杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

パレードへようこそ

2019年10月26日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2015年4月4日公開 イギリス 121分

1984年、不況に揺れるイギリス。サッチャー首相が発表した20カ所の炭坑閉鎖案に抗議するストライキが、4カ月目に入ろうとしていた。ロンドンに暮らすマーク(ベン・シュネッツァー)は、その様子をニュースで見て、炭坑労働者とその家族を支援するために、ゲイの仲間たちと募金活動をしようと思いつく。折しもその日は、ゲイの権利を訴える大々的なパレードがあった。マークは「彼らの敵はサッチャーと警官。つまり僕たちと同じだ。いいアイデアだろ?」と、友人のマイク(ジョセフ・ギルガン)を強引に誘い、行進しながらさっそく募金を呼びかけるのだった。
 パレードの後、“ゲイズ・ザ・ワード”での打ち上げパーティで、マークは“LGSM(炭坑夫支援レズビアン&ゲイ会)”を立ち上げる。だが、参加を表明したのは、書店主のゲシン(アンドリュー・スコット)と彼の恋人で俳優のジョナサン(ドミニク・ウェスト)、唯一の女性のステフ(フェイ・マーセイ)、両親に秘密で初めて参加したジョー(ジョージ・マッケイ)を始め、たった9人だった。
 バケツを手に街角で集めた寄付金を送ろうと、全国炭坑労働組合に連絡するマーク。ところが、何度電話しても「レズビアン&ゲイ会」と名乗ると、「後でかけ直す」と切られてしまう。ここロンドンでも、まだ「ヘンタイ!」と罵声を浴びせられる彼らは、組合にとっては異星人に等しかった。
 炭坑に直接電話すればいいんだ! またしてもマークのアイデアで、ウェールズの炭坑町ディライスの役場に電話すると、あっさり受け入れられる。数日後、ディライス炭坑を代表してダイ(パディ・コンシダイン)がロンドンまで訪ねてくる。「それでLGSMって何の略?」と訊ね、Lはロンドンの略だと思っていたと唖然とするダイ。だが、彼に偏見はなかった。その夜、生まれて初めてゲイ・バーを訪れたダイは、大勢の客の前で「皆さんがくれたのはお金ではなく友情です」と熱く語る。
 ダイの感動的なスピーチのおかげでメンバーが増え、LGSMはディライス炭坑に多額の寄付金を送る。支援者への感謝パーティを企画した委員長のヘフィーナ(イメルダ・スタウントン)は、「絶対にもめごとが起きる」という反対を押し切ってLGSMの招待を決定するのだった。
 ミニバスに乗って、ウェールズへと出発する主要メンバーたち。ジョーは両親に調理学校の実習旅行だと嘘をつき、故郷ウェールズの母親との確執を抱えたゲシンは留守番だ。やがてバスはウェールズに突入、平原の中どこまでも続く一本道を行き、ついに炭坑町に到着する。
 委員長のヘフィーナや書記のクリフ(ビル・ナイ)が温かく迎えてくれるが、会場を埋める町人たちの反応は冷ややかで、マークのスピーチが終わると、続々と退場して行く。しかし、翌日になると、好奇心を抑えきれない人々が、彼らに様々な質問を投げかける。「どちらが家事をするの?」など無邪気な疑問に答えるうちに、互いに心を開き始めるゲイと町人たち。さらにジョナサンがダンスを披露、歓迎会は大喝采のなか幕を閉じる。
 だが、組合と政府の交渉は決裂、ストは42週目に入り、サッチャーは組合員の家族手当を停止する。再び町を訪れたマークたちがさらなる支援を決意した矢先、町人の一人が新聞に密告、「オカマがストに口出し」と書き立てられ、LGSMからの支援を打ち切るか否か採決がとられることになる。今や町人たちと深い友情で結ばれたメンバーたちは資金集めのコンサートを企画するが、その先には思わぬ困難が待ち受けていた──。(公式HPより)

 

イギリスで実際にあった炭鉱労働者たちのストライキと同性愛者たちの友情を涙と笑いを交えて描いた作品です。80年代のロンドンの街並みやファッションが再現されていて、音楽もカルチャー・クラブ、ザ・スミス、ブロンスキ・ビートといった当時の名曲が使われています。炭坑の町の描写はウェールズでロケされ、城跡が残る雄大な景色も見所の一つです。

冒頭に登場するゲイの権利を訴えるパレードは、一年後にも再び登場します。炭鉱労働者とLGSMのメンバーが出会い、友情で結ばれた先の大きな結実が邦題に結びついていますが、個人的には原題の「PRIDE」の方がしっくりくるかなぁ

質実剛健な片田舎の肉体労働者と派手なファッションの同性愛者という、水と油、両極端に思える二つのグループが、手を取り合って未来を切り開く姿がユーモアを織り交ぜながら描かれています。誤解や拒否反応からくる衝突を乗り越えて固い絆を結び、新たな人生を掴み取っていく姿を見ているうちに、曇り(偏見)のない柔軟な頭と、他人を思いやる心や誠実さと、少しの勇気が未来を変える希望に繋がっていくことを改めて感じさせてくれました。何より実話という重みがありますね

LGSMが何の略かもわかっていなかったダイは、支援してくれる相手が同性愛者だと知って驚きますが、だからといって態度を変えたりせず、逆に感謝の気持ちを伝えます。彼のような偏見のない人が窓口だったことが双方にとてもラッキーだったと思います。町の人々の中で、最初にメンバーと打ち解けたのがヘフィーナら女性たちというのも興味深いです。ジョナサンのダンスがきっかけになっていたり、『パンと薔薇』の合唱でメンバーに応えたりと、まさにダンスと音楽は人を結びつける大きな力だなぁとしかし、保守的なモーリーンは最後まで偏見を捨てず、新聞社に密告して中傷記事を書かせます 映画では、彼女のその後について語られていないのですが、ちょっと気になりました。

