雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(3」
“シーチン”修一 2.0
“シーチン”修一 2.0
【Anne G. of Red Gables/118(2020/5/22/金】日本では戦争を戦場あるいは銃後で体験した人はほとんどが鬼籍に入ったから、実際にどういうものなのかは古人の言葉からしか分からない。
しかもそれは個人の「虫の目」的な体験であり、「鳥の目」のように全体を俯瞰して伝えるものではないから限界はあるのだろうが、バイアスのかかっていない現認報告書とか目撃証言としてとても参考になることは間違いない。
戦時でも平時でも喜怒哀楽というか、何ということもない日常はあるのだと当たり前のことを考えさせられることもある。
向田邦子は戦時中でも「女学生は箸が転んでも今と同じように可笑しかった」と書いていた。彼女の代表作「あ・うん」でも“寝台戦友”の門倉修造と水田仙吉はきな臭い時勢の中でも冗談を言いながらのんびり将棋を指していたっけ。
荷風散人の日記を読むと、実際に東京大空襲の戦禍にあって命拾いをしながら生き残っても、「ああ生き延びた」と安堵するが、生死は運次第、明日は我が身で、死者を深く、かつ永く悼むというデリケートな感情はほとんど起きないようである。
じくじくした悲哀ではなく、自分、家族の今日と明日をどうするかで精一杯で、センチメンタルではなく「明日がある」「あれこれ考えても落ち込むばかりだ」「明日に賭けよう」「何とかなるかも知れない」と妙に晴れているというか淡々としている。
諦観というのか。確かにいちいち悲しんでいたらきりがない。視野狭窄になって判断を間違えやすい。まずは冷静になる、気持ちを切り替える、そうすると安全弁が働くのだろう。
(焦ると冷静な判断ができなくなる。今日中に振り込まなければならない、でも預金はない、どうしよう、と新宿でうろうろしていたらプロミスの看板! 腹を空かしたネズミが罠の前で「入るべきか、でも怖い」と躊躇っている図だな。あれこれあってどうにか虎口を逃れ、会社で全然使っていない通帳を何気なく開いたら・・・あった! 残高が結構あった、救われた! 一呼吸して心を平静にして、冷静になって考えてみる、というの大事だ。
ま、突撃するにも普段からの模擬訓練で熟慮を重ね、一瞬で断行できるようにしておくのがいいという話。「相手に覚られないようにきわどい差で勝たせるのが麻雀、ゴルフのキモだよ」と建設会社営業の義兄は言っていた。それっていけないの? 反省した振りをしてやり過ごす、というのはバカにつける薬で、まだまだ効き目はある)
小生は18歳までは試験勉強に追われて世の中のことを見ていなかったが、それ以降で「世界の動き」として一番記憶に残っているのは1990年前後の「ソ連崩壊」である。小生は現役バリバリ、日本は(正確には都市部の管理職層は)バブル景気に浮かれて、仕事はどっさり、カネは勢いよく流れて、酒も脂粉もたっぷり。
「この世をば我が世とぞ思う」、そういう「浮かれた時代」だったが、その認識はまずなかった。好景気は永遠に続く、日本人の長年の苦労が実った、この世の天国、先人が夢見たのはこんな世界か、と。
小生はソ連と仕事でのつながりはほとんどなく、「世界の主要航空会社人気ランキング」(リクルート「abロード」)の仕事で、ソ連国営アエロフロートが最低の部類になり、利用者の「機材はイリューシンでボロボロ、それは仕方がないとしても、空気が漏れているのかシューシュー音がするし、とても寒かった。無事着陸した時は心底生きててよかったと思った」といったコメントに大笑いし、もちろん読者の反応も上々だった。
その頃、六本木/狸穴のソ連大使館のパーティに招かれたが、美しい木目の床板が鏡のように光り輝いているのを見て、「ああ、まるで王宮だ、ロマノフからボリシェビキ王朝になったわけだ」と妙に感心したものである。
そのボリシェビキ王朝があれよあれよという間に銃声も聞こえず血も流れずに消えてしまったのだから、まるで夢を見ているようだった。1991年8月、革命鎮圧に出動したものの兵士が逃げた後の戦車の上から演説するエリツィンを見て、ウッソーッ、マジかよ!とボーゼンとしたものだ。まるでSF映画。
「ソ連はなぜ崩壊したか」をテーマにした上島武・前大阪経済大学教授の講演を「労働通信」2003年11月号が紹介している(同紙は今は消滅したようだ)。以下、要約。( )内は修一。
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ソ連を崩壊に追い込んでいく要因として、わたしは三つあげます。一つは経済的要因、二つ目は政治的要因、三つ目は民族的要因です。
ソ連が結局、自分で高くかかげていた旗印、「資本主義に追いつき、追い越せ」が達成できなかったもっとも根本的な原因、最終的にソ連国民の共感と支持をうしなった究極の原因は、経済的なものにあることはいうまでもないことです。
◆労働生産性をめぐる闘争
