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雀庵の「中・北・ウイルス水滸伝」

2020-04-29 15:36:26 | 日記
雀庵の「中・北・ウイルス水滸伝」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/109(2020/4/29】国内がヤバイ、ごたついてどうも安定しない、秩序を回復するためにいかにせん――為政者が迷ったときに手を出したくなるのが、昔からの「内戦を外戦に転化する」「内部矛盾を外部矛盾にすり替える」政策だろう。

「外に敵を創る」ことで国民を結束させる。邪道だが効き目はある。アカのFDR(ルーズベルト)は日本に一発目を撃たせて米国民を結束させ、WW2戦勝国となり、世界の王者になった。

夫婦喧嘩だって「隣が火事だ!」となれば停戦、休戦になる。鎮火した後は「アンタ、ほっぺた火傷したの?」。旦那は(お前が味噌汁の椀を投げつけた痕だろうが、ウッタク・・・と思いつつも)「あ、ちょっとヒリヒリするけど大丈夫だよ」なんて言っておくのが家政学のキモになっている。この夫婦はわが社の社員で、旦那は「ハハハ・・・」と自虐的な、寂し気な自嘲をしていた。

いずれにしても「内戦→外戦→国民結束→政権維持」は為政者にとっては魅力的な手ではある。求心力が落ちてきた習近平、生死不明の金正恩、影が薄くなったプーチン、同ハメネイなどは「座して処刑の身をさらすくらいなら乾坤一擲、当たるも八卦、外に打って出よう、それしかない」と思っているのではないか。

軍資金を持っているのは中共・習近平だけ、後はそれを頼りとするマイナー国家で、元々が洞ヶ峠の風見鶏だから情勢を見ながらどっちに転ぶか分かったものではない。

チャイナコロリみたいな効き目のある生物科学兵器や核ミサイルは我が身の破滅にもなりかねないから、初戦からは使えそうもない。使えば、たとえ勝ったところで「城春にして草木深し」、大都市は壊滅している。

開戦すれば多くの国は米国に付かざるを得ない。資金、軍事力もさることながらWW2後の実戦経験で米国は他国に圧倒的な差をつけている。一方で中共は朝鮮戦争と中越紛争ぐらいしか経験がない。いずれも勝てなかった。

湾岸戦争でイラク軍主力部隊は一夜にして壊滅した。その後のイラク軍はゲリラ戦しかできなかった。中共もほとんど経験のない海戦では完敗するしかない。世界最強のはずだったバルチック艦隊は日本海軍に鎧袖一触、壊滅した。中共は空母と艦載機がお粗末だから空戦もままならないだろう。

ロシアも中共も広大な国だから陸戦は強いかもしれない。ナポレオンもヒトラーもロシアには勝てなかった。それどころか冬将軍によって壊滅した。

中共はかつての紅軍時代は弱者の戦法である森や疎林の中のゲリラ戦は得意だった。しかし、今では米軍をも畏怖させたベトナム軍とのジャングル戦で中共は勝てなかった。米軍を追い払ったベトナム軍の仮想敵は昔も今も中共である。

そもそも中共には辺境にしか森林がないどころか、それ以外は砂漠化が懸念されている。都市ゲリラの手はあるが、散発的な抵抗はできても大攻勢は無理。大体、人民の支持がないところでゲリラ戦はできない。

素人が考えても中共による対列強の外戦は失敗する。毛沢東のように奥地に引き籠っても自滅するしかない。大体、一人っ子の将兵は毛沢東の時の「古いぼろぼろの革靴を煮て食った」という乞食軍団の、チャップリンもビックリの根性、生活力があるわけない。

「どんなことがあっても死んじゃダメ! 敗走三千里でも生き残るのよ! 督戦隊に気を付けてね! 家を継ぐのはあんたしかいないんだから!」

「ママ、僕、怖いよ・・・留学中に現地の人と結婚して国籍取っておけばよかったのに・・・王岐山が邪魔したんだ。そんな奴らのために戦場に行かされるなんて・・・僕は・・・僕は・・・」

中共は少数民族を含めた人民を苛めたつけを払うのだ。天網恢恢、疎にして漏らさず、どうあがこうが習近平が皇帝になり世界に君臨することはできない。恨みを買い過ぎた。桀紂毛習を永遠に忘れない。

世界と支那の人民にとって一番いいのは、習近平が一党独裁を止めて民主主義国への筋道をつけることだろう。「21世紀の辛亥革命」、干支の「辛亥」は近いのでは2031年とか。あと11年あればソフトランディングできるし、習近平は「21世紀の孫文」として永遠に名を遺す。

どや、習さん、あんたの気持ち次第や。わしらは過去のことは問わん、あんたが1億の舎弟を説いて、中共やのうて任侠で行こうと先頭に立って行くんやったら、わしらも全力で応援するが、のう。

もしあんたが改心せんで極道で突っ走る、14億を道連れにしても世界を乗っ取るんや言うんやったら、わしらも覚悟を決めにゃあならんて、のう。若いもんも特攻の血が流れておるで、喜んで吶喊するが・・・まあ、お互いに血は流さない、女子供の涙は流させない、それが男道やないか。そこをよう考えて欲しいんや。

