中露に侵される日本領土
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」132/通算564 2023/1/31/火】先週は風邪をひいて鼻水が止まらず散々だったが、カミサンが買ってきてくれた総合感冒薬「パイロンPL顆粒」(シオノギ)を25日の夕食後から服用したら随分楽になった。27日には恐るおそる風呂に入り、28日は近くを散歩、29日は無理しないようにチャリ散歩した。
痛い目に遭うと「油断大敵」と思うのだが、元気になるとすっかり忘れて無理をし、体調を崩す・・・人間というか歴史はその繰り返しなのだろう。禍福は糾える縄の如し、永遠の平和も永遠の戦争もない。今の世界は平時から有事への転換期なのかもしれない。
山本皓一氏著/写真「中国・ロシアに侵される日本領土」(2022/10/31初版、小学館)を読んでいるが、中共のエゲツナサ、貪欲、交戦意欲の凄まじさに「ここまでやるか?!」と圧倒される思いだ。
中共の外交の基本は「恥も外聞もない、嘘だろうが恐喝だろうが、どんな手を使っても国益を拡大できれば良し」で、小生のような「清く正しく美しく、欲少なく足るを知る」を心掛けている“清貧教徒”から見れば習近平・中共は「特定危険指定暴力団」だ。見つけ次第駆除したいが、構成員が14億人!・・・こちらが排除されそうで、まったく厄介である。
我々は勝てるのか? 世界最大の大清帝国は当時の列強から畏怖されていたが、あれよあれよという間に消滅した。その後継の中華民国もあれよあれよという間に中共によって大陸から台湾へ追放された。中共は世界帝国を目指したが、2022年あたりから同胞のロシアと共に斜陽に向かっているよう・・・諸行無常、栄枯盛衰は世の常か? 同書のPRにはこうある。
<【尖閣、北方領土ほか「日本の国境」最新撮】尖閣諸島海域ではほぼ毎日のように中国艦船の「領海侵入」が発生し、日本の海上保安庁との“海戦”が起きている。
北に目を向けると、根室・納沙布岬沖ではロシア艦船の監視のもと、日本の漁師が怯えながら漁をしている現実があり、30年間続いてきた「ビザなし交流」は一方的に破棄された。
日本の最南端・沖ノ鳥島は、中国が「日本の領土ではない」との主張を強め、習近平が狙う太平洋進出の“標的”となっている。そして韓国による実効支配が続く竹島では、「日本人が経済活動を営んでいた歴史」が次々と消されている――
このように「日本の領土・領海」でありながら、日本人が近づくことさえ難しい国境の島々を、著者は現在に至るまで30年以上にわたって撮影してきた。本書で訴えたいことは、「領土を返せ」「領土を守れ」というスローガンではない。
日本の国境で起きている現実と、それらの島々で生きてきた日本人の歴史に目を向けてほしいという思いである。「日本人が行けない日本領土」であるからこそ、日本人のカメラマンが撮影し、記録し、後世に伝える意味がある。
【編集担当からのおすすめ情報】本書の著者・撮影者である報道写真家・山本皓一氏は1943年生まれの79歳。この大ベテランが、荒波の中を片道6時間かけて中国の海警船が航行する尖閣諸島へ、あるいは片道90時間かけて日本最南端・沖ノ鳥島を撮影してきたこと自体、驚きの取材活動といえるのではないでしょうか(しかもコロナ禍の中で)。
山本氏にとって「日本の国境」は、写真家人生を捧げた被写体であり、まさにライフワークです。そして本書で取り上げる国境の島々(尖閣諸島、北方領土、沖ノ鳥島、南鳥島、竹島)は、実は日本人が訪問することが最も困難であり、危険な場所でもあります。
そうした島々の姿・記録・歴史を少しでも多く残し、日本人に知ってもらいたい――傘寿を迎えても衰えることのない著者の熱意と執念にも驚いてください>(以上)
同書で小生は初めて知ったのだが、1920年5月20日に中華民国駐長崎領事から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島で中国人遭難者を救助したとして沖縄県石垣村の漁民へ送られた感謝状」というのがある。原文は小生の能力不足で一部判読できなかったが概ね以下である。
<感謝状 中華民国八年冬 福建省恵安県漁民 郭合順等三十一人 遭風遇難嵐泊至 日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣村長豊川善佐君 熱心救護使得生還故国 洵属救○○○富仁不譲深堪感○特 贈斯状以表謝〇 中華民国駐長崎領事〇〇 中華民国九年五月二十日>
