戦争の時代に備えよ
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」118/通算550 2022/12/31/土】カミサンが奄美大島へ帰省したから彼女の縄張りである2Fの家事・雑事あれこれが増えて結構忙しい。花卉の水遣り、正月のお飾りは大したことはないが、墓参り、40年近く愛用してきたソファーの修繕、金魚の水槽の掃除など、慣れないことをするから結構シンドイ。
加齢とともに脳ミソも体力も劣化するのは自然だが、小生は普通の人よりも劣化スピードが速いみたいだ。どうもこのところ思うように言葉が出てこないので来年の春までもたずに「絶筆」になるかも知れない。まあ、誰でも遅かれ早かれそうなるのが自然で、呆けが顕著になる前に書きたいことは書いておこうと思うのだが・・・
うっ? 今思い出したが、もしかしたら小生は持病の躁鬱病の「鬱期」に入ったのかも知れない。それなら1か月ほど死に神と対峙し、「中露北を潰すまで俺は死なんぜ」と思っていれば、いつものように死に神は去っていくだろう。そうだ、ただの「鬱」に違いない! なんとなく脳みそが晴れてきた。同志諸君、中露北とそのエピゴーネンを叩くべし! ♪いざ征け つわもの 日本男児!
で、いつもの舌戦というか罵倒だが、共産主義国など独裁国家では言論統制、政敵抹殺は「正義・正当」として常態化しており、国民の大多数は情報過疎どころか、ほとんど怪しい宗教団体の洗脳、マインドコントロール下にあるような状態だ。
その上に警察など治安部門の役人は、独裁者の想いを忖度して手柄を上げれば出世できるし、怪しそうな人物をそのままに放置しておくと失態を非難されかねないから積極的に摘発して犯罪者に仕立て上げたり、刑務所や強制収容所に送り込んだり、時には暗殺したりするのが常態化している。人質として収監されているケースもある。「邪魔者は殺せ!」、特にプーチン一家、習近平一家は暴力団そのものだ。
そうしたリスクを知ってか知らずか、ハイリスク=ハイリターンの餌に引かれてか、共産圏とWinWinする、商売する、滞在する、往来する人は実に多い。外務省の「在留邦人総数推計」にはこうある。
<令和4年(2022年)10月1日現在の推計で、わが国の領土外に在留する邦人(日本人)の総数は130万8515人で、前年より3万6385人(2.7%)の減少となり、引き続き新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受けた結果となりました。成人数は105万5864人で、在留邦人全体の80.7%を占めます。
在留邦人のうち「長期滞在者」は75万1481人(5万5757人、6.9%の減少)で在留邦人全体の約57.4%を占め、「永住者」は55万7034人(1万9372人、3.6%の増加)となっています。アフガニスタン、イラク及びシリアについては、在留邦人の安全上の理由から邦人数等の公表を差し控えており、本推計には含まれていません。
2)地域別:「北米」が在留邦人全体の37.7%(49万3209人)を占め、昭和60年以降一貫して首位を維持しています。次いで「アジア」28.4%(37万1219人)、「西欧」16.3%(21万3370人)の順となっています。これら3地域で全体の82.4%を占めています。
3)国別:「米国」に在留邦人全体の32.0%(41万8842人)、「中国」に7.8%(10万2066人)がそれぞれ在留していて、両国で在留邦人の39.8%を占めています。
3位以降は、「オーストラリア」7.3%(9万4942人)、「タイ」6.0%(7万8431人)、「カナダ」5.7%(7万4362人)、「英国」5.0%(6万5023人)、「ブラジル」3.6%(4万7472人)、「ドイツ」3.2%(4万2266人)、「韓国」3.2%(4万1717人)、「フランス」2.8%(3万6104人)の順となっています。これら10か国で全体の約76.5%を占めます>
敵性国家の中共に10.2万の日本人が在留している(台湾在留日本人2万人を含むかどうかは不明)。カネのためなら社員に「習近平独裁の“中獄”勤務」の辞令を出すわけだ。まるで人質候補。「業務命令」を拒否すれば出世に支障をきたすから、女房子供、親兄弟姉妹と水盃を交わすのか。10.2万人の「人質候補」・・・
<習近平は2013年3月、第12期全人代第1回会議において国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した。