任侠連合の大将には「わしが習さんに手打ちを説いてきます、それまでは武闘派の若衆頭を押さえてください」、そうお願いしておるんや。あんたがどうしても了解せんなら、わしには刺し違えるか腹を斬るしか道がない。

あんたも鉄砲玉を押さえるのに苦労するやろが、ひとつ真剣に考えてな、ヂヂイにいい返事をくれるよう、この通りや、習さん、頼んだで・・・

1927/民国16年12月の中共による武装蜂起「広州起義/広東コミューン」を描いたマルロー「征服者」には、中共と国民政府双方に「軍事衝突だけは避けよ」と命懸けで調停を図る老政治家が描かれている。彼のモデルは裏切り者、反動の手先として中共に殺されたようだ。

この蜂起は事実上、反英暴動でもあったが、国民政府に鎮圧され、以来、居場所を失った中共は辺境に18年間引き籠ることになった。

この愚を習近平は繰り返すのか。父を逼塞させ、姉を自殺させた毛沢東の「文化大革命」、実際は「文化大破壊革命」を真似て支那と世界を大混乱させようとしている。

全国3500万の同志諸君、コロリも逃げるお荷物ヂヂイが大義に殉ずる好機到来だ、「バカなヂヂイ」で終わるか、「バカだったけれど潔かった」と笑いを誘うか、我々は歴史評価の岐路にある、イザ、立ち上がれ、敵は中南海にあり! 命惜しむな、名こそ惜しめ!

うん? オシメ、アテント、除菌スプレー・・・マスクもって・・・えっ? 飛行機飛んでないの? 2週間隔離?・・・なんか萎えてきたなあ、開戦を遅らせるとヂヂイはどんどん劣化して使い物にならんさかい・・・「重荷とは、それを運ぶ強さを備えたものにふさわしい」、そうだ、明日は明日の風が吹く、明日考えよう・・・(2020/4/29)


雀庵の「革命聖地武漢再び 加油!」

2020-04-28 08:49:30 | 日記
雀庵の「革命聖地武漢再び 加油!」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/108(2020/4/28】チャイナコロリは「人類共通の敵」だから右派と左派が手を握る「レーニンの人民戦線」「毛沢東の国共合作」という、まあ野合が可能かなあと思っていたら、何やらそんな場面が表に出始めたみたいだ。
花清漣女史は「中華ネトウヨの方方女史攻撃にみる習氏中国」( 2020/4/24)でこう記している。

<方方女史と私は共に1950年代生まれです。(ファンファン、本名は汪芳。武漢の作家、封鎖中の暮らしを日記に執筆し、各国で出版される運びとなった)

黒の文革時代、それに比べればまだましだったトウ小平の改革時代を体験しました。江沢民の時期に私は中国を去り、彼女は残りました。ネット時代ですから、その後の中国の変化を身を以て体験し、彼女は中国で、私は地球の裏側からそれを見てきました。

方方の作品は、武漢封印中の彼女自身の心の旅路で、不幸にして流行都市の犠牲になった武漢の人々の痛みを記録したものです。しかし人間として人生の痛みを感じ得る人ならば、現在の中国という、真実を話すことが稀で貴重なお国柄にあって、これがどれほど大切な作品かが分かっています。

少数の人々は、猫も杓子も万歳を三唱するしかない暗黒の時代にあって、社会の暗黒面を語ることができた彼女を褒め称えています。しかし世界をあべこべにしか見ることのできない「義和団2.0」(中共万歳のネトウヨ)たちは罵詈讒謗を浴びせて「社会の暗黒面を書いて西側に攻撃する武器を与えた」と非難しています>

ネットで検索したら「私たちは護憲・軍縮・共生を掲げてネット上に市民メディア、リベラル21を創った」というサイトに「封城(ロックダウン)下の武漢の暮らし 方方女史の『武漢日記』抄訳」があった。

ジャーナリスト・田畑光永氏の訳・解説で、とてもいい訳だなあ、どんな人なのだろうと調べたらWIKIにあった。御年85、渡部“頂門”亮次郎氏と同時代の記者だった。

<田畑光永(たばた みつなが、1935年8月29日 - )は、日本のジャーナリスト。東京都出身。東京都立日比谷高等学校、東京外国語大学外国語学部中国語学科卒業後、1960年、TBSに記者として入社。中国政治を主たる専門領域とし、1972年の田中角栄首相の日中国交正常化の際にも同行取材を行った。 妻の田畑佐和子は、元岩波書店の編集者であり中国文学の研究者>

モロ“岩波文化人”で、当然中共に寄り添うリベラル≒アカモドキ、小生の大嫌いな人種だが、習近平中共にとって苦いことも書く(イエローカードを出す)リベラル≒アカモドキもいるのだ、皆が皆、腐れ男妾のテドロス飴じゃないようだ、というのは発見だった。以下、氏の記述と訳を部分引用する。

<田畑:新型コロナ肺炎はいまだに世界中で猖獗をきわめているが、発症の地となった中国の武漢市は1月23日から2ケ月半にも及んだ封鎖(中国語では「封城」)が4月8日に解けて、1100万市民の生活はようやくもとに戻りつつあると伝えられる。

