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北朝鮮・軍事国家の末路(1

2024-01-31 10:06:23 | 戦争
北朝鮮・軍事国家の末路(1
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」267/通算698 2024(令和6)年1/31/水】1月28日の大地震にはびっくりした。早朝から気分よく庭掃除をしていたら体がグラグラ、思わずベランダの柱にしがみついた。震度3は慣れているが、“ついに令和の関東大震災か”と怖かった。ラヂオとPCで調べたが、日曜日のためか緊急報道はなく、ナンカナーの気分、「天災は土日と祝日にやってくる」?
午後になっても報道はなく、ウェザーニュースだけがこう報じていた。<今日1月28日(日)8時59分頃、東京都・神奈川県で最大震度4を観測する地震がありました。震源地:東京湾、マグニチュード:4.8、震源の深さ:約80km。この地震による津波の心配はありません>

災難は忘れた頃にやってくる・・・1978年頃の話だが、小生の同僚に珠洲(すず)浩一君がいた。夜間大学に通っていたが、屋根瓦の産地で知られる故郷の石川県で家業の屋根葺き業を手伝うために離職した。今年元旦の「能登半島地震」で石川県七尾市と珠洲市が大被害を被ったが、珠洲君は大丈夫だろうか。震災で街はボロボロ、メチャクチャ、地盤がおかしくなっているし、2波、3波の恐れもあるから復興はとても難しそうだ。故郷を離れ移住する人は多いだろうが、地震大国の日本では絶対安全なんていう場所はないし・・・重厚でずっしりした屋根瓦の需要は細るばかりだろうし、被災地の人々、特に珠洲君のような70歳以上の高齢者の晩年は厳しそうだ。小生ができることは寄付くらいか・・・

自然災害から人災まで・・・浜の真砂は尽きるとも世に災難の種は尽きまじ。自然災害は避けられないにしても、人災はどうにか抑制できないものだろうか。「平穏無事」の世の中は、血を血で洗う戦争、生みの苦しみを経ないと実現しないのか・・・「暗いと不平を言うよりも、理想に向かって一歩でも二歩でも前進すべし」というのは正論だろうが、自由民主圏の人々の理想と中露北など共産主義独裁者の理想は真逆なのだから、精々「互いに干渉しない」という「冷戦」が精いっぱいではないか。

ところが共産主義はエリートの党員による党員のための統治で、庶民にとっては「一所懸命に働けばそれなりに報われる社会」ではないから生産性が恐ろしく低い。トウ小平の「改革開放=資本主義導入」が起動し始めた1982年頃、取材で訪れた中国では、依然として売り手は「売ってやる」、買い手は「売ってもらう」という世界で、小生は「聞きしに勝るなあ、これでは経済発展は難しそうだ」と思ったものである。

後に知ったことだが、当時は8時間労働で3交代勤務なのだが、3時間しか仕事がないので人民はおしゃべりして過ごしていたとか。「3時間働けば飯が食える、我が国は世界最先端の良い国だ」と信じていたという。もっとも当時は皆人民服で、飽食もない質素健康?な食事だからデブがまったくいなかったのは印象的だった。それでも文革という10年に及ぶ人災が終わり、都市部では穏やかな暮らしができるようになったのだろう。「井の中の蛙、大海を知らず」でも3度の飯が食えると人間は穏やか、大人しくなるようだ。“眠れる獅子”清朝が300年も続いたのは、それなりに飢餓を克服したからではないか。

毛沢東亡き後、実権を固めてきたトウ小平は、資本主義経済の一部導入、それによる中国の近・現代化、富国強兵を目指したが、3時間労働に慣れている“眠れる人民”の目を覚まさなければならない。長い歴史の中で人民は「国家は搾取機構であり、上に政策あれば下に対策あり」の処世術で生きてきたから、上がいくら旗を振ったところで腰を上げるわけがない。それをトウ小平は「チャンスがある人から先に豊かになれ(豊かになって後進を引き上げよ)」という「先富論」で解決した。大した指導者だ。人民は欣喜雀躍、大奮起するようになったが、共産党員など既得権益階級には習近平のようなガチガチの毛沢東主義者もおり、忸怩(じくじ)たる思いだったろう。

まったく悩ましいことだが、共産主義国家は、人民を圧迫し、他国を侵略して領土を拡大しないと国力を維持できない、即ち、自由民主国に負ける、というのが宿痾(しゅくあ)である。共産党員などエリートと将軍はそれを承知していても、利権を捨ててトウ小平のような改革開放を維持発展しようとは思わない。一方で周辺国は中露北の暴発を恐れるばかりで、なすすべ無し。米欧日などが「遺憾砲」を連発したところで火薬が入っていないのだから中露北への抑止効果ゼロ。
情けないことに日本の政治家は口先だけで拉致被害者が戻ると思っているのだから脳内お花畑の病膏肓。現実を見ないで夢を見るばかり・・・西郷先生曰く、
「正道を踏み、国をもって斃れるの精神なくば、外交は機能し難し。強大な他国に萎縮して対立を恐れ迎合すれば、かえって軽侮を招き、やがては強国に凌辱、併呑されるに至らん」(「西郷南洲遺訓」の小生の現代語訳)

自由民主圏でも、目先の利益のために敵性国家の中露北に迎合する輩が多過ぎ! この手の訪中人士への応対について毛沢東は「カネ、女、名誉・・・欲しがるものは何でもくれてやれ」と軽侮していた。今は「習に交われば赤くなる」、政財界の訪中団は馬鹿にされただけではないか。目を洗って彼ら中露北の共産主義者が圧政統治する国民を見よ!と言いたい。
デイリーNK 2024/1/26「北朝鮮国民インタビュー:庶民の願いは『誰も餓死しない1年に』」から。

<「人民経済発展の12の高地をすべて占領した」 昨年末に開かれた朝鮮労働党中央委員会第8期第9回総会拡大会議で、金正恩総書記は「人民経済」(民生経済)の「高地」(重要な経済目標)をすべて達成し、大きな成果を上げたと自賛した。しかし、国民からはこんな声が上がっている。「誰も餓死しない1年になって欲しい」。

中国国境に接する北部地域では、新型コロナウイルスの流入を防ぐために頻繁にロックダウンが実施された。それにより地域経済で重要な地位を占める公設市場が、かなりのダメージを受けた。デイリーNKは、いずれも国境に接する両江道(リャンガンド)、咸鏡北道(ハムギョンブクト)の住民とのインタビューを行い、最近の暮らし向きについて尋ねた(デイリーNKは取材源にスマホを貸与して情報収集しているよう)。
――最近の暮らし向きはどうか
◎両江道の住民Aさん:誰もが想像を絶するほど苦しい生活を送っている。コメがないのでワラビを茹でて、毎日一握りずつ食べて延命している人もいれば、大量に水を飲んで空腹を紛らわしている人もいる。また、ゴミ捨て場や路地裏で家族単位のコチェビ(ホームレス)が寒さに震えている。ますます生活が行き詰まり、ため息が出るばかりだ。
◎咸鏡北道の住民Bさん:栄養失調になる人が増えている。病気になってもお金がなく、必要な薬を買うことも、適切な治療を受けることもできない。今や単に「貧しい」というレベルを超えて、「命の危機」というべき状況だ。それでも「元帥様ありがとうございます」「わが国(北朝鮮)が一番好き」と叫ばされる。もうこんな暮らしから抜け出したい。

――昨年最も苦しかったことは?
◎Aさん:こっちの暮らし向きなど考えず、人民班(町内会)や女性同盟から(金品を)出せと言われ続け苦しかった。昨日きょう始まったことではないが、一夜明けるとコチェビがさらに増えている現実を無視して、「ともかく出せ」と言われ続け、出せなければ恥をかかされる。どうしようもない。
◎Bさん:取り締まりと統制だ。市場に空きスペースはなく、路上で物を売ってその日暮らしをしている人々は、取締官に追い立てられ、捕まれば商品はすべて没収される。そのため必死で抵抗し、取られたものを取り返そうとする。そして、獣のように扱われる。人間として生まれたのに、人間らしく生きることもできずに死んでいくしかないのかと思うと恐ろしい。

――今年の願いは?
◎Aさん:昨年、国は住宅をたくさん建ててくれたが、そこに住む人々の暮らしは厳しい。まさに見掛け倒しだ。新年は、目に見えるものだけにこだわるのではなく、住民が切実に求める食糧問題に関心を持って解決してほしい。
◎Bさん:新年は自分で商売ができるようになり、儲かることを願っている。生活苦にあえぐ住民が飢死しない一年であってほしい。ここ数年の苦労や苦しみが終わる一年であってほしいと思う>(以上) この項、次回に続く。
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続・朝日新聞は「日共応援団」?

