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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(111」

2020-11-28 21:09:00 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(111」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/210(2020/11/28/土】荷風の昭和10/1935年あたりの作品には「50歳ほどの初老の男」という表現がある。夏彦翁によると、明治以降は12歳ほどから奉公(就職)、手に職を付け、18歳で徴兵、20歳で一人前、2年間の「お礼奉公」を経て23歳で独立、「大工○○」「庭師△△」の看板を掲げ、所帯を持ち、親方として敬意を表され、弟子を育てる、これが普通だった。


だから50歳で初老、55歳辺りで看板暖簾、家督(≒納税義務)を次代に譲って「隠居」、町内の世話役や、趣味道楽、手習い所、学問、中には伊能忠敬のように55歳で全国測量踏査を始めるという、廃車寸前どころか「これからが俺の人生だ!」と発奮する奇跡的な猛者もいた。WIKIから。


<忠敬は出発直前、蝦夷地取締御用掛の松平信濃守忠明に申請書を出した。そこでは自らの思いが次のように綴られている。


「私は若い時から数術が好きで、自然と暦算をも心掛け、ついには天文も心掛けるようになりましたが、自分の村に居たのでは研究も思うようには進まないので、高橋作佐衛門様の御門弟になって六年間昼夜精を出して勉めたおかげで、現在は観測などもまちがいないようになりました。


この観測についてはいろいろな道具をも取りそろえ、身分不相応の金もつかいました。隠居のなぐさみとはいいながら、私のようなものがこんな勝手なことをするのはまことに相済まないことでございます。


したがって、せめては将来の御参考になるような地図でも作りたいと思いましたが、御大名様や御旗本様方の御領内や御知行所などの土地に間棹や間縄を入れて距離を測りましたり、大道具を持ち運ぶなどいたしますとき、必ず御役人衆の御咎にもあうことでありましょうし、とても私どもの身分ではできないことでございます。


ありがたいことにこのたび公儀の御声掛りで蝦夷地に出発できるようになりました。ついては、蝦夷地の図と奥州から江戸までの海岸沿いの諸国の地図を作って差し上げたいと存じますので、この地図が万一にも公儀の御参考になればかさねがさねありがたいことでございます。


地図はとても今年中に完成できるわけではなくおよそ三年ほど手間取ることでございましょう」


忠敬一行は寛政12/1800年閏4月19日、自宅から蝦夷地へ向けて出発した。忠敬は当時55歳で、内弟子3人(息子の秀蔵を含む)、下男2人を連れての測量となった。富岡八幡宮に参拝後、浅草の暦局に立ち寄り、至時(忠敬の師、天文学者・高橋至時:よしとき)宅で酒をいただいた。千住で親戚や知人の見送りを受けてから、奥州街道を北上しながら測量を始めた、云々>


自由主義国の国民の税金でオイシイ思いをしながら共産主義を説く寄生虫学者がごろごろしているが、伊能忠敬と比べると「月とサナダムシ」、そう言えば革マル教祖のクロカンは「組織を乗っ取れ、深く静かに潜行せよ、サナダムシ戦略で行け!」と煽っていたっけ。


結党100年の日共に倣って革マル機関誌は「日本学術会議会員の任命拒否を許すな」と吠えているが、革マル系学者というのは聞いたことがないなあ。日共と違って革マルは貧乏だから学者も寄ってこないのか?


立憲民主党は革マルが産んだと小生は思っているが、立民にとって今は革マルは御用済みで、あまり相手にされていない、むしろ邪魔者なのかもしれない。革マル系のJR総連は最近、連合(日本労働組合総連合)との「総対話活動」を開催したが、JR総連は組合員が激減しており、連合は「革マルと手を切ってマトモなJR連合と一緒になれ」と勧めたはずだ。いずれそうなるだろう。


共産主義信奉者は世界中にゴロゴロしている。利権が絡んでいるから、本心はどうあれ紅い服やピンクの服を着て「リベラル」を装うのが作法で、枝野幸男は米国のアカの代表であるサンダースと会談し共鳴している。


雑誌フォーブスは「サンダースは金持ち、3軒の豪邸を持っている。彼は金持ち批判を繰り返すが、自分の資産についてはあまり雄弁ではない。フォーブスはこの件に関し、複数回に渡りサンダースの事務所にコメントを依頼したが、回答は得られていない」と皮肉っている。


そう言えばゴアも環境問題をネタに講演料や書籍販売で儲けていながら、豪邸の電気料は一般家庭の50倍と凄まじかったという。クリントン家の3人はもろ銭ゲバ。


貧者の味方、寄付を!→ 貧者市場で儲けている企業も寄付→ 潤沢な政治資金→ 選挙に勝てば貧者向けバラマキ福祉→ 企業もさらに儲かる→ 4年後も貧者の味方、寄付を!・・・この繰り返し。まるでクスリ漬け、インモラル、社会は停滞、やがて有能な人材は逃げ出す、そして後退へ。ソドム・ゴモラのように消えるか・・・


清貧・努力を良しとする日本人とは違う、思想が違う、価値観が違う・・・日本のリベラル≒アカの政治家、例えば枝野、辻元、志位、福島などを小生は軽侮、嫌悪しているが、蓮舫と違って彼らにはゼニの臭いはしない、むしろ貧乏臭い。なんだかんだと言っても物欲においてはつつましく、日本人的な感じはする。福島は落城寸前で老後が不安なのか、アワアワして日本人離れしていたけれど。


リベラル≒アカと言えば、産経に風刺漫画を描いている山田紳、いつも小生は「この人、産経読者がどんな人なのか全然分かってないみたい、朝日にでも描けばいいのに」と思っていたが、何と朝日がホームグランドだった。朝日は「護憲・保守・左翼」、産経は「改憲・改革・右翼」が基本だ。基本と大きく違う執筆者は排除して、生きのいい論客に活躍の場を提供することだ。


親米右翼だろうが国粋右翼だろうが、新聞メディアとしては「立ち位置を鮮明にしてブレない」「是々非々を曖昧にして媚びない」ことが大事。オピニオンリーダー、木鐸たらんとすればそれは必須だ。両論併記で右にも左にもいい顔をしているとコアの読者から見捨てられるぜ、のう、産経さん。


エドワード・ルトワック著「戦争にチャンスを与えよ」から。


<日本は中国に対し「曖昧な態度」を極力排除すべきだ。国際関係における「曖昧さ」は、相手に余計な選択肢を考えさせることにつながる。「曖昧さ」を排除するとは、相手に余計なスキを与えない、ということだ。中国に対して「曖昧さ」を残せば、それは中国側のさらなる誤解につながる。


例えば2014年の海底油田を巡る事件で、中国がベトナムを誤解したきっかけの一つは、その直前に中国共産党の外交担当の要人がベトナムを訪問したことにあった。


中共は、国(政府)とは別に独自に外交組織を持っている。かつては海外の共産党政権との付き合いがあったが、(ソ連崩壊後の)現在はキューバとべトナムだけであり、北朝鮮とは付き合いはない。


要するに彼らの主要な付き合いの相手はベトナム共産党だけだ。中共はベトナムにとって「兄」のような立場だとされ、ベトナムが中国側の支援に感謝を表明したりする。


このベトナムの態度が北京側の誤解のきっかけとなる「曖昧さ」につながった。北京側はベトナムが「冊封(さくほう)体制」(宗主国と朝貢国の関係)を受け入れたと思い込んでしまった。それが海底油田を巡る衝突事件につながった。ベトナムが(譲歩する用意があるといった)「ミックスド・シグナル」(曖昧なメッセージ)を発してしまったのだ。