2014年1月に開催された党中央政治局会議において、中国共産党中央国家安全委員会の設置と習近平の同委員会主席就任が決定された。この組織は国家安全に関する党の政策決定と調整を行い、国内の治安対策も掌握する。そのため、同安全委員会は外交・安全保障・警察・情報部門を統合する巨大組織となり、同委員会主席を兼任した習近平に権力が一層集中することとなる>(WIKI)
習近平のための、習近平による、習近平の赤色独裁恐怖政治が始まったのだ。
当時の中国庶民は、「改革開放」をスローガンに資本主義経済化を進めたトウ小平路線を引き継いだ江沢民系の上海閥、胡錦涛系の共青団派という2大勢力の推薦によって党主席に昇った習近平を「習大大(オジサン)」「プーさん」と歓迎し、自由と経済がさらに進むと期待していたのだ。
国際社会も同様だった。NHK2020/9/2、佐橋亮・東京大学東洋文化研究所准教授「米中対立をどうみるべきか」(視点・論点)から。
<アメリカと中国の関係が構築されてからのこの40年、アメリカには中国が政治、経済において「改革」を進めていく、国際社会にも先進国とともに協力をしていくとの期待がありました。しかし、この10年ほどの間、中国は全く異なる方向に向かっているのではないか、そのような疑問がアメリカの政界、専門家の間で広がりました>
世界の覇者、米国は敏感に習近平・中共の危険性に気づき、警戒心を強めていったが、日本やEU諸国はWinWin思考で、ほとんどが「話せば分かる」式の脳内お花畑、要は交易重視のままだった。
<2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍晋三が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足した。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は日本国憲法下では安倍が初となる。
首相再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示した。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、アベノミクスと称される。「アベノミクス」は2013年新語・流行語大賞のトップテンに入賞し、安倍が受賞した>(WIKI)
今から振り返ればG7など政経で自由主義を基本とする国は習近平・共産主義独裁政権に甘かった、甘過ぎた、「世界革命を目指す危険な中共もやがては良い子になる、良きパートナーになる」と思っていた。ところが習近平は一歩一歩、着実に世界革命、世界制覇への極道を歩み始め、在中外国人は人質としての価値があるから収監されるケースが増えていった。狙われるのは進出企業やJICA海外協力隊(中国へは1986年から800名以上の協力隊員が派遣されたが2022年3月で終了、遅すぎ!)などの組織の人ではなく、無防備な個人が多いようだ。本物の諜報員なら大使館員や会社員を装うから手出しがしにくいのだろう。
中央公論編集部2022/12/23「鈴木英司:元日中青年交流協会理事長 日中友好の士が中国の獄中で過ごした6年」から。
<【逮捕前に7ヵ月の取り調べ】私の拘束生活は3段階でした。まず2016年7月15日に北京の空港で連行され、「居住監視」という名の下に7ヵ月間にわたって監禁され、北京市国家安全局から取り調べを受けました。17年2月16日に正式逮捕され、その後3年9ヵ月間は拘置所での生活。そして20年11月9日にスパイ罪で懲役6年の有罪判決が確定し、未決勾留日数を差し引いて今年(2022)10月11日に刑期満了となるまでの1年11ヵ月間を監獄(刑務所)で過ごしたのです。
なんと言っても辛かったのは、(2016年からの)最初の居住監視でした。あの日は北京市内で知人と食事をした後、帰国するためタクシーで北京首都国際空港に向かいました。国際線のある第3ターミナルで降りて歩き始めると、5人の男に取り囲まれました。「おまえは鈴木か」と聞かれて「そうだ」と答えると、いきなり停めてあった白い車の中に押し込まれました。男たちは「北京市国家安全局の職員」と言うだけで、身分証の提示を求めても応じません。抗議すると「スパイ容疑で拘束を許可する」と書かれた北京市国家安全局長名の書類を見せられました。
車内ではアイマスクで目隠しされ、携帯電話、腕時計などを取り上げられました。「日本大使館に連絡してほしい」と訴えても、「我々の仕事ではない」と聞き入れてくれません。1時間ほど走り、目隠しされたまま車から降ろされました。後でわかったことですが、北京市南部の豊台区にある市国家安全局の施設でした。エレベーターを降りると、体を何回かぐるぐると回転させられた後、部屋に入れられ、ベッドのような場所に座らされた後、ようやくアイマスクが外されました。
