先日の日曜日は朝から様々な行事が行われましたが、そのうちコミュニティセンターで行われた「れきみん文化講演会」の模様をお知らせします。
今回の講師は秋田大学名誉教授で古代史が専門の新野(にいの)直吉先生で、「雄勝城は雄勝郡に建てられた」という極めて分かりやすい題でのお話でした。
新野先生は今年90歳の卒寿を迎えられましたが、かくしゃくとしておられ、ユーモアも交えて楽しくも為になる講演でした。
先生は、昭和30年代後半の助教授時代に、まぼろしの雄勝城発掘のため羽後町を何度も訪れて、ひばり野グランド一体を発掘調査して以来、一環して雄勝城は羽後町にあると主張しておられます。
雄勝城は天平五年(733年)の奈良時代後期に雄勝村に建てられたことが「続日本紀」に記されていますが、場所が特定できずまぼろしの城として論争が続けられてきました。
有力な擬定地だった仙北の払田柵は、柵木の年輪調査から平安時代初めに建てられたことが明らかになり、雄勝城ではないことが分かりました。
先生は、私が住んでいる「郡山」や「城神巡り」「杉宮」などの地名は、雄勝城にゆかりのある地名である、と断言されていました。
私の家が建つ場所は他よりも高台にあり、雄勝城が建っていたとすれば、私は何十代目かの城主になるかもしれません。
先生のお話を聞いて、しばし古代のロマンに浸ることができました。