時代錯誤の宗教戦争
“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」234/通算670 2023(令和5)年11/1/水】4年間使っていたPC(DELL)が10/29、画面半分が真っ赤になって使い物にならなくなった。次女に見てもらったが「もう寿命、お陀仏」ということで、大手電機ショップで新しいPCを購入した。使い慣れているから同じくDELLの最新版。○○保証とか何だかんだで15万円くらいかなあと思っていたら11万円で済んだ。
「天は我を見捨てず、安いのはありがたい!」・・・とカミサンに委細を話したら、その店には次女の友達がいて「縁故割引」が効くのだという。会社としてそれを奨励しているのはリピーターを確保するためだろう。リピーターをいっぱい持っている従業員を育てる・・・客、店員、会社の3者がWinWin というわけだ。
いやはや、ビジネスは大変だ。小生にはそういうガッツや上昇志向、チャレンジ精神がどんどん消えていくようで、何となく寂しい感じするが・・・加齢による「もう寿命、お陀仏、あの世行き」のシグナル? or 持病の鬱がまた始まったか?
旧PCは動作が遅くて往生したが、ま、それも加齢といえば加齢だな。この4年でネット技術はソフトもハードも日進月歩。マスコミ系のサイトでも動画やCFが盛り沢山だからPCの製品寿命も短くなるばかりではないか。
パソコンの法定耐用年数は、国税庁の「主な減価償却資産の耐用年数表」によると4~5年だという。このままPCの機能が拡大=情報量が急増していくと3~4年でガタが来るのではないか。カミサンも「スマホの容量が限界にきているので、せっかく撮った写真を捨てざるを得ない」と嘆いていた。「便利になるというのは、裏面では何かを失う」ことなのかもしれない。芥川龍之介の言う「漠然とした不安」? 嫌な予感はよく当たるとか・・・
とにもかくにも自由民主人権法治を敵視する中露やハマスの狂気的独裁者を殲滅するまではPCも小生も踏ん張っていくしかない、という気分。命知らずの万国のヂヂイ、団結せよ! 致知出版社「人間力メルマガ」2023/10/31の中西輝政氏の論稿「かつてない変調に直面する中国経済」から引用する。中西先生、ますます意気軒高! 見習うべし。
<[前文:2023年後半のキーワード、それは国際社会の「想定外」の動きである──ここにきて激烈とも言うべき中国の変調が明らかになってきました。とりわけ国内経済の落ち込みは、打開のメドさえ立たないと評されるほど深刻です。日本は今後、起こり得る「想定外」の事態に向けて、どう備えればよいのか。国際政治に通暁する京都大学名誉教授の中西輝政さんにお聞きしました]
(本文)いま中国で起きている「かつてない変調」は安全保障以上に、経済や市場においてとりわけ顕著です。中国は昨年11月、ゼロコロナ政策を全廃し経済活動を正常化しようとしました。そこで当時、中国経済の「V字回復」が期待されましたが、今夏発表された経済指標は予想以上に落ち込んでいました。4月から6月までの第2四半期で見ると、前年同期比6.3%の成長率に留まっています。
一見、悪くない数字に思えますが、前年の同期、上海をはじめ各地でロックダウンが相次いでいたことを思うと、むしろマイナス成長に近い数字なのです。ちなみに1月~3月と比べると0.8%という、より厳しい数字となっています。
世界中がインフレ局面に入ったのに、中国だけはかつてないデフレに陥っており、平成の日本と同じ回路に入ったようです。少なくともここまでの低成長率は近年なかった現象です。
驚くのは、輸出の著しい零落です。特にこの6月は前年同期比12.6%のマイナス。昨年はロックダウンもあって輸出が極端に少なかったことを考え合わせると、これはまさに異常ともいえる落ち込みであることが誰の目にも明らかです。
若者(16~24歳)の失業率に目を移すと20%を超えています。中国政府はこの数字に職を求めていない人、一か月の間に一時間でも働いたことのある人、さらに大都会で失業し農村に戻った農民工と呼ばれる人は失業者としてカウントしていませんから、その数はさらに膨れ上がります。