中国の一般的な宿泊施設「招待所」のツインルームのような一室で、腰掛けたベッドの先にはソファが置かれ、分厚いカーテンは閉め切ったままでした。そこが502号室で、廊下の斜め向かいの504号室で取り調べを受けました。男3人と通訳の女性が私の向かいに座っており、責任者とみられる40歳くらいの恰幅の良い男が、自分のことは「先生(老師)」と呼べとだけ言い、氏名は明かしませんでした。
502号室に戻ると、男2人がソファに座り、時々交代しながら24時間態勢で監視を続けます。私がベッドに腰掛けたまま食事するのも、寝るのも、黙って見ているのです。何が辛かったかと言えば、カーテンが閉め切られた室内では電灯以外の光が感じられないことと、まったく会話がないことでした。
時計も取り上げられ、筆記用具もなく、テレビも見られなければ本も読めない。そんな状態の中で続く取り調べでは毎回、最後に「次回はこれについて聞く」という「宿題」が出されました。ほかにやることもないので、「どう答えるべきか」ということばかりを考えてしまう。そして、誰ともしゃべらないので、続きの取り調べで言葉をかけられると、つい余計なことまでしゃべってしまうのです。
私は人の経歴や学歴をよく覚えている方です。もちろん自分や相手に不利になりそうな話は「覚えていない」と回答を避けますが、中国で付き合いのあった人について尋ねられると思わず「彼はどの大学を出た」などと話してしまう。すると「おまえは記憶力が良い。過去のことを覚えていないはずはない」と追及されることもありました。
うまいやり方だと思いました。こうして相手を極限の状態に追い込んで、思うままに供述させていくというノウハウなのでしょう。
居住監視が始まってから約1ヵ月後、どうしても太陽が見たくなって、「先生」に頼み込みました。その翌日、取り調べの際に廊下の窓から約1メートル離れたところに椅子が置かれ、座るよう促されました。窓越しに太陽が見えました。もう少し窓に近寄りたいと訴えましたが、それは許されませんでした。15分ほどが過ぎると、「終わりだ」と告げられました。居住監視下で太陽を目にしたのは、この1回きりだったのです。
居住監視下では弁護人を依頼することも許されませんでした。日本大使館に連絡を取るよう求め続け、拘束から5日後にようやく認められました。大使館員との「領事面会」は施設内の広い応接室のような場所で行われ、取調室にいた男たちがおり、ビデオカメラで撮影もされていた。「ここで面会するんですか」と尋ねると、「これが中国のやり方です」と大使館員は言う。話題が容疑内容に及ぶと、中国側の日本語のわかる男が「先生」に報告する。「そういう話はするな」と妨害され、「あと2回話題にしたら、今日の面会は中止にする」と警告されました。
【雑談が「機密情報」に】私が問われた「スパイ罪」とは何だったのでしょうか。手元に判決文があります。
それには私が2010年から2016年にかけ、中国政府に「スパイ機関」と認定されている日本のある政府機関の代理人の任務を受け、長期的に国家情報を収集、報告したという罪状が示されています。具体的には、元在日本中国大使館公使参事官の湯本淵氏と2013年12月4日に北京市のレストランで会食した際、中朝関係の情報を尋ね、それを日本政府機関に提供したとしています。
確かに、友人だった湯本淵氏にお粥を出す店でごちそうになりました。湯氏が自ら電話で席を予約してくれましたが、この時の会話が問題にされたのです。
会食の直前、北朝鮮の氏の叔父が処刑された疑いがあるというニュースが流れていました。「どうなんですか」と私が何の気なしに尋ねると、湯氏は「知りません」と答えました。
これが、重要度が高い順に「極秘」「機密」「秘密」「情報」の4段階に分類される中国の国家機密のうち、最も低い「情報」だと認定されたのです。取り調べでも「北朝鮮に関する敏感な話題であり、違法だ」と繰り返し指摘されました。しかし、そもそも湯氏は「知らない」と答えている。明らかなでっち上げです。
日本政府機関との付き合いがあったのは事実です。ただ、あくまで情報交換というレベルでした。「任務」というのであれば、報酬や経費などが支給されるはずですが、何ももらったことはありません。私は「スパイ行為」との指摘を否定し続けました。1審では、裁判長宛てに私の主張を訴える手紙を中国語で7通書きました。2審でも6通書きました。
ある日の取り調べで、取調官の一人が突然、「実は君と会ったことがある」と言い出しました。30歳前後の目のぎょろりとした浅黒い顔・・・。「あ!」と思わず声が出ました。2010年、日中友好事業の一環である植林活動のために訪問した遼寧省錦州市で、訪問団長だった私の荷物持ちをした人物でした。彼が「北京から来たボランティア」と自己紹介していたことも思い出しました。