この感謝状の実物は2枚残っているそうで、以下の内閣府のサイトで見られる。
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1920052000203/s1920052000203-p02.pdf
山本皓一氏はこう書いている。
<最初にこの文書の存在を教えてくれたのは大濱長照・石垣市長(当時)だった。玉代世勢孫伴(たまよせ そうばん)という当時の石垣村助役の子孫が私蔵していたもので、石垣市役所に寄贈されていた。それを知って石垣市の文書課に足を運び「感謝状」の複写を手に入れることができた。
私はその文書の存在を著書で指摘したが、当時はまったくと言っていいほど反響はなかった。一般の日本人はもちろんのこと、尖閣諸島の問題に関心を持つような報道関係者も極めて少なかった。
その後、さらにこの感謝状の背景を調査していた私は、2005年、同じ石垣市役所の文書課に埃まみれで保存されていた39枚の公電記録を発見した。そこには「感謝状」の遭難事件の詳細な内容が記録されていた。
私はそこでもその文書のコピーを要求したが、当時の市役所の文書課長は「外務省の許可がないと渡せない」という。私は外務省と交渉し「90年近く前の文書を出せない理由があるのか」と詰め寄った。そうしてやっと公電記録を手に入れ、遭難事件から感謝状に至る詳細な経緯が明らかにされたのである。現在は国立公文書館で閲覧できるようになった>
同志諸君、一寸先は闇だ! 風邪が治り始めたら今度は突如としてパソコンが機能不全に。復旧に悪戦苦闘しひどく消耗したので、ここまで書くのがやっとだった。以下は次号に紹介します。軟弱だが“華麗なる加齢”は難しい、トホホの気分。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
https://note.com/gifted_hawk281/n/n9b3c7f4231f9
https://www.facebook.com/shuichi.ishii.14
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」132/通算564 2023/1/31/火】先週は風邪をひいて鼻水が止まらず散々だったが、カミサンが買ってきてくれた総合感冒薬「パイロンPL顆粒」(シオノギ)を25日の夕食後から服用したら随分楽になった。27日には恐るおそる風呂に入り、28日は近くを散歩、29日は無理しないようにチャリ散歩した。
痛い目に遭うと「油断大敵」と思うのだが、元気になるとすっかり忘れて無理をし、体調を崩す・・・人間というか歴史はその繰り返しなのだろう。禍福は糾える縄の如し、永遠の平和も永遠の戦争もない。今の世界は平時から有事への転換期なのかもしれない。
山本皓一氏著/写真「中国・ロシアに侵される日本領土」(2022/10/31初版、小学館)を読んでいるが、中共のエゲツナサ、貪欲、交戦意欲の凄まじさに「ここまでやるか?!」と圧倒される思いだ。
中共の外交の基本は「恥も外聞もない、嘘だろうが恐喝だろうが、どんな手を使っても国益を拡大できれば良し」で、小生のような「清く正しく美しく、欲少なく足るを知る」を心掛けている“清貧教徒”から見れば習近平・中共は「特定危険指定暴力団」だ。見つけ次第駆除したいが、構成員が14億人!・・・こちらが排除されそうで、まったく厄介である。
我々は勝てるのか? 世界最大の大清帝国は当時の列強から畏怖されていたが、あれよあれよという間に消滅した。その後継の中華民国もあれよあれよという間に中共によって大陸から台湾へ追放された。中共は世界帝国を目指したが、2022年あたりから同胞のロシアと共に斜陽に向かっているよう・・・諸行無常、栄枯盛衰は世の常か? 同書のPRにはこうある。
<【尖閣、北方領土ほか「日本の国境」最新撮】尖閣諸島海域ではほぼ毎日のように中国艦船の「領海侵入」が発生し、日本の海上保安庁との“海戦”が起きている。
北に目を向けると、根室・納沙布岬沖ではロシア艦船の監視のもと、日本の漁師が怯えながら漁をしている現実があり、30年間続いてきた「ビザなし交流」は一方的に破棄された。
日本の最南端・沖ノ鳥島は、中国が「日本の領土ではない」との主張を強め、習近平が狙う太平洋進出の“標的”となっている。そして韓国による実効支配が続く竹島では、「日本人が経済活動を営んでいた歴史」が次々と消されている――
このように「日本の領土・領海」でありながら、日本人が近づくことさえ難しい国境の島々を、著者は現在に至るまで30年以上にわたって撮影してきた。本書で訴えたいことは、「領土を返せ」「領土を守れ」というスローガンではない。
日本の国境で起きている現実と、それらの島々で生きてきた日本人の歴史に目を向けてほしいという思いである。「日本人が行けない日本領土」であるからこそ、日本人のカメラマンが撮影し、記録し、後世に伝える意味がある。
【編集担当からのおすすめ情報】本書の著者・撮影者である報道写真家・山本皓一氏は1943年生まれの79歳。この大ベテランが、荒波の中を片道6時間かけて中国の海警船が航行する尖閣諸島へ、あるいは片道90時間かけて日本最南端・沖ノ鳥島を撮影してきたこと自体、驚きの取材活動といえるのではないでしょうか(しかもコロナ禍の中で)。
山本氏にとって「日本の国境」は、写真家人生を捧げた被写体であり、まさにライフワークです。そして本書で取り上げる国境の島々(尖閣諸島、北方領土、沖ノ鳥島、南鳥島、竹島)は、実は日本人が訪問することが最も困難であり、危険な場所でもあります。
そうした島々の姿・記録・歴史を少しでも多く残し、日本人に知ってもらいたい――傘寿を迎えても衰えることのない著者の熱意と執念にも驚いてください>(以上)
同書で小生は初めて知ったのだが、1920年5月20日に中華民国駐長崎領事から「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島で中国人遭難者を救助したとして沖縄県石垣村の漁民へ送られた感謝状」というのがある。原文は小生の能力不足で一部判読できなかったが概ね以下である。
<感謝状 中華民国八年冬 福建省恵安県漁民 郭合順等三十一人 遭風遇難嵐泊至 日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島内和洋島承 日本帝国八重山郡石垣村長豊川善佐君 熱心救護使得生還故国 洵属救○○○富仁不譲深堪感○特 贈斯状以表謝〇 中華民国駐長崎領事〇〇 中華民国九年五月二十日>
この感謝状の実物は2枚残っているそうで、以下の内閣府のサイトで見られる。
https://www.cas.go.jp/jp/ryodo/shiryo/senkaku/detail/s1920052000203/s1920052000203-p02.pdf
山本皓一氏はこう書いている。
<最初にこの文書の存在を教えてくれたのは大濱長照・石垣市長(当時)だった。玉代世勢孫伴(たまよせ そうばん)という当時の石垣村助役の子孫が私蔵していたもので、石垣市役所に寄贈されていた。それを知って石垣市の文書課に足を運び「感謝状」の複写を手に入れることができた。
私はその文書の存在を著書で指摘したが、当時はまったくと言っていいほど反響はなかった。一般の日本人はもちろんのこと、尖閣諸島の問題に関心を持つような報道関係者も極めて少なかった。
その後、さらにこの感謝状の背景を調査していた私は、2005年、同じ石垣市役所の文書課に埃まみれで保存されていた39枚の公電記録を発見した。そこには「感謝状」の遭難事件の詳細な内容が記録されていた。
私はそこでもその文書のコピーを要求したが、当時の市役所の文書課長は「外務省の許可がないと渡せない」という。私は外務省と交渉し「90年近く前の文書を出せない理由があるのか」と詰め寄った。そうしてやっと公電記録を手に入れ、遭難事件から感謝状に至る詳細な経緯が明らかにされたのである。現在は国立公文書館で閲覧できるようになった>
同志諸君、一寸先は闇だ! 風邪が治り始めたら今度は突如としてパソコンが機能不全に。復旧に悪戦苦闘しひどく消耗したので、ここまで書くのがやっとだった。以下は次号に紹介します。軟弱だが“華麗なる加齢”は難しい、トホホの気分。
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目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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