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露の戦死者は極東民族ばかり

2023-06-29 12:17:23 | 戦争
露の戦死者は極東民族ばかり
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」192/通算623 2023(令和5)/6/29/木】26日(月)から家の西側の大規模営繕工事を始めた。と言っても“日曜大工”だが、ハシゴに乗っての高所作業のために緊張するし、そもそも体力がないから2時間ほどでグッタリ、作業着は汗でグッショリ。パンツ1枚になってベッド倒れ込んだ。完成するまでに1週間ほどはかかりそうだ。

我が家はバブル景気前の1984年竣工、もうすぐ築40年。工事は当時「一流」と評判だった「日本電建」に依頼したが、大したビルではないのにぶっとい鉄骨を使っていたのでビックリ。「さすがに一流の建設会社は違うものだ」と感心したものだ。後に知ったことだが、日本電建は一時期(1961~1964年)は田中角栄が社長だった。

<日本電建は1959年にワンマン社長が死去するとお家騒動が勃発。紆余曲折を経て、1961年に田中角栄が社長に就いた・・・
日本電建は田中金脈の中核企業となるが、土地買い占めなどによって資産が食い潰されるなどと会社の未来に不安を持った労組が「オーナーに会わせろ」と大蔵大臣だった田中のもとに押しかけ、座りこんだりした。
1964年、田中に事態収拾を請われた国際興業社主の小佐野賢治が日本電建を18億円で買い取った(事実上の政治献金とみられた。その後、小佐野の手腕によって日本電建は再建を果たし、1973年に業界トップの地位に返り咲いた。
2002年に事業の選択と集中を進める国際興業が、日本電建の建築部門を大東建託に譲渡し、2003年9月に日本電建は解散した>(WIKI)

頑丈に造れらたビルでも、30年を過ぎた2016年あたりからひび割れ、雨漏りなど劣化が進み、保守点検や営繕を期待していた日本電建そのものが消滅したのだからお話にならない。街の業者に500万円ほどで修繕してもらったものの、台風など風雨の激しい時は下から吹き上げたりするので雨漏りが避けられない。人間の老化と一緒、「とりあえず痛んだところを直す」対処療法が精一杯で、若返ることはできない。

結果的に70翁の小生がビルの弱点、それを直す術を誰よりも知るようになったのだから、体の動くうちは営繕が天職みたいなものだ。きつい作業でも、それなりにやり終えれば「達成感」があるし、これで暫くは大丈夫だろうという「安心感」があり、なかなか気分が良くなる。

人間はいつまで役に立つか、いつまでが賞味期限か? 「女は死ぬまで18歳」、大体20代で可愛い、優しい、気立てがいい、明るい、面倒見が良い、という人格が完成するのではないか。オッパイで育つ子供はお母さんが大好きだ。

女は子供をおんぶしながら川で洗濯。男は山で狩りして食糧を調達するのが仕事だから体力、知力、気力で勝負する。時には縄張り争いもある。大昔から男女、夫婦の役割分担は概ねそのようだった。
狩りと戦争・・・現役時代の男の役割だが、現在では65~70歳あたりから老化が始まり、75~80歳あたりで大体、現役引退になる。奥さんはまだ元気だから、男は「愛される穏やかな好々爺になる」のが一般的だが、イヤミでうるさったい糞ヂヂイになったりする人もいるようだ。

現役時代の男は「奴は愛想なしのぶっきらぼうだけど仕事をさせれば、まず間違いはない」なんて一目を置かれた人でも、退職後はやがて老犬のごとく奥さん依存症になる・・・
男はそれでいいのだ! 数千年も続いている秩序であり、引き際が肝心なのである。引き際を誤ると“老害”のそしりを受け、晩節を汚すことになる。プーチンや習近平など独裁者は(報復を恐れて?)最後まで権力を離さないだろうが、国民にとっては不幸ではないか。

もっとも有史以来数千年、自由民主体制をまったく知らない(知らないから関心がない)ロシア人や支那人は不幸などとは思わないだろうが・・・大体、報道の自由がないからロシア人はウクライナ侵略戦争で自国民の死者数の実態も全く知らないようだ。「ロシア・ウクライナ・ベラルーシ探訪 服部倫卓ブログ」6/19「シベリア・極東の辺境地域に多い戦没者」によると――

<「メディアゾーナ」が「特別軍事作戦」のロシア側戦没者のうち、確認がとれた分を集計し発表、独自の情報として高く評価されている。これによれば、6月16日までの確認がとれたロシア側の戦没者は2万5528人となっている。

これまでも漠然と、戦没者はシベリア・極東の少数民族共和国、辺境地域が多いなとは感じていた。そこで私は、2020年国勢調査による各地域の人口と、メディアゾーナが発表した最新の戦没者数を照らし合わせて、人口当たりの戦没者が特に多い20地域というのを表にしてみた。

やはりデータを整理してみても、以前から感じていたとおり、シベリア・極東の少数民族共和国、辺境地域の戦没者が目立つ。上位7地域はすべてシベリア・極東の地域によって占められた。

★人口100万人当たり換算の戦没者数
1位 トゥヴァ共和国 956人
2位 ブリヤート共和国 754人
3位 ザバイカル地方 614人
4位 マガダン州 581人
5位 チュクチ自治管区 569人
6位 アルタイ共和国 493人
7位 サハリン州 471人

言うまでもなく、最も被害が軽いのはモスクワ市であり、人口100万人当たり最少の15人の戦没者しか出ていない>

ロシアは徴兵制だが、上記の戦没者数を見ると辺境の若者が最も危険な最前線に送られているということだろう。学歴がない、就職先がない、未来がない、軍隊に入れば少なくともメシは食える・・・戦前の日本軍ではハングリーな東北出身者が有能な兵士(≒素直に命令に従う)として評価されていたというが、そんな若者が21世紀のロシアの僻地では健在のようだ。

しかし、インテリが多いだろう都市部では「デキル」若者、多分高学歴の人材が兵役忌避でロシアからずいぶん逃げ出していると昨年から報じられている。プーチンは「逃亡許さじ」と締め付けを強化しているが・・・静岡新聞2023/4/13「ロシアで徴兵の法改正 令状電子化で招集忌避封じ 軍の人員不足反映、反発も」から。

<(共同)ウクライナ侵攻を続けるロシアで、招集令状の電子化を認める法改正がスピード成立した。昨年秋の部分動員では兵役忌避者が大量出国。法改正は紙の令状と並んで電子令状も有効とし、招集された者の出国を禁じるなど忌避対策が主眼。人員不足に悩む軍の苦境の反映だが、若者を中心に政権への反感が高まる恐れもある。