この記事がストにも悪影響を与えますが、マークは世間の注目を逆手にとって音楽祭を計画し成功を収めます。招かれたヘフィーナら委員会の女性メンバーたちのはしゃぎぶりがタフで可愛らしくて微笑ましかったです。しかし、モーリーンの画策で、留守番役のクリフやマーティンは口下手が災いしてLGSMの弁護もまともにできずに、炭鉱労働者組合はLGSMの支援に対して打ち切りを採択してしまいます。

メンバーたちも、ジョーは家族にゲイだとばれて軟禁状態になり、マークは元恋人がAIDSを発症したショックもあり自暴自棄になって会を離れ、ゲシンは募金活動中に襲われて怪我をして入院、ジョナサンもAIDSであることなどがわかります。当時、AIDSと同性愛者の関係が世間に衝撃と動揺を与えたのは記憶に新しいです

一年にわたるストが遂に終結したことを知り、ジョーは家を抜け出して町へ向かいます。そこにはマークも来ていました。ジョーはマークに「人生は短いからこそ有効に使え」と助言を受け、家を出て再びLGSMの活動に参加します。

ラストシーンは、冒頭から一年後のゲイ・パレードの当日。戻ってきたマークらメンバーたちの前に、バスを連ねた全国の炭鉱労働者たちが集まってきて、共にパレードの先頭を手を取り合って歩き始めます。彼らは自分たちの受けた恩に報いようと活動への連帯を示したのです。

支援を断ったあとの、町の人々と労働組合の紆余曲折は映画で触れられていないので、このシーンは少々唐突にも見えますが、エピローグで、翌年の労働党大会で全国炭鉱労働組合の後押しにより、同性愛者の権利がマニフェストに盛り込まれたこと、それに大きく貢献したのが、この町の組合だったことが語られていたことから、想像がつきますね また、委員会の女性メンバーの一人、シャーンが、ジョナサンの助言に背中を押され大学に進み、後にはこの地方初の女性議員になったことも語られていました。

LGSMのリーダー的存在のマークの柔軟で独創的な着眼点や発想が、共に政府に虐げられている者として炭鉱労働者と同性愛者を結びつける大きな役割を果たしていますが、彼自身はAIDS発症により26歳でその生涯を閉じたそうです。合掌。


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半世界

2019年10月23日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年2月15日公開 120分

山中の炭焼き窯で備長炭の職人として生計を立てている紘(稲垣吾郎)の前に元自衛官の瑛介(長谷川博己)が現れた。突然故郷に帰ってきた瑛介から紘は「こんなこと、ひとりでやってきたのか」と驚かれるが、紘自身は深い考えもなく単に父親の仕事を継ぎ、ただやり過ごしてきたに過ぎなかった。同級生の光彦(渋川清彦)には妻・初乃(池脇千鶴)に任せきりの息子への無関心を指摘され、仕事のみならず、反抗期である息子の明にすら無関心だった自分に気づかされる。やがて、瑛介が抱える過去を知った紘は、仕事、そして家族と真剣に向き合う決意をする。(映画.comより)

 

吾郎ちゃんが、むさくるしい炭焼き職人を演じることで話題になった作品ですが、演技力は文句なしとして、どんなに粗末な衣装を着ていても顔の綺麗さは隠せないというか・・・もう少し手を加えましょうよ そこだけは最後まで違和感がありました。

紘と瑛介と光彦の三人は中学からの親友ですが、冒頭で映る中に紘はいないんですね。そして場面は3か月前に・・ 既に結末が暗示されていました。

まずは紘の日常が淡々と映し出されます。亡き父親への対抗心と、他にやりたいこともなかったことで家業を継いだ彼にとって、毎日はただ生きているだけに外ならず、妻にも息子にも向き合うことをしていません。そんな彼の前に、自衛隊員として海外派遣されていた瑛介が現れます。自衛隊を辞め、妻子とも別れて、誰も住んでいなかった実家で引き籠る瑛介に、いったい何があったのか。紘は、中古車販売をしている光彦に声をかけて、十数年ぶりに酒を酌み交わし、瑛介に自分の仕事を手伝うよう声をかけます。

炭焼きの仕事は重労働。黙々と作業することで無心になれることが瑛介にはありがたかったのね。徐々に表情に変化が現れる瑛介に、紘や光彦も安堵します。

光彦から指摘を受けた紘の、息子の明との関わり方にも変化が生じます。彼が息子に向き合ってこなかったのは、その不器用さ故。それは自分と父親との関わり方にも由来しているんですね。苛められていた明に、瑛介は反撃の仕方を教えます。(さすが、元自衛隊員)このシーンが後に生きてきます。

光彦が不法投棄をしようとした輩に絡まれていた現場に遭遇した瑛介は止めに入りますが、途中から豹変し、暴力的になります。具体的に描かれてはいないけれど、海外派遣での壮絶な体験が、彼の眠っていた狂気を呼び覚ました感が。 再び失踪した瑛介を探す中で、紘は彼の過去にあった出来事(部下の自殺)を知ります。

漁港で再会した瑛介は、胸の内を吐露し「海の上が落ち着く」と言います。「お前は世界の半分しか知らない」と言う瑛介に「それはお前も同じだ」と返す紘。

紘の生活に新しい風が吹いてきた矢先、彼の身に不幸が襲い掛かります。それはあまりにも突然でした。激しい雨の中の葬儀のシーンは、雨の冷たさや、残された者たちの慟哭が伝わってくるようでした。

再び冒頭のシーンへ繋がり、中学時代の彼らの一枚の写真が象徴する友情や若さが、ほろ苦さを伴って伝わってきます。「もう半分の世界」を瑛介が受け入れ、この先も生きていく、生き直すだろうと期待させてくれます。『39歳の男三人の視点を通じて「人生半ばに差し掛かった時、残りの人生をどう生きるか」という誰もが通るある地点の葛藤と、家族や友人との絆、新たな希望を描く』とのチラシの言葉通り、確かに笑いと涙の「愛」の詰まった作品でした。