市民にもきびしい外出禁止が課せられ、自由に買い物にも出られない中で、人々は文字通り息をひそめるようにして毎日をやり過ごしていた。

その実情については、わずかに3月10日、習近平主席が同市を訪れ、住宅団地を視察に回った際に、主席へのお付きの説明を聞きとがめた住民たちが「そんなのは全部嘘だ!」と、口々にベランダから声を上げたというニュースが伝えられたことがあったが、それ以外、外部からはほとんど知ることはできなかった。

しかし、その封城の中の生活を冷静に日々記録していた作家がいた。方方という女性作家による『武漢日記』がその作品である。

もっとも状況が状況であるから出版されたわけではなく、ネットで執筆と同時進行で広く読まれた。少ない日で5万人、多い日は15万人もの目に触れていた。すでに英訳、独訳の出版が決まっていると伝えられる。

この作品は現在、中国国内で大きな論議の的となっている。ご想像がつくと思うが、この作品がありのままを書いていることが中国にとってマイナスだと考える人々が、権力に近いところにいるからである。

『人民日報』系列の『環球時報』などには「中国の顔に泥を塗りたいのか」といった批判が見られる。それも外国語訳が出版されるとなってから激しくなったように感じられる。

私も何とかこの作品を読みたいものと思ったが、なかなか遭遇することができなかった。私もまだ入手した分全部を読んではいないのだが、早いほうがいいので、読んだ分から抄訳の形で、とりあえずご紹介する。果たして「中国の顔に泥を塗る」ものなのか、「泥とはなんだ」ということを頭の片隅に置いて読んでいただきたいと思う。

◆方方著『武漢日記』から(1)2月6日

今日の武漢はまた雨。空が暗い。暗い中の雨と風は一種のすごみを感じさせる。ドアを出たとたん冷風に打たれ、身震いする。

けれど今日はいいニュースがいろいろあった。最近で一番うれしい知らせだ。まずラジオで聞いたのだが、病気の蔓延は間もなくおさまるだろうということ。専門家という人が話していたのだが、私は信じられると感じた。

それからネット上で盛んに言われたのが、アメリカの研究所で新薬が開発され(中国の専門家が「人民の希望」と命名?)、金銀潭病院での試験では結果は大変によかったそうだ。

武漢人はみんな大喜びだ。外出禁止の規則がなければ早速、街中が大騒ぎになったろう。長く閉じ込められ、長く待ち望んでいた希望がやってきた。素早く、ちょうどいい時に、みんながうちしおれ始めたこの時に。

しばらくして、誰かがあれは嘘だったと言い、果たせるかな何の結果も出なかったとしても、それはそれでいいではないか。今はいいニュースとして聞こう。二、三日すれば、われわれの期待が本物だったとなるかもしれないのだから。

みんなが注目していた仮設病院が今日から正式に使われはじめた。中に入ったひとたちからのビデオや言葉が届いた。お粗末とかうるさいとか、そんな類の言葉が多い。でも、一日でできた建物だから、その分不完全なところはこれから早急に改善されるだろう。

人が大勢となれば、感じ方もまちまち、まして病人となれば、である。焦燥、不安、煩わしさ、混乱、すべてあるだろう。どうしたって家にいるようなわけにはいかないのだから。

武漢はここへきて一番大変なところを過ぎた。ここでさらに焦ってはだめだ。毎日あちらこちらへと彷徨っていたあの病人たちも(仮設病院ができ)、静かに室内で横になり、隔離されて医師の治療を受けられる。

なにはともあれ、本人たちにも、ほかのみんなにも、よかった。でなければ、今日のような天候の日は、彼らの中のどれほどの人が病状を悪化させたり、路上でたおれたりしたことか? だからわれわれは気持ちを抑え、我慢する。全体の状況が管理下におかれて、はじめて人は安穏を得ることができる。

我々自身はやはり家にいて、恐れないことだ。多少の熱や咳に慌てふためかず、冷静に対処しなければならない。

朝起きてスマホを見たら、お隣りさんからのメモがあった。娘さんが今日、野菜を買いに出たので、ついでに私の分も買ってきてくれて団地の入り口に預けてあるので、起きたら受け取って、とある。

それを受け取りに出て戻ると、同じ敷地内に住む姪から電話。ソーセージと「腐乳」(豆腐の漬物)をくれるという、団地の入り口で受け取ってもよかったが、結局、部屋まで一山、持ってきてくれた。

一か月閉じ込められても食べきれないほどだ。災難の中で、同じ船に乗り合わせたものどうしの助け合い、ありがたく、暖かい。

ブログを書き終えたところで、李文亮医師が亡くなったことを知る。彼は当局の「訓戒」処分を受けた8人の医師の1人で、自身もウイルス肺炎に感染した。今、武漢市の全員が彼のために泣いている。胸中、やるせなさでいっぱい。

『武漢日記』から(2)3月8日

(訳者注:前回は2月6日に書かれた日記だったから、それから1か月が過ぎている。残念ながら、その間の日記は入手できていない)

