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行き過ぎた福祉は亡国を招く/下

2022-07-29 08:49:55 | 戦争
行き過ぎた福祉は亡国を招く/下
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」75/通算507 2022/7/29/金】7/26早朝の天気予報は「午前晴、午後曇」だったが朝から雨、時々土砂降り、窓を開けたり閉めたり、振り回された。「良い予感は概ね外れる」、この格言はよく当たると小生は思っているが、実際の確率は低くても、ひどい目に遭うとショックを受けるから「油断してしまった」などと悔やむのだろう。3日、3週間、3か月、3年、30年もすれば忘れたりして・・・

しかし、最悪のことを考えていれば物事は前進しないから、「最善は尽くした、余程のことがない限りまずは大丈夫だろう」ということで人間は文明開化=技術革新を進めてきた。何のために? 多分、縄張り争いに勝つためだろう。弱い民族、集団、人種は淘汰されたり、併呑されていった。弱肉強食、勝たねばならない。知恵と武器で勝負。棍棒より銅の刀、銅の刀より鉄の刀が強い。

技術=テクノロジーは次代に継承されるが、「人間は如何に生きるべきか」という哲学、政治、文学、芸術、宗教、道徳などは大昔のままで、相変わらず試行錯誤を繰り返している。先々のことばかり心配していると「朝に道を聞かば夕べに死すとも可なり」となって不健康だから、そこそこ「解」らしきものに出会ったら「それでいいのだ!」と妥協した方が良さそうだ。

その方が健全、健康でいいのだろう、と納得する頃、お迎えが来るというのも、なかなか味がある。諦観ではなく達観。小生はまだその境地には至らないが、やがて書けなくなり、静かに舞台下手へ去る、となれば結構だろう・・・天国か地獄か、No one knows.

さてさて、現代の我々は「国家」という大きな家の中で生きている。自由民主人権法治の国家、いわゆる民主主義の国家では、運転席にいるのは選挙で選ばれた政治家で、国民と同様にピンキリ、優秀な人もいればロクデナシもいる。元首を見れば民度が分かる、その逆もまた真なり。

戦後の民主主義国は「福祉国家」を目指している国が多い。そこそこ経済が発展し税収が伸びると、政治家は人気取りのためもあって福祉政策を掲げる。「福祉」は耳に聞こえは良いが、バラマキ福祉は亡国を招きかねないクスリ≒リスクになりやすく、そうなる前に制度の見直し、出直しが必要ではないか――と前号で書いた。今号でも考えたい。

厚労省「第1回 生活保護制度に関する国と地方の実務者協議 生活保護制度の現状について 令和3/2021年11月19日」から。

<生活保護等被保護人員、保護率、被保護世帯数の年次推移。▼生活保護受給者数は約204万人。平成27/2015年3月をピークに減少に転じた。▼生活保護受給世帯数は約164万世帯。高齢者世帯が増加している一方、母子世帯及び障害者・傷病者世帯は減少傾向が続いている>

生活保護は日本人のみならず外国人にも適用されている。産経2018/5/3「生活保護受給の外国人4万7058世帯 過去最多 背景に無年金や語学力不足も」から。

<生活保護を受けている外国人が平成28/2016年度に月平均で4万7058世帯に上り、過去最多に達したとみられることが3日、政府の調べで分かった。日本語能力の不足で職につけない外国人が多いことなどが理由とみられる。人手不足が深刻化する中、政府は2月の経済財政諮問会議で、外国人労働者の受け入れ拡大方針を示したが、福祉のあり方まで含めた的確な議論や対策が求められる。

厚生労働省によると、平成28/2016年度の外国人が世帯主の生活保護受給世帯数は月平均で前年度比0.4%増。景気が上向いているここ数年は伸びが鈍化しているが、平成18/2006年度(3万174世帯)からの10年間で56.0%増えた。

また人数ベースでみても外国人が世帯主の世帯による生活保護の受給は大幅に増えている。平成28/2016年度は月平均7万2014人と、平成18/2006年度の4万8418人から48.7%多くなった。一方、在留外国人全体の人数の増加率は平成19/2007年末から平成29/2017年末にかけての10年間で23.8%にとどまっている。

外国人の生活保護受給が増えているのは、バブル期の人手不足で労働者として大量に入ってきた日系南米人などがリーマンショックなどによる景気悪化で解雇され、日本語が話せず、再就職が難しいためとされる。また、昭和57/1983年の難民条約発効に伴う国民年金法の国籍条項撤廃で、老齢年金の支給対象から外された在日外国人が高齢化し無年金状態であることも大きいとみられる>

厚労省によると、令和3/2021年8月時点の都道府県別生活保護率(%、カッコ内は10年前/平成23年度)が高い順は―― 
              
1)大阪府 3.06(3.35)、2)北海道 2.93(3.03)、3)沖縄県 2.64(2.20)、4)高知県 2.55(2.74)、5)福岡県2.35(2.53)、6)青森県 2.30(2.18)、7)京都府 2.12(2.30)、8)長崎県 2.02(2.10)、9)東京都 1.99(2.09)、10)鹿児島県1.85(1.88)、全国保護率は1.63(1.62)。

大都市で就労の機会も多いだろう大阪府、福岡県、京都府、東京都の生活保護率が高いのは、歴史的に日本と交流が盛んだった半島人(韓国・朝鮮人)が多いことにもよるだろう。ちなみに我が神奈川県は14位で、川崎駅からちょっと離れて朝鮮人部落のあったところが今ではコリアタウンになっている。

出入国在留管理庁「在留外国人統計2020年12月末時点」によると、在留外国人数は276万635人で、日本の総人口1億2550万人(2021/10/1現在)の2.20%を占めている。都道府県別では、東京都が53万1131人で在留外国人全体の19.2%を占め、以下、愛知県、大阪府、神奈川県、埼玉県と続く。

国籍・地域別では、「中国」が71万6606人で在留外国人全体の26.0%を占め、以下、ベトナム、韓国(北朝鮮を含む)、フィリピン、ブラジルの順。

「ベトナム」は43万2934人。在留外国人全体に対する構成比は年々上昇しており、2021年末は15.7%。「韓国」は40万9855人、14.8%。「フィリピン」は27万6615人、10.0%。「ブラジル」は20万4879人、7.4%。

在留外国人が日本の人口の2.20%を占めているのが妥当かどうかはさて置き、その半分ほどの130万人が生活保護を受けているというのは「異常」ではないか。

厚労省の被保護者調査(2021年1月分概数)によると、
・被保護実人員は2,049,630人、対前年同月と比べると19,008人減少(0.9%減)。
・被保護世帯は1,638,184世帯、2,522世帯増加(0.2%増)。
・保護の申請件数は20,061件、1,341件増加(7.2%増)。
・保護開始世帯数は16,072世帯、1,213世帯増加(8.2%増)。

生活保護受給者数は全体で約204万人なら、その60%以上が「外国籍」・・・「誰がために鐘は鳴る」じゃないが、「外国籍」だろうと「消費者」であり、生活保護を受けていても、そのカネで消費が促進されるのだから「経済のために生保のカネは鳴る」でいいじゃないか、という見方もある。小生は、それは邪道だと思う。
 
生活保護の財源は我々の税金で、年間4兆円ほどだ。内、2.4兆円が外国籍の住民に支払われている。日本の国防予算は5兆円ほどだから、ほぼその半分に近い巨額なカネが親日か反日か分からない外国籍の住民に支払われているのである。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の世界各国の軍事費2022年版(調査年2021年)1ドル100円換算で多い順に、
米国80兆672億円、中国29兆3352億円、インド7兆6598億円、英国6兆8366億円、ロシア6兆5908億円、フランス5兆6647億円、ドイツ5兆6017億円、日本5兆4124億円、韓国5兆227億円である。

単純に見れば中露合わせて36兆円のヘビー級(体重90㎏超)と5.4兆円のモスキート級(体重45㎏以下)日本がガチンコ・・・せめてミドル級の72㎏にしないとまずいだろう。産経2021/9/27「日本の1人当たり国防費は年4万円 韓国の3分の1」から。

<防衛省はこのほど、2020年度の各国の国防費を人口で割った「1人当たり国防費」を算出した。日本の1人当たり国防費は約4万円で、米国の22万円の5分の1以下、韓国、オーストラリアの12万円の3分の1と、主要国の中で突出して低かった。自民党総裁選で敵基地攻撃能力保有の是非などが争点となる中、防衛力を裏付ける国防費に対する4候補の考え方にも注目が集まる。

防衛省は英国、フランス、ドイツの1人当たり国防費も計算し、それぞれ9万円、10万円、8万円だった。中国については、研究開発費や外国からの装備購入費が公表値に含まれておらず、実態が不透明として対象から外した。