私は日本に対して「中国を挑発せよ」と言うのではない。「曖昧さ」を排除せよ、ということなのだ。現在の尖閣諸島は、極めて危険な状態にある>


産経2020.4.12から。


<中国とベトナムは2014年5月、パラセル諸島付近で中国が油田掘削を行ったことで対立が先鋭化。両国の船舶同士の衝突が発生し、ベトナム国内では反中デモも展開された。近年も埋蔵資源を狙う中国の地質調査船がベトナムの排他的経済水域(EEZ)内で繰り返し確認され、ベトナム側は神経をとがらせている>


中共とソ連(ロシア)の国境紛争は1969年の武力衝突により双方で300人ほどの死傷者が出た。動員された兵力は中共81万、ソ連66万、核戦争も危惧されていたが、2005年にようやくすべての中露の国境画定に至った(2008年発効)。


背景には、ソ連が91年に崩壊して以降、後継のロシアは国力が不十分だったため中共との対立を緩和したかったこと、一方で中共は1989年の天安門事件でつまずいたものの改革開放で経済発展を最優先しており、ロシアの軍事力、特に核戦力を恐れていたこと、さらにロシア圏の市場と資源に魅力を感じていたことなどがあるだろう。


2012年に習近平時代が始まる。同年の国防費予算(中央政府分)は6000億元(約9兆円)だが、毎年大きく増加し、2020年は6.6%増の1兆2680億元(19兆1000億円)、米国に次ぐ規模だ。「米国との対立を念頭に置き、先端技術を駆使した『強軍』路線は今後も続きそうだ」(毎日2020/5/22)


中共が経済力と軍事力で米国が「射程」に入ってきたのは2012年9月に空母「遼寧」が海軍に引き渡された頃からだろう。2019年12月には中国初の国産1隻目となる空母「山東」も就役した。3隻目と4隻目は原子力空母になるらしい。


中共は当面はアジアの覇者を目指しているが、あまりにも強引、露骨で地域の反発を買っている。欧米の危惧も煽ってしまったが、中共は反省するどころか「やれるものならやってみろ、14億市場から締め出すぞ」とまずは豪州を叩き始めている。中共への警戒心を高め、反中包囲網で酸欠に追い込む必要性は日々高まっている。


「曖昧さ」のない断固とした自由主義圏の団結が世界秩序に不可欠だ。豪州産ワインでXマス、新年を! 目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp





雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(110」

2020-11-26 17:29:39 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(110」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/209(2020/11/25/水】久し振りのお湿りだ、ありがたや、庭の水遣りは2日間はしなくて済む。室内も空気が和らいでいる感じだが、コロナウイルスと雨は関係あるのか。NHK2020/11/6から。


<アメリカのメリーランド大学などのグループは、ことし3月上旬までの世界の50都市について、気温や湿度と新型コロナウイルスの流行の関係を分析したところ、感染者が多かったのは平均気温が5℃から11℃で比較的、湿度が低い地域に集中していた。


ブラジルの大学のグループが、各国から発表された新型コロナウイルスと気温や湿度についての17の研究を集めて詳しく解析したところ、寒くて乾燥した状態はウイルスの拡散を促す要因とみられるとしたものの、それだけでは感染の広がりをすべて説明できるわけではないと結論づけています>


欧米に比べてコロナ感染が少ない日本と東南アジアは温暖かつ雨が多く、ウイルスが雨に打たれて重くなり、地面に落ちて善玉菌に食われてしまう・・・それもあり、きっとあり、たぶんあり、雨雨ふれふれもっと降れ、しつこいウイルスやっつけろ・・・と結論づけよう。


先日(23、土)、快晴の生田緑地はパパママと子供が3000人ほども群れて広場はいっぱい、屋台やフリマもたくさん出店、ステージでは何かやっている。初めてみるほどの大群衆、みんな群れるのが大好きだ。徘徊跛行老人は「それにしても今どきホットドッグ・・・全然進化してないなあ」と思いつつ、いつもの森を抜けて「とんもり谷戸」へ。


いつもの小生と違うのは杖を引いていることで、杖は自家製。買ったところで間もなく歩行困難になるからモノが増えるだけ。それならナップザックに収納できる折り畳み式杖を作るべし、倉庫を覗いたらローラー塗装用のアルミ製伸縮棒があったのでオーク色のニスを塗って杖にした。


座頭市みたいに仕込み杖にしたら面白いなあと思ったが、自分を信用していないので止めた。ダスティン・ホフマンの映画「マラソンマン」でナチス残党の老人が腕に装着した仕込みナイフで敵を殺すシーンを思い出したからだ。辛うじて理性はまだ残っている?


この頃は体力と回復力が劣化してデイリー散歩は無理、1日おきになってきた。「とんもり谷戸」から山道を登って生田緑地の西側を「しっかり」(ボキャ貧政治家用語)マーキングする予定だったが、体力を使い果たすと帰路が不安なので、初体験の別ルートで引き返したが、デコレーションケーキみたいな初山幼稚園の隣に日蓮宗初香山本遠寺(ほんのんじ)を発見した。案内板があり「 越路吹雪さん夫妻の眠るお寺」とある。


全く知らなかったなあ。同寺のサイトには「越路吹雪さんの命日には本堂で偲ぶコンサートが開催されることもあり、多くのファンが墓前にお参りされます」とある。彼女はシャンソン歌手として有名だが、「人糞研究」でも知られていたというのは小生の記憶違いか。


この寺は初山の天辺、南に多摩丘陵を見晴らす気持ち良い場所にあり、旦那の作曲家・内藤法美(つねみ)さんが用意したのだろうが、所以は分からない。彼女の最後の言葉は、「いっぱい恋をしたし、おいしいものを食べたし、歌もうたったし、もういいわ」。大往生だ。


彼女の代表曲は「愛の讃歌」だろう。20世紀最大のシャンソン歌手と言われたエディット・ピアフ(Edith Piaf)の作詞・歌で1950年に発表された曲のリメイク。原題は Hymne a L'Amour(イムヌ ア ラムール)、とても激しい歌だ。


<空が落ちてこようと 大地が裂けようと わたしは平気よ あなたの愛があれば
あなたの腕に抱かれてわたしが震えるとき なにもかもかすむわ 愛される幸せに


たとえ地の果てまでも わたしはついていくわ 愛されるならば


月をももぎ取り 運命も変えてみせる 求められるならば 故郷も棄てる 友達だって あなたのためなら
 
笑われようと気にはしない あなたのためなら


もしもわたしたちを死が引き離すとも わたしは恐れない あなたに愛されてれば


ともに歩みましょう 青い空の彼方を 何も恐れはしない ともに愛し合えば いつまでもともに>


「恋の歌」だと思っていたが、実は不倫の恋を断ち切るために書いた歌だとか。「私は身を引くわ、でも今でも愛しているわ」という未練の涙の韜晦メッセージ・・・カトリックだから大変だ。今では入籍しないのが普通らしい。


