雀庵の「常在戦場/132 貪欲銭ゲバ資本主義を見直せ」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/411(2021/12/31/金】現代の資本主義経済とは何なんだろう、ちょっとおかしくなっているのではないか、と、ここ数年、折に触れて思う。
1800年代から産業革命=機械化による資本主義経済が世界に広がり、1945年の第2次大戦以降は共産主義圏を除く後進国でも資本主義経済は拡大したが、1980年代後半から「アナログからデジタルへ」という強烈な技術革命が始まり、伝統的な資本主義経済を一新した印象だ。
それにより人間の仕事は大きく変化した。日本ではそれまでは概ね15~22歳ほどで就職して5、6年あるいは7、8年頑張って修業=腕を磨く=アナログ技術を身につければ「職人」として一人前になり、60歳ほどまで食えた(稼げた)のである。ところがデジタル化で半年、1年の職人でも同じような仕事ができるとなれば、アナログ職人は「お呼びじゃない」と駆逐されるようになってしまった。身近で見た印刷業界ではそうだった。
小生の仕事は編集・記者で、1986年頃まで必要な機械らしい機械はデザインで使うトレスコープとコピー機くらいだった。書き上げた原稿は出版社に届けるのが普通で、その後、ワープロ、パソコン使って記事を書くようになり、出版社、印刷業界もフロッピーディスクでの原稿を歓迎するようになっていった。
いずれにしても原稿なりディスクという“モノ”を出版社に届ける。小生の場合は夕方届けて、5時過ぎには担当者と飲み屋に行って接待したりされたり。興が乗ると出版社の女子に「今〇〇にいるけど来ない?」なんて電話したり・・・それが普通だった。
ところがキヤノンなどがワープロを進化させてDTP(デスクトップパブリッシング)という「電子編集機」を作り始めた。画面上で文字・画像をレイアウトできるのだ。電子編集機は当時、アップル・マッキントッシュが先行していたが、日本語独特の「縦組」ができないので、結構多くの印刷会社がキヤノンDTPを使っていた。
そこまではいい、単なる技術革新だから。「便利になったものだ」で済む。そこに1995年あたりから「インターネット」の普及が始まった。革新的な技術どころか、全てをひっくり返すほどの巨大な“文化大革命”だった。インターネットは米軍の軍事技術を応用したもので、1969年に米国の4つの大学・研究所を結んで始まったネットワークだったが、これが民間にも解放され、世界中のコンピュータを相互につなぐという、前代未聞の大変革だった。
スルガ銀行Dバンク2013/2/7「六川亨(ろくかわ とおる)サッカージャーナリストに聞くアナログからデジタルへ 取材現場に見るメディアの変遷」が当時の様子をこう伝えている。
<今でこそ原稿はパソコンで書き、ネットで送るのが当たり前。写真もパソコンに取り込めば送信できる。最近ではスマホと携帯型のキーボードを使うライターも出始めた。しかし、つい30年程前(1980年代)までは原稿用紙に書き、原稿の受け渡しは郵送か手渡しというアナログ時代だった。
それがFAXの普及に続きワープロの登場で原稿用紙が消滅。さらにワープロ通信、パソコン通信の発達によりメディアの仕事方法は飛躍的に進歩した。こうした変化に伴い、紙媒体とネット媒体では原稿の書き方にも変化が出てきている。サッカージャーナリストとして、30年もの間メディアの変遷を見続けてきた六川氏にメディアの過去、現在、そして未来についてお話いただく。
◆30年前、取材現場は「アナログ」だった
現代では文書のやりとりはメールが中心。書いた原稿や書類は瞬時にして届けたい相手に送ることができる。写真も然り。動画や音声もデータ通信が可能な時代となった。
が、あらためて振り返ると、それが普及したのはつい10数年前のこと。それ以前は文書を送るのはファックスが主役だったし、さらに遡ると、六川氏がサッカー界に飛び込んだ1980年代のはじめ頃は郵送や直接届けることが当たり前だった。
速報性を問われる新聞記者ともなると、試合が終わると会社に電話をかけ、口頭で自分の書いた原稿をデスクの人間に伝えていたという。原稿はもちろん手書き。いま思えば「きわめてアナログな時代」だ。