北京大学の研究者が40%を超えるのでは、という試算をしており、その数字の信憑性はともかく事態が深刻さを増していることは明らかです。直近の統計ですでに国内の400万社が倒産したとのデータも発表されており、そうなるともうこれは若者に限った問題ではありません。
これらの数字を見たチャイナ・ウォッチャーたちは一斉に声を上げ始めました。『産経新聞』の中国経済のウォッチャーとして知られる田村秀男氏は7月25日付のコラム「田村秀男の経済正解」の中で「中国経済がデフレの泥沼に入り込んだ。打開のメドは立たない。産業界はこの際、覚悟して脱中国に本腰を入れるべきだ」と厳しい論調で日本の産業界に警鐘を鳴らしています。ここから伝わってくるのはこれまでにない危機感と、驚くべき想定外の出来事が迫りつつあるという事実です。
また、ノーベル経済学賞受賞者でアメリカの有名な経済学者ポール・クルーグマン氏は、7月25日の『ニューヨーク・タイムズ』で「中国経済が明白に失速し始めた。バブル崩壊後に日本が辿ったような道を辿るのではないかという見通しをする人があるが、中国の急激なデフレはそんなものではない。日本の失われた20年を数倍深刻にした悪夢のような状態に陥るのは誰の目にも明らかだ」と言い切っています。
クルーグマン氏はどちらかと言えば、やや過剰な表現をしがちな論者ですが、決して中国に厳しい見方をする人ではありません。それでもこれはいささか踏み込んだ表現で、少々割り引いて読む必要はあるとしても、『ニューヨーク・タイムズ』がここまで明言させていることの重みを感じずにはおれません・・・
★この続きは「中国は沖縄に触手を伸ばしつつある」「失われた20年を数倍深刻にした悪夢」「悲鳴を上げる中国の地方行政」「変化を掴む3つのポイント」。致知出版社の本誌2023年10月号でどうぞ>(以上)
そう言えばこのところ小生は書籍、雑誌を買わなくなった。買うと1回読み、2回目はざっくり読む。その後は「そう言えば・・・」と思い出したように必要な個所を読むから、まあ3回は読む。さらにその後に折に触れて読むから5回以上読む本も結構ある。そういう具合で、また「どんな本でも編集者は必死に取り組んでいる」ことを知っているから本を捨てる習慣はない。結果的に本棚は溜まる一方で、今やほとんど収納するスペースがない。結果的に本を買うのは年に数冊になってしまった。出版社には申し訳ないが、老人にはその手の人が多いのではないか。
本来は若い人がどんどん買えばいいのだが、ネットやスマホで用を足す人が多そうだから、もともと売れない良書はますます売れなくなる。逆に言えば多くの良書を買って座右の書として読む人は少数派で、そういう人は一種の哲学者になる可能性は高い。政治・経済・社会のリーダーは大昔から一種の哲学者(人間研究者)ではなかったか。
明治以降の代表的ベストセラーで今でも読まれているのは福翁/福沢諭吉の「学問のすゝめ」だけである。単純に言えば、「巷間でもてはやされるウン十万部とか100万部超などのベストセラーのほとんどは一時期話題になるだけでお仕舞い」になる。「娯楽としての読書」でいいという人がほとんどだから、そういうことになるのだが、多分オツムの肥やしにはなりそうもない。ベストセラーは一回読んだらそれでお仕舞いという本がほとんで、座右の書とはまずならないのではないか。
「学問・哲学としての読書」をする人は読書人の1割にも満たないだろうが、国家のいろいろな分野でリーダーになる人は書物や経験、学習を通して一種の哲学者になった人が多いのではないか。尊敬できる師に出会い、薫陶を授かり、並行して古今東西の名著で学ぶ――そういう経験を重ねた読書人、学者、とりわけ哲学者が国家、世界を導くべきだと小生は思っている。まあ、理想と現実は違うだろうが、そういうリーダーは危機の時代になると出てくるのかもしれない。
産経2023/10/30 神谷万丈(かみや またけ)防衛大学校教授の論稿「正論:露に漁夫の利与えぬ『軍事力』観」は、さすがプロ、戦争哲学者の研究結果のようで実に説得力があった。以下転載する。
<最近、ロシア専門家から、ハマスとイスラエルの軍事的な応酬が始まってからのプーチン露大統領には、いくらか余裕の表情のようなものが窺えるとの指摘を聞く。世界の目がパレスチナに向けばウクライナへの関心が相対的に低下し、日米欧などの自由民主主義諸国を中心とする国際的なウクライナ支援も低下することになろう。
