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雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(42」

2020-07-31 08:29:28 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(42」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/152(2020/7/31/金】上司であり仲人だったTさんは、駆け出し記者の小生にこう言った。「インタビュー記事や対談記事はよく読まれる。何故か。人間が一番興味を持つのは人間だからだ」


伝染病にかかると何万もの家畜が殺処分される。多くの人は残酷だなあ・・・と思うが、「でも、感染拡大を防ぐにはそれ以外の方法がないんだから仕方がないんだろうなあ」と納得し、1日2日で忘れる。


3日目あたりには「今夜はトンカツだあ! フライドチキンも作ろう!」とか。


ずいぶんだなあという気がしないでもないが、「豚さん、鶏さん、私たちを許して」なんてずーっと悲しんでいたら、これはもう急性期精神科閉鎖病棟行きになりそう。隔離、緩やかな殺処分・・・


人間(健常者)ファースト。G20国あたりでは一応はそうなっているが、宗派が違えば殺してもいいという人は結構いるだろう。里に下りてきた熊は見せしめのように殺処分だ。人権はあるが動物権はない。動物はモノ扱い。


人間は人間に殺される。同時に人間は人間に救われる。「彼は敵か味方か?」、人間が人間に関心を持つのは、原初的にはそのためではないか。人間は複雑怪奇で品定めが難しいから、人物鑑定とか素行調査は多かれ少なかれ誰もがやっている。


「これは上等だからキロ3000円。こっちは下等だからキロ1000円、え、500円? あんた、そりゃあ無理無体だ・・・しゃあない、700円! もってけドロボー!」


1950年代までマグロのトロはゲテモノ扱い、今は高級品。の変人奇人が、ある時からセレブ、人気者として崇められたり。価値観は微妙に、時に大きく変化していくから、同じ人でも評価が逆転したりする。


人間は「あの人はこういう人」という判断、レッテル貼り、定義、解釈、敵か味方か、そういった品定めをしないと距離感や対応が分からず心が落ち着かない、それが初期設定なのだろう。


「人間の性格の種類一覧表」というサイトによると、


楽天的・献身的・社交的・道徳的・堅実・悲観的・卑屈・傲慢・小心者・冷徹・繊細・頑固・勤勉・明朗・大胆不敵・優柔不断・純真無垢・寛仁大度・平均的・おとなしい・模範的・自己中心的・負けず嫌い・神経質・目立ちたがり・真面目・几帳面・神経質・冷静・謙虚・恥ずかしがり・爽やか・子供っぽい・好奇心旺盛・気が利く・おおらか・のんびり・落ち着いている・信心深い・お人好し・お節介・世渡り上手・慎重・生真面目・調和的・心配性


とかが紹介されている。


小生の場合はその時々の気分で楽天的になったり悲観的になったり、冷静を心がけても感情的になったりする。結局、気分屋だから「冷静に興奮すべし」「慎重に大胆であれ」「善人を装って扇動しろ」というあたりは常に気を付けている。


下手なことを言うと「正論をもって叩かれる」、それは勉強になるから結構なのだが、「それに反論できない」というのは「ちょっと悔しい、とても情けない」気分にはなるね。好きな女の子に振られた気分。失恋。みんな泣いたよね。


自業自得だけれど・・・「鋭い感受性と強烈な自我ゆえ、青春はおおむね悲惨である」・・・ああ、これが俺の青春か・・・ウジウジ・・・


こうして男はタフな(打たれ強い、図々しい、狡猾で、えげつない、スケベな、時々ドジル、一人前の)オッサンになっていくわけだ、ピンキリはあるけれど一般的に。


「人間への飽くことなき興味」、文系の学問はそれがベースだろう。多分「解」がないから面白いのかもしれないし、人間動物園、人間劇場には奇想天外なトンデモ役者が次から次へと登場してくるから、追いかけているだけでも大変、のんびりしているとビッグウェーブに乗り損ねて「ここはどこ? 私は誰?」、人間卒業になりかねない。


日本の周辺は世界選手権メダリスト級のトンデモ役者ばかりだ。ヘビー級は習近平、プーチン、ミドル級は金正恩、文在寅・・・


日本選手権ではライトヘビー級は二階俊博、今井尚哉、丹羽宇一郎、フライ級は枝野幸男、辻本清美、モスキート級は北のスパイ兼教科書検定調査官のNあたりか。


悪性コロナ菌のような魑魅魍魎がウジャウジャ、日本はまるで呪われた国家のよう。天は何故我に試練を与え賜う・・・天曰はく「目覚めよ、奮闘すべし、独立せよ!」、少なくとも諸悪の根源である「中共は潰せ」ということだろう。


インド国防研究所東アジアセンターのジャガンナート・パンダ氏の「なぜ中国の冒険主義は東シナ海で膨張するのか」(日本戦略研究フォーラム7/30)は、日本に「周辺国との協力、中共との関係見直し」をアドバイスしている。以下抜粋。


<中国武漢市で最初に確認された新型コロナウイルスの感染拡大は、政治や経済、そして文化の面でも国際秩序に甚大な影響をもたらしており、それはアジアも例外ではない。


それでも驚くべきは、感染が拡大している最中であっても、大国間の対立や地域紛争、外交関係の緊張が深刻化し、アジア地域に緊張の感染をもたらし続けていることだ。

特に中国はアジアにおける修正主義的な姿勢を取り続けており、海洋軍事面での挑発的な自己主張でインド太平洋地域の緊張を高めている。


アメリカとの緊張関係や台湾への恫喝、ギャルワン渓谷でのインドとの衝突、香港国家安全維持法の制定、オーストラリアとの関係悪化、南シナ海及び東シナ海での好戦的行為、これらすべては中国が主導する新しい世界秩序の主張の一部分である。


日本が独断的な中国に対応するためには、二国間および多層的なパートナーシップをより強めることが戦略的必要条件となっている。


インド太平洋地域、特にインド、ベトナム、フィリピン、オーストラリア、ニュージーランドとの経済関係を志向しつつ、日本が部分的にも中国との経済関係のデカップリング(分離)を検討できるかどうかが重要である。