国防費は、経済協力開発機構(OECD)が発表した2020年購買力平価を基に、各国公表値をドル換算。日本の490億ドルは豪州の292億ドルを上回ったが、韓国の577億ドルをはじめ、主要国の水準より低かった。

対GDP(国内総生産)比に至っては、日本は主要国の中で唯一、1%以下の0・94%で、米国の3・29%を筆頭に韓国2・61%▽豪州2・16%▽フランス2・02%▽英国1・89%▽ドイツ1・35%――と続いた>

危機感ゼロのノーズロ、パープリン・・・「襲ってください、メチャクチャに叩いて!」、お花畑高じてまるでマゾだ。中露北に攻撃、占領されても「ようやく解放された」とアカに洗脳されている立民共産党あたりの人は思うのだろう。内憂外患やがて亡国・・・

同志諸君、シンゾーの遺志を継いで、いざ戦わん、奮い立てイザ! 小生も何となく産経脳になってきたような・・・次回は「行き過ぎた福祉政策は地縁血縁家庭崩壊の元凶」を書く。日本を取り戻そうぜ!
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行き過ぎた福祉は亡国を招く/上

2022-07-26 16:51:27 | 戦争
行き過ぎた福祉は亡国を招く/上
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」74/通算506 2022/7/26/火】小生が小5、11歳の1962年頃、街には少数ながら日々の暮らしに困る貧乏人がいた。いずれも小生の顔馴染みで、ともに子連れの寡婦だった。敗戦から17年経っていたが、庶民は概ね戦前のそこそこ安定した暮らしを取り戻したようで、今から思えば随分慎ましいものの穏やかな生活に満足していた。

しかし、川崎駅の広場とか川崎大師(真言宗智山派・金剛山金乗院平間寺、通称厄除弘法大師、川崎大師)など人が多い所では、白装束の傷痍軍人(を装う人?)が物乞いをしていたものだ。そういう時代だった。

当時は60年安保騒動で岸総理が辞任、池田総理になって民意を政治から生活向上=カネ儲けに切り替える「所得倍増」政策を進めていた頃だ。WIKIによると、

<安保闘争と差し違えで倒れた岸内閣の後継として、池田は1960年7月19日に内閣総理大臣に就任、第1次池田内閣が発足する。

池田は安保闘争の時の強硬な立場から、安保改定を強引に押し通した岸政権の亜流になるのではないかと見られていた。しかし、池田は60年安保を通じて、テレビをはじめとするメディアが大衆の世論形成に影響を与えることを肌で実感し、それを逆に利用する戦略をとる。

吉田内閣時代や安保闘争で定着していた自身の反庶民的・高圧的なイメージを払拭することに努め、「低姿勢」「寛容と忍耐」の信条をテレビを通じて国民に見せ、「庶民派」を演出した。一方、重要政策と見られていた安保・外交や憲法などを封印し、数年来自身のブレーンらとともに懐で温めていた「所得倍増計画」を池田内閣の目玉政策として発表、日本の社会を「政治の季節」から「経済の時代」へ巧みに転換した。

1960年11月の総選挙では、当初は安保を争点とするつもりであった社会党など野党もあわてて経済政策を前面に出すなど、選挙戦は自民党のペースで進み、結果は戦後最高となる301議席、自民党の圧勝であった。さらに、社会党は得意としていた「貧困対策」を自民党の「所得倍増計画」で先取りされ、安保闘争からの党勢拡大の勢いが頭打ちとなり、結局社会党は自民党を議席数で上回ることが一度もなかった>

当時のわが街のような、田舎の風情を残した小さな街の駅前商店街は、山田洋次監督の「男はつらいよ」に登場する葛飾柴又商店街(京成線柴又駅から柴又帝釈天まで続く参道)のミニ版のようなものだったなあと懐かしく思い出す。

山田監督の最初期の映画には1963年上映の「下町の太陽」があり、倍賞千恵子、勝呂誉、東野英治郎が演じている。当時、伯父さん(父の兄)が風呂屋を開業し、脱衣所には映画のポスターがいっぱい掲示されており、映画館はその謝礼に招待券を提供していたので、小生はその招待券をもらって「下町の太陽」を見たかもしれない。当時の映画館は3本立てで、見終わって外へ出たら真っ暗闇で往生した(実際は恐怖を感じた)ことがあったので、以来、映画、テレビにハマることはなかったが・・・それが良かったのかどうかは分からない。

仕事で商品発表会用のCF映像を創っていた経験から、「テレビはハード(機械)、ソフト(映像)をつくって儲けるもので、女子供が楽しむもの、大の男が見るものじゃない」と確信したが、活字・文字(文書)と違って努力しないでも脳みそ(感性?)に影響を与える映像の力=影響力は結構大きいから、これからの言論戦はますます「記事&映像の二刀流」になるのだろう。それが良いのかどうかはこれまた分からないが、夏彦翁曰く「一度なったら、ならぬ昔には戻れない」。

アンシアン・レジーム(Ancien régime)とは旧体制、昔の体制の意だが、一般的には「君主と特権階級による支配=悪」と定義されている。旧体制への復帰を「王政復古」などと言い、フランス革命では強く否定されたが、日本の明治維新は「王政復古の大号令」というアンシアン・レジームへの回帰を錦の御旗にした倒幕(徳川を筆頭とした幕藩体制の排除)という、ずいぶんユニークなものだった。(プーチンはソ連回帰?)

天皇統治は、正確には立憲君主制統治だろう。当時日本で一番影響力を持っていた外国は世界最強最大の大英帝国だったが、その体制のキモは「国王は君臨すれど統治せず」、日本はそれを見習ったようだ。実際、日本駐在の英国外交官アーネスト・サトウは「一外交官の見た明治維新」でこう書いている。

<1868年元旦(慶応3年12月7日)、私は、京都へ長官(ハリー・パークス第2代駐日英国公使)を連れて行って相抗争する両派(大君=徳川幕府将軍派 VS 王政復古=薩長など倒幕派)の間を調停させ、日本人同士が共倒れになるのを防止しようという計画を立てた。そこで、西郷や後藤に会って必要な手段を講ずるために、長官に先行して伏見行きを申し出たのだが、京都の情勢が急速に進展したため駄目になってしまった。

1月4日、西宮から帰ってきた遠藤謹助(長州藩、英国留学組)は、「毛利内匠は長州兵を率いて既に京都にあり、他の一隊は薩摩の部隊と連合して伏見(京都、交通の要衝で薩摩藩邸などがある。鳥羽伏見の戦いなどで知られる)を占拠している」と言った。

薩摩、芸州、土佐の三藩が、会津に代わって皇居(京都御所)の守護に任じているという事実は重大だった。大君が(京都を離れ)大坂へ下って来るという噂があり、洋式訓練部隊(伝習兵=西洋式軍隊)を輸送するため淀では船の調達が行われているという。

(薩長など)大名側の目的は大君(幕府)と戦うことではなく、大君から特権を剥奪しようとするにあった。まず領地百万石を没収することを提議した。長州問題はすでに落着し、皇居(京都御所)の守護者は交替したと、遠藤は言った・・・

6日に石川河内守が来て、その知らせによると、3日に薩摩は大君の廃止のみならず、天皇と大君との間に立つ関白、伝奏、議奏の三職廃止をも建議したという。新しい政府は総裁(国務大臣?)、議定(内閣?)、参与(次官?)から成るものだった。

これは、私たちが将来の行政府の組織として後藤に示唆したものに多少似ている。我々をして言わしむれば、総裁は内閣総理大臣のような役目をするものであり、議定は行政各省の大臣に相当するものであった。

この建議に対しては大反対があったが、石川は「これは机上で論議され得る案ではなく、戦争によって解決されるに違いない」と言った。石川の見解によれば、大君自身はこの制度に反対しないが、配下の者が主君のためを思って反対しているらしく、大君としては平和保持のために進んでいかなる犠牲にも応ずる覚悟であるように思われるという>(以上)

結局、天皇崇拝著しい徳川慶喜が自ら政権を放棄、蟄居してしまったので、薩長土肥など討幕派は「革命戦争で血を流し新政権を樹立する」という、誰もが納得する大義を得なければ新しい御代でリーダーシップを独占できないことになる。

だから戦争を求め、手当たり次第に喧嘩を売り、血を流し、すでに恭順の意を示していた会津藩も叩いたのだろう。結局、明治政府を率いた大久保利通は竹馬の友でもある西郷まで屠り、権力を固めた。大久保はかなりの冷血漢のようで「情」を好む日本人には頼朝、家康同様、人気がなかったのは、強引過ぎたのだろう。