男の友情に目が向きがちだけど、紘の妻の初乃の存在感も大きかったです。夫が子供のことに目を向けてくれない不満や、少々倦怠期な夫婦関係に焦れていたりするさまは「あるある~~」と苦笑。苛めを受けている息子を叱咤しながらも自分で解決するよう何気に導いている「強い」母だけど、同窓会に行かずに炭の売り込みに行く内助の功の帰り道に夫が倒れた連絡を受けて電車内でくず折れる姿に夫への深い愛を感じました。

ラストは、紘の後を継いだ明が窯の前に立つシーンです。ボクシングと二足の草鞋の選択をしたのかは個々の捉え方でいいかな 


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フッド ザ・ビギニング

2019年10月21日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)

2019年10月18日公開 アメリカ 116分

イングランドの広大な屋敷に暮らす若き領主ロビン・ロクスリー(タロン・エガートン)は、何の苦労も知らずに生きてきた。しかし、十字軍に徴兵され遠い異国で戦い、4年を過ごして帰ってくると、ロビンは戦死したものとして領地も財産も没収されていた。どん底に落ちたロビンだったが、戦地では敵だった最強の戦士ジョン(ジェイミー・フォックス)に導かれ、腐敗した政府に対して反逆を開始する。頭巾(フッド)で顔を隠したロビンは、政府から盗んだ金を領主として献上し、次第に権力のトップに近づいていく。そんなロビンは、貧しき者たちの代弁者として民衆の心をつかんでいくのだが……。(映画.cpmより)


中世イングランドの伝説的英雄ロビン・フッドの誕生秘話を描いたアクション映画です。製作がレオナルド・ディカプリオということもありチョイス。

これまでのロビン・フッド映画とは一味違う角度から描かれています。

アラビアでの戦いの中で、友を見捨てず、敵にも情けをかけるロビンは上官の命令に背いて負傷し本国へ送り返されるのですが、戻ってみれば自分は戦死したことになっていて領地も没収され、館は荒れ果て、恋人も姿を消していました。やっと探し出した彼女マリアン(イヴ・ヒューソン)は他の男ウィル(ジェイミー・ドーナン)と親し気な様子。やけになるロビンの前に現れたのが、ジョンです。彼は息子の命を助けようとしてくれたロビンに恩義と希望を感じ、彼を導いていきます。(なんか、アラジンにおける魔人や、ゾロの師匠みたいな役割ね

初めはただ、恋人を取り戻したいだけだったロビンですが、次第に貧者を救うという使命感が芽生えてきます。

州長官(ベン・メンデルソーン)の前に現れたロビンは、世渡り上手な領主と驚異的な弓の使い手の盗賊という2つの顔を使い分けて敵の懐に潜り込みます。長官の過去には同情する点がありますが、彼の野心が正当化されるわけじゃないね それにしても、教会(聖職者)の腐敗ぶりときたらまさに悪魔の所業です。一番の悪は枢機卿!!自分たちの欲のためなら民衆など虫けらほどにも思っていないという非道さは怒りを通り越して呆れてしまいます。

ロビンはジョンから自分の正体を決して明かさぬよう忠告されますが、マリアンの前に出るとやはり心が揺れるのは仕方ないよね マリアンはウィルやタック修道士(ティム・ミンチン)と共に、貧しい民衆のために密かに戦おうとしていました。彼女は教会が敵であるアラビアに密かに軍資金を贈っていた証拠を手に入れますが、ウィルと意見が分かれます。そんなときに、貧しい民の暮らす炭鉱が襲われ、彼らの財産が奪われるんですね。助けに駆け付けたロビンとジョンですが、ジョンはロビンとマリアンを逃すため自分が捕まってしまいます。フッドの正体を明かせと迫る長官とジョンの会話もなかなか興味深かったです

アラビアに送る金貨を奪うため、ロビンは炭鉱の民衆の協力を仰ぎます。

馬車の荷台ごと奪いとる作戦はなかなか派手な仕掛けで楽しめます。ジョンも獄から脱出して、見事長官に復讐を遂げます。彼らはシャーウッドの森に身を隠すことにします。ここからまさに「ロビン・フッド」の物語が幕を開けるわけですね。

戦いの最中にロビンとマリアンの愛し合う姿を見てしまったウィルが、枢機卿側に寝返るというラストは、愛しさあまって憎さ百倍というか、プライドを傷つけられた男の嫉妬は恐ろしいってことですかね。

ロビンが敵に向かってハイスピードで弓を繰り出すシーンや、炭鉱での馬車のチェイスなど、アクション作品としてのスリルと醍醐味もあり、楽しめます。


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あん

2019年10月20日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2015年5月30日公開 日本=フランス=ドイツ 113分

縁あってどら焼き屋「どら春」の雇われ店長として単調な日々をこなしていた千太郎(永瀬正敏)。そのお店の常連である中学生のワカナ(内田伽羅)。ある日、その店の求人募集の貼り紙をみて、そこで働くことを懇願する一人の老女、徳江(樹木希林)が現れ、どらやきの粒あん作りを任せることに。徳江の作った粒あんはあまりに美味しく、みるみるうちに店は繁盛。しかし心ない噂が、彼らの運命を大きく変えていく…(公式HPより)


ハンセン病の元患者と、中年のどら焼き職人の交流を描いたドリアン助川の同名小説を河瀨直美監督で映画化。

ハンセン病は昔はらい病と呼ばれて恐れられ「らい予防法」の下、患者は隔離されてきた歴史があります。この法律が廃止されて十数年経った今も、根強い偏見が残り、入所者やその遺骨さえ、殆ど故郷に帰ることができていない現実があるそうです。原作者である助川氏は、「ハンセン病の知識がほとんどない俺みたいな奴が、患者さんと出会うことで差別の歴史を知り、最終的にはハンセン病も関係なく、人間って、生きている意味って何なんだと問いかけられればいい」と思ったそう。

確かに、鼻がもげていたり、指が曲がっている姿は、思わず目を逸らしたくなるし、ショックです。正しい知識とは別に、目の前のインパクトある容姿に引いてしまうというのも否定できない事実です。でもその人個人に対して、ちゃんと向き合ったら、きっとその外見なんて気にしなくなるんじゃないかと、そうでなきゃいけないんだと思いました。

