雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(22」
“シーチン”修一 2.0
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/134(2020/6/29/月】わが街のちょっとおしゃれなレストランが先週、解体業者の手で跡形もなく消えた。ここ2か月はコロナ禍で客もいなかったが、2016年春開店だから、たった4年で「ひっそりと舞台下手へ去る」だ。
大体この店、「売ろう!」という意欲が感じられなかった。
「素敵なマスターと明るいママ、美味しい料理とワイン、家庭的な雰囲気のおしゃれなレストラン」
そんなコンセプトなのだろうが、ドア越しに店内が見えないし、客が出入りする際にちらっと店内の一部が見えるだけで、何となく入りづらく、興味をそそられない。
そこそこ賑やかで、たまに酔っ払いが店からよろよろ出てきて、ママさんが「大丈夫ですか、気を付けてね」なんて愛想を言う、そういうインティメート(intimate)、ウェットな、気の置けない、居心地のよい、打ち解けた・・・つまり小料理屋的な雰囲気が好きな小生にとっては「お試し」する気にならない店だった。
要はオーナーの理念が「仕事、稼ぎ」ではなく「趣味、道楽」なのだ。夕方、勤務を終えてから店を開けて、常連とおしゃべりを楽しむ、稼ぎは二の次とか。
初期投資とか家賃、仕入れ、それに店じまいの解体費用などでプラマイ4000万~5000万の赤字だったろうが、「別に金儲けのためじゃないし、結構面白かったから悔いはないよ」の境地のようだ。
こういう人は結構多いのではないか。友は遺産が転がり込んで高円寺駅前ビルでジャズバー(時々生演奏)を始めたが、ほとんど趣味。ところがグラス一杯で3時間4時間居座る客も珍しくなく、やがて「ドリンク+一品」制にしたが、結局3年ほどで閉店した。
「修一クン、酔っぱらった客同士の喧嘩を収める時ね、後ろから羽交い絞めすると敵が増えたと思ってさらに暴れるんだ、だから真ん中に割って入らないとダメ、勉強になったよ、はっはっはっ」
こちらも(あんたも3000万、道楽で散財してもノーテンキ、大したもんだよ、とは言わないが)「はっはっはっ」。共に浮世離れしている。
先日訪ねたら詩人・作家の森内俊雄著「一日の光あるいは小石の影」の以下の1ページをコピーしてくれた。
<わたしは、もしも死に直面して意識が確かなら、期待と希望に満ちて死を迎える。願わくは病苦、老衰にまぎれてしまわないでいたい。
死が、このわれわれの生より恐ろしいものであるはずがない。
8月、9月の晴れ渡った天空のような世界を夢想する。そのはるかな世界の、まだはるかなる彼方、そこへ溶け込んでゆくことに、何の恐れがあろうか。祭礼のとき、人は泣く。それは別れを惜しんでのことであって、死を不幸としてのことではあるまい。
わたしは父母、兄、肉親のすべてと別れた。しかしいずれの時においても、心静かであった。蒼穹に凛たる向日葵のようでいたい>
森内先生はGNP:元気長生きぽっくり、大往生間違いなし! その対角線には夭折、病死、事故死、災害死、不自然死、戦死、刑死、自死・・・不幸な死、不本意な死があることをご存じない?! 浮世離れ連盟総裁級の確信犯みたいと言ったら怒る?
リアルは「呆けて寝たきり枯れ尾花」が定番、「蒼穹に凛たる向日葵」ならまだまだ長生きするよ、目指せギネス!