ま、勝てば官軍とは言え、悪手を使うと遅かれ早かれ非難される。その点、英国の外交は表向きは薩長、徳川幕府のどちらにも付かず離れずで、実に狡知に長けていた。フランスは幕府ベッタリで、結局、日本では存在感を失ったようだ。

駐日英国公使初代のラザフォード・オールコックは長州藩との「四国艦隊下関砲撃事件」で主導的役割を果たすが、中立を破ったと本国では非難されたようで、帰国が命じられたという。後任のハリー・パークスは彼の部下だったが、サトウは上記の「一外交官の見た明治維新」の中で上司のパークスについて「あの人、何やってんだか」といった扱いだった。

できないのならそれなりに「報連相(報告・連絡・相談)はしろ、俺が責任を取るから好きなようにやれ、骨は俺が拾う」と部下を鼓舞すれば良いボスになるのだが、○○につける薬なしか・・・小生は良いボス、上司、先輩に恵まれたなあ、感謝しています。WIKIから。

<ハリー・パークスは外交官としては有能であったが、癇癪持ちで交渉相手からは必ずしも好まれていなかった。また部下であったサトウやミットフォードも、パークスは性格には問題があったとしている。

「私とサー・ハリーとの関係は、たしかに楽しいものではありませんでした。アダムスもミットフォードも彼を良く思ってはいませんでした。これは主に社会階層の違いからくるものです。私もそのとおりだと思っていた日本人の請願に対して、彼の荒々しい言葉を通訳しなければならなかったのは、ほんとうに辛いことでした。しかし、彼は偉大な公僕であった」(サトウによる1921年9月25日付けのバジル・ホール・チェンバレン/日本研究家への手紙)>

さてさて、歴史から現代の話に移ろう。多くの自由民主国の政権は、選挙戦での目先の勝利を得るために国民に「福祉アメ」をばら撒く傾向があるが、数か月前から小生は「行き過ぎた福祉は亡国を招く 国民の活力を減退させる手厚い福祉政策」という視点で書きたいと思っていた。

夫が死んだりして生活が苦しい人や障碍のある人は生活保護(生保、1950年成立)の対象になっているが、1970年あたりまで受給者は遠慮勝ちで、ひっそりと暮らしていた印象がある。周囲は「気の毒に・・・」と同情したり、本人も「おかげさまで・・・」という気持ちがあったのではないか。厚労省のサイトによると、

<【制度の趣旨】生活保護制度は、生活に困窮する方に対し、その困窮の程度に応じて必要な保護を行い、健康で文化的な最低限度の生活を保障するとともに、自立を助長することを目的としています。

【保護の要件等:生活保護は世帯単位で行い、世帯員全員が、その利用し得る資産、能力その他あらゆるものを、その最低限度の生活の維持のために活用することが前提でありまた、扶養義務者の扶養は、生活保護法による保護に優先します。

【資産の活用とは】預貯金、生活に利用されていない土地・家屋等があれば売却等し生活費に充ててください。

【能力の活用とは】働くことが可能な方は、その能力に応じて働いてください。

【あらゆるものの活用とは】年金や手当など他の制度で給付を受けることができる場合は、まずそれらを活用してください。

【扶養義務者の扶養とは】親族等から援助を受けることができる場合は、援助を受けてください。

そのうえで、世帯の収入と厚生労働大臣の定める基準で計算される最低生活費を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、保護が適用されます。

【支給される保護費】厚生労働大臣が定める基準で計算される最低生活費と収入を比較して、収入が最低生活費に満たない場合に、最低生活費から収入を差し引いた差額が保護費として支給されます>

現在の生活保護法の原点は敗戦後に占領軍GHQが創った。当然、狙いは「二度と戦争できない国にする日本弱体化」である。1946年10月1日より施行されたGHQ製「旧・生活保護法」を改めたのが1950年5月、現在の「改正生活保護法」は2014年7月より施行された。百科事典マイペディアから。

<2013年12月、1950年以来の全面見直しとなる生活保護法改正が国会で成立。生活保護の引締策と生活困窮者への支援策をセットにした改正生活保護法と生活困窮者自立支援法の同時成立である(自公賛成、民主欠席)。

改正生活保護法では、増え続ける受給者の引締策として、不正受給の罰金をそれまでの〈30万円以下〉から〈100万円以下〉に引き上げる。受給手続きも見直され、申請者に扶養義務のある家族がいて扶養可能とみられるのに応じない場合、自治体が家族に説明を求めることができる。

一方受給者への自立支援策として〈就労自立給付金〉を創設。これまでは働いて収入を得ると、その分の保護費が減額されるが、新制度では収入の一部を積み立てたとみなし将来保護から抜けた時に現金で渡す。改正生活保護法は2014年7月より施行。

あわせて成立した生活困窮者自立支援法は生活保護に至る手前の支援に重点を置く。自治体に対し、生活に困る人から幅広く相談を受ける窓口を設置し本人と話し合って自立に向けた計画を作る、といった取り組みを義務づける。離職して住まいを失った人への家賃補助も制度化する。施行は2015年4月。

しかし改正生活保護法については批判も多く、扶養義務の照会強化などについて日本弁護士連合会は〈保護申請を萎縮させる効果を及ぼし重大な問題がある。成立は遺憾〉と批判する会長声明を出している>

アカに牛耳られた日弁連が嫌うのだから改正生活保護法は善政に違いない。

ブリタニカ国際大百科事典では、改正生活保護法で「保護費用の負担率は、国が保護費と保護施設事務費および委託事務費については4分の3、保護施設の設備費については2分の1を負担し、残りは都道府県および市町村により一定比率で支弁する」とある。

支弁する=金銭を負担する、ということだろう。小生の記憶では改正生活保護法以前は、市町村で市長などが選挙戦を有利にするために、地元負担がない「生活保護/生保」のバラマキ福祉をしていたようだ。腹が痛まないから市町村では生活に困った相談者に積極的に生保を勧めていたらしい。生保=票だ。まるで「無差別大量生保じゅうたんバラマキ」作戦、これでは国家財政がもつわけない。

「福祉国家」は耳に聞こえは良いが、亡国を招きかねないクスリ≒リスクになりやすく、そうなる前に制度の見直し、出直しが必要ではないか。次号でも考えたい。
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露中北を“戦争できない国”にする

2022-07-24 07:47:10 | 戦争
露中北を“戦争できない国”にする
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」73/通算505 2022/7/24/日】久し振りに中勘助の自伝的小説「銀の匙」(ぎんのさじ)を読み直したが、読み直すと新しい発見、感動があり、読書のキモは再読、三読にある、とひとつ智慧がついた。

読書は交際と似ており、初対面(初回)では互いに遠慮とか警戒心があるからあまり深い話はしないが、2回目(裏を返す)、3回目(馴染み)あたりになると「いやあ、実は俺・・・」とかの話になって親交が深まったりする。そう言えば夏彦翁は「私は生きている人と死んでいる人を区別しない。斎藤緑雨も友達だ」とか書いていたっけ。書を通じて友になる。

「銀の匙」、いやはや凄い作品だ。物心ついたころから中学生頃までの回想なのだが、5歳なら5歳の自分に帰って回想している。大人の目で振り返っているのではなく、5歳の目で見た、感じたことを細密画と言うか、まるでタイムマシンで「その時」に戻って今、生で体験しているように描いている。

「どういう脳ミソなんだ、いやはや恐れ入り谷の鬼子母神、一歩間違えばキ〇ガイだな」。繊細過ぎて、これでは汚濁に満ちたシャバでは生き辛いだろうなあと心配になるほど。WIKIにはこうあった。

<「銀の匙」は前編が1910/明治43年に執筆され、1913/大正2年には「つむじまがり」と題された後編が執筆された。夏目漱石に送って閲読を乞うたところ絶賛を得、その推挙により前編全57回、後編全47回が東京朝日新聞で連載された。

1921/大正10年に岩波書店から単行本が出版され、1935/昭和10年には岩波文庫版が発行された。岩波文庫版には和辻哲郎が解説を寄せている。2003/平成15年に岩波書店が創業90年を記念して行った「読者が選ぶ〈私の好きな岩波文庫100〉」キャンペーンにおいて、本書は、夏目漱石の『こころ』『坊っちゃん』に次いで3位に選ばれた。

岩波文庫版は113万6000部が発行され、岩波文庫で10位に位置するベストセラーとなっている(2006/平成18年12月現在)>

中勘助と岩波茂雄は第一高等学校の同期で、英国留学から帰国した夏目漱石が講師として第一高等学校に着任、両人は漱石の講義を受けた。東京帝大でも2人は同期で、やはりそこでも漱石の講義を受けているから、漱石の「猫」だったろう。漱石は面倒見が良い。