CD「Chanson Best Selection」は何回も聴いていたが、小生は物書きや読書に夢中になると聴覚がほとんど機能しなくなるから、そのCDにピアフ作詞の大ヒット曲「バラ色の人生」「愛の讃歌」を見つけてびっくり。改めて清聴したが凄まじい迫力、特に「愛の讃歌」は命懸けの恋、まるで血を吐くホトトギス・・・これほどの歌手ってまずいないだろう。ピアフとは・・・


<エディット・ピアフ(1915年12月19日 - 1963年10月10日)は、フランスのシャンソン歌手。フランスで最も愛されている歌手の一人であり、国民的象徴であった。彼女の音楽は傷心的な声を伴った痛切なバラードであり、その悲劇的な生涯を反映していたのが特徴であった。


両親は貧しく、幼いエディットを養う余裕がなかったため、母方の祖母の元に短期間預けられた。ほどなく父親はエディットを売春宿を営んでいた自らの母親の元に連れて行った。


こうしてエディットは、早い時期から娼婦やさまざまな売春宿への訪問者と接触をもち、このような状況は彼女の人格と人生観に強いインパクトを与えた。


1929年になるとエディットは大道芸人の父と行動を共にする。その後1930年には父と別れてパリ郊外でのストリート・シンガーとして自身の道を歩むようになる。彼女は16歳で御用聞きの少年と恋に落ちまもなく出産しているが、子供は2年後に病死した。


1935年、エディットはナイトクラブのオーナーに見出され、人前に出ることに非常に臆病な彼女に店への出演を説得した。エディットの身長は142cmにすぎず、その小柄な体からオーナーは彼女に、後の芸名となる「小さなスズメ」の愛称を与えた。彼女の最初のレコードはこの翌年に録音された。


1940年にはジャン・コクトーが彼女のために(一人芝居の)脚本『Le Bel Indifférent』を執筆する。ピアフはまた、俳優のモーリス・シュバリエや詩人のジャック・ボーガットのような有名人と知己となる。彼女は自らの歌の多くの歌詞を書き、作曲家達と協力した>


小生の友はスズメだからピアフとは縁があるわけだ。コクトーはアヘン中毒、小生はアルコール中毒。同病相憐れむわけじゃないが、コクトーが「阿片」(病棟日記、1930)に面白いことを書いている。


<(入院している病院には)北部出身の戦争後家の可愛い看護婦が一人いる。食卓で、同僚たちが(第一次世界大戦でフランス北部が)ドイツ兵に占領されていた当時のことを尋ねる。皆はコーヒーをすすりながら恐ろしい話を期待していると、彼女はこう言った。


「ドイツ兵はみんな親切だったわ。自分たちのパンまであたしの子供に分けてくれたり。時々いけないのが一人くらいあっても、女たちは司令部に訴えたりは誰もしなかったわ。だって兵士がとてもひどい目に遭わされるんですもの。女にふざけたぐらいのことで2日も木に縛られるんですもの」


一同は仰天、「この後家は怪しい」となり、ラ・ボーシュ(ドイツ人)という綽名をつけた。彼女は泣き出した。が、やがて彼女は少しずつ彼女の思い出を変えていく。少しずつドイツ人のした恐ろしいことを加味する。彼女も生きなければならないのだ>


歴史の捏造は半島人の特許ではなく、既に1930年には欧州では普通になされていたわけだ。半島人やアカはその技をパクったのだろう。まあ「彼女も生きなければならないのだ」という事情は分からないではないが、舌切り雀にならないように・・・


中共は虚偽捏造を繰り返してきたから、自分の立ち位置が客観的に見えなくなっているような気がする。私は絶対的な正義であり、世界はそれを理解し、私に従うべきである・・・まるで阿片戦争で咬みつかれて目覚める前までの大清帝国そっくり。大国なのにオツムはChild、いっそChinaから改めたらどうか。米国際戦略研究所のエドワード・ルトワック著「戦争にチャンスを与えよ」から。


<大国にとって「外国のことを知らない」のは普通のこと。大国は自国から遠いところで活動することが多いからだ。アメリカはイラクを完全に見誤ったり、アフガニスタンの状況を誤認したが、仕方がない面もある。


ところが中国はアメリカ以上で、隣国、特に日本についての勘違いが甚だしい。尖閣諸島、靖国参拝などで譲歩を迫ってきたが、ほとんど成果を挙げられなかった。なぜか。彼らが日本を完全に見誤ったからだ。彼らは安倍首相を「優柔不断であり、中国を怒らせるのを恐れる、ビジネス優先の政治家だ」と思っていたからだ。


アメリカが、遠く離れたイスラム系の国の事情を誤解するのはあり得るとしても、隣国の日本やその首相を見誤るのはいかがなものか。安倍首相の一族が100年近く権力に近いところにあり、国益に関してハードな姿勢を保っていることは、周知の事実であるにもかかわらず見誤った。


日本はここからいかなる教訓を引き出すべきか。まず、中国に対して「曖昧な態度」を極力排除することだ。国際関係における曖昧さは、相手に余計な選択肢を考えさせることにつながる。曖昧さを排除するとは、相手に余計なスキを与えない、ということだ。中国に対して曖昧さを残せば、中国側のさらなる誤解につながる>


菅政権になっても対中外交は相変わらずの「曖昧主義」。2019年の日本の対中輸出は17兆1500億円、対中輸入は16兆9200億円で、日中双方にとってオイシイWinWin 関係にあるから、本心をさらして喧嘩になることは避けたい、というのは分かる。


しかし、昔から大国間やライバル間の外交は「テーブルの上ではにこやかにワインを飲み交わしているが、テーブルの下では蹴飛ばしあっている」のが普通だろう。中共は最大の貿易相手国(輸出入とも20%程を占める)だが、1年ごとに10%ずつ依存を減らすような方向にもっていく戦略は必要だ。


それは世界最大の不安要因である中共を「気付いた時には四面楚歌」に追い込む包囲戦でもある。ノラリクラリの曖昧戦略が有効ならいいが、洞ヶ峠では「中共後」の世界で日本沈没になりかねない。懐にドスを呑んで、中共解体、支那解放へ「しっかり」歩を刻むべし。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(109」

2020-11-24 09:34:24 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(109」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/208(2020/11/24/火】昨日は「新嘗祭」。新穀などの収穫物を神々に供えて感謝する日だが、米軍占領下で主権のないときに「勤労感謝の日」に変更改竄された。「ハバハバ(hubba hubba)、さっさとやれ、うったくジャップは怠けもんだ、仕事しろ、仕事!」というヤンキーとGHQマッカーサーの有り難い訓導だ。


米国流文明文化・価値観は「秩序・停滞≒悪」、「前進・変化・改革・革命≒善」のようだ。Diligence is the mother of success、勤勉は成功の母、知恵のある奴は知恵を出せ、知恵のない奴は汗を出せ、前進、前進、ハバハバ!