最近、日本政府には東南アジアまたは日本へ移転する在中国日本企業に対し補助金を出す動きがあるが、これは大胆な決定である。


リスクを分散し混乱を回避する製造業の新しい試みに向け代替的なサプライチェーンを奨励することで、日本製造業の対中依存が大いに低下するだろう。


北京政府の海洋冒険主義は、中国共産党の戦略の一部である。日本の安全保障の追求は、バランスのとれた対中関係と同様に、中国以外の世界との経済、そして安全保障関係を強化することにある>


「バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交」で中共を抑制せよ、ということだ。


中共を警戒するインドに7月29日、5機の仏製ラファールジェット戦闘機が新たに配備された。2022年までには全36機が揃うという。「中共に警戒せよ、備えよ、団結せよ」。アジアはこのスローガンのもと中共包囲網を作っていこう。


中共はダッチロールを始めた。味方ゼロ=国際的孤立、洪水対応ゼロ=民の怒り、景気浮揚策ゼロ=鍋底不況・・・早めの自壊を促すべく包囲戦へ、いざ!(つづく)



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(41」

2020-07-30 07:54:24 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(41」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/151(2020/7/30/木】小生は敗戦から6年後に農村の農家兼精米所に生を得たので「飢え」を知らない。4歳で現在のところ(小さな町、父の生地、桃畑の中)に引っ越したが、冷や飯とかふかしたサツマイモはいつもあったから「腹が減ってヘロヘロ」という経験がない。


当時は庭に果樹を植えるのが当たり前で、柿、梅、無花果、ブドウ、グミ、キンカン、ザクロ、イチゴなどはあるし、周りは桃畑と梨園だらけだから、食い物に不自由はしない。「落ちた桃は売り物にならないから好きなだけどうぞ」だから、一週間もすれば食傷気味になった。


1日の小遣いは5~10円で、駄菓子屋であめ5粒とか、肉屋でコロッケ1個を買ったりしていた。友達の家へ行けばお母さんがオヤツどころか夕飯までご馳走してくれた。


そういう環境だったので、幸いにも「ひもじい」とか「今日明日の食糧を如何せん」という経験がないが、先の大戦で都市住民はずいぶん食糧難に苦しんだ。農村地帯は子供たちの疎開地になっていたから、粗食ではあれ、都市部よりはマシだったのだろう。


多分、都市住民以外は深刻な食糧難を経験せずに済んだと思うが、都市住民でも金持ちや上流階級は軽井沢とか伊豆半島、日光、那須など別荘地に避難した人が多かったようだ。


結局、戦中でも食糧難の都市部にいた人は、仕事の都合の人が圧倒的に多く、次いでどうにかなるだろうという、「なったらなったで考えればいいや」の寅さんみたいな人が続き、どん尻は「逃げるったって、避難先の当てがないんだからさあ」という逃げ場がない人だろう。


本土の餓死者は少なかったが、明日明後日の食糧備蓄が心細いというのは実に不安で、情けない思いだったろう。永井荷風は軍人政治への不安、不満、怒り、絶望を「これまでは筆禍を恐れて遠慮していたが、今日からは後世への記録として書き残す!」と発奮した。


「それにつけても備蓄の心細さよ、腹が減っては戦はできぬ、ああ悩ましい、軍人政治が国を亡ぼす、クソッ!」


そんな思いだったろう。


荷風は大好きなフランスがやられっぱなしだったこともあってひたすら軍人政治を呪い罵倒するのだが、大正時代の花柳界の恋のさや当てと銭闘を描いた荷風の「腕くらべ」が一種の戦争・戦術?とでも解釈されたのか、軍部から戦線将兵に贈るからと5000部!注文が来てから筆舌が落ち着いた感じがする。


笑うべし、人間のアバウトさ・・・それを含めて我ら後世の人にとって当時を知る貴重な一次資料になっている。


荷風先生、あなたはビッグです、大したものです、文豪です! 毎夜、笑いながらの眠りをもたらしてくれる我が枕辺の書「断腸亭日乗」から。


<(昭和19(1944)年、66歳)四月十日。食料品の欠乏、日を追うて甚だしくなるにつれ、軍人に対する反感、漸く激しくなり行くが如し。市中至るところ、疎開空襲必至の張札を見る。


五月四日。(従弟の)五叟方より鶏肉鶏卵届く。


五月二十七日。この頃(食糧を求めて)鼠の荒れ回ること甚だし。雀の子も軒に集まりて洗い流しの米粒捨てるを待てるが如し。東亜共栄圏内に生息する鳥獣飢餓の惨状また憐れむべし。


燕よ、秋を待たで速やかに帰れ。雁よ、秋来るとも今年は共栄圏内に来るなかれ。


六月二十九日。今年も早く半ばを過ぎんとす。戦争はいつまで続くにや。来るぞ来るぞといふ空襲も未だに来たらず。国内人心の倦怠疲労、今正にその極度に達せしが如し。


六月三十日。某氏依頼の色紙に「ひるがほ」(書す)。


道端に花咲く昼顔。風が持て来てまきし種。手にとらば花瓶にさす間を待たで萎えるべし。それにも似たる我が身なり。


八月六日。木戸氏、使いの者に炭一俵、キュウリ、トマト一籠を持たせ遣はさる。また五叟のもとよりトマト数個を送り来たれり。数年来、余は全く人の情にて露命を繋ぐ身とはなれるなり。


九月五日。(軍部が買い占めた鮭の缶詰の賞味期限が来そうなので、配給で人民に時価で売りつけている噂)軍部及び当局の官吏の利得、莫大なりといふ。日米戦争は畢竟、軍人の腹を肥やすに過ぎず。その敗北に帰するや自業自得といふべしと。これも世の噂なり。


××氏に送る返書の末に、


世の中はついに柳の一葉かな
秋高くモンペの尻の大(おおき)なり
スカートのいよよ短し秋の風
スカートのうちまたねらふ藪蚊哉
亡国の調(しらべ)せはしき秋の蝉>


食い物の恨みは恐ろしい、が、枯れても女好きは相変わらずで、「さすが荷風、蚊風だな、夏彦翁曰く、スケベは死なず」、小生は笑いながら眠るわけ。とってもケンコーと思わない? 