政権与党「統一ロシア」所属のカルタポロフ下院国防委員長が法案提出を明らかにしたのは4月10日夜。各地の徴兵事務所が紙の名簿に基づき発行している招集令状と合わせ、インターネットによる行政サービスシステムの個人アカウントに電子招集令状を発送できるようにすると述べ「事務を効率化し不公正をなくす」とメリットを強調した。

法改正によると、政府機関が持つ個人情報を集約して徴兵用の統一名簿を作成。電子令状は着信の時点で通知とみなされ、出国できなくなる。一定期間内に出頭しなければ自動車の運転や不動産取引が禁じられる。受け取らなければ動員されずに済む紙の令状と違い、兵役忌避は難しくなる。

モスクワの会社員(28)は「発表に驚いた。行政サービスの登録抹消も考える」と困惑の表情。交流サイト(SNS)では「電子令状は『あの世』行きのチケットだ」「今に男は全員ロシアを出るだろう」などと反発の声が相次いだ。

侵攻長期化で人的損失が大きいとみられるロシアはプーチン大統領が昨年9月に30万人規模の部分動員を発表。直後にビザが不要な近隣諸国に計70万人ともいわれる人々が出国した。IT関連の技術者も多く、欧米の制裁を受けたロシア経済に一層の打撃となった。

昨年2月の侵攻開始以来、各地で徴兵事務所への放火や発砲事件が続く。昨年の動員は不満の高まりを受け10月末で終了したが、その後も新たな動員令が出されるとの臆測が消えない。ペスコフ大統領報道官は11日、法改正の動きを受けた記者団の質問に「第2の動員令などない」と述べ、火消しに躍起となった。

モスクワでは今月1日から始まった毎年恒例の春の徴兵に合わせ、志願兵を募集する軍のポスターが大量に張り出され、戦時下の重苦しい雰囲気が漂っている>

ロシアのウクライナ侵略により600万(国連調査)のウクライナ人が母国を後にし、他国へ避難している。穏やかな暮らしを破壊したのはプーチンである。プーチンの友は習近平である。21世紀の危険分子、ダーティペアを早急に排除しなければならない。

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オスマン・トルコ帝国と日本/2

2023-06-26 06:05:58 | 戦争
オスマン・トルコ帝国と日本/2
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」191/通算622 2023(令和5)/6/26/月】欧米は概ねキリスト教国である。キリスト教はユダヤ教から派生したのに、キリスト教以外の宗教は邪教であり、つい最近まで邪教の国や国民、民族は人間未満の蛮族だと思っていた。1960年代に米国がベトナムから尻尾を巻いて逃げ出して以降、「邪教の蛮族もどうやら人間らしい」と認知し始めたようである。それからまだ半世紀ほどしか経っていないから、キリスト教国、キリスト教徒は、他の宗教の信徒を心の底では蛮族、劣った民族と軽侮しているのではないか。

米国民主党の駐日本大使には「イルカを食べる日本人は蛮族だ」とか「日本はLGBTQの結婚を認めろ」という、「我こそ正義、それを受け入れない奴らは蛮族だ!」と訓戒をたれる、ほとんどGHQ占領軍みたいな人がいる。小生はこの手の輩を「アカに洗脳された○○、まるで立憲共産党と同類、つける薬なし、そのうち消えるだろう」と心の底から軽蔑している。

民族や国家にはそれぞれ多様な生き方、価値観、宗教、風習などがあるのだから、たとえ自分のそれとは違っていても「友達になりたい」なら余計な干渉はしないのがルールではないか。

「友達になりたくない」なら距離を置くとか断交すればいいが、キリスト教信者の多い国は概ね「広宣流布」が使命だと思っているから、やたらと他国に干渉する、チョッカイを出す、威嚇する、恫喝する、戦争を始める、領土を拡大する。キリスト教徒の十字軍はイスラム教を叩くために1096年から200年間も遠征・攻撃した。

時代錯誤も甚だしく1900年代にもオスマン・トルコ帝国絶滅に励んだ。まったくもって「○○につける薬なし」、まるで蛮族。この戦争で大活躍した「アラビアのロレンス」こと英国人トーマス・エドワード・ロレンスについてWIKIはこう紹介している。

<1914年7月、第一次世界大戦が勃発し、イギリスも連合国の一員として参戦することになった。ロレンスは同年10月に召集を受け、イギリス陸軍省作戦部地図課、カイロ(エジプト)の陸軍情報部に勤務。軍用地図の作成に従事する一方で、語学力を活かし連絡係(諜報、情報収集?)を務めるようになった。

1916年10月には外務省管轄下のアラブ局に転属。この間にアラビア半島へ旅行し、オスマン帝国に対するアラブの反乱の指導者候補たちに会った。

情報将校としての任務を通じて、ロレンスはハーシム家当主フサイン・イブン・アリー(*)の三男ファイサル・イブン・フサイン(ファイサル1世、後のイラク国王)と接触する。

(*ハーシム家は19世紀初頭までイスラム教最大の聖地メッカ(アラビア半島)を支配してきた。フサイン・イブン・アリーは1908年にアミール=最高権威となり、第1次世界大戦中はオスマン帝国の支配に対するアラブの反乱で指導的役割を果たした。しかし、1919年のパリ講和会議で仏・英がシリア、パレスチナ、イラクを委任統治領化したことに抗議、1924年10月の退位後は英によってキプロス島に身柄を移された)

ロレンスはファイサル1世とその配下のゲリラ部隊に目をつけ、共闘を申し出た。そして、強大なオスマン帝国軍と正面から戦うのではなく、各地でゲリラ戦を行いヒジャーズ鉄道を破壊するという戦略を提案した。ヒジャーズ鉄道に対する絶えざる攻撃と破壊活動を続ければ、オスマン帝国軍は鉄道沿線に釘付けにされ、結果としてイギリス軍のスエズ運河防衛やパレスチナ進軍を助けることができるという目論見があった。

1917年、ロレンスとアラブ人の部隊は紅海北部の海岸の町アル・ワジュの攻略に成功。これによりオスマン帝国軍はメッカへの侵攻をあきらめ、メディナと鉄道沿線の拠点死守を選んだ。続いてロレンスはアカバに奇襲し陥落させた。この功により、ロレンスは少佐に昇進。1918年、ロレンスはダマスカス占領に重要な役割を果たしたとして中佐に昇進する・・・>