また雨。それもかなりの降り。寒気が音を立てる。昼間でも夕暮れのようだ。

遠い成都(四川省の省都)に住む劉先生が武漢の友人に託して魚を何匹か届けてくれた。ずいぶん固辞したが、結局、押し切られた。魚はきれいにさばいてあり、ネギ、しょうが、大根まで添えられていて、これでスープを作りなさい、簡単だから、との伝言。

また、私の日記で私の糖尿病を知り、ドライフルーツと手紙が居住区の事務所に届いていた。申し訳ないと同時に胸が熱くなった。友人の皆さん、心配してくれてありがとう。

武漢の女は言葉のテンポが速く、声も高い。言葉の衝突ではまず負けない。もし相手も女性で、女2人が対決するとなったら、これは見ものだ。

思い出すのは、あの文化大革命の時代、娘の祖父は華中師範大の教授だったが、紅衛兵が彼をつるし上げようと家にやってきた。この時、祖母は祖父を家において、自分が出て行って、紅衛兵とやりあった。紅衛兵たちも相手がおばあさんでは手の施しようがなく、帰って行った。

この話を私は以前、ある文章に書いたことがある。そのせいか、今度の疫病戦中でも、日常のやれ集団購入でのいさかいとか、やれ居住区事務所との交渉とかを、自分の領分と考えて、多くの女性が出てきた。

武漢の女性は気が強く、声も大きい。ビデオを撮ろうとする連中をいくつも追い払い、大勢を震え上がらせた。武漢のすべての女性にエールを送る。

今日は「封城」46日目。疫病戦もこのところ、喜ばしいニュースが増えてきた。ある区域は試験的に封鎖が解除されて、仕事が始まるとひそかに伝えられている。友人が言うには、空港が運航再開の準備をしている、とか。この知らせは驚喜の上にもう1つ驚喜だ。そうなれば封鎖解除も近い。

医師の友人からの知らせもいいものだ。新しく確認された感染者が2日続けて少ない。明らかに減っている。感染が疑われる人はとっくに少なくなっている。仮設病院も順次、休院に入っている。一部の病院の日常的な外来診療も復活した。

ウイルスの蔓延を抑える戦いは現在、戦場整理の段階に入っている。すっかり終わるまで指を折りながら待つことにしよう。

疫病戦も終戦が近づくにつれ、市民生活の秩序が戻ってきたことが明白に感じられる。多くの居住区のサービス部の仕事も丁寧になり、態度もすこぶるよくなった。

記者が取材にくると、おおむね同じことを聞く。つまり「開城」(封鎖解除)した後、一番したいことは何か、というのだ。私はゆっくり休むこと、そして、この小説を完成させること、と答える。借りた借金は返さなければ、以後、誰も一緒に食事もしてくれなくなってしまう。

今日はまた『財新』(雑誌名)記者が香港の袁国勇院士(アカデミー会員、中国工程院院士、香港大学微生物系教授)を取材した文章を読んだ。

袁院士は武漢に来た第3団の専門家の1人で、今回の疫病戦でWHO(世界保健機構)が組織した合同視察団のメンバーであり、さらに香港特区政府の専門家顧問団の団員でもある。彼が記者に語った情報は真実、驚くべきものであった。

袁国勇氏:ひとつ本当の話をする。われわれが武漢で訪れた場所は多分、モデル地区であったろう。なにか質問をすると、直ちに答えが返ってくる。事前に準備ができていた。

しかし、鐘南山(呼吸器医学界の長老的存在。新型ウイルス防疫研究グループのトップ)さんは非常にきびしくて、何度も「ほかにはいないのか?」「結局、これ以上、病人いないのだな?」「ほんとにここにはこんなにたくさんいるのか?」などと追及した。

しかし、答えはこんな具合だ。「私たちは今、検査を進めているところです。なぜなら湖北省疾病対策センターが国から検査キットを受け取ったのは1月16日だったのですから」

彼らは問い詰められて、最後にこう言った。「多分、神経外科の1人の患者から14人の医療人員が感染したようです」、「しかし、その医療人員たちも感染が確認されたわけではありません」

『財新』記者もきびしく質問を続けた。「あなた方が武漢病院を視察した時、主だった人ではどんな人がいましたか?」

袁国勇氏「武漢市衛生健康委員会、武漢市疾病センター、武漢市内の病院や湖北省の健康委員会などの人たちだった」

記者はさらに質問を続けた。「彼らはあなた方になにか隠しているようには感じませんでしたか」

袁国勇氏「食事の時、鍾南山氏と同じテーブルに1人の副市長が座った。顔色はよかったが、気は重そうだった。あの時、彼らはすでに大変なことが起こったと知っていたのだろう。なぜなら3つも専門家の代表団がやってきたのだから。少し前には仮に何か隠していたとしても、あの段階ではもはや隠すこともなくなっていたのではないか。

ただ彼らがしきりに強調したのは、検査キットは武漢に来たばかりだということだ。それがなければ診断を確定することはできないと」

なるほど、端緒はつかめた。調べるべきは調べてもらいたい。1つ1つ問いただせば、きっとなるほどという答えが出てくる。私、われわれ、みな知りたがっている。こんな重大事をなぜ隠そうとしたのか。

