったそうです。しかし、先生からは何も反応がありませんでした。
そこで、手をこまねいてたたずんでしまったのです。自分の置かれている困った状況について、各教科の担当教師やアドバイザーと呼ばれる先生に自ら相談することができなかったのです。中間テストの結果から、私や保護者の方も、初めてこの生徒さんの状況を知ることになりました。保護者の方いわく、日本の学校では、とにかく先生とコンタクトを個人的に取らずに済むよう気をつけていることが大事だったそうです。先生と話すことは呼び出された結果であり、問題児とレッテルを貼られてしまうのだそうです。
この生徒さんに必要だったことは、まず、自分自身が置かれている状況について、当事者意識を持ち、状況を判断すること、でした。そして、非常に恵まれた環境であるボーディングスクールが提供しているツールを積極的に利用し、自分の抱えている問題を解決し、さらには自分のことを向上させていくアクションを自ら起こすことでした。この生徒さんは、これまでの既成概念の壁を越えて、まず自らアドバイザーの先生に相談に行きました。その後、各教科の教師との個人レッスンを週1回お願いできるようになり、上級生にも個人的に英語を見てもらえるようになったのです。ひとつひとつのステップには、大変な勇気とエネルギーが必要だったと思います。しかし、自らアクションを起こした結果、振るわなかった教科の成績も向上しています。この生徒さんとお話したときに、「ここでは、残念ながら、わかってちょーだい!ということは通用しないのよ。」と伝えました。面倒だけど、ひとつひとつ自分で動いてこそ、アクションを起こしてこそ、物事が展開していく社会なの、と。黙っていると、すべてAll setと理解されてしまうだけです。
保護者の方が常に数歩先に歩み、すべてお膳立てした上での子育てと、”当時者不在的なカルチャー”が、日本でどんどん加速しているように思うのは、私だけでしょうか。。。
高校留学、そしてサマーキャンプやサマースクール参加は、打たれても失敗しても無邪気に受け止め、へこたれずにチャレンジできる順応性をもったころに体験するからこそ、実り多き体験となるのでしょう。どんな些細な小さなことでも、困ったことがあれば自分でなんとか行動を起こし、自ら解決しなくてはいけない環境に、子供たちを放り込んであげる、という事に尽きるのでは、と考えています。