蛇足ながら「飢餓」「飢え死に」「戦争犯罪」について。


特に南洋戦地の日本軍将兵は米軍が国際法を無視して投降受入れを拒否したので飢餓と熱帯病で殺された。原爆実験、大空襲による無差別大量虐殺も、いずれオトシマエをつけてもらう。少なくとも小生は絶対に許さない、忘れない! 


ついでに言っておくが、米兵は「長距離移動は車が常識」だったから、捕虜になり風土病もあったにしても20~30キロの徒歩行軍でへたった。「バターン死の行進」プロパガンダに騙されるな!


大東亜戦争時の日本人は兎にも角にも頑張った、踏ん張ったが、支那14億の民は戦時下の拘束や食糧難に耐えられるか否か。蓄財蓄妾美酒美食を生き甲斐とする人民は、経済封鎖、鉄のカーテンに我慢し、中共・習近平に従うかどうか・・・それを考える時期になってきた。


「7/23米国ポンペオ“怒りの演説”」は米国の対中「宣戦布告」として歴史に刻まれるだろう。我々は旧時代の最終章、新時代の序章の境界線上に今、立っている。稀に見る瞬間を目撃、あるいは能動的に関与することになる。以下の論考はとても勉強になる。


<近藤大介「ポンペオ長官“怒りの演説”が中国共産党に突きつけた究極の選択」(以下は抜粋。演説全文は現代ビジネス2020/7/28)


◆アメリカが本気で焦り出した


いやはや、アメリカと中国が大変なことになってきた。


アメリカが7月21日、ヒューストンの中国領事館閉鎖を命じたかと思えば、中国は24日、成都のアメリカ領事館閉鎖を命じた。期限はそれぞれ72時間以内だ。これほど激しい米中の攻防は、1979年に国交正常化を果たして41年で、初の事態である。


先週のこのコラムでは、トランプ大統領の最側近の一人で、対中強硬派として知られるポンペオ米国務長官が7月13日に発表した「南シナ海の海洋主張に対するアメリカの立場」と題する声明の全訳を載せた。その上で今秋、アメリカが南シナ海に中国が建設した人工島を空爆する可能性について詳述した。


ところが、ポンペオ長官によれば、中国批判は「4回シリーズ」なのだそうで、オブライアン国家安全保障顧問、ウォレイFBI長官、バール司法長官を伴って、さらに強烈なスピーチを、7月23日に行った。


これは台頭する中国に追い詰められた覇権国アメリカの「悲痛な叫び」とも言えるものだ。1945年以降、世界の覇権を握ってきたアメリカが、このままでは中国に覇権を奪われてしまうと、本気で焦り出したのである。


◆トランプ政権の対中論争に終止符


今回のスピーチは、3つの意味で「米中新冷戦」を決定づけるものとなった。


第一は、トランプ政権内の対中論争に終止符を打ったこと。


第二は、中国という国家に加えて、9100万中国共産党員のトップに君臨する習近平総書記個人を攻撃したことである。


第三は、単にトランプ政権のことではなく、「アメリカの問題」として対中問題を提起したことだ。


周知のように、11月3日の大統領選挙に向けて、トランプ共和党陣営とジョン・バイデン民主党陣営は現在、熾烈な選挙キャンペーンを繰り広げている。いまのところ民主党が優勢で、このまま行けば、民主党への政権交代が実現する。


ポンペオ長官は、そのことを見越した上で、「どの党の誰が大統領に就こうが、これからのアメリカは習近平政権と正面から対決していく」というニュアンスで演説しているのである。かつポンペオ長官の呼びかけに、民主党側は反対の声を上げていない・・・>


「ポンペオ“怒りの演説”」を少し引用しておく。


<ニクソンは1967年、『フォーリン・アフェアーズ』にこう寄稿した。


「長期的視野に立てば、中国を永遠に仲間の国々から引き離しておくわけにはいかない。中国が変わっていくまで、世界は平和ではいられない。そのためわれわれの目的は、ある程度、状況に影響を与えねばならない。目標は変化を導くことだ」


こうして北京への歴史的外遊を伴ってニクソンは関与戦略を始めた。


だが、われわれが目にしたのは中国共産党がわれわれの自由で開かれた社会を悪用したことだった。中国はアメリカの記者会見、研究所、高校や大学、果てはPTAの会合にまでプロパガンダを送り込んだのだ。


ニクソン大統領はかつて、世界を中国共産党に明け渡した時、フランケンシュタインを作ってしまったかもしれないと恐れた。だがいま存在しているのが、まさにそれだ。


中国共産党の体制はマルクス・レーニン主義の体制であり、習近平総書記は破綻した全体主義思想の信奉者であるということに、われわれは心を留め置かねばならない。


このイデオロギーこそが、中国共産主義のグローバルな覇権という習近平総書記が何十年にもわたって望んできたことを知らしめるものだ。共産中国を本当に変化させるには、中国のリーダーが語ることをもとにするのではなく、どう振る舞うかをもとにして行動することだ。


自由を愛する国々は、かつてニクソン大統領が望んだように、中国で変化を起こさせるようにしていかねばならない。ダイナミックで自由を愛する中国人に関わり、力を与えていかねばならない。


中国共産党の振る舞いを変えさせる使命は、中国人だけが持っているものではない。自由な国家は自由を守るために行動しなければならない。


いまこそ自由国家が行動する時だ。すべての国は、中国共産党の触手から、いかに主権を守り、経済的繁栄を保護し、理想を維持するかということを理解していかねばならない。


私がすべての国のリーダーに呼びかけたいのは、シンプルに相互主義、透明性、説明責任を要求していくということだ。自由国家は同一原則で行動するのだ。


もし今行動を起こさなければ、最終的に中国共産党は、われわれの自由を侵食し、われわれの社会が懸命に築き上げてきたルールに基づいた秩序をひっくり返すだろう。


われわれが許さない限り、習総書記は中国内外で、永遠に暴君でいられる運命ではないのだ。


アメリカ単独では立ち向かえない。国連、NATO、G7、G20など、われわれの結合した経済力と外交力、軍事力によって、明確に大きな勇気を持って指針を示していけば、この挑戦に必ずや、十分対処していける。おそらく、志を同じくする国々が、新たな民主の同盟を作る時なのだ。


