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「陸軍中野学校の光と影」を読む

2025-04-03 17:07:01 | 戦争
「陸軍中野学校の光と影」を読む
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」379/通算810 2025/令和7年4/3 木曜】 3/31、多摩川の支流、二か領用水沿いの桜並木は満開、早朝から4月に小学生になる子供たちらが半ズボンにピカピカのランドセルを背負ってママさんや写真屋の記念撮影に応じていた。
1951/昭和26年生まれの小生の小学生時代はノンビリしていたものだが、競争社会が進んでいる今は学習塾などでの勉強や習い事があるから忙しい。子供に限らず中学、高校、大学、大学院、さらに職場での競争、ハイテクの日進月歩もあるから、ノンビリなんぞしていられないようだ。毎日が競争!どこでも戦争! 気の毒な感じがするが・・・

競争だから勝ったり負けたり、人生いろいろになる。「勝ち組、並、負け組から乞食までいるのが普通の国」と言ったのは山本夏彦翁だった。今の先進国は乞食を保護してカネを与えているから、乞食は反省しないどころか「当然の権利だ」と偉そうにしているよう。2009年頃に吉原遊郭のあった近くの「山谷」界隈に行ったら、朝っぱらから飲んだくれて道路で寝ている酔っ払いや、国の費用で頭蓋骨に穴をあけた手術をしたらしい頭の人がいて、なにやら魑魅魍魎、別世界の趣。夏彦翁もビックリだろう。

その一方で60歳、70歳あたりまで好きな仕事に就いて、リタイア後は退職金や年金などで悠々自適、面白おかしく暮らす人は、小生の先輩(月に手取り60万円以上)を含めて多いだろう。また、仕事は単純労働で面白くないし給与もパッとしないけれど好きな趣味を楽しみノンビリ暮らすとか、そういう多彩な生き方があっても良いだろう。

しかし、基本的に健康な身体髪膚の大人の人間、自立可能な一人前の国民は、「国家に頼る」のではなく「国家を支える」のが正当ではないのか、と小生は思うのである。小さな国の日本はそうやって強国、列強になっていったのだ。「大日本帝国」は一夜にしてならず、先人の努力のたまものである。
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このところスティーブン. C.マルカード著、秋塲涼太訳「陸軍中野学校の光と影 インテリジェンス・スクール全史」(初版2022/8/4、芙蓉書房出版、2970円/税込)を読み返している(2回目)。小生は編集者時代にときおり「書評」も書いていたから、ものすごいスピードで読むものの、書評を書き終えるとほとんど忘れてしまう。今振り返って思うに、ちっとも「読書が血肉になっていないよう」で情けない気分になることがある。しかし考えようによっては、リタイアした今は一気呵成に読む必要なんてないし、結果的に「何度読み返しても楽しめるのは結構なこと」かも知れない。

「陸軍中野学校の光と影」を訳した秋塲涼太氏・・・なんと2022年の日本語版上梓当時は36歳!という若さだった。著者のマルカード氏が英語版「The Shadow Warriors of Nakano: A History of The Imperial Japanese Army’s Elite Intelligence School」を上梓したのは2002年で、20年遅れての日本語版だが、秋塲氏の努力と芙蓉書房出版の熱意が実った作品と言える。

秋塲涼太氏のプロフィールは<あきばりょうた:1989年生まれ。本稿上梓の時は36歳。特殊作戦・低強度紛争(SO/LIC)個人研究家。米ミドルベリー国際大学院モントレー校大量破壊兵器不拡散・テロリズム研究修士課程修了。米国防総省ダニエル. K. イノウエアジア太平洋安全保障研究センターにて研修生として特殊作戦領域の研究等に従事。防衛省陸上自衛隊情報科勤務を経て、個人にて研究を継続中>

マルカード氏も凄い。元CIA情報分析官である。<1984年バージニア大学卒、1988年コロンビア大学国際公共政策大学院修士課程修了。在学中に日本語を習得。1991年に米中央情報局(CIA)に入局。東アジア情報の専門家に。2001年、CIAの学術雑誌でStudies in Intelligence Awardを受賞>
以下、「陸軍中野学校の光と影 インテリジェンス・スクール全史」の前書きから以下引用する。
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1945年9月2日、アジアにおける第2次世界大戦が終結を迎えた。日本の降伏は、ダグラス・マッカーサー元帥をはじめとする連合国代表団を前に、降伏文書への署名をするという形がとられた。巨大戦艦ミズーリ上で行われたこの調印式は、日本の完敗を印象付けるため、効果的に計算された数百機もの米軍機が轟音をあげて上空を通過する中で執り行われた。日本が目論んだアジア圏全域に対する日本帝国の拡大は、灰と化した。

日本の大敗は、連合国の中でもヨーロッパ諸国にとって、アジア圏における彼らの帝国を取り戻す契機でもあるように見られた。米国はこの大戦の前にフィリピンの独立を約束するも、米国の同盟諸国はアジアにおける再支配を目論んでいた。結局のところ、ヨーロッパの強国が四世紀以上にわたってアジアを支配してきたのだ。
1498年にポルトガル人海洋探検家のヴァスコ・ダ・ガマがインドに到着してから、ヨーロッパ人はアジア圏のほぼ全域を征服、または実効支配していった。唯一、日本だけが西洋諸国への服従から逃れることに成功し、自身の帝国として強国と肩を並べたのだ。大戦初期のヒトラーの勝利に望みをかけ、日本の指導者たちは、英国、オランダ、フランス、米国を、それぞれのアジア圏植民地から立ち退かせるために参戦した。

第1次世界大戦では、日本は戦勝国に付き、ドイツ帝国の支配していた太平洋諸島を英国と分配した。しかし、第2次世界大戦では、敗戦国側に付くこととなる。この選択は「罪を犯すよりも愚かである」というフランス人政治家(*)の言葉を借りるのであれば、日本は過ちに加担したのだ。(*:シャルル・ルイ=ナポレオン・ボナパルト、通称「ナポレオン3世」か)

敗北へと向かう最中ではあったが、大日本帝国はアジア圏におけるヨーロッパ支配の時代に終止符を打ったのだ。戦時下、日本軍は「アジア主義」という魔神の栓を開けてしまった。アジア人は西洋の植民地軍がアジア人の力によって一掃されるのを目の当たりにした。戦後のアジアで初めて指導者として台頭した民族主義者たちは、戦時中、日本と共闘する中でその力を体感した。彼らは、植民地の隷属に戻ることを拒むアジア主義に目覚めた民衆を統率した。戦争は、アジア全域において、民族主義という火種を、消し去ることのできない大火としてしまったのだ。

こうして戦後、英国、オランダ、フランスの各植民地再建は失敗に終わった。戦時中、インド大帝国を手中に収めていた英国は、1947年にインドの強い独立への要求を前に、亜大陸を諦めることとなった。1942年に日本に降伏したビルマは、1947年に英国から独立する道を選んだ。オランダはインドネシア軍等における再征服の失敗の後、1949年にインドネシアの独立を認めた。かつてのインドシナの帝国を取り戻すというフランスの野望は、1954年のディエンビエンフーの戦いでの敗北を機に消滅することとなった。

戦後、日本は先の大戦から復興し、再びアジアの大国としてその影響力を行使し始めた。1952年に日本へ主権が返還され、日本は貿易と援助を通じてアジアにおける影響力を行使し始めた。今日のアジアでは、日本はかつてのヨーロッパの支配者たちをはるかに凌駕する影響力を持つようになった。日本が戦時中に築き上げた帝国を失ってから長い年月がたった現在、アジア圏における日本の存在は、産業、商業、技術分野において非常に重要なものとなっている。政治的にも激しい争論となる軍事の分野でも特筆すべき点がある。それは日本が国連の平和維持活動への参加など、国際安全保障活動を通じて存在感を強めていることである。