【中東に目向き露は安堵?】そしてパレスチナへの同情が高まれば、ウクライナでの戦争の行方に大きな影響を与えるとみられるグローバルサウスが西側と離れ、ロシアに引き寄せやすくなる。彼はそのようにみて、今回の出来事がウクライナ侵攻に関するロシアの国際的立場の改善をもたらすと考えているというのだ。
日本国内の一部に、軍事力はやはり危険なものだから使うべきではないとか、平和は軍事力では達成されないのではないか、といった見方が出てきているようにみえることも気がかりだ。ハマスとイスラエルの衝突が始まってから、何度かそうした質問を受けた。
そのような考え方が広がれば、ウクライナのロシアへの軍事的抵抗に対する支援へのためらいにつながりかねない。ロシアのウクライナ侵略に対する国際的批判を主導してきた日本の支援の切先が鈍るようなことがあればウクライナにとって打撃で、プーチン氏をさらに利することになってしまう。
今回のイスラエルとパレスチナでの悲劇から、ロシアが漁夫の利を得るようなことはあってはならぬ。そうした事態を防ぐために日本人に求められるのは、平和にとって危険だが必要だという軍事力の二面性を見つめ直すことだ。
軍事力は確かに危険だ。ロシアのウクライナ侵略や今回のハマスのイスラエル攻撃にみられるように、それは平和を破壊する道具となる。またそれは人を殺傷し物を破壊するものであるため、イスラエルのハマスへの報復のように、平和のための行使であっても小さからぬ犠牲を伴うこともある。
【イスラエルとロシアの違い】だがそうではあっても、軍事力なくしては平和を築き、守ることができないのが現実だ。ウクライナ人が大国ロシアの侵略を受けつつも、独立を維持しウクライナ人であり続けることができているのは、軍事力による必死の抵抗があったればこそだ。かつて、欧米諸国がヒトラーの暴虐を撃退できたのも、戦争を戦い勝利したからで、非軍事的な話し合いの結果ではなかった。われわれは、軍事力の行使には慎重であるべきだが、平和のために必要な場合には、それを使う勇気も持たなければならないのだ。
ロシアのウクライナ侵略とイスラエルのハマスへの報復を同列にみて、西側が前者を厳しく糾弾するのに後者は批判しないのはダブルスタンダードだと言う向きがあるが、妥当ではない。ロシアが何も悪いことをしていないウクライナに対して暴力による征服を企(たくら)んだのに対し、後者の場合には、突如暴力の行使に出たのはハマスであり、イスラエルはそれに対抗するために、少なくとも当初はやむを得ず応戦したものだからだ。
テロ集団に対する自衛の意図から武力を用いたイスラエルを、利己的な国益追求のために武力行使をためらわなかったロシアと同じように批判することはできない。
【平和のための軍事力の役割】ただし、イスラエルの行動にも問題はある。現在、ハマスが支配するガザ地区への地上侵攻がいつなのかが焦点となっているが、これまでの空爆だけでも既に数千人ものパレスチナ人が命を奪われ、多くは一般市民だからだ。平和のためには軍事力にどうしても頼らなければならないときがある。軍事力を使って巻き添えを全く出すなというのは無理な話だろう。
その場合でも無辜の民の犠牲を最小限にとどめようとする自制が不可欠だ。イスラエルにはハマスに対する怒りが強いあまり、そうした自制が十分ではないことは批判されなければなるまい。このままではイスラエルのハマス掃討の巻き添えとなったハマスとは無関係のパレスチナ人が、イスラエルに対する平和のための武力報復を志すことにもなりかねない。
だがそれは、平和のための軍事力の役割を否定すべきだということではない。ハマスやロシアが行っているような武力による平和破壊に対する武力による対応を全面的に拒否する姿勢は、そうした勢力を利するだけだ。
今日本人に求められているのは、ガザ地区の一般市民に深い同情を寄せつつも、平和のためには軍事力が必要だという現実から目をそらさないという勇気だ。
ウクライナは、今もロシアの侵略と戦っている。中東情勢に心を奪われてそれを忘れてはならぬ。この戦いの帰趨は、ウクライナの平和のみならず、ルールを基盤とする世界の秩序を大きく左右し、日本の平和にも大きな影響を与える。日本は、平和のためのウクライナ人の戦いへの支援の手を緩めるべきではない。繰り返しになるが、プーチン氏に中東情勢から漁夫の利を得させてはならないのだ>(以上)
