雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(111」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/210(2020/11/28/土】荷風の昭和10/1935年あたりの作品には「50歳ほどの初老の男」という表現がある。夏彦翁によると、明治以降は12歳ほどから奉公(就職)、手に職を付け、18歳で徴兵、20歳で一人前、2年間の「お礼奉公」を経て23歳で独立、「大工○○」「庭師△△」の看板を掲げ、所帯を持ち、親方として敬意を表され、弟子を育てる、これが普通だった。
だから50歳で初老、55歳辺りで看板暖簾、家督(≒納税義務)を次代に譲って「隠居」、町内の世話役や、趣味道楽、手習い所、学問、中には伊能忠敬のように55歳で全国測量踏査を始めるという、廃車寸前どころか「これからが俺の人生だ!」と発奮する奇跡的な猛者もいた。WIKIから。
<忠敬は出発直前、蝦夷地取締御用掛の松平信濃守忠明に申請書を出した。そこでは自らの思いが次のように綴られている。
「私は若い時から数術が好きで、自然と暦算をも心掛け、ついには天文も心掛けるようになりましたが、自分の村に居たのでは研究も思うようには進まないので、高橋作佐衛門様の御門弟になって六年間昼夜精を出して勉めたおかげで、現在は観測などもまちがいないようになりました。
この観測についてはいろいろな道具をも取りそろえ、身分不相応の金もつかいました。隠居のなぐさみとはいいながら、私のようなものがこんな勝手なことをするのはまことに相済まないことでございます。
したがって、せめては将来の御参考になるような地図でも作りたいと思いましたが、御大名様や御旗本様方の御領内や御知行所などの土地に間棹や間縄を入れて距離を測りましたり、大道具を持ち運ぶなどいたしますとき、必ず御役人衆の御咎にもあうことでありましょうし、とても私どもの身分ではできないことでございます。
ありがたいことにこのたび公儀の御声掛りで蝦夷地に出発できるようになりました。ついては、蝦夷地の図と奥州から江戸までの海岸沿いの諸国の地図を作って差し上げたいと存じますので、この地図が万一にも公儀の御参考になればかさねがさねありがたいことでございます。
地図はとても今年中に完成できるわけではなくおよそ三年ほど手間取ることでございましょう」
忠敬一行は寛政12/1800年閏4月19日、自宅から蝦夷地へ向けて出発した。忠敬は当時55歳で、内弟子3人(息子の秀蔵を含む)、下男2人を連れての測量となった。富岡八幡宮に参拝後、浅草の暦局に立ち寄り、至時(忠敬の師、天文学者・高橋至時:よしとき)宅で酒をいただいた。千住で親戚や知人の見送りを受けてから、奥州街道を北上しながら測量を始めた、云々>
自由主義国の国民の税金でオイシイ思いをしながら共産主義を説く寄生虫学者がごろごろしているが、伊能忠敬と比べると「月とサナダムシ」、そう言えば革マル教祖のクロカンは「組織を乗っ取れ、深く静かに潜行せよ、サナダムシ戦略で行け!」と煽っていたっけ。
結党100年の日共に倣って革マル機関誌は「日本学術会議会員の任命拒否を許すな」と吠えているが、革マル系学者というのは聞いたことがないなあ。日共と違って革マルは貧乏だから学者も寄ってこないのか?