ロレンスの活躍もあって1918年、オスマン帝国など同盟国は連合国に降伏。オスマン帝国は国土の大半を英仏など連合国に占領された。

<このような(逆境の)混乱の中、オスマン帝国で頭角を現してきたのが、統一派(「統一と進歩委員会」)の一員でもあったムスタファ・ケマルです。大戦中、勢いに乗るイギリス軍の進撃をアナファルタルで食い止め、「アナファルタルの英雄」と呼ばれていました。

1920年4月、首都アンカラで「トルコ大国民議会」を結成し、上陸してきたギリシア軍を撃退します。1922年には「トルコ革命」を起こしてオスマン帝国を倒し、共和制を宣言。政教分離を国是とするトルコ共和国を建国しました>(ホンシェルジュ)

1918年に第一次世界大戦で敗北したオスマン・トルコ帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下に置かれ、事実上解体されていたようである。「敗戦→国体変革→復興」、日本を含めていずこの国も苦労したが、日本とトルコの絆(きずな)は1890年のエルトゥールル号遭難事件が縁となって今でも続いている。Forbesジャパン 2023/2/17「トルコはなぜ親日国なのか 大地震での助け合いも」から。

<日本時間の2月6日10時17分、トルコ南部を震源とするマグニチュード7.8の地震が発生。その9時間後にもマグニチュード7.5の地震が起きた。「この地域において100年間で最も強い地震の1つ」だと言われる。ロイター通信によるとトルコとシリアの両国を合わせると4万人以上の死者が出ている。このような状況を受け、欧米やウクライナ、ロシア、中国など世界各国からの支援表明があった。

日本も、6日の午後11時ごろに国際消防救助隊の第1陣が現地に向けて出発。第2陣もそれに続き7日に出発した。日本では「トルコを救いたい」という声が多く上がっており、信頼関係の強さが感じられる。2012年に外務省が行った調査では、トルコ人の83.2%がトルコと日本の関係を「友好関係にある」「どちらかというと友好関係にある」と回答した。

【イラン・イラク戦争時に日本人を救出】1985年のイラン・イラク戦争。当時のイラク大統領は、イラン上空を通る飛行機を無差別に撃退すると宣言し、多くの日本人がイランに取り残された。日本政府が救援策を打ち出せず悩んでいる中で、危険を顧みず日本人を助けに行ったのがトルコだった。「エルトゥールル号の時に受けた恩を返す」との思いで日本人を助けに向かったという。

【両国の大地震での助け合い】1999年、トルコ北西部で地震が起こった際、最も迅速で包括的な支援を行った国の1つが日本だった。

トルコはその恩を返すために、2011年の東日本大震災では合計で32名の方が日本を訪れ、約3週間の間、主に行方不明者の捜索を行った。このように、日本とトルコは、一方が困っているときにはもう一方が助けてきたのである。
このような背景を知れば「トルコを助けたい!」という考えに、より強く共感できるだろう。19世紀末から始まった支え合いの関係性を、大切にしたい>

小生も大いに賛同する。が、エルドアン政権は20年プラス5年の長期政権になる。中露という核武装した強権独裁共産主義国が版図を拡大し世界制覇を狙っている今、エルドアン・トルコは「東西のバランサー」としての役割が期待されているが、あまりにも難しい問題のために小生は「大丈夫だろうか」という不安を覚える。西側陣営は概ねそのようだ。

村上直久氏(時事総研客員研究員、学術博士/東京外国語大学)の「西側の対トルコ関係改善か」日経2023/6/18にはこうある。

<5月末に行われた、地域大国トルコの大統領選・決選投票でエルドアン氏が勝利した。薄氷の勝利だったが、エルドアン政権は外交面ではトルコもメンバーである北大西洋条約機構(NATO)への忠誠とロシアへの経済的依存をいかにバランスさせていくかという難しいかじ取りを引き続き迫られる。

こうした中、エルドアン政権の権威主義的な姿勢に反発してきた西側では、大統領選が終わったことで「トルコとの関係改善」を期待する向きもある。トルコはスウェーデンのNATOへの新規加盟に反対し米欧と一線を画してきたが、反対を取り下げるとの見方も出てきた。一方、トルコの欧州連合(EU)加盟問題での進展は望めそうもない。

西側はエルドアン政権の強権的姿勢に反発してきたが、同政権の継続は否定的な側面ばかりではなく「恩恵をもたらす」(米紙ニューヨークタイムズ)可能性もあるとみているようだ。米議会ではエルドアン政権のロシアとの緊密な関係や少数民族クルド人勢力に対する弾圧への反発が強い。

トルコはNATOの一員だが、ロシアにエネルギー供給や貿易、ハードカレンシー(国際的に信用が高い決済通貨)の調達で依存しており、西側とロシアの間で綱渡りをしているような存在だ。

トルコは西側の対ロ制裁には加わっていないが、ウクライナにはドローン(無人機)を提供。ロシアがウクライナの穀物輸出を妨害している問題では、トルコは国連とともに仲介の労を取っている。

トルコはロシアとウクライナの双方とパイプがあり、今後、ウクライナ戦争で停戦交渉が開始されれば重要なプレイヤーになることは確実とみられる。西側にとって無視できない存在なのだ。

EUはトルコと協力すべき分野では協力している。EUにトルコ経由で押し寄せる難民・移民問題への対応がその一例だ。2015年の100万人を超える大量の難民流入で苦境に陥ったEUはトルコ政府に多額のお金を支払う見返りに、難民をトルコ国内にとどめ、地中海を渡ってのギリシャ流入をストップする“取引”を当時のエルドアン政権と行ったことが挙げられよう。

今回のトルコ大統領選で、エルドアン政権は僅差ながら決選投票で勝利したことで、国民の信任を得たと考えており、国内では保守化の傾向を強めるだろう。対外政策では民族主義的な傾向を基調としながらも、国益増進のために西側とロシアの間でしたたかに立ち回るものとみられる。

国際情勢のリスクを分析するユーラシアグループのエムリー・ピーカー氏は「トルコの米国およびEUとの関係は緊張をはらんだ(ギブ&テークの)取引べースの関係が続くだろう」とニューヨークタイムスに語った。ウクライナ戦争が続く中で、今後のトルコと西側の関係から目が離せない>

混沌とした世界。エルドアンは政教分離を止めて「オスマン帝国復活」を目指しているようだったが、先の選挙で苦戦したため暫くは封印するようだ。「大日本帝国復活」(米国の51番目の州ではなく普通の国になること)も対中露戦に勝ってからになるかも知れない。まずは全力を挙げて「悪の枢軸・中露解体」に励もう。