その後、80年代の後半にファックスやワープロが登場し、原稿はプリントしたものを現地からファックスするという時代になった。六川氏がこの新兵器を使い始めたのもこの頃、1990年のW杯イタリア大会では「ワープロとプリンターを抱えて現地に飛んだ」。モバイル機器の発達した現在と比べるとずいぶんと重い荷物だったに違いない。
こうした「面倒」から記者たちが解放されたのは、パソコンが出始めた90年代に入ってから。まず皆がこぞって使ったのはメールに近い機能を持つワープロ通信だった。その後、デジタル機器は日進月歩の進化を辿る。94年のW杯アメリカ大会では『Number』誌が写真電送を活用、他誌の記者たちを驚かせた。
「あの頃は日本代表も強くなって海外で戦うことが多くなった。ライバル誌よりいかに早く写真を送るか、それを競争していました」
ただし、デジタルでデータを送りたくても通信事情はその国によって大きく異なっていた。99年、途上国のナイジェリアでワールドユースが開かれたときは、同国から日本に直接画像を送ることができず、モロッコ、ドイツを経由して送信するという手段を使った。通信費は何と100万円。「言い訳に苦労しましたよ」と、六川氏は苦笑いで当時を回顧する。
だが、無線でのデータ通信が発達した現在では、へたをすると途上国の方が通信事情がよかったりもする。たとえば2006年のW杯ドイツ大会では宿舎のホテルに敷かれた有線の送受信速度が遅く、思わぬ苦労を強いられたという。
文書以上に劇的な変化を遂げたのは写真だ。報道各社が一斉にデジタルカメラを使用し始めたのは2000年のシドニー五輪から。デジカメは速報性とコストダウンの両面でメディアの強い味方となった・・・>
インターネットは強い味方・・・確かにそうだが、副作用も大きかった。1995年前後に米国アップル・マッキントッシュが縦組みが可能な上にデザインもしやすいPower Macを発売した。出版・印刷業界ではハード、ソフト、それにカラープリンター、さらにWebデザイナーが必要になったのだ。
アナログ・デザイナーは一流であってもPower Macを使いこなせなければ完全に“お役御免”になり、小生が50%出資したデザイン会社の社長は「もう付いていけない」と愛人と宮古島にトンズラしてしまった。
一方で、懇意にしていたデザイナーのSさんは1年間休業してウェブ・デザインの学校でスキルを身につけ「デジタル・ウェブ革命」に乗ることができた。
デジタル・ウェブ革命・・・確かに死屍累々の革命だった。大変化に乗り遅れたら仕事にならないのだからと出版・印刷業界は試行錯誤を重ねて投資してきたが、1995年前後に印刷業界は一斉に「Power Mac」を主力にすることを決定し、出版業界もそれに倣った。
それは多分、世界中で主流になったのだろう、小生の会社では海外クライアントの日本向け広告の仕事でもPower Macでやり取りするようになった。顧客、出版社、印刷会社のシステムが同じなら、時々、新しいソフトを導入したり、3年に一度ほど新機種を導入するくらいですむものの、小さなデザイン事務所でも一人1台、バックアップ用にオフィスに1~2台は必要だからカネはかかる。
一方で世間ではマイクロソフト・ウィンドウズのPCが主流だから、MacとともにWinも必要で、社員は最低2台のPCを使うことになる。今は知らないが、当初はMacとWinはあまり互換性がなかったのだ。
編集プロダクション、略して「編プロ」は本来は小さなオフィス、ノートとペン、カメラで始められる商売だった。カネのかかる印刷機などインフラはすべて印刷会社が持っているからだ。しかしデジタル化以来、編プロは結構な設備投資が要る商売になってしまった。また、印刷会社がMacを備えることで、1995年あたりからは印刷会社が編集機能を自前で、あるいは外部委託で持つようにもなった。製品のパッケージなど印刷による売上から見ればデザイン料やコピー料は些細だから「タダでいいですよ、その代わりに印刷はうちでやらしてください」・・・これには独立系の編プロは太刀打ちできやしない。
資本主義のデジタル革命は「既存のモノは時代遅れにさせよ、捨てさせよ、新製品をどんどん買わせよ」という消費を急速に促し、当然、ゴミも増やし、資源を枯渇させている。どんどん新製品を開発して、それ以前のモノを廃棄処分にしている。これがSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)と持てはやされている。これってモラルか?