文中の「無辜の民の犠牲を最小限にとどめようとする自制が不可欠」・・・「無辜の民」っているのか? 大昔から国民、部族民、男子は徴兵の義務があった。「我にも正義、彼にも正義、戦争は正義と正義のぶつかり合い」だと小生は定義している。そして勝者が「正義」となり、それを「歴史」「正史」とする。いずこの国もそんなものだ。
で、敗者はどうするのか。屈服して勝者の子分とか属国になるのが一般的だが、「栄枯盛衰、世の習い、奢れるもの久しからず、勝者必滅の理、チャンスが来たら絶対独立する!」という気概を持った民族、部族は紀元前の大昔から少なくないのである。幼い「無辜の民」も長じれば兄や父親同様に「臥薪嘗胆、独立を!」となるのが普通である。ウクライナは300年間もロシアに支配され、ソ連崩壊でようやく独立できたのに今またプーチン・ロシアに襲われている。
食うか、食われるか、殺すか、殺されるか・・・戦争の現実はエゲツナイ。第一、「この人は無辜の民だから殺傷してはいけません」などと戦場でチェックなんぞできるわけがない。チェックしている間に爆弾が飛んでくるだろう。自爆テロというのもある。
この頃小生は「人道」という言葉にウンザリするようになった。リベラル≒アカが好んで使う言葉だ。<「人道」とは(1)人として守り行うべき道。例:「人道にもとる行為」「人道上の問題」。(2)人が通るよう定められた道。例:歩道。[類語] 道義・正義・人倫・大道・義・仁義・道徳・倫理・徳義・世道・公道・公徳・規範・大義・徳>(goo辞書)
人道危機だ!、人道支援を!、戦争の人道中断を!・・・結局は「とにもかくにも、まずは停戦を」と胡散臭いリベラル≒アカの“人道識者”は唱える。人道識者1万人ほどが手をつないで最前線へ行き「STOP WAR!」とか叫んだらいいのに、自分は安全地帯から煽るだけ。口先だけは達者な口舌の徒、人間としての堕落だ。
西暦135年以来、イスラエルのユダヤ人は2000年近く「亡国の民」だったが、1948年5月14日に国家再興の独立宣言をするや、イスラム教のアラブ諸国の反発を買って、なんと翌日には第一次中東戦争が勃発。1956年にはスエズ運河をめぐって第二次中東戦争、1967年には第三次中東戦争、1973年に第四次中東戦争・・・そして2023年10月7日の「パレスチナ・イスラエル戦争」へ。国家再興後の75年間で5回の戦争・・・
一神教の元祖はユダヤ教、そこからキリスト教とイスラム教が生まれたのに「我こそ正義」と戦争ばかりしている。まるで邪教だ。キリスト教は宗教改革でカトリックとプロテスタントに分裂し、多少は“現代化”が進んだようだが、ユダヤ教とイスラム教はガチガチのままのよう。「パレスチナ・イスラエル戦争」後にはそれぞれ宗教を見直し、政教分離が進むことを期待したい。信者優遇の「縁故割引」みたいな政治は時代錯誤ではないのか。自浄できなければ亡国は避けられまい。
・・・・・・・
*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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“シーチン”修一
【雀庵の「大戦序章」234/通算670 2023(令和5)年11/1/水】4年間使っていたPC(DELL)が10/29、画面半分が真っ赤になって使い物にならなくなった。次女に見てもらったが「もう寿命、お陀仏」ということで、大手電機ショップで新しいPCを購入した。使い慣れているから同じくDELLの最新版。○○保証とか何だかんだで15万円くらいかなあと思っていたら11万円で済んだ。
「天は我を見捨てず、安いのはありがたい!」・・・とカミサンに委細を話したら、その店には次女の友達がいて「縁故割引」が効くのだという。会社としてそれを奨励しているのはリピーターを確保するためだろう。リピーターをいっぱい持っている従業員を育てる・・・客、店員、会社の3者がWinWin というわけだ。
いやはや、ビジネスは大変だ。小生にはそういうガッツや上昇志向、チャレンジ精神がどんどん消えていくようで、何となく寂しい感じするが・・・加齢による「もう寿命、お陀仏、あの世行き」のシグナル? or 持病の鬱がまた始まったか?