開戦時の帝国陸軍内部には、西欧列強を東南アジア諸国から一掃するため、情報将校、コマンドー(勧善懲悪のヒーロー)として戦った軍人たちがいた。その多くは米英軍との戦いで戦死した。また戦後、ソビエトの捕虜となり命を落とした者もいた。一方で、生き残った者の中には、ソビエトとの冷戦の陰で米情報将校と共闘した者もいた。そして、日本を再建し、失われた領土取り戻し、日本の歴史を取り戻すために奔走した者もいた。

1931年、大日本帝国陸軍は宣戦布告のない戦争を中国に対して起こす一方で、ソ連に対する戦いへの備えをしていた。当時、情報任務に適した要員が不足しており、帝国陸軍は陸軍きっての秀才たちに、情報収集と隠密作戦の訓練を実施する機関の設立を命じた。翌年、198人の予備役で構成された選抜部隊が1年間の秘密訓練を開始した。時を同じくして、軍当局は首都郊外に隠密作戦を支援する研究機関を設立した。
この訓練期間はその頃には、東京都中野区の地にちなんで「中野学校」と称され、1945年の終戦を迎える夏に解体されるまでの間、帝国陸軍が誇る最高峰の情報専門家数十名によってよって2500人以上が訓練された。また、「中野学校の要員が必要とする秘密装備や特殊武器を開発するため、登戸研究所(*)と関連機関で数千人規模が動員された。(*:30年ほど前にはボロボロになっていたが建物は残っていた)

中野要員は、その才能を活かし、南米から南太平洋を股にかけて情報収集を行い、世界中で数えきれないほどの任務に従事していた。中には、インドや東南アジアでのヨーロッパの植民地支配を弱体化させるために隠密作戦を展開した者がいた。その一方で、ソ連の国境沿いで戦時下を過ごし、ソビエトの侵攻の兆候を監視していた者もいた。日本の傀儡(かいらい)帝国であった中国北東部の満州国では、共産ゲリラの討伐にあたる者もいた。他にもニューギニア、フィリピン、沖縄でコマンドーとして強襲に参加した要員らがいた。日本本土では、中野要員は国内反戦勢力への警戒警備を実施し、最終本土決戦へ備え、住民を遊撃戦補助要員として訓練した。

1945年8月、米国の原爆投下、ソビエト参戦を受け、日本が降伏を余儀なくされた後も、影の戦士たちの戦いは続いた。大戦末期、不運にも満州で赤軍に捕獲された中野要員は、ソビエト管轄の広大な収容所で捕虜として死を迎えた者もいる。1945年にソビエトの情報機関の捜査網にかかりながらも生き残った日本の情報将校達は、1956年になってようやく抑留から解放され日本へ帰国した。米国の情報機関は、進行する冷戦下において中野学校出身の退役軍人に目を向け、彼らの能力を利用しようとした。占領期間、さらには朝鮮戦争の間を通して、数多くの帝国陸軍の情報退役軍人らが米陸軍を支援した。

日本が主権を取り戻した後、戦後の自衛隊や警察の情報機能に対して才能を発揮した者がいた。戦時下の日本とパートナーを組んでいた国との関係を再構築するのに貢献した者もいた。例を挙げれば、1960年代のビルマで、中野学校の「OB」達は、戦前から日本の隠密作戦に参加していたビルマ指導者のネ・ウィンと日本との関係構築に貢献した。この他にも、失われた領土を取り戻す試みとして、米国からの沖縄奪還や、ロシアからの北方領土奪還への継続的な活動に従事していた。

中野学校の退役軍人達は、第2次世界大戦における日本の犯罪的侵略に対する連合国側の判決は、戦勝国の正義を貫くものだと主張している。日本の与党やマスコミの有力者とコネのある中野OB達は、第2次世界大戦の本質をめぐる議論を国民に投げかけていた。国内外のリベラル派の間では、依然として日本が侵略戦争という不法行為を行ったという判決に基づく見解が支持されている。しかし、この中野OB達が主張する見解が、日本国内の世論を大きく覆したのだった。

戦時中や戦後の活躍にも関わらず、こうした中野出身者の多くは影を潜めたままである。唯一世界で広く知られている人物が小野田寛郎(おのだひろお)少尉である。小野田は1974年にフィリピンのジャングルから生還し、世界の注目を集めた。日本では長年にわたって中野学校に関する数多くの記事や書籍が登場したが、それ以外の国では中野学校に関してほぼ公になることはなかった。これは、米国の戦略情報部(OSS)や英国の特殊作戦執行部(SOE)などに相当する日本の情報機関の活躍や史実が、世界のインテリジェンス史から完全に抜け落ちてしまっていることを意味する。インテリジェンスにとっての大きな痛手である。

この本を書いた目的の一つは、中野学校の歴史に光を当てることである。OSSやSOEに引けを取ることなく中野学校出身者たちは戦時下、そしてその後の日本に仕えた。彼らの歴史は語り継がれるに値するものだ。もう一つの目的は、米国やその他の国の読者に日本のインテリジェンス史についてより良い理解を持ってもらうことだ。日本が20世紀の大国の一つとしての地位を獲得したこと、またインテリジェンスにおける日本の非常に優れた能力の双方を考慮に入れると、日本のインテリジェンス史というものは、より注目すべきものである。この本がこうした理解を産むことに貢献できるとしたら、著者として非常に嬉しい。(以上)
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感動的な作品である。是非ご購読をお勧めする。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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中露の結束はキツネとタヌキの騙し合い

2025-03-29 20:46:22 | 戦争
中露の結束はキツネとタヌキの騙し合い
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」378/通算809 中露は結束を強めている 2025/令和7年3/29 土曜」
27~28日に埼玉県に暮らす長男坊の娘2人が春休みを利用して1年振りにやって来た。我が家の周辺に暮らす娘2人の子供2人もやって来たので大賑わい。カミサンは美味しいものをいっぱい作って歓迎したが、かなり疲れたよう。小生は4階の屋上展望台の西側のペンキ塗りでヘロヘロ。どうも70歳を過ぎると「気力はあっても体力は落ちるから無理をしない」がヨサゲのようだが・・・

散歩がてらに工事現場で働く70歳前後の職人を観察していると、「無駄な動きをしない、無理をしない、できるだけ機械を活用する」といった感じ。小生は直近の記憶力が劣化して○○を取りにキッチンに行ったりすると、その数秒間で「何を取りに行ったのか」を忘れてしまい往生している。ブログ「頂門の一針」の渡部亮次郎氏は確か70歳の時に必死でパソコンを学んでブログを始めたと記憶しているが、小生は74歳でかなりの激しい経年劣化だ。忘れないようにメモしても、メモをどこに置いたかを忘れてしまう・・・つける薬なし!