鍾南山院士の鋭くきびしい追及で、ようやくウイルスの人から人への伝染の情報が庶民にも伝わった。それによって武漢人は茫然と無知な状態から目覚めたのだ。あれがなければ、あと何日、騙され続けて、すさまじい、残酷な結果が出現することを知らずにいたことか。1000万人以上の武漢人のどのくらいが生き残れただろうか。

現在の問題は、1、袁国勇氏が言及したような人たちは必要なのか不要なのか、調査、再調査を。2、はじめの2つの専門家視察団はとてつもなく大変なことと知っていたのか。なぜ鍾南山院士のようにきびしく追及しなかったのか。袁国勇院士は記者の質問に「われわれ科学者は永遠に『軟情報』(兆候など)を軽視してはならない」と語っていた>(以上)

言論統制の国では「軟情報」の兆候、憶測、懸念、推理、予感、風評、空気、風などに頼らないと真実に近づけない。諜報活動は9割が新聞など公開された資料の分析、1割がスパイ活動(ヒューミント)によるものらしい。習近平はチャイナコロリの不都合な真実を隠すだろうが、政敵はそれを利用して習近平降ろしを図るだろうから、真実や真実らしきものは出てくるかもしれない。

中共の次期政権としては「すべて習近平とその一派が悪い」ということで終わりにして内外の損害賠償責任を逃れたいだろうが、米国も欧州も「はい、分かりました」と引き下がるわけがない。ウイルスとの戦争が終われれば壮大な「銭闘」が始まる。内憂外患。

第二次辛亥革命も武漢蜂起から! 香港、台湾の火が武昌、漢陽、漢口の武漢三鎮に飛び火する、革命聖地武漢再び! 加油! ハラハラドキドキ、五輪より興奮することは確実だ。

なんか長生きして参戦したいなあ、せめて見物したいなあという気分にはなるね。「老人の 気持ちが分かって 迎え来る」、いい句じゃない?(2020/4/28)







雀庵の「岩波読んでアウフヘーベン?」

2020-04-27 13:17:09 | 日記
雀庵の「岩波読んでアウフヘーベン?」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/107(2020/4/27】数年ぶりに岩波書店のサイトを見た。それによると今日は「哲学の日」だという。

<4月27日は「哲学の日」.紀元前399年のこの日にソクラテスが毒杯を仰いで死んだことに因みます.

哲学と言えば,難解で,役に立たないことの代表のように言われることもありましたが,近年「哲学の復権」が語られています.

私たちの生きる世界が,歴史的,社会的,人間史的な逼迫のなかにあり,悪い方向への転換点にあるのではないかという問題意識が,思索への回帰を促しているのかもしれません>

なんかこじつけて不良在庫の哲学書をさばきたいのかなあ。

哲学・・・難しそうだが、小生は「いかに生きるべきか、いかに死ぬべきか、考えて考えて考え抜いて実行する、死すとも可なり」という解釈、感じだな。

大辞林にはこうある。

<1)世界や人間についての知恵・原理を探究する学問。もと臆見や迷妄を超えた真理認識の学問一般をさしたが、次第に個別諸科学が独立し、通常これらと区別される。存在論(形而上学)、認識論(論理学)、実践論(倫理学)、感性論(美学)などの部門をもつ。

2)自分自身の経験などから得られた基本的な考え。人生観。 「社長の経営術には一つの哲学がある」>

大学の哲学科は今は人気が下がっているらしい。哲学科で何を学ぶか。

<西洋と東洋の二大哲学から選択し、原理的、本質的な問題を考え抜く。

哲学は、古代ギリシア時代には学問全般を指していたが、近代に入って学問が専門分化していくなかで、あらゆる学問の基礎となる学問、世界や人生の根本となっている原理を探究する学問として位置付けられるようになった。

また、哲学という学問には、もう一つの領域がある。それはヒンドゥー教・仏教の思想から生まれたインド哲学、儒教・道教などの思想から成り立つ中国哲学のように、アジアの世界観や人生観・自然観から育まれた東洋哲学である>

結局、「いかに生きるか、いかにして人間の幸福に寄与するかが哲学、宗教の目標」と東洋大学創設者の哲人・井上円了は言っているから、小生の思いも間違いではないだろう。

まあ、それが就職に有効かどうかは採用する側の評価次第で、「6Gの市場規模を研究しました」「卒論は『ポスト・コロナと防疫』です」とかの方が実利的ではあるね。

戦後リベラル≒アカ≒アカモドキの牙城だった月刊誌「世界」は保守・反共・改革派の拡大で青息吐息、とっくに廃刊になっているだろうと思っていたら、何と生き残っており、森千香子・同志社大学教授が「友人が、政府の無責任なやり方に怒って発した言葉は『外出自体が感染症を拡大させる状況さえなかったら、暴動を起こしたい気分だ』」と書いていた。

暴動って火付け、強盗、殺人、破壊で犯罪であるが、著者も「暴動、分かる、その気持ち!」ということなのだろう。猫をかぶるからアカで、「奴は敵だ、敵を殺せ!」と表立って言うのはまずいだろうに。貧すれば鈍すだな。