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オスマン・トルコ帝国と日本

2023-06-23 18:19:08 | 戦争
オスマン・トルコ帝国と日本
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」190/通算621 2023(令和5)/6/23/金】敗戦後の1951年、米軍占領下生まれの小生は子供の頃からトルコが好きだった。なぜ好きになったのか、職業軍人の父の「鬼畜米英、露中朝嫌い」の影響もあるのだろうが、日本人は明治以来ずーっとトルコには親和性を持っていたようだ。

オスマン・トルコ帝国(以下、オスマン帝国と略す)は大国だった。日本とオスマン帝国の出会いは「エルトゥールル号遭難事件」だった(今の人は知らないだろうが・・・)。

<1887/明治20年、小松宮彰仁親王がヨーロッパ訪問の途中でイスタンブールに立ち寄った。それに応える形で1890/明治23年、オスマン帝国スルタン(最高権威)であったアブデュル・ハミト2世の使節としてフリゲート艦「エルトゥールル」が日本へ派遣された。

使節は明治天皇へ親書などを手渡し帰国の途についたが、和歌山県沖で台風に巻き込まれ座礁沈没。特使オスマン・パシャを含め500名以上の乗組員が死亡した。このとき紀伊大島の住民が救援に駆けつけ69名を救出。報告を受けた明治天皇は直ちに神戸港へ医師と看護婦を派遣、救援に全力をあげた。生存者は日本海軍の装甲コルベット「金剛」と「比叡」により、オスマン帝国に丁重に送還された。

「トルコ軍艦遭難事件」とその顛末はトルコ国内で大きく報道され、日本人に対する友好的感情もこの時より醸成された・・・

1904年から始まった「日露戦争」に、オスマン帝国国民は大きな関心を寄せた。これはクリミア戦争(1853 - 1856年)・露土戦争(土=トルコ、1877 - 1878年)などによってロシアからの圧力を受けていたことによるもので、日本とオスマン帝国にとって南下政策を推し進めるロシアは「共通の敵」であった。

1905年、日本が日本海海戦でロシアバルチック艦隊に対し決定的な勝利をおさめると、オスマン帝国国内では自国の勝利のように喜ばれた(WIKI)> 日本とトルコは「同志」だった!

オスマン帝国は1299年に成立。当時の日本は鎌倉時代末期で、支那大陸を制圧したモンゴル帝国「元」による2度の元寇(蒙古襲来、お先棒を担いだのは朝鮮!)で疲弊し、足利尊氏の室町幕府へと移行した時期である。

一方でオスマン帝国は元気いっぱいで、最盛期にはバルカン、アナトリア、メソポタミア、北アフリカ、アラビア半島にまで及ぶ大帝国に発展していった。しかし、満つれば欠ける、栄枯盛衰は世の習い、諸行無常・・・ホンシェルジュ2021/11/23「5分でわかるトルコの歴史!」によると――

<いくつもの戦いに勝ち勢力拡大を続けたオスマン帝国。大きな転機となったのが、1683年、神聖ローマ帝国の首都ウィーンの攻略を目指した大規模な進撃作戦でしたが、包囲戦は長期化し「反オスマン帝国」を合言葉に結集した中央ヨーロッパ諸国連合軍によって大敗北を喫しました(第二次ウィーン包囲)。

その後オスマン帝国は、オーストリア、ポーランド、ヴェネツィア、ロシアで構成される「神聖同盟」と16年間におよぶ「大トルコ戦争」に突入。1699年には「カルロヴィッツ条約」を締結し、ハンガリー、トランシルヴァニア公国、スラボニア、ダルマチア、ポドリアの割譲をすることになります。

さらに「大北方戦争」「墺土戦争」「オスマン・ペルシア(イラン)戦争」「露土戦争」、ナポレオン・ボナパルトによる「エジプト遠征」「ギリシア独立戦争」「エジプト・トルコ戦争」と争いが続き、オスマン帝国の国力は疲弊。20世紀の始め頃には「ヨーロッパの瀕死の病人」と呼ばれるまでになってしまいました。

1808年にオスマン帝国スルタンに即位したマフムト2世は軍の西欧化を図り、近代的な中央集権国家を目指します。その子アブデュルメジト1世は行政・軍事・文化の西欧型国家をさらに進め、1853年のロシアとの戦い「クリミア戦争」に勝利できたのも改革の成果のひとつです。

しかし、同時に西欧列強から多額の借款をすることになり、経済は西欧諸国への原材料輸出に特化。結果的にオスマン帝国は西欧の経済に依存するようになり、1875年に起きた金融恐慌と農作物の不作で財政が破綻しました。

アブデュルメジト1世の子であるアブデュルハミト2世は、専制政治の復活に舵を切りますが、これまで西洋式の教育を受けた青年将校や下級官吏のなかには反発する者も多く、彼らは1889年に「統一と進歩委員会」を結成して対抗しました。

(1890/明治23年の「エルトゥールル」座礁沈没は、この内紛の最中の事件で、日本の対応は双方から好感をもたれたのだろう)

1908年には「統一と進歩委員会」を中心に「青年トルコ革命」が起き、1913年には統一派政権を樹立。オスマン帝国領を侵食しつつあったロシアに対抗するためドイツと同盟を組み、1914年から始まった「第一次世界大戦」には同盟国側の一員として参戦します。

(ドイツ側として戦ったオーストリア・オスマントルコ・ブルガリア4か国を「同盟国」、フランス・イギリス・ロシア側として戦った国を「連合国」と呼んだ)

1918年、同盟国は連合国との間で休戦協定を結び、降伏。統一派政権は崩壊し、国土の大半をイギリスやフランスなど連合国に占領されることになりました。

このような(逆境の)混乱の中、オスマン帝国で頭角を現してきたのが、統一派(「統一と進歩委員会」)の一員でもあったムスタファ・ケマルです。大戦中、勢いに乗るイギリス軍の進撃をアナファルタルで食い止め、「アナファルタルの英雄」と呼ばれていました。

1920年4月、首都アンカラで「トルコ大国民議会」を結成し、上陸してきたギリシア軍を撃退します。1922年には「トルコ革命」を起こしてオスマン帝国を倒し、共和制を宣言。政教分離を国是とするトルコ共和国を建国しました>(以上)

1918年に第一次世界大戦で敗北したオスマン帝国は英仏伊、ギリシャなどの占領下に置かれ、事実上解体されていたようである。敗戦・・・日本も主権のない占領下で米国製憲法を押し付けられて・・・悲しからずや? それはさて置き――

