杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

天使の報酬  

2011年04月30日 | 
著者: 真保裕一  出版社: 講談社

サンフランシスコで日本人女子大生・霜村瑠衣が失踪し、日本から駆けつけた父親の立ち会いのもと、アパートの捜索が行われた。外務省邦人保護担当領事・黒田康作も現場に立ち会ったが、当の父親は、娘の失踪理由を知っていて隠している様子が窺われる。瑠衣の容疑は、単なる窃盗ではなく、テロ準備罪?! 黒田が調べていくうちに、彼女の周囲には、日系ボリビア人や謎の日本人フリージャーナリストをはじめとする不審な人物の影がちらついていて、何人かの死亡者までいることが判明。ついに失踪事件の背後に隠されていた真実に辿り着いたとき、その重さに、黒田は愕然とする。国益を優先すべきか、邦人の命を守るべきか、黒田の苦悩はつきない。(「BOOK」データベースより)

フジテレビ系連続ドラマ「外交官 黒田康作」の原作です。
ドラマの方を先に見てから本を読みました。(図書館の順番待ちがやっと回ってきた)

初めにドラマ化ありき!ということですが、原作通りの設定にしたら官僚天国の日本では放映許可が下りないからなのか、テロじゃなくてエロ落ちだからか、かなりバッサリと変更されてのドラマ化だったんだなぁということがよくわかりました(^^;

黒田ファンとしてはTVも本も何だか中途半端な感じが否めないのね。アメリカの製薬会社が鍵であることは変わりませんが、ドラマの方が薬害や人体実験により深く焦点を当てていたように思います。(そういえば人種的偏見を招くと批判を受けお断りテロップも流されたっけ)

その点、本は官僚機構の軋轢に多くページが割かれていて、相関図を頭に入れておかないと人間関係で迷子になりそうでした。それが面白いと言う人じゃないと楽しめないかも。
原作の不満点は、事件の真相が、家族の不始末による負の連鎖ということで、なんか「ちっせ~~な!」というのが正直な感想です。
黒田自身も、事件に首を突っ込んで探偵の真似事をしてる割には、出し抜かれたり傍観者の立場に近かったりで、ヒーローっぽくはなかったかな。

マネー・ロンダリングならぬヒューマン・ロンダリングの手法はTVでも使われていますが、本は二倍(笑)おいおい、そうくるか!で、しかも親バカも二人って・・どうよ(^^;
最後に真犯人が登場しますが、その動機もなるほど!と納得するには少し弱い気がします。
また、脅迫されていた男が脅しに屈せず指示された強毒性のウィルスではなく比較的害のないものを所持していたのも、彼の研究者としての正義感を強調したいのでしょうが、脅された理由の下劣さを相殺するまでは至らないのも残念でした。

第三作はまた映画になるようですが、今回より面白いことを期待します。

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ロバと王女 デジタルニューマスター版

2011年04月30日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2005年10月29日公開 フランス 89分

昔々、銀の城に住む王様(ジャン・マレー)には美しいお妃様(カトリーヌ・ドヌーブ)と王女様(C・ドヌーブ)と宝物を生むロバがいた。ある時、お妃様が重い病に罹り、死の床で王様に再婚するなら自分よりも美しい女性を選んでと言い残してこの世を去る。しかしお妃様より美しい女性は王女様だけだった。王様に求婚された王女様は悩み、リラの妖精(デルフィーヌ・セイリグ)に相談すると、王様にわざと不可能な条件を出して断るよう助言される。空色や月、太陽のドレスという難問を軽々とクリアされ、最後に宝を生むロバの皮まで与えられた王女様は、妖精からもらった魔法の杖と衣装の入った箱を持ち、ロバの皮を身にまとってお城から逃げ出して隣国の田舎で下女として雇われる。いつもロバの皮を身につけているので人々は《ろばの皮》と呼んで彼女を蔑んだ。ある日、こっそり太陽のドレスを着ていた王女様をたまたま通りかかったこの国の王子様(ジャック・ペラン)が見て、一目惚れをする。恋患いを治すには結婚以外にないと診断された王子様は、《ろばの皮》が作ったお菓子の中から見つかった指輪がぴったりはまる女性を相手に選ぶと言い、国中の未婚女性たちを集めるが、誰一人その指輪が合う人はいなかった。そして、最後に《ろばの皮》が呼ばれ、その指にぴったり合い、彼女は王子様と結ばれる。結婚式には王女様の父君とリラの妖精が仲良く空をとんで来て、お祝いの宴は三カ月も続いたという。