岩波は通常の委託販売(返品可)ではなく「書店買取制」で、このために余程の販売力のある書店しか置いていない。先日ブックオフを覗いたら岩波のきれいな本がかなり多く並んでいた。つまり書店が廃業して叩き売ったわけだ。岩波延命して書店亡ぶ、みたい。

日販・出版流通学院の調査によると書店数は減少が続き、2019年版ではついに1万店を割り込んだ。大体、電車内で本、新聞、週刊誌を読んでいる人は数えるほど。わが街でも一時期は書店3店あったのが、今では日共系の小さな店だけしか残っていない。

同志諸君は「岩波文体」をご存知か。50年振りに平田清明著「市民社会と社会主義」(岩波)を読んでみた。

<西欧での社会形成が、市民的なものの資本家的なものへの転成として展開する時、この展開の過程には、商品・貨幣所有者への経済的転成が基底として展開すると同時に、市民的所有権の資本家的領有権への転変の過程が展開しているのであり、これらの過程に規定された政治的・道徳的な諸関係への転成もまた、進行するのである>

「おーい、誰か、救急車呼んでくれ、こいつも発狂したぜ!」

読者はこの数行だけでもまず卒倒し、中には脳神経損傷で一生癒えぬダメージを受けるだろう。小生はこんな悪文に鉛筆でやたらと傍線を引き、結局刑務所に隔離された。除染するのに40~50年もかかってしまった。

悪書どころかモロ毒書だ。この先生、トロツキー50周年実行委員会世話人も務めていたから教え子の多くは前科者に転成し、病状は進行したことだろう。

マルクスボーイの臭いのする三宅邦彦と佐藤優あたりはまだ除染が進んでいない印象だが、ゼニに敏感だから「面舵いっぱい」とそのうち転向しそうだ。「無礼者め、転向じゃないぞ、アウフヘーベンと言え!」なんて怒り出しそうだ。へっ、分かったよ、嘔吐屁便め!(2020/4/27)









雀庵の「最後の皇帝“習+四人組”は?」

2020-04-26 15:31:54 | 日記
雀庵の「最後の皇帝“習+四人組”は?」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/106(2020/4/26】ここ半世紀における「現代史の女傑/政治家編」と言えば、結構多くの人が「鉄の女、サッチャー」を挙げるだろう。

米国はレーガン、日本は中曽根、ソ連はゴルバチョフ、中共はトウ小平・・・ポスト冷戦時代への役者が揃ったような感じだった。サッチャーはフォークランド紛争で、WW2後に短期間ではあったものの「世界で一番豊かな国だった」アルゼンチンを撃沈し、再起不能にした。

「キリギリスめ、死ぬまでタンゴを踊ってろ!」みたい。老いてもさすが大英帝国、と世界は英国とサッチャーに敬意を表したものである。彼女はインテリ風で気品のあるなかなかの美人である。

世界史の表の舞台はそういう感じだったが、ロンドンの地球の裏側、支那の1960~70年代、文革発狂中の北京では、毛沢東と夫人の江青が血染めの「中共裏面史」をせっせと編んでいた。「毛沢東の夫人履歴考」から引用する。

<毛沢東の三番目の妻となる江青(インテリ風で美人の人気女優)は2度の離婚後に上海へ行き1936年、評論家兼劇作家の唐納と結婚。唐納の自殺事件などのスキャンダルのあと、1937年8月下旬(蒋介石に追われた毛沢東の逃亡先)延安に入った。

1938年11月、毛沢東と結婚したが、このとき江青24歳、毛沢東45歳であった。

彼女は(雑誌の表紙を飾るほどの)美人で、肌が白く、両眼は生き生きしていた。化粧がうまく、大都市の香りのする瀟洒な雰囲気をもっていた。体つきはすんなりし、夏はレーニン服、冬は綿入れの軍服を着たが、ウェストラインはいつもはっきりしていた。

上海から延安に突如あらわれた美人女優に(女っ気のない洞窟暮らしの)毛沢東がフラフラとなったのも無理からぬところかもしれない。(同志諸君、男は哀しい動物だよなあ)

(建国後に)毛沢東が大衆から離れ皇帝化するとともに、江青は悪妻度を強めた。けれども結婚当時の毛沢東は、彼女が政治に口をはさむことを許さなかった。江青はもっぱら毛沢東の生活の世話をする役目であった。

江青は第一子を身ごもったあと、毛沢東が特に優しい態度をとらなかったことに傷ついた。毛沢東にとって女性が妊娠するのは当り前のこと。現に前婦との10年間に、子供を6人つくっている。

こうした毛沢東の無関心に、江青はヒステリーをおこして湯呑みを投げつけたこともある。毛沢東は詫びたが、話はこれで終わらなかった。(カマキリはオスを平然と食べる! 身につまされるぜ、男はつらいよ!)