取調官は長期にわたって私の行動を詳細に把握していました。何月何日何時の飛行機に乗ったとか、「山東省に3回も4回も行った」とか。とんでもないと思いました。
取り調べには抵抗を続けましたが、最終的に正式に逮捕されました。監禁場所は「招待所」から、政治犯やテロ容疑者向けとみられる同じ敷地内の拘置所に変わりました。その約3ヵ月後の2017年5月25日に起訴となります。容疑を認める供述調書を示され、「拒否はできない」と強要されて、やむを得ず署名しました。
領事面会は、施設内ではなく裁判所で行われるようになりました。ある日、裁判所へ向かう護送車に乗り込むと、すでに男が一人乗っている。新型コロナウイルス禍の最中で、その男がマスクを外し、私もマスクを外して見つめ合った瞬間、「湯先生!」「鈴木さん!」。ほぼ同時に叫んでいました。そう、あの湯本淵氏でした。それぞれ手錠のかけられた手を取り合い、「いつ来たんだ?」「囚人番号は何番だ?」。まるで映画のワンシーンのようでした。
裁判所では、我々はまるで動物の檻のような別々の待機スペースに座らされましたが、湯氏は持参していたビスケットを警官経由で私に届けさせ、「日本語で話しましょう」と囁きかけてきました。例の日本政府機関について「内部に相当なスパイがいます。大変なことです。日本に帰ったら必ず公表してください」と、声を潜めて訴えてきました。
実際、心当たりがありました。取り調べの際、日本政府機関の職員の顔写真付き身分証の写しを何枚も見せられ、「この人物は知っているか」と一人ひとり、確認を求められたのです。中国の当局があれだけの個人データをなぜ入手できているのか。日本政府機関の情報が筒抜けになっているとしか思えません。
湯氏が訴追されていたことは全く知りませんでした。判決文を見る限り、私を売るような供述はしていない。しかも、彼の訴追事案は私とは別件でした。ただ、彼は国家公務員であり、スパイとなれば死刑もあり得るかもしれない。中国で一番仲が良かった人でした。今もって悲しくなります。
判決文では、湯氏とともに、元在名古屋総領事館総領事の名も挙がっています。私のことを「いつも色々質問してくるため(日本政府機関の)協力者だと感じられた」と供述したそうです。この供述にも矛盾を感じます。そんなふうに警戒していたのなら、東京に出張で来るたび、私と閉店間際まで酒を酌み交わすでしょうか。私は彼の奥さんとも古い友人です>(続きは『中央公論』2023年1月号で)
この記事の中で「日本政府機関の情報が筒抜けになっている」とあるが、JICA海外協力隊なども含まれているだろう。日本はスパイ天国と言われてきたが、在日の中国人や朝鮮人は母国政府の監視下にあり、母国の命令に従う義務があるという。逆らえば同胞による制裁を受けるから従わざるを得ないのだ。
日本には常在戦場の中露北の敵性国民やその応援団のアカ&ピンクがウジャウジャいる。反日勢力が日本敗戦以来の80年ものさばっているという異常事態を終わらせるのは大変だが、諦めずに言論戦でシコシコ駆逐していく他はない。銭ゲバ的な宗教団体や“スポーツ命”的駅前大学への税金優遇策の撤廃、既得権益で潤う学術会議の解体的出直しなど、反発を恐れずに贅肉を落していくべきだ。
2023年も世界は波乱にとんだ1年になる。日本の課題は山積しているが、徴兵制や核シェルターについての議論も必要だろう。課題から逃げずに前進していこう。
・・・・・・・・・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【雀庵の「大戦序章」118/通算550 2022/12/31/土】カミサンが奄美大島へ帰省したから彼女の縄張りである2Fの家事・雑事あれこれが増えて結構忙しい。花卉の水遣り、正月のお飾りは大したことはないが、墓参り、40年近く愛用してきたソファーの修繕、金魚の水槽の掃除など、慣れないことをするから結構シンドイ。
加齢とともに脳ミソも体力も劣化するのは自然だが、小生は普通の人よりも劣化スピードが速いみたいだ。どうもこのところ思うように言葉が出てこないので来年の春までもたずに「絶筆」になるかも知れない。まあ、誰でも遅かれ早かれそうなるのが自然で、呆けが顕著になる前に書きたいことは書いておこうと思うのだが・・・
うっ? 今思い出したが、もしかしたら小生は持病の躁鬱病の「鬱期」に入ったのかも知れない。それなら1か月ほど死に神と対峙し、「中露北を潰すまで俺は死なんぜ」と思っていれば、いつものように死に神は去っていくだろう。そうだ、ただの「鬱」に違いない! なんとなく脳みそが晴れてきた。同志諸君、中露北とそのエピゴーネンを叩くべし! ♪いざ征け つわもの 日本男児!