ジャック・ドゥミ監督が1970年に製作したミュージカル・ファンタジーを、30年以上の時を経て、夫人のアニエス・ヴァルダ監督監修で、デジタル修復された作品です。原作はシャルル・ペローの「ロバの皮」です。

30年以上前に作られたものですから、感覚的に違和感も(^^;
ただ、映像はとても美しかったです。
王女の父の城の家来は顔を青く塗り、王子の城の家来は赤でというように、甚だ現実離れしたコスチュームと世界観はまさにファンタスティック。それでいて妙に現代的な場面もあり、空から現れる王様と妖精の乗り物がヘリコプターというのはちょっとやりすぎな感もあるけれど・・。

実の父親が娘に求婚するのにまず驚くけれど、王女も満更ではないのが更にびっくり。これはファザーコンプレックスを強調しているのか?
けれど、森にやってきた王子とはすぐさま恋に落ちて、彼に求婚されるために一計を案じる姿は、受身で待つだけのお姫様じゃないのね。

妖精が当たり前にいる世界だけれど、王女に助言を与えるリラの精は、実は昔王様とわけありだったなんてオチまでついてる。美しいドレスをねだらせたり、ロバの皮が欲しいと言わせたりとかなり俗物的だけれど、元々童話は残酷で意味深な面を含んでいるものだから、このくらいの毒がある方が面白いのかも。

ミュージカルなので、随所で歌が始まるけれど、ちょっと独特で耳に残るメロディでした。
それにしてもC・ドヌーブ、美しい!!!

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ガフールの勇者たち10 「ガフール伝説」と炎の王子

2011年04月26日 | 
キャスリン・ラスキー著  食野 雅子訳  メディアファクトリー出版

トワイライト、ジルフィー、ディガー、オツリッサとともに、コーリンとソーレンは“いにしえの書”第2巻を読みすすめていく。北の王国で反乱を起こしたアリン公は、黒フクロウの手下とともに王子フールをさがしていた。フールは仲間たちとともに、最果ての地で戦いにのぞむ。読みおえたコーリンは、フールのように立派な王になるべく、新たな戦いへの決意をかためるのだった。(「BOOK」データベースより)

伝説の王フールの物語の第二章です。
作者不明の形をとっていますが、最後の「記憶の炉から生まれた」という記述からソーレンたちはセオが書いたと推察しています。

卵から孵ったフールを教え導くのがグランクとセオなら、新しく加わったフィリアスはフールの親友になります。彼らは最果ての地でフェンゴの導きをフールに受けさせます。

シブ王妃とスベンカの友情は続き、放浪ふくろうのスノーローズとの出会いや、フールを狙う黒ふくろうのイグリクたちとの戦いも激しさを増します。

フェンゴに負けたマクヒースがアリン公側に付き情報を流したことでフールの居場所が知られ決戦になるのですが、フールが「燃える石」を見つけ出して王として認められるのでした。

マクヒースは自分が長年虐げてきたメス狼のホドワードに復讐されます。
また、シブはこの決戦で倒れ還らぬ身となるのでした。
まさに母は強し!な王妃の生き様でした。

フールたちが最果ての地へ行く途中で寄った島で彼が流した一滴の涙からガフールの神木が生まれたというのもいかにも伝説らしいエピソード・・かな(笑)

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ずっとあなたを愛している

2011年04月24日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2009年12月26日公開 フランス 117分

ジュリエット(クリスティン・スコット・トーマス)は息子を殺した罪で15年の服役の後、妹のレア(エルザ・ジルベルスタイン)が身元引受人となり一家に身を寄せる。長い空白期間を経て再会した姉妹はぎこちなく、レアの夫リュック(セルジュ・アザナヴィシウス)は、自分の息子を手に掛けたジュリエットを警戒して娘たちが彼女に近づくのを嫌がる。しかし、レアは姉との失われた年月を取り戻そうと彼女の心が開くのを待っていた・・・。