それにしても「ベストセラーで今なお人気・・・」とは知らなかったなあ。「青空文庫」でも読めるというのも知らなかった。まったく知らないことばかりで、それなら「俺の知ってることは何なんだろう」と自問すれば、プロになれるほどの学問、技、能力があるわけではない。家庭をもって3人の子を育て、晩年も窮することなく暮らしているから「まあまあの人生」だろうが、余生とは言え「まあまあの晩年」では・・・ちょっと寂しくないか。

俺はビッグになるんだ、なりたいんだ、歴史に名を刻むんだと思ったところで、汚名ではなく名誉ある行動でなければ「欲をかいて晩節を汚した」となってしまう。ナポレオン、レーニン、スターリン、毛沢東、プーチン、習近平・・・独裁者はよほど自制しないと晩節を汚すことになる、腹黒爺さん、気をつけなあかんで。

市井の民は「若い時はともかくも晩年はすっかり好々爺でした」あたりで、ま、良しとするのが無難のよう。それは頭では分かっていても気分的にはナンカナーだけれど・・・まったく人生は「いっつも初体験だで」、頭の良さそうな人でも右往左往は日常茶飯事。厄介なことだ。

厄介は 生きてる証拠 頑張らな それにつけても 日々悩ましい(修一)

フランスのマクロンは、何をするか分からないドイツを手なずけながらEUをリードしてきたが、このところオーラが感じられなくなってきた。メルケルおばさんがいなくなったからなのか? 戦後のフランスを導いたドゴールは評価はともかくも東西のバランサーとして機能していたが、今、フランスはどうなっているのだろう。

終戦以来80年、かつて威勢の良かったフランス共産党が今や絶滅危惧種になったのは結構だが、「国民の活力を減退させる手厚い福祉政策」(小生はそのうち書く予定)のためなのか、何となく緊張感が薄れて“おフランス”になったよう。

同国では共産主義独裁帝国プーチン・ロシアに擦り寄る勢力を「右派」、環境ナチみたいなのを「左派」、その中間を「中道」と呼ぶようだ。フランス革命以来、議会の壇上、議長席から見て右側の席を右派、左側の席を左派と呼ぶそうだから、日本や米国の「右派=保守系」「左派=アカ系」とはずいぶん違い、ややこしい。以下の(*)は修一。

<【2022/6/20 AFP】フランス国民議会(下院、定数577)の決選投票が19日に行われ、左派連合(*環境ナチ)と極右勢力(*アカ)の躍進を受けてマクロン大統領の与党連合(中道)は過半数を大幅に割り込み、245議席にとどまった。マクロン氏の2期目の政権運営にとって大きな打撃となった。

内務省発表に基づくAFPの集計では、急進左派のメランション氏率いる左派連合(*環境ナチ)は135議席。極右(*アカ)のマリーヌ・ルペン氏の「国民連合」は前回の8議席から89席に伸ばし、最大の右派(*アカ&ピンク)勢力となった。

マクロン氏は2期目に向け、減税、福祉制度改革、定年退職年齢の65歳への引き上げといった政策を掲げていたが、いずれも実現が危ぶまれている。

左派紙(*環境ナチ)リベラシオンはマクロン氏にとって「大きな痛手」になったと報道。今回の選挙結果は同氏の政権運営の「失敗」を意味すると評している。政局の混乱は数週間続く可能性がある>

マクロンのフランスは足元に火がついてウクライナどころではないよう。どうなるものやら・・・プーチンの「宇」侵略戦争で覚醒した三井美奈氏は産経2022/6/20「ワンマン大統領に反発 フランス政界『3強』構造の不安」でこう書いている。

<今回の選挙では、かつてEUを支えた保革二大政党(中道与党連合)の凋落が決定的になった。EUが財政や環境、外交で統合を進める中、政策の新たな選択肢を示せなかったことが大きい。下院選は中道政党による現実的な政策論争がないまま、「マクロン政権か否か」に終始した。

EUでは各国で、戦後政治を支えた保革二大政党制が崩壊。どこも多党連立を余儀なくされ、安定政権の樹立が難しくなっている。フランスは過去20年、大統領与党が下院で安定多数を保ってきたが、不安の時代を迎えた>

なんとなく「欧州情勢は奇々怪々」の不安定な時代に入りそう。EU加盟国の結束が緩めば、ウクライナを侵略するプーチン・ロシアを喜ばすだけだ。プーチンは欧州へのガス供給を絞って報復的な欧州分断作戦を進めているが、「ガス欠になったらどうしよう、寒い冬には耐えられない!」との泣き言も根性なしのドイツあたりから聞こえている。日経2022/7/20「欧州『節ガス』へ緊急計画 消費15%削減を要請」から。

<EUの欧州委員会は20日、ロシアからの天然ガス供給の途絶や大幅減少に備えた緊急計画案を公表した。減少分を補うため他地域からの調達や再生可能エネルギーの導入を強化するが、それだけでは足りず、加盟国に15%の消費削減を要請するなど需要減にも取り組む。需要期の冬を前に欧州の危機感が高まっている。

西側諸国と対立を深めるロシアは欧州へのガス供給を絞り込んでいる。欧州委によると、6月時点で過去5年間の平均に比べて、ロシアからEUへのガスの流量は3割以下に低下している。

欧州では、ロシア北西部からドイツをつなぐガスパイプライン「ノルドストリーム」を通じた供給再開が予定される21日以降も供給量が以前の水準に戻らなかったり、供給停止になったりする事態が懸念される。ロシア国営ガスプロムが供給契約を結ぶ複数の欧州企業に「不可抗力」で供給を保証できないと通告したとの報道もある。

EUのフォンデアライエン欧州委員長は20日の記者会見で「ロシアがガスを兵器として使っている」と批判した。今後の一段の供給減を想定し「EUとしてエネルギー安全保障に取り組む必要がある」と力説した。

【記事へのコメント】伊藤さゆりニッセイ基礎研究所経済研究部研究理事:「ロシアは、欧州向けのガス供給の削減について様々な理由をつけているが、EUの脱ロシア産ガスの体制が確立する前に供給を絞ることでEUの結束に揺さぶりをかけて、ウクライナ支援の意思を挫き、対ロシア制裁の解除へと動かそうという意図は明白だ。

節ガス緊急計画はエネルギーを武器とするロシアの脅しには屈しないというEUの意思の表れでもある。

今回の政策文書では、深刻な供給途絶にEUで協調し調整して備えた場合のGDPの押し下げ効果は平均的な冬で0.4%、寒い冬で0.6%。供給途絶が現実化するまで対応しなかった場合は平均的な冬で0.6%~1.1%、寒い冬なら0.9%~1.5%との試算も示し、行動を呼びかけた」>(以上)

EUはアゼルバイジャンからのガス輸入を倍増する覚書を締結したが、EUや加盟国はロシアがガス輸出を完全に止める事態も念頭に、アゼルバイジャンのほかカタール、西アフリカ、エジプト、米国などから天然ガスや液化天然ガス(LNG)の輸入を増やそうと調整を急いでいるという(日経2022/7/19)。

これは他人事ではない。プーチンは日本へのガス供給も停止する構えを見せている。時事通信2022/7/2「サハリン2、権益なお不透明=政府支援も『条件』見えず LNG調達、不安定化の恐れ」から。

<ロシア極東の石油・天然ガス開発事業「サハリン2」をめぐり、日本政府は大手商社が権益を維持できるよう支援する方針を打ち出した。しかし、ロシア政府が権益維持に課す条件などは明らかになっておらず、先行きはなお不透明。

液化天然ガス(LNG)の重要な調達先であるサハリン2からの供給が途絶えれば、都市ガスや火力発電の原燃料であるLNGの調達が長期にわたり不安定化しかねない。

サハリン2には、ロシア国営ガスプロムが約50%出資するほか、三井物産が12.5%、三菱商事も10%出資する。LNG生産量は年1000万トンで、このうち約6割が日本向け。日本はLNGの8.8%をロシアに依存しており、その9割がサハリン2から賄っている>

先の大戦でソ連(ロシア)は日ソ中立条約を破って日本侵略をし、日本の領土を奪った。こういう、信じてはいけないゴロツキを相手にガス開発するという、ほとんどノー天気な甘さが危機を招いた面がある。日本だけではないが、自由主義圏の国々によるアフガニスタンへの支援も安易過ぎた。一党独裁の中共への投資も、カネに目がくらんだこともあるが、「やがて共産主義を止めて普通の国になるだろう」という根拠のない安易な期待が先行したことによる。

今からでも遅くはない、自由圏諸国は「独裁赤色軍事帝国の中露北は永遠の敵」と肝に銘じて断交し、鉄のカーテンによる包囲戦で封じ込めるべし。ソ連はそれで消滅したのだから効果は実証されている。ギブアップしたら国連なりNATOなど国際機関による統治で20前後ほどの国、最大でも1億人程度の国に分割し、「100年間は二度と戦争できない国」にすべきだ。日本を見よ、効果抜群である。
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習近平は戦争を欲している