で、いつもの舌戦というか罵倒だが、共産主義国など独裁国家では言論統制、政敵抹殺は「正義・正当」として常態化しており、国民の大多数は情報過疎どころか、ほとんど怪しい宗教団体の洗脳、マインドコントロール下にあるような状態だ。
その上に警察など治安部門の役人は、独裁者の想いを忖度して手柄を上げれば出世できるし、怪しそうな人物をそのままに放置しておくと失態を非難されかねないから積極的に摘発して犯罪者に仕立て上げたり、刑務所や強制収容所に送り込んだり、時には暗殺したりするのが常態化している。人質として収監されているケースもある。「邪魔者は殺せ!」、特にプーチン一家、習近平一家は暴力団そのものだ。
そうしたリスクを知ってか知らずか、ハイリスク=ハイリターンの餌に引かれてか、共産圏とWinWinする、商売する、滞在する、往来する人は実に多い。外務省の「在留邦人総数推計」にはこうある。
<令和4年(2022年)10月1日現在の推計で、わが国の領土外に在留する邦人(日本人)の総数は130万8515人で、前年より3万6385人(2.7%)の減少となり、引き続き新型コロナウイルスの世界的な感染拡大の影響を受けた結果となりました。成人数は105万5864人で、在留邦人全体の80.7%を占めます。
在留邦人のうち「長期滞在者」は75万1481人(5万5757人、6.9%の減少)で在留邦人全体の約57.4%を占め、「永住者」は55万7034人(1万9372人、3.6%の増加)となっています。アフガニスタン、イラク及びシリアについては、在留邦人の安全上の理由から邦人数等の公表を差し控えており、本推計には含まれていません。
2)地域別:「北米」が在留邦人全体の37.7%(49万3209人)を占め、昭和60年以降一貫して首位を維持しています。次いで「アジア」28.4%(37万1219人)、「西欧」16.3%(21万3370人)の順となっています。これら3地域で全体の82.4%を占めています。
3)国別:「米国」に在留邦人全体の32.0%(41万8842人)、「中国」に7.8%(10万2066人)がそれぞれ在留していて、両国で在留邦人の39.8%を占めています。
3位以降は、「オーストラリア」7.3%(9万4942人)、「タイ」6.0%(7万8431人)、「カナダ」5.7%(7万4362人)、「英国」5.0%(6万5023人)、「ブラジル」3.6%(4万7472人)、「ドイツ」3.2%(4万2266人)、「韓国」3.2%(4万1717人)、「フランス」2.8%(3万6104人)の順となっています。これら10か国で全体の約76.5%を占めます>
敵性国家の中共に10.2万の日本人が在留している(台湾在留日本人2万人を含むかどうかは不明)。カネのためなら社員に「習近平独裁の“中獄”勤務」の辞令を出すわけだ。まるで人質候補。「業務命令」を拒否すれば出世に支障をきたすから、女房子供、親兄弟姉妹と水盃を交わすのか。10.2万人の「人質候補」・・・
<習近平は2013年3月、第12期全人代第1回会議において国家主席・国家中央軍事委員会主席に選出され、党・国家・軍の三権を正式に掌握した。
2014年1月に開催された党中央政治局会議において、中国共産党中央国家安全委員会の設置と習近平の同委員会主席就任が決定された。この組織は国家安全に関する党の政策決定と調整を行い、国内の治安対策も掌握する。そのため、同安全委員会は外交・安全保障・警察・情報部門を統合する巨大組織となり、同委員会主席を兼任した習近平に権力が一層集中することとなる>(WIKI)
習近平のための、習近平による、習近平の赤色独裁恐怖政治が始まったのだ。
当時の中国庶民は、「改革開放」をスローガンに資本主義経済化を進めたトウ小平路線を引き継いだ江沢民系の上海閥、胡錦涛系の共青団派という2大勢力の推薦によって党主席に昇った習近平を「習大大(オジサン)」「プーさん」と歓迎し、自由と経済がさらに進むと期待していたのだ。
国際社会も同様だった。NHK2020/9/2、佐橋亮・東京大学東洋文化研究所准教授「米中対立をどうみるべきか」(視点・論点)から。