旧PCは動作が遅くて往生したが、ま、それも加齢といえば加齢だな。この4年でネット技術はソフトもハードも日進月歩。マスコミ系のサイトでも動画やCFが盛り沢山だからPCの製品寿命も短くなるばかりではないか。
パソコンの法定耐用年数は、国税庁の「主な減価償却資産の耐用年数表」によると4~5年だという。このままPCの機能が拡大=情報量が急増していくと3~4年でガタが来るのではないか。カミサンも「スマホの容量が限界にきているので、せっかく撮った写真を捨てざるを得ない」と嘆いていた。「便利になるというのは、裏面では何かを失う」ことなのかもしれない。芥川龍之介の言う「漠然とした不安」? 嫌な予感はよく当たるとか・・・
とにもかくにも自由民主人権法治を敵視する中露やハマスの狂気的独裁者を殲滅するまではPCも小生も踏ん張っていくしかない、という気分。命知らずの万国のヂヂイ、団結せよ! 致知出版社「人間力メルマガ」2023/10/31の中西輝政氏の論稿「かつてない変調に直面する中国経済」から引用する。中西先生、ますます意気軒高! 見習うべし。
<[前文:2023年後半のキーワード、それは国際社会の「想定外」の動きである──ここにきて激烈とも言うべき中国の変調が明らかになってきました。とりわけ国内経済の落ち込みは、打開のメドさえ立たないと評されるほど深刻です。日本は今後、起こり得る「想定外」の事態に向けて、どう備えればよいのか。国際政治に通暁する京都大学名誉教授の中西輝政さんにお聞きしました]
(本文)いま中国で起きている「かつてない変調」は安全保障以上に、経済や市場においてとりわけ顕著です。中国は昨年11月、ゼロコロナ政策を全廃し経済活動を正常化しようとしました。そこで当時、中国経済の「V字回復」が期待されましたが、今夏発表された経済指標は予想以上に落ち込んでいました。4月から6月までの第2四半期で見ると、前年同期比6.3%の成長率に留まっています。
一見、悪くない数字に思えますが、前年の同期、上海をはじめ各地でロックダウンが相次いでいたことを思うと、むしろマイナス成長に近い数字なのです。ちなみに1月~3月と比べると0.8%という、より厳しい数字となっています。
世界中がインフレ局面に入ったのに、中国だけはかつてないデフレに陥っており、平成の日本と同じ回路に入ったようです。少なくともここまでの低成長率は近年なかった現象です。
驚くのは、輸出の著しい零落です。特にこの6月は前年同期比12.6%のマイナス。昨年はロックダウンもあって輸出が極端に少なかったことを考え合わせると、これはまさに異常ともいえる落ち込みであることが誰の目にも明らかです。
若者(16~24歳)の失業率に目を移すと20%を超えています。中国政府はこの数字に職を求めていない人、一か月の間に一時間でも働いたことのある人、さらに大都会で失業し農村に戻った農民工と呼ばれる人は失業者としてカウントしていませんから、その数はさらに膨れ上がります。
北京大学の研究者が40%を超えるのでは、という試算をしており、その数字の信憑性はともかく事態が深刻さを増していることは明らかです。直近の統計ですでに国内の400万社が倒産したとのデータも発表されており、そうなるともうこれは若者に限った問題ではありません。
これらの数字を見たチャイナ・ウォッチャーたちは一斉に声を上げ始めました。『産経新聞』の中国経済のウォッチャーとして知られる田村秀男氏は7月25日付のコラム「田村秀男の経済正解」の中で「中国経済がデフレの泥沼に入り込んだ。打開のメドは立たない。産業界はこの際、覚悟して脱中国に本腰を入れるべきだ」と厳しい論調で日本の産業界に警鐘を鳴らしています。ここから伝わってくるのはこれまでにない危機感と、驚くべき想定外の出来事が迫りつつあるという事実です。