自由世界が変わらなければ、共産中国が確実にわれわれを変えてしまうだろう。


中国共産党から自由を守ることは、われわれの時代の使命である。そしてアメリカは完全に、これをリードしていく。


ニクソンは1967年、正しいことを書いた。「中国が変わるまでは世界は安全にならない」。いまこそこの言葉に心を留めるべき時だ>


パンダは危険な紅いフランケンシュタインに変身した。「米国とその何となくお友達」でフランケンを抑え込める時代ではなくなった。新たな仕組みによる「勢力均衡外交」が必要とされている、ということだ。


毛沢東の弱者による強者との戦いの肝は「敵が押し出してきたら退く、敵が退いたら押し出していく」「我が方の力が十分についたら一気呵成に敵を殲滅する」というものだった。


毛沢東は1964年の東京五輪に合わせて核ミサイル実験で強者へデビューし、56年後の2020年に習近平は世界帝国への殲滅戦を開始し、2024年に「大習帝国」初代皇帝を宣言する夢を抱いているだろう。習近平はやる気満々だ。


何清漣女史曰く


「習近平至少從方向與決心兩方面做了充分準備、大方向:經濟内循環、準備自力更生(習近平は、少なくとも方向性と決意に関して十分な準備をしてきた。一般的な方向性:経済の内部循環、自立の準備)」


習近平の危険な妄想的暴走を阻止するためにはグレートウォールの長城包囲網、少なくとも米日英豪加印台の頑丈な七強ダムが必要だ。世界の安定、日本の独立もこの一戦にあり。各員一層奮励努力せよ。(つづく)



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(40」

2020-07-28 10:54:37 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(40」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/150(2020/7/27/月】久し振りに生田緑地を散歩したが、花菖蒲と紫陽花が咲き終わり、向日葵はまだなので、花の気配はなかった。その代わりに高さ30mほどのメタセコイア(スギ科)が50本ほども林立している池端は圧巻だった。


その森の奥の方で大きなテーブルに集っている人がいる。キャンプ気分でランチを楽しむのかなあと、よく見ると、乙女が5人・・・うーん、シュールだなあ、「草上の昼食」・・・脱ぎだすのか・・・いよいよ俺も幻覚か? 茫然と見ていると・・・ナント、3密回避の屋外美容教室だった。


<訪問美容はサロンワークとは違ったやりがいを感じられます。 私たちのお客様には、色々な方がいらっしゃいます。施設内での日常生活に退屈されている方。ご家族の来訪が少ない方。まわりに気兼ねなく、お話できる人がいない方など。私たちは毎月定期的にお伺いするのですが、その時間を心待ちにされている方も少なくありません>(訪問美容グラシス)


すごいなあ、「いつまでも美しくありたい、お喋りしたい・・・」、3姫は車椅子だった。ニーズがあればビジネスが生まれ、さらにニーズが開拓され、ビジネスが大きくなる・・・


<待つ美容師から、訪れる美容師へ! 理美容室の数はコンビニの5倍! 若者ターゲットから訪問美容へのシフトで差別化を!>(介護美容研究所)


みんなタフ!「もうボクは付いていけません・・・けど、I have a dream、鬼畜中共、撃ちてし止まん!」、ほとんどビョーキ、ステージ4、今日も前進だあ!


閑話休題。天に向かって真っすぐに伸びているメタセコイアの姿は神秘的であり、ドイツのケルン大聖堂は70m超の高さになるドイツトウヒ(マツ科)の森や、両手を合わせて天に祈る姿をモチーフにしたという説がある。


ドイツトウヒはクリスマスツリーに使われる樹木だからキリスト教とは縁があるわけだ。


WIKIで調べたら、このケルン大聖堂、1880年8月14日に初代ドイツ皇帝ウィルヘルム1世臨席の下、完成祝賀式典が催された。当然、宰相ビスマルクも同席したはずだ。(皇帝は普遍性のある大黒柱、スタビライザーだから当時の欧州では推戴する国が多かった。名門の貴種は大いに珍重されたという)


1873年3月、訪欧中の岩倉使節団はベルリンにおいてビスマルクに接し、「日本も大いに富国強兵せにゃならん」と発奮したが、80年代になるとリアリストのビスマルクは“君子豹変”したのである。


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。


<1873年3月、訪欧中の岩倉使節団を接遇したビスマルクは、実は「果敢な武断主義者」から「慎重で避戦的な勢力均衡主義者」に移行している最中であったが、彼はそのことを岩倉使節団に説明しなかった。


たとえ説明したとしても、当時の日本人には理解されなかったろう。「バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交」は、17~19世紀の西欧外交史に関する質の高い知識がなければ理解できないものだからである>


小生思うにビスマルク自身もドイツ帝国樹立後、間がないので、「守勢=防衛戦における勢力均衡外交」の在り方を模索していた時期ではないか。


攻守あれど戦争や競技は物量戦(ハードパワー)と同時に頭脳戦(ソフトパワー)だから、当たり前ながら戦略、戦術、作戦が非常に重要になる。例えば、


ボクシングのタイトル奪取の戦いは、挑戦者は1点でも上回れば勝者になれるからひたすら攻撃する(体力消耗リスクが大きい)、一方でチャンピオンの防衛戦は同点でもタイトル防衛になるから、挑戦者の攻撃をかわしていればいいし、挑戦者がへとへとになったところで乾坤一擲、渾身の一発で大逆転も可能だ。


現世王者ジョージ・フォアマンと無冠の伝説王者モハメド・アリ(挑戦者)が対戦し、アリが劇的な逆転KO勝利をおさめた「キンシャサの奇跡」(世界統一ヘビー級タイトルマッチ、1974年)は、攻守所を変えていたが、アリはまさに上記の戦い方だった。小生も先生もみんな授業をおっぽり出してTV観戦したものだ。