<アメリカと中国の関係が構築されてからのこの40年、アメリカには中国が政治、経済において「改革」を進めていく、国際社会にも先進国とともに協力をしていくとの期待がありました。しかし、この10年ほどの間、中国は全く異なる方向に向かっているのではないか、そのような疑問がアメリカの政界、専門家の間で広がりました>
世界の覇者、米国は敏感に習近平・中共の危険性に気づき、警戒心を強めていったが、日本やEU諸国はWinWin思考で、ほとんどが「話せば分かる」式の脳内お花畑、要は交易重視のままだった。
<2012年12月16日の第46回衆議院議員総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰。同年12月26日、安倍晋三が第96代内閣総理大臣に選出され、第2次安倍内閣が発足した。1度辞任した内閣総理大臣の再就任は日本国憲法下では安倍が初となる。
首相再登板後は、デフレ経済を克服するためにインフレターゲットを設定した上で、日本銀行法改正も視野に入れた大胆な金融緩和措置を講じ、多年に渡って続くデフレからの脱却に強い意欲を示した。大胆な金融緩和、機動的な財政出動、民間投資を喚起する成長戦略を三本の矢と称した一連の経済対策は、アベノミクスと称される。「アベノミクス」は2013年新語・流行語大賞のトップテンに入賞し、安倍が受賞した>(WIKI)
今から振り返ればG7など政経で自由主義を基本とする国は習近平・共産主義独裁政権に甘かった、甘過ぎた、「世界革命を目指す危険な中共もやがては良い子になる、良きパートナーになる」と思っていた。ところが習近平は一歩一歩、着実に世界革命、世界制覇への極道を歩み始め、在中外国人は人質としての価値があるから収監されるケースが増えていった。狙われるのは進出企業やJICA海外協力隊(中国へは1986年から800名以上の協力隊員が派遣されたが2022年3月で終了、遅すぎ!)などの組織の人ではなく、無防備な個人が多いようだ。本物の諜報員なら大使館員や会社員を装うから手出しがしにくいのだろう。
中央公論編集部2022/12/23「鈴木英司:元日中青年交流協会理事長 日中友好の士が中国の獄中で過ごした6年」から。
<【逮捕前に7ヵ月の取り調べ】私の拘束生活は3段階でした。まず2016年7月15日に北京の空港で連行され、「居住監視」という名の下に7ヵ月間にわたって監禁され、北京市国家安全局から取り調べを受けました。17年2月16日に正式逮捕され、その後3年9ヵ月間は拘置所での生活。そして20年11月9日にスパイ罪で懲役6年の有罪判決が確定し、未決勾留日数を差し引いて今年(2022)10月11日に刑期満了となるまでの1年11ヵ月間を監獄(刑務所)で過ごしたのです。
なんと言っても辛かったのは、(2016年からの)最初の居住監視でした。あの日は北京市内で知人と食事をした後、帰国するためタクシーで北京首都国際空港に向かいました。国際線のある第3ターミナルで降りて歩き始めると、5人の男に取り囲まれました。「おまえは鈴木か」と聞かれて「そうだ」と答えると、いきなり停めてあった白い車の中に押し込まれました。男たちは「北京市国家安全局の職員」と言うだけで、身分証の提示を求めても応じません。抗議すると「スパイ容疑で拘束を許可する」と書かれた北京市国家安全局長名の書類を見せられました。
車内ではアイマスクで目隠しされ、携帯電話、腕時計などを取り上げられました。「日本大使館に連絡してほしい」と訴えても、「我々の仕事ではない」と聞き入れてくれません。1時間ほど走り、目隠しされたまま車から降ろされました。後でわかったことですが、北京市南部の豊台区にある市国家安全局の施設でした。エレベーターを降りると、体を何回かぐるぐると回転させられた後、部屋に入れられ、ベッドのような場所に座らされた後、ようやくアイマスクが外されました。