2024-01-27 11:08:53 | 戦争
続・朝日新聞は「日共応援団」?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」266/通算697 2024(令和6)年1/27/土】承前。前回の最後にこう書いた。
<小生は今は産経を紙と有料ネットで愛読しており、1979年以降は紙の朝日を読むことはめったにないが、なぜ朝日は日共の報道がケタ違いに多いのか? まるで「赤旗」みたいだが、日共支持の読者、特に女性が非常に多いのではないか。朝日は昔から「テレビ欄が充実しているので女性読者が多い」とは聞いていたが、高学歴の女性読者も多いようである。「平和を愛する日共ガンバレ、戦争を準備する自民党ダメ絶対」という思想信条が浸透しているのかも知れない>

1979年に小生は朝日新聞の自宅購読を終えたが、つまらないソ連の記事が多かったからである。朝日は冷戦時代でもソ連が大好きだったのだ。コケの一念、病膏肓、つける薬なし。その後は読売新聞にしたが、ジャインアンツのタオルケットをくれたのでゲンナリ。当時小生は広島カープを応援していたが、読売は「読者=巨人ファン」と信じているよう、「バッカじゃない?」とこれまたゲンナリ。今と違って当時の読売は購読者を減らさないように右でも左でもない中立的な(味の薄い)報道を社是としていたようで、小生にはインパクトが薄すぎた。

で、仕事を終えて帰路の電車の中では東京(中日)新聞夕刊を愛読するようになったが、名物コラムの「千夜一夜」は実に面白かった。コトバンクにはこうある。<「千夜一夜」は都新聞(のちの東京新聞)の夕刊コラム。同新聞の記者、須田栄が執筆を担当。1936年7月から連載を開始し、以後半世紀にわたり続いた。1954年には第2回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞している>
1982年度には「日本記者クラブ賞」も受賞している。曰く<須田栄(中日新聞社編集局放送芸能部嘱託):およそ半世紀にわたり、夕刊コラム『千夜一夜』を執筆。独特の軽妙しゃだつな筆で市井の笑いと哀しみを描き続けた。"生涯千夜一夜記者"に徹し、85歳に至ってなお文筆一筋に生きる活動が評価された>

ファンはとても多かったのに東京(中日)新聞は有力な読者かスポンサーからの苦情があったのか、「千夜一夜」を追放した。以来、小生は東京(中日)新聞を「銭ゲバの根性なしの事大主義者」とレッテルを張り、軽侮、軽蔑、憎悪している。東京新聞を追放されたベテラン記者によると、編集現場にアカが多いとか。

須田栄氏はその後どうしているのだろうとネット検索したら「1983年、老妻の介護に疲れ心中を企てるが妻のみ死亡、殺人罪で逮捕されるが執行猶予がつく」とあるが、裏取りがとれない。日本の伝統的なセイフティネット「一子相続」が米国民主党のFDRルーズベルト一派に破壊されて以来「老々介護」、疲れ果てた末の「老夫婦の心中・自殺」は日常茶飯事になってしまった。須田氏が穏やかな晩年であったことを願うばかりだ。

「お前百までわしゃ九十九まで」、あなたは百歳まで長生きしてくださいね、私は(あなたの七回忌を済ませて)九十九歳になったらおそばに参りますから、待っていてくださいよ・・・夫婦はこうありたいなあと思う。奥さんの手厚い介護を受けながら旦那は先に成仏、その数年後に奥さんも息子夫婦、娘夫婦の介護を受けながら成仏。何度も繰り返すが、敗戦まで日本の家制度は実に良かった。

大昔から男と女では役割が違う。旦那は狩猟や農耕で外職(そとしょく)、奥さんは炊事・洗濯・掃除、牛や馬の世話、子供や老人の面倒、家近くの畑仕事、昼には旦那のところに弁当を届け、夕方には風呂を焚いたりの内職(うちしょく)。小生が小6(1963年)の頃まで特に農林水産業の家はそういうものだった。「くったくたなのによー、夜の相手もしなけりゃいけねーべー、もうてーへんだよ、はっはっは!」とおかみさん連中は豪快に笑っていた、と母は言っていた。(神奈川県の方言はべーべー言葉と言われていたが1980年頃に消滅。「けったらかしーよー、座わんべーよー」(疲れたから座ろうぜ)、最後は湘南の暴走族が使っていたという) 閑話休題。

企業でも男と女の役割分担は1990年あたりまで明確にあった。男は前線で働き、女は主に社内でそれをサポートする。それを「男女差別だ、男女格差だ」と避難する人はいなかった。何万年、何十万年もそれが普通だったのだ。

「男女平等」というか、近・現代の「職業婦人」の嚆矢は看護婦だったかも知れない。看護婦は1853~56年のクリミア戦争の最前線で治療に当たったナイチンゲールが生みの親で、それまで看護婦はただの女中や掃除婦でしかなかった。彼女は病原菌が発見される以前に「治療には衛生が大事」と唱えていたという。
人類史上最大かつ残虐な戦争と言われる第一次世界大戦(1914/大正3年~1918/大正7年)には日本軍も参戦したが、前線で傷病者を治療するために看護婦が動員され、職業としての近・現代の看護婦、看護師が定着していった。

「専業主婦であるべき女性が家から外出して賃金労働する」というのは、大正生まれで「私は士族の出」とプライドの高い我が母には受け容れ難かったが、学校の先生や医者、看護婦、助産婦など「立派な仕事をする女性」には敬意を表していた。「立派な女性」とは、昭和の、いわゆる「職業婦人」とはちょっと違うようだ。
<「職業婦人」とは昭和初期にあらわれた働く女性のこと。なかでも時代の最先端を行くモダンでおしゃれな女性たちのことを「職業婦人」と呼びました。「職業婦人」は、当時の時代の最先端を行く、世の女性たちの憧れの存在だったのです>(ドラゴン桜学習法)

かくして「第3次産業」の商業やサービス業を中心に女性の社会進出は拡大し、今では専業主婦は少数派のようで、「職業婦人」という言葉もすっかり消えた。これは自由民主の各国も同様で、一種の“文化大革命”だったと言えるかもしれない。
毛沢東の文革(1966~1976年)を朝日新聞は率先して称賛したが、現在進行形の“ジェンダー文革”も大いに支持しているよう。よほど「革命」が好きなのだろう。♪古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます・・・3周遅れのトップランナー??