米国は建前としては「努力すれば報われる社会」だったが、1990年代のIT革命あたりから波に乗った「報われる人」と波に乗れなかった「報われない人」が明確になってきた気がする。それを良しとする(生活が向上した)国民が多いようで、負け組は「怠け者、愚図、クズ」と社会的に排除されるような傾向が続いているのではないか。


勝ち組と負け組があっても法律上の権利は平等ということになっている。選挙権は富豪だろうが乞食だろうが同じ一票だ。米国民主党は貧困層の支持者が多い。その支持層は増えているから大票田だ。たとえ負け組でも一票は一票だから、それを獲得するために民主党活動家はダーティ(=裏工作、謀略、威嚇、脅迫、プロパガンダなど)なことでもする。


例えば「選挙は革命だ! 火付暴行強盗器物損壊罵詈讒謗、何でもOK、勝てば官軍、負ければ賊軍、4年に一度の内戦だ!」と煽る。元気と言えば元気だが、小生から見れば野蛮、粗野のような・・・ちっともスマートではない。「正義のため、勝つためには嘘をつく、罠にはめる、何でもOK」というのは国民性みたいだ。みんなFDRルーズベルト。


下賜されたGHQ憲法やら勤労感謝の日などによれば、我々、暗愚の日本人はそれを手本にしっかり学び、師の米国に追い付き、追い越すのが正しい生き方である。マッカーサー元帥曰く「100年たてば悪しき日本は消える」と。


違和感があっても師に向かって「バーカ、おまいら何やってんだか、頭いかれてんじゃね」などと決して公言してはいけない。「日本が消える前に御本尊の米国が消えそうだ、自業自得、逝って良し!」、こういうのは危険思想で許されない・・・今のところは。


戦後世界レジームが賞味期限を切ったのは多くの人が感じているだろう。タガが緩んで解体しそうだが、大体、桶は弱いところから水が漏れたり腐ったりしていく。


中国共産党は中国の独裁者である。共産党中央政治局常務委員会の7人のメンバーは「チャイナ・セブン」と呼ばれ、最上位の意思決定機関、殿上人だ。その下にある政府などの組織はただの行政部門(役所)で、トップであるチャイナ・セブンの意思を実行するだけである。憲法など法律もチャイナ・セブンの下位にある。最高法規である「中国共産党規約」から。


<社会主義の道を堅持し、人民民主主義独裁を堅持し、中国共産党の指導を堅持し、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想を堅持するという四つの基本原則は、われわれの立国の本である。社会主義現代化の建設の全過程において、四つの基本原則を堅持し、ブルジョア階級の自由化に反対しなければならない。


資本主義と封建主義の腐敗した思想の侵食を防ぎ止め、さまざまな社会の醜い現象を一掃し、わが国の人民が理想、モラル、教養、規律のある人民となるよう努める。党員に対しては、さらに共産主義の遠大な理想の教育を行う。教育、科学、文化事業の発展に大いに力を入れ、民族の優れた伝統的文化を高揚し、社会主義の文化を繁栄させ、発展させる。


党は必ず国の立法・司法・行政機関や経済・文化組織、人民団体が積極的かつ主動的に、独自に責任を持って、一致協力して仕事できるよう保証しなければならない、云々>


これによると我々資本主義国の国民は腐敗し醜く、理想、モラル、教養、規律のないコロナウイルスみたいだ。まあ、そういうことにしないと独裁の大義名分が成り立たないからだが、中共の実態は「独裁国家独占資本主義」であり、社会主義でも共産主義でもない、前世紀の遺物、博物館行き。


この中共独裁チャイナ・セブンは、王様のように君臨するだけならいいが、実際に統治していることがどうも問題のようだ。米国際戦略研究所のエドワード・ルトワック「戦争にチャンスを与えよ」から。


<中国の指導層(チャイナ・セブン)は、外界から隔絶されたところで物事を判断している。無数の国内問題に対処するのに精一杯で、外の世界に目を向けていないのだ。中国外交には組織的欠陥がある。


政府外交部が報告するのは(政府の)国家運営委員会だが、実際に物事を決定するのは共産党中央政治局常務委員会=チャイナ・セブンだ。チャイナ・セブンと(格下の)国家運営委員会が十分に連携していないので、チャイナ・セブンが、国外の理解や自国が置かれている情勢についての認識を欠いてしまうのである。そのために対外政策において不安定さと無能さを露呈してしまうのだ>


ルトワックは中共外交のお粗末の例としてベトナムとの紛争を紹介している。


<厄介なことに、中国は隣国を完全に見誤る伝統を持っている。2014年に起きたベトナム沖の海底油田を巡る事件が、その典型である。


当時の中国は「船の数で圧倒すればベトナム側は引き下がる」と考えた。ところが戦いは海から陸に移り、中国人の旅行者や商店に対する暴動や焼き討ちが起こり、中国は撤退を余儀なくされた。


ベトナムが態度で示したのは「これは子供の遊びではない、戦争だ。海に40隻浮かべたから勝てるものではない」ということだ。ベトナム国内にいる中国人を見境なく攻撃し、イザとなれば雲南省にも攻め込むぞ、という意志をベトナムは見せつけたのである。


北京が、パラグアイなど遠国の行動原理を理解できなかったとしても仕方がないだろう。ところがベトナムは隣国である。隣国の行動原理が理解できていなければ話にならない。


ベトナムの歴史を思い浮かべればすぐに分かることだ。彼らは大国に決して屈しない。中国に抵抗し、フランスに抵抗し、アメリカに抵抗し、再び中国に抵抗しているのだ。


この中国の理解力のなさは、1979年の中越戦争を考えても驚きだ。この時の中国は、ベトナムのカンボジア侵攻を阻止しようとしてベトナム領内に入ったが、ベトナムは中国の動きを封じ込め、反撃した。中国の被害は甚大であり、クメールルージュ政権を守ることに完全に失敗した。


つまり、ベトナムは中国にとって隣国であるだけでなく、つい最近も敗北した相手なのだ。にもかかわらず今回も失敗を繰り返しているのである>


中国は人口14億、GDPは世界2位の大国だ。それを実現できたのはトウ小平が2度の失脚を乗り越えて「改革開放=資本主義化」を断行したからだ。ところが私利私欲、カネが命の支那人、特に1万人の党員は既成の共産党利権を手放せないから、上辺だけは「共産主義国」の体裁を維持し、独裁政治を固守している。


中共独裁を続けるためには「腐敗堕落した帝国主義との戦争」を看板に掲げて、常に緊張感をアピールしなければならない。そんな国から外国資本が逃げ出すのは当たり前で、移転先は皮肉にもベトナムだ。


中共はたとえ孤立しても「14億の国内市場があるから内部循環で経済は回る」と強気だが、絵に描いた餅だ。「Voiceof America」10/30はこう報じている。


<香港大学のChen Zhiwu 所長は、「中国のテクノロジー業界が100%の内部サイクルを達成した場合、その日は競争力が底をついた日になる」とし、こう述べました。


「宋王朝以来、中国が技術革新において主導的な役割を果たしたことは一度もない。中国が過去20年間に生み出した技術革新環境と活況は、米国からの資本奨励と技術支援によるものだ。過去のソ連であろうと、計画された経済システムの下での中国であろうと、100%の自己循環では革新と競争力が非常に弱まる。


中国の人口は14億人だが、国内の科学者や技術者に頼って技術力を構築するだけでは不十分。中国が内部循環の道を歩み始めれば、過去に蓄積された革新的なエネルギーは失われる」>


中共が積極的に対外関係を改善しなければ先進国から見捨てられる、暴れれば包囲戦で経済の窮状は急速に進む。毛沢東に倣って辺境に引き籠ってチャンスを待つわけにはいかないだろう、14億を餓死させるだけだ。