劣化はオツムだけではなく、耳は遠くなるし、目はかすむ、こうなれば葬式用の写真を準備すべしと髭を剃り、お気に入りの服を着て息子に写真を撮ってもらった。あっ、戒名はどうする? 我が一族の菩提寺、真言宗豊山(ぶざん)派の常照寺は源平合戦の戦国時代は多摩丘陵の向ケ丘城塞の役目を果たしたと言われている勇武の寺。戒名は「覚法正修信士霊位」、葬儀とお骨上げは地元の「くらしの友・津田山総合斎場」にしてもらおう。
遺産は・・・基本的にカミサン半分、残る半分は一子相続を基本にして欲しいが・・・世話になっている税理士さんに早めに相談しておこう。

やるべきことはどっさりあり、考えただけでグッタリする。しかし、「考える」と脳みそが活性化して饒舌になるというのは面白い。つまり無我夢中になって「問題や疑問を解いて行く」ことは経年劣化を抑制する効果があるということだ。渡部亮次郎氏が89歳でも連日ブログを発信しているのは、その効果を証明していると言える。小生も踏ん張るべし! 強(したたか)に生きるべし!
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産経2025/3/28「緯度経度」 遠藤良介・外信部長兼論説委員の「トランプ氏は安倍元首相の轍を踏まないで 停戦交渉で焦り禁物 中露の離間は容易でない」は共産主義独裁国家の強(したたか)さを指摘していた。以下、全文を転載する(形容詞は概ね削除)。
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<トランプ米大統領が進めているウクライナ侵略戦争の停戦交渉は非常に難しいものだ。「撃ち方やめ」の停戦まで行ったとしても、そこから先の本格交渉で難航が予想される。
ロシアのプーチン大統領はウクライナという独立国家の骨抜きと傀儡(かいらい)化を狙っており、ウクライナが譲れる一線をはるかに越えている。プーチンはまた、冷戦終結後の国際秩序を覆そうとしているため、ウクライナにとどまらず、広く欧州の安全保障についてもトランプに要求を突きつけてくるだろう。
トランプに望みたいのは、功を焦らず、公正で確かな和平を実現してほしいということだ。

筆者は2月、ウクライナで全面侵攻後6度目の現地取材をしたが、ウクライナ人は一般にイメージされているほどには疲れていない。多くの人が停戦を望んでいるが、それは決して無条件に即時停戦をということではない。停戦後の「独立の維持」や「安全の保証」は絶対条件であり、継戦能力という面でも交渉には時間的猶予がある。

対露外交で教訓となるのは、安倍晋三元首相が行った北方領土交渉だ。安倍氏が戦略眼を持った類いまれな首相だったことは論をまたないが、対露交渉だけは失敗した。プーチン氏と27回の首脳会談を行い、日本では北方領土返還への期待が高まったが、残念ながら成果はなかった。
安倍氏は長らく停滞していた領土交渉を動かしたいとの熱意から、「私とプーチン氏の間で平和条約を結ぶ」と繰り返し決意を語った。しかし、プーチンが呼応する発言をしたことはなく、安倍氏は交渉期限を区切ったことで足元を見られる形となった。
安倍氏は2016年、「新しいアプローチ」による平和条約交渉を唱え、8項目の経済協力プランを提示した。北方四島での共同経済活動も打ち出した。14年のクリミア併合で欧米が対露制裁を科していた中での提案だったが、交渉進展にはつながらなかった。

2018年の日露首脳会談では「日ソ共同宣言(1956年)に基づいて平和条約交渉を加速させる」と合意した。共同宣言には「平和条約の締結後に色丹、歯舞を引き渡す」との項目があり、安倍氏は2島返還にかじを切ったに等しかった。

しかし、プーチン氏はこうした譲歩に応えるどころか、日本は北方四島返還の原則を放棄したものとみて増長した。「ロシアに領土問題は存在しない」とゼロ回答をよこし、日米安全保障条約が交渉の障害だとも主張した。日本が譲歩するほど高飛車な態度に出たのである。

安倍氏とトランプ氏に共通するのは、より深刻な脅威だと考える中国に注力するため、ロシアとの問題を解決してわが方に引き寄せたいとの思考だ。米国がニクソン政権期、ソ連を孤立させる狙いで中国との国交正常化に動いたことの逆張りであり、「逆ニクソン戦略」と呼ぶ専門家もいる。
この戦略自体は否定すべきものでなく、あらゆる努力があっていい。ただ、ニクソン政権期には中ソのイデオロギー対立や国境紛争があったのに対し、今日の中露は「無限の友好」をうたう準軍事同盟の関係にある。米欧主導の国際秩序に挑むという共通目標が中露を固く結びつけている。
「逆ニクソン」はきわめて難度の高いものであり、ウクライナで拙速なディール(取引)をすれば、それこそが中国の台湾侵攻を誘引しかねないと肝に銘じるべきである。(以上)
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上記を読んでいたらロシア革命をリードしたレーニンを思い出した。彼は表の顔と裏の顔があり、相当な役者だったとか。WIKIにはこうある。
<歴史学者ロバート・サーヴィスによれば、レーニンは自分が宿命を負った人間 (man of destiny) であると考えており、自らの理想の正しさと革命指導者としての能力に少しの疑念も抱いていなかった。
サーヴィスによれば、若き日のレーニンは非常に感情的であり、皇帝の権威に対して強い憎悪を示すのと同時に、マルクス、エンゲルス、チェルヌイシェフスキーといった思想家達への「愛情」を培い、彼らのポートレイトを所有し、私的な会話の中で自らがマルクスとエンゲルスを「愛している」とも語っていた。
ドミトリー・ヴォルコゴーノフの見解では、レーニンはマルクス主義を「絶対的な真理」と捉えており、「宗教的な狂信者」のように振る舞っていた。バートランド・ラッセルもまた、レーニンが「マルクス主義の福音への確固たる、宗教的な信仰」を有しているとの印象を抱いた。それらの指摘にもかかわらず、レーニンは無神論者であり、また宗教の批判者であった。レーニンは無神論が社会主義の前提であると理解しており、したがって「キリスト教社会主義」は名辞矛盾であると考えていた。

複数の伝記作家によれば、レーニンは反論されることを許容できず、しばしば自分と異なる率直な意見をはねつけたほか、自らの見解にとって不都合な事実を無視し、妥協することを極度に嫌い、間違いを認めることは非常に稀だった>
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1917/大正6年のロシア革命は世界に大きな影響を与え、日本でもごく一部で「大正デモクラシー」につながったようであるが、日本を含む第一次世界大戦の連合国は1918~1922年までの間にロシア革命に対する干渉戦争「シベリア出兵」を始めた。日本は1918年8月11日のウラジオストク上陸以来、増兵を繰り返して協定兵力を大きく超える兵力7万2000人を派兵。ハバロフスクや東シベリア一帯を占領したが、日本の反ボリシェヴィキ政権樹立工作は酷寒とパルチザンの抵抗にあって不成功に終った。
当時から欧州勢は共産主義に甘いと言える。一度アカ、一生アカ・・・日本でも未だにアカの議員が跋扈している。情けない話だ。

産経2025/3/26「世界を解く-E・ルトワック『習近平氏「強国路線」の夢を阻む米露の力学 中露 「蜜月」の瓦解は不可避』から。(敬称はカット)
<トランプ米大統領の安全保障戦略の最優先課題が中国への対応であることは周知の事実だ。トランプは、そのためにウクライナ戦争を最良の条件で終結させてロシアと中国の戦略的連携の解消につなげ、今後一層激化するであろう米中の対立でロシアを中立的な立場に置くことを目指している。問題は、現在は中国と蜜月関係を築いているとされるロシアが米国の思惑通り中立に回るかどうかだ。

トランプは、米中対立を巡って、ロシアが米国の味方をするとは期待していない。また、ロシアが中国を積極的に支援することもないはずだ。なぜならばロシアは、中国が露極東地方に対する領土的野心を強めていることを強く警戒しているからだ。

◎:▼ロシア地図に清朝時代の地名を「併記」  中国の政府機関は2023年、露極東地方の8カ所の地名に関し、地図上でロシア語の地名に加え、中国領だった清朝時代の中国名も併記することを義務付けた。露太平洋艦隊の本拠地であるウラジオストクは「海参崴」、極東地方最大の都市ハバロフスクは「伯力」と表記される。
これらの地域はかつて清朝の一部だった。だが、清朝が英仏連合軍と戦って敗れたアロー戦争(1856~60年)後、清朝が講和の仲介役を務めた帝政ロシアとの間で結んだ北京条約に基づきロシアに割譲された。
中国政府による中国名併記の措置に極東地方の人々は強い不安を募らせた。プーチン露大統領もまた、自ら認めることは決してないものの中国が極東地方の領有権を主張してくることを恐れている。

米中対立でロシアが中国に加勢し、結果的に中国の立場が強まれば、次は中国の野心の矛先がロシアに向かい、極東地方の返還を突き付けられかねない。中国は既に林業で極東地方への権益拡大を図っている。ロシアは必然的に米中対立から距離を置かざるを得ない。