立憲民主党は革マルが産んだと小生は思っているが、立民にとって今は革マルは御用済みで、あまり相手にされていない、むしろ邪魔者なのかもしれない。革マル系のJR総連は最近、連合(日本労働組合総連合)との「総対話活動」を開催したが、JR総連は組合員が激減しており、連合は「革マルと手を切ってマトモなJR連合と一緒になれ」と勧めたはずだ。いずれそうなるだろう。
共産主義信奉者は世界中にゴロゴロしている。利権が絡んでいるから、本心はどうあれ紅い服やピンクの服を着て「リベラル」を装うのが作法で、枝野幸男は米国のアカの代表であるサンダースと会談し共鳴している。
雑誌フォーブスは「サンダースは金持ち、3軒の豪邸を持っている。彼は金持ち批判を繰り返すが、自分の資産についてはあまり雄弁ではない。フォーブスはこの件に関し、複数回に渡りサンダースの事務所にコメントを依頼したが、回答は得られていない」と皮肉っている。
そう言えばゴアも環境問題をネタに講演料や書籍販売で儲けていながら、豪邸の電気料は一般家庭の50倍と凄まじかったという。クリントン家の3人はもろ銭ゲバ。
貧者の味方、寄付を!→ 貧者市場で儲けている企業も寄付→ 潤沢な政治資金→ 選挙に勝てば貧者向けバラマキ福祉→ 企業もさらに儲かる→ 4年後も貧者の味方、寄付を!・・・この繰り返し。まるでクスリ漬け、インモラル、社会は停滞、やがて有能な人材は逃げ出す、そして後退へ。ソドム・ゴモラのように消えるか・・・
清貧・努力を良しとする日本人とは違う、思想が違う、価値観が違う・・・日本のリベラル≒アカの政治家、例えば枝野、辻元、志位、福島などを小生は軽侮、嫌悪しているが、蓮舫と違って彼らにはゼニの臭いはしない、むしろ貧乏臭い。なんだかんだと言っても物欲においてはつつましく、日本人的な感じはする。福島は落城寸前で老後が不安なのか、アワアワして日本人離れしていたけれど。
リベラル≒アカと言えば、産経に風刺漫画を描いている山田紳、いつも小生は「この人、産経読者がどんな人なのか全然分かってないみたい、朝日にでも描けばいいのに」と思っていたが、何と朝日がホームグランドだった。朝日は「護憲・保守・左翼」、産経は「改憲・改革・右翼」が基本だ。基本と大きく違う執筆者は排除して、生きのいい論客に活躍の場を提供することだ。
親米右翼だろうが国粋右翼だろうが、新聞メディアとしては「立ち位置を鮮明にしてブレない」「是々非々を曖昧にして媚びない」ことが大事。オピニオンリーダー、木鐸たらんとすればそれは必須だ。両論併記で右にも左にもいい顔をしているとコアの読者から見捨てられるぜ、のう、産経さん。
エドワード・ルトワック著「戦争にチャンスを与えよ」から。
<日本は中国に対し「曖昧な態度」を極力排除すべきだ。国際関係における「曖昧さ」は、相手に余計な選択肢を考えさせることにつながる。「曖昧さ」を排除するとは、相手に余計なスキを与えない、ということだ。中国に対して「曖昧さ」を残せば、それは中国側のさらなる誤解につながる。
例えば2014年の海底油田を巡る事件で、中国がベトナムを誤解したきっかけの一つは、その直前に中国共産党の外交担当の要人がベトナムを訪問したことにあった。
中共は、国(政府)とは別に独自に外交組織を持っている。かつては海外の共産党政権との付き合いがあったが、(ソ連崩壊後の)現在はキューバとべトナムだけであり、北朝鮮とは付き合いはない。
要するに彼らの主要な付き合いの相手はベトナム共産党だけだ。中共はベトナムにとって「兄」のような立場だとされ、ベトナムが中国側の支援に感謝を表明したりする。
このベトナムの態度が北京側の誤解のきっかけとなる「曖昧さ」につながった。北京側はベトナムが「冊封(さくほう)体制」(宗主国と朝貢国の関係)を受け入れたと思い込んでしまった。それが海底油田を巡る衝突事件につながった。ベトナムが(譲歩する用意があるといった)「ミックスド・シグナル」(曖昧なメッセージ)を発してしまったのだ。