チャイナ・セブンができることは、10~20の国(州)に分国して、緩やかな連邦共和国に改造することだろう。このままならソ連のように自然死するだけだ。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(108」

2020-11-22 19:34:59 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(108」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/207(2020/11/22/日】同志諸君、「あなたの出自は?」


「私の父は近衛兵を経て米軍座間キャンプでMPを勤め、後に乾物屋を開業しました」「もろ帝国主義者、反動階級、かつ小ブル階級ですね、私共は腐敗階級は採用していません。次の方、どうぞ・・・いい体格ですね、生まれ育ちは?」


「私は貧農の長男で、食えないのであれこれ日雇いをしてきました。学問はないですけど体力はあります」「おーっ、素晴らしい、純粋高貴な労農階級! 被抑圧民族、団結せよ! 我が党はあなたを同志として迎えます!」


共産主義は上層階級に対する下層階級の敵意、憎悪を煽って暴力革命を起こして権力を奪取するのが作法で、ゴタゴタ言うインテリより命令に単純に従う下層階級が重宝だった。「わしゃ字も読めんし、難しいこたぁ分からん。こうしろと命令されりゃあ命懸けでやるけぇ、遠慮のう命令しんさい」。この手の人が採用される。


毛沢東(1893 - 1976年)はインテリ、特に同年代の留学経験者を嫌っていたようで、追放されたり殺されたりした幹部は劉少奇、トウ小平、林彪・・・数えきれないだろう。コンプレックスの裏返しか。


WIKIによると彼は腐敗階級である地主(自営農でもあったろう)の家に生まれ、自宅で父から労働と学問を学び、1911年に17歳で高等小学校に入学、同年、辛亥革命が勃発すると志願兵となり清朝打倒の戦列に加わったという。


<翌年に高等中学校入学。中学入学の際に明治維新に関心を持っていた毛は、父に幕末の僧月性の詩「将東遊題壁」を贈り、意気込みを示した。


「男児 志を立てて 郷関を出づ 学もし成るなくんば 復還らず 骨を埋むるに 何ぞ墳墓の地を期せんや 人間到るところ青山あり」。その後、師範学校を経て教師に。


1917年、孫文の同志だったアジア主義者の宮崎滔天が毛沢東の故郷の湖南省を訪れ、講演を行った。毛はこの講演会に出席し、日本が欧米白人のアジア支配を打破したことを聞いて喜んだ。後に毛沢東は米国記者エドガー・スノーに日露戦争当時の日本の歌詞を紹介し、次のように告白している。


「雀は歌い 鶯は踊る 春の緑の野は美しい ざくろの花は紅にそまり 柳は青葉にみち 新しい絵巻になる・・・当時わたしは日本の美を知り、感じとり、このロシアに対する勝利の歌に日本の誇りと力を感じたのです」>


毛沢東は青白いインテリ青年ではなかった。これという秀でた学問があったわけでもない。ただ、秀吉のような愛嬌があったようだ。多くの人から好かれる“人たらし”の才。中学で歴史を教えていたから話芸も達者だったろう。


以下の「モスクワ大学における毛沢東談話」は1957年11月になされたもの。中ソ蜜月の時代だ。所載は1967年刊行の「毛沢東思想万歳」で、九州大学の白土悟准教授が“発掘”、2014年に公開した。


中共は1951年から65年までの15年間に8410名の留学生を派遣した。この談話は中国人留学生に対する毛沢東の肉声を伝えており、とても興味深い。以下、ざっくり引用する。


<世界の風向きは変わりました。社会主義陣営と資本主義陣営の闘争は「西風が東風を圧倒するか、東風が西風を圧倒するかのいずれかだ」。


あなた方は「紅楼夢」を読んだことがありますか。この語句は「紅楼夢」の中の林黛玉が言ったものです。


西方世界(帝国主義陣営)には4億人いて、その中に多くの我々側の人々がいます。我々はその塀の土台に穴を掘ることができ、そこで地震を発生させることができます。


我々(東方世界=共産主義陣営)は10億人いますが、そこには彼ら(帝国主義陣営)の側の人々がいます、例えば中国の右派のように。右派は中国では2%前後を占めています。


彼らの陣営の中にいる我々側の人々は多く、我々の陣営の中にいる彼ら側の人々は少ないのです。


全世界の人口は27億人で(西方、東方勢力に属さないのは)あと何億ですか?(学生「13億です」)。この中間地帯の13億はアジア、アフリカ、中南米の3洲に分布しています。


うちインド、エジプト、チュニジアなど7億は既に民族独立を勝ち取りました。6億は日本、イラン、台湾、南朝鮮、南ベトナム、トルコなどです。


帝国主義陣営の独、伊、日は戦争しようとは考えないし、できもしない。英米は協力し合うことはない。


この13億人を東西両陣営が奪い合っていますが、大多数は我々に傾いている。


我々の中国は政治上、人口上は大国ですが、経済上は小国で、まだベルギーに及びません! あなた方はまったく楽しくないでしょう。なぜ楽しくないのでしょうか? 比べられるものは比べても良いが、比べられないものは比べなくても良いのです(中国は中国のペースで発展すれば良い)。


我々の現在の生産力はまだ低い。鉄鋼は520万トンで、英国は3000万トン。それなら3回の5か年計画で我々は英国を超えます。ソ連が米国を超えれば、その時、世界の様相は大きく変わるはずです。


(毛沢東は上記の談話の前に以下の挨拶をしている。


「世界はあなた方のものです。あなた方青年には努力前進の精神が鬱勃としている。まさに旺盛な時期です。朝の8時か9時の太陽のようだ。希望はあなた方の身上に託されています。世界はあなた方のものです。未来はあなた方に属します」)


この任務を完成しなければなりません。まだ15年か、少し多いくらいが必要ですが、天には不測の風雲があり、人には朝夕の禍福がある。孔子がまだ死んでいない世界、そんなことはあり得ません。


だから私は最初にあなた方に言いました。世界はあなた方のものです。今一度その句を言おう。世界はあなた方のものであることを祝福します>


毛沢東は人心収攬(しゅうらん)術に長けていた。教壇から生徒が興味を引くように面白く、分かりやすく説く。その流儀で無筆や小中学生でも分かるように説く。論文も、同じことを、表現を変えながら、諄々と説く。文盲の末端の兵士でも読み聞かせれば分かるように書く。


金日成やJFKケネディ(のスピーチライター)、さらに「白い猫(共産主義)でも黒い猫(資本主義)でも、ねずみを捕る猫(経済発展)が良い猫だ」と中国近代化に舵を切ったトウ小平も毛沢東式タラシコミ術を学んだのではないか。


トウ小平は改革開放キャンペーン「南巡講話」においてこう力説した(1992年)。


「社会主義の本質は生産力を解放し、発展させ、搾取と両極分化をなくし、最終的にはともに豊かになることだ。資本主義式にやるのか、それとも社会主義式にやるのか・・・それを判断する時、主として社会主義社会の生産力の発展に有利かどうか、社会主義国の総合国力の増強に有利かどうか、人民生活水準の向上に有利かどうかをその基準とすべきだ」


「我々が言う社会主義とは共産主義の第一段階であり、共産主義の高次のレベルでは、各人が能力に応じて働き、必要に応じて分配を受けることが実現される。そのためには、社会的生産力が高度に発展し、社会の物質的富が極めて豊富になることが求められる。