中国からしてみれば、極東地方は過去の歴史で外国勢力から奪われた領土の中で最大といえる。中国は香港やマカオをはじめとする領土の回復を進めてきた。極東地方という歴史的な遺恨を抱える中露は歴史的な敵対関係にあり、現在のような友邦関係を維持することは不可能だ。
地図を見れば一目瞭然だが、ロシアは北から中国に覆いかぶさる位置にある。ロシアが米中対立を巡って中立を保てば、中国が北極圏のロシア領を経由して北方から米国を脅かすリスクも大幅に減る。

トランプがウクライナ和平と対露関係の安定化を目指すのは、インド太平洋地域での危機がますます差し迫っているとの認識があるためだ。中国の習近平が「中国は戦う国家であることを世界に示す」などという夢想を捨てない限り、習が仕掛ける形で戦争が起きる恐れは高まっていくだろう。
中国は米国との全面戦争に備えているわけではない。米国もまた、そうした事態を想定していない。中国が準備を進めているのは、宿願である台湾の統一に向けた武力侵攻と、台湾有事の際に米国が経済封鎖に踏み切ることを見越して食料自給率を上げることだ。

◎:▼台湾上陸想定、巨大なはしけ  実際、中国は台湾への上陸作戦を想定したとみられる巨大なはしけの建造を進めている。今年に入って公開された画像によると、はしけには舳先(へさき)から長さ120メートル以上の「橋」が付いており、搭載された戦車や軍用車両が海上から直接沿岸部の道路に上陸できる構造だ。
習がいわゆる「強国」路線を推し進めているのは、中国が古くは契丹や満州族、最近では欧州や日本など、征服王朝や列強に支配され続けた歴史を背景に、中国がいつまた外国勢力に侵略・支配されるか分からないとの強迫観念にとらわれているためだ。

一国、ひいては世界の命運が一人の男の妄念に左右されるのはばかげている。だが、文化大革命や下放政策で多くの中国人の人生を破滅に追いやった毛沢東、ナチス・ドイツのヒトラー、ソ連のスターリンなどの例をみても明らかな通り、歴史は一個人の強迫観念によって形作られてきたというのが人類の悲しい教訓なのだ。(聞き手 黒瀬悦成)
◇エドワード・ルトワック 米歴史学者。米国家安全保障会議(NSC)などでコンサルタントを務め、現在は政策研究機関「戦略国際問題研究所」(CSIS)上級顧問。安倍晋三元首相に戦略に関して提言していた。1942年生まれ。>以上

中露北は結束を強めているが、北朝鮮はロシアがでっちあげた傀儡国家、中共はロシアに擦り寄っているが、プーチンは習近平中共を「いつ反旗を翻すか分からない潜在的」と警戒しているに違いない。
フォーリンアフェアーズジャパンの4月号「反欧米枢軸と中国の立場――北京はロシア、北朝鮮をどうみているか」から。
<中国は、ロシア、北朝鮮、イランとある種の「枢軸」を形成しているという考えに激しく抵抗している。平壌の金正恩政権は、北京のいら立ちの大きな原因だし、中ロは協力しているとしても、その関係は同盟ではなく、「無制限」のパートナーシップからもかけ離れている。要するに、中国は、信頼できないメンバーで構成される反欧米枢軸を率いてアメリカと対立することが正しいのか、確信が持てずにいる。これは、ワシントンが、封じ込めの準備をしつつも、新たな外交努力を通じて中国の意図を試すチャンスを手にしていることを意味する。ワシントンは中国に、ウクライナでの戦争を終わらせるためにロシアを交渉テーブルに着かせる直接的な役割を与えるべきではないか>
いかにも米国民主党寄りのオメデタイ説だが、海千山千のプーチンが、ロシアに奪われた土地を奪還したい習近平の言うことを相手にするはずはない。中露の結束は一見すると美しいが、キツネとタヌキの騙し合いでしかないのだ。
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全体主義は左翼から生まれる

2025-03-27 15:07:14 | 戦争
全体主義は左翼から生まれる
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」377/通算808 どう生きる? 2025/令和7年3/27 木曜」 塩野七生先生の「サイレント・マイノリティ」(1985年、新潮文庫)から「全体主義について」の項を紹介する。長いのでキモをだけを整理し書き写しているが、それでも長くなってしまった。まあ勉強にはなるが・・・腰痛ヂヂイにはしんどかった。転んでもただでは起きぬ・・・そのうちパクリや痛みに効く良い方法を研究してみよう(セコイ!?)。以下、本文。
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◎:▼ 「全体主義」を辞書はこう解説している。《一つの政治上のドクトリンであると同時に、国家にあらゆることが吸収され、従属されることを第一義の目的とした体制を示す言葉でもある。全体主義政府は、国民に自由な政治上の活動を許さないだけでなく、経済から文化に至るあらゆる活動が独裁的な組織のもとに統合されることを何よりも目指す。全体主義とは自由主義とは反対の極に立ち、しばしば国家主義的であり、外国の強い勢力からの保護者として自ら認じ示す傾向を持つ》

我らが国日本が現在(1985年)全体主義の危険にさらされているとは私も思わない。だが(国民が)危険にさらされている(我が国は大丈夫なのか)と感じ始めた時はもう手遅れなのが全体主義の真の危険なところではないか。

全体主義的動向が台頭してくるのは「悪意」からであろうか? ノー、常に「善意」の所産である。「右翼」からであろうか? ノー、常に「左翼」と認ずる方向からである。旧世代の絶望から産まれるのだろうか? またも答えはノー。常に「新世代の希望」を発端にして生まれる。
有産階級がイニシアティーブをとる? ノー。無産階級とまではいかなくても、失うものをあまり持たない階級が常に温床になってきた。それは冷徹な計算から生まれるのか? ノー。常に情緒連綿たる心情が特色である。

全体主義は軍事的強制力がなければ実現しないのか? これは半分ノー。全体主義政体の無視できないいくつかの例を見ると、「人々の完全なコンセンサス(同意)」によって実現している。完全とまでいかないが、ほぼすべての人が多かれ少なかれ政府を支持している。
それは精神の腐敗によるのではないか? 答えはノー。彼らは概ね清潔、クリーンを好む潔白な人々で、彼らが主導力になって全体主義を進めてきたのだ。

私が全体主義や全体主義的動向を嫌うのは、確固とした信念があってのことではない。「人間性の自然に反する」と思うからである。何か一色で全部を塗りつぶすのは、種々様々なのが特色の人間性に対してムリ、不自然で、遅かれ早かれギクシャクしてくる。そのギクシャクを直そうとしてまた無理をするから制度としては非効率で、息が詰まりそうな、馬鹿げていて滑稽で、やりきれない気分にされる。

全体主義やファシズムは所持全般にわたってこのようなものであるが、悪人であっても能力のあるものに支配されるのならば我慢もするが、善人であってもアホに支配され、一色に塗りつぶされるというのは考えるだけでも肌に泡が立つ。
全体主義的な空気を頭脳の形成期間に吸ってしまった人は、一生自らの頭で自由に判断する能力を持てなくなってしまうことは問題だ。マキアヴェッリ曰く「自由なき政体下で生きてきた人は、たとえ自由を与えられてもそれを活用する術を知らない」と言っている。

(戦後のイタリアではファシズムが流行したが)ソ連の戦車がハンガリーに侵入して多くの西欧の良心的な共産党員や共産主義のシンパを失望させ離脱されていった。私は失望することの方がオカシイと感じた。人間的な共産主義(社会主義)なんてありえようはずがないのである。スターリンの方がよほど首尾一貫している。
バカなのはそういう社会が実現可能だと信じていた゛良心的なインテリ”たちである。私が(中露北のような)「真の共産主義者」なら、自称「良心的なインテリ」人間は社会に害毒を及ぼす人種と断じ、粛清でも何でもして消してしまったであろう。政治的センスのない「良心的な人々」が政治に口を出すことほど害なものはない。