また、ノーベル経済学賞受賞者でアメリカの有名な経済学者ポール・クルーグマン氏は、7月25日の『ニューヨーク・タイムズ』で「中国経済が明白に失速し始めた。バブル崩壊後に日本が辿ったような道を辿るのではないかという見通しをする人があるが、中国の急激なデフレはそんなものではない。日本の失われた20年を数倍深刻にした悪夢のような状態に陥るのは誰の目にも明らかだ」と言い切っています。
クルーグマン氏はどちらかと言えば、やや過剰な表現をしがちな論者ですが、決して中国に厳しい見方をする人ではありません。それでもこれはいささか踏み込んだ表現で、少々割り引いて読む必要はあるとしても、『ニューヨーク・タイムズ』がここまで明言させていることの重みを感じずにはおれません・・・
★この続きは「中国は沖縄に触手を伸ばしつつある」「失われた20年を数倍深刻にした悪夢」「悲鳴を上げる中国の地方行政」「変化を掴む3つのポイント」。致知出版社の本誌2023年10月号でどうぞ>(以上)
そう言えばこのところ小生は書籍、雑誌を買わなくなった。買うと1回読み、2回目はざっくり読む。その後は「そう言えば・・・」と思い出したように必要な個所を読むから、まあ3回は読む。さらにその後に折に触れて読むから5回以上読む本も結構ある。そういう具合で、また「どんな本でも編集者は必死に取り組んでいる」ことを知っているから本を捨てる習慣はない。結果的に本棚は溜まる一方で、今やほとんど収納するスペースがない。結果的に本を買うのは年に数冊になってしまった。出版社には申し訳ないが、老人にはその手の人が多いのではないか。
本来は若い人がどんどん買えばいいのだが、ネットやスマホで用を足す人が多そうだから、もともと売れない良書はますます売れなくなる。逆に言えば多くの良書を買って座右の書として読む人は少数派で、そういう人は一種の哲学者になる可能性は高い。政治・経済・社会のリーダーは大昔から一種の哲学者(人間研究者)ではなかったか。
明治以降の代表的ベストセラーで今でも読まれているのは福翁/福沢諭吉の「学問のすゝめ」だけである。単純に言えば、「巷間でもてはやされるウン十万部とか100万部超などのベストセラーのほとんどは一時期話題になるだけでお仕舞い」になる。「娯楽としての読書」でいいという人がほとんどだから、そういうことになるのだが、多分オツムの肥やしにはなりそうもない。ベストセラーは一回読んだらそれでお仕舞いという本がほとんで、座右の書とはまずならないのではないか。
「学問・哲学としての読書」をする人は読書人の1割にも満たないだろうが、国家のいろいろな分野でリーダーになる人は書物や経験、学習を通して一種の哲学者になった人が多いのではないか。尊敬できる師に出会い、薫陶を授かり、並行して古今東西の名著で学ぶ――そういう経験を重ねた読書人、学者、とりわけ哲学者が国家、世界を導くべきだと小生は思っている。まあ、理想と現実は違うだろうが、そういうリーダーは危機の時代になると出てくるのかもしれない。
産経2023/10/30 神谷万丈(かみや またけ)防衛大学校教授の論稿「正論:露に漁夫の利与えぬ『軍事力』観」は、さすがプロ、戦争哲学者の研究結果のようで実に説得力があった。以下転載する。
<最近、ロシア専門家から、ハマスとイスラエルの軍事的な応酬が始まってからのプーチン露大統領には、いくらか余裕の表情のようなものが窺えるとの指摘を聞く。世界の目がパレスチナに向けばウクライナへの関心が相対的に低下し、日米欧などの自由民主主義諸国を中心とする国際的なウクライナ支援も低下することになろう。