中国の一般的な宿泊施設「招待所」のツインルームのような一室で、腰掛けたベッドの先にはソファが置かれ、分厚いカーテンは閉め切ったままでした。そこが502号室で、廊下の斜め向かいの504号室で取り調べを受けました。男3人と通訳の女性が私の向かいに座っており、責任者とみられる40歳くらいの恰幅の良い男が、自分のことは「先生(老師)」と呼べとだけ言い、氏名は明かしませんでした。
502号室に戻ると、男2人がソファに座り、時々交代しながら24時間態勢で監視を続けます。私がベッドに腰掛けたまま食事するのも、寝るのも、黙って見ているのです。何が辛かったかと言えば、カーテンが閉め切られた室内では電灯以外の光が感じられないことと、まったく会話がないことでした。
時計も取り上げられ、筆記用具もなく、テレビも見られなければ本も読めない。そんな状態の中で続く取り調べでは毎回、最後に「次回はこれについて聞く」という「宿題」が出されました。ほかにやることもないので、「どう答えるべきか」ということばかりを考えてしまう。そして、誰ともしゃべらないので、続きの取り調べで言葉をかけられると、つい余計なことまでしゃべってしまうのです。
私は人の経歴や学歴をよく覚えている方です。もちろん自分や相手に不利になりそうな話は「覚えていない」と回答を避けますが、中国で付き合いのあった人について尋ねられると思わず「彼はどの大学を出た」などと話してしまう。すると「おまえは記憶力が良い。過去のことを覚えていないはずはない」と追及されることもありました。
うまいやり方だと思いました。こうして相手を極限の状態に追い込んで、思うままに供述させていくというノウハウなのでしょう。
居住監視が始まってから約1ヵ月後、どうしても太陽が見たくなって、「先生」に頼み込みました。その翌日、取り調べの際に廊下の窓から約1メートル離れたところに椅子が置かれ、座るよう促されました。窓越しに太陽が見えました。もう少し窓に近寄りたいと訴えましたが、それは許されませんでした。15分ほどが過ぎると、「終わりだ」と告げられました。居住監視下で太陽を目にしたのは、この1回きりだったのです。
居住監視下では弁護人を依頼することも許されませんでした。日本大使館に連絡を取るよう求め続け、拘束から5日後にようやく認められました。大使館員との「領事面会」は施設内の広い応接室のような場所で行われ、取調室にいた男たちがおり、ビデオカメラで撮影もされていた。「ここで面会するんですか」と尋ねると、「これが中国のやり方です」と大使館員は言う。話題が容疑内容に及ぶと、中国側の日本語のわかる男が「先生」に報告する。「そういう話はするな」と妨害され、「あと2回話題にしたら、今日の面会は中止にする」と警告されました。
【雑談が「機密情報」に】私が問われた「スパイ罪」とは何だったのでしょうか。手元に判決文があります。
それには私が2010年から2016年にかけ、中国政府に「スパイ機関」と認定されている日本のある政府機関の代理人の任務を受け、長期的に国家情報を収集、報告したという罪状が示されています。具体的には、元在日本中国大使館公使参事官の湯本淵氏と2013年12月4日に北京市のレストランで会食した際、中朝関係の情報を尋ね、それを日本政府機関に提供したとしています。
確かに、友人だった湯本淵氏にお粥を出す店でごちそうになりました。湯氏が自ら電話で席を予約してくれましたが、この時の会話が問題にされたのです。
会食の直前、北朝鮮の氏の叔父が処刑された疑いがあるというニュースが流れていました。「どうなんですか」と私が何の気なしに尋ねると、湯氏は「知りません」と答えました。
これが、重要度が高い順に「極秘」「機密」「秘密」「情報」の4段階に分類される中国の国家機密のうち、最も低い「情報」だと認定されたのです。取り調べでも「北朝鮮に関する敏感な話題であり、違法だ」と繰り返し指摘されました。しかし、そもそも湯氏は「知らない」と答えている。明らかなでっち上げです。
日本政府機関との付き合いがあったのは事実です。ただ、あくまで情報交換というレベルでした。「任務」というのであれば、報酬や経費などが支給されるはずですが、何ももらったことはありません。私は「スパイ行為」との指摘を否定し続けました。1審では、裁判長宛てに私の主張を訴える手紙を中国語で7通書きました。2審でも6通書きました。