小生は今『「アラビアのロレンス」の真実 「知恵の七柱」を読み直す』 田隅恒生著(平凡社、2013年)と『砂漠の反乱』 T.E.ロレンス著、小林元訳(中公文庫、2001年)を読んでいるところだが、遅ればせながら「アラビアとは今のアラビア半島」のことだったと知った。世界最大の「半島」・・・西はスエズ運河に至る紅海、それを越えればエジプト、北へ向かえばシナイ半島だ。「アラビア=アラブ」とは概ね今のサウジアラビア、アラブ首長国連邦、カタール、オマーン、イエメンである。

英国の将校「アラビアのロレンス」ことトーマス・エドワード・ロレンスがアラブ人と共に戦った相手は「オスマン帝国」だったのだ! オスマン・トルコ帝国と大日本帝国・・・共にキリスト教系白人帝国により消滅されてしまった。今更ながらの無知の涙・・・ざっくりでも世界の近現代史を知っておかないと「今」が読みにくい。遅ればせながら勉強しよう。(次号へ続く)

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フランスとは距離を置くべし

2023-06-20 12:24:28 | 戦争
フランスとは距離を置くべし
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」189/通算620 2023(令和5)/6/20/火】梅雨明け? このところ真夏日が続く。17日は室温30℃を超え、今季初めてクーラーの世話になった。先日はチャリ散歩で甘味を携行するのを忘れたら熱中症なのか低血糖なのかフラフラ、運良く自販機で「復刻版 懐かしい甘いコーヒー」を手に入れたから快復したが・・・「無理せずに 軽い散歩で 済ませよう 行路死亡は 皆の迷惑」。華麗なる加齢、なかなか難しい。

毎年、春の散歩コースでは1、2匹はヘビ(青大将)を見かけたが、ここ2年はまったく見なくなった。宅地やマンションがどんどん増えて“先住動物”の居場所も餌もなくなってしまったのだ。余生の小生は「自然が残っているところに引っ越したいなあ」としょっちゅう思うのだが、4歳の頃から70年近くも「駅前ゼロ分」暮らしだと今さら田舎暮らしなんてできやしない。屋上に「子供のころの野原」を再現し雀を呼び寄せて慰めているが・・・表と裏の言動不一致、「寂しからずや道を説く君」の気分。

「蛇(じゃ)の道は蛇(へび)、俺に任せろ、伊達に歳を食っちゃいねーぜ」

こんなセリフを言う機会はもうないのだ、とセンチになるが・・・あら不思議、根が単純なのだろう、正露丸で下痢が止まったらどういう訳か「そうだ、立つ鳥跡を濁さず、部屋掃除をしよう!」、3か月ぶりにルンバと掃除機、雑巾がけで綺麗にした。本能的な「終活」? ただの躁状態?

いずれにしても戦意高揚、チャリ散歩もサドルでお尻が擦り切れて痛かったのが分厚い尿漏れ&下痢用パッド利用でかなり軽減、帰路にはスーパーで雀用食糧と小生のオヤツも仕入れて久し振りの充実感。「痛みがないことがこんなにいいものか」と改めて知った。

帰宅したら小生のブログを読んでくれているお医者さんからアドバイスが届いていた。
<下痢の災難、「征露丸」にお世話になったみたいですが、征露丸の後は「新しい乳酸菌類」を腸の中に移植しないといけません! 毎食後、顆粒の薬「ビオスリー:3種の乳酸菌」を勧めます。価格も安価ですので、心配なく服用できますし、乳酸菌製剤ですので、副作用はまったくありません>

有難いことだ。薬箱を探したら孫用の「ビオフェルミン」があった! 天は我を見放さず。そのうち薬局でビオスリーを入手しよう。備えあれば憂いなし。

そう言えば街のお医者さん「開業医」は子供の頃から世話になるから、大病院の勤務医と違って概ね敬意を表されるようだ。大病院では何となく小生は実験動物になった気分になるが、地元の馴染みのお医者さんは「親身になって患者に対応してくれる」、そんな風に思う人は多いのではないか。

愛犬トト(ビーグル)の獣医さんも優しかったなあ。ペットロスで小生は毎日、ああすれば良かった、こうすれば良かった、と慙愧の想いに駆られる。自分の子供を亡くしたら喪失感は相当激しいだろう・・・慰めの言葉もない。

話を戻すと、山本周五郎のロングセラー「赤ひげ診療譚」、一方でベストセラーになった山崎豊子の「白い巨塔」。清貧を良しとする日本人は質実剛健的で私利私欲から遠く、患者に寄り添う「赤ひげ」が好きなよう。一方で大学病院は何となく米国的なビジネス臭く、新米医師の実験台にされているようで小生は好まない。

難病の人、特に若い人は藁にも縋る思いで一流の病院を探すのだろうが・・・一方で70、80になっても大手術というのはナンカナーの感じがする。「従容として天命に従う」「いつ死んでも悔いないように日々精一杯生きる」という晩年にしたいものだ。言うは易く行うは難し、小生もジタバタしそうだが・・・

ジタバタは「往生際が悪い」とか言われるが、フランス大統領のマクロンは目立ちたがり屋なのか、軽佻浮薄なのか、いつもドタバタやっている印象がある。WIKI(*は修一の補足)から引用すると――

<マクロンは2022年ロシアのウクライナ侵攻開始に前後してプーチン大統領と電話を中心に十数回会談しているが、侵攻の阻止や早期撤退を説得することはできなかった(*それどころかマクロンは「侵攻はあり得ない」とさえ言っていた)。(*ロシアによる侵攻が始まるとフランスは大国なのにお義理で?)ウクライナには兵器も供与しており、同年6月16日にはウクライナの首都キーウを訪問して「ウクライナは勝利しなければならない」と語った。

それ以前は「ロシアとウクライナは兄弟の国民」(2022年4月)などロシア寄りと受け取られる発言を度々しているため、ウクライナでは「心配するふりをして何も行動しない」という意味で「マクロンする(マクローニッティ)」という新語が使われるようになった。

2023年4月、マクロンは訪中して習近平主席と会談。帰国の途中で「台湾の危機はわれわれの危機ではない」との発言を行い、台湾有事を許容する可能性を示唆した>(以上)

第2次世界大戦でフランスはヒトラー・ドイツの侵攻を受けるとさっさと無血開城した(1940年5月)。事大主義(強者に従うヘタレ)の根性なし(マクロンする)みたいだが、当時のフランスのレオン・ブルム政権はアカの「フランス人民戦線派」に乗っ取られていたから、ナチスの「国家社会主義ドイツ労働者党」の看板にまんまと騙されたのかも知れない(マクロンする!)。