ここ最近の某国の論壇動向を私は「論壇の私小説化」と見るが、間違っているであろうか。論理を駆使するはずなのに「私的」とか「私の」とかを頭につけた表題が多過ぎる。共通の論壇で戦うことを初めから拒絶しているようで、文壇ならいざしらず、「論壇人間」の取るべき態度とは思われない。
相対的な考え方を排して絶対的ななにものかを求める――気持ちはわからないでもないが、実に強靭な精神力を必要とするから、多くの人にそれを求めることほど非現実的なことはない。マジョリティはそれ一つですべてを律しきれるオールマイティでラクな考えを持つ方を好むのが゛自然”である。「論壇の私小説化」は進歩派の善意から言い出され、(共鳴した)若者が旗を持ち、少産階級が温床となり、クリーンで潔白で完全主義の人々が群れの先頭に立ち、しかもアジテーションを始めると、私は怖ろしいことになる危険を感じずにはいられない。それを強く強調すればするほど大衆の支持を得られ、やがて「サイレント・マジョリティ」と結びついた後は、全体主義は動向から完結への道を邁進するだけである。

コンセンサスをヒットラーもムッソリーニも大いに享受していた時期があった。しかし、文化は全体主義下では花開かないのである。それは他の分野でも同様で、文化史上の問題だけではないのだ。(以上)
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ここで終わりにしようと思っていたら、石平氏が「今ここにある日本の国難」を上梓(ビジネス社、2025年3月17日)、購入するつもりでチェックしたら「試し読みができる」というので以下転載する。

《トランプに手も足も出ない習近平にどこまで媚びるのか 中国と密約を交わした国賊「石破政権」は退場せよ! 山上信吾前駐豪大使との対談収録! 日本人よ、「媚中」石破売国政権に怒りの一撃を! 日本外交の根深い病巣を白日の下にさらす! 石平・著『今ここにある日本の国難』より「はじめに」を全文公開いたします。以下本文
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◎:▼はじめに:権力闘争できしむ習近平政権の瓦解 かねてより筆者は、2022年10月の党大会で中国の習近平主席とその側近グループが共産党最高指導部を独占することにより、習近平独裁体制が真に成立したと記してきた。ところがいまになって体制の中枢部において、習近平主席とナンバー2の李強首相との深刻な軋轢(あつれき)が生じている。

事の発端は2023年の10月、習主席が国家主席として初めて中国人民銀行(中央銀行)を訪問して現場指導を行なったことであった。その訪問に、李首相が随行も立ち会いもしていなかったことは大いに注目された。
本来、中央銀行はまさに首相の“直接所管(経済分野)”である。国家主席が首相の頭越しに人民銀行を訪問するのはまずは異例なこと。その訪問に首相が立ち会っていないのはなおさら異例なことであった。

どうやら習主席が金融危機の管理に対する李首相の仕事ぶりに不満を持ち、自ら現場指導に乗り出したのではないかとの観測が広がった。理由がどうであれ異例づくしの中央銀行訪問は、主席と側近の李首相との間に不協和音がすでに生じてきていたことを意味する。

その後、習主席が李首相抜きの重要会議を主宰することは度々あったが、昨年2024年5月にはとうとう習主席主宰の中央政治局会議が、れっきとした政治局常務委員である李首相”抜き”で開催されるという前代未聞の事態が生じた。

しかも当該政治局会議の討議テーマが「中部地方崛起(くっき)促進の政策措置」と「金融リスクを防止するための責任制度に関する規定」であった。それは本来、経済所管トップの李首相こそが出席しなければならない会議なのだ。

ここまで来たら、習主席による李首相排除はもはや明々白々の事実となっていたわけだが、対する李首相のほうも黙ってはいなかった。昨年7月あたりから“猛反撃”に出た。
2024年7月19日、その前日に閉幕した共産党三中総会の結果を受け、国務院、全人代常務委員会、政治協商会議、そして党の中央規律検査委員会という四つの最高機関はそれぞれ、「三中総会の精神を学習する」会議を開いた。

この四つの学習会のうち、全人代・政治協商会議・中央規律検査委員会の三つは一様に、「習近平総書記の指導的地位の確立と習近平思想の指導理念としての確立(二つの確立)」を訴え、指導者に対する擁護と忠誠を表明した。

唯一、李首相主宰の国務院会議は「二つの確立」に対する言及は皆無で、他の三機関との鮮明な“違い”を見せた。中国の政治文化のなかでは、それはまさに李首相による「習近平離反」の挙動として理解された。
そして昨年8月4日、李首相主宰の国務院会議は「消費・サービス業の発展促進に関する意見書」を公布。そのなかで「学習支援産業の発展促進」をサービス業促進の具体策として打ち出した。

しかしながら中国国内では2021年7月、他ならぬ習主席の意向を受けて事実上の「学習塾禁止令」が敷かれていた。したがって李首相主導の「学習支援産業の発展促進」は誰からみても、習近平政策からの180度の転換で、独裁者の習主席に対する事実上の〝造反”であるとみなされた。

こうして現在の政権の中枢部では、最高指導者の習主席と党内序列2位の李首相との軋轢が拡大、すでに顕在化しているわけである。中国共産党政権史上、政権のナンバー1とナンバー2との間の軋轢ないし権力闘争は付き物だ。ときには大きな政治動乱を生むこともあった。
例えば毛沢東時代、毛沢東はナンバー2の劉少奇とその一派を打倒するために「文化大革命」という名の“紅衛兵運動”を発動した。そして劉少奇に取って代わってナンバー2となった林彪元帥は、毛沢東に対するクーデターに失敗し、非業の死を遂げた。

すでに始まった習主席と李首相との対立は今後どういう結果を生むのだろうか。なお本書はユーチューブ「石平の週刊ニュース解説」をベースに、最新の現地情報や国際情勢の変化、ユーチューブ送信時には気付かなかった視点を加味し、大幅に加筆したものである。皆さんの参考になれば幸甚です。2025年2月 石平》以上
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中共中枢の内紛・・・゛建国の父”毛沢東と並ぶ”発展の父”を目指す習近平は、軍事力でアジア太平洋を共産主義化したい。一方で李強は経済発展(資本主義化?)を重視している。
私利私欲の中共軍は習近平に付くか、李強に付くか、「上に政策あれば下に対策あり」で今のところは様子見のようだ。カネは欲しい、命は惜しい・・・先行きの情勢は不透明で、しばらくはどっちつかずの゛平和”が続くのかも知れない。それにしても「良い鉄は釘にならない」と伝統的に軍人をバカにし、ベトナム軍のゲリラ戦に翻弄されて勝てなかった中共軍は、実戦経験の蓄積や実体験がほとんどないだろう。習近平のアジア太平洋制覇は夢のまた夢に終わるのではないか。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! https://note.com/gifted_hawk281/ または ishiifam@minos.ocn.ne.jp までお願いいたします。小生の記事は以下でもお読みいただけます。
渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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戦争の時代をどう生きる?

2025-03-23 16:34:39 | 戦争
戦争の時代をどう生きる?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」376/通算807 戦争の時代をどう生きる? 2025/令和7年3/23 日曜】 3月29日は旧暦3月1日、弥生だ。待ちに待った美しくて暖かい春子がやってくる! 日本は春夏秋冬がはっきりしているが、縄文時代あたりまでの大昔は「春夏」で1年、「秋冬」で1年という区分けだったのではないか。古事記・日本書紀には「初代の神武天皇76年3月11日(新暦:紀元前585年4月9日)127歳没」となっているが、これは1年365日を2年に勘定したためだろう。実際は63歳あたりで亡くなったと解釈した方が良さそうだ。

それはさて置き、ここ数週間、塩野七生先生の「サイレント・マイノリティ」(1985年、新潮文庫)から「全体主義について」の項を読んでいる。そのうちブログで紹介したいと思っているが、小生は「全体主義」という言葉が嫌いだ。「全体主義」と言うと「全体(国家とか民族、人種、宗教など)のために個人は私利私欲や邪教的な思想信条を控えるべし」という感じである。しかし戦争の時代、戦時にあってはそれはごく当たり前ではないか?