浮世離れしている人は珍しくはないが、わが街では金持ち=大地主の三代目、四代目が多いので、「浮世離れ人種」比率は結構高いだろう。先日網戸の網を買いにいった金物屋はご主人(二代目)が多分亡くなって数か月間クローズしていたのだが、今は遺産の多くを相続し、かつ定年退職したような三代目夫婦が引き継いでいる。
その夫婦は旦那(60歳ほど)は慶応卒、奥様(55歳ほど)はフェリス卒あたりの良家のお坊ちゃま、お嬢様そのもの。中高年ファッションショーのモデルみたいに高級そうな身なりをし、顔つきにまったく険がない、怪しさ、卑しさ、猜疑心、高慢がない。貴族、華族、皇族のように高貴なオーラが漂っているのだ。
小生は「何をしでかすか分からない」風貌。普通の人、平民は正しく小生を警戒するが、生まれ育ちのいい上つ方は警戒しない、とか、危険察知能力が低いという感じはあるね。
大体、出入りの公認会計士とか金融機関が付いているから、ワルに騙されることはないのだろうが。
浮世離れや、ノーテンキもそれぞれの人の生き方、個性だが、社会の法的ルールから外れることは醜い。醜いと思わずに、あるいは確信犯的に醜い行為を繰り返すのは、まるでヤケノヤンパチ、無理心中、狂気、卑怯、テロ、醜悪そのものだ。
ロス「羅府新報」6/4大石克子記者「続く病みの闇」から。
<新型コロナウィルス感染拡大防止の外出禁止令でストレスが高まっているこの時期。再開に向けてのガイドラインが示され、お店が再開し始めたのもつかの間。ジョージ・フロイド黒人容疑者を死に至らしめた白人警官に対する抗議行動が週末、各地で勃発。州兵も応援要請された。
単なる抗議デモではなく、デモに便乗した放火、落書き、破壊に略奪が相次いだ。リトル東京でもシューズ店や薬店らが被害に遭った。
現地で見る実際は、目の前のことだけに緊迫感が違う。黒人の命を大事に思う人たちが行動しているのに、一部の黒人が窓ガラスやドアを壊して盗みをするのは抗議行動に水を差す、自らをおとしめる行為だと思う。
警官の多くは市民の安全を守るために働いている。破壊行動を伴わないジャスティスを訴える示威運動はいい。長い歴史の黒人差別は終わりにしなければならない。
ピースフルに行進するグループ、ガラスを壊して略奪しようとする暴徒に両手を広げて阻む人たち――
破壊を止めようと「暴力はやめて!」と書いたボードを目の前にかざしてはねのけられた女性、抗議行動の参加者と一体となって行動する警官、壊された後の片付けを手伝うボランティアなど・・・あさましい光景だけではなかったことが救いだった。被害者家族も暴力はいけないと訴えていた。
ウイルスも人種問題も特効薬がない。各自のマスク着用、手洗い励行と一緒で、それぞれが知恵をもって行動することが大切だと思う。暴力からは何も生まれない>
多くの人はコロナ禍と人種問題を利用する過激なデモに涙を流している。
小生は時々「米国がアラスカをロシアから買ったように、日本は米国のワシントン州 &/or オレゴン州を買えないものだろうか」と思うことがある。
<1867年3月、(金欠の)ロシア皇帝アレクサンドル2世は在米外交官に命じ、米国務長官ウィリアム・H・スワードと交渉を行わせた。(スワードはリンカーンとアンドリュー・ジョンソン両大統領の下で国務長官を務めた)
その結果3月30日、アメリカがアラスカをロシアから購入する条約が調印された。購入価格は720万USドル(2016年現在の貨幣価値で1億2300万ドル)だった>(WIKI )
今の価格でも123億円あたり、ほとんどタダである。当時は「浪費だ」と大非難を浴びたが、金鉱や油田が発見されるなど資源の宝庫、しかも対ロの軍事拠点としても大いに有効で、とてもいいディールだった。だから日本が米国の地を買うというのは決して夢物語ではないのだ。
小生は仕事でもシアトル(ワシントン州)には関心があった。ボーイング社の生まれ育ちはシアトルなのだ。B747、通称ジャンボジェットは世界の旅を一気に変えたのだ。1970年から日本でも採用されて海外旅行は年収ではなく月収で行けるようになったのだ。
空前の海外旅行ブーム! 戦後の旅行は外貨獲得のために「ゲイシャ・フジヤマ」の外人旅行=訪日旅行(インバウンド、)から始まり、1964年東京五輪から海外観光旅行(アウトバウンド)がスタートしたが、ヨーロッパ3週間旅行は今の年収400万円ほどもした。それでも篠山紀信など野心満々の人は借金をしても雄飛したのだ。
B29で屈服させられた日本は、B747で再起したとも言える。小生も図らずもこのブームに乗って海外旅行促進の記者、マーケッターとして旅行産業に貢献できたと自負している。米国政府や米国企業も大事なクライアントになってくれた。小生の建てたビルの色は虎ノ門の米国大使館の「アドービ(日干し)煉瓦色」を模したものだった。
シアトル・・・ボーイング工場、タコマ富士、ウォーターフロント・・・懐かしい思い出だ。2001年9月の9.11テロで終わってしまったが・・・この大人災の頃、ボーイング本社もシアトルからシカゴに移転した。
「頂門」6/28前田正晶氏の「My dear old Seattleを回顧する」を読んで、小生はウルウルした。前田氏はこう記している。
<アメリカ全土に人種差別反対の“Black Lives Matter”のデモが広がって行ったという状態にも、私は少なからず驚かされていた。
そこに我が懐かしのシアトル市に「自治区」なものが出来て、銃撃戦まで展開されたとあってはことの意外さと驚きは倍加した。
私にとっては1974年から慣れ親しんできた静かで綺麗で安全なシアトルと、そういう騒擾とはどうしても結びつかないのだ>
皆が嘆いている・・・ナチス禍から生還したフランクルの「夜と霧」にある「最もよき人々は帰ってこなかった」の言葉のように、「最もよきシアトルは帰ってこなかった」となるのだろうか。
ANTIFAを 宇宙の果てとふ 暗黒へ 追放せばや 億光年でも(修)
諸悪の根源、中共、Red Fascio 壊滅へ! 立つんだ、ジョー!(バイデンさんは寝てていいよ)(2020/6/29)