2022-07-22 09:48:55 | 戦争
習近平は戦争を欲している
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」72/通算504 2022/7/22/金】古人曰く「歴史は勝者が創る」。その世が敗者にとってもそこそこ居心地が良ければ勝者の統治は永続きする。戦勝国、米国による日本統治は成功したが、戦後から77年も経って賞味期限は過ぎ、自尊自恃の新しい国防態勢を整えるべき時代になってきた。

エドワード・ルトワック/米戦略国際問題研究所上級顧問は、「戦争はないに越したことはないが、人類の歴史は戦争の歴史であり、逆説的ながら破壊・殺戮の戦争が文明・文化の発展、人口増をもたらしてきた」と主張する。

戦争=悪・災難だから非武装中立で「みんなで一緒に平和を祈りましょう」といった、他者依存の単眼的、非現実的、おとぎ話的な見方ではなく、歴史や現状のリアルから学び、「戦争を避ける」「戦争で勝つ」ために国家、国民、為政者は戦争を前提として備えるべきだと説いている。著書「戦争にチャンスを与えよ」は、国防を真剣に考えている人にとっては実に示唆に富んでいる。以下、一部を紹介する。

<ビザンティン帝国(東ローマ帝国)は、人類史上で最も長く続いた帝国である。なんと1000年間も続き、ローマ帝国よりも遥かに長く存続できた。ビザンティン帝国は最も成功した「戦略」の実践者だったからこそ長く存続できたのである。

徳川家康も似たような「戦略」の成功者だ。時間をかけて、外交により「同盟」を築いた。関ヶ原の戦いがその典型だ。家康は、敵の同盟国を引き離し、自分側の「同盟」に引き入れたのである。さらに幕府体制(幕藩体制)を創ったが、これは国内を徹底して安定させるシステムだった。

参勤交代、諜報体制の構築、手形や関所を活用した警備体制など、戦国時代の内乱状態を安定化させるための体制だ。海外との関係も制限し、思想的な面でも安定化を図ったのである。このような体制を考案するには「戦略思考」が不可欠なのだ。

20年に及ぶビザンティン帝国研究の結果、私はこの帝国の戦略を以下の7つの教訓にまとめた。

(1) 戦争は可能な限り避けよ。ただし、いかなる時にも戦争が始められるように行動せよ。訓練を怠ってはならず、常に戦闘準備を整えておくべきだが、実際に戦争そのものを望んではならない。戦争準備の最大の目的は、戦争開始を余儀なくされる確率を減らすことにある。

(2) 敵の情報を、心理面も含めて収集せよ。また、敵の行動を継続的に監視せよ。それは、生産的な活動ではないかもしれないが、無駄になることはまずない。

(3) 攻撃・防衛両面で軍事活動を活発に行え。ただし戦闘、とくに大規模な戦闘は、よほど有利な状況でないかぎり避けよ。敵の説得を武力行使のおまけ程度に思っていたローマ帝国と同じように考えてはならない。武力行使を最小限に留めることは、説得に応じる可能性のある者を説得する助けになり、説得に応じない者を弱体化させる助けになる。

(4) 消耗戦や他国の占領ではなく、詭動・機動(マニューバー)戦を実施せよ。電撃戦や奇襲(サプライズ)で敵をかき乱し、素早く撤退せよ。目的は、敵を壊滅させることではない、なぜなら、彼らは、後にわれわれの味方になるかもしれないからだ。敵が複数いる場合、互いに攻撃させるように仕向けられれば、単一の敵よりもかえって脅威は小さくなる。

(5) 同盟国を得て、勢力バランスをシフトさせ、戦争を成功裏に終結させられるように努めよ。外交は、平時よりも戦時においてこそ重要である。「銃口が開けば外交官は黙る」という馬鹿げた諺は、ビザンティンがそうしたように否定せよ。最も有用な同盟国は、敵に最も近い国である。彼らは、その敵との戦い方を最も熟知しているからだ。

(6) 政権転覆は、勝利への最も安上がりな方法だ。戦争の費用とリスクに比べれば、実に安上がりなので、不倶戴天の敵に対しても実行を試みるべきである。宗教的狂信者でさえ、買収可能であることを忘れるな。ビザンティンは、かなり早い時期からこのことに気付いていた。狂信者は、もともとクリエイティブなので、自分の大義に背く行動でさえ正当化できるものなのだ。(例えば)「イスラムの最終的な勝利は、いずれにせよ明らかなのだから」云々(などと理屈をつけて正当化する)。

(7) 外交と政権転覆では目的を達成できず、戦争が不可避となった場合には、敵の弱点を衝く手法と戦術を適用せよ。消耗戦は避け、辛抱強く徐々に相手を弱体化させよ、時間がかかるかもしれないが、急ぐ必要はない。なぜなら、ある敵がいなくなっても、すぐに代わりの敵が必ず現われるからだ。支配者は入れ替わり、国家は興亡を繰り返すが、帝国は永遠である。もちろんこれは、自ら帝国を弱体化させなければ、という条件つきではある>(以上)

小生はこの本を1年ほど前に読んだのだが、その時は「ふーん、そういう見方もあるか」ぐらいにしか思わなかったが、今、プーチン・ロシアの生々しいウクライナ侵略戦争をリアルタイムで見ることになり、読み直してみたところ「なるほど!」と、とても勉強になる。キモは「平和を守りたかったら、戦争に備えよ、軍事力、外交力、同盟力、民度の強化に努めよ」ということだ。

小生は「トルコのエルドアン大統領はエゲツナイないなあ、狡猾と言うかシタタカと言うか、世界を翻弄させている、まったく何考えているか、ホント、食えぬ奴」と思っていたが、今は「エルドアンはトルコの国益を守り、拡大することを最優先で考えている・・・いやはや大したタマだ、侮れない、敵にはしたくないなあ」。

産経2022/7/20「ロシア、イラン・トルコと3首脳会談 友好関係を誇示」によると、

<ロシアの侵攻でウクライナの穀物輸出が滞留している問題では、トルコが国連とともに両国の間を調停、解決に努めている。プーチン氏は先週、トルコ・イスタンブールで行われた4者の協議の結果に満足しているとし、「すべての問題が解決したわけではないが、動きがあった」とエルドアン氏に謝意を述べた>

“あのプーチン”がエルドアンに謝意・・・エルドアンは海千山千の各国首脳を手玉に取っているよう。623年の歴史を持つオスマン帝国(トルコの前身)は1922年、ドイツと同盟して第一次世界大戦に敗れて解体したが、米国による戦後の日本統治はそれを倣ったよう。エルドアンは「オスマン帝国」復活を目指しているのかも知れない。

小生の夢は「立憲君主制的な大日本帝国復活」、要は「五箇条の御誓文」「教育勅語」の精神を継承して「天皇・皇族を伝統権威として敬い、それを核とした自由民主人権法治の自立・独立した国家」を創ろうというもの。

これが安倍氏亡き後はどうなるのだろう、といささか不安に思うが、非常時、危機の時代にはそれに相応しい人材、英国で言えばチャーチルのような突破モンが出てくるのかも知れない。中露北の「外患」、立憲共産党などによる「内憂」という大きな障害はあるが、暫くすれば良い「解」が見つかると信じよう。小生ができるのは「狼が来るぞ、みんな気をつけて!」と騒ぐだけだが・・・

WiLL HEADLINE 2022/6/17:島田洋一氏の論稿「降伏の代償」はとても示唆に富んでいた。曰く、

<中国軍が攻め込んでくれば、犠牲が出ないうちに速やかに降伏するのが良い、と説く論者たちがいる。彼らが理解していないのは、その瞬間に、世界最強の軍事力を誇るアメリカが味方から敵に変わるという現実だ。

北京の軍門に下り、基地として使われる日本は、米国(およびその陣営)にとって、破壊対象以外の何物でもない。

共に戦うから同盟国なのであって、降伏、特に無傷のまま身を差し出すような降伏をすれば、はっきり敵陣営の一角と見なされる。かつて合同演習もしただけに弱点がどこかつぶさに分かる。直ちに急所を突く攻撃を……。歴史はそうした実例に満ちている。

第2次世界大戦初期の1940年7月3日、イギリス海軍が同盟国(だった)フランスの艦隊に総攻撃を加えた。地中海に面した仏領アルジェリアのオラン近郊の湾に停泊していた船舶群だった。その2週間前、フランスはドイツに早々と降伏し、パリへの無血入城を許していた。