スポーツのみならず「血を流さない戦争=外交」「血を流す外交=戦争」における戦略、戦術、作戦は非常に重要なのだ。


「こうすれば、こうなるものと、分かっていながらそうなった」・・・個人の失敗は「アハハハ、みんなそんなもだよ」で済むが、戦争はそうはいかないから、しっかり学ばないと50年、100年、惨めな思いをする。「後の祭り」はもう沢山だ。


<明治から昭和期の日本人は、1862~70年の(ドイツ帝国樹立時の)ビスマルク外交には大いに関心を払い、果敢で武断主義的な戦略を一所懸命に模倣したが、その後の帝国宰相期(1871~90年)の慎重に熟慮された巧妙な勢力均衡外交には、ほとんど興味を示さなかった。


ビスマルクは1871年1月に帝国を創立した後は、一切の拡張主義的な行動を断念するようになった。1880年代、ドイツ陸軍が世界一強力な戦力を獲得し、周囲の大国を撃破して領土拡大できるようになっても、「鉄血宰相」ビスマルクは、「勝てる戦争をやってはいかん、ドイツには戦争は不要だ。これ以上勝ってもドイツの長期的な国益にはならない」と避戦主義の立場を堅持したのである>


祭りでみんながノリノリ、ワッショイワッショイのときに100人神輿を止めるなんてできやしない、「踏みつぶすぞ、この野郎!」、弾き飛ばされてしまう。ビスマルクは「私は正義病」のドイツ国民の怨嗟の的、罵詈讒謗を浴びたのだった。


苦しくなるとビスマルクは年下の皇帝に愚痴をぶつけ、床に寝転がってジタバタ、大泣きする、皇帝はオロオロし、「たとえ朕一人でも最後までお前を信じている」と慰めるのだった。全く絶妙なコンビ、天の配剤だったなあ。皇室制度はあった方がいいのである。(つづく)



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(39」

2020-07-27 10:06:46 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(39」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/149(2020/7/26/日】チャリ散歩で「そのうちコケるだろうなあ」とは思っていたが、歩道と車道を分けるコンクリ製ポールにぶつかって倒れそうになった。


帰宅してから何となく左の脛を見たら7センチほどの切り傷から血が出ている。痛そうだが、あまり痛くはない。で、母のことを思い出した。晩年の母はよく青あざを作っていた。


「そこ、どうしたのよ、紫色じゃん」
「あら、どうしたのかねえ、全然知らなかったよ」


歳とると痛覚も劣化するわけだ。あまり痛くないように神様がそうしてくれるのだろうか。日本口腔顔面痛学会(痛そう!)から。


<加齢の進行に伴い、中枢神経および末梢神経系システムに様々な変化が生じることはよく知られている。痛覚受容も加齢による影響を受けている可能性は充分考えられる。本研究は、加齢に伴う侵害受容システムの変化を解明することを目的とした。


結果:老齢ラットは侵害刺激に対する反射は亢進しているが、 痛みの認知機能が低下していることがわかった>


つまり加齢により「痛みの認知機能が低下」するわけだ。


老化は痛覚だけではなく、視覚、聴覚、味覚、触覚、嗅覚、温覚、冷覚などにもあるはずだ。「あんた、ここは仕事場だぜ、なんか錯覚してんじゃね? 自覚が足りないよ、自覚があ!」とかもあるね。


俺はまだ若いと錯覚したり、老人の自覚がなかったりしても、加齢により感覚のみならず「脳みそ、肉体のすべてが劣化していく」のが当然の生理である。


痛覚など症状がなければ穏やかな最期になるのだろうが、劣化をできるだけ抑えて「やるべきことはやっておきたい」、「あと少しで1000人斬りだあ、目指せドンファン」なんていう人は焦ったりしそうだ。


くたばる前にこれだけはやっておきたい、心身がそこそこ機能するうちにやっておきたい、でも残り時間は少ないだろう、1日たりとも無為徒食で過ごすわけにはいかない、と焦る。「目標」があるから「道まだ遠し、日は暮れる」と焦るわけだ。


散歩やハイキング、山歩きでも「目標」があった方が「達成感」「喜び」は大きい。東京都で唯一標高2000mの雲取山を制覇した時は皆が「バンザイ」を叫んだものだ。思わず声が出て、実に気分が良かった。


「目標」があれば艱難辛苦も乗り越えられるかもしれない。それが「生きがい」とか「張り合い」という楽しみや慰謝にもなるだろうが、「目標」への道は、それが遠大であればあるほど過酷なのではないか。だからこそ達成感は大きいだろう。


そして新たな、さらに大きな「目標」が生まれ、くたばるまでチャレンジの連続だ!となったり。


のんびり面白おかしく(やがてボーッと?)過ごす老後、一方で「痩せガエル」のように挑戦する老後。多動児の小生は痩せガエルのように、諦めることなく、跛行してでも、前進していきたいなあと思う。


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。


<1873年3月、訪欧中の岩倉使節団はベルリンにおいてビスマルク宰相から招かれた。その席でビスマルクは、


「近代的な法制度を整備しても、日本に実力がない限り、欧米諸国は日本を対等な国として扱わないだろう。諸君は実力をつけることを優先したまえ」


とアドバイスした。使節団一行は蒙を開かれた思いだった。


大久保利通は「新興国家を経営するには、ビスマルク候の如くあるべし。我、大いに頷く」と書き、伊藤博文とともに「我こそ日本のビスマルクになるのだ!」と発奮したのである。


使節団に同行しなかった山形有朋までこの話を聞いて「余も日本のビスマルクになりたい!」と熱望し、自宅の居間にビスマルクの銅像を飾っていた。明治の元勲の多くが強烈なビスマルク病に感染したのである>


明治維新のリーダーの若々しい熱い気持ちがうかがえて感動的だ。その後の「富国強兵一直線」という、老獪、狡猾、欺瞞、奸計、ディール、韜光養晦のないような政治、外交は、最期には未曽有の大敗戦になってしまった。