千太郎は、喧嘩の仲裁から逆に暴力で相手を傷つけてしまい、刑務所に入った過去があり、相手への慰謝料を肩代わりしてくれたオーナー(故人)に借金を返すため、どら焼き屋の雇われ店長として日々を過ごしていました。そんなある春の日、徳江が現れます。初めは高齢であり指が不自由な彼女の願いを断る千太郎でしたが、彼女が作ったという粒あんの美味しさに感動し、雇うことにするんですね。映画では、小豆を水に浸すところから始まり、丁寧にアクをとり、時間をかけて煮、甘味を加えてさらに煮詰めていく過程が映し出されます。徳江が豆に語り掛ける姿は愛情深く、この描写だけでもその人間性が伝わってきます。

彼女のあんが評判を呼び、店は繁盛していくのですが、ある時、オーナーの妻(浅田美代子)が「人から聞いたんだけど」とやってきて、徳江がハンセン病の元患者だったことを指摘し、辞めさせるよう求めます。彼女はいわば無責任で無自覚な「世間」を代表するキャラとして描かれています。

この頃には、千太郎は徳江に自分の過去を打ち明けるほど心を許す存在になっていたので、悩んだ末に、彼は徳江を働かせ続けることを選びます。

常連客である女子中学生たちも含め、客からも受け入れられていたように見えたのも束の間、冬を前に客足がぴたりと途絶えてしまいます。ワカナが母(水野美紀)に徳江の病気のことを話したことだけがすべてではないだろうけれど、「人の噂に戸は立てられない」の例え通り、世間が掌を返したわけね

店を去った徳江が気にかかり、千太郎は徳江と心を通わせていたワカナとハンセン病療養所に住む徳江を訪ねます。そこには、ワカナが本で見たような鼻のもげた人や指の大きく曲がった徳江の親友の佳子(市原悦子)たちがいました。徳江はハンセン病療養所に住み、所内で菓子作りを学んでいました。二人は徳江が療養所に入ることになった日のことや、その暮らしのことを聞き、手作りのお汁粉をご馳走になります。

その後も交流は続きますが、春を待たずに徳江は肺炎で世を去ってしまいます。徳江と出会って、どら焼き作りへの情熱が芽生えた千太郎は、自分の人生を新たに歩き出すのです。

映画は桜で始まり、桜で終わります。四季折々の景色が物語に色を添えていました。

徳江の口から語られる「人が生きることの意味」。深いです。 樹木希林さんはどちらかというと苦手なタイプの女優さんでしたが、彼女の演技はやはりずば抜けて素晴らしかったです。


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マレフィセント2

2019年10月18日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)

2019年10月18日公開 アメリカ 118分

マレフィセント(アンジェリーナ・ジョリー)がオーロラ姫(エル・ファニング)との間に、恋愛でも血の繋がりでもない“真実の愛”を見つけてから数年後。オーロラ姫とフィリップ王子(ハリス・ディキンソン)は、めでたく結婚することに。しかし婚礼の日、フィリップ王子の母イングリス王妃(ミシェル・ファイファー)が仕かけた罠によってマレフィセントとオーロラ姫の絆は引き裂かれ、究極の愛が試されることになる。

 

「眠れる森の美女」の新たなる伝説を実写映画化!という触れ込みですが、続編映画って前作の出来が良いほどにそれ以上の出来を期待してしまうので、ハードルも高くなってしまいますね。そういう意味では個人的にはちょっと残念だったかな 

マレフィセントはヴィラン(女性だからヴィラネスか)ですが、今回の悪役はイングリス王妃。彼女の性悪さの右に出るものはない!!その過去に同情すべき点がないわけではありませんが、そもそも妖精の国の豊かさを妬む時点で十分根性悪だと思ってしまいました。演じるミシェル・ファイファーの表情がまた演技上手すぎて、実に憎たらしいんですもの。 王妃は夫である国王を臆病者扱いして嫌い、息子のフィリップ王子のことも見下しています。彼女が望んだのはムーア国の妖精たちを滅ぼすことであり、邪魔なマレフィセントを陥れて殺そうとします。そのために、オーロラとマレフィセントの仲を引き裂こうと画策するんですね。ほんと、根性悪!!

まんまと罠に嵌って怒りを爆発させたマレフィセントは城を(文字通り)飛び出しますが、王妃の策略にかかり負傷してしまいます。彼女を助けたのは同じ翼をもった男。実はマレフィセントは不死鳥の血を引く種族の生き残りだったという展開には「へ??」 しかもたくさんお仲間がいるし・・・そうですか、人間に見つからないよう隠れていたんですか・・。で、お決まりの「もう隠れて生きるのは嫌だ!人間をやっつけよう!!」の展開になるに至ってはお伽話からかなり逸脱していってる気が・・。 

オーロラ姫は王妃の言葉に騙されてしまいますが、徐々に違和感を覚え始めます。窮屈なお城の暮らしにもストレスが溜まっていきます。(じわじわと嫁をなぶる姑の図は庶民も王族も違いはないのね)そんなオーロラにフィリップは「森で会った君を愛したんだ。そのままでいて」と 最近のプリンセスものは、王子は添え物扱いが多かった気がしますが、今回のフィリップは誠実で思いやりがある王子様中の王子様キャラで惚れちゃうぞ 

王妃は妖精たちを結婚式に招待すると称しておびき寄せて閉じ込め抹殺しようとします。彼らは鉄の毒で元々の植物の姿に変わってしまうのです。 糸車を見つけ、王様に呪いをかけたのは王妃であることに気付いたオーロラは閉じ込められてしまいますが、抜け出して妖精たちを助け出そうとします。

マレフィセント不在で人間の姿のままのディアヴァル(サム・ライリー)も、オーロラや妖精たちを助けて活躍します。前作ではマレフィセントの僕のような扱いもあったけれど、今回は良き相談役というか逆に彼女を窘めたりもして、かなり対等な関係になっていました 二人の会話がユーモアに溢れていて楽しかったし、熊に変身するエピソードもちゃんと前振りがあったのでそのシーンでは小さな笑いも。

シスルウィット、ノットグラス、フリットルの三妖精は相変わらずの能天気なキャラですが、フリットルは自らを犠牲にして仲間を助けようとする活躍を見せてくれます。

王妃とマレフィセントの対決を止めようとしたオーロラを庇って、王妃の放つ武器に倒れたマレフィセントですが・・・そうです。彼女の出自が伏線で登場してましたね ツムツムでもその姿のキャラありますものね

最後まで悔い改めることのなかった王妃はヤギに姿を変えられてしまいましたとさ。めでたしめでたし 

人間と妖精たちの争いは終止符を打ち、フィリップの真実の愛を認めたマレフィセントも二人を祝福します。

そしてマレフィセントにもたくさんの仲間ができたとさ


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if: サヨナラが言えない理由

2019年10月13日 | 

垣谷美雨(著) 小学館(出版)

人生の「後悔」を生き直してみたら…
33歳の医師・早坂ルミ子は末期のがん患者を診ているが、「患者の気持ちがわからない女医」というレッテルに悩んでいる。ある日、ルミ子は不思議な聴診器を拾う。その聴診器を胸に当てると、患者の”心の声”が聞こえてくるのだ。死を目前にした患者達は、さまざまな後悔を抱えていた。ルミ子は患者とともに彼らの”もうひとつの人生”を生き直すことになり――!?この世の中の誰もが、「長生き」することを前提に生きている。もしも、この歳で死ぬことを知っていたら…

●dream――千木良小都子(33歳)
母は大女優の南條千鳥。母に反対された「芸能界デビュー」の夢を諦めきれなくて…

●family――日向慶一(37歳)
IT企業のサラリーマン。残業ばかりせずに、もっと家族と過ごせばよかった。

●marriage――雪村千登勢(76歳)
娘の幸せを奪ったのは私だ。若い頃、結婚に大反対したから46歳になった今も独り身で…

●friend――八重樫光司(45歳)
中3の時の、爽子をめぐるあの”事件”。僕が純生に代わって罪をかぶるべきだった。

前に読んだ「老後の資金がありません」が面白かったので、こちらも借りてみました。

お笑いでいうところの「てんどん」みたいに、各エピソードにお決まりの文章が出てくるのが気になったのですが、これは各話が連載だったり書き下ろしだったりで初めから意図されたものではないからなのね。ある意味、連続ドラマのような定型の枠が出来上がっている感じですね。(例えば、ルミ子が患者に必要以上に言葉をかけていると、看護師が視線や態度で追い立てようとする描写や、病室に「あら、すみません。まだ回診中だったんですね」と家族が入ってくるなど

ルミ子先生は、根は真面目で患者に寄り添おうとする熱意のある女医ですが、言葉足らずと空気を読まない性格が災いして、患者や家族から誤解を受けることが多く凹んでいたところに、不思議な聴診器を拾ったことで、患者との関わり方に変化が出てきます。

患者と一緒に、後悔を残した過去に遡って、彼らが「こうあったら良かった」人生を覗き見ることで、成長していくんですね。過去に戻る扉はそれぞれ違っていて、それは彼らの想いが作る概念だから。

女優になる夢を反対された小都子は、やり直した過去の中で女優として生き抜いてきた母親の強さや、自分に対する愛情の深さを知ることで、母に感謝して逝きます。

仕事人間だった慶一は、見舞いにくる妻がお金のことしか言わないことに腹を立てていましたが、過去に戻って家庭生活をやり直すうち、学生結婚した妻の幼さや孤独を知り、妻のために最善の道筋をつけてあげて安らかに逝きます。

娘の結婚に反対したことをずっと後悔してきた千登勢は、過去に戻って結婚を許した結果の悲惨な未来を知り、自分の選択に間違いがなかったと安堵しますが、この話には後日談がありました。結婚を反対した男の母親・ノブが隣の病室に入院してくるんですが、彼女は息子の結婚相手が気に入らず悔やんでいます。ところが、過去に戻って息子が結婚しなかった未来が自堕落で救いがなかったことで、嫁に感謝するようになるんですね 更に、続きがあって、千登勢の娘の毎子は、母親が亡くなると、ノブの息子・羊太郎と不倫を承知で交際を始めようとするの。 元がダメ男の羊太郎と、幸せな未来なんか訪れる筈もないと思ってしまうけれど、毎子の両親への復讐からくる行動と思うと哀れに感じてしまいます。

中学の時に憧れの爽子の罪を被って人生を転落した友人への罪悪感に苛まれている八重樫は、過去に戻って爽子がその友人を好きだったと気付いて愕然とします。実は彼の妻が爽子だったのです。彼の罪悪感は疑惑へと変わっていくのですが、実は爽子と義母こそが諸悪の根源だったという・・・。復讐心が八重樫を新薬の治験に向かわせ、思わぬ回復をみせる展開に驚きました。人の記憶なんて、結局は自分の都合がよいように操作されていくものなのかもと思わされる話になっています。

ルミ子の同僚医師である岩清水医師とは、実は互いに惹かれ合っています。鈍感なルミ子は彼の気持ちにも自分の気持ちにも気づかぬまま、喧嘩友達として認識していましたが、次第に岩清水がただのお坊ちゃんではなく、母を事故で亡くして以来、苦労してきたことを知るようになります。その人柄や優しさにも気づいていくんですね。エピローグでは、自分と母を捨てて家を出て行ったままの父と再会し、岩清水の助言もあって、長年の憎しみやわだかまりから解放され、安らかな気持ちで父を送ることができます。 

八重樫との外来での会話や父親との会話のあたりから、聴診器をあてなくてもルミ子には彼らの気持ちが伝わってくるようになりました。

後輩の、自分と似た空気の読めない女医に、この不思議な聴診器をバトンタッチするという場面で終わる物語ですが、きっともうルミ子には聴診器の力を借りなくても患者と心を通わせることができるほど、人間としても医者としても成長したってことなのだということですね


2023.11.6再読

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ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 

2019年10月11日 | ドラマ

#1

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #1

第1話『ウィンターフェル』…ドスラク族や穢れなき軍団、ドラゴンを従えたジョンとデナーリスがウィンターフェルに到着。デナーリスに忠誠を誓ったジョンに、サンサと北部諸王は反発を露わにする。一方、キングズ・ランディングにはゴールデン・カンパニーを率いたユーロンが到着し、ドラゴンの撃から逃れたトアマンドらは、ホワイト・ウォーカーの仕業らしき死体を発見する。そんな矢先、ジョンは自らの出生の真実を知る。

 

第七章から間が空いての鑑賞のため、登場人物のキャラとつながりを思い出しながら観ました

ジョン自身がターガリエンの正当な後継者であると知る回でもあります。スターク家の兄弟姉妹が一同に会するけれど、それぞれが潜り抜けてきた過酷な運命故か、年月が経って大人になったからか、もう昔のような無邪気な関係ではいられない雰囲気がすごく出ています。

 

#2

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #2

第2話『七王国の騎士』…サーセイに背き一人ウィンターフェルに来たジェイミーが到着。かつて父を殺され、約束した軍も連れてこなかった彼をデナーリスは信用できないと詰問する。更にシオンがグレイジョイ家の軍を率いてウィンターフェルに到着、サンサらに歓迎される。ジョンとの再会を果たしたトアマンドらは、死者の軍団がすぐそこまで迫っていることを告げ、それぞれが大戦前夜を思い思いに過ごし夜明けを待つ…。

 

サーセイは約束を反故にし、自らの王座に固執、裏切った兄弟に刺客を差し向けるなど、相変わらずの暴君ぶりです。 そのためにはユーロンを利用することも厭わない・・・征服欲に酔うユーロンが道化に見えますね。

シオンは姉を助け出し、サンサの元へ駆けつけます。あれ?この二人には共に脱出したあの日以来、別の絆が生まれていたんでしたっけ 

決戦前夜、ジェイミーがブライエニーを騎士に任ずるシーンがとても厳かで印象的です。 この二人の関係の今後が気になります。

ジョンはデナーリスに自分の出自を打ち明けます。(二人は叔母と甥ってことよね

アリアはジェンドリー(ロバート王の落とし子)と結ばれます。恋人たちの総決算といったところかな

 

#3

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #3

第3話『長き夜』…遂にナイトキング率いる死者の軍団との大戦が始まる。最前線のドスラク軍の前にメリサンドルが現れ、彼らの剣に炎を灯すが、瞬く間に死者の軍団に倒されていく。それを見たデナーリスとジョンがドラゴンに乗り上空から応戦するも、吹雪で視界を覆われてしまう。一方、シオンらに守られたブランはウィアウッドの下でナイトキングが現れるのを待つ。圧倒的な数で攻め込む亡者たちは次々に城内に流れ込み…。

 

一話丸々戦いの描写。ストーリー重視の私には延々と続く戦いの様子は苦痛です。

夜の戦いなので、画面は暗くて人物の区別もつかない時も・・・ そんな中で、メリサンドルの灯す炎の明るさが際立ちます。この人の能力の凄さが今回ほど頼もしく見えたことはないかも

ジョンとデナーリスはドラゴンの背に乗り、夜の王と空の戦いを繰り広げます。まさに炎と氷の戦いです。

元夫婦のサンサとティリオンの間に交わされる想いが視線の交差で描かれるなど、それぞれのキャラの心情を言葉以外で表現する描写も散見されます。

ゾンビさながら倒しても倒しても押し寄せる敵に絶望と恐怖を感じる者もいる中、最後まで希望を捨てずに戦う者も。その一人アリアが、最悪の瞬間に登場し、一気に逆転となる展開がゾクゾクします。 人も魔物も勝利寸前の油断が運命を分かつってヤツですかね

 

#4

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #4

第4話『最後のスターク家』…ナイトキングとの大戦が終わり、ジョンらは犠牲者たちに別れを告げる。その夜、デナーリスは勝利を祝う宴の席でジェンドリーをバラシオン家の当主に任命する。北部の人間から圧倒的な支持を得ているジョンを見て自分の立場に不安を覚えたデナーリスは、彼に出生の真実を誰にも明かさないよう説得する。いよいよサーセイとの王位争奪戦に挑むデナーリスらは海を渡りドラゴンストーンを目指すが…。

 

これまで民のためを第一義に掲げてきたデナーリスが、鉄の玉座に固執して変貌していきます。ターガリエン家では叔母と甥の結婚は「有り」ですが、北部の感覚は違うので、互いに愛し合っていてもジョンの中に葛藤が見えてきて、関係性も変わっていく予感

バラシオンの後継者として認められたジェンドリーはアリアに求婚しますが、アリアは・・・彼女は孤高の道を選んだのかしら。

ジェイミーとブライエニーは遂に結ばれますが、ジェイミーの中からサーセイが消えることはありません。 

周囲から自然に認められているジョンへの嫉妬心も芽生え始めたデナーリスは、王都の民を虐殺してでも落とそうとする意志を固め、相談役であるヴァリスはそんな彼女を王座に相応しくないと考え始めます。ティリオンはデナーリスを信じようとする立場で、二人の関係にも変化が

ティリオンってば、最初は家族である父に、姉に、そしてデナーリスにと、信じようとする気持ちを次々に裏切られていくんですね 彼の優しさが戦では悉く敗因となって返ってくるのが何とも残酷な現実です。 自分の信じていた者から裏切られたと知った時の哀しい目が印象に残ります。

サーセイの冷酷さも増していき、交渉が決裂して捕虜となっていたミッサンデイをデナーリスの目前で処刑するに至り、決戦は避けられない運命に

 

#5

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #5

第5話『鐘』…ミッサンデイを失いふさぎ込んでいたデナーリスだったが、口止めしていたジョンの出生の真実がティリオンやヴァリスの耳にまで届いていたことに憤慨する。怒りが収まらないデナーリスは直ちに軍を王都に向かわせ戦闘態勢へ。ティリオンは、独り王都に向かっていたジェイミーが穢れなき軍団に捕獲されたことを知り、彼を助けるため必死の行動に出る。王都中が焼き崩れるなかアリアとハウンドは赤の王城に着く-。

 

ジョンに口止めした筈の秘密がヴァリスたちにまで漏れていたことに疑心暗鬼を強めていくデナーリスは、王都の運命に対しても過酷な選択をします。

ティリオンはデナーリスに「王都の鐘が鳴ったら=降伏の合図」戦いを止めるよう懇願しますが、彼女は剣を捨てた兵士たちや逃げ惑う民衆に対してもドラゴンの炎を容赦なく浴びせ王都を破壊し尽くします。あまりの光景に呆然とするジョン。こんなデナーリスを見たら百年の恋も冷めるわ

デナーリスの理想論は、現実に目の前で親を殺され生き残った子どもたちが、果たしてこの女王を受け入れることができるのかという視点に欠けている気がします。もはや彼女は残酷な簒奪者、暴君でしかありません。

サーセイやクレゲイン兄を狙って城に潜入したアリアとクレゲイン弟でしたが、ドラゴンにより破壊されていく情況の中、クレゲイン弟はアリアに逃げるよう言い残して因縁の兄との対決に向かいます。それにしてもあの惨劇の中でほぼ無傷で生き残るアリアって・・・

サーセイの元に向かったジェイミーは捕えられますが、ティリオンが自らの死を覚悟で逃します。「自分を厭わず愛してくれたのは兄だけだった」と号泣する姿に思わず貰い泣き。 ユーロンとの死闘を経てサーセイと再会したジェイミーですが、二人の運命はここで尽きます。サーセイのお腹の子はやっぱりジェイミーのですね 母の愛は何にも勝るというけれど、彼女の愛し方はあまりにも身勝手ですが、一抹の憐みを覚えてしまいます。それでもこの二人は愛する者を抱いて死んでいったのだからある意味幸せな最期といえるかも。

 

#6[最終話]

ゲーム・オブ・スローンズ 最終章 #6[最終話]

第6話『鉄の玉座』…戦いが終わり王都は焼け野原となり、兵士や民の死体が散乱している。ティリオンは城の地下壕のがれきの下で重なり合って死んでいるジェイミーとサーセイを見つける。デナーリスは穢れなき軍団とドスラク族の軍団を前に勝利を宣言、このまま大陸中の民を解放していくと兵士を鼓舞する。ジェイミーを逃がした反逆罪で捕らえられたティリオンは、ジョンにデナーリスを止められるのはジョンしかいないと説得するが・・・。

 

長い長い物語も遂に最終話。鉄の玉座は誰の手に?の興味はしかし、良い意味で裏切られました。

デナーリスへの愛と、彼女の望む未来に対する危惧の板挟みで苦しむジョンに、ティリオンは決断を迫ります。

デナーリスにこれ以上の殺戮は止めるよう進言しますが、まるで聞く耳を持たず、自分の使命感に高揚するさまに、ジョンは悲壮な決意を固め・・・この一連のシーンは、壮大な物語の決着としては少々拍子抜けの感が否めません。

母を喪ったドラゴンの嘆きの咆哮で、溶け落ちる玉座が、王国の未来を象徴していました。

生き残った七王国の貴族たちが、話し合いで新しい王を選ぶシーンでは、子孫を残せない不自由な身のブランこそが王に相応しいとのティリオンの提案を、「北部は王を抱かず独立する」と宣言したサンサを除く皆が受け入れるのです。専制ではなく民主的な合議による王の誕生ですね。個人的には一番感情移入していたティリオンが生き残って、王の相談役としてこの新しい王国の導き手となっていくことに安堵しました。その容姿とは対照的に、誰よりも人としての優しさを持つキャラでしたもの。

サンサは北の女王になり、アリアはまだ見ぬ「西」へ旅立ちます。物語は、再び「壁」に追放となったジョンがかの地に戻る場面で幕を閉じます。スターク(氷)とターガリエン(炎)双方の血を引くジョンこそが、物語のキーパーソンであり、スターク家の兄弟姉妹たちそれぞれの物語でもあったということがよくわかる最終話でした。


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ヴィクトリア女王 最期の秘密

2019年10月06日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年1月25日公開 イギリス=アメリカ 112分

1887年、インドが英領となって29年目。アグラに住む若者アブドゥル・カリム(アリ・ファザル)は、ヴィクトリア女王(ジュディ・デンチ)の即位50周年記念式典で記念金貨“モハール”を献上する役目に任命され、もう一人の献上役モハメドと共に英国へ渡ることになる。
18歳で即位してから、長年女王の座に君臨してきたヴィクトリア。細かく決められる1日のスケジュール、思惑が飛び交う宮廷生活…心休まらない日々を送っていた。そんな中、金貨を献上しに現れたアヴドゥルに心を奪われる。物怖じせず、本音で語りかけてくる真っ直ぐな彼を気に入ったヴィクトリアは、祝典期間中、従僕にすることにした。インド皇帝でもありながら、現地に行ったことがない女王は、アブドゥルから教えてもらう言葉や文化に魅了されていく。次第に、身分も年齢も超えて強い絆が芽生えていくが、周囲はふたりの関係に猛反対。やがて事態は英国王室を揺るがす大騒動へと発展していく    。(公式HPより)


英国女王とインド人使者の交流を描いたドラマで監督はスティーブン・フリアーズ。ジュディ・デンチが1997年「Queen Victoria 至上の恋」に続いて2度目のビクトリア女王役を演じています。

前回観た「ふたりの女王メアリーとエリザベス」と同じイギリス女王の話ですが、こちらは300年後で、しかも登場するのは80を過ぎた老年の女王ですから、色恋沙汰はありません。 しかし、時代に関わらず、女王は孤独であることに変わりはないようです。 女王の日常は朝から晩まで分刻みのスケジュール、王太子である長男バーティ(エディ・イザード)は凡庸で、最愛の夫と従僕(寵臣ジョン・ブラウン)を亡くしてから心を分かち合える者もいない毎日に生気も失われています。