そのためイギリスは、爾後フランス艦隊はドイツ軍に組み込まれ、海洋国家イギリスの生命線たるシーレーンを断ち切られかねないと懸念し、先手を打って殲滅作戦に出たわけである。フランス海軍のダルラン司令官はこの間、艦隊を引き渡せという英側の要求を拒否しつつ、ドイツ軍の自由には決してさせないと説得を試みたが、英側は納得しなかった。

英軍の爆撃でフランスには1297人の死者が出ている。「戦わずに手を上げれば無事に済む」といった都合のよい話には、残念ながら多くの場合ならない。むしろ占領軍による暴虐と、かつての友軍による攻撃の両方に晒される最悪の状況となりかねない。

日米安保条約には、「いずれの締約国も、他方の締約国に対しこの条約を終了させる意思を通告することができ、その場合には、この条約は、そのような通告が行なわれた後1年で終了する」との規定がある(第10条)。

中国占領下に誕生した日本の傀儡政権は、直ちに日米安保の廃棄を宣言するだろうが、米軍は、1年間は在日基地に居座る権利を主張できる。

ここで改めて、なぜアメリカが日本とのみ、NATOのような相互性を持たない、片務的な日米安保条約を締結したのかを考えてみよう。

「日本軍国主義」を抑え込む意味でも、太平洋の対岸に南北に長く延びる(琉球諸島も含めれば台湾の近傍まで延びる)戦略拠点日本を敵対勢力の手に渡さないためにも、日本領内に米軍基地を維持することが死活的に重要と意識されたゆえである。

(中国の威圧に)日本が無抵抗のまま降伏し、中国に軍事基地、産業拠点として日本が利用される事態を黙って見ているほど、アメリカはお人好しではないだろう。

たとえば、米第7艦隊の旗艦である揚陸指揮艦ブルーリッジ、空母ロナルド・レーガンなどが母港とする横須賀基地を、米政府が無傷で中国に献上するはずがない。撤退を余儀なくされる事態に至れば、使用不可能な状態に破壊したうえで去るだろう。テロリストが侵入したため激しい銃撃戦になった、弾薬庫に火炎瓶が投げ込まれ大爆発を起こしたなど「原因」はいくらでも考え出せる。

ちなみに岸田首相は、ロンドン訪問中の5月5日の講演で、幼い頃に広島で聞いた被爆体験が「私を、平和を取り戻すための行動に駆り立てる」と述べ、「核兵器のない世界」を訴えるため、日本が議長国となる来年の先進7カ国首脳会議(G7サミット)を地元広島で開催したい意向を滲ませたという。筋違いと言うほかない。

日中露サミットを広島で開催し、習近平、プーチン両氏に核兵器先制不使用を誓わせるというならまだしも(あり得ないが)、核抑止力も含めて集団自衛体制の強化を論議すべき自由主義陣営のサミットで、議長が核廃絶(これまた予見し得る将来あり得ないし、捨てるにしても自由主義陣営は最後に捨てねばならない)を得々と語ればバカにされるだけだ。

むしろ防衛大学校があり、米太平洋軍の拠点でもあって日米安保体制を象徴する横須賀あたりを開催地としてはどうか。「お前は核の惨禍を知らないとは誰にも言わせない。まさに広島、長崎の再発を防ぐため独自核保有に乗り出す」と宣言する「蛮勇」が岸田氏にあるならともかく、広島はG7サミットにふさわしい地ではない>(以上)

小生は「良い予感は外れる、悪い予感は当たる」という格言をよく使うが、「日本が非核なら他国から核攻撃を受けない」という人は暗愚であり、多分、中露北の手先かシンパ、即ちリベラルを装う「アカ」か、お花畑的「ピンク」だろうと思っている。自由民主圏の国でもこの手の人士は気絶したくなるほどウジャウジャいる。

ヒトラー・ナチスに占領されたフランスでは、小賢しいインテリ≒アカは積極的にナチスに媚びを売ったり、「フランスおよびアメリカ・イギリス帝国主義反対、ソ連のために戦おう」となったりした。

強者について美味い汁を吸う人を「コラボレーショニスト」、日本では「売国奴」と言うが、なんとナチス亡き後の戦後のフランスでは、今度は赤色帝国ソ連を礼賛し、堂々と共産主義者を自称した。当時、フランス共産党員は40万人で、自由圏では世界一の規模だったという。アカは流行ファッションだったのだ。

さすがに今の時代では「私は共産主義者」と自称する人は少なく、多くは「リベラル」を装うが、米国の映画界みたいに中身は容共左派、儲かればいいという卑しい銭ゲバが大変多いよう。

夏彦翁曰く「組合専従になるなかれ」。日本の労組専従の多くも隠れアカが多いようで、小生の古巣の旅行業界では、先の参院選挙でサービス連合(サービス・ツーリズム産業労働組合連合会)が選りによって辻󠄀元清美を支援しておりがっかりした。辻󠄀元は反日赤軍派のシンパではないのか。

日本が「日本を取り戻す」までにはまだまだ時間がかかるのだろうが、「スラムダンク」の安西先生の「諦めたらそこで終わり」の言葉を思い出して、どうにか自分を鼓舞している感じだ。ま、物書きは趣味でもあるけれど・・・

それにしても、永世元首を目指す習近平は、コロナ対策で失敗し人民の不興を買っているうえに、無理筋のロックダウンで経済もかなり停滞してきたよう。さらに夏場の雨季にはここ数年、洪水も多発、甚大な被害をもたらしているのに、治水については昨年も今年も何の手立ても講じていないし、習近平による被災地訪問も今年は報道されていない。

こうなると「習近平は求心力を高めるためにも戦争を欲している」と思わざるを得ない。今秋の共産党総書記選挙で勝つためには、戦争による熱狂で人民の支持を得、かつ明確な「戦勝」で党内外の不満を解消しなければならない。

マキアヴェッリ曰く「君主は困難と障碍に打ち勝つことで偉大になっていく。特に世襲ではない新君主は、統治を盤石にするために大なる名声を得なければならない。敵をつくり、敵をして攻撃させ、それに打ち勝つことで民や家臣の支持、敬意を高め、政権は一段と強化される。賢明な君主は、機会あるごとに、ことさらに敵をつくり、それを討ち亡ぼし、名声を高めるようにすべきだ」(君主論第20章「城砦その他、君主が常に頼みとするものについての利害」)。

毛沢東は「孫子兵法」「水滸伝」を愛読していたが、1930年頃には中国語訳の「君主論」も出版されていたから当然、目を通していたろう。何しろナポレオン、ビスマルク、マルクスも愛読していたのだから。中共の「Baidu百科」によるとマルクスは「マキアヴェッリは、政治の理論を道徳から解放し、権力を法律の基礎とし、政治学の基礎を道徳から権力へと移した」と絶賛しており、「権力=道徳」の習近平も多少は聞きかじっているかもしれない。

要は「勝てば官軍、正義」であり、習近平は己の地位を盤石にし、師と慕う毛沢東と並ぶ「神」になるために戦争を欲している、ということ。

戦狼・習近平は、まずは勝てそうな台湾侵略から始める。欧米は習近平の友邦ロシアのウクライナ侵略で手一杯で、今なら遠い東の台湾にまで十分な関与はできないから絶好のチャンスである。台湾侵略が上手くいけば次は日本、さらに豪州、インド、アジア・太平洋全域へと軍を進めて制覇する・・・それが習近平の「中国の夢」なのだ。

台湾を守ることは日本の安全保障の一丁目一番地である。日本版「台湾関係法」など法整備をし、台湾と密接に連携して中共の侵略を撃退しなければ、明日は日本が餌食になる。「悪い予感は当たる」のである。危機感をもって備えるべし。
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露中殲滅!世界解放戦争へ

2022-07-19 05:50:57 | 戦争
露中殲滅!世界解放戦争へ
“シーチン”修一 2.0

【雀庵の「大戦序章」71/通算503 2022/7/19/火】梅雨が明けたのか、入道雲が出て夏らしくなってきた。西表島で夏休みを楽しんだ長男が土産のパイナップルを持ってきて、奄美からはパッションフルーツも届いた。ベランダのハイビスカス、屋上のヒナギクも元気に咲いている。ついに夏子到着!