青春に挫折はつきもの。日本は若くて初心だった。辛酸を舐め、痛い思いをし、屈辱に涙した経験をバネに、次のガラガラポンでは銅メダルをとって、「オンリーさんを卒業する、普通の国になる」。


それを実現できれば「令和の大戦」は子々孫々、「敗者復活、奇跡の逆転サヨナラホームラン、一次リーグ入りの『令和維新』」と記憶されるだろう。


「歴史に "If" はない」・・・大久保らがビスマルクに感動し、ヒゲや態度でも冷静冷血な政治リーダーを真似たのはご愛敬だが、後世にビスマルクの名を伝えることになった「バランス・オブ・パワー/勢力均衡外交」は、当時はビスマルク本人も戦略として意識していなかったようだ。


「えげつない外交、まるで詐欺師、汚さ過ぎ!」とドイツ皇帝から庶民までが罵倒し、さらにビスマルク本人さえ「俺だってこんな汚いこと、好きでやってるんじゃないんだ、他に方法がないんだからしょうがないだろ、あーだこーだ言うんなら俺は辞める、もううんざりだ!」と、皇帝の前で(半分は計算通りに、半分は本気で)七転八倒、大泣きした。


皇帝はビスマルクを好きではなかったが、ビスマルク以外に(個性豊かでクセのある感情的で付和雷同的、正気と狂気の狭間的な)ドイツ民族を牽引し、近隣国を牽制できるリーダーはいないことを知っていたし、ドイツ民族は皇帝が大好きだったから、結局、ビスマルクの政策は皇帝の承諾を得、国民の暗黙の了解を得るのだった。


ビスマルク統治の前期は、卑怯だろうが汚かろうが無節操だろうが、何が何でもドイツ帝国を創るという武断的攻撃的陰謀的な勢力均衡外交、後期はドイツ帝国を守るという守勢的狡猾的な勢力均衡外交だった。


大久保らはビスマルクの武断的攻撃的陰謀的な勢力均衡外交に心酔したが、日清日露の戦役で勝ったことからか、それが勝利パターンになってしまったのだろう、ビスマルクの守勢的狡猾的な勢力均衡外交を学ぶには至らなかった。


ドンパチの表側の戦争・外交、目に見えない裏側の戦争・外交、まあ日本は初心だったから最終的には負けてしまった。次回はもっと強く、もっと賢く戦い、世界を洗濯し、八紘一宇へ前進しましょう。(2020/7/26)











雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(38」

2020-07-26 08:11:40 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(38」
“シーチン”修一 2.0


【Anne G. of Red Gables/148(2020/7/25/土】島崎藤村の「夜明け前」の書き出し。


<木曾路はすべて山の中である。あるところは岨づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた>


名文だ、小生がひっくり返っても書けない。最初で読者の心をがっちりと掴む、掴んだら離さない、「お前は俺のもんだ、もう逃げられんぜ、ふっふっふっ・・・」。彼は道徳的に卑しい、女をもてあそんだ、と、もてなかった小生は思うが、まあ妬みだな。


修一の「ずーっと夜明け前」から。


<津久井道は多摩丘陵の谷間を縫うような上り坂から始まる。両側は平地が少なく、すぐに斜面であり、建物が密集している。歩道が整備されていず、歩いている人はまばらだ。自転車は一歩間違えば車道に転落するから難儀の上に危険である。一筋の街道は昔から旅人を苦しめたろう>


世田谷通は多摩川を越えると津久井道になる。分かれ目は多摩水道橋の中間で、[東京都←|→神奈川県]の境界線標識がある。米国でも州境には境界線標識があり、州警察や州兵は無断越境はしない。


こういう境界線を跨いでVサインするのは大体男である。跨ぎたい、両方とも俺のものにしたい、俺は征服者だ・・・本能だな。女は恥じらうのか、神様にお股を見せるのは不敬と思うのか、あまりやらないみたいだ。


取材で訪れた米国のユタ・アリゾナ・コロラド・ニューメキシコは「フォー・コーナーズ・リージョン」と呼ばれており、4州が一点で交わるところが観光ポイントになっている。


UNDER GOD FOUR STATES HERE MEET IN FREEDOM


記念碑の床にはこう刻まれており、両手両足の四つん這いで境界線を跨ぐ男の姿は豊穣を願う正常位そのもの。アメリカよ、永遠なれ!とか思うのかなあ。


この4州は1848年、米国がメキシコ(旧スペイン)から強奪したものである。世界は今でも「隙あらば侵略、強奪」「弱肉強食」が初期設定だ。国際社会も国内も「勝ち組」と「負け組」・・・


前回、こう書いた。


できない子でも「天職」に出会えればいいが、そもそも意欲とか忍耐力が低いのだろうか、現実には「転職」を重ねて、これという技能もなく、やがて貧困層になったりする。


子供をなしたにせよ、無知無芸、無為徒食と金欠は(ネグレクトで殺されなければ)子供に引き継がれ、何代にもわたって貧困(DNA)が継承されることもあるだろう。


こういう「落ちこぼれ」、特に若者のセイフティネット、受け皿は十分なのだろうか・・・と。


<若年無業者:15~34歳の非労働力人口のうち、家事も通学もしていない人。そのうち、「就業を希望していない」「就業を希望しているが求職活動をしていない」人をいう。ニートと同義にも用いられる。


厚労省調査で無業者数は2019年4月は22万人。2020年4月は91万人で70万人も多いが、増えた原因は恐らく「休校」だと考える>(育て上げリサーチ)


小生が精神科急性期病棟に入院していた時に出会ったTさん(38歳、元システムエンジニア)は「就業意欲ゼロ、引きこもり、親と上手くいっていないので別居して生活保護で一生暮らしたい」というニートで、入退院を繰り返していた。


90日間ルールで退院し、自宅で90日間を過ごすと再入院。これを繰り返していた。病院にとって患者は客だから、退院1週間後、1か月後でも「再入院ではなく、新患」として扱えば受け入れ可能とか。杓子定規では世の中は回らない、まあ臨機応変、ということだな。