毛沢東と江青がいつ別居したかについて明記した資料はないが(大躍進で大失敗、劉少奇、トウ小平など実務派/実権派から実権を奪われ、再起を画策していた)1962年ごろである。毛沢東は初老であり、江青も更年期のためヒステリー症状が激しくなり、(失意のどん底にあった)1959年には毛沢東は明らかに江青を避けるようになり、ついに別居するに至った。

江青はこうして毛沢東の生活秘書としての仕事が少なくなり、退屈してきた。それを見かねたのは気配り周恩来で、江青は中共中央の任命する5人の毛沢東付き機要秘書の仲間入りし、毛沢東の公務を手伝う機会を得た。

毛沢東が1966年5月に「文化大革命」を発動するや、江青はその政治舞台の先頭に立った。彼女は文革期に権力をふるうが、それは毛沢東が彼女にその任務を与えたことによる。

やがて林彪らが追放され、文革派は四人組(江青、王洪文、張春橋、姚文元)が残ることになった。毛沢東が継続革命や文革精神の継承にこだわる以上、江青を処分できない。まして彼女は表向きは依然として主席夫人である。

毛沢東はかつての同志たちを信頼できなくなり、江青に文化大革命の旗振り役を期待した。しかし、彼女は政治にはズブの素人であるから、むろん毛沢東の期待にこたえられない。毛沢東の耳には江青に対する悪口がしばしば聞こえてくる。

毛沢東と江青の関係は極端に悪かった。毛沢東は身辺の者にこう一人ごちた。「庶民が離婚したいときは裁判所に行けばよいが、私はどこへ持ち込んだらいいのか」
1976年9月の毛沢東の死後、江青は死刑判決をうけ、投獄されること十余年、1991年5月に首吊り自殺した>

毛沢東は江青という猛毒をもちいて権力を奪還し、結局、副作用で中共そのものをガタガタにしてしまった。トウ小平がどうにか再建のレールを敷いたが、文革の鬼っ子、習近平は、天安門広場で「毛沢東語録」を掲げる巨万の紅衛兵に答礼する毛沢東を見て「ワだば21世紀の毛沢東になる」と決意したのだろう。

皮肉にも「毛創り 習が壊して 北京晴れ」になりそうだ。

造反爆弾男・任志強氏の習近平宛て「諫言」で指摘する打倒すべき「新しい四人組」とは、矢板明夫・産経新聞台北支局長によると、「習とその側近の栗戦書・全国人民代表大会常務委員長、北京市の蔡奇書記、重慶市の陳爾書記の四人を指しているのではないか」とのことだ。

小生は、習近平の懐刀としてハエ叩き、虎退治にいそしんだ王岐山国家副主席も入れて「習+四人組」の計5人を天安門でその最期を見届けたいなあ。習の一人娘、これまで秘密にされていた「習明沢」の名前までさらされて、習は処刑か亡国宣言しか選択肢はない。

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雀庵の「天安門炎上、カウントダウンに」

2020-04-25 12:17:22 | 日記
雀庵の「天安門炎上、カウントダウンに」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/105(2020/4/25】米国ではミズーリ州などが中共(中国共産党)にチャイナコロリの損害賠償請求訴訟を起こすようだ。思うにを中華人民共和国を訴えるには国連の場になるが、中華人民共和国は国連安保理で拒否権を持つからだろう、それは国連ではできないようである。

国連によると国際司法裁判所(ICJ)は――

<国家は自国民が他国の誤りによって被害を被ったと主張した場合、その訴訟を取り上げ、国家間の紛争として裁判を申し立てることができます。

国家間の紛争に対して、裁判所あるいはその裁判部によって下された判決は関係各国を拘束します。国連憲章第94条は、「各国際連合加盟国は、自国が当事者であるいかなる事件においても、国際司法裁判所の裁判に従うことを約束する」と規定しています>

国際司法裁判所と並んで国際海洋法裁判所(ITLOS)などの専門的な国際裁判所もあるのだが、同志諸君、数年前(2016年7月)の裁定を思い出そう。

<南シナ海に対する中国の領有権主張や人工島の建設などが国際法に違反するとして、フィリピンが中国を相手に提訴した裁判で、オランダ・ハーグの常設仲裁裁判所は12日、中国の主張に法的根拠がないと判断を示した。対する中国は、常設仲裁裁判所の判断を認めないと反発している>(BBC)

この時、習近平・中共がほざいた言葉を小生は一生忘れない。「裁定? ただの紙切れ」

国連の裁定は拘束力が全くないようだ。国連の裁判は警察力、軍事力、制裁力、つまり裁定を担保するパワーがゼロである。ましてや常任理事国であり拒否権を持つ中共の面にションベン、全く効果なし、中共の南シナ海軍事基地化は今や大脅威になってしまった。

それであるのなら「国連メンバーではない中国共産党」を訴えようというのがこれからの大きな動きになるだろう。

中共という悪事の総本山、軍を持つ政党、民間機関、国家ではない任意団体、中国の支配者、事実上のオーナー、独裁者、中共ホールディング。

この紅色モンスターを相手に米国内で「未必の故意による傷害殺人」刑事訴訟や「損害賠償請求」の民事訴訟は、対ファーウェイ訴訟などと同様に可能である――論理的には確かに可能だ。