朝日2023/11/17、佐藤信・東京都立大准教授の「女性登用、社内でも変化へもがけ」から引用する。
<朝日新聞は2023年6月23日の社説「男女格差 政治も経済も是正急げ」などで政財界の女性活躍の遅れを声高に叱咤してきた。しかし、当の朝日新聞はどうなのだろう。X(旧ツイッター)を覗けば、朝日新聞の報道に対し、当事者意識を欠いた「上から目線」だという批判をしばしば目にする。女性活躍にも厳しい目が向けられるのは当然だ。そんな疑問は読者からも届く。事実、いま社説を担当する論説委員のうち女性はわずか1割である。

調べてみた限り、朝日新聞がジェンダー平等への取り組みを始めたのは日本のメディアのなかでかなり早い。はじめに対応が進んだのは表記における性別に関する偏見。2002年につくられた「ジェンダーガイドブック」は社内向けに、女性のインタビューでだけ家事や育児について書かれる傾向や、野球の捕手を女房役と呼ぶようなステレオタイプな表現に注意を促した。17年には性的マイノリティーに関する記述を増やすなど全面的な改訂もなされている。新聞労連のジェンダー表現ガイドブックが22年につくられたことを考えても取り組みは早い。

せっかくなので過去記事のデータベースで、野球の捕手を女房役と呼ぶ言葉遣いを調べてみた。すると、読売新聞や毎日新聞などでは減ってきてはいるが、近年もこの表現は使われていた。他方、朝日新聞ではジェンダーガイドブックがつくられた後から減少し、18年を最後に表現自体がなくなっている>(以上)
文革を称賛したり、凝りもせずに言葉狩りをしたり・・・新左翼が暴れまくった50年前に赤瀬川原平は「アカイ/アカイ/アサヒ/アサヒ」と嗤ったが、「時流に沿って揺れ動く」「流行に迎合する」のが朝日流のよう。朝日新聞国際報道部の「プーチンの実像 孤高の『皇帝(ツァーリ)』の知られざる真実」(朝日文庫2019年)を読んだが、プーチン一派が悪い、ロシア人は悪くない、という「何をいまさら」の駄作だった。朝日はパワーダウンしていそう。

男だろうが女だろうが企業はデキル人を求める。当然だ。小生は編集プロダクションを起業してから、性別は気にせず「できそうな人」を採用してきた。学歴もほとんど気にしなかったのは「教えれば3か月、6か月でまあそこそこ役に立つだろう、1年も経てば一人前になるかもしれない」と思っていたからだ。
ところが同年齢でも大卒は1、2か月でそこそこ良い記事を書く。「孜々(しし)として励む」なんて小生も知らない言葉を使ったりする。半年も経てば「社長、締め切りが迫ってますよ、焦らないとダメです!」とハッパをかけたりする。一方で高卒は1、2年経っても難しい記事を任せられない。「もう私にはできません」なんて泣きが入ったりする。勉強しない、読書もしない、新聞も読まない、上昇意欲や知的好奇心が薄い。男も女も大卒はおおむね期待以上、高卒は期待未満・・・これが現実だった。もっとも「編集の世界」では、という話だが。

企業は仕事ができてタフで健康でぐんぐん伸びていく人材を求める。男か女かなどはどーでもいいが、それでも企業は女子社員が徹夜、休日出勤をしないでも済むように配慮はしているはずだ。1988年頃のリクルート社は男女差別はなく、社員曰く「男は白髪、女は生理が止まり子供を産めない体になります」というモーレツ企業だった。それに比べれば日本の一般企業は概ね「優良可」だろう。

女性社員は結婚を機に離職したり、妊娠すると休業したりするから、多くの企業は男の社員を優先して採用する。しかし、男だけの会社、職場なんてまずない。女子社員はどうしても必要なのだ。
会社は航空母艦や基地である。男はそこから戦場へ向かい、仕事をして空母や基地に戻る。そこには座職の女がいてドンパチ以外の仕事はこなしてくれる。「お疲れさまでした」とコーヒーとクッキーで慰労してくれる。「レポート書いておきましたから見ておいてください」とか。

リクルートから頼まれ評判の良い航空会社ランキングをアンケート調査していたら、「イスラム教国の航空機に乗ったらスチュワーデスではなくスチュワードがいてガッカリした。汗臭くて何も頼む気にならなかった」という人がいた。酒場やレストランでも接客は男のウェーターではちょっと興覚め、ニコニコしながらのウェートレスの方がいいという人は圧倒的に多いのではないか。育児は女の方がいいし、散歩で出会う我が町の保母さん、保育士はほとんど女性である。それは男女差別ではなく「適性にもとづいた男女区別、役割分担」だろう。

小生は「朝日新聞や日本共産党を支持する人は高学歴の女性読者が多そうだ」と思っているが、調べたら「ペーパーアド」2023/12/14に「新聞の特徴や種類を詳しく解説! 5大紙についても徹底的に比較」があり、こう報じている。
<朝日新聞の読者の年齢層は、男女ともに60代が最も多く、全体の22.2%を占めています。読者の職業の特徴としては、特に行政団体の職員や、企業の管理職が多く、他の新聞に比べて主婦層も目立ちます。大卒や大学院卒の割合が高く46.3%を占めており、世帯当たりの年収は771万円、世帯ごとの金融資産額は2076万円です。「経済的に余裕があり、知的で、政治や医療などのテーマに関心の高い層」というのが朝日新聞の読者イメージです>

朝日読者は「私はインテリ、私は正義、私はセレブ」とプライドが高そうだ。それ以外の人は無知蒙昧の輩と(心の中では)見下しているのかも知れない。中共や日共を見ても分かるが「アカは異端を許さない」のが原則で、党の上部が決めたことに異議を唱えたりすれば「分離主義者」「腐敗分子」「敵性分子」と非難され、速攻で排除されるのが普通である。小生が「反日的な胡散臭いパラサイト系拝金学者の巣」と嫌っている日本学術会議も同様ではないか。

戦前戦中の朝日は強者(陸軍)になびいて戦争をあおりまくった。敗戦後は一転して共産主義をあおってきた。露中北の末期的な暴走で今や共産主義が斜陽になっているから、朝日はアカからピンク、さらにピンクからホワイトへ徐々に近づけていかなければ存続はすこぶる怪しい。この際だから先祖返りで愛国右派に変身する手もあるが、下手をするとコア読者のインテリ女性が大反発するだろうから、なかなか悩ましい。
「アカか、ピンクか、それともシロか、それが問題だ」、ハムレット朝日よ、この際だから山一證券にならって自主廃業したらどうか。山一最後の社長、野澤正平が「私らが悪いんであって、社員は悪くありません」と号泣するや、世論は「勝ち負けは兵家の常、しょうがない」と寛容になった(1997年)。「経営の神様」松下幸之助曰く「やってみなはれ」、朝日よ、せめて最後は美しく逝くべし。
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朝日新聞は「日共応援団」?

2024-01-24 08:55:25 | 戦争
朝日新聞は「日共応援団」?
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」265/通算696 2024(令和6)年1/24/水】今朝は快晴、世は事もなし、気分良し。今年から毎朝仏壇に平穏を祈っているが、どうなるものやら・・・
朝に駅へ向かう社会人、夕に駅から家に帰る社会人を観察すると、半分ほどはスマホを見ている。小生は年に2回ほど(富士山お詣りと奥多摩散策などで)電車を利用するが、乗客の90%はスマホを見ており、本や新聞を読んでいる人はほとんどいない。彼らは自宅ではスマホとTVを見ているのだろう。紙離れの「ブックオフ」人種。知りたいことが速攻で分かるから便利だろうが、そのためにじっくり読書する、何度も読み返すという人は年々減っているようだ。既に「読書人=変人=キモッ!」の時代が始まっているのだろう。出版科学研究所の「日本の出版販売額」によると――