ある日の取り調べで、取調官の一人が突然、「実は君と会ったことがある」と言い出しました。30歳前後の目のぎょろりとした浅黒い顔・・・。「あ!」と思わず声が出ました。2010年、日中友好事業の一環である植林活動のために訪問した遼寧省錦州市で、訪問団長だった私の荷物持ちをした人物でした。彼が「北京から来たボランティア」と自己紹介していたことも思い出しました。
取調官は長期にわたって私の行動を詳細に把握していました。何月何日何時の飛行機に乗ったとか、「山東省に3回も4回も行った」とか。とんでもないと思いました。
取り調べには抵抗を続けましたが、最終的に正式に逮捕されました。監禁場所は「招待所」から、政治犯やテロ容疑者向けとみられる同じ敷地内の拘置所に変わりました。その約3ヵ月後の2017年5月25日に起訴となります。容疑を認める供述調書を示され、「拒否はできない」と強要されて、やむを得ず署名しました。
領事面会は、施設内ではなく裁判所で行われるようになりました。ある日、裁判所へ向かう護送車に乗り込むと、すでに男が一人乗っている。新型コロナウイルス禍の最中で、その男がマスクを外し、私もマスクを外して見つめ合った瞬間、「湯先生!」「鈴木さん!」。ほぼ同時に叫んでいました。そう、あの湯本淵氏でした。それぞれ手錠のかけられた手を取り合い、「いつ来たんだ?」「囚人番号は何番だ?」。まるで映画のワンシーンのようでした。
裁判所では、我々はまるで動物の檻のような別々の待機スペースに座らされましたが、湯氏は持参していたビスケットを警官経由で私に届けさせ、「日本語で話しましょう」と囁きかけてきました。例の日本政府機関について「内部に相当なスパイがいます。大変なことです。日本に帰ったら必ず公表してください」と、声を潜めて訴えてきました。
実際、心当たりがありました。取り調べの際、日本政府機関の職員の顔写真付き身分証の写しを何枚も見せられ、「この人物は知っているか」と一人ひとり、確認を求められたのです。中国の当局があれだけの個人データをなぜ入手できているのか。日本政府機関の情報が筒抜けになっているとしか思えません。
湯氏が訴追されていたことは全く知りませんでした。判決文を見る限り、私を売るような供述はしていない。しかも、彼の訴追事案は私とは別件でした。ただ、彼は国家公務員であり、スパイとなれば死刑もあり得るかもしれない。中国で一番仲が良かった人でした。今もって悲しくなります。
判決文では、湯氏とともに、元在名古屋総領事館総領事の名も挙がっています。私のことを「いつも色々質問してくるため(日本政府機関の)協力者だと感じられた」と供述したそうです。この供述にも矛盾を感じます。そんなふうに警戒していたのなら、東京に出張で来るたび、私と閉店間際まで酒を酌み交わすでしょうか。私は彼の奥さんとも古い友人です>(続きは『中央公論』2023年1月号で)
この記事の中で「日本政府機関の情報が筒抜けになっている」とあるが、JICA海外協力隊なども含まれているだろう。日本はスパイ天国と言われてきたが、在日の中国人や朝鮮人は母国政府の監視下にあり、母国の命令に従う義務があるという。逆らえば同胞による制裁を受けるから従わざるを得ないのだ。
日本には常在戦場の中露北の敵性国民やその応援団のアカ&ピンクがウジャウジャいる。反日勢力が日本敗戦以来の80年ものさばっているという異常事態を終わらせるのは大変だが、諦めずに言論戦でシコシコ駆逐していく他はない。銭ゲバ的な宗教団体や“スポーツ命”的駅前大学への税金優遇策の撤廃、既得権益で潤う学術会議の解体的出直しなど、反発を恐れずに贅肉を落していくべきだ。
2023年も世界は波乱にとんだ1年になる。日本の課題は山積しているが、徴兵制や核シェルターについての議論も必要だろう。課題から逃げずに前進していこう。
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