【中東に目向き露は安堵?】そしてパレスチナへの同情が高まれば、ウクライナでの戦争の行方に大きな影響を与えるとみられるグローバルサウスが西側と離れ、ロシアに引き寄せやすくなる。彼はそのようにみて、今回の出来事がウクライナ侵攻に関するロシアの国際的立場の改善をもたらすと考えているというのだ。
日本国内の一部に、軍事力はやはり危険なものだから使うべきではないとか、平和は軍事力では達成されないのではないか、といった見方が出てきているようにみえることも気がかりだ。ハマスとイスラエルの衝突が始まってから、何度かそうした質問を受けた。
そのような考え方が広がれば、ウクライナのロシアへの軍事的抵抗に対する支援へのためらいにつながりかねない。ロシアのウクライナ侵略に対する国際的批判を主導してきた日本の支援の切先が鈍るようなことがあればウクライナにとって打撃で、プーチン氏をさらに利することになってしまう。
今回のイスラエルとパレスチナでの悲劇から、ロシアが漁夫の利を得るようなことはあってはならぬ。そうした事態を防ぐために日本人に求められるのは、平和にとって危険だが必要だという軍事力の二面性を見つめ直すことだ。
軍事力は確かに危険だ。ロシアのウクライナ侵略や今回のハマスのイスラエル攻撃にみられるように、それは平和を破壊する道具となる。またそれは人を殺傷し物を破壊するものであるため、イスラエルのハマスへの報復のように、平和のための行使であっても小さからぬ犠牲を伴うこともある。
【イスラエルとロシアの違い】だがそうではあっても、軍事力なくしては平和を築き、守ることができないのが現実だ。ウクライナ人が大国ロシアの侵略を受けつつも、独立を維持しウクライナ人であり続けることができているのは、軍事力による必死の抵抗があったればこそだ。かつて、欧米諸国がヒトラーの暴虐を撃退できたのも、戦争を戦い勝利したからで、非軍事的な話し合いの結果ではなかった。われわれは、軍事力の行使には慎重であるべきだが、平和のために必要な場合には、それを使う勇気も持たなければならないのだ。
ロシアのウクライナ侵略とイスラエルのハマスへの報復を同列にみて、西側が前者を厳しく糾弾するのに後者は批判しないのはダブルスタンダードだと言う向きがあるが、妥当ではない。ロシアが何も悪いことをしていないウクライナに対して暴力による征服を企(たくら)んだのに対し、後者の場合には、突如暴力の行使に出たのはハマスであり、イスラエルはそれに対抗するために、少なくとも当初はやむを得ず応戦したものだからだ。
テロ集団に対する自衛の意図から武力を用いたイスラエルを、利己的な国益追求のために武力行使をためらわなかったロシアと同じように批判することはできない。
【平和のための軍事力の役割】ただし、イスラエルの行動にも問題はある。現在、ハマスが支配するガザ地区への地上侵攻がいつなのかが焦点となっているが、これまでの空爆だけでも既に数千人ものパレスチナ人が命を奪われ、多くは一般市民だからだ。平和のためには軍事力にどうしても頼らなければならないときがある。軍事力を使って巻き添えを全く出すなというのは無理な話だろう。
その場合でも無辜の民の犠牲を最小限にとどめようとする自制が不可欠だ。イスラエルにはハマスに対する怒りが強いあまり、そうした自制が十分ではないことは批判されなければなるまい。このままではイスラエルのハマス掃討の巻き添えとなったハマスとは無関係のパレスチナ人が、イスラエルに対する平和のための武力報復を志すことにもなりかねない。
だがそれは、平和のための軍事力の役割を否定すべきだということではない。ハマスやロシアが行っているような武力による平和破壊に対する武力による対応を全面的に拒否する姿勢は、そうした勢力を利するだけだ。
今日本人に求められているのは、ガザ地区の一般市民に深い同情を寄せつつも、平和のためには軍事力が必要だという現実から目をそらさないという勇気だ。