世界の人口は1960年30億、60年後の2020年76億と急増した。人口パンデミック! 60年前に「地球人口は少な過ぎる」なんて誰も言わなかった。たった60年で倍増以上の増殖、これは異常だ。人口増で経済成長すれば世界中が幸せになれると思うのは、儲かればいいという銭ゲバの政治家や財界人か。それで人類、各国は幸せになったのか?
主に生活苦からだろう、母国を捨ててスマホを手に先進国へ引っ越そうという人々は後を絶たない。GDP世界一の米国民は幸せに浸って仲良く暮らしているのか? つまり人口増で経済成長もあったにしても幸福になった、良い世の中になった、とはとても言えない。儒教の本家、中国は衣食足りて礼節を知るどころか野生の餓狼に先祖帰りしつつある。ロシアも相変わらずの強権政治で、中共と一緒になって世界を威嚇している。
コロナ禍転じて福となす、これまでのような経済成長至上主義では人間も生物も地球もろくなことにはならない。貪欲銭ゲバ資本主義を反省し、「足るを知りて分に安んずる」という古人の教えに耳を傾ける必要があるだろう。国連が音頭取りをすればいいがと思うが・・・まずはブロック経済化で中露と距離を置くことから始めてはどうか。
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
https://blog.goo.ne.jp/annegoftotopapa4646
まぐまぐID 0001690154「必殺クロスカウンター」
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/411(2021/12/31/金】現代の資本主義経済とは何なんだろう、ちょっとおかしくなっているのではないか、と、ここ数年、折に触れて思う。
1800年代から産業革命=機械化による資本主義経済が世界に広がり、1945年の第2次大戦以降は共産主義圏を除く後進国でも資本主義経済は拡大したが、1980年代後半から「アナログからデジタルへ」という強烈な技術革命が始まり、伝統的な資本主義経済を一新した印象だ。
それにより人間の仕事は大きく変化した。日本ではそれまでは概ね15~22歳ほどで就職して5、6年あるいは7、8年頑張って修業=腕を磨く=アナログ技術を身につければ「職人」として一人前になり、60歳ほどまで食えた(稼げた)のである。ところがデジタル化で半年、1年の職人でも同じような仕事ができるとなれば、アナログ職人は「お呼びじゃない」と駆逐されるようになってしまった。身近で見た印刷業界ではそうだった。
小生の仕事は編集・記者で、1986年頃まで必要な機械らしい機械はデザインで使うトレスコープとコピー機くらいだった。書き上げた原稿は出版社に届けるのが普通で、その後、ワープロ、パソコン使って記事を書くようになり、出版社、印刷業界もフロッピーディスクでの原稿を歓迎するようになっていった。
いずれにしても原稿なりディスクという“モノ”を出版社に届ける。小生の場合は夕方届けて、5時過ぎには担当者と飲み屋に行って接待したりされたり。興が乗ると出版社の女子に「今〇〇にいるけど来ない?」なんて電話したり・・・それが普通だった。
ところがキヤノンなどがワープロを進化させてDTP(デスクトップパブリッシング)という「電子編集機」を作り始めた。画面上で文字・画像をレイアウトできるのだ。電子編集機は当時、アップル・マッキントッシュが先行していたが、日本語独特の「縦組」ができないので、結構多くの印刷会社がキヤノンDTPを使っていた。
そこまではいい、単なる技術革新だから。「便利になったものだ」で済む。そこに1995年あたりから「インターネット」の普及が始まった。革新的な技術どころか、全てをひっくり返すほどの巨大な“文化大革命”だった。インターネットは米軍の軍事技術を応用したもので、1969年に米国の4つの大学・研究所を結んで始まったネットワークだったが、これが民間にも解放され、世界中のコンピュータを相互につなぐという、前代未聞の大変革だった。