ジュリエットとレアは年の離れた姉妹です。
それゆえに姉が罪を犯した理由も知らされず、ただ姉はいないものと両親に刷り込まれて大きくなりました。ところが、就職し結婚し、養女をもらって家庭を営む頃になって姉の出所が近いことを知ります。失われた姉妹の絆を取り戻そうというレアの決意は固く、夫の反対を押し切って姉を引き取るのです。

ところが、ジュリエットの方は、妹にも周囲の人にも心を閉ざし続けます。理由や状況がどうあれ、自らの手で愛する息子を死なせたことへの罪悪感や絶望的な悲しみから立ち直れないままだったのです。

そんな彼女を、レアの養女である8歳のプチ・リス(リズ・セギュ-ル)は真っ直ぐに見つめ問いかけ、懐いていきます。二人がピアノの練習をするなかで映画の題名でもある「ずっとあなたを愛してる」というフレーズが出てきますが、年の離れた妹への情愛を感じさせるシーンです。アメリア(リリー=ローズ)のあどけなさも映画の持つ重苦しさを和らげてくれます。
ベトナム人の養女やレアの夫の友人のイスラム系の人など、登場人物たちの人種設定にもフランスらしさが現れていました。

病気で口が聞けなくなったレアの義父(ジャン=クロード・アルノー)もジュリエットにとっては気の安らぐ存在でした。いつも自室で静かに本を読んでいる彼の眼差しの温かさが彼女にとっては大きな癒しでもあったようです。

ジュリエットが面談するフォレ警部(フレデリック・ピエロ)やカウンセラー(カトリーヌ・オスマラン)も彼女に親切です。徐々にですが、彼女は周囲の人間への警戒心を解いていきます。レアの同僚ミシェル(ロラン・グレヴィル)との穏やかな友情がやがて恋に変わる予感も良い感じ。警官の自殺はどう解釈してよいのか迷うところですが、人は他人に見せない苦しみや悩みをそれぞれ抱えて生きているのだと伝えているのでしょうか?

姉妹が認知症の母親(クレール・ジョンストン)のいる施設を訪れるシーンでは、レアのことは全く覚えていない母が、ジュリエットを見るなり抱きしめ、「学校から帰ったの?」と語りかけます。罪を犯したことでジュリエットを全否定し拒絶していたと思われるこの母親の態度にジュリエットは動揺しますが、同時にこの時赦しを感じていたかもしれません。(ちなみに父親は既に死去しています。)

こうして少しずつジュリエットは周囲に打ち解けていきますが、アメリアが彼女の部屋で見つけた古い手紙と写真により、レアは姉の犯した罪の理由を知ることになります。
ジュリエットの慟哭に寄り添いただ抱きしめるレア。姉妹が互いを受け入れた瞬間です。

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さだまさし スーパーアコースティックアンコール 予感+ ( 文京シビック)

2011年04月24日 | ライブ・コンサート他
16:30開場  17:00開演
文京シビックホール

昨夜の板橋に続いて参加です。
今夜は中のTシャツが濃いピンクに変わった他は衣装変更無し。
かなり前列だったので、肉眼で確認できたジャケットは桜色ではなく、赤と白の細かいストラップになっていると判明。遠目には桜色に見えるのね♪そして上着の左下に喪章リボンもはっきり見えました。

曲目は全く同じ。
トークネタもほぼ同じですが、言い回しは微妙に変えていたり、内容が足されていたり引かれていたりで、何度聞いても楽しめるのはさださんの話術の凄いところです。

以下は前日との比較(トーク部分)

・地震速報のチャイム音をピアノだけでなくセロも加わって乗るメンバー
・グレープのデビュー時の話で連れ込みホテルに2泊したこと。吉田さんを「白色レグホン」に例える
・殺風景の終わりの「ランランラン」繰り返しにメンバーが乗って来なくて拗ねる
・南こうせつさんとも支援活動の計画あり
・メンバーいじりが昨日より少し増えてました。宅間さんの使っている楽器?を風呂桶みたいとか、それはヘルメットになって便利だとか・・笑
・震災時はアルバム作りの最中だったこと。
・年寄りが同じことを何度も言うのは真理を語っているから
・花を咲かせるために自分に栄養を与えなくてはいけない・・など

「主人公」歌い終わった時点で今夜も25%削減目標は失敗に終わりました。
それでも平常時?の3時間コンサートを思えば15分は短縮されている気がしますが(^^;