無血開城を良しとしないドゴール将軍はロンドンに亡命政府「自由フランス」を結成し、対ドイツ戦を開始。幸いにも救国の英雄になったが、戦後は“解放軍”である米国による属国化を牽制するためだろう、悪の帝国ソ連と誼(よしみ)を通じた。米国から見れば「恩知らずの裏切り者め!」だが、フランスからすれば「国益最優先の外交のどこが悪い? 米国だって国益優先で参戦したじゃないか」というわけだ。

悪いのである。米国を好きな国なんてまずないが、世界中を共産主義化したい赤色独裁国家を抑え込むには米国の軍事力が必要で、本音はともかく「米国と仲良し」であるというパフォーマンスは重要なのである。

それなのにこれ見よがしにソ連といちゃつけば、米国のみならず多くの自由主義国は「フランスは信用できない、何考えているのか」と不信を抱いてしまう。どっちつかずのマクロン流“曖昧戦略”・・・両陣営から嫌われるだろう。

フランス人がフランス革命(1789~)で得たのは何か。宗教崩壊、カオス、ナポレオン独裁、「自由」という徹底的な個人主義、利己主義、そして第2次世界大戦後も続いたフランス共産党の大躍進である(今は絶滅危惧種)。

モーパッサンの「脂肪の塊」、カミュの「異邦人」、プルーストの「失われた時を求めて」、デュ・ガールの「チボー家の人々」などを読むと伝統的モラルの崩壊、エゲツナイほどの個人主義・利己主義、異端への攻撃、孤立を恐れるための言論自主規制などなどにゲンナリさせられる。作者の中には「それでいいのか」と諫める人もいるが、「私は私、あなたはあなた、干渉しないで」という“自由至上主義”により無視されるようだ。

マクロン流のフランス式自由の極めつけは、風向きが変わると平気の平左で「ヘンシーン!」することだろう。外交で「ヘンシーン!」されると、フランスとは付き合いきれないと不信感を持つ国が急速に増えてしまうのではないか。以下の在日フランス大使館サイト「マクロン大統領とウクライナのゼレンスキー大統領は2023年5月14日にパリで首脳会談を行い、共同声明を発表」(日本語仮訳)を読みながらそんな懸念を覚えた。

<ウクライナ大統領とフランス共和国大統領は2023年5月14日、パリにおける会合で以下の声明を発表した。

ウクライナ、フランス両国大統領はロシアが現在進めている対ウクライナ侵略戦争に対する明確な非難を再確認する。ウクライナはまったくいわれのないこの不当な攻撃に対する正当防衛の固有の権利を行使する上で注目すべき決断力を発揮した。ロシアは国際的に認められた国境内のウクライナ全土から全軍を即時、完全、無条件に撤退させなければならない。

フランスとウクライナはロシアに対し、同国軍による無責任な占拠と軍事基地化が重大な脅威になっているザポリージャ原子力発電所から撤退するよう明確に呼びかける。

フランスは国際的に認められた国境内におけるウクライナの独立、主権、領土保全を尊重する揺るぎない立場を堅持する。フランスはウクライナ国民と同国軍の決意と勇気に敬意を表し、ヨーロッパ大陸およびその他の諸国の安全保障に対する多大な貢献を認める。

フランスはウクライナに政治的、財政的、人道的、軍事的支援を、個別またはヨーロッパ連合(EU)、北大西洋条約機構(NATO)、国際連合およびその他の機関との国際協力を通して必要な限り提供し続ける。フランス、ウクライナ、その他のパートナーは、ヨーロッパ大陸の安全を守りつつ、法の支配に基づく国際秩序も守る、云々>

風の向くまま風見鶏、明日は明日の風が吹く、朝令暮改は当たり前、恥という字は知りません・・・マクロンのフランスってシュール過ぎ! 小生の脳みそでは難しくて、まるで異次元。CNN 2023/6/13「仏大統領 ウクライナの反攻『始まった』」から。
 
<マクロン大統領は12日、「綿密に」計画されたウクライナによる反転攻勢が「数日前」に始まったと述べた。ウクライナのどこで始まったのかについては明言しなかった。マクロン氏はパリで、ドイツとポーランドの首脳と記者会見に臨み、ウクライナ軍の指導層の戦術的な判断と組織の優秀さをたたえた。

マクロン氏によれば、ウクライナによる反攻は数週間あるいは数カ月にわたって計画された。マクロン氏は、フランスが開戦以降、ウクライナに対して、武器や弾薬、装甲車両、後方支援の供与を強化してきたと述べた。こうした支援は今後も継続するという>(以上)

「マクロンする(マクローニッティ)」・・・フランス人は言行不一致が常態化しているのか? それが処世術なのか? フランス人の多くは自国を自由平等友愛の国だと思い、それを誇りとしているようだが、現実は「西欧で最も階級的な縦型社会」という説がある。要は――

▼企業と政府が密着、一体化:政治、経済は高等教育機関「グランゼコール(エリート養成校)」出身者が牛耳っている。大企業のトップ、例えば日産に大ダメージを与えたカルロス・ゴーンもグランゼコール出身。

<フランスは圧倒的な学歴社会で上位グランゼコール出身者は高級官僚あるいは大手企業の幹部として将来を嘱望される。フランスの多くの大統領や政治家や高級官僚は、グランゼコールの「パリ政治学院」「国立公務学院」(INSP、旧名ENA)卒業者である。マクロン大統領は法学部およびパリ政治学院出身>(WIKI)。

▼戦後フランスの第一党は共産党:戦勝国となったスターリン・ソ連は世界中の共産主義者の「赤い星」になり、戦時中は大人しくしていたいずこの国の共産主義者も「世界革命近し」と元気になった。フランス共産党は1945年と46年11月の選挙で第一党となったが、この時期がピークで以降は下り坂。

▼ストライキ、抗議、デモでガス抜き?:「世界革命遠し」になると特に若者は鬱屈するようだ。大学で良い成績に励み、卒業して良い就職先に潜り込み、たとえ平々凡々であっても穏やかな日々を送る・・・そんなのは嫌だ、と思う人もいる(小生もそうだった)。

フランス人は1789年の革命以来、内乱、戦争、紛争が絶えなかった。それが1945年の終戦以降は20年以上も深刻な争いがない。戦後生まれは危機を知らないから無風の「平和」に耐えられないのだ。文句を言うのが好きで、ワクワクドキドキする生き甲斐を求める。かくして1968年に「もっと自由を! 新しい本物の共産主義革命を!」と「フランス五月革命」が勃発する。

そうした“怒れる若者の反乱”は先進国にあっては共産党など伝統的な既成左翼への痛打にはなったが、「おもしろうてやがて悲しき鵜舟かな」、60年代にほぼ消滅した。「新しい、真の共産主義」を象徴する毛沢東の文化大革命が「毛沢東の復権を目指すただの権力闘争」だと知れ渡ったことが大きく影響したろう。一将功成りて万骨枯る・・・