レーニンは(1917年の)革命直後に、革命政権が生き残るかどうか、それが社会主義の道に開いていくかどうかを決定していく要素は「労働生産性」だと述べています。
「工業でもわれわれの目標はアメリカだ。アメリカから学べるものは、すべて学ばなければいけない」
レーニンが、革命政権が生き延びる条件としてもう一つ主張したことがあります。
「革命政権はあるけれども(社会主義の敵である)資本家の卵はたくさんいる。とくに個人商人や個人農民はほっとくと金持ち、資本家になってわれわれを脅かす存在になる。こういうものと戦わなければならない」
どのように戦うか。
「革命によって国有化、社会化された企業が、個人商業や個人農業にたいして決定的に高い生産性をあげる、これしかない」
資本家の卵をなんとしても撲滅するということになります。一九三〇年代の初めにソ連では「階級としての富農の絶滅」ということがいわれます。
しかし、富農といっても、個人農民にちょっと毛が生えた程度なんです。貧しい農民は馬を一頭しかもっておらず、本当に貧しい農民は馬をもっていない、これにたいして富農は馬を二~三頭もっている、その程度です。
ところが、富農が革命政権の経済政策に協力的でないということを理由に、力づくで富農を解体する、財産を没収する、遠方へ追放する、場合によっては殺してしまう。(毛沢東の大躍進、文化大革命はその真似)
本当に自発的な労働を発揚するためには「物質的な刺激」が必要です。ただしごく一部の労働者だけにいきわたるものであっては効果がないどころか、逆効果になる。
本当に労働の刺激と、それにこたえる報酬が組み合わされていませんと、一方ではものすごい不平等、その一方では、それと矛盾するようですけれど「悪平等」が存在する。
つまり、一握りの(模範的、優秀な)労働者は(名誉と報酬を得てそこそこ)潤うけれども、その他の労働者は(一所懸命にやっても見返りが少ない or ないので)「働いても、働かなくてもいいや」ということにもなります。
極端にいうと「社会主義的に働いて、資本主義的に稼ぐ」という言葉が出てきます。
社会主義的に働くというのは「適当に働いとけ」ということ、「資本主義的に稼ぐ」というのは、ほかでアルバイトをするということです。
(今でもロシア経済の10~20%は自給自足のアングラ経済で、多くの国民が家庭菜園やバイトで自己防衛しているようだ。中共の農村戸籍者(5.5億人)は出稼ぎしないと人並の生活を維持するカネは稼げないが、留守を守るヂヂババと子供による自作で食糧は賄えている/飢えはなくなった、とか)
一九三〇年代のソ連における経済建設過程では、労働者の生産意欲を刺激する手段を欠いていたということです。(次回に引用つづく)
・・・
1980年頃に中共を取材した際、昼間からどこもかしこも緑の人民服の人で溢れていた。3交代勤務だったが、実働は3時間ほど。仕事がないから1人で済む仕事を3人でやっていたことになる。為政者にとっては「小人閑居して不全をなす。とにかく仕事をさせておかないとろくなことにならない」ということだったのだろう。
一所懸命にやろうがやるまいが給料は同じ。日本の公務員と同じ。公務員は世界中似たようなものか? やり過ぎると職場で浮き上がってしまうから、余程の人、エリートでないと怠けるのが普通のようだ。
小生は数年間、公務員(税務署職員)を観察する機会を得たが、午前中は1時間、午後は2時間、週刊誌や新聞が結構ある喫煙室でごろごろしたりお喋りしていた職員が結構いた。実働4~5時間!
父は準公務員だったが、小生もその職場でバイトをした際、周囲のオッサンはやはり実働4~5時間で、終業のベルが鳴るのを、帰り支度を済ませた多くの人がまるでスタートラインに立って待っているかのようだった。堕落そのもの。
こういう職場では「カネを稼げないし、人間がダメになる」と父は辞職したのだろうなあと納得したものである。
小生の息子は公務員だが、10年ちょっとで「余程意識的に仕事を創っていかないと人間がダメになる、40を過ぎるとただ時間をつぶしているような人が結構多い。俺も考えないと・・・」とうんざりし始めたようだ。
そういう「休まず遅れず働かず」の人が多い公務員ばかりの中共の生産性は、先進国と比較すると相当低いのではないか。
そんな彼らでも仕事で「賄賂、裏金、キックバック、利権」を得られるとなればすさまじい馬力で仕事をするという。上海や北京などがあっという間に高層ビルだらけになったのは「美味しいニンジン=インセンティブ」があったからだろう。
良きにつけ悪しきにつけ、それが支那人、漢族の価値観、行動原理なのだろう。習近平は虎退治、ハエ叩きでそれさえも抑えつけた。1億の中共党員のモチベーションはかなり下がっており、習近平の号令にまともに従うかどうか、かなり怪しいのではないか。
習近平を引き吊り降ろしてガラガラポン、西側の知恵と人民の総意・創意で新しい体制を創らないとソ連崩壊以上のすさまじい混乱になるだろう。党員ではなく人民のための革命が必要だ。つづく。(2020/5/22)