夏といえばヘレン・メリルの歌う「Summertime」はマッタリして良かったなあ。ところがネットで調べたら哀しみの歌のようだ。

<「サマータイム」は、ジョージ・ガーシュウィン(1898-1937)の作曲したオペラ「ポーギーとベス」(Porgy and Bess、1935年)で歌われる「子守唄」です。

「ポーギーとベス」は、ほとんど黒人のみのキャストによるもので、オペラ作品としては極めて異色です。1920年頃のアメリカ南部のキャットフィッシュ・ロウという黒人居住区の物語です。奴隷制度は終ったものの、未だに黒人の社会進出が阻まれていた時代の、南部の町の閉塞感が物語を通して伝わります。

「サマータイム」の歌は、この三幕のオペラで幕毎に三度歌われますが、少しづつ歌詞が変わり、悲しみを増してゆきます。第一幕で歌われる歌詞は、

「父さんは金持ち、母さんは美人、だから良い子よ泣かないで…そのうちに、おまえは歌いながら飛び立って、翼を広げて、空を捕まえられるよ、だからその朝までは、父さんと母さんが側にいるから、何も害を加えられないよ」

という意味です。幸福そうな歌詞ですが、却ってその背景にある現実の厳しさが感じられます。この歌が子守唄という素朴なものだけに、より心に沁みます。それは、登場する黒人たちが世代を超えて、このやり場のない悲しみに耐えてゆくことと、未来への希望を失わないことを伝えてゆくというものかもしれません。

ガーシュウィンが「ポーギーとベス」で伝えたかったのは、当時はまだ打ち破れなかった、黒人を取り囲んでいた社会通念・因習だったと思います。そして、それを言葉ではなく、音楽、極論すればこの「サマータイム」の歌に託したところに、ガーシュウィンの音楽家としての誠実さと偉大さを感じます。

この歌はたくさんの歌手・演奏家がカバーしています。多くは黒人によるものですが、そのほとんどは悲しみを内に込めた歌唱や演奏です。この歌の主題が時代の閉塞感にあるので、こうしたものになるのが当然で、ガーシュウィンの意図したものと言えます。

ガーシュウィンは、ユダヤ系ロシア人の血をひいています。父親はロシアからユダヤ人への迫害を逃れてアメリカへ移民した人で、その理由のない差別に対する抗議が「ポーギーとベス」の主題に込められています。それは他人事ではない、新天地であるアメリカにあってはならない差別の因習に対する想いです。だからこそ黒人にとっても、「サマータイム」は自分たちの歌ともなりました>(マジックトレイン)

小生はガーシュウィンの名前は知っているが、「ジャズに名演奏あり、名曲なし」のクチだから作曲家や作詞家には関心がなかった。「クラシック音楽ファンのための情報サイト」によると、

<ジョージ・ガーシュウィンは、1898年アメリカのニューヨークに4人兄弟の次男として生まれました。両親は迫害を逃れて1890年にアメリカに渡ったロシア系ユダヤ人です。幼少期は決して裕福な家庭とは言えませんでしたが、両親は子供たちのために中古のピアノを買い与えるなど、教育に熱心だったそうです。

ピアノはもともと兄のアイラに与えたものでしたが、文学少年だったアイラは興味を示しませんでした。しかし弟のジョージは驚くべき才能を示し、後に偉大な作曲家へと成長します。ガーシュウィンがピアノに出会ったのは12〜3歳頃だったので、一般の音楽家よりも遅いスタートとなりましたが、逆にそのことが、形式にとらわれることのない作風に繋がったのかもしれません。

代表作には「スワニー」「サマータイム」「パリのアメリカ人」「ポーギーとベス」「ピアノ協奏曲」「But Not For Me」「The Man I Love(私の彼氏)」などがあります>

この代表作の多くはジャズを通じて馴染んでいるが、ガーシュウィン作とは知らなかったなあ。学ばざれば昏し、無知の涙・・・人はそれぞれが「何をなすべきか」の優先順位を持っているから、オールマイティの博学というわけにはいかないけれど、ある程度の見識、良識は持っていた方が良さそうだ。

そういうことを人間は晩年になって知る・・・ま「後悔」とか「未練」、It's too late だが、やがてそんな思いも消えて成仏するのだろう。しかし、プーチンや習近平あたりの独裁者になると、諫言する側近がまったくいないから、老いても最期まで妄執を追いかけるようである。いわゆる「暴君」、赤色ロシア帝国はレーニン、スターリン、プーチンという、近現代史に残る「暴君3傑」を産んでいるが、地政学的な自然環境や民族性の影響も大きいのではないか。

塩野七生先生は2014年、プーチンがクリミア半島をウクライナから強奪した際の論稿「プーチン VS オバマ」(「逆襲される文明」)で、狡猾なキツネのプーさんに軽佻浮薄なオバカさんがすっかりなめられたと論じている。

小生はワルのロシアもさることながら、バイデンも含めて米民主党は「大統領から末端までつくづくロクデナシ」と改めて我が“妄想的罵倒”の正しさを確認した。以下、塩野史観のポイントを紹介する。(*)は修一。

<クリミア半島が、どの国も望んでいなかった方向に動きつつある。クリミアは黒海の奥にあるので欧州の東端だが、欧州人にとってクリミアは、クリミア戦争*→ セバストーポリ→ ナイチンゲール→ 赤十字の誕生となり、単なる東欧の端っこではない。

(*クリミア戦争:1853~56年、南下策をとるロシアと、オスマントルコ、フランス、イギリス、プロイセン、サルデーニャ(北イタリアの領邦国家)の連合軍との戦争。主にクリミア半島で戦われ、ロシアの敗北に終わった。この戦争でナイチンゲールが傷病兵を看護し、国際赤十字社創設の基を作った/日本国語大辞典)

だが、あの戦争で敗れて以来、ロシアはクリミアへの執着を変えていない。それが今度も問題の始まりだった。プーチンのクリミア半島強奪は「プーチンとオバマ双方のボタンの掛け違いにある」と下斗米伸夫・法政大学教授が言っていたが、遠因はオバマに対するプーチンの軽蔑である。

腰の座らないオバマ外交への失望感は今や欧州諸国の首脳はもとより多くの国民も共有している。オバマは「大義はそれを捧げ持つ人を縛る」という現実を知らないようだ。清(せい)のオバマに対して、現実の政治は濁(だく)も併せ呑まないとやっていけないと考える欧州側が、オバマ外交にイライラするのは当然である。

500年も前にマキアヴェッリは「統治者は、愛されるよりも怖れられる方がよい」と書いている。愛されるだけでは相手側に「何をやっても構わない」と思わせてしまうからで、反対に怖れられていれば相手も行動に出る前に熟慮を重ねざるを得なくなり、それが暴走を阻止する役に立つ、というわけだ。

「清」一本鎗のオバマは軽蔑されていたのだ。反対に「清濁」のプーチンは、そこに目をつけたのに違いない。

もともとからしてクリミア半島と軍港セバストーポリはロシアに属すと、ロシア人は思っている。一方の欧州側は、クリミアも含めたウクライナを欲しかったかといえば、少しも欲しくはなかった。財政破綻が懸念されているウクライナをEUに入れてトクになることなど少しもなく、経済援助をしたり、難民を救済したりで損になるだけ。ヨーロッパの本音は、天然ガスが支障なくロシアから欧州に流れてくれれば良いということにしかなかった。

そこに、メンツをつぶされたオバマがしゃしゃり出てきたので、問題の落としどころが分からなくなってしまったのである。

プーチンにも、「正義一本槍」のオバマに対する「強気一本槍」という欠点がある。それで、掛け違ったボタンを掛け直すどころか、既成事実化の方向に突進して、なにやらバタバタと、クリミア併合を調印してしまった。

相手が引くに引けないところに行ってしまう前に、上手く「待った」をかけるのが外交ならば、現今のクリミア問題とは、オバマ外交の失敗から起こった、とするしかない>(以上)

まともな人間なら失敗や歴史から多くを学ぶが、視野狭窄で自信たっぷりの「私は正義病」患者はプライドが高いだけで、学びや思慮、現実を見る視力が弱く、視野狭窄のようである。その手の正義病者は自称リベラルと思っているようだが、実態は共産主義への親和性が非常に高く、「学者」「識者」を自称する人でも毛沢東の文化大革命を礼賛したり、ソ連を理想郷のように語る人は随分多かった。

今でも「日本学術会議」は反日容共のアカの巣窟のよう。日共「赤旗」2020/10/14「学術会議任命拒否 憲法と国民全体への攻撃」から。

<日本学術会議は、17年3月に「軍事的安全保障研究に関する声明」を発表しました。声明は「戦争を目的とする科学の研究は絶対にこれを行わない」という1950年と67年の声明を継承すると表明。防衛省が大学などに資金提供し、将来の装備品の開発につなげる「安全保障技術研究推進制度」について「政府による研究への介入が著しく、問題が多い」と批判しました。

「戦争する国づくり」を進めるには、学者・研究者による反対の声をおさえこむ必要がある―。学術会議への露骨な介入の背景に、「戦争する国づくり」があることが浮かびあがっています>