スルガ銀行Dバンク2013/2/7「六川亨(ろくかわ とおる)サッカージャーナリストに聞くアナログからデジタルへ 取材現場に見るメディアの変遷」が当時の様子をこう伝えている。
<今でこそ原稿はパソコンで書き、ネットで送るのが当たり前。写真もパソコンに取り込めば送信できる。最近ではスマホと携帯型のキーボードを使うライターも出始めた。しかし、つい30年程前(1980年代)までは原稿用紙に書き、原稿の受け渡しは郵送か手渡しというアナログ時代だった。
それがFAXの普及に続きワープロの登場で原稿用紙が消滅。さらにワープロ通信、パソコン通信の発達によりメディアの仕事方法は飛躍的に進歩した。こうした変化に伴い、紙媒体とネット媒体では原稿の書き方にも変化が出てきている。サッカージャーナリストとして、30年もの間メディアの変遷を見続けてきた六川氏にメディアの過去、現在、そして未来についてお話いただく。
◆30年前、取材現場は「アナログ」だった
現代では文書のやりとりはメールが中心。書いた原稿や書類は瞬時にして届けたい相手に送ることができる。写真も然り。動画や音声もデータ通信が可能な時代となった。
が、あらためて振り返ると、それが普及したのはつい10数年前のこと。それ以前は文書を送るのはファックスが主役だったし、さらに遡ると、六川氏がサッカー界に飛び込んだ1980年代のはじめ頃は郵送や直接届けることが当たり前だった。
速報性を問われる新聞記者ともなると、試合が終わると会社に電話をかけ、口頭で自分の書いた原稿をデスクの人間に伝えていたという。原稿はもちろん手書き。いま思えば「きわめてアナログな時代」だ。
その後、80年代の後半にファックスやワープロが登場し、原稿はプリントしたものを現地からファックスするという時代になった。六川氏がこの新兵器を使い始めたのもこの頃、1990年のW杯イタリア大会では「ワープロとプリンターを抱えて現地に飛んだ」。モバイル機器の発達した現在と比べるとずいぶんと重い荷物だったに違いない。
こうした「面倒」から記者たちが解放されたのは、パソコンが出始めた90年代に入ってから。まず皆がこぞって使ったのはメールに近い機能を持つワープロ通信だった。その後、デジタル機器は日進月歩の進化を辿る。94年のW杯アメリカ大会では『Number』誌が写真電送を活用、他誌の記者たちを驚かせた。
「あの頃は日本代表も強くなって海外で戦うことが多くなった。ライバル誌よりいかに早く写真を送るか、それを競争していました」
ただし、デジタルでデータを送りたくても通信事情はその国によって大きく異なっていた。99年、途上国のナイジェリアでワールドユースが開かれたときは、同国から日本に直接画像を送ることができず、モロッコ、ドイツを経由して送信するという手段を使った。通信費は何と100万円。「言い訳に苦労しましたよ」と、六川氏は苦笑いで当時を回顧する。
だが、無線でのデータ通信が発達した現在では、へたをすると途上国の方が通信事情がよかったりもする。たとえば2006年のW杯ドイツ大会では宿舎のホテルに敷かれた有線の送受信速度が遅く、思わぬ苦労を強いられたという。
文書以上に劇的な変化を遂げたのは写真だ。報道各社が一斉にデジタルカメラを使用し始めたのは2000年のシドニー五輪から。デジカメは速報性とコストダウンの両面でメディアの強い味方となった・・・>
インターネットは強い味方・・・確かにそうだが、副作用も大きかった。1995年前後に米国アップル・マッキントッシュが縦組みが可能な上にデザインもしやすいPower Macを発売した。出版・印刷業界ではハード、ソフト、それにカラープリンター、さらにWebデザイナーが必要になったのだ。