私は日本に対して「中国を挑発せよ」と言うのではない。「曖昧さ」を排除せよ、ということなのだ。現在の尖閣諸島は、極めて危険な状態にある>
産経2020.4.12から。
<中国とベトナムは2014年5月、パラセル諸島付近で中国が油田掘削を行ったことで対立が先鋭化。両国の船舶同士の衝突が発生し、ベトナム国内では反中デモも展開された。近年も埋蔵資源を狙う中国の地質調査船がベトナムの排他的経済水域(EEZ)内で繰り返し確認され、ベトナム側は神経をとがらせている>
中共とソ連(ロシア)の国境紛争は1969年の武力衝突により双方で300人ほどの死傷者が出た。動員された兵力は中共81万、ソ連66万、核戦争も危惧されていたが、2005年にようやくすべての中露の国境画定に至った(2008年発効)。
背景には、ソ連が91年に崩壊して以降、後継のロシアは国力が不十分だったため中共との対立を緩和したかったこと、一方で中共は1989年の天安門事件でつまずいたものの改革開放で経済発展を最優先しており、ロシアの軍事力、特に核戦力を恐れていたこと、さらにロシア圏の市場と資源に魅力を感じていたことなどがあるだろう。
2012年に習近平時代が始まる。同年の国防費予算(中央政府分)は6000億元(約9兆円)だが、毎年大きく増加し、2020年は6.6%増の1兆2680億元(19兆1000億円)、米国に次ぐ規模だ。「米国との対立を念頭に置き、先端技術を駆使した『強軍』路線は今後も続きそうだ」(毎日2020/5/22)
中共が経済力と軍事力で米国が「射程」に入ってきたのは2012年9月に空母「遼寧」が海軍に引き渡された頃からだろう。2019年12月には中国初の国産1隻目となる空母「山東」も就役した。3隻目と4隻目は原子力空母になるらしい。
中共は当面はアジアの覇者を目指しているが、あまりにも強引、露骨で地域の反発を買っている。欧米の危惧も煽ってしまったが、中共は反省するどころか「やれるものならやってみろ、14億市場から締め出すぞ」とまずは豪州を叩き始めている。中共への警戒心を高め、反中包囲網で酸欠に追い込む必要性は日々高まっている。
「曖昧さ」のない断固とした自由主義圏の団結が世界秩序に不可欠だ。豪州産ワインでXマス、新年を! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/210(2020/11/28/土】荷風の昭和10/1935年あたりの作品には「50歳ほどの初老の男」という表現がある。夏彦翁によると、明治以降は12歳ほどから奉公(就職)、手に職を付け、18歳で徴兵、20歳で一人前、2年間の「お礼奉公」を経て23歳で独立、「大工○○」「庭師△△」の看板を掲げ、所帯を持ち、親方として敬意を表され、弟子を育てる、これが普通だった。
だから50歳で初老、55歳辺りで看板暖簾、家督(≒納税義務)を次代に譲って「隠居」、町内の世話役や、趣味道楽、手習い所、学問、中には伊能忠敬のように55歳で全国測量踏査を始めるという、廃車寸前どころか「これからが俺の人生だ!」と発奮する奇跡的な猛者もいた。WIKIから。
<忠敬は出発直前、蝦夷地取締御用掛の松平信濃守忠明に申請書を出した。そこでは自らの思いが次のように綴られている。
「私は若い時から数術が好きで、自然と暦算をも心掛け、ついには天文も心掛けるようになりましたが、自分の村に居たのでは研究も思うようには進まないので、高橋作佐衛門様の御門弟になって六年間昼夜精を出して勉めたおかげで、現在は観測などもまちがいないようになりました。
この観測についてはいろいろな道具をも取りそろえ、身分不相応の金もつかいました。隠居のなぐさみとはいいながら、私のようなものがこんな勝手なことをするのはまことに相済まないことでございます。