したがって、社会主義の最も根本的任務は生産力を発展させることにほかならない。社会主義の優位性は、結局、その生産力が資本主義に比べてより速く、より高く発展することにあり、また発展した生産力の土台の上で人民の物質的、文化的生活を次第に改善することにある」


「もし建国後、われわれに欠陥があったとすれば、生産力の発展に対し、ある種の軽視をしたことであろう。社会主義は貧困を根絶する。貧困は社会主義ではなく、ましてや共産主義ではない。経済発展を速めるには、科学技術と教育に頼らなければならない。私は、科学技術が第一の生産力と言っている」


毛沢東らの共産主義幻想を木っ端みじんに叩き潰すような演説で、時が時なら速攻で公開処刑だ。再起三起し、カリスマ毛沢東がようやくあの世に逝ったからトウ小平は資本主義への転換を始めることができた。


それを毛沢東のエピゴーネン、クチパクの習近平が毛沢東時代の昔に戻そうとして失敗、おまけに世界に中禍コロナウイルスをばらまいて信用は地に堕ちた。中共に自浄力があれば体制変換、国民国家への道が拓かれる第2次辛亥革命(2031年)になるか。あと11年・・・わしゃ傘寿、早目にしてもらわんとまずいなあ。老人は夜の6時か7時の太陽のよう、沈みかけておるでのう・・・目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(107」

2020-11-20 20:29:57 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(107」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/206(2020/11/20/金】「歴史は戦いの記録である」、と言うのは間違いではないだろう。


個体の歴史はもとより、国家、民族、部族、市町村など集団の歴史は概ね生存競争の歴史でもある。強い男は恋愛(給餌)戦争に勝って女を手に入れ、生殖に及ぶ。数億の精子の中でこれまた元気のいいのが戦いに勝ち、卵子と合体し、子孫を殖やしていく。


日本では男系男子の血筋、DNAが尊ばれる。「タネが大事、畑は問わない」というのが上つ方の伝統だった。強くなければ子々孫々に血脈、DNAを繋いでいけない。


藤原道長は「この世をば 我が世とぞ思ふ 望月の 欠けたることも なしと思へば」と歌った。「娘を天皇に嫁する、あるいは側女にすることで天皇の義父になり、孫が生まれれば祖父になる」という儒教的序列を元にした政略は、やがて天皇を輔弼するという名目の「摂関政治」となり、主客転倒して道長らは事実上の最高権力者になり、一族は栄耀栄華を極めたわけだ。


支配階級の公家(堂上各家、殿上人)の元祖が藤原四家で、筆頭が藤原北家。明治維新当時には137家あった高位の公家のうち93家が藤原北家の系譜だったという。


江戸時代の幕藩体制では「禁中並公家諸法度」などの縛りがあり、公家とは言え「我が世とぞ思ふ」どころか、特に幕末の頃は食うにも困るほどだったという(貴種として崇められたが、士庶からの喜捨で食っていた感じ)。それが公家の尊王討幕、王政復古への傾斜にもなり、薩長はそれを上手く利用した。


明治維新の際に明治帝の地位は摂関に次ぐ「3位」だったという。公家の岩倉具視は若き明治帝を新生日本の絶対君主、大黒柱、竜骨(船底の中心を船首から船尾へ貫く船の背骨)にするためには「公家=愚昧=寄生虫」は神棚に祭り上げておくに限ると判断し、それを実行したわけだ。既存勢力を抑え込んで明治帝を理想的な国民融和のコアにするための「血を流さない戦争」「頭脳戦」だったろう。


それが大正、昭和、平成、令和までの天皇皇后両陛下の役割、日本の国柄、“治まる御代”として続いているのは結構だが、両陛下、皇族の精神的負担は想像を絶するのではないか。敗戦でGHQは11宮家の皇籍離脱を強行したが、藩屏を早目に修復しないと皇統の安定がますます危うくなる。皇籍復帰もGHQ教=アカとの一つの戦争だ。


先週、隣町を散策していたら「大山街道ふるさと館」を発見、見学した。多摩川の激しい蛇行の跡などを調べた小塚光治先生の研究成果も展示されており、小生は「先生、お久し振りです!」の感だった。


先生は1960年頃に我が家の近くに算盤塾を開き、小生は小3で学んだ。それから間もなく「多摩英数学院」とかも併設し、小生は算盤は3級で終わりにして数学を学んだが、小学校を卒業してからは縁がなくなった。


以来、幾星霜、多摩英数学院は消えて、やがて3階建ての「桐光学園みどり幼稚園」(光=先生の名に由来)ができて、小生の3人の子はお世話になった。小塚先生は入園式の際、子供に訓示をするが、チビどもはちっとも静聴しないので先生は怒り出してしまった。


小生は思わず笑ってしまったが、先生はクソ真面目でいい加減さがなく、是は是、非は非の石部金吉、テキトーを許せない性格なのに無理して我慢するからいつもせわしなくイライラしている風だった。WIKIから。


<桐光学園中学校・高等学校(川崎市麻生区)は川崎市立高校教諭を務めた小塚光治により1965年、川崎みどり幼稚園(現・桐光学園みどり幼稚園)が創設されたことにはじまる。 1972年に学校法人桐光学園が設立され、1978年に高等学校、1982年に中学校を開校。1991年に中高女子部が開設された。


小塚理事長は、当時「神奈川御三家」の一つであり、多数の東京大学合格者を出していた桐蔭学園高等学校から鵜川昇(桐蔭学園学園長)を桐光学園理事として招聘し、桐蔭学園のシステムを導入した。当時は兄弟校を標榜しており、現在も桐蔭学園と同様のシステムが多数残っている、云々>


理事長は学校経営のトップだが、先生は飽くまで学者であり、実務は鵜川氏に任せたのだろう。


先生の著書には「川崎史話」「やさしい川崎の歴史」などがあり、以下はそれからの引用だ。


<荒多摩川の名で知られていた暴れ川の多摩川は、近代以前より下流の住民を氾濫によって苦しめてきた。


多摩川氾濫は、江戸時代の多摩川下流住民にとっての最大の災害であり、種々の歴史書によれば1644年(正保元年)から1867年(慶応3年)までの223年間に37回の大洪水が記録されている。これは6年に1度のペースである。


また、19世紀初頭に編纂された『新編武蔵風土記稿』では、稲毛領(武蔵国稲毛荘を領した稲毛重成由来。平安末期から鎌倉初期の武将、鎌倉幕府の御家人)の多くが「洪水の患あり」「屢水災あり」「水損の患あり」「水損繁く」「常に水災は多くして」などと記されている>


先生は学者、教育者、学園創立者で、常に真理を求めて戦い、おまけにサルみたいなチビとも戦ったわけだ。それでも1911~2002年、卒寿の大往生、戦争していると心技体の劣化が抑えられるようだ。24時間戦えますか? Yes, I can、健康長寿に戦争は効きそうだ。レーガン、サッチャーは戦争止めたら呆けちゃった・・・


多摩川右岸土手のチャリ散歩を装う前線偵察で、二子橋の近くに川と直角をなす土手を発見したのは2か月ほど前だが、離れ離れに2か所、計300mほどは現認した。支流があるわけでもないのに、どう見ても土手であり、「工事用のトロッコ線路の跡地かなあ」などと思っていた。