誰だって平和を求めるが、永遠の平和とか永遠の戦争というのは有史以来ゼロである。戦争と平和は繰り返されるのだ。桃源郷は理想であって、それは小学生時代の思い出のよう。中学生になれば大人の苛烈な競争社会が始まり、大なり小なり「戦争と平和」が日常化していく。運次第の面があり、最悪の場合は予期せぬ戦争で徴兵されたり、安全地帯への移住を余儀なくされたり・・・「戦争は嫌だなあ、平和が続きますように」と誰もが思うが、今の母国さえ戦争での勝者が創ったのであり、戦争、喧嘩、縄張り争いは人間のサガか。古人曰く「勝てば官軍、負ければ賊軍」、歴史から学ぶべし。
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1939年9月の「第二次世界大戦」勃発に対して米国国民の多くは「関与せず」を支持していたが、FDR(フランクリン.D.ルーズベルト)大統領は「遅れてきた移民国家の米国が世界の舞台に躍り出る好機到来!」と参戦を望んでいた。参戦を嫌う米国民をどうしたら発奮させられるか・・・ルーズベルトは「悪魔のように細心に、天使のように大胆に」天才的かつ無慈悲な戦略、作戦を創ったのである。
当時の日本は三国同盟(ドイツ、イタリア、日本)を結んでいたが、米国からの輸入(ハイテク製品?)にかなり依存していたようである。だから参戦しませんと米国に大使館を置いていた、その日本がナント"スケープゴート”にされてしまうなどということは青天の霹靂ではなかったか。

寡聞にして知らなかったが、WIKIによると米国には「レンドリース法( Lend-Lease Acts)、または「武器貸与法」というのがあり、米国は1941~1945年にかけて、イギリス、ソ連、中華民国(中国)、フランス、その他の連合国に対して、膨大な量の軍需物資を供給していたという。1939年9月の第二次世界大戦勃発から18ヵ月経過した1941年3月に開始された。総額501億USドル(2007年の価値に換算してほぼ7000億ドル)の物資が供給され、そのうち314億ドルがイギリスへ、113億ドルがソ連へ、32億ドルがフランスへ、16億ドルが中国へ提供された。FDRルーズベルトは太平洋でも「中立国として米国にも大使館を置いていた日本」への戦争をしっかり準備していたのだ。

ルーズベルトは日本を徹底的にイジメぬき、ついに日本は堪忍袋の緒が切れて真珠湾攻撃に至る。
<1941年12月7日(現地時間)、日本軍がマレー半島のイギリス軍を攻撃し(マレー作戦)ここに大東亜戦争(太平洋戦争)が勃発した。またマレー半島を攻撃した数時間後に、日本軍はアメリカのハワイにある真珠湾の米海軍の基地を攻撃した。これに対し12月8日にアメリカとオランダが日本に宣戦を布告。日本の参戦に呼応して12月11日、ドイツ、イタリアも米国に宣戦布告。日本が枢軸国の一員として、米国が連合国の一員として正式に参戦し、ここにきて名実共に「世界大戦」となった>WIKI

ルーズベルトは日本をイジメぬき、挑発し、ハワイという裏口を奇襲させ、米国民の圧倒的な支持を得て世界大戦に乗り出していく。勝つためには自国民や他国民をスケープゴートにしても痛痒を感じないという冷血漢、全体主義者のようである。

<全体主義(Totalitarianism)とは、個人の自由や社会集団の自律性を認めず、個人の権利や利益を国家全体の利害と一致するように統制を行う思想または政治体制である。対義語は個人主義。
政治学においては権威主義体制の極端な形とされる。通常、この体制を採用する国家は特定の人物や党派または階級によって支配され、その権威には制限が無く公私を問わず国民生活の全ての側面に対して、可能な限り規制を加えるように努める>WIKI

戦争の時代にあっては、いずこの国も「全体主義」で国民を団結させる。個人の思想信条は二の次、三の次である。そういう危機的事態にならないよう外交で散々努力した末に「開戦やむなし」になったのだから、必勝を期して戦うのが正道なのだ。それでも「勝ち負けは兵家の常」、たとえ負けても戦意を維持し次の戦争に備えることが大事だろう。嫌な話だが、現実とはそういうことで、古人曰く「永遠の友も、永遠の敵もない」、人間のサガと苦々しく諦観しつつも有事の際には命懸けで吶喊するしかない。勝たなければ亡国、奴隷、属国の地獄が待っているのだから・・・
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産経2025/3/18 平川祐弘(ひらかわすけひろ)東京大学名誉教授の「正論 戦争で死に臨んだ日本人の言葉」から。
<死ぬ覚悟はしておくが良いか、否か。森鷗外(文久2/1862年生)は「二親が、侍の家に生れたのだから、切腹ということが出来なくてはならないと度々諭した」と幼時を回顧している(『妄想』)。立派な森家だからこんな心構えを教えこんだのか、と読者は思うだろうが、明治維新に先立つ六年前に武家に生まれた男子はおおむねそんな覚悟を早くから身に付けたのだろう。

私は満洲事変勃発の昭和六年(1931年)に生まれたから、一旦緩急あれば、出征して戦死するかもしれない。命を落とす際は「天皇陛下万歳」と叫ぶよう子供心に教わった。
中学生になると脚にゲートルを巻き、肩からかけた鞄(かばん)には切り出し小刀をひそかに入れて登校した。昭和十九(1944)年秋には東京への空襲も本格化し、撃破された敵機からアメリカ兵が落下傘で脱出し降りて来るやもしれない。降参しないなら相手を刺すつもりであった。

そんな事は戦後は気恥ずかしくて言わなかったが、死ぬ覚悟をした、しない、が昭和一桁生まれとその後の平和世代の違いと感じている。平和は結構だが、平和呆けには困るのだ。
◎:きけわだつみのこえ▼ 負けたのは口惜しかったが、本能的にほっとした。そんなだから、後に中学の同窓会名簿を見てはっとした。自分より数年上の大正末年生まれの現存者の数がそこだけ少なかったからである。自分たちは生き永らえたが、先輩は還ってこなかった。
第二次大戦で戦没した学徒の手記・書簡を収めた遺稿集が出た。『きけわだつみのこえ』は昭和二十四(1949)年の出版で、すでに大学生だった私は、自分と同じ年で死んだ彼らの声に心打たれた。

『ビルマの竪琴』の著者竹山道雄は戦時中、一高の教授で、教え子が学徒出陣で死んだだけにこの本から深い感銘を受けた。竹山は娘にも「必ず読むように」と言って渡している。昭和五十七年(1982)、竹山は七十九歳、『きけわだつみのこえ』が岩波から文庫本でまた出ると繰り返し読んだ。沖縄で昭和二十年(1945)四月、二十三歳で戦死する大塚晟夫(あきお)が妹たちに宛てた次の手記に傍線を引いている。
「はっきり言うが俺は好きで死ぬんじゃない。何の心に残る所なく死ぬんじゃない。国の前途が心配でたまらない。いやそれよりも父上、母上、そして君たちの前途が心配だ。心配で心配でたまらない」

竹山は盲目的な愛国主義は取らない。戦争中に言うことを許されなかった右のような真実の声、あるいは公の場から抹殺されかけた次のような知性の語を尊ぶ。
「私はかぎりなく祖国を愛する けれど 愛すべき祖国を私はもたない 深淵をのぞいた魂にとっては」