<出版業界の売り上げはピークとなった1996年までは上り坂一辺倒で来た。だが消費税が3%から5%に増税した1997年に初の前年割れとなり、以降、下降の一途をたどることとなった。特に雑誌市場は、少子高齢化に加え、インターネット(1990年代半ば~)、スマートフォン(2010年代~)の普及などから、需要が激減。休刊誌も相次ぎ、加速度的に下降していった。2016年には書籍と雑誌の売り上げが逆転、「雑高書低」が終わりを告げた。
書籍市場は雑誌に比べればまだ健闘していると言えるが、読者は高齢者にシフトしつつあり、老若男女に幅広く売れる瞬発的なメガヒットも出づらくなっている>

「読者は高齢者にシフト」・・・実際には1945年(敗戦)から1996年(アナログからデジタルへの革命)までは戦中戦後の闇市焼跡派と団塊世代、安保世代、全共闘世代が書籍市場を支えてきたが、読書は結構エネルギーが要るから頑張っても70代で気力体力がお仕舞になるだろう。
それに続く人は、1965~1990年の高度成長期に育っているのでハングリー精神や知識欲は薄く、また90年代以降は「バブル経済」崩壊でパッとしないので何やら「諦観&引きこもり」的。丁度その頃からデジタル革命が本格化して手軽にケータイやスマホ、PCで情報を得られるようになった。つまり「読書や新聞がなくてもちっとも困らない」のだから「紙印刷」の出版は斜陽を避けられない。

ダイヤモンド社の関連会社、ダイヤモンド・ビッグ社が昨年5月に解散したとは知らなかった。<帝国データバンクは5月30日、旅行ガイドブック「地球の歩き方」を出版していたダイヤモンド・ビッグ社(東京)が東京地裁から特別清算開始命令を受けたと発表した。負債総額は2022年3月末時点で約10億4977万円>(時事ドットコム)
「地球の歩き方」は1979年創刊。1970年あたりから400人乗りのジャンボジェット機が登場して航空運賃が大幅に下がったので、大学生がバイトでカネをためて随分世界へ飛び立つようになった。「地球の歩き方」はその市場に向けた本で、「地球の迷い方」などと批判する声もあったが、個人旅行を鼓舞した功績は大きい。澤田秀雄氏創業のHISはそれに拍車をかけた。一種の大革命だった。
現在ではスマホなどで「世界の今」がリアルタイムで報じられているので、今どきの若者は「何でも見てやろう!」といった海外雄飛(遊飛?)の好奇心やチャレンジ精神がかなり薄いようだ。安逸志向、要は衣食住足りて「ハングリー」ではないのだろう。「冒険心」なんて死語か? 

「井の中の蛙 大海を知らず」・・・中露北という超ド級の悪の枢軸が日本の「お隣さん」、天は我を見捨てたもうや、外界はまるで山口組、住吉会、稲川会。小生は国境封鎖して井の中に閉じこもりたい気分だが、資源小国の日本は鎖国なんてできやしない。内憂外患・・・
そう言えばウクライナやロシアを見ると、国家が非常事態になると国外へ逃げ出す人は珍しくないようだ。女子供が避難するのは分かるが、徴兵逃れで一人前の男が逃げ出す・・・教育勅語の「一旦緩急アレハ義勇公ニ奉シ 以テ天壌無窮ノ皇運ヲ扶翼スヘシ」、日本男児たるもの、あるいはいずこの国でも、男であれば有事の際に国家に身をささげるのが大昔からのルールではなかったか。

文永の役(文永11/1274年)と弘安の役(弘安4/1281年)でかろうじて元(中国)&高麗(朝鮮)ダーティペアの侵略「元寇」を撃退した日本は「国防」の重要性を思い知ったに違いない。
<日本は、元の本格的侵攻を撃退することに成功しました。台風を「神風」と呼んだのも、この状況下では当然だったのかもしれません。 もっともこの時点ではまだ元は日本征服を諦めたわけではなく、鎌倉幕府は臨戦態勢を解くことはできません。それによる御家人の負担と、恩賞の少なさが、やがて幕府への強い不満につながっていくことを思うと、元寇はやはり大きな影響を日本の歴史に及ぼしたといえそうです>(PHPオンライン WEB歴史街道2022/2/7)

中露北は「文永・弘安の役=元寇」から日本の安全保障の最大マターになったと言えるかもしれない。遅ればせながらロシアも1500年代にはシベリア征服に乗り出している。
<ロシアのシベリア進出は、雷帝ことツァーリ(皇帝)イヴァン4世(在位1533-1584年)の治世から本格化する。1552年のカザン・ハン国征服によって同地の毛皮の流通ルートを確保し、ウラル地域への進出基盤を得た>(WIKI)

元寇の報復としてフンドシ一丁・右手に日本刀の「倭寇(日本海賊)」が支那と朝鮮の沿岸部を荒らしまくったという以下の説もある。
<対馬や壱岐の元寇がどのようであったかは「日蓮註画讃」や「一谷入道御書」による記載が残っている。三田村泰助(歴史家:東洋史・中国史、立命館大学教授、1989年没)は、北部九州は元寇の最大の被害者だったから、対馬・壱岐・肥前が根拠地の松浦党の海賊が「侵略者の片われである高麗への報復はあたりまえのことで、いささかの後ろめたさもなかったであろう。心がまえとしては、さらさら海賊行為ではなかった」としている。
倭寇は元寇に対する報復の意味があることは中国側も認めており、朱元璋(明朝の初代皇帝、洪武帝)が日本に送った文では、「倭兵は蛮族・元のおとろえに乗じただけだ」としている(三田村「明帝国と倭寇」)>(WIKI)

歴史の解釈は色々で、学者や識者、報道機関でもずいぶん違うから、小生のような素人は「理論的に筋が通っている」方を良しとする傾向があるだろう。筋が通っていると「なるほど、そういうことだったのかも」とすっきりするし、両論併記では得られない快感、高揚、戦意が湧いてきて「ヨッシャーッ! 打ちてし止まん、今日も元気にアカ叩き! 立つんだ、ジョー!」となり、健康にも良いのではないか? 悪趣味みたいな気がしないでもないが・・・

新聞は金曜日にオイシイ記事が集中するので、2024/1/19(金)の朝日新聞(34ページ、14版)と産経新聞(26ページ、13版)の1、2面と国際面を比べてみた。朝日は図書館で目を通し、メモしただけだからちょっと不十分だがご笑覧を。( )は修一の感想。
【朝日】▼1面:岸田派・安倍派が解散検討 /安倍派幹部 不起訴へ /共産党委員長に田村氏 /携帯応急復旧 能登地震 ▼2面:(なんと全面が日共の記事!) 考・論 中北治爾中大教授・政治学 抜本的転換 考えるべき時(日共の委員長に就任した田村智子氏について「マルクス主義の理論家とは言えない」と苦言。中北氏は日共の大ファンのよう)
▼国際面:パキスタン、イラン領内攻撃 異例の応酬 /ヒズボラ 全面戦争の動きは 対イスラエル 高まる緊張 /紛争下の気候危機 被害は女性に アフガン出身 COP28で訴えた故郷の現実(国際面で一番大きい3段記事)

【産経】▼1面:岸田派 解散へ 首相が検討表明 安倍派も解散論浮上 /北労働者 中国で暴動 賃金不払い スト拡大、数千人規模 北派遣会社「取り分」上納 /石川・富山 漁港8割被害 能登地震 死者232人 地盤隆起、海底が露出 ▼2面:主張 国家軽視の国立小 閉鎖性が偏向教育招いた /主張 共産委員長交代 革命党の体質変わらない /北の外貨源直撃 労働者暴動 劣悪な環境「現代の奴隷」 /中朝貿易 コロナ前の82% 昨年、貨物輸送で大幅回復
▼国際面:平和の祭典に戦争の影 パリ五輪 露選手の「中立」参加 IOC容認 ウクライナはボイコット示唆 /パキスタン、イランに報復 過激派拠点攻撃 /早期の面会を富士通に要請 英政府 郵便局冤罪事件巡り /米大使「新しい日本に自信を」 外交・安保政策など評価 /露国防相主張 モスクワなどへのドローン攻撃阻止
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小生は今は産経を紙と有料ネットで愛読しており、1979年以降は紙の朝日を読むことはめったにないが、なぜ朝日は日共の報道がケタ違いに多いのか? まるで「赤旗」みたいだが、日共支持の読者、特に女性が非常に多いのではないか。朝日は昔から「テレビ欄が充実しているので女性読者が多い」とは聞いていたが、高学歴の女性読者も多いようである。「平和を愛する日共ガンバレ、戦争を準備する自民党ダメ絶対」という思想信条が浸透しているのかも知れない。以下、次号でも考えてみたい。
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末期的な習近平は亡国一直線