先日、そこからずっと南の二ヶ領用水(我が家の近くの二ヶ領用水と区別するため地元では「本川」とか「新川」と呼んでいる。昭和初期前後に追加で掘削された深くて大きい石垣水路で、まるで皇居のお堀のよう。久地駅近くで新旧が合流)の傍らに祠がある。そばに市の立て札「久地の横土手」があり、こう表示されていた。


<元禄の頃、多摩川の氾濫から久地分量樋や下流村を守る為、二ヶ領用水と直角に横土手を関東郡代が作り始めたが、時折の洪水による工事の難航と上流が水に浸かる激しい抗議と妨害で240mで中断された。その陰には幾つかの悲劇があった。その供養塔がある>


つまり多摩川が氾濫しても自分の村の田畑を守るために3km近い土手、堤防を造ろうとしたわけだ。ここで氾濫水が止められたら上流村落の田畑は完全に水没するから猛反対を食らい、工事はストップしたとか。村と村の戦争だ。祠はその慰霊碑。


「久地の横土手」は今は「かすみ堤」と呼ばれて住民の憩いの場として愛されている。「久地かすみ堤の会」代表・久郷則男氏の話。堤防を創った側の子孫のようだ。(久郷=久地の郷紳、大百姓の子孫か)


<「かすみ堤」は多摩川の治水のために、江戸時代に農民の手によって作られたといわれています。昭和初期に新しい堤防が多摩川沿いに建設されたため、現在は堤防としての役割は無くなり、多摩川の「旧土手」の一部となっています。


もともと武田信玄が発明したといわれている堤防に、大水が出た時には水を流して、引いたらまた元に戻るという、ハの字をした堤防があり、これを「信玄堤」や「かすみ堤」といったそうです。これに似た形をしていることから、いつからかこの土手は「久地のかすみ堤」と呼ばれるようになったそうです。


多摩川の氾濫を防ぎ、人の命や家を守って、お米の収穫量も増やした、歴史のある堤防です。


現在はおよそ700mが残っているだけですが、昔の地図を見ますと、二子新地の辺りから「久地の横土手」というところまで堤防が続いており、多摩川から2.3~2.5kmくらいあったことがわかります。(所説あり)


江戸時代に地域の農民を中心に自然発生的に作られたのではないかともいわれていて、江戸中期には田中丘隅(きゅうぐ)という人が改良に貢献したと言われています。大正時代にももう一度大改修が行われたため、堤防の中は3層になっているそうです。まさに「歴史の積み重ね」がある、素晴らしい土手です。


昔の多摩川は、今のように一直線ではなく、当然ダムも無かった時代ですから、増水すればすごい勢いで流れてきたわけです。それを食い止めていた堤防ですから、非常に強い造りをしています。今行われている多摩川の堤防の改良工事でも、この「かすみ堤」を参考にしていると聞いています。


震災も戦争も乗り越えてきた、貴重な土木遺産だと思いますから、ぜひ沢山の人に知っていただきたいと思っています>(「マチノコエ」2018/平成30年4月)


まさに「恩讐の彼方に」の風情で、今は土手に植えられた桜を始め四季の花々が住民を楽しませている。この堤防を巡って先人が争ったことはすっかり忘れられているのだろう。


多摩川の氾濫からいかにして身を守るか、東京側と川崎側で土手の高さを競った時期もあったとか。互いに濁流激流に「どうかあっちの土手へ行ってくれ」と手を合わせたろう。戦争だ。


どちら側が洪水に見舞われるか、喜んだり悲しんだり・・・そのうち「互助精神」を説く識者がいたのだろう、「川を挟んで一つの村にしよう、どちらかが洪水に遭ったら互いに助け合おう」となり、今でも等々力や二子、下布田の地名は川の両岸にある。


艱難汝を玉にす、川を越えた婚姻も盛んになって小生の叔母さんは東京側の等々力村に嫁いだ。縁戚関係で紐帯を強める・・・まるで一昔前の欧州やアジアみたい。叔母さんは村の皇女和宮・・・眞子様、お気を付けて・・・天に選ばれし者のノブレス・オブリージュ・・・何とも言えない気分になる。


「川を挟んで一つの村」は万一に備えた互助体制だが、世界は同盟による集団安全保障が進んでいる。勢力均衡、バランス・オブ・パワーで少なくとも大国間の戦争を抑止しようというものだが、価値観が普通の国と全く違う中共との安保同盟というのはあり得るのだろうか。


<中ロ軍事同盟、排除せず 「想像可能」とプーチン氏:時事2020/10/23


ロシアのプーチン大統領は22日、ロシアと中国の軍事同盟について「理論的に十分に想像することができる」と語り、排除しない考えを示した。内外のロシア専門家が議論する「バルダイ会議」にオンライン形式で参加し、質問に回答した>


海千山千のプーチンは内憂外患でそれどころじゃないだろうが、一応、四面楚歌的な中共にリップサービスしたようだ。


<日豪首脳会談 自衛隊と豪軍の共同訓練 協定で大枠合意:NHK2020/11/17


菅総理大臣とオーストラリアのモリソン首相は、首脳会談のあと、そろって記者発表に臨み、菅総理大臣は、自衛隊とオーストラリア軍が共同訓練を行う際などの対応をあらかじめ取り決めておく協定(相互アクセス協定:Reciprocal Access Agreement RAA)について、大枠で合意したことを明らかにしました。


菅総理大臣は日豪首脳共同声明に署名したとして「安全保障、防衛協力や経済などの分野での両国の協力関係の一層の強化をうたったものであり、引き続き日豪間の連携を強化していきたい」と述べました。


一方、モリソン首相は「きょうは特別で大きな一歩を踏み出した。両国の間の協定について、一里塚ともなる大枠合意に達することができた。敬意を表しつつ、このような重要な協定を結べたことは、信頼を寄せていただいている証しと受け止めている」と述べました>


サイト「航空万能論」11/18は「中国が早速、日本と豪州のRAAについて噛み付いてきた」とこう報じた。


<中国の「Global Times(環球時報の英字紙)」は17日、日豪が大枠で合意したRAAを足がかりに2ヶ国間の軍事同盟に動き出せば米国が提唱する「アジア版NATO」に繋がり、この地域の平和的発展を阻害することになるため中国は対抗措置を取らざるを得ないと強調、そうならないためにも日豪は準軍事同盟と見なされるRAA締結を自制するべきだと提案している>


小生から見れば中共は「構成員が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれが大きい指定暴力団」そのもので、堅気の市民国民人民は恐れをなして表向きは素直に従っているゴロツキ国家である。こんな国とWinWinで握手する、盃を交わす、兄弟仁義で血を吸いあう、そんな国があること自体が不思議だが、類は友を呼ぶ、世界の有象無象のワル、マフィア、ギャング、チンピラ、ダニは中共に擦り寄るのだ。サイト「中国の同盟国・協力国」から。


★北朝鮮 1950年の朝鮮戦争で中国が北朝鮮を支援して以降、北朝鮮は中国の庇護下にある。1961年に両国は「中朝友好協力相互援助条約」を締結。いかなる外部攻撃に対してあらゆる手段で直ちに軍事その他の援助を提供することを約束している。