なんせ、19:50にはメトロに乗ってましたからねぇ☆☆☆

今回のトークで面白可笑しく語られる「名古屋とり弁騒動」ですが、う~~ん・・これって笑える話なのかなぁ?と疑問を覚えました。事実を誇張しているとは思うけど、そういうことが当たり前になっている感覚ってどうよ?って・・。

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さだまさし スーパーアコースティックアンコール 予感+

2011年04月23日 | ライブ・コンサート他
16:30開場  17:00開演
板橋文化会館大ホール

会場入り口にはさださんが書かれた「心を強く元気に過ごそう」という文章が。

3分押しで始まった通算3841回目のコンサート
桜色のジャケット(ボタンの赤がラブリー)に白T、淡グレーパンツ、赤スニーカーの衣装の着替え無し。

・片恋
・案山子

開演中に地震が来た時は宅間さんのウィンドチャイムでわかると笑わせ、通常なら片付けられているステージ前の階段は非常時のためと断りをいれているあたりがいかにも震災後を象徴していました。

・交響曲
・朝刊

最新アルバムからの「片恋」の後は懐かしいグレープ時代の曲が続き、デヴュー当時の話をされていました。(大阪ステーションホテルとか・・笑)

・殺風景
・雨やどり(曲途中で宅間さんと視線を交わしたのは効果音が??だったから?)
・秋桜
・BIRTHDAY(気仙沼で作った歌だそう)

バックメンバーの旭さんのパンフルートは徳島の竹ちくわの芯だとか

・北の国から
・道(はないちもん)

生さだ次回は6月4日徳島からだそうです。
東海ラジオの田中さん話で盛り上がります。

・何もなかった
・静夜思
・前夜(桃花鳥)

3/11の震災当日はB3Fのスタジオにいたとのこと。
メンバーの石川さんや旭さんいじりの後で
将来の夢(変なじじいになりたい)、自分の花を咲かせよう!と語りかけ

・人生の贈り物~他に望むものはない~
・主人公

TV番組の告知(題名のない音楽会、生さだ再放送、兵庫・芸術文化センターで佐渡裕さんと9/30に・・・)

・飛梅
・桜散る                  ここまでで19:40

Ac 道化師のソネット


今日は時折激しくなる風雨の中、久々に宅間さんの入り待ちしちゃいました♪

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ボローニャの夕暮れ

2011年04月22日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年6月26日公開 イタリア 104分

1938年イタリア・ボローニャ。高校の美術教師ミケーレ(シルヴィオ・オルランド)は、同じ高校に通う17歳の娘ジョヴァンナ(アルバ・ロルヴァケル)のため、人気者のダマストリに、進級を盾に娘に親切にするよう持ち掛ける。何も知らないジョヴァンナは想いが通じたとはしゃぐが、母デリア(フランチェスカ・ネーリ)はミケーレに疑いの目を向ける。ジョヴァンナは親友マルチェッラの誕生日パーティーに招かれ、隣人の警察官セルジョ(エツィオ・グレッジョ)の計らいで新調したドレスを着て出かけるが、ダマストリが自分とだけ踊ってくれないことに傷つき、マルチェッラが邪魔をしていると思い込み数日後、彼女を殺してしまう。取り調べで犯行を自供したジョヴァンナは、裁判で心神喪失が認められ、レッジョ・エミリアの病院に入院する。教師の職を追われたミケーレは、足しげく病院に通うが、デリアは気持ちの整理がつかず、娘に会いに行けなかった。やがて戦争が激化し、セルジョは空襲で家族を失う。ジョヴァンナが母親に対し劣等感を抱いていることや母親が他の男に恋していると思い込んでいると医師から告げられたミケーレは、セルジョに、デリアと一緒になってほしいと伝え、病院の近くに移っていった。終戦後、ムッソリーニを支持していたセルジョは銃殺された。退院したジョヴァンナは父とボローニャに戻る。ある日映画館へ出かけた二人はデリアを見かけ、声をかける・・・。

題名からのどかで昔風の楽しいお話かと思ってレンタルしたけど違ってました。

ボローニャを舞台に、ファシズムの台頭から戦争を挟み再生してゆくイタリアを、無名の一個人の生き様に重ねた作品ですが、正直どう理解すればいいのか・・悩

ジョヴァンナは純粋なのでしょうが、思い込みの激しい病的な性格です。そんな娘に戸惑う母の心情はわかる気がするのですが、ただひたすら娘を信じ愛する父親の姿に畏怖というか、娘の狂気に近いものを感じてしまうのです。ごくごく平凡なこの父親の姿こそが、ファシズム台頭から戦争終結後の混乱するイタリアそのものということなのでしょうか。