五月革命は68年末には消滅したが、弾圧に屈したのではなく、自滅したのである。

「すべての講義が中断された。教授は大教室での自分の講義時間内に集会を催し、デモでは先頭に立って歩んだ。私も出掛けたが、自動車に火が放たれ、窓ガラスが割られるのを眺めているだけだった。破壊こそが私を引き付けたのであって、敷き石を我が物にする人たちの理念に引かれたわけではなかった。その代わり、ガソリンの配給制には大いに困った。この国はマヒに陥るだろうという噂が広まり、予備のガソリン探しが一番の関心事となった」(パスカル・ローズ「ゼロ戦 沖縄・パリ・幻の愛」)

それ以来、革命ができないから「ストライキ、抗議、デモ」でガス抜き」するのが常態化した。糞尿を撒き散らしたりして鬱憤を晴らすのも常套手段になった。民度低過ぎ、みっともないが、伝統なのか?

中世のパリでは道路にゴミや糞尿を捨てるのが普通だった。「2階からばら撒く人もいるから道路の真ん中を歩かないと糞尿シャワーを浴びる。汚いセーヌ川の水がそのまま煮沸せずにテーブルに供される」(本城靖久「グランドツアー」)。臭くて汚い悪い習慣は止めた方がいい。
・・・・・・・・・
産経パリ支局の三井美奈氏曰く――
<花の都パリはネズミの都でもある。市人口の2倍以上の600万匹いるという。子猫かと思うほどの大きい奴がチョロチョロしている。
パリ市は150万ユーロ(2億円)をかけてネズミ駆除を進めてきたが手に負えないと悟ったらしい。市議会で助役が「共生に向けて委員会を設置する」と宣言した。動物保護団体は歓迎した。これからは鳩や野良猫並みにネズミにも優しい視線を向けねばならないらしい。

パリは何度もペストに襲われ、14世紀には人口の3分の1を失った。第一大戦後の1920年にも流行した。
コロナ禍の最中、そんな歴史に目が向けられ、市内は消毒が行き届き、見違えるようにきれいになった。それも束の間、今春はストでゴミ収集が1か月近く止まり、悪臭プンプンだった。ネズミは昼から路上を闊歩し、大胆になった>(産経6/16「パリの窓 ネズミと共生」)

フランスはそういう、小生から見れば異次元の人たちの国なのだろう。フランス人から見れば小生や日本人は蛮族やネズミみたいなもので、その「上から目線」的見方は明治以来今でも変わっていないよう。フランスとは距離を置いて付き合わないとロクなことにならないのかもしれない。遅ればせながら小生も肝に銘じよう。

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有事戦時は日本を取り戻す好機

2023-06-16 10:14:22 | 戦争
有事戦時は日本を取り戻す好機
“シーチン”修一

【雀庵の「大戦序章」188/通算619 2023(令和5)/6/16/金】渡部亮次郎氏のメルマガ「頂門の一針」6/14に元朝日新聞記者の峯村健司氏の論稿があった。2年ほど前に氏の「潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日」(朝日新聞出版))を読んで小生は「朝日にもまともな記者がいるのだ!」と感動したが、随分評判が良かったようで昨年は「増刷になりそうだ」と氏も嬉しそうだった。

ところが中国のポチのような朝日の幹部にとって、それは面白くないだろう。峯村氏の退職に際して退職金を渋るような嫌がらせをしたのではないか。とにもかくにも無事に離脱できたのは良かった。その後は「ウクライナ戦争と米中対立 帝国主義に逆襲される世界」(幻冬舎新書)、「習近平・独裁者の決断」(ビジネス社)を上梓、さらに今は「キヤノングローバル戦略研究所」(CIGS)主任研究員に。1974年生まれだから49歳、水を得た魚のように健筆を振るって欲しい。CANON=観音様も見守っている。

それにしても朝日新聞。直近のデータ(日本ABC協会2022年7~12月の平均販売部数)によると397万部と、400万部を切った。全盛時代は800万部を誇っていたがついに半減。もっとも小生の愛読する産経は99万部で100万部を切ってしまったが・・・思うようにはいかないものだ。めげずに産経は「3K=教養、改革、救国」のオピニオンペーパーで行くべし。

「人生は思うようにはいかない」のが初期設定なのだろう。逆境に遭っても戦意を失わない、明日を信じて踏ん張る・・・先輩たちも大和魂や武士道、汗と涙で苦難を乗り越えてきたのだ。上杉鷹山曰く「為せば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり」。嘆く暇があったら、たとえ1ミリでも前進しろ、ということだろう。諦めたらそこで終わり。

6/8号で曽野綾子氏のエッセイ「思い通りにいかないから人生は面白い」の
中にある「アラビアのロレンス」の“同僚”の話を紹介した。ロレンスに興味を持ったので早速、図書館で『「アラビアのロレンス」の真実 「知恵の七柱」を読み直す』 田隅恒生著(平凡社、2013年)と『砂漠の反乱』 小林元訳(中公文庫、2001年)を借りてざっくり読んだ。

分かったことはロレンスの主著「知恵の七柱」は恐ろしく難解で、学術的史実解釈としても、文学としても、未だに賛否両論があるということ。司馬遼太郎などの「歴史小説」のように著者の解釈や脚色があることを前提に読んだ方が良さそうだ。夏彦翁曰く「人皆飾ってモノを言う」。「知恵の七柱」について田隅氏はこう結んでいる。

<最後に、ロレンス自身が「知恵の七柱」について語った言葉を挙げておきたい。彼が1933年にリデル・ハートと同書執筆にまつわる話をした時に、ついでのように語った言葉がある。「(SF作家の父と言われる)H.G. ウェルズが『知恵の七柱』を、偉大な人間記録ではあるが芸術作品ではないと言っていた。逆なのだ。(ソクラテスの弟子)クセノポンの「アナバシス(進軍)」といった人間記録などではなく、芸術を狙った作りものの無理作品だ」

ロレンスは精魂込めた自作を全力で貶(けな)すことにも熱心だったため、彼の言葉の真意は推測するしかないが、思わず漏らしたこの一言が「知恵の七柱」の本質を率直に言い得ているかもしれない>

実体験をもとにあれこれプラスして創作した小説が図らずも「実話、史実」と受け止められて大評判になり、今更「あれは創作、歴史小説」と言えなくなってしまったよう。

司馬遼太郎が歴史小説として面白おかしく創作した「竜馬」と歴史学者の研究による「坂本龍馬」はほとんど別だというが、今でも「司馬史観」は人気があり、小生も一時期は夢中になって司馬遼の作品の8割ほどは読んだが、そのうち「この人はちょっとおかしい、偏見が激し過ぎる、いささか傲慢」と距離を置くようになった。産経出身なのにほとんど朝日脳・・・中共が好きで日米は嫌いのようだ。