★ラオス 中国南部雲南省と国境を接するラオス。ラオスは中国と同じ一党独裁体制の社会主義国体制を布いている。東南アジアの最貧国といわれるラオスには中国から多額の資金が投資されている。


現在、その資金でラオスの首都ビエンチャンから中国国境ボーテンまでを結ぶ「中国ラオス鉄道」を建設。2021年末に開通を予定している。これは習近平が進める一帯一路戦略事業の一つで、開通すれば中国の影響が強まるとされている。軍の装備は現在、ほぼ中国製。


★カンボジア かつて親日といわれたカンボジアも中国の影響が色濃くなっている。ラオス同様に多額の資金が投資されているが資金援助の多くが借款、つまり債務・借金であり、債務はどんどん大きくなっている。カンボジア政府高官も金のために中国政府・企業の言いなりといった状況。


2019年にはタイ湾にあるカンボジア海軍の軍港を中国海軍が利用することを中国政府と同国政府で合意を結ぶなど軍事面の連携を見せている


★スリランカ インド南部にある島国。2009年に内戦が終結したが、国土復興には多額の資金が必要だった。そこで手を差し伸べたのが中国。中国から多額の資金が投資されインフラを復興させたが、それは債務であり、資金返済に困った政府は返済の一部としてハンバントタ港を2017年7月より99年間にわたり中国国有企業の招商局港口にリースすることにした。国有企業ということは共産党の息の掛かった企業ということ。


インドと対立する中国にとってインド洋に海軍の拠点と地政学上重要拠点となるマラッカ海峡の動線となる航路をおさえた事にもなる。


★ミャンマー、バングラディッシュ 南アジアでは貧しい国に対しては同様に資金援助という名の債務を課して影響力を強めている。


★パキスタン 中東の雄パキスタンはかつて米国と親密だったが、今は中国の同盟国で、一帯一路を進める上で中東の重要なパートナーだ。また中国と同様にインドに対しカシミールでの領有権問題を抱える両国は団結してインドに対抗し、過去4度の中印紛争ではパキスタンは中国を支援している。


FC-1(JF-17)戦闘機や90-II式戦車(MBT-2000)など共同の兵器開発を進め、最近ではペルシャ湾に近いグワダル港の運営権が中国に移譲されており、軍事面での関係はとても深い。


★イラン イランは一帯一路の重要国でもあり、米国という共通の敵を持つ点で近年関係を強めている。両国は2020年に25年に及ぶ経済・安全保障のパートナーシップ協定を結んだ。


中国はエネルギー関連など総額4000億ドル規模の投資を行い、代わりにイランは安価で石油を販売、さらにペルシャ湾に浮かぶキーシュ島を25年間貸し出し、中国関連の設備警備のために5000人の中国兵が駐留することに合意した。


ペルシャ湾は世界の石油輸送の重要地点で対岸には多くの米軍基地がある。中国はキーシュ島を軍港利用するものと見られている。2019年には中国、ロシア、イランの3カ国で海軍合同演習を行っている。


★中央アジア諸国 かつて旧ソ連の一部であったカザフスタン、 トルクメニスタン、ウズベキスタン、キルギス、タジキスタンの中央アジアの5カ国は陸路で中国と欧州を繋ぐ一帯一路の重要地点だ。


中国は財政的に乏しい5カ国に一帯一路のために巨額の融資を行ったが、あくまで融資で借金だ。キルギスやタジキスタンの対外債務の半分が中国とされており、借金漬けにして支配力を高めている。タジキスタンには人民解放軍の軍事基地があるとされている。しかし、進駐した中国企業の傍若無人の振る舞いに国民の反発は強まっている。


★ロシア かつての中ソは同じ社会主義でありながらイデオロギーの違いや国境紛争などで対立していたが、現在は友好国となっている。常任理事国として米国、西側に反対して足並みを揃えることも多い。近年では月面基地建設やエネルギー戦略での協力を表明。共同で軍事演習を行うなど軍事面での協力も強まっている。


★ベネズエラ 南米の狂犬ベネズエラ。マドゥロ大統領の愚策により、2000%のハイパーインフレを起こすなど社会基盤が破綻するなか、社会主義の独裁政治で国民に圧政を布いている。国際世論の反発が強まる中、中国はロシアと並んでマドゥロ政権を支援している。狙いは世界一の埋蔵量を誇るいう石油だ。中国はベネズエラ政府軍支援のために人民解放軍を派遣している。


★アフリカ諸国 財政的に厳しいアフリカ諸国に対し、中国は2000年代以降多額の資金を投資して、影響力を強めている。2018年の「中国アフリカ協力フォーラム」では600億ドルの資金援助を表明するなどアフリカへの投資額は世界一だ。


これらの資金援助の担保の多くは天然資源で、中国は安価で資源を手に入れている。インフラ整備の多くは中国企業が請け負っており、実際にアフリカに落ちる金は少ないといわれている。


しかし、腐敗や独裁体制が多いアフリカでは政府高官の多くが金で動く。アフリカ諸国の一つ一つの国力は弱いが、国際社会(国連)では欧米と同じ一票を持っており、中国に有利に運ぶ投票をすることは多い。新型コロナの問題でエチオピア出身のWTOの事務局長が中国寄りだったのも、これらが理由とされている>


いやはや、中共はトウ小平の「改革開放」以来、先進国の資金援助、技術協力などで経済を発展させたが、その裏で先進国を制圧して世界に君臨する「世界共産主義革命」を一歩一歩、着実に進めてきたわけだ。共産党設立から100年、中共建国から70年、トップが変わろうが中国共産党はひたすら世界革命へ駒を進めてきた。


トランプ米国の「中共独り勝ちは許さない!」という中共叩き、さらに中共コロナ禍で世界の中共を見る目はまともになってきたようだが、先進国にはまだまだ共産主義信奉者はコロナウイルスのごとくはびこっており、パンデミックの機会を狙っている。


先進国は自由民主人権法治を基本にし、思想信条の自由を掲げているが、共産主義者は独裁統治が基本で、思想信条言論の自由などは片々もない。


アカは1800年代から今日まで中ソだけで少なくとも1億人、世界中で2億人は殺しているだろう。彼らは自分たちだけがオイシイ思いをする世界を創りたいのであり、放置すればコロナウイルスのごとく世界に蔓延し、現在の自由民主人権法治体制は確実に消滅する。


公序良俗に危険を及ぼしかねないオウム真理教のようなアカを如何にして駆除するか。例えば暴力団対策法に定める3要件、「組織の威力を使って資金を獲得している」「一定の構成員に特有の前科がある」「階層的に組織を構成している」に該当する組織は社会から孤立させていく。


組織のシノギが細り、カネが得られなければ構成員は組織から離れていかざるを得ない。金の切れ目が縁の切れ目、背に腹は代えられない、堅気になるしかない、と。


アカに汚染されたメディア、マスコミ、学術会議、日弁連、「組に入らんとアンタが困った時に誰も助けちゃくれんぜ」と新人を脅して異常なほど高い組織率を維持している自治労などの労組。不買運動や暴対法などで駆除する国民運動などを進めていかないと、ドイツみたいにアカを恐れて何も言えない社会になってしまう。


アカを潰すか、アカに潰されるか、先進国の多くはその岐路にある。目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp (3か月でお三方からメール、厚意謝するに余りあり! 小生の戦いは蟷螂の斧、やがて化けるか、呆けるか、くたばるか)