◎:特攻隊かファナティックか▼ こう書いた東京物理学校出身の中村勇はニューギニアで二十一歳で戦死した。
パリへ留学した私は『きけわだつみのこえ』を持参した。私にとり尊い一冊である。それだけに神風特攻隊の話がで、「どこか無人島に着陸して生きているのと違うか」とフランス人教授が言い、サロンの女性が笑ったとき、内心「何を言うか」と反発した。
「ファナティック(狂信的)」という声にも「違う」と思ったが反論もできない。もっともその後、イスラム過激派が爆薬を身につけ敵陣に飛びこみ、同じくカミカゼと呼ばれ出した時は、「これはファナティックだ。市民を無差別に殺傷する。目標を軍艦に限定した特攻隊とは違う」と呟いた。

◎:世紀の遺書▼ 戦没学生の遺書は胸を打つ。しかし国に殉じた普通の人の遺書もまた大事である。世間が必ずしも目にとめない遺言に、戦争犯罪人として処刑された人々の最後の声がある。それを忘れてはならない。日本が独立を回復した昭和二十八年(1953)、『世紀の遺書』と題されて出たその本は、昭和五十九年(1984)には諸家の感想とともに講談社から、そして最近抄本がハート出版から出た。死刑前夜の青木茂一郎の句。
明日は共に 散る戦友(とも)の寝息や 春の雨

無実で、あるいは死刑にも当らぬ罪で、絞首台で死んだ人は各国にいたであろう。それが「勝者の裁判」の実態だろう。残された「戦犯家族」は辛い日々を送ったに相違ない。日本人が靖国神社に祀(まつ)るべき人はまずこうして死んだ殉難者である。

恨みつらみもあったはずだが、苦悩によって浄化されたのか、その人たちのまさに死なんとするや、その声は清々(すがすが)しい。清らかな自然体の俳句を遺(のこ)して逝った。子供の頃からどこかで耳にした日本人の祖先の死生観が蘇(よみがえ)って、この人たちを支えたのだろうか。

中国で死刑を宣告され独房に移された青井真光は、昭和二十一年(1946)十二月十五日、刑死した。プリズン内で過した日々の句にその心境が察せられる。

行く秋と 共に逝く身を磨くべく 剃り終へば顔に罪なし 秋の水 独房に来て 尊くも冬を知る>以上
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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パクスアメリカーナの時代は終わりへ

2025-03-17 14:35:32 | 戦争
パクスアメリカーナの時代は終わりへ
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」375/通算806 2025/令和7年3/17 月曜】 16日は旧暦2月17日、まだまだ冬で、終日氷雨だった。♪ 外は冬の雨 まだやまぬ この胸を濡らすように ・・・という歌があったが、傘をさして散歩する気力はゼロ。このところ元気だったので4階展望台のペンキ塗りをしていたが、これがたたって16日は強烈な腰痛で情けない思いをした。゛華麗なる加齢”をめざすには営繕作業は一日おきにすべしという天の教えだろう。
今日17日は「彼岸入り」だが、カミサンが墓参りに行ってくれるので助かった。嫁さんをもらうなら苦しむ患者を見ると助けたくなるナイチンゲール=看護婦がお勧めだ・・・気性はきついけれど。
腰痛には効かないが、教養、学問の切磋琢磨には産経新聞、ネットはBBC、ロイター、時事通信、読売がお勧めである。有効かつボケ防止にもなりそうだ。おためしあれ! 閑話休題。
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産経2025/令和7年3/11に以下の全面広告があった(一部のみ転載)。
<もし、大地震が来たら・・・【あわてない】 あわてず、自分の命を守る あわてず、火を消す あわてず、高いところへ あわてず、助け合う あわてず、あわてず、デマに注意 みんなで災害に備える日本へ。日本財団(THE NIPPON FOUDATION)>

同日の産経には「米国笹川平和財団 複合事態『日米韓台』連携を 東アジアの同時挑発に対処する米国の能力検証」と題する以下の記事があった。
<東アジアで起きる有事は単独ではなく、複数の動きが同時発生する「複合事態」となる可能性がある。台湾海峡と朝鮮半島で同時に事態が発生するといった具合だ。ただ、複合事態の組み合わせは無数にあり得るためシミュレーションが難しい。
これに挑戦したのが、米国笹川平和財団が2020年に実施した机上演習だ。演習結果を踏まえ、報告書では日米韓3カ国と台湾の協議を強化するとともに、南シナ海における米国の立場を見直すよう求めた。机上演習は2020年2月に米バージニア州のロッキード・マーチン社の施設で実施した。参加者は日本、米国、韓国、台湾、中国にチーム分けされ、演習の統裁部が北朝鮮などを演じた。

演習に先立つ想定では、中国の習近平国家主席が中央軍事委員会に指示を出した。▽東アジアにおける軍事的優位を誇示する ▽米国の同盟ネットワークを弱体化する ▽南シナ海で領土を拡張する ▽米国との戦争を回避する-の4点だ。
中国はまた、北朝鮮との間で密約を結ぶ。北朝鮮が韓国軍と在韓米軍に挑発行為を行い、中国は北朝鮮に防空システムなどを配備することになった、云々>
・・・・・・・・・・・・・
「米国笹川平和財団」とは初耳だが、国際情報を得るシンクタンクだろう。米国は第2次世界大戦で唯一の勝者になり、圧倒的な軍事力と経済力によって世界に"平和、安定”をもたらし君臨した。それをパクスロマーナ(Pax Romana)になぞらえて、パクスアメリカーナ(Pax Americana)、「超大国アメリカの覇権による平和」と呼んでいる。なお「パクス」はローマ神話に登場する平和と秩序の女神だそう。
しかしトランプはどうも「世界の平和と秩序」ではなく「同志国脅しと増税」みたいで・・・小生は、パクスアメリカーナの時代は終わり、「第3次世界大戦は始まっている!! 危機感をもって備えるべきだ」という思いを強くしている。
もしかしたらトランプは自由陣営諸国に対して「米国にオンブニダッコはもうやめてくれ、自国の安全はまずは自国で備えるのが筋だろう!」と、露中北などへの刺激を避けながら訴えているのかもしれない。危機感いっぱいの猪突猛進脳の小生は「今こそ冷戦復活で露中北を孤立させるべし」と思っているから、トランプ流のややこしい話には困惑させられる。

話を戻すと「米国笹川平和財団」は笹川陽平氏の危機感から結成されたのだろう。小生が笹川陽平氏を知ったのは、ボートレース(競艇)を始めた父の笹川良一日本船舶振興会初代会長が亡くなり、遺産相続の際に「莫大な借金」しかなかったため誰もが相続放棄し、三男坊の陽平氏が父の笹川良一氏の志を引き継いだとことによるらしいと解釈した。

小生は当初、笹川良一氏を「世界は一家 人類は皆兄弟」を説く怪しい奴と思っていたが、小生がアカからピンク、さらに「反共」の白に変わっていくにつれ、良一氏を「やり方は拙(つたな)いが愛国心は大したものだ」と評価するようになった。以下WIKIから引用する――

<笹川良一、1899/明治32年~ 1995/平成7年は、大正・昭和時代の右翼活動家、元A級戦犯被疑者(不起訴)、社会奉仕活動家。座右の銘は「世界一家 人類兄弟」。
戦前は国粋大衆党総裁、衆議院議員。戦後は、財団法人日本船舶振興会(1962年設立。現在の公益財団法人日本財団)会長、国際勝共連合名誉会長(1968年就任、のちに辞任)、福岡工業大学理事長を務めた。箕面市名誉市民。勲一等旭日大綬章受章者。戦後は、日本国内のボートレース(競艇)の創設に尽力し、「競艇界のドン」の異名を取った>