Tさんは「生活保護を受けて親から独立したい」、つまり親から煙たがられ、居心地が悪いのだろうが、自力で働いて独立する気が全くない、というのは、スゴイのか、常識とか良識と無縁の世界の人のようだった。


「spicomi」というサイトから。


◆ニートになる人の原因8つ


1. 親にニートを養う経済力がある 2. ニートで家にいても居心地が良い 3. 過保護過干渉で育てられ精神的自立ができない 4. 過去の人間関係にトラウマがある 5. 中退や不登校など学生生活で躓きを経験した 6. 就職活動を失敗した 7. 社会に出て初めて挫折を味わった 8. ニートの脱出方法がわからない


◆ニートになる人の特徴5つ


1. 自己肯定感が低い 2. プライドが高過ぎる 3. コミュニケーション力が低い 4. 他力本願で受け身体質 5. 自分の人生への希望や意欲がない


◆ニートからの復帰対策4つ


1. ニート支援を受ける 2. アルバイトでも良いので働く 3. 仕事に直結する資格をとる 4. 在宅の仕事をする(以上)


そもそも「ニートからの復帰」をこれっぱかりも考えずにいるTさんのような人はどうしようもない。挫折なんてしたことないという人はまずいない。それを乗り越えよう、再挑戦しようという気がないのでは、周囲、社会が何をしようが無意味ではないのか。


「戸塚ヨットスクール」事件の際、ほとんどのマスコミ(リベラル≒アカモドキ≒アカ)は同校を叩きまくった。「ヒッキーは病気なんだから優しく見守るべきよ。それを暴力で鍛え直すなんて鬼、虐待、絶対許せない!」と集中爆撃したのだ。正論なんて言える状況ではなかった。


石原慎太郎「戸塚ヨットスクールを支援する会」会長の言葉。


<戸塚ヨットスクールは、その厳しい教育訓練のあり方、死亡事故の発生、歪曲された報道などのため、これまで様々な誤解と中傷に曝されて参りました。


しかしながら、同スクールが「大自然との闘いで精神を鍛える」という方法により五百余名の情緒障害児(登校拒否、非行、家庭内暴力、無気力など)を更生させ、心身の本当の健康状態を回復させることにも成功した事実には、教育と医学の両分野における画期的意義を見出すことができます。


また、この事実を冷静に評価し分析する所から出発しなければ、戸塚ヨットスクール事件の真実も明らかにならないでしょう。


戸塚宏校長とコーチ達が3年余に及ぶ不当な弾圧をはねかえしてきたのも、同スクールの成果が、教育荒廃という名の文明病に病む日本にとって、かけがえのない価値を持つものであることを確信していたからに違いありません。


「戸塚ヨットスクール事件」が起きて以来すでに18年の歳月が流れていますが、当時も今も教育荒廃は何ひとつ改善されずにいます。鳴り物入りで発足した臨教審さえも教育荒廃の本質に迫った提言を成しえぬまま解散してしまった今、私達自身の手で真の教育改革を成し遂げることは、2l世紀に対する私達の責務であると信じます。


味覚の世界に「塩」というものがなかったなら、料理が味気なくなってしまうように、自己の深化を志向するある種のストイシズムを欠いた人生に人間の本当の喜びはないでしよう。これこそが今の教育に欠けているものです。そして、戸塚ヨットスクールが教えてれたものは、この「精神の塩」の価値にほかならないのだと思います。


私は、この“支援する会”に呼応し、「我々の手で教育改革を!」という真摯の叫びが、日本全国で澎湃として湧き上がって来んことを願ってやみません>


一口に「人間」と言うが、同じ民族、同じ人種であっても個性は千差万別だ。「人間は平等だ」というのは「人間は同じ」というのではなく、「機会は均等に与えられるべきだ」ということだろう。


しかし、それぞれが個性はあり、生まれ育ちも違い、金太郎飴ではない。「機会均等」と言っても現実にはスタートラインが違い、ゴールまでの距離が、ある人は50キロ、ある人は100キロ、200キロなどと異なっている。


米国ではそれを斟酌してマイノリティには試験で加点するなどの優遇措置を取っているが、今の黒人やアカの暴動を見ていると、キング牧師の「静かなる革命」から大きく後退しているように見える。後退どころか野蛮そのものだ。


同じ犬でもシェパードやプードルなど皆、個性があり、警官とともに働く犬、ご主人様の心を癒す犬など適材適所だ。人間も同様に、人種などによって得手不得手はあるだろう。


運動能力、音楽、学問、芸術、ビジネス・・・それぞれが個性とか天賦の才などを活かせるチャンスや再チャレンジの機会がある社会を目指すことが一丁目一番地で、それ以上の「やる気がない人まで救う」ようなセーフティネットは、その是非を含めて未来への永遠の課題ではないか。


ルソーの「人間不平等起源論」(1755年)はこう語る。


<自然状態の人間は自由平等に生活していたが、私有財産制とともに人間の欲望は増大して富の不平等を招き、世の中を戦争状態とした。そして不平等を永久の法とする富者の国家をつくった>(コトバンク)


この論はやがて米国独立戦争やフランス革命に影響を与え、バブーフ、マルクスなどの過激な「平等に憑かれた人々」を産み、明治維新、ロシア革命を始めとする近代革命に大きな影響を与えたようだ。


ただ、小生が思うに、人間はもともとが群れていた。大なり小なり群れていないと生きていけないからだ。狩猟採集の時代から群は縄張りを作り、合従連衡で群は大きくなり、さらに部族連合のような村になっていく。


私有財産も最初から「俺が作った武器、俺の茶わん、俺の服、俺の飾り」はあり、やがて村になると「武器係」「土器係」「被覆係」「食事係」「建築営繕係」、さらに「交易用名産品製造係」(保存食品など)などの班が作られ、村民の共有物になっていっただろう。