したがって、せめては将来の御参考になるような地図でも作りたいと思いましたが、御大名様や御旗本様方の御領内や御知行所などの土地に間棹や間縄を入れて距離を測りましたり、大道具を持ち運ぶなどいたしますとき、必ず御役人衆の御咎にもあうことでありましょうし、とても私どもの身分ではできないことでございます。
ありがたいことにこのたび公儀の御声掛りで蝦夷地に出発できるようになりました。ついては、蝦夷地の図と奥州から江戸までの海岸沿いの諸国の地図を作って差し上げたいと存じますので、この地図が万一にも公儀の御参考になればかさねがさねありがたいことでございます。
地図はとても今年中に完成できるわけではなくおよそ三年ほど手間取ることでございましょう」
忠敬一行は寛政12/1800年閏4月19日、自宅から蝦夷地へ向けて出発した。忠敬は当時55歳で、内弟子3人(息子の秀蔵を含む)、下男2人を連れての測量となった。富岡八幡宮に参拝後、浅草の暦局に立ち寄り、至時(忠敬の師、天文学者・高橋至時:よしとき)宅で酒をいただいた。千住で親戚や知人の見送りを受けてから、奥州街道を北上しながら測量を始めた、云々>
自由主義国の国民の税金でオイシイ思いをしながら共産主義を説く寄生虫学者がごろごろしているが、伊能忠敬と比べると「月とサナダムシ」、そう言えば革マル教祖のクロカンは「組織を乗っ取れ、深く静かに潜行せよ、サナダムシ戦略で行け!」と煽っていたっけ。
結党100年の日共に倣って革マル機関誌は「日本学術会議会員の任命拒否を許すな」と吠えているが、革マル系学者というのは聞いたことがないなあ。日共と違って革マルは貧乏だから学者も寄ってこないのか?
立憲民主党は革マルが産んだと小生は思っているが、立民にとって今は革マルは御用済みで、あまり相手にされていない、むしろ邪魔者なのかもしれない。革マル系のJR総連は最近、連合(日本労働組合総連合)との「総対話活動」を開催したが、JR総連は組合員が激減しており、連合は「革マルと手を切ってマトモなJR連合と一緒になれ」と勧めたはずだ。いずれそうなるだろう。
共産主義信奉者は世界中にゴロゴロしている。利権が絡んでいるから、本心はどうあれ紅い服やピンクの服を着て「リベラル」を装うのが作法で、枝野幸男は米国のアカの代表であるサンダースと会談し共鳴している。
雑誌フォーブスは「サンダースは金持ち、3軒の豪邸を持っている。彼は金持ち批判を繰り返すが、自分の資産についてはあまり雄弁ではない。フォーブスはこの件に関し、複数回に渡りサンダースの事務所にコメントを依頼したが、回答は得られていない」と皮肉っている。
そう言えばゴアも環境問題をネタに講演料や書籍販売で儲けていながら、豪邸の電気料は一般家庭の50倍と凄まじかったという。クリントン家の3人はもろ銭ゲバ。
貧者の味方、寄付を!→ 貧者市場で儲けている企業も寄付→ 潤沢な政治資金→ 選挙に勝てば貧者向けバラマキ福祉→ 企業もさらに儲かる→ 4年後も貧者の味方、寄付を!・・・この繰り返し。まるでクスリ漬け、インモラル、社会は停滞、やがて有能な人材は逃げ出す、そして後退へ。ソドム・ゴモラのように消えるか・・・
清貧・努力を良しとする日本人とは違う、思想が違う、価値観が違う・・・日本のリベラル≒アカの政治家、例えば枝野、辻元、志位、福島などを小生は軽侮、嫌悪しているが、蓮舫と違って彼らにはゼニの臭いはしない、むしろ貧乏臭い。なんだかんだと言っても物欲においてはつつましく、日本人的な感じはする。福島は落城寸前で老後が不安なのか、アワアワして日本人離れしていたけれど。
リベラル≒アカと言えば、産経に風刺漫画を描いている山田紳、いつも小生は「この人、産経読者がどんな人なのか全然分かってないみたい、朝日にでも描けばいいのに」と思っていたが、何と朝日がホームグランドだった。朝日は「護憲・保守・左翼」、産経は「改憲・改革・右翼」が基本だ。基本と大きく違う執筆者は排除して、生きのいい論客に活躍の場を提供することだ。