ジョヴァンナの犯罪は偏執的妄想からとはいえ、被害者やその家族に対する謝罪意識は低いように思えます。マルチェッタの母はこの父娘の訪問を頭から拒否拒絶してしまうので、彼らが伝えたかった思いが謝罪なのか言い訳なのか判然としないけれど、そこには自分たちの感情が優位に働いているような気がしてなりませんでした。ブルジョワ階級を象徴しているマルチェッタの家族に対する逆差別のようにもみえてしまったぞ(^^;

物語の結末で、この家族は再生に向けて歩き出します。
きっかけとなった映画館での出来事は、ほんの短い時間の中にこれまでのそれぞれの思いを込めた視線の交錯が見事といえるでしょう。

ハリウッド映画のような白黒はっきりした単純明快なストーリーの方がやっぱ性に合ってるなぁ>自分

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ガリバー旅行記

2011年04月20日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2011年4月15日公開 アメリカ 85分

NYの新聞社でしがない郵便係として働くガリバー(ジャック・ブラック)は、失敗を恐れるあまり初めから挑戦を諦めてしまうちっぽけな男だった。ある日、ひょんなことから5年間片思いしている旅行記者のダーシー(アマンダ・ピート)にバミューダ・トライアングルの取材旅行を頼まれて勇んで船を繰り出すが、沖で嵐に遭い、気がつくと小人の国リリパットに流れ着いていた。一度は囚人として捉えられた彼だが、その図体のでかさを生かし国王の危機を救い、持ち前のハッタリと現代文明の知識もあいまってヒーロー扱いされる。しかし根は小心者の彼は、予想外の強敵にビビって醜態をさらし、嘘もばれて人々の信頼を失ってしまう・・・。

ジョナサン・スウィフトの小説「ガリバー旅行記」を現代風にアレンジしています。

赤いTシャツにカーゴパンツ、コンバースを履いたガリバーに対し、リリパット王国の小人たちは中世風の衣装や暮らし方です。類型的ともいえる中世の王国設定は、ディズニー映画に見られる大仰な仕草やセリフをわざと誇張して取り込んでいるように見えました。

ガリバーのはったりの中には『タイタニック』『スター・ウォーズ』『アバター』などの映画の場面や、KISSの音楽が登場し、いかにもJBらしいちょっと下品なネタの数々とともに笑える場面が満載でした。
さすがに国王の危機をアレで救うというのはやりすぎな気もしましたが、子供の観客にはとても受けてましたので、特に男の子にはとっても楽しい映画だと思います。

何事も後ろ向きだったガリバーがリリパットで王国の人々から頼りにされ尊敬されることで変わっていく姿は「諦めずに努力すれば道は拓ける」ことをわかりやすく伝えてくれています。
またホレイショ(ジェースン・シーゲル)という親友が出来て、彼が恋するメアリー王女(エミリー・ブラント)との仲を取り持とうとあれこれ助言するのですが、いざ自分のことになると逆にホレイショから叱咤激励される姿は大人も共感する部分があると思います。

ガリバーに人気と地位を奪われ面白くないエドワード将軍(クリス・オダウド)が敵国に寝返り、ガリバーの乗ってきた船にあった本からロボットを作って勝負を挑む筋書きは決闘という中世のお約束にのっとってはいますがとっても現代風。映像も『トランスフォーマー』ばりで、これも男の子受けしそう。

ガリバーが巨人の少女に捕えられてドレスを着せられお人形生活をする様子は笑えます。『トップガン』まで出てくるし(^^; ドレスにピンクのリボン姿のガリバーが、キモカワいいの♪

ダーシーまで登場し最後は丸くおさまりハッピーエンドなのも嬉しい。やっぱり子供向けはこうじゃなくっちゃね。

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17歳の肖像

2011年04月16日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年4月17日公開 イギリス 100分