2024-01-20 16:02:31 | 戦争
末期的な習近平は亡国一直線
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」264/通算695 2024(令和6)年1/20/土】今朝は曇り空で随分寒い、気象協会によると「土日 関東甲信は大雪に警戒 太平洋側は雷雨や強風にも注意を」との見立て。今日と明日は息抜きのチャリ散歩は無理のようだ、このところ鼻水も出るし・・・
そう言えば2月16日からの確定申告の準備もしなければ・・・どんぶり勘定の小生には苦痛で、戦前のように家長の座を子供に譲って隠居したいが、日本が独立するまでは隠居もできやしない。敗戦とは、なんと嫌なものだろう・・・たとえ1時間ほどとは言え散歩しないと鬱屈する、マイナス思考になる、即ち健康によろしくないね。「たかが散歩、されど散歩、歩けるうちは歩きませう」っていう標語はどうでせう。

子曰く「学びて思はざれば則ちくらし。思ひて学ばざれば則ちあやうし」というほどの高尚な話ではないが、「小人閑居してあちこち散歩」していると刺激されることも少なくない。良い刺激もあれば嫌な刺激もある。多摩川の土手を下って東京側の二子玉川の高層ビルを眺めると「俺には縁のない世界だなあ・・・大地震で倒れるんじゃないか?」といつも“漠然とした不安”を覚える。
1年に2回ほどは「等々力渓谷」散策で二子玉川(通称ニコタマ)の繁華街を通るのだが、多くの人がせわしなく往来しており、景観や道路も変化が激しく、方位磁石(磁針)を携行しないと道に迷うこともある。女の人に「多摩川はどっちでしょう?」と聞いても「えーっと・・・」と、すぐに答えられない人が多い(女性はそういうサガ?)。都会人から見れば田舎者の爺さんのような小生にとって、先端都市のニコタマはちっとも落ち着けない場所で、人々は個人主義的で人情味も薄いように感じる。老いのタワゴト? 人情味? それももはや死語のよう。

ネイティブ(土着民、先住民)がイミグラント(後から来たよそ者、移住民)を警戒するのは当然だが、融和するまでにはかなりの年月が必要だろう。普通は移住民が先住民に溶け込むのだが、ここ30年ほどの東京とその近県を見ると、先住民が移住民に圧迫されてきたようである。街がなんとなく乗っ取られてきた感じ。英国などではそういう街から先住民(≒白人のキリスト教徒)がどんどん逃げ出しているという。日本もその轍を踏みそうで心配だ。

Bloomberg 2024/1/19「中国脱出する富裕層やミドルクラス 移民で世界の風景一変、緊張も」から中国系移民の動向を中心に抜粋する。多くの記者を動員した立派な調査報道で、小生は大いに感動し、真似をしたくなったほど。是非一読を。
<新型コロナ禍後の中国からの移民急増が世界中のコミュニティーに衝撃を与えている。中国では新型コロナを徹底的に抑え込むという「ゼロコロナ」政策が約3年続き、ロックダウン(都市封鎖)などで厳しい制限が課せられた。貧富の格差是正をうたう習近平総書記肝いりの政策「共同富裕」の下で、不動産投機も取り締まりの対象となった。

こうしたことが重なり、裕福な中国人はより歓迎される場所へと向かうようになったほか、米国との貿易摩擦に対応しサプライチェーンの再構築を図る中国の企業経営者はカンボジアやメキシコなどで幅広く事業を展開し始めた。
中国は海外移住に関するデータを公表していないが、国連がまとめた数字によれば、ここ数年顕著に増加。年間の純移住は、2019年までの10年間で「平均19万1000人強」だったが、過去2年間はいずれも「31万人」を超えた。この勢いがすぐに衰えることはないだろう。クアラルンプールの不動産コンサルティング会社ジュワイIQIは、今後2年間で70万人以上が中国を去ると予測している。

【自由への憧れ】シンガポールやアラブ首長国連邦(UAE)に高級物件を購入する資産家から、(一方で)密入国請負業者の助けを借りて米国・メキシコ国境を越えようとする貧困層まで、中国からの移民はさまざまだ。
しかし、最も多いのは中間所得者層(ミドルクラス)で、熟練労働者や中小企業の経営者、高学歴の専門職らがその一角を占める。
経済的なチャンスを求め、中国を離れる人もいる。米国の大手テクノロジー各社は製造面での対中依存度を下げようとしており、中国のサプライヤーが他国に拠点を構えることを奨励している。

ベトナム北部(バクニン省とバクザン省)では、かつての田園地帯が巨大な工業団地に変わり、米アップルなどの電子製品を組み立てている。新しい工場には、中国本土での成功を再現しようと熟練したマネジャーやエンジニアがやって来る。
バクニン省の省都バクニン市では、中国系住民の気配が至るところで感じられる。地元のレストランは、中国の通信アプリ「微信(ウィーチャット)」のQRコードで注文を受ける。店員はビールの注文にグーグル翻訳を使い、新しいカラオケバーやマッサージ店が通りに点在している。
工場での仕事は高給だ。この地域の工業団地を監督するダオ・スアン・クオンさんによると、シニアマネジャーの年収は最大6万5000ドル(約960万円)と、地元の平均賃金の約16倍。

バクニン市の中心部近くには、豪邸や高級スポーツタイプ多目的車(SUV)が目立つ中国人居住区が形成されている。ベトナムの中国人駐在員にとって魅力の一つは、本国と違って当局が派手な富の誇示に眉をひそめないことだ。
アップルのワイヤレスイヤホン「AirPods」を製造する中国のゴアテック(歌爾)が所有する工場の門の外で客待ちをしていたバイクタクシー運転手のダム・タイン・チュオンさん(70)は、工業団地が地元の人々の生活を良い方向に変えていると言う。
「若い頃はコメ一粒を買うこともままならない日もあったが、最近では電子機器工場で働く外国人に部屋を貸して、家族で月に少なくとも2750ドルの収入を得ている」と話す。

中国市民にとって、母国を離れるかどうかの決断は、収入が上がるにつれて複雑になっていく。ある程度の富を築いた人にとっては、自分自身や子供たちのために、より大きな「自由への憧れ」が国を出る原動力となることが多い。
今世紀の大半において、中国の急速な経済発展は、中国共産党が市民生活を比較的緩やかに管理していた時代と重なっていた。中国で暮らす多くのミドルクラスは「米国の所得の低迷と社会経済的流動性の低下に直面している同クラスよりも、自分たちは恵まれている」と考えていた。

【我慢の限界】中国人はますます海外の大学に通うようになり、海外に不動産を購入することもあったが、その多くは最終的に帰国した。だが、習総書記がテクノロジーや不動産などの業界への圧力を強め、人々の生活への干渉が強まるにつれ、態度は変化し始めた。そしてコロナ禍でのロックダウンだ。
ロンドンに住む中国人ビジネスマン、ジェイソン・スンさん(49)は、数年前まで移住を考えたことなどなかったという。習指導部の締め付けがある中でスンさんは娘を海外留学させたが、自分は上海に残った。
親しい人が汚職で告発されるなど、怖い思いもしたが、目立たないようにしていれば大丈夫だと思っていた。「人生を楽しむことだけに集中し、政治に近づかなければ、寝そべって余生を過ごせると思っていたのだ」と語る。
コロナ禍の際、当局は上海市に隣接する浙江省にいる両親を訪ねたいというスンさんの願いを拒否した。両親は数週間後に亡くなった。「ロックダウンが我慢の限界だった。それで心が折れてしまい、中国にとどまりたいという気持ちがなくなってしまった」のだという。