親米右翼だろうが国粋右翼だろうが、新聞メディアとしては「立ち位置を鮮明にしてブレない」「是々非々を曖昧にして媚びない」ことが大事。オピニオンリーダー、木鐸たらんとすればそれは必須だ。両論併記で右にも左にもいい顔をしているとコアの読者から見捨てられるぜ、のう、産経さん。
エドワード・ルトワック著「戦争にチャンスを与えよ」から。
<日本は中国に対し「曖昧な態度」を極力排除すべきだ。国際関係における「曖昧さ」は、相手に余計な選択肢を考えさせることにつながる。「曖昧さ」を排除するとは、相手に余計なスキを与えない、ということだ。中国に対して「曖昧さ」を残せば、それは中国側のさらなる誤解につながる。
例えば2014年の海底油田を巡る事件で、中国がベトナムを誤解したきっかけの一つは、その直前に中国共産党の外交担当の要人がベトナムを訪問したことにあった。
中共は、国(政府)とは別に独自に外交組織を持っている。かつては海外の共産党政権との付き合いがあったが、(ソ連崩壊後の)現在はキューバとべトナムだけであり、北朝鮮とは付き合いはない。
要するに彼らの主要な付き合いの相手はベトナム共産党だけだ。中共はベトナムにとって「兄」のような立場だとされ、ベトナムが中国側の支援に感謝を表明したりする。
このベトナムの態度が北京側の誤解のきっかけとなる「曖昧さ」につながった。北京側はベトナムが「冊封(さくほう)体制」(宗主国と朝貢国の関係)を受け入れたと思い込んでしまった。それが海底油田を巡る衝突事件につながった。ベトナムが(譲歩する用意があるといった)「ミックスド・シグナル」(曖昧なメッセージ)を発してしまったのだ。
私は日本に対して「中国を挑発せよ」と言うのではない。「曖昧さ」を排除せよ、ということなのだ。現在の尖閣諸島は、極めて危険な状態にある>
産経2020.4.12から。
<中国とベトナムは2014年5月、パラセル諸島付近で中国が油田掘削を行ったことで対立が先鋭化。両国の船舶同士の衝突が発生し、ベトナム国内では反中デモも展開された。近年も埋蔵資源を狙う中国の地質調査船がベトナムの排他的経済水域(EEZ)内で繰り返し確認され、ベトナム側は神経をとがらせている>
中共とソ連(ロシア)の国境紛争は1969年の武力衝突により双方で300人ほどの死傷者が出た。動員された兵力は中共81万、ソ連66万、核戦争も危惧されていたが、2005年にようやくすべての中露の国境画定に至った(2008年発効)。
背景には、ソ連が91年に崩壊して以降、後継のロシアは国力が不十分だったため中共との対立を緩和したかったこと、一方で中共は1989年の天安門事件でつまずいたものの改革開放で経済発展を最優先しており、ロシアの軍事力、特に核戦力を恐れていたこと、さらにロシア圏の市場と資源に魅力を感じていたことなどがあるだろう。
2012年に習近平時代が始まる。同年の国防費予算(中央政府分)は6000億元(約9兆円)だが、毎年大きく増加し、2020年は6.6%増の1兆2680億元(19兆1000億円)、米国に次ぐ規模だ。「米国との対立を念頭に置き、先端技術を駆使した『強軍』路線は今後も続きそうだ」(毎日2020/5/22)
中共が経済力と軍事力で米国が「射程」に入ってきたのは2012年9月に空母「遼寧」が海軍に引き渡された頃からだろう。2019年12月には中国初の国産1隻目となる空母「山東」も就役した。3隻目と4隻目は原子力空母になるらしい。
中共は当面はアジアの覇者を目指しているが、あまりにも強引、露骨で地域の反発を買っている。欧米の危惧も煽ってしまったが、中共は反省するどころか「やれるものならやってみろ、14億市場から締め出すぞ」とまずは豪州を叩き始めている。中共への警戒心を高め、反中包囲網で酸欠に追い込む必要性は日々高まっている。
「曖昧さ」のない断固とした自由主義圏の団結が世界秩序に不可欠だ。豪州産ワインでXマス、新年を! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp