gooブログはじめました!

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(3」

2020-05-22 10:40:14 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(3」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/118(2020/5/22/金】日本では戦争を戦場あるいは銃後で体験した人はほとんどが鬼籍に入ったから、実際にどういうものなのかは古人の言葉からしか分からない。

しかもそれは個人の「虫の目」的な体験であり、「鳥の目」のように全体を俯瞰して伝えるものではないから限界はあるのだろうが、バイアスのかかっていない現認報告書とか目撃証言としてとても参考になることは間違いない。

戦時でも平時でも喜怒哀楽というか、何ということもない日常はあるのだと当たり前のことを考えさせられることもある。

向田邦子は戦時中でも「女学生は箸が転んでも今と同じように可笑しかった」と書いていた。彼女の代表作「あ・うん」でも“寝台戦友”の門倉修造と水田仙吉はきな臭い時勢の中でも冗談を言いながらのんびり将棋を指していたっけ。

荷風散人の日記を読むと、実際に東京大空襲の戦禍にあって命拾いをしながら生き残っても、「ああ生き延びた」と安堵するが、生死は運次第、明日は我が身で、死者を深く、かつ永く悼むというデリケートな感情はほとんど起きないようである。

じくじくした悲哀ではなく、自分、家族の今日と明日をどうするかで精一杯で、センチメンタルではなく「明日がある」「あれこれ考えても落ち込むばかりだ」「明日に賭けよう」「何とかなるかも知れない」と妙に晴れているというか淡々としている。

諦観というのか。確かにいちいち悲しんでいたらきりがない。視野狭窄になって判断を間違えやすい。まずは冷静になる、気持ちを切り替える、そうすると安全弁が働くのだろう。

(焦ると冷静な判断ができなくなる。今日中に振り込まなければならない、でも預金はない、どうしよう、と新宿でうろうろしていたらプロミスの看板! 腹を空かしたネズミが罠の前で「入るべきか、でも怖い」と躊躇っている図だな。あれこれあってどうにか虎口を逃れ、会社で全然使っていない通帳を何気なく開いたら・・・あった! 残高が結構あった、救われた! 一呼吸して心を平静にして、冷静になって考えてみる、というの大事だ。

ま、突撃するにも普段からの模擬訓練で熟慮を重ね、一瞬で断行できるようにしておくのがいいという話。「相手に覚られないようにきわどい差で勝たせるのが麻雀、ゴルフのキモだよ」と建設会社営業の義兄は言っていた。それっていけないの? 反省した振りをしてやり過ごす、というのはバカにつける薬で、まだまだ効き目はある)

小生は18歳までは試験勉強に追われて世の中のことを見ていなかったが、それ以降で「世界の動き」として一番記憶に残っているのは1990年前後の「ソ連崩壊」である。小生は現役バリバリ、日本は(正確には都市部の管理職層は)バブル景気に浮かれて、仕事はどっさり、カネは勢いよく流れて、酒も脂粉もたっぷり。

「この世をば我が世とぞ思う」、そういう「浮かれた時代」だったが、その認識はまずなかった。好景気は永遠に続く、日本人の長年の苦労が実った、この世の天国、先人が夢見たのはこんな世界か、と。

小生はソ連と仕事でのつながりはほとんどなく、「世界の主要航空会社人気ランキング」(リクルート「abロード」)の仕事で、ソ連国営アエロフロートが最低の部類になり、利用者の「機材はイリューシンでボロボロ、それは仕方がないとしても、空気が漏れているのかシューシュー音がするし、とても寒かった。無事着陸した時は心底生きててよかったと思った」といったコメントに大笑いし、もちろん読者の反応も上々だった。

その頃、六本木/狸穴のソ連大使館のパーティに招かれたが、美しい木目の床板が鏡のように光り輝いているのを見て、「ああ、まるで王宮だ、ロマノフからボリシェビキ王朝になったわけだ」と妙に感心したものである。

そのボリシェビキ王朝があれよあれよという間に銃声も聞こえず血も流れずに消えてしまったのだから、まるで夢を見ているようだった。1991年8月、革命鎮圧に出動したものの兵士が逃げた後の戦車の上から演説するエリツィンを見て、ウッソーッ、マジかよ!とボーゼンとしたものだ。まるでSF映画。

「ソ連はなぜ崩壊したか」をテーマにした上島武・前大阪経済大学教授の講演を「労働通信」2003年11月号が紹介している(同紙は今は消滅したようだ)。以下、要約。( )内は修一。
・・・

ソ連を崩壊に追い込んでいく要因として、わたしは三つあげます。一つは経済的要因、二つ目は政治的要因、三つ目は民族的要因です。

ソ連が結局、自分で高くかかげていた旗印、「資本主義に追いつき、追い越せ」が達成できなかったもっとも根本的な原因、最終的にソ連国民の共感と支持をうしなった究極の原因は、経済的なものにあることはいうまでもないことです。

◆労働生産性をめぐる闘争

レーニンは(1917年の)革命直後に、革命政権が生き残るかどうか、それが社会主義の道に開いていくかどうかを決定していく要素は「労働生産性」だと述べています。

「工業でもわれわれの目標はアメリカだ。アメリカから学べるものは、すべて学ばなければいけない」

レーニンが、革命政権が生き延びる条件としてもう一つ主張したことがあります。
「革命政権はあるけれども(社会主義の敵である)資本家の卵はたくさんいる。とくに個人商人や個人農民はほっとくと金持ち、資本家になってわれわれを脅かす存在になる。こういうものと戦わなければならない」

どのように戦うか。

「革命によって国有化、社会化された企業が、個人商業や個人農業にたいして決定的に高い生産性をあげる、これしかない」

資本家の卵をなんとしても撲滅するということになります。一九三〇年代の初めにソ連では「階級としての富農の絶滅」ということがいわれます。

しかし、富農といっても、個人農民にちょっと毛が生えた程度なんです。貧しい農民は馬を一頭しかもっておらず、本当に貧しい農民は馬をもっていない、これにたいして富農は馬を二~三頭もっている、その程度です。

ところが、富農が革命政権の経済政策に協力的でないということを理由に、力づくで富農を解体する、財産を没収する、遠方へ追放する、場合によっては殺してしまう。(毛沢東の大躍進、文化大革命はその真似)

本当に自発的な労働を発揚するためには「物質的な刺激」が必要です。ただしごく一部の労働者だけにいきわたるものであっては効果がないどころか、逆効果になる。

本当に労働の刺激と、それにこたえる報酬が組み合わされていませんと、一方ではものすごい不平等、その一方では、それと矛盾するようですけれど「悪平等」が存在する。

つまり、一握りの(模範的、優秀な)労働者は(名誉と報酬を得てそこそこ)潤うけれども、その他の労働者は(一所懸命にやっても見返りが少ない or ないので)「働いても、働かなくてもいいや」ということにもなります。

極端にいうと「社会主義的に働いて、資本主義的に稼ぐ」という言葉が出てきます。
社会主義的に働くというのは「適当に働いとけ」ということ、「資本主義的に稼ぐ」というのは、ほかでアルバイトをするということです。

(今でもロシア経済の10~20%は自給自足のアングラ経済で、多くの国民が家庭菜園やバイトで自己防衛しているようだ。中共の農村戸籍者(5.5億人)は出稼ぎしないと人並の生活を維持するカネは稼げないが、留守を守るヂヂババと子供による自作で食糧は賄えている/飢えはなくなった、とか)

一九三〇年代のソ連における経済建設過程では、労働者の生産意欲を刺激する手段を欠いていたということです。(次回に引用つづく)
・・・

1980年頃に中共を取材した際、昼間からどこもかしこも緑の人民服の人で溢れていた。3交代勤務だったが、実働は3時間ほど。仕事がないから1人で済む仕事を3人でやっていたことになる。為政者にとっては「小人閑居して不全をなす。とにかく仕事をさせておかないとろくなことにならない」ということだったのだろう。

一所懸命にやろうがやるまいが給料は同じ。日本の公務員と同じ。公務員は世界中似たようなものか? やり過ぎると職場で浮き上がってしまうから、余程の人、エリートでないと怠けるのが普通のようだ。

小生は数年間、公務員(税務署職員)を観察する機会を得たが、午前中は1時間、午後は2時間、週刊誌や新聞が結構ある喫煙室でごろごろしたりお喋りしていた職員が結構いた。実働4~5時間!

父は準公務員だったが、小生もその職場でバイトをした際、周囲のオッサンはやはり実働4~5時間で、終業のベルが鳴るのを、帰り支度を済ませた多くの人がまるでスタートラインに立って待っているかのようだった。堕落そのもの。

こういう職場では「カネを稼げないし、人間がダメになる」と父は辞職したのだろうなあと納得したものである。

小生の息子は公務員だが、10年ちょっとで「余程意識的に仕事を創っていかないと人間がダメになる、40を過ぎるとただ時間をつぶしているような人が結構多い。俺も考えないと・・・」とうんざりし始めたようだ。

そういう「休まず遅れず働かず」の人が多い公務員ばかりの中共の生産性は、先進国と比較すると相当低いのではないか。

そんな彼らでも仕事で「賄賂、裏金、キックバック、利権」を得られるとなればすさまじい馬力で仕事をするという。上海や北京などがあっという間に高層ビルだらけになったのは「美味しいニンジン=インセンティブ」があったからだろう。

良きにつけ悪しきにつけ、それが支那人、漢族の価値観、行動原理なのだろう。習近平は虎退治、ハエ叩きでそれさえも抑えつけた。1億の中共党員のモチベーションはかなり下がっており、習近平の号令にまともに従うかどうか、かなり怪しいのではないか。

習近平を引き吊り降ろしてガラガラポン、西側の知恵と人民の総意・創意で新しい体制を創らないとソ連崩壊以上のすさまじい混乱になるだろう。党員ではなく人民のための革命が必要だ。つづく。(2020/5/22)









雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(2」

2020-05-20 21:16:59 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ(2」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/117(2020/5/20/水】齢70歳、弱い70翁、コキコキ動くから古希。セブンティーンはこれからの人、セブンティはこれまでの人だが、現役時代のように必死でカネを稼ぐ必要がないというのはいいものだ。

のんびり毎日がホビーライフ、趣味の園芸、イタズラ三昧、営繕、作文、読書、散歩、昼寝・・・体のあちこちが劣化して嫌なものだが、何かに夢中になっていると忘れるから、まあいい方だろう。

「長生きしたい、80、90、この際だから100までも」という気持ち、それが分かるようになったから小生も精神的にも老境に入ったのだ。万歳、やったね!・・・という気持ちにはならないなあ。

無為徒食と判定されれば「然り、迎えの車はまだかね、僕はフェラーリがいいなあー、遺体袋で助手席に乗せてくれ」とか言って周囲を困惑させるのも冥土の土産になるか。

繁殖期をとっくに過ぎたので我が家も内乱、冷戦が続いていたが、ようやく今は何度目かの休戦に移行したから、ストレスもずいぶん緩和された。油断すると舌戦、熱戦になるので警戒を解くことはできない。治にあって乱を忘れず。

そうだ、痴にあって変を忘れず、血にあって避を忘れず――イザという時にいかにして逃げるか、これも大事だ。

君子仰向けに近寄らず・・・先人はみんな苦い経験をしているのだが、「毛を見てせざるは勇無きなり、私に恥をかかす気?」なんて言われたらもう引き返せない、先輩のほとんどはカマキリの如く雌にむしゃむしゃ食われちゃったから、そういうものと諦観するしかないか。

まあ、チャイナコロリ、中禍に比べれば些事ではある。社会的に必要な企業は満身創痍でも必ず生き残る。そうでない企業は「傷口が大きくなる前にさっさと手仕舞いする」ことだ。

小生の会社は2001年9.11同時多発テロで12月には廃業、残務整理に1年かかったが、どうにか迷惑を掛けずに済んだ。が、会社はもとより小生の預貯金はゼロ、掛け捨てで安いAFLAC以外の生命保険もすべて解約し、まったくスリル満点、胃癌で胃袋もなくなったがAFLACから120万円貰った時は有り難かった。すっからかんでも無理して建てたビルだけは残った。

そのビルのテナント(スポーツ用品店)が「新入生の需要を見込んで3月に入荷したものがそのまま残っている」と苦労しているから、2~3か月分の賃料を減免することになるかも知れない。公的支援でどれだけカバーできるか分かったら相談しますとのこと。

大家と店子は小異を捨て大同に付いて中禍との戦争に勝たなければならない。そういう時代にめぐり合わせたのであり、歴史の大転換を我々は目撃あるいは体験することになる。

カミサンが面白いことを言っていた。

「(TVの視聴者参加番組でオバサンたちが)生活が苦しい、苦しいって言ってるけど、どこの家だって最低でも3か月とか半年くらいは暮らせる貯金はあるのが当然でしょ、その日暮らしで大変だって言うくせにみんなぶくぶく太っているわ、バッカみたい!」

ハハハハ、1945年の敗戦でも飢え死にはほとんどなかったからなあ、と言っておいた。オバサンは小遣い稼ぎで出演し、3000円もらって友達とアマンドのケーキでも食っているのではないか、「あら、これも美味しそうね、お土産に買っていこ」とか。

(貧乏人は昔はやせていたが今は概ね太っており、金持ちは昔は太っていたが、今は健康管理によるのだろう、肥満は少ないようだ。「金がないと太る」というのは人類史でなかったことではないか。異常/奇妙と言えば確かに異常/奇妙だ)

大地震や津波、噴火、飢饉、それに新型の感染症などは防ぎようがなく、被害をできるだけ少なくするという備えや早急の復興で対応するしかない。

戦争は大体が「大規模な縄張り/覇権争い」で、戦争が日常茶飯事の時代は「安心して住める版図、縄張り、シマを広げるのが何よりの安全保障」だったろう。

ところが兵器が発達した時代の二つの世界大戦で、あまりにもの破壊のすさまじさに人間は「戦争への備えはそこそこの抑止力程度にし、とにかく外交で熱戦になるのだけは避けよう」となった。

WW2の覇者「連合国」が1945年に連合国憲章を策定して原加盟国51カ国で「国連」がスタートし、敗者(枢軸国)のイタリアは1955年、日本は1956年、ドイツは1971年に加盟した。

これは連合国による1945年からの世界秩序であり、以来85年間は、大小の軍事紛争はあるものの一応は全面衝突という熱戦にならないでいる。

それは結構なことだが、米国が世界の警察官として圧倒的な軍事力をもって異形の大国、つまり中共、ロシアを牽制できた時代はほとんど終わりつつある。つまり政治体制・経済力・軍事力で先進国のG7(Group of Seven、フランス、アメリカ、イギリス、ドイツ、日本、イタリア、カナダ)が団結して中共、ロシアの軍事的圧力を抑え込んでいくしかない。

世界の現実を見れば、今は「本気で戦争に備えるべき時代」であり、「戦争反対」という感情や気分ではなく、冷静に戦争を目の前のこととして考えていくことが必要な時代になったと思う。未読だが「文明の衝突」ということか。

世界にとって最大の脅威は中共である。G7など西側世界は「自由民主法治人権市場経済」が基本体制である。中共は「一党独裁戦時統制経済」が基本体制であり、国土と基幹産業はすべて中共所有である。「自由民主法治人権市場経済」は全くないという別世界である。

それはソ連式の国家経営と基本的には同じだが、ソ連は失敗して1989年には消滅した。習近平は毛沢東のエピゴーネン(クチパク、形態模写、亜流)、ほとんど毛沢東原理主義だから、「邪道な修正主義のソ連の崩壊から学ぶことはない、マルクス・レーニン・毛沢東同志の教えを忠実に守れば世界は極楽の共産主義社会になる」と本気で信じている。

日本でも習近平・中共を支持するリベラル≒アカモドキは有権者の10%、投票者の20~30%はいる。不思議な存在だが、ただの反自民なのか、共産主義支持者なのか、小生には分からない。利権で食っているから看板を下ろせないという事情もありそうだ。三代続く共産党員一家、三代目でつぶれたり。

ソ連の失敗を学ばない二代目(太子党)の習近平・中共はソ連と同じ失敗をする。「ソ連が失敗したのは修正主義者だから。俺は毛沢東主義者だから成功する」と言うだろう。先人の失敗を学ばない習近平は目の前の穴を見ることもしない。どんな穴なのか、次号で紹介したい。(2020/5/20)



雀庵の「中共崩壊へのシナリオ」

2020-05-16 20:34:32 | 日記
雀庵の「中共崩壊へのシナリオ」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/116(2020/5/16/土】小生が子供の頃から米国デトロイト(ミシガン州)は「自動車のメッカ」だった。

1980年頃に海外旅行産業アナリストとしてラスベガス(ネバダ州)を取材したのはIR(Integrated Resort、統合型リゾート)とMICEの可能性を探るためだった。もう40年も前!

MICEは――

Meeting(会議・研修・セミナー)、Incentive tour(報奨・招待旅行)、Convention/Conference(大会・学会・国際会議)、Exhibition(展示会・見本市)のこと。

「価格競争が激しく薄利多売の観光・物見遊山の客だけでは海外旅行産業の拡大は望めない、ビジネスなど業務渡航市場を開拓しよう」という機運が日本でも高まってきて、それならMICE先進国の米国に学ぼうということで小生も訪米したのだ。民主党政権の米国商務省が支援してくれた。

IRは日本では「博打、ギャンブル」としてしか理解されていないが、基本的にホテルやMICEの施設を備えたもので、主要な客はビジネスマン(&ファミリー)である。昼間は国際会議や展示視察などでヒーヒー頑張り、ディナーパーティの後やオフの時は奥さん(慰労と監視を兼ねて?同伴可)や仲間とショーを見るとか、カジノで運試しするとか、街を散策するとかするのが一般的だった。

ちなみに「ギャンブル依存症」というビョーキは1980年頃は日本でしか通用しなかった。嘘じゃないぜ、そんなら賭けてみる? 英国人はみんなビョーキかよ?

世界的に金融商品に投資する人は多いそうだが、これはビョーキじゃないのか? 当時、米国ではカジノや宝くじで大儲けした人が家庭崩壊(伴侶、子供が半分寄こせと騒動になる)や「もっと儲けたい」と投資で失敗して生活破綻・人格破壊に陥ることが多く、その防止策が課題になっていた。

(その防止策がどうなったかはさておき、特に米国では弁護士過剰で、弁護士が稼ぐために需要=事件を創るというマッチポンプになっている。「いつ被告になるかも知れませんから訴訟保険をどうぞ」と保険会社も商機とばかりに儲けるという魑魅魍魎の世界。日本でもそんな気配があるから、世界中似たようなものか)

弁護士に資産を管理させるなどは米国では昔から普通だった。銀行マンだったO.ヘンリーはその辺の事情を小説にしているが、「売り家と 唐様で書く 三代目」は世界共通のようだ。弁護士(管財人)の同意がなければ子孫は小遣い銭にも事欠くという仕組み。日本でも流行るだろう。

一方で大損した奴(金欠)には弁護士もウイルスも寄り付かない、「自業自得、自己責任、ホームレスでもしたら」と突き放されていた。3年ほど塀の中で過ごしたO.ヘンリー曰く「寒くなるとホームレスは衣食住完備の刑務所で年越しするのが夢になる」。

最近知ったことだが、日本でもそういう「夢見る」悪党は昔からいて、12月は警察は忙しいそうだ。だから「歳末警戒」でそういう軟弱なワルの「年末年始チキン&お節グルメ避寒リゾートライフ」志願的犯罪(無銭飲食、コソ泥などで春には出所できるくらいの悪事)を防ぎたいわけだ。

閑話休題。で、話を戻すと(まるで林家三平だな)40年経っても日本ではIR & MICE はほんの数歩議論が進んだだけである。それも中禍コロナで頓挫したから40年前に戻ったようなものだ。40年の無為無策!

(20歳までボーゼンとし、50歳から再びボーゼンとしているから小生も都合40年の無為無策で偉そうなことは言えないが・・・)

「自主憲法」は70年以上経ってもまったく手付かず、GHQに押し付けられた占領下の「3日で作った当座の間に合わせ憲法」のままだ。一体全体この遅さは何なんだ。愚図を通り越して思考停止の暗愚としか言いようがない。

経済大国なのだからいいじゃないか、寝た子を起こすな、ということなのだろうが、眠っていたってコロナ菌は寝ていてくれない、中共の脅迫はちっとも治まらない、地震や津波も来る、やがて亡国的な危機が来たら「仕方がない、これも運命」と諦める――それでいいのか、ご先祖様と子孫に申し訳が立つのか、と。

経済だっていつ転ぶか分かったものではない。時代の最先端を拓いて行く知恵と気迫と技術と根性があるのか? 米国の尻尾にしがみついて2番手3番手を保持できればいいじゃないか、という安直さがあるのではないか。

小生と同僚はラスベガスでの取材の合間に自動車博物館「ハラーズ・オートモービル・コレクション」も訪ねたが、1800年代からの試作車のようなものから大量生産で自動車時代の幕を開けたT型フォードなどなど、膨大なコレクションに圧倒されたものである。

<ヘンリー・フォードは1903年に自ら社長を務めるフォード・モーター社を設立、デトロイトに最初の工場であるピケット工場を開設した。ピケット工場で最初の市販「モデルT」の1台がラインオフしたのは、1908年9月27日のことである>(WIKI)

最先端技術を駆使し、それでいて大量生産で価格を下げた。爆発的なT型フォード人気はまさにパンデミック、道路がT型フォードで三密、前後左右すべてT型フォード、「T型フォードは追い抜けない」という言葉さえ生まれた。

「ギブミーチョコレッ!」とジープの米兵におねだりするのが上手だった小生にとって、デトロイトは子供の頃から「自動車のメッカ」であり続けたから2009年6月1日、GMが負債総額1728億ドル(約16兆4100億円、製造業としては史上最大)でチャプターイレブン(連邦倒産法第11章、日本の民事再生手続き)の適用を申請した時は、「ついに来たか・・・」と一つの時代が終わったのだと感慨を覚えつつ、「ま、チャプターイレブンは勲章みたいなものだから」と楽観もしたものである。

米国の自動車産業は1970年代から日本や欧州のメーカーに押されてきたのは知っていたが、まさか天下の「ビッグ3」が相次いで表彰台から転げ落ちるなんて・・・デトロイトが工場閉鎖が続き「失業者のメッカ」「ラストベルト」になるなんて、想像もしていなかった。

まるで平家物語、諸行無常だ。2013年7月にはミシガン州自体が財政破綻してしまった。まるで国破れて錆びだらけの廃墟あり。

かつて大英帝国は植民地経営で大いに潤ったものの、歴史の皮肉なのか産業革命の発祥地である本国の産業が空洞化してしまった。

英国はWW2後の植民地独立で工農業生産などが思うように復活できずに、かと言って高度な福祉政策を改めることも国民の猛反発を食らうためにできずに、外貨稼ぎの優等生がビートルズ、007という、何とも落ちぶれた印象で、1970年頃は「老大国」と言われたものである。

大学の英国人講師が「この眼鏡、本人負担ゼロ」と英国の福祉を誇らしげ言っていたが、「英国病」という言葉も流行り、EUに加盟したのも苦渋の選択、是非もなし、過去の栄光より今日のパン、ということだったのだろう。

1980年あたりから米国も(日本、欧州も)「中共の人件費はべらぼうに安い」と工場を中共に移転し始めた。最初は不安だったが、「支那では古い友人を大切にします、あなたと私は古い友人です」などと口説かれて、初めチョロチョロ、中パッパ、赤子泣いても蓋とるな、もう篭絡されて脅されて、退くに引けないズブズブの関係になってしまった。

まあ、世界中が中共に首根っこを押さえられ、キン〇マも握られてしまった。支那さまに捨てられたら私はもう生きていけません、豪州や韓国は大丈夫か。

ところがヤンキー魂というのか Make America Great Again の掛け声でトランプが唸り声、吠え声をあげたのも奏功したのだろう、デトロイト及びミシガン州も含めた五大湖地方は先端技術産業にシフトし、自動車はもとより航空宇宙産業、電子工業、ソフトウェア開発などの先端技術産業で息を吹き返し、NAFTA(北米自由貿易協定)でカナダ、メキシコとの協力もうまく回りだした。

こうなると Make America Great Again、かつてのチャンピオンの誇り、勢いを思い出し、まるで「ロッキー」復活の人。カネもあるから中共に「誰のお陰で大きくなったんだ、もうハンデはなし、がっぷり四つで戦おうぜ」と経済戦争のゴングを鳴らした。

米国は危機、敵に直面すると支持政党の壁を取っ払って団結するから強い。米国バッファローが第1ラウンドで中共バットマンをコーナーに追い詰めたのを見た洞ヶ峠の先進国は、「俺も米国に加担しようかなあ」と動揺し、第2ラウンドで中共が図らずも毒入り唾を吐いて米国はもとより観客までフラフラにしてしまったからドクターストップ、停戦になってしまった。

よせばいいのに中共バットマンが盗人猛々しく「あの毒は米国製だ、俺は元気になったから助けてやろうか」と、言わなければいいものを、危うく死にそうになった人々はもう怒り心頭、優柔不断だった先進国も「あのバカを叩き潰せ」「永久追放だ」「損害賠償させろ」と切れてしまった。

一寸先は闇、もうチャイニーズドリームは終わった。戦争は攻撃より後退が難しいというが、ポストコロナの「グッバイチャイナ作戦」で、先進国は中共から悪魔のように細心に、やがて天使のように大胆に工場など資産を回収、移転することになるだろう。

Made in China は買わない、使わない、触れない、チャイナには売らない、接触しない、会わない、の鎖国包囲網(通商・国交制限)を先進国は造るとともに、中共相手に損害賠償集団訴訟を起こすべきである。

全世界の同志諸君、合い言葉は「6つのナイ戦、1つの法戦」、5年で中共はガラガラポン、10か国ほどに分かれるといい。(2020/5/16)



雀庵の「脱中共殲滅戦が始まる」

2020-05-13 00:19:27 | 日記
雀庵の「脱中共殲滅戦が始まる」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/115(2020/5/13/水】中華毒饅頭でテドロス並みに習さま命になった蚤のシンゾーは、後世の歴史家から「中共忖度で晩節を汚した宰相、ついに祖父の知性に遠く及ばず」と評されるだろう。

後手後手ながら多くの賢者の努力で日本のチャイナコロリ、中禍肺炎はピークを越えたようだ。

一億火の玉になって「欲しがりません、密閉・密集・密接、三密NO!厳守で中禍殲滅」の掛け声は結構だが、「国難突破!総決起集会」なんて主催して鬨の声をあげると「非国民だ!」と非難されそうだから、今一つ盛り上がらないというか、シケタ感じだ。

小生は真言宗の檀家だから空海・弘法大師さまの「身に印を結び (身密) 、口に真言を称え (口密)、心に本尊を観じる (意密) 」の三密を実践し、仏様と先人の加護を毎日祈っている。「どうか生きているうちに中共殲滅を見届けられますように」と。

「中共殲滅」はできるのか? 毛沢東は解放区(根拠地)を拡大していったが、米国の支援を受けた蒋介石軍の包囲戦に耐えられず、辺境に引き籠った。

毛沢東のゲリラ戦理論、つまり劣勢な軍事力で優勢な敵と戦う時は――

「敵が押してきたら退く、敵が引いたら押す」「戦争は受け身ではなく、勝つチャンスには攻撃するという主導権を握る」「自己を保存し、敵を消滅するのが戦争であり、矛は爆撃機、機関銃、長距離砲、毒ガス。盾は防空施設、鉄かぶと、コンクリート構築陣地、防毒マスクである」

「戦争は血を流す政治であり、それは代価を、時には極めて大きな代価を支払う。部分的一時的な犠牲は、全体的永久的な保存のためである」

などと説いている。文盲の兵士でも分かりやすいようにと文章を虚飾せず、噛んで含めるように繰り返し説いているのは大したものである。

その中共は今、「全体的永久的な後退」の危機というか岐路にある。愚者にして賢者と思い込んでいる習近平が招いた自作自演のロックダウン危機だ。静かに自壊すればいいが、多分、包囲網による中共殲滅戦になるだろう。

現在の中共殲滅戦は、核兵器、通常兵器の高度化により軍事力の全面的な衝突/熱戦ではなく、ソ連を干上がらせた冷戦のような「経済包囲戦」になるだろう。

中共は1980年代からの改革開放40年で「世界の工場」そして「世界の市場」になったが、世界への依存度も高いから、本来なら「実るほど頭が下がる稲穂かな」で行くところを逆走してしまった。

経済戦争になれば各国は「自国/友好国の工場」に拠点を徐々に移していくから「世界の工場、Made in China」は錆びついて行き、同時に中共のGDPはマイナス成長になり、徐々に「世界の市場、爆食大国」ではなくなっていく。

生産拠点が自国/友好国に移れば当然ながら自国/友好国の雇用と収入は徐々に上昇するから、中共市場が徐々に冷え込んでいっても大きな問題にはならないだろう。

経済戦争にはチャイナコロリによる被害を弁償しろという天文学的な「銭闘」、まるで中共から身ぐるみ剥ぐような訴訟もあるだろう。「ドルあるいはユーロ、円で払え、ないなら物納しろ、租借権でもいいぞ」となりかねない。大清帝国末期の再来みたいな・・・

トウ小平の遺訓「韜光養晦」を無視した(無知無恥)習近平は、中共を世界の嫌われ者、村八分を招いた暗愚、最後の皇帝として歴史に名を刻むことになる。文化大革命で大混乱をもたらした晩年の毛沢東まで真似ることはないと思うが、もうどうにも止まらないようである。

14億の巨大帝国がそれなりにハードまたはソフトランディングするまでに5年ほどかかるか。見届けたいが・・・自由民主法治という価値観はロシアと同様に根付かないかもしれない。(2020/5/13)





雀庵の「諸悪の根源、共同通信考」

2020-05-09 17:32:10 | 日記
雀庵の「諸悪の根源、共同通信考」
“シーチン”修一 2.0

【Anne G. of Red Gables/114(2020/5/9/土】以前から気になっていたのだが、新聞を「右か左か」色分けしてみた。

小生は産経を購読しているが、神奈川県の県紙は神奈川新聞で、ネット版を見る限りはリベラル≒アカモドキ(以下、アカ)、まるで極左暴力集団のアジビラみたいで、多分沖縄に巣くっている革マルや中核、ブントなどの仲間が乗っ取っているのではないか。アカ度は37.5度を超えて40度、熱烈発狂中だ。

地方紙は概ねアカのような先入観があるが、この際だから主要な一般紙を小生の基準で「保守」(自由民主法治、改革・改憲/自主憲法推進)か「アカ」(共産主義指向、守旧、旧体制・既得権益・GHQ憲法擁護)かを色分けしてみた(「どちらかというと」を含む)。

日本では、変化を求めるのが保守派で、変化を嫌うのが既得権益擁護のアカ系諸派という構図だが、欧米でも今はその傾向が強い。

先進国では飢餓を克服した1980年頃から国民が自立派(高学歴の富裕層) VS 依存派(低学歴の貧困層)に年々分かれていったような気がする。依存派は「そこそこ食えるから無理して上に昇るより今を楽しみたい、働けなくなったら福祉/生活保護に頼ればいい」という感じで、アカ系諸派/諸政党は彼らの支持を受けているから、どうしても既得権益擁護になりやすいようだ。米国民主党はその代表。

◆全国紙「保守」
・産経・読売・日経(日経は経済が元気ならOKという感じ。自民寄りだからまあ保守))

◇全国紙「アカ」
・朝日・毎日・東京(中日)

ここまでは多くの人が承知している。

通信社の時事通信は「保守」、共同通信は「アカ」、英字紙のジャパンタイムズも「アカ」。この辺りまでは覚えていた方がいい。小生の同級生は共同通信に勤めていたが、「アカが多くて大変」と嘆いていた。

日共のようにアカは組織に潜り込み、サナダムシのごとく組織を乗っ取るから、気づいたらまわりはみんなアカ、朝っぱらからあちこちで「赤旗」を読んでいるという岩波書店の悲劇を肝に銘じておかなくてはならない。

◆地方紙/ブロック紙「保守」
・福島民報?(3.11大震災で政府支援が必要なためか政治色が薄いみたい)

◇地方紙/ブロック紙「アカ」
北海道新聞・河北新報・秋田魁新報・福島民友新聞?(同上)・下野新聞・上毛新聞・神奈川新聞・西日本新聞

ここまで各紙のネット版などを見て判断したのだが、今はチャイナコロリで政府支援が不可欠のために露骨なアカ記事が見つからず、労多くして益少なしどころか、紅い帽子・ハチマキ、背中の唐獅子(紅)牡丹を隠しちゃったようなのでまるで便衣兵、良き記者、良き市民に紛れ込んだみたいでどうも判別できない。

で、構想虚しく撤収するしかなかったが・・・同志諸君、転んでもただでは起きないのが粘着ヂヂイの真骨頂、ひと呼んで「蝮の修一」。

国内外にニュースを発信している一般社団法人・共同通信社と提携新聞社の密接な関係は、特に東京や海外に取材拠点を持たないマイナーな地方紙では濃厚で、どうしても「共同通信の赤いカラーに染まりやすい」ということには注意が必要だ。

いずこの新聞社も部数減に苦しんでおり、コスト削減せざるを得ない。そうなるとなおさらのこと「共同通信依存」、つまりアカ新聞になりやすい。

カミサンの故郷、奄美では「大島新聞」と「南海日日新聞」があるが、政治面と国際面はいずれも共同通信の記事が目立つ。地方紙は大体そんなもので、「アカ頭巾ちゃんに気を付けて!」と言いたくなる。

ネットで調べたら産経イロンナ(編集が悪過ぎ、見せる工夫不足!)に<平成23年8月発行『誰も書かなかった「反日」地方紙の正体』(産経新聞出版)読者が知らない共同通信の強大な影響力>(安藤慶太「正論」編集委員)の記事があった。曰く――

<新聞には朝日、毎日、読売、日経、産経などの全国紙や都道府県ごとに地元紙と呼ばれる地方新聞がある。北海道の北海道新聞や東北地方に拠点を置く河北新報、中京圏を基盤にする中日新聞(東京では東京新聞)や中国新聞、西日本新聞などのブロック紙といった分類を含め、これらを一般紙と称する。

本稿で取り上げる共同通信というメディアは、これら様々な新聞社にニュースを提供する通信社である。もうひとつ日本には時事通信という通信社もあるが、ニュースの配信量、その影響力ともに共同通信が時事通信を抑えており、文字通り日本を代表する通信社といえるだろう>

共同通信はとても偏向しているという内容。その影響を受けた地方紙は「朝日新聞批判はダメ」「韓国批判はダメ」、さらに――

<特に次のような記事については要注意で臨むことにしている。

○北海道はじめ教育行政に関する記事、特に国旗国歌問題や道徳教育、教職員組合をめぐる様々な原稿
○教科書問題や歴史認識をめぐる記事
○領土問題をめぐる記事
○北朝鮮関連、最近では高校無償化策のうち、朝鮮学校への適用の是非をめぐる記事

「南京大虐殺」「従軍慰安婦」「強制連行」「日本の植民地支配」といった戦後の造語、北海道教職員組合(北教組)への肩入れ、卒業式や入学式での国旗掲揚、国歌斉唱にメディアも一緒になって反対、原発や自衛隊への「?」と思う記事>

共同通信にしろ、その配信を受けた新聞にしろ、できるだけ両論併記で偏向を避けるというのが「政府(国民)から税の優遇措置を受けている」日本の新聞の基本であるべきなのに、アカ臭い偏向記事が多すぎるのだ。