そんな女王の前に現れたのが、王室のしきたりを無視して真っ直ぐに自分へ微笑みかけてくるアブドゥルです。(もちろん彼がハンサムだという外見上の特徴も見逃せませんが、もしかしたら亡き夫にどこか似ている点があったからかも

アブドゥルを気に入った女王は、自分の話し相手として呼び寄せ、息子のように可愛がり、師を意味するムンシと呼んで慕うようになります。アブドゥルを通して初めて知る異国の言葉や文化は女王の知的好奇心を刺激し、止まっていた人生が鮮やかに動きだすのです。映画の冒頭では人形のように虚ろで生気のなかった女王が姿勢も心なしか良くなってシャキッとした様子になり、目が輝きだす変化を魅せる演技は、さすがジュディ・デンチです。

アブドゥルがイスラム教徒であることには寛容だった彼女ですが、彼に妻がいることを知ると激怒します。いくつになっても女だということね しかし女王は妻を呼び寄せるように言い、離宮「オズボーン・ハウス」の別邸に彼らのための部屋を与えます。妻と義母の少々コミカルに見える登場シーンに和みます。

身分も年齢も超えた絆で結ばれていく二人ですが、王太子ら周囲はこの“君主と従者”の関係に強い危惧を覚えます。アブドゥルの粗を探し出そうと、共にイギリスへやってきたモハメド(アディール・アクタル)にインドへ帰してやると交換条件を提示しますが、モハメドは応じません。寒いイギリスの気候が合わず病気になっていたモハメドでしたが、同じインド人である友を売るような男ではなかったのです。結局彼は病死するのですが、このエピソードは胸を打ちます。

インド大反乱(イギリスの植民地支配に対する民族抵抗運動)を巡るアブドゥルのイスラム教徒よりの情報の誤りを周囲に指摘された女王は、またまた激怒し彼に帰国を命じますが、これまでの彼の真心への感謝から翻意し引き止めます。彼を厄介払いできたと思った周囲の思いはぬか喜びと変わり、更に彼の出自を調べ上げて女王に進言しますが、逆に叙爵すると言い出す始末。これには使用人たちまで大反対して総辞職すると女王に迫ります。 たしかに客観的にみてもやりすぎと思いますが、女王にしてみれば、この件で誰もわかってくれないという孤独感を更に高めることになります。使用人たちを集めて「異議があるなら私の目の前で」との気迫ある態度で迫る女王に誰も何も言えないのはさすがに女王の威厳ですね。しかし彼女は一歩妥協して叙爵の代わりに叙勲にとどめることにします。この匙加減も君主として長年君臨してきた手腕といえるでしょう。

モハメドの死によって、女王は自分亡きあとのアブドゥルの身を案じ、帰国を促しますが、彼は終生女王に捧げると改めて告げます。女王臨終の床では、死を前に怯える彼女に安らぎを与えます。愛する息子と呼んで息を引き取った女王。彼女にとって晩年に人生の輝きを与えてくれたアブドゥルはある意味息子以上の存在であったといえるでしょう。

女王崩御の後、『エドワード7世』として即位したバーティは、アブドゥルと女王の親交の証拠となる品々をことごとく奪い、破壊させます。女王と彼の交流を、歴史から抹殺しようという強い意志が窺われるシーンです。これがもっと前の時代なら暗殺や謀反人の疑いをかけて処刑されていたかもと考えると、まずまず温厚な措置ともいえるのかもですが

失意のうちにインドに帰国したアブドゥルは1909年に亡くなります。インドは1947年に英国から独立。2010年にアブドゥルの日記から女王との交流の記録が発見されたのだとか。女王の靴に跪いてキスした最初のシーンと、インドのタージ・マハルに建てられたビクトリア女王の像の足元に跪きキスする彼の姿が対になり、彼の終生変わらぬ女王への深い敬愛の情が感じ取れるラストになっていました。

映画は、実際に女王が愛した離宮「オズボーン・ハウス」で撮影され、史実をもとに細部ま拘った華やかな衣装に目を奪われます。数百人ものエキストラが登場した王宮儀式の華やかさも眼福でした。


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劇場版「聖☆おにいさん 第1紀」

2019年10月05日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2018年10月12日公開 77分

目覚めた人ブッダ(染谷将太)、神の子イエス(松山ケンイチ)。世紀末を無事に越えた二人は、東京・立川でアパートをシェアし、下界でバカンスを過ごしていた。そんな“最聖”コンビの立川デイズを描く。(CDジャーナル データベースより)


福田雄一が監督・脚本、製作総指揮は山田孝之という「勇者・ヨシヒコ」チームの軽妙な笑い溢れる作品です。原作は中村光の漫画『聖☆おにいさん』

医者役で福田組常連の佐藤二郎も出演していますが、相変わらずのとぼけた演技です そういえばヨシヒコでは「ホトケ」を演じてましたが、こちらのブッダとはだいぶ性格が異なるようで・・・

(レンタル予約のが届いた同じ日に地上波でも放送があったという・・・なんだかな~~なタイミング)でもDVDでは監督と山田孝之のインタビューがところどころ挟まっているのでちょっとお得かも。

イエスとブッダの聖人コンビが立川のアパートをルームシェアして下界でバカンスを過ごすというありえない設定にまず脱力!細かいお金を気にするブッダと衝動買いが多く飽きやすいイエスという対照的な性格の二人のやりとりに終始笑いが漏れてしまいます。宗教ネタは双方の信者にとって大丈夫なのかと心配するのは無粋というもの。意外にしっかり調べてあるんです。 演じる二人のゆる~い雰囲気もあって、広~~い心で笑って!的な空気感があります。

収録エピソードは以下の通り

  1. ブッダの休日
  2. ブッダとイエスのできるかな
  3. バカンスin立川
  4. 出前のシステム
  5. ホスピタルフィーバー
  6. 福も来た!鬼も来た!
  7. 白い聖人たち
  8. 奇跡の物件
  9. 天国よいとこ一度はおいで!
  10. サンパツ沐浴ドランカー

内容の詳細は省きますが、どのエピソードもクスっと笑えて楽しめました。


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