ウクライナは、今もロシアの侵略と戦っている。中東情勢に心を奪われてそれを忘れてはならぬ。この戦いの帰趨は、ウクライナの平和のみならず、ルールを基盤とする世界の秩序を大きく左右し、日本の平和にも大きな影響を与える。日本は、平和のためのウクライナ人の戦いへの支援の手を緩めるべきではない。繰り返しになるが、プーチン氏に中東情勢から漁夫の利を得させてはならないのだ>(以上)
文中の「無辜の民の犠牲を最小限にとどめようとする自制が不可欠」・・・「無辜の民」っているのか? 大昔から国民、部族民、男子は徴兵の義務があった。「我にも正義、彼にも正義、戦争は正義と正義のぶつかり合い」だと小生は定義している。そして勝者が「正義」となり、それを「歴史」「正史」とする。いずこの国もそんなものだ。
で、敗者はどうするのか。屈服して勝者の子分とか属国になるのが一般的だが、「栄枯盛衰、世の習い、奢れるもの久しからず、勝者必滅の理、チャンスが来たら絶対独立する!」という気概を持った民族、部族は紀元前の大昔から少なくないのである。幼い「無辜の民」も長じれば兄や父親同様に「臥薪嘗胆、独立を!」となるのが普通である。ウクライナは300年間もロシアに支配され、ソ連崩壊でようやく独立できたのに今またプーチン・ロシアに襲われている。
食うか、食われるか、殺すか、殺されるか・・・戦争の現実はエゲツナイ。第一、「この人は無辜の民だから殺傷してはいけません」などと戦場でチェックなんぞできるわけがない。チェックしている間に爆弾が飛んでくるだろう。自爆テロというのもある。
この頃小生は「人道」という言葉にウンザリするようになった。リベラル≒アカが好んで使う言葉だ。<「人道」とは(1)人として守り行うべき道。例:「人道にもとる行為」「人道上の問題」。(2)人が通るよう定められた道。例:歩道。[類語] 道義・正義・人倫・大道・義・仁義・道徳・倫理・徳義・世道・公道・公徳・規範・大義・徳>(goo辞書)
人道危機だ!、人道支援を!、戦争の人道中断を!・・・結局は「とにもかくにも、まずは停戦を」と胡散臭いリベラル≒アカの“人道識者”は唱える。人道識者1万人ほどが手をつないで最前線へ行き「STOP WAR!」とか叫んだらいいのに、自分は安全地帯から煽るだけ。口先だけは達者な口舌の徒、人間としての堕落だ。
西暦135年以来、イスラエルのユダヤ人は2000年近く「亡国の民」だったが、1948年5月14日に国家再興の独立宣言をするや、イスラム教のアラブ諸国の反発を買って、なんと翌日には第一次中東戦争が勃発。1956年にはスエズ運河をめぐって第二次中東戦争、1967年には第三次中東戦争、1973年に第四次中東戦争・・・そして2023年10月7日の「パレスチナ・イスラエル戦争」へ。国家再興後の75年間で5回の戦争・・・
一神教の元祖はユダヤ教、そこからキリスト教とイスラム教が生まれたのに「我こそ正義」と戦争ばかりしている。まるで邪教だ。キリスト教は宗教改革でカトリックとプロテスタントに分裂し、多少は“現代化”が進んだようだが、ユダヤ教とイスラム教はガチガチのままのよう。「パレスチナ・イスラエル戦争」後にはそれぞれ宗教を見直し、政教分離が進むことを期待したい。信者優遇の「縁故割引」みたいな政治は時代錯誤ではないのか。自浄できなければ亡国は避けられまい。
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*読者諸兄の皆さま、御意見を! ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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