笹川良一氏の跡継ぎが笹川陽平氏である。同じくWIKIから。
<笹川陽平、1939/昭和14年~は、日本の社会運動家。笹川良一(日本船舶振興会初代会長)の三男。明治大学政治経済学部卒業。公益財団法人日本財団(旧日本船舶振興会)会長、同笹川平和財団名誉会長、東京財団顧問、世界保健機関 (WHO) ハンセン病制圧大使、ハンセン病人権啓発大使(日本国)などの役職を歴任し、2012年6月11日にはミャンマー少数民族福祉向上大使(日本国)に就任。2013年2月にミャンマー国民和解担当日本政府代表(日本国)に就任。日本人で初めて『法の支配賞』を受賞。

父である笹川良一が創設したボートレース(競艇)事業の運営団体である全国モーターボート競走会連合会(現・日本モーターボート競走会)会長(2008年3月31日退任)、財団法人日本造船振興財団(現海洋政策研究財団)理事長などを歴任し、1989年に日本財団理事長に就任。
2005年7月、前会長・曽野綾子の退任を受け、会長に選任される。
ボランティアや福祉などの様々な社会活動に参加し、自ら公益活動の前線に立って活動している。2001年5月からWHOハンセン病制圧特別大使を務める。日本国内における事業展開は、海賊対策、北朝鮮工作船の一般公開、ホスピスナースの育成、犯罪被害者への支援ネットワークの構築などがある。また、2007年の海洋基本法の制定に奔走>
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笹川陽平氏も大した人材だが、原資は「日本モーターボート競走会」からの交付金だろう。同会によると「1962年4月20日、競走法が時限法から恒久法に改正(法律第85号)、日本船舶振興会の設立と同会への交付金の交付が決まり、10月1日(財)日本船舶振興会(現在の日本財団、初代は当然ながら笹川良一氏だろう)が発足した」とある。
しかし、笹川陽平氏が現在のような国境を越えた手広い支援を続ければ、特にコロナ禍でモーターボートファンが減っているだろうから財源は不足するばかりではないか? 産経2025/2/25 笹川陽平・日本財団会長の「正論 経済界は今こそ『利他の精神』を」から。

<パンデミック(世界的大流行)となった新型コロナ禍、さらに近年、「自国第一主義」の風潮が強まる中、自分の利益だけでなく他人のためにも尽くす「利他」の精神に世界の関心が高まっている。
◎:活気失う日本社会▼  一方でわが国は1990年代初頭のバブル崩壊に始まった「失われた30年」で賃金水準は大きく落ち込み、かつて一億総中流と言われた国民意識は中流より下流が強まり、国全体が活気を失う原因となっている。
この間、90年代に100兆円台で推移した企業の内部留保(利益剰余金)は2023年度末に約601兆円と国の名目GDP(国内総生産)1年分にも匹敵する過去最大の数字に膨れ上がった。

わが国は戦後一貫して政治力や軍事力ではなく経済力で発展してきた。政治が低迷し、かつて国の発展を主導した「霞が関」(官)も精彩を欠く今、この国を再生させるのはやはり経済力である。
経済界には今も、近江商人の「三方よし」(買い手よし、売り手よし、世間よし)に代表される利他の精神、商人道が生きているはずだ。中でも経済界を代表する日本経済団体連合会(経団連)には、強い決意を持ってその先頭に立っていただきたく思う。600兆円の内部留保の活用も含め多彩な対応が可能と考える。

経団連は企業、団体など約1700もの会員で構成され、〝財界総理〟とまで称される会長の下に大手企業のトップら20人が副会長として名を連ね、副会長も務める事務総長の下に200人を超す事務局がある。
副会長が20人というのは組織としては異様で、時に「叙勲狙い」、「軽団連」と揶揄(やゆ)する声も聞く。関係者の奮起を促したい。事務局機能の強化も合わせ、文字通り日本経済を牽引する強靱(きょうじん)な組織になってほしく思う。

巨額の内部留保に対しては「それがあったからこそコロナ禍に耐えた」と評価する声も聞く。しかし「日本資本主義の父」渋沢栄一や「利他の心」を提唱した京セラの創業者・故稲盛和夫氏が説いたように、事業活動には一個人ではなく社会全体を益し、活動を支える全従業員の幸福を物心両面で追求する姿勢が何よりも必要と考える。
残念ながら現実は(企業の)内部留保が急増する一方で、(国民への支払いである)人件費は90年代半ば以降200兆円前後で推移し、23年度も約222兆円と微増にとどまる。この結果、1991年から30年間の名目賃金の伸びは米国の2.8倍、英国の2.7倍に比べ日本は1.1倍とほぼ横ばいの状態にある。

◎:少子化が加速する一因▼  結果、90年代初頭に当時24カ国が加盟した経済協力開発機構(OECD)の中で最高水準にあった日本の賃金は23年度、加盟38カ国中25位まで落ちた。
厚生労働省の調査によると、22年の平均初婚年齢は男性が31.1歳、女性は29.7歳。この20年間で約2歳上昇し、20年の生涯未婚率(50歳時点の未婚率)も男性が28.3%、女性は17.8%と、ともに10ポイント以上増加している。
実質賃金の落ち込みが一因とみられ、少子化が加速する原因にもなっている。国内の新規投資も低迷し、わが国がデジタル革命やIT革命など新たな産業の開拓で世界に後れを取る原因となっている。
こうした点を反映して、スイスに拠点を置く国際経営開発研究所(IMD)が毎年発表する国際競争力ランキングも、日本は24年に38位に下がった。1989年から4年間、アメリカを抜いて1位だった過去を振り返ると隔世の感がある。

ただし、暗い材料ばかりではない。政府が2020年にコロナ禍対策として配布した一律10万円の使途に関する調査では、20代は37%が「少しでも寄付したいと思う」と答え、全体平均を10ポイント近く上回った。
昨年元日に起きた能登半島地震では、日本財団と株式会社メルカリが共同で呼びかけた被災地支援の受け入れ先に地震発生翌日と翌々日だけで5000万円もが寄せられた。1人平均1000円としても、わずか2日間で5万人が支援金を寄せた計算になる。
簡単に売り買いできるメルカリのアプリは若い世代の利用者が多い。時に日本の寄付文化の弱さが指摘される中、この2つの数字は次代を担う若者の心に利他の精神が広く共有されている事実を示していると思う。

◎:強靱な国づくり▼  戦後の日本社会は、「福祉や公共サービスは行政の責任」とする考えや、責任より権利を主張する風潮が強い。それがポピュリズム(大衆迎合主義)、バラマキ政策につながり、財政が一段と悪化する悪循環を生んでいる。
利他の心が広く共有されれば社会全体に「自分たちの力で社会を良くする」機運が広がり、強靱な国づくりに結びつく。世界で通用する日本の精神文化を経済界だけでなく、政府も外交も含め幅広い分野で活用するよう求めたい。(ささかわ ようへい)>以上
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「利他の心で汗を流したり寄付したりする人が増えれば社会が良くなり強靱な国づくりができる」・・・それは天国のように美しい世界だろうが、実践する人は永遠に少数派ではないか? 日本に限らずいずこの国でも圧倒的多数派は「上手いものを食って面白おかしく快適に暮らす」を良しとする人々だろう。

内閣府の「我が国と諸外国のこどもと若者の意識に関する調査 令和5年度」で「私の参加により、変えてほしい社会現象が少し変えられるかもしれない」 の項目で、「そう思う+どちらかというとそう思う」は日本36.3%、アメリカ52.1%、ドイツ59.7%、フランス48.4%、スウェーデン54.5%。
年齢に限らず日本人の平和ボケ?、諦観?は金メダル級だ。彼らは余程のショックがないと変わらないだろう。パクスアメリカーナの時代は終わりつつあるというのに、このノー天気な日本をどうすべきか、次回に考えたい。余計なお世話? ま、老婆心・・・老人はそういうものだろう。
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渡部亮次郎 「頂門の一針」<ryochan@polka.plala.or.jp>
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