<AFP=時事4/22 ミズーリ州は米連邦裁に中国指導部を提訴した。米国の州がこのような裁判を起こしたのは初めて。中国共産党は中国の正式な国家機関ではないとして、中国共産党を相手取って提訴した。

訴えでは新型コロナウイルスとその拡大防止策で数百億ドルの損害が発生する恐れがあるとの推計を示し、中国共産党が「未必の故意によりミズーリ州とその住民の権利を無視した」と非難している>

泣きっ面に蜂か。“燃えろ、いい女”マドンナ花清漣氏も「アフリカでの武漢肺炎流行の莫大な勘定書、習近平はどうする?」(4/22)と火に油を注いでいる。

<欧米での新型コロナウイルスの大流行で中国中が歓呼の声に沸いていますが、アフリカで流行が始まると、中国政府や粉紅(中共支持のネトウヨ)は喜びませんでした。

これは「アフリカの兄弟と艱難を共にする気持ち」からではありません。厄介なことになると知っているからです。厄介ごとは実際、小さなものではありません。

というのは「アフリカの兄弟よ、武漢肺炎ウイルスは米国製なのだ」という作戦はうまくいきませんでしたし、国連とWHOが発表する悲痛な訴えから、北京政府はアフリカの兄弟の救いを求める手が北京に向かって伸ばされていることを知っているからです。

今、中国はアフリカの人々や世界の左翼の目には旧植民地国よりもさらに悪く憎むべき新植民地主義の代表だと映っています。

アフリカ諸国の権力者の支持を買うため政府を大金で買収するものの、社会に対して出す金はそれほどでもありません。資源を握って、環境を破壊する罪は、アフリカの人権団体や環境保護団体から糾弾されています。

今回の疫病流行は貴賎貧富を問わず、すでに一部のアフリカ国家の要人が感染、 犠牲になっています。中には ジンバブエの実業家で政治家のジェームズ・マカンバ氏の息子で時事ニュースキャスターのゾロ氏や、ナイジェリアの大統領補佐官のアッバ・キアリ氏な度も含まれ、アフリカ各国政府の不満を買っています。

また口では「中国国民と平等だ」と言いながら、広州でのアフリカ人に対する中国の扱いは大変な不満と抗議を引き起こしています。

ナイジェリアの下院議長が駐ナイジェリア中国大使と面会したことは中国では報道されませんでしたが、ナイジェリアのオロエ・アキン・アラビ議員が「議長は中国大使に、中国でのナイジェリア人の虐待を許さないとして中国での暴行行為を読み上げた」とツイートし、これには中国大使が深々とお辞儀をしている写真も添えられています。

中国のネトウヨ軍団は意気盛んで、命令があれば全世界を相手に「罵り声で、真っ赤に新世界を染め上げる」気概を持っていますが、彼らはアフリカ相手にはそうした無作法な声を上げようとはしません。なぜでしょうか?

ネットには「お前が黒人への悪口を一言言えば、アフリカに住む中国人を襲う一個の弾丸になるのだ」と題した説得力のある記事があります。

「疫病にかかった多くのアフリカ人は収入がない、靴もない。もし『中国人がアフリカ人を差別している』といった誤解が蔓延して暴動が起こったら、おまえらが中国で書く差別の一言がアフリカに住む中国人の頭への一発の銃弾になるのだ」

いったんアフリカの国々が中国に対して態度を一変させるならば、たちまち「新植民地主義反対」の旗印の下に中国の投資を没収し、アフリカにある国有企業を攻撃しかねないということです。

アフリカへの投資累積額は少なくとも1千億ドルに達しています。「アフリカの兄弟」は裏切るとなったらすぐやりますから、北京にとっては「アフリカの同胞の生命と財産を守る」というのは確かに大変な難題なのです。

マルクスの共産主義宣言に曰く「プロレタリアートがこの革命で失うのは鉄鎖だけであり、彼らが得るのは全世界である」。

国連のエコノミストは、 国際社会に1兆5000億ドルのアフリカ支援を求めています。当座は1千億ドルのセフティーネットが必要で、唯一の「新植民地主義」国である中共・習近平は、これを受け入れるかどうか?
 
欧米諸国は今後、中国を抜きにして「非中国化」しようとしています。一方、アフリカは中国をパートナーにしたいと思っていますが、 示された価格が高過ぎて中国は耐えられない。

受け入れなければ中国は毛沢東時代から中国の神輿をかついで国連に乗り入れてくれたアフリカの兄弟を失うことになります>

去るも地獄、進むも地獄、まるで「燎原の火のごとく」だ。中共内部では「習近平を引き吊り降ろさないと大変なことになる」と煙も上がっているとか。

習近平一派はコアラみたいに可愛くないから「天網恢恢疎にして漏らさず、自業自得だ!」と救助されることはない。プーチンも「君子危うきに手を出さず」だろう。

ムッソリーニ、カダフィは撲殺、フセインは絞殺、ルーマニアの独裁者チャウシェスクの最後は銃殺だった。習近平は天安門で毛沢東の肖像画とともに火刑か?「天安門炎上」はカウントダウンに入った。(2020/4/25)