産経は紙面で「ドーデモイイ」占いを掲載するより、「今どきの怪文迷論虚言妄想」とかのコラムを始めてはどうか。

ネットには「共同通信の記者は岩波『世界』執筆者」という指摘もあった。岩波のサイトには「『ルポ 私たちが生きた平成 人と社会はどう変わったか』平成はどんな時代として認識されるのか.中央政治や大事件からは見えてこない,平成の「素顔」を追う.共同通信社 編 」の紹介もあった。

WIKI「共同通信社」には小生も尊敬している韓国ウオッチャーの黒田勝弘氏(現・産経)の以下のコメントもあった。

<2006年に、かつて(共同通信社に)在社していた黒田勝弘は対談で、

「たとえばなぜもっと早く拉致問題がわからなかったのか。産経がいち早く報道し、朝日はなぜ決定的に後れをとったのか。朝日にとってはつらい問題ですが、責任は重大です。北を甘やかしてきたのは朝日ですからね。

僕が前にいた共同通信もそう。なぜ甘やかしたのか。

戦後の日本のジャーナリズムの北朝鮮観のポイントは、一つはソ連、中国を含めた社会主義幻想があった。思想的トレンドとして社会主義にシンパシーを抱いていた時代でしたからね。

もう一つは過去の歴史に対する贖罪意識です。この二つが北朝鮮問題に凝縮されたと思っています。そこから北朝鮮は批判の対象ではなく、理想であり評価すべき対象であり、温かく見守ってあげるべき国となった。それが50年間続いた」

と朝日新聞と並べ、共同通信の進歩的文化人的な社風と記事の論調を、批判総括している>

「進歩的文化人」・・・今や死語だな。進歩、前進、開拓、創造、挑戦、発見ではなく「停滞」「遅滞」「因習」「固陋」的「非文化人」になり果てた。

中共がどさくさに紛れて世界制覇を狙っている今、日本にとって喫緊の課題は、防衛力の強化、同盟国の拡大、国民の団結である。尾崎秀実・朝日新聞記者のような反日共匪の「第五列」をいかにすべきか、破防法でしっかり対応できるのか、泥縄にならぬよう法改定あるいは新法で備えるべきである。

そう考えるのが現在における「文化人」、少なくとも政治的分野での文化人ではないのか。

「ボクは暴力革命はしないもん」と猫をかぶっている日共は、あまり破防法を恐れると「やっぱり暴れるつもりだ」と「痛い腹を探られる」からか、破防法廃止にあまり熱心ではなさそうだ。「赤旗」から。

<破壊活動防止法(破防法)は暴力主義的破壊活動の名目で、言論・集会・結社の自由などの基本的人権を抑えつけようとする悪法です。

破防法は、なによりもまず、日本共産党や民主的な諸団体の活動を抑えつけ、事実上思想を弾圧しようという意図のもとにつくられたことによって、憲法違反の「治安維持法の戦後版」といわれる理由があります。ですから、破防法は本来廃止されなければならない法律です。

とくに破防法で活動を規制した団体の「ためにする活動」のすべてを禁止する条文をもち、治安維持法のように、ひろく網をかけて国民の権利を奪おうという目的が、治安維持法に類似したものとして批判されています。

破防法制定以来五十数年のなかで適用されたのは、右翼団体(三無塾)とニセ左翼暴力集団だけで、当時から支配勢力が狙っていた日本共産党への適用はこれまで一件もありません>

「ニセ左翼暴力集団」とは中核派で、小生が獄中の時、1971年11月に渋谷で暴れ、警官を一人殺害した。それ以後、連合赤軍事件などもあり、新左翼は凋落。過激派の機関誌になっていた朝日の「朝日ジャーナル」も社の内ゲバで社共系が新左翼を駆逐したためだろう廃刊になった。

それにしても1952年当時の日共は激しく反発し、「米帝と吉田政府に反対するすべての国民が、民族解放民主統一戦線に結集し、だんこたる愛国者的行動をおこすならば、かならず破防法は粉砕されるであろう」と行動を呼びかけたものである。元気だったなあ。

破防法のような法律はいくら作ったところで確信犯を抑えられないという論もあるようだ。確かに戦前の治安維持法でもゾルゲ・尾崎のスパイ活動を防げなかったが、岩波や改造社などとともに育った“マルクスボーイ=革命予備軍”は太宰治を含めて国体変革の暴動や武装蜂起を諦め転向した。

治安維持法で厳格に処刑したり刑務所に入れていたら男子学生の多くが囚人になってしまい、これでは国がもたないという政府の思惑もあったろう、「何を考えようがお前の勝手だが、皇室制度には反対しないと誓えば保護観察で釈放してやる」と司法・警察はずいぶん寛容だった。当時は「アカになるのはハシカみたいなもの」と社会も寛容だった。

(その寛容のお蔭で社会復帰できた小生は、ウチテシヤマンの反共闘士になりました、バカの恩返し)

令和の今、アカなど中共の意を汲んだ反日勢力のテロ、反乱を防ぐためには、諜報などで未然に検挙、拘束できる治安維持法などが必要だ。頭のいい人は知恵を絞り、血の気の多い人は特攻、最後の御奉公のために心身を鍛えるべし。よたよたヂヂイにも出番を用意してくれるとありがたいが・・・お荷物になりそうで・・・(2020/5/9)