アナログ・デザイナーは一流であってもPower Macを使いこなせなければ完全に“お役御免”になり、小生が50%出資したデザイン会社の社長は「もう付いていけない」と愛人と宮古島にトンズラしてしまった。
一方で、懇意にしていたデザイナーのSさんは1年間休業してウェブ・デザインの学校でスキルを身につけ「デジタル・ウェブ革命」に乗ることができた。
デジタル・ウェブ革命・・・確かに死屍累々の革命だった。大変化に乗り遅れたら仕事にならないのだからと出版・印刷業界は試行錯誤を重ねて投資してきたが、1995年前後に印刷業界は一斉に「Power Mac」を主力にすることを決定し、出版業界もそれに倣った。
それは多分、世界中で主流になったのだろう、小生の会社では海外クライアントの日本向け広告の仕事でもPower Macでやり取りするようになった。顧客、出版社、印刷会社のシステムが同じなら、時々、新しいソフトを導入したり、3年に一度ほど新機種を導入するくらいですむものの、小さなデザイン事務所でも一人1台、バックアップ用にオフィスに1~2台は必要だからカネはかかる。
一方で世間ではマイクロソフト・ウィンドウズのPCが主流だから、MacとともにWinも必要で、社員は最低2台のPCを使うことになる。今は知らないが、当初はMacとWinはあまり互換性がなかったのだ。
編集プロダクション、略して「編プロ」は本来は小さなオフィス、ノートとペン、カメラで始められる商売だった。カネのかかる印刷機などインフラはすべて印刷会社が持っているからだ。しかしデジタル化以来、編プロは結構な設備投資が要る商売になってしまった。また、印刷会社がMacを備えることで、1995年あたりからは印刷会社が編集機能を自前で、あるいは外部委託で持つようにもなった。製品のパッケージなど印刷による売上から見ればデザイン料やコピー料は些細だから「タダでいいですよ、その代わりに印刷はうちでやらしてください」・・・これには独立系の編プロは太刀打ちできやしない。
資本主義のデジタル革命は「既存のモノは時代遅れにさせよ、捨てさせよ、新製品をどんどん買わせよ」という消費を急速に促し、当然、ゴミも増やし、資源を枯渇させている。どんどん新製品を開発して、それ以前のモノを廃棄処分にしている。これがSDGs(Sustainable Development Goals、持続可能な開発目標)と持てはやされている。これってモラルか?
世界の人口は1960年30億、60年後の2020年76億と急増した。人口パンデミック! 60年前に「地球人口は少な過ぎる」なんて誰も言わなかった。たった60年で倍増以上の増殖、これは異常だ。人口増で経済成長すれば世界中が幸せになれると思うのは、儲かればいいという銭ゲバの政治家や財界人か。それで人類、各国は幸せになったのか?
主に生活苦からだろう、母国を捨ててスマホを手に先進国へ引っ越そうという人々は後を絶たない。GDP世界一の米国民は幸せに浸って仲良く暮らしているのか? つまり人口増で経済成長もあったにしても幸福になった、良い世の中になった、とはとても言えない。儒教の本家、中国は衣食足りて礼節を知るどころか野生の餓狼に先祖帰りしつつある。ロシアも相変わらずの強権政治で、中共と一緒になって世界を威嚇している。
コロナ禍転じて福となす、これまでのような経済成長至上主義では人間も生物も地球もろくなことにはならない。貪欲銭ゲバ資本主義を反省し、「足るを知りて分に安んずる」という古人の教えに耳を傾ける必要があるだろう。国連が音頭取りをすればいいがと思うが・・・まずはブロック経済化で中露と距離を置くことから始めてはどうか。
・・・・・・
目安箱:ishiifam@minos.ocn.ne.jp
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