さらに定住農耕が始まれば「村の共同田んぼ」の他に、やる気を促すために「俺の田んぼ」が奨励されて普及していったろう。


(米大陸の先住民は移動生活だから土地所有の概念はなかったかもしれないが、ここは我らのシマだ=排他的経済圏、よそ者が来たら追い出す、という縄張り争いや戦争は日常茶飯事だったろう)


やがて部族連合はさらに大きくなり、戦争も規模が大きくなり、武力、統率力のあるものが統治し、領土や荘園という私有財産制が進んでいくが、日本では農民は基本的に農地を持つ。


私有(見返りがあるので必死に働く)が公有(見返りがないのでやる気なし)よりもはるかに生産性が高いことはソ連、中共、北の失敗が示している。


つまり私有財産制度や個人の能力による所得差異は自然であり、共産主義的=独裁的な公有制度や平等主義は不自然かつ、支配階級のみを潤す不平等制度だと断言できる。


私有財産制度/能力重視などは貧富の格差をもたらすが、その格差が大きくなりすぎると国家秩序や国民の紐帯が緩む、社会不安を高めることになるから、各国は税・福祉制度などで格差是正に努めている。


「できる人」のやる気をそがずに、かつ、夏彦翁の言う「できない坊主」=貧困層でも絶望することなく、それなりに気分良く暮らせるという政治が求められているのだろうが、それは結構「未知との遭遇」であり、誰もが「イイね!」というモデルがないから、とても難しい。


北欧の「福祉国家」はしばしば称賛されるが、高福祉=高負担である。少子高齢化で納税者が減っていく中で高福祉は無理筋という見方もある。日本や米国の保守層は「小さな政府がいい、基本的に国民は自助努力を」というスタンスだ。


福祉を手厚くする「バラマキ政策=増税」だと勤労意欲が衰え、企業のヤル気もそがれるリスクがある(高税に耐えかねて外国へ移転)。先進国の場合はそのために軍事力が弱まり、中露北という札付きの危険国家に接している日本などはますます脆弱になってしまうことになる。亡国になったら流浪の民、福祉もクソもない。


人間はちっとも成長しないから、バカなことをし、懲りて、やがて忘れ、またバカなことをする、その繰り返し、それが初期設定。だから先人から学ぶことは多いのだ。(学ばないのも初期設定、偉人賢人の子は皆凡人)


伊藤貫氏の「歴史に残る外交三賢人」から。


<1871年にドイツ統一を達成し、ドイツ帝国初代宰相となったビスマルク。多くのリベラル派にとって彼は「無節操なオポチュニスト」「冷酷非情なマキャベリスト」である。


しかし保守派、特に国際政治学のリアリスト派にとってビスマルクは「軍事力を使うべき時と使うべきではない時を明瞭に峻別する能力があった。稀に見る理性的なリアリスト」なのである。


過去500年間の国際政治をどう見るか。


リアリスト派は「勢力均衡外交」の視点から見る。リベラル派は、自由主義対権威主義、民主主義対軍国主義、社会主義対資本主義といった「イデオロギー、主義」の視点から見る。だからビスマルク外交に対する評価は正反対になる>


なんと明治期の日本はビスマルクから巨大な影響を受けているそうだ。ちっとも知らなかった。


<1873年3月、訪欧中の岩倉使節団はベルリンにおいてビスマルク宰相から招かれた。伊藤博文と大久保利通も同行した。その席でビスマルクはこうアドバイスしたのである。


「諸君は、列強諸国と結んだ不平等条約の改定を目指しておられるという。しかし欧米列強が『日本は近代的な法制度を整備した』という理由だけで、日本との条約改定に応じるかどうかは疑問がある。


国際法は、諸国の権利を保護する不変の取り決めだと言われている。しかし列強諸国は、自国の利益になるときは国際法や条約を守るが、自国の利益にならないと思えば、あっさりそれを無視して武力に訴える。


諸君、それが国際社会の現実である。欧米列強は礼儀正しく他国と交際しているように見えるが、そんなものは表面的な振る舞いにすぎず、実際には弱肉強食が国際関係の真の姿である。


プロイセンも昔は、現在の諸君たちと同様に貧乏な弱小国であった。我々は数多くの屈辱を味わわされた。私はあの頃のことを決しれ忘れていない。


諸君は国際法や条約のことばかり気にするよりも、富国強兵して実力をつけることに尽力していただきたい。諸君は実力をつけて独立を守るべきだ。そうしないと、列強の植民地獲得競争の餌食になってしまうかもしれない」


岩倉使節団一行は、このアドバイスを聞いて驚いた。彼らはそれまで、欧米諸国の政府高官たちから数多くの助言を聞いてきたが、ビスマルクのように率直に、しかも友好的で快活な態度で国際政治の現実を説明してくれる列強指導者に会ったのは初めてのことだったからである。


「近代的な法制度を整備しても、日本に実力がない限り、欧米諸国は日本を対等な国として扱わないだろう。諸君は実力をつけることを優先したまえ」


(剥き出しの)ブルータルなまでに率直なビスマルクの助言は、岩倉使節団を奮い立たせた>


初心な中学生に海千山千のお姉さんがタバコをふかしながら、


「そう、アンタ、卒業したら東京へ行くの・・・みんな夢見て東京へ行くけど、誘惑多いところだから、失敗して消えちゃう人、多いよねえ、アンタ、可愛いから女でしくじりそうね・・・いいわ、卒業記念に女のトリセツ、教えてあげるわ。こっちへいらっしゃい・・・大丈夫よ、とって食うわけじゃないんだから。女の扱い方を知っておかないとね、騙されて一生を棒に振ったりするのよ・・・そう、こっちに腕を回して・・・いい匂いするわ、若いっていいわね、夢の匂い・・・まずキッスからね・・・初心ねえ、大人のキッスから教えてあげるわ・・・」


先輩の課外授業は実にタメになる。


ま、日本は国際舞台では初心な新人だったわけ。色々あって永らく異人さんのオンリーになっているけれど、風雲急を告げる今は再デビューのチャンス、♪昔の名前で出ています・・・緊急出版「中共後の支那と世界」、絶対売れるぜ!(2020/7/25)