1945年からの戦後体制が終わりつつあり、新たな戦時体制へ向かう中で「司馬史観」もやがては「敗戦後の昭和文学」にくくられるのだろう。もっとも昭和が終わり平成以降の多く人はTV、ウォークマン、ポケベル、PC、ケータイ、スマホなどに脳みそを占拠されているから、「敗戦後の昭和文学」も多くは演歌同様に消えていくのだろう。

世界中がボーっとしている間に迎えた21世紀版「新たな有事・戦時」。熱戦か冷戦か、局地戦か大戦か・・・先行きは分からないが、ソ連崩壊を機に独立したウクライナに「もう大丈夫だから」と核兵器を放棄させた英米が今のロシアによるウクライナ侵略を招いてしまったことは確かだ。英米はウクライナを全力で支援し続ける義務がある。英「エコノミスト」誌2023/6/10「反撃に出るウクライナ 自分たちの領土を取り戻す戦い、西側に決断の時」から。(JBpress 2023/6/12掲載)

<ウクライナの反攻が本格的に始まった。ウクライナ軍は何週間もかけて、1000キロに及ぶ前線沿いを偵察して作戦を練り、弱点を探り、ロシア軍を撹乱してきた。そして現在、東部と南部に連なる敵の陣地に数カ月ぶりの激しい攻撃を加え、敵の防御を試している。

6月6日にカホフカ水力発電所のダムが爆破された模様だが、もしこれが西側軍事筋の見立て通りロシアの破壊工作であるなら、ロシアがすでにプレッシャーを感じている明らかな証拠になる。これから数日のうちに、いろいろなことが起きる。主力部隊はまだ戦場に送られていない。作戦は夏に入ってもしばらく続く。

しかし、向こう数週間に起きることはウクライナ自体の将来のみならず、欧州全体の安全保障の秩序を形作ることになる。決断を下す時がやって来た。

ウクライナの任務は、有り体に言えば、プーチンとその取り巻き、ロシア国民、そして戦争の様子を見守る世界中の人々に対し、ロシアに勝ち目はないこと、この侵略が最初から間違いであったこと、ウクライナとその西側の支援国よりも長期間戦う力はロシアにないこと、そしてクレムリンにとって最善の選択肢はロシアがこれ以上の損害と屈辱を味わう前に白旗を揚げることだと知らしめることだ。

これは容易なことではなく、失敗するリスクも現実にある。だが、ウクライナの驚くほど固い決意と、予想以上に結束した西側諸国の強力な支援のおかげで、任務の成功は不可能ではなくなっている。

成功のためには、最強クラスの外交的・軍事的支援、そして今後何年間もウクライナの味方になるという西側の明確な約束の2つが今すぐ必要だ。プーチンが自分が選んだ愚かさ極まる方針について自分自身や国民に嘘をつける状況は、もう終わらせなければならない>(以上)

安全保障を米国に依存する日本は、危険なロシア・中共の戦意を喪失させるためにもウクライナをもっともっと積極的に支援すべきだが、その動きはようやく始まってきたようである。NHK2023/6/12「NATO発足以来最大規模の空軍演習始まる ロシアを強くけん制か」によると――

<NATO=北大西洋条約機構の発足以来、最大規模となる空軍の演習が12日からドイツで始まった。NATO加盟国から戦闘機など250機が参加し、NATOの抑止力を示し、ウクライナ侵攻を続けるロシアを強くけん制するねらいがあるとみられる。

【加盟国中心に25か国 戦闘機など250機と兵士1万人が参加】ドイツ北部の基地などで始まった演習は、ヨーロッパ各国やアメリカなどNATO加盟国を中心に25か国が参加し、戦闘機など250機と1万人の兵士が参加している。

演習を主導するドイツ軍によると、1949年のNATOの設立以来、最大規模の空軍の演習になる。また、アジアから唯一、日本の航空自衛隊の幹部もオブザーバーとして参加する予定だという。

演習は6月23日まで行われ、主にドイツの上空でNATO加盟国が他国から攻撃を受けた際に、防衛にあたるシナリオを想定し、各国の空軍の連携強化を目的としている。この中には、ウクライナで大きな被害が出ている無人機や、弾道ミサイルによる攻撃を撃退する訓練も含まれているという。

ドイツ軍によると、今回の演習はロシアによるウクライナ侵攻の前から計画されていたが、侵攻を受けて空軍力の重要性は一層高まり、NATOの抑止力を示す必要があるとしていて、ロシアを強くけん制するねらいがあるとみられる。

【専門家「この演習は戦うための演習だ」】ヨーロッパの安全保障政策に詳しいドイツ外交問題評議会のクリスティアン・メリング氏は、ヨーロッパでNATO加盟国による大規模な空軍の演習が行われるのは異例だと指摘する。

そして、「NATOは今回のような大規模な演習は必要ないと考えてきたが、2014年のウクライナ危機で認識を改めた。戦争が起きた場合、ヨーロッパの空域で各国のパイロットが連携して活動できることが重要になっていて、この演習は戦うための演習だ」と話し、演習が有事を想定した実戦的なものだとしている。

【“演習には中国をけん制するねらいも”】そして、「ドイツの将軍たちは、演習がロシアに対する抑止のメッセージだと明確にしているが、ロシアのあとには中国の問題が迫っているという認識がある。ロシアと中国はこの演習の軍事的な側面だけでなく、政治的な側面も注意深く観察するだろう」と話し、演習にはロシアだけでなく、中国をけん制するねらいもあるとの見方を示している>(以上)

日経2023/6/13「NATO、日韓豪NZと新協力計画 サイバー・宇宙で連携」から。
<NATOは日本と韓国、オーストラリア、ニュージーランド(NZ)の4カ国と新たな協力計画をつくる。サイバーセキュリティーや宇宙、偽情報対策など安全保障に関わる分野で連携を強化する。欧米の加盟31カ国とインド太平洋の4カ国が結束を深め、対中国で抑止力を高める。NATOと日本は年内にも新たな協力計画を取りまとめる方針だ。インド太平洋の3カ国とも同時並行で個別に調整を進める>

自由世界の敵である中露に対する包囲網が少しづつではあるが着実に進んでいる。日本が「日本を取り戻す」絶好の機会でもある。備えあれば患いなし、交戦能力を高めるべし。

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