中国から資金を移すのは簡単ではないが、スンさんは輸入を装った一連の取引によって資金を引き出すことができた。彼は現在、ロンドンのダウンタウンに4ベッドルームの集合住宅、郊外のダリッジに一軒家を所有し、中華料理店2軒で持ち分を保有している。
ただ移住先の英国では苦労も多い。天候に慣れず、インフレ率は驚異的で、スンさんと娘は強盗に遭い、携帯電話を奪われた。「ロンドンが好きとは言えないが、中国に戻る気は全くない」とスンさんは明言する。

英政府の発表によると、2022年7月-23年6月に中国はインドとナイジェリアに次いで移民の多い国として3位にランクされた(欧州連合(EU)加盟国以外からの移民)。
ポルトガルやキプロスなど多くの欧州諸国は、投資家などを対象としたいわゆる「ゴールデンビザ」の基準を厳しくしているが、十分な資産を持つ中国人移民はまだ居住権を買うことができる。タイやインドネシアなどアジアの国々は最近、海外資金を呼び込むためのプログラムを導入した。

【沖縄(も人気)】伝統的に移民に慎重な日本でさえ、起業家や投資家を呼び込むために制限を緩和している。事業に500万円を投資した人に居住権を与える「経営・管理」ビザは、中国人に人気がある。2023年1-9月にこの方法で日本に入国した中国人は2768人で、22年の年間記録2576人を上回った。
その数は他国と比べればそれほど多くはないが、大都市以外で顕著な影響を及ぼしている。沖縄は日本で最も貧しい県であり、その経済の大半は観光業によって支えられている。糸満市では、2019年半ばから22年半ばにかけて、中国人登録者数が16%増加したことが公式データで明らかになっている。

地元の人によれば、埋め立て地にできた地区には現在、裕福な中国人のコミュニティーができつつあり、その多くが貿易や旅行業に携わっている。宿泊施設を経営している住民もいる。数少ないレストランの一つは中国ギョーザの店だ。ある日本人の住宅所有者は、不動産会社から「買いたい」という手紙を毎週受け取っているという。
地元民の玉城雅夫さん(72)は「瀬戸際にいるって(いう)感じ」だと言う。「新しい町を考えなきゃいけない時期に来ている感じ」だとも述べ、「救われる(べき)文化をどういうふうに維持していくかというのが今の課題」との考えを示した。

中国人の海外移住を巡る不安の一つが(中国から)国外に流出する資金の規模が極めて大きいということだ。フランスの投資銀行ナティクシスは23年だけで1500億ドルに上ると試算。中国からやって来る資金は、地域社会を一変させ、時には予期せぬ影響を及ぼすこともある。
(日本の)糸満や(ベトナムの)バクニンなどの地元当局が直面するであろうことについて、カナダ西海岸のバンクーバーは幾つかの示唆を与えてくれる。
1986年にカナダが実施した移民投資プログラムのおかげで、バンクーバーには当初、英国から中国への返還を前に香港から逃れてきた香港人(*)が移り住むようになり、それから裕福な中国人を引き付けるようなった。デベロッパーはきらびやかな高層マンションを次々と建設した。

【不動産購入禁止】バンクーバー地域の人口260万人のうち2割程度が中華系であり、広大な郊外地区リッチモンドではその割合が6割近くに達している。中国系カナダ人で元五輪スノーボード選手のアレクサ・ルー・リッチモンド市議会議員は「住民が丸一日中国語だけで過ごすのは難しいことではない」と言う。
バンクーバーのアルバーニストリートはかつて、こぢんまりとしたカフェやショップが軒を連ねていた。だが今や数歩歩けばグッチやロレックス、プラダなどに気軽に立ち寄れるようなっている。宝飾店「老鳳祥」の店員は、客の6割が中国系だとみている。

バンクーバー地域での住居費の高騰は、やがて政府の政策に反映され、昨年1月から2年間、大都市におけるカナダ人以外の不動産購入を禁止するという前例のない措置に至った。15歳で中国からカナダに移住した不動産業者のケビン・ワンさんによれば、中国系住民の需要は依然として強く、「すでにカナダに住んでいる人の多くがアップグレードを望んでいる」という。

シンガポールのハイテク企業で働くプログラマーのジェイコブさんは、適切な種類のビザ取得や資本逃避規制の回避など海外移住実現の難しさにもかかわらず、「中国以外の国で新しい生活を送る」という決断を貫いている。
母国の家族への配慮から名字を公表しないよう求めたジェイコブさんは、中国の大手インターネット企業でソフトウエアエンジニアとして働いていたため、自動車と集合住宅をローンに頼らず購入できた。しかし、2020年に習総書記が打ち出したハイテク業界締め付けのせいで、多くの中国人にとってそうしたぜいたくは過去のものとなり、何万人もの雇用が失われた。

ジェイコブさんが移住を決めたのは経済的な理由だけではない。共産党への忠誠の重要性を説く党イデオロギーの必修授業を娘に受けさせたくなかったのだ。「潮目が変わったんだ。私が中国で享受していたミドルクラスの生活は危機にひんしている」>(以上)
(*)香港からカナダに避難しカナダ国籍を得たリーさんは、やがて日本に移住し、中国人旅行者のためにガイド(薄利)を始め小生とも友達になった。しかし2年ほど後には中国人相手に不動産斡旋業に転じて成功したようである。儲かるとオーラが出て、そういう強い男を求める女は放っておかないから、風の便りによると奥さんとは離婚したという。閑話休題。

「ミドルクラスの生活も危機的」になってきた中国・・・習近平はどうするつもりか。一般的に資本主義国では政権は中央銀行に関与しないのが建前になっている。「中央銀行はなぜ、政府から独立しているべきなのか。最大の理由は、中長期的な経済の安定を目指す中央銀行と、選挙の洗礼を受けるため、目の前の成果を求めがちな政治家の利害が、ときに対立するからだ」(朝日GLOBE 2018/5/26)。

ところが産経2024/1/19「金融で共産党の影響力強める習指導部 中央銀行の存在感は低下」によると――
<【北京=三塚聖平】中国共産党の習近平指導部が、金融分野で党の影響力を強化している。18日に中国人民銀行(中央銀行)の関連条例を改正し、共産党の指導を徹底するよう定めた。昨年には金融で司令塔の役割を担う組織を党内に新設し、習総書記(国家主席)の側近が実権を握った。人民銀の存在感の低下も指摘されている。
金融に対する党の影響力強化は、習指導部主導で金融危機を防ぐ狙いがあるとみられる。習氏は今月16日、共産党中央党校で金融に関して演説し「党中央の金融活動に対する集中統一指導を堅持する」と述べるとともに「金融リスク、特にシステミックリスクの防止と解消に力を入れなければならない」と強調した。 金融リスクを抑えるため腐敗撲滅も徹底しており、昨年9月には人民銀の范一飛(はん・いっぴ)元副総裁が収賄罪で起訴されるなど金融機関や監督当局の幹部らの摘発が相次いでいる>(以上)