この手のアカ系学者はもとより「私はリベラル」を自称する人は実に多いが、理性を越えた一種の宗教信者、小生から見ると妄想性暗愚、あるいは狡猾な詐話師に見える。

米国民主党のバイデンは建国以来、最悪大統領の上位をオバマと競うに違いない。世間知らずというか、無知蒙昧というか、かなりの危険人物だ。

小生は軍事を勉強したことはないが、それでも「殿戦(しんがりせん、でんせん)」が大打撃を受けることは知っている。戦場からの撤収は夜陰に紛れて極秘で進めても、遅かれ早かれ敵に知られてしまい、味方の撤収を守るために軍列の最後尾で敵と戦うのが殿戦だ。少しでも味方の損耗を防ぐためには、戦線離脱は絶対に許されないから、最後の一人まで踏ん張るという凄絶な戦いになり、ほとんど生還はあり得ないと言われている。

バイデンによる2021年5月1日からのアフガニスタン撤収作戦は、殿戦のイロハも知らないド素人の作戦どころか、ほとんど自殺行為で、バイデンが軽佻浮薄にも側近=監視人や軍と協議することなく勝手にぶち上げてしまったのだろう。JETRO 2021/8/17「バイデン米政権のアフガニスタン撤退に批判が噴出、大統領は撤退判断を堅持」から。

<米国は、2001年9月に発生した同時多発テロ事件を受けて同年10月にアフガニスタンに侵攻を開始して以来、20年にわたり軍を駐留させてきた。バイデン大統領は2021年4月14日、トランプ前政権が2020年2月にタリバンと交わした米軍の完全撤退を含む和平合意に基づき、アフガニスタンからの最終的な米軍撤退を2021年5月1日から開始し、9月11日までに完了するとしていた。

しかしタリバンは、米軍の撤退開始後も、国内主要都市の制圧を進めていた。そうした事態を受けて、バイデン大統領は8月14日、米国および同盟国の人員らが安全にアフガニスタンを出国できるよう約6000人の米兵を派遣すると発表していた。その翌日にカブールが(タリバンなどイスラム過激派により)制圧されたことになる。

米国務省は15日夜、日本を含む同盟・友好国など約60カ国と共同声明を出し、外国人とアフガニスタン人が安全に出国できるよう支援を表明するとともに、「アフガニスタン全土において力と権限を持つ者」に対して、人命や財産の保護と治安と社会秩序の速やかな回復に責任を持つよう呼び掛けた。カブールの空港には出国希望者が殺到しており、事故による死者も出ているとされる。

バイデン政権には、国内各方面から批判が高まっている。外交・安全保障に詳しいニューヨーク・タイムズ紙のデビッド・サンガー氏によると、バイデン大統領に近しい人物でも、撤退の実行の際に大統領が一連の失敗を犯したことを認めているという。

現地での今後の懸念について、トランプ前政権の国家安全保障会議で南・中央アジアを統括していたリサ・カーティス氏は「タリバンが1990年代と同様に住民に残虐な対応をとり、(アフガニスタンが)再びテロリストの温床となった場合、(撤退を支持した米国人も)見方を変えるだろう」と指摘する。

このような中、バイデン大統領は16日夕方に会見を行い、撤退判断の正当性を強調した。アフガニスタン侵攻の目的は2001年同時多発テロの首謀者オサマ・ビンラディン容疑者の殺害と、同容疑者が率いたテロ組織アルカイダによるアフガニスタンの利用を防ぐことだったとし、その目的は既に10年前に達成されたとした。その上で、他国の内戦に関与することは米国の安全保障とは関係ないとし、いかなる批判を受けようとこの問題を次の大統領に引き継ぐことはしないと締めくくった>(以上)

「他国の内戦に関与することは米国の安全保障とは関係ない」、その果てにバイデンは今「ロシアのウクライナ侵攻に米国は参戦しない」と早々と宣言し、プーチンを元気づけた。愚の骨頂。

<【ロイター2021/12/9】バイデン氏、ウクライナへの米軍派遣「検討していない」 ロシア軍への対抗で

ロシアがウクライナの国境周辺で軍を増強させ緊張が高まる中、アメリカのバイデン大統領は8日、ロシアが侵攻した場合に米軍をウクライナに派遣することは「検討していない」と述べた。バイデン氏は一方で、ロシアが実際に侵攻すれば深刻な結果を招くことになると警告した。

バイデン氏は前日7日、ロシアのプーチン大統領と2時間にわたりビデオ会談した。この首脳会談は、ロシアがウクライナの東側国境に沿って大幅に軍を増強させていることを受けたもので、同地域の緊張を緩和させるのが目的だった>

「居眠りジョー」の行き当たりばったり的ダッチロール外交は、露中北を大喜びさせているだろうが、このままでは欧州のみならず世界の自由陣営の結束を破壊しかねないと小生は危惧する。米国民は責任を取れ!と言いたいが、任期はあと2年もある。地獄だ・・・

<【AFP 7/15】米国のバイデン大統領(79)をめぐり、年齢の面から2024年の次期大統領選に再選出馬すべきかどうかの論争が活発になっている。

11月20日に80歳になるバイデン氏の年齢問題は、共和党陣営や右派系メディアに格好のネタを提供する一方、民主党陣営や大半の米メディアは、この話題に触れるのには消極的だ。だが、最高齢で大統領に就任したバイデン氏は大統領選で再選を目指す考えで、年齢に関する議論が熱を帯びている。バイデン氏に代わる候補は不在で、民主党陣営は難しい対応を迫られている。

バイデン氏は2期目の始めで82歳となり、任期をまっとうすれば、86歳になる。ロナルド・レーガン元大統領は退任した際、77歳だった。ニューヨーク・タイムズは9日の記事で、「(バイデン氏の)年齢は、彼自身と政党にとって気まずい問題になっている」と記し、ホワイトハウスはこの問題で守勢に回り、気をもんでいると指摘した。

バイデン氏の白髪頭はますます薄くなり、足取りも慎重さを増し、衰えは隠せない。話の脈絡を失うこともあるほか、テレプロンプター(原稿表示装置)を読んでいて言葉に詰まることもある。

バイデン氏に代わる候補者の不在も顕著だ。同氏が撤退した場合の候補になるハリス副大統領(57)が大統領選で勝利する可能性について、評論家は懐疑的だ>

米国は世界の警察官を辞めて今は老後生活に入ったのだろう。老兵は死なず、ただ去るのみ・・・80歳、傘寿のヂヂイに「もっと頑張れ」と言ったところで心技体は衰えるばかりだから無理筋だ。米国は北米大陸だけで自給自足できるから、第2次大戦参戦以前の「孤立主義」に戻っても困ることはない。

敗戦後、安全保障を米国に頼ってきた日本は、中露北の侵略に対し自力で戦える戦力を早急に構築しなくてはならない。これまでの「盾」だけでなく「矛」も装備し、核兵器を含めた攻撃力=抑止力の強靭化は喫緊の課題だ。天は自ら助くる者を助く、努力もせずに中露北の「善意」に国運を委ねるなんぞ、愚の骨頂だ。

西郷南洲翁曰く「何を以て国家を維持す可きぞ。徳川氏は将士の猛き心を殺ぎて世を治めしかども、今は昔、時戦国の猛士より、猶一層猛き心を、振ひ起さずば、万国対峙は成るまじくや。普仏の戦、仏国三十万の兵三カ月の糧食有りて降伏せしは、余り算盤に精しき故なりとて笑はれき。

正道を踏み、国を以て斃るるの精神無くば、外国交際は全かるべからず。彼の強大に畏縮し、円滑を主として、曲げて彼の意に従順する時は、軽侮を招き、好親(友好)、かえった破れ、終に彼の制を受くるに至らん。

国の凌辱せらるるに当たりては、たとえ国を以て斃るとも、正道を践(ふ)み、義を尽すは政府の本務也。然るに平日、金穀理財の事を議するを聞けば、如何なる英雄豪傑かと見ゆれども、血の出る事に臨めば、頭を一処に集め、唯目前の苟安(一時の安楽)を謀るのみ、戦の一字を恐れ、政府の本務を墜しなば、商法支配所と申すものにて、更に政府には非ざる也」。

​勝ち負けは兵家の常、たとえ負けても再起三起で勝てばいい。しかし戦わずして屈服すれば永遠に奴隷になり、民族のDNAは100年、200年で消えることを新大陸の先住民は教えている。

撃ちてし止まん! 同志諸君、我らが祖父、父は世界中から植民地を一掃する大東亜解放戦争を始め、孤軍奮闘、道半ばで矢尽き刀折れ敗戦したが、志を引き継いだ世界中の同志により所期の目的は達成された。21世紀の戦争では有志諸国と協力して、悪の共産主義独裁帝国を地球から一掃、殲滅、世界を解放すべし。我らの時代の天命である。
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