習近平の狙いは、テクノクラートや資本主義経済を排除し、毛沢東時代の共産主義による政治・経済・社会に復帰する・・・という“毛政復古”だが、その手の成功事例はゼロである。無知蒙昧の習近平による亡国一直線の統治でしかない。諸悪の根源は習近平である。中国の官民は一転突破、全面展開、習近平一派を排除すべし。毛沢東曰く「政権は鉄砲から産まれる」。
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揺れる世界、習近平は自滅する

2024-01-18 17:04:09 | 戦争
揺れる世界、習近平は自滅する
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」263/通算694 2024(令和6)年1/18/木】小生はナンミョー池田教=公明党を子供の頃から大嫌いだった。どっぷり池田教に洗脳された叔父さん(父の弟)は広宣流布で父を折伏(しゃくふく、洗脳、オルグ)しようとしょっちゅう我が家を“襲撃”したが、一家団欒(らん)の場である居間を長く占拠されて大迷惑だった。「早く帰ってくれ」と逆さ箒(ほうき)を立てたりしたが、ナンミョーに一点の濁りも曇りもない叔父さんはそれを見てもニヤニヤするだけで効果なし、父も困ったような顔をしながニヤニヤしていた。小生へのおとがめなし。
病膏肓の叔父さんはやがて大きな仏壇を我が家の床の間に据え付けた。経緯は知らないが、父は「弟(叔父さん)のポイントになるし、気が済むだろうから」と了承したのだろう。

中学生の頃、「いい家庭教師がいるから」と誘われて勉強兼遊びで友達の家へ通ったが、その母親がある日「パーティーにいらっしゃい」という。喜び勇んで行ったらなんとナンミョーの15人ほどの集会で、小生は「騙しやがったな!」と頭にきたので「信じる、信じないは勝手、余計な世話、干渉しないのがルールでしょう。だまし討ちのようなことをして恥ずかしくないのですか!」と声を張り上げたら信者のおばあさんが泣き出した。帰宅してから叔父さんが勝手に床の間に置いていった大きな仏壇の中にあった護符(御本尊様?)をめちゃくちゃに破った。攻撃されたら反撃する、当り前だ。
その後、叔父さんと叔母さんがやって来て仏壇を開いてびっくり仰天、ちぎれた御本尊様?を持ち帰った。高校生の頃には仏壇を庭に出して燃やし完全消去した。仏壇は随分虫に食われていた。韓国製か中共製か?

それから幾星霜、叔父さんは地域で最初に開業したスーパーマーケットが大成功して元気いっぱい、意気軒高。標高1300mの高原リゾートの八ヶ岳・清里あたりに別荘まで持っていたが、ナンミョーの幹部に出世していたから信者を集めて別荘で勉強会をしていたのかも知れない。しかし、無理がたたったのだろう、早すぎる晩年には体調を崩してしまった。

よたよたしていたものの正月には我が家に年始にきて仏壇の父に挨拶し、「恩讐の彼方に」ではないが小生の作る餃子を「美味い美味い」と喜んで食べてくれた。
その当時はナンミョー池田教は日蓮正宗総本山・富士大石寺から追放されていたので叔父さんの葬儀はお坊さんなしのナンミョー形式で、女性信者が騒々しいほど賑やかにお題目を唱えていたが、小生より少し若い長男は泣きながらこう挨拶した。
「父は子供たちがお腹をすかしていても創価学会への寄付を優先していた。私たちがどれほど辛い思いをしたか、思い出すたびに涙が出ます・・・」
「信仰が深い」と称賛され、幹部に出世するには大口の寄付などが求められるのだろう。ナンミョーに限らず、洋の東西を問わず、宗教はカネ、寄付、喜捨、自己犠牲を求める。ビジネスは売り手、買い手ともに互いに利益を目指す。宗教は心の平安を売るが、信者は喜捨により平安を得られるのか? 古今東西、特に新興宗教では銭ゲバ教祖や戦狼坊主など随分怪しい“聖職者”も珍しくはないだろう。信者からカネを集めてコケオドシのような寺院を造って偉そうにしているが、今や「清貧の聖職者」なんて死語のよう。

カリスマ池田が亡くなったナンミョー・・・古人曰く「昇り詰めれば下り坂」は世の習い。宗教に限らず、国家も政治も経済も人生もそういうものだろう。「俺は最後まで昇り、成仏してからも昇りだ」なんていう人っているのか? 本物の偉人は亡くなっても、その業績や教えは100年、1000年、2000年、数千年と語り継がれるが、それはほとんど稀有、奇跡だろう。宗教も政治もビジネスも大学も「原点に返れ! 初心を忘れるな」と叫びたいね。

「原点、初心」と言えば、現在の世界は第2次世界大戦が創ったようなものである。終戦を1945年とすれば今はたったの79年しか経っていないのに、何となく経年劣化で「大丈夫かよ、あちこち錆が目立つし、タイヤも擦り減ったりしてるぜ。肝心のときにエンストしたり、下手すると燃えちゃったりしそう。もう坂道は無理じゃね?」の感じ。ポンコツ世界、末期症状?(俺もそうか?) 

今時イケイケどんどんの元気な国ってあるのか・・・多くの先進国の人々は衣食住足りても欲望が肥大化し、「もっと給料上げろ、もっと福祉を手厚くしろ」と仏頂面しているように見えるのだが、19歳の頃から小生が愛している「台湾」は何となく「若々しい感じ」がする。新陳代謝が激しいから、そう見えるのかも知れないが・・・台湾の近・現代史をざっくり振り返ると――

“蛮族”の住む化外の地→ 中国福建省からの移民増→ 島民による日本人漂流者虐殺→ 中国は「台湾は自国領ではないから」と責任放棄→ 日本による台湾への報復攻撃と中国への賠償請求→ 日本による台湾併呑→ 長期にわたる反日抵抗戦→ 日本による台湾の日本化・近代化→
1945年夏、第2次世界大戦で敗北した日本が連合国の命令で台湾放棄→ 1945年秋以降、毛沢東との内戦で不利になった蒋介石軍が台湾へ逃げ込む→ 蒋介石軍の乱暴狼藉に台湾人曰く「犬(番犬、日本人)去りて豚(食い荒らすだけの蒋介石軍)来たる」→ 1947年、蒋介石軍事政権に反発して民衆蜂起の2.28事件起きるも弾圧される→ 台湾は圧政に苦しむことに・・・それ以後についてWikiにはこうある(カッコ内は修一)。

<中華民国(蒋介石)政府は2.28事件後、戒厳令を38年間施行した(戒厳令は蒋介石の死後に総統となった長男・蒋経国により1987年7月15日午前零時に解除)。戒厳令下の台湾では政治活動や言論の自由は厳しく制限され、白色テロと呼ばれる人権抑圧が行われた。白色テロは本省人(台湾人)と外省人(中国から逃れてきた漢族系の蒋介石軍将兵など)の間に亀裂をもたらし、事件について語ることは長年タブーとなっていた>

台湾が「普通の国」になり始めたのは1988年に就任した李登輝総統(クリスチャン、マインドは武士道的日本男児)による功績が大きい。以来36年、台湾では自由民主人権法治の理念がかなり根付いてきたように思う。自由民主の理念と行動は国民がよほどしっかりしていないと後退するから日本だって油断大敵だ。自由民主を装うアカは「国家の弱体化→消滅→共産主義世界連邦」を目指しているのだから。日本を米国のようなカオスにしてはいけない。

先日の台湾選挙の結果を見て小生は「台湾民衆党を率いる柯文哲がキャスティングボートを握ることになるのか? 自由陣営にとって吉か凶か?」と考えるようになった。結構多くの人も同様で、読売1/14「台湾・立法委員選、与党・民進党が過半数割れ…16年ぶり『ねじれ』で政治不安定化の可能性」はこう報じている。
<台北=園田将嗣】1月13日の台湾総統選と同時に行われた立法委員(国会議員、定数113)選で、与党・民進党は過半数を獲得できなかった。国民党が立法院(国会)の第1党となり、少数与党に転落して「ねじれ」状態となる民進党は、予算案や法案の審議で野党に抵抗され、政治が不安定化する可能性がある。
第3政党の台湾民衆党も、現有5議席を8議席に伸ばし、キャスチングボートを握ることになる。政権与党側の政策や法案などに是々非々で対応していくとみられる>

台北1/12ロイターも「台湾第3政党、選挙後の他党との協力に前向き」でこう報じている。<台湾第3政党の野党・台湾民衆党の総統候補、柯文哲氏は12日、あす(13日)の選挙で勝利すれば他の政党と協力する意思があると表明。「台湾は真の変革のために伝統的な2大政党制を打ち破る必要がある」と訴えた。
たとえ柯氏が総統選で十分な票を2大政党から奪うことができなくても、同時に行われる立法委員(国会議員)選で過半数を獲得する政党がなければ民衆党がキャスティングボートを握ることになる。与党の民主進歩党(民進党)は現在、立法院(国会)で過半数を占める。
外国人記者団から立法院で他の政党と協力する可能性について質問された柯氏は、結党以来テーマによって他党と協力してきたと説明。「政党間の差異はあまり気にしない。主に問題について協力する。全ての問題でどこかの政党と必ず協力するというわけでもない」と語った。
中国との関係については、対話を望んでいるものの重要なのは台湾の民主主義と生活様式を守ることであり、米国との関係も重要だと指摘。「3人の総統候補の中で米中双方に受け入れられるのは自身だけであり、これが私の最大の強みだ」と述べた>

柯文哲氏はどのような人なのか。時事通信1/16「第3勢力の柯氏に脚光 民衆党、議会運営を左右」は分かりやすく報じている。
<【台北時事】13日の台湾総統選で敗北した柯文哲・前台北市長(64)の言動が注目を集めている。総統選と同時実施の立法委員(国会議員)選で、二大政党の民進、国民両党がいずれも過半数の議席獲得に失敗。柯氏が党首を務める第3勢力の民衆党が、立法院(国会)の運営を左右するキャスチングボートを握ったためだ。
「民衆党はキーとなる役割を果たす必要があり、誰と協力するか固定せず、道理があれば支持する」。柯氏は総統選の敗北宣言後、台湾メディアにこう語った。民衆党は立法委員選で、前回2020年選挙から3議席増やし8議席を獲得。同党議員団は15日の記者会見で早速、正副院長(議長)選挙に立候補する民進、国民両党議員に対し、議会改革案を提出するよう要求した。

柯氏は1959年、北部・新竹市生まれ。台湾大医学部教授・外科医を経て、2014年の台北市長選で民進党の支援を受けて当選し、2期8年務めた。19年に民衆党を創設。「柯教授」の英語表記に由来する「KP」と呼ばれ、鋭い弁舌や型破りな行動で若年層に熱心な支持者が多い。

総統選では、当選した与党・民進党の頼清徳副総統(64)が事前の世論調査で一貫して首位をキープ。野党が分裂したままでは形勢を逆転できないため、柯氏は最大野党・国民党の侯友宜・新北市長(66)と候補者の一本化にいったんは合意したが昨年11月、唐突に撤回した。

柯氏の変節は一部から非難を受けたものの、総統選での得票率は侯氏の33%に迫る26%。国民党は民衆党との連携を念頭に、柯氏批判を抑え秋波を送る。ただ「柯氏の本来の政治姿勢は民進党に近い」(台湾の有識者)との指摘もあり、2月に開会する立法院で、民衆党がどう行動するかは不透明。予測困難な柯氏の意向に、二大政党が振り回される局面が当面続きそうだ>(以上)

産経2024/1/15の台北駐在員・矢板明夫氏の「頼氏当選も無党派支持広がらず 『二大政党への不満』柯氏受け皿に」はさすがベテラン、良く分かった。
<最大野党、中国国民党の侯友宜氏の得票数は467万票で、前回の国民党候補と比べて約85万票減らした。投開票日の直前、同党の馬英九前総統がドイツメディアの取材に「習近平氏は信用できる」「中国との統一は受け入れられる」といった趣旨の発言をした。このため、国民党が政権を握れば中国に統一されてしまうとの不安が広がり、民進党政権への批判票の一部が柯氏に流れたと分析する声もある。

台湾の政治は長らく民進党と国民党の二大政党が対決する構図が続いた。今回はどちらの党にも不満を持つ有権者が、新しい選択肢の柯氏に票を集中させた形だ。選挙前の各種世論調査によると、20代の若者の間で柯氏の支持率は5割を超える。世代交代が進む中、4年後の総統選に柯氏が出馬すれば、支持をさらに広げる可能性がある>

台湾の総統選(大統領)と立法委員選(国会議員)は同時に行われたが、結果は多い順に、
【総統選(カッコ内は得票率)】頼清徳・民進党558万6019票(40.05%)、侯友宜・国民党467万1021票(33.49%)、柯文哲・民衆党369万466票(26.46%)
【立法委員当選者数(カッコ内は改選前議席数)】民進党51(64)、国民党52(38)、民衆党8(5)

当然ながら第3党の柯文哲・民衆党を民進党も国民党も敵に回したくない。「蔡氏の正式な退任と頼氏の後継就任は、5月20日に予定されている」(現代ビジネス)という。

習近平・中共はどう動くのか。箔をつけるために台湾侵略を控えることはあり得ないが、台湾の選挙結果は速攻で封じられたという。Bloomberg News 2024/1/15「中国市民、台湾の選挙に関心 共産党がネット上の議論を封殺」によると――
<中国共産党の機関紙「人民日報」や系列の新聞「環球時報」など主要な国営・党メディアのホームページで13日に台湾が言及されることはなかった。中国政府はここ数日、外交官や当局者の発言を通じ、台湾に対する領有権を声高に主張。中国外務省の毛寧報道官は北京での定例記者会見で、「台湾は中国領土の不可分の一部だ」とし、「台湾地域の選挙は中国の内政問題だ。選挙に関する質問は中国の外交問題とは関係ない」と述べた>

柯文哲・民衆党をどう評価するか、敵か味方か・・・習近平・中共も困惑しているよう。「声はすれども姿は見えぬ 君は深山(みやま)のきりぎりす」、柯文哲氏がどう動くのか分からない分、鵺(ヌエ)のような不気味さもある。戦狼・習近平も対台湾では暫くは大人しくするかもしれないが、小人閑居して党と軍の縄張り争いに傾注するのではないか。

政治家と軍人の覇権争いは建国直後の毛沢東 vs 朱徳(元帥)時代からある。毛より年上の朱徳は「革命戦争を成功させたのは命がけで戦った我ら軍人だ」という自負と誇りがあった。しかし「郷土の星」として金銭面などで支援してくれた人々(幇、ほう)に恩返ししなければならないので、「序列ナンバー2」に耐えたが、随分辛かったようだ。
それが3代目元帥の林彪になると毛から疎遠にされ、処刑を恐れてソ連に亡命する際、搭乗機が墜落して「事故死」した(ことになっているが、毛に殺されたという説もある)。
毛沢東崇拝の激しい習近平は軍を完全に掌握したい、子分にしたい、そうしないと安心できない。一方で軍はチャイナセブンなど高級官僚に倣って「俺たちも儲けたい、儲けることはいけないことですか? 上から下まで、できる人はみんな蓄財しているじゃないですか!」と反発する。武器を持っているから強気になれる。
誇り高き最高指導者の習近平はそれが許せない、「軍は俺を舐めている、土下座するまで締め上げてやる」というわけだ。暗愚の帝王は文革2.0で中国を再び貧しい国にするのだろう。クーデターで排除するしかないのではないか。人民解放軍、あなたの出番です。
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