1961年。ジェニー(キャリー・マリガン)は、ロンドン郊外のトゥイッケナムの学校に通う16歳の少女。父・ジャック(アルフレッド・モリーナ)と母・マージョリー(カーラ・セイモア)は、成績優秀なジェニーがオックスフォード大学に進学することを期待している。楽団でチェロを弾き、フランスに憧れ、ロマンティックな恋を夢見るジェニーの今のボーイフレンドは、生真面目だが冴えない同級生のグラハム(マシュー・ビアード)。そんなジェニーは大学に入ればもっと自由に好きなことができると信じていた。楽団の練習の帰り道、どしゃぶりの雨に見舞われたジェニーは、高級車を運転する見知らぬ大人の男性から「君のチェロが心配だ」と声をかけられる。自宅までのほんの僅かな距離を行く間に、彼の紳士的な態度と柔らかな物腰、ウィットと教養に富んだ言葉がジェニーの心を捉える。それがデイヴィッド(ピーター・サースガード)との出会いだった。数日後、ジェニーは街角でデイヴィッドを見かけて声をかける。デイヴィッドが彼女を音楽会と夕食に誘うと、ジェニーはその申し出を喜んで受け入れた。デイヴィッドの友人で美術品取引の仕事仲間のダニー(ドミニク・クーパー)とその恋人ヘレン(ロザムンド・パイク)を紹介されたジェニーは、彼らが足を運ぶナイトクラブや絵画のオークションに同行、洗練された大人の世界にすっかり魅了されていく。生まれて初めて“人生を楽しむ”ということを知った彼女は、これまでの自分の人生が急に色褪せたものに思えるのだった。それを教えてくれたデイヴィッドにますます恋をしていくジェニー。そしてデイヴィッドもまたジェニーの聡明さに惹かれていく。初めての真剣な恋に夢中のジェニーは、17歳の誕生日をまもなく迎えようとしていた。だが、もう後戻りできない大人の入口で、彼女は大切な選択を迫られることになる。ジェニーが自ら最後に選んだ道とは……?(goo映画より)


イギリスの女性ジャーナリスト、リン・バーバーの回想録「An Education」の映画化だそう。

ジェニーは聡明であるが故に、自分の新しい可能性と大人の世界へ導いてくれたデイヴィッドへの恋心を募らせていきます。
彼女の両親は娘の幸せを願っていて、まずは学歴を手に入れて有利で安泰な将来を期待するのですが、娘に富裕で高学歴なお相手が現れると学歴より結婚を選ぶ娘を手放しで喜びます。

特に父親のあまりにも現金に思える言動に呆れるほどなのですが、その裏には取り得のない自分のような人生を歩んで欲しくないという思いがあるのでした。そのことが、デイヴィッドの決定的な裏切りが判明した後でのジェニーとの会話の中で浮き彫りにされます。このシーンは一種の救いに感じました。

もう一人、ジェニーを心配し気遣ったくれたのは担任の女教師でした。
彼女は年上の恋人に有頂天になり学業に気の入らないジェニーを諭しますが、逆に「貴女のようなつまらない人生を送りたくない」と拒絶されます。ところが全てを失ったジェニーを助けてくれたのはこの女教師でした。校長がジェニーを突き放したのとは対照的です。

この経験はジェニーにとって、無邪気な少女時代との決別であり、憂いを身につけた大人の女性への扉を同年の友人たちより一足早く開けてしまった出来事でした。けれどそのことで傷つきながらも彼女は自分の人生を本当の意味で自覚したともいえるでしょう。

デイヴィッドが何度も同じ過ちを繰り返す男性だったのには興覚めですが、女性を惹きつける危うい魅力を感じさせるには適役なサースガードの配役かも(^^;

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みんな元気(2009)

2011年04月14日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2009年製作 アメリカ 日本未公開 100分

フランク(ロバート・デ・ニーロ)は8ヶ月前に妻を亡くし、独り暮らしをしている。彼にはNYに住むアーティストのデヴィッド(オースティン・リシ)、シカゴで広告会社の重役を務めるエイミー(ケイト・ベッキンセール)、デンバーに住むオーケストラの指揮者ロバート(サム・ロックウェル)、ラスベガスのショーで活躍するロージー(ドリュー・バリモア)の4人の自慢の子供たちがいる。再び家族の絆を深めようと週末にバーベキューを計画するが、ドタキャンに遭い、自分が子ども達を訪ねて驚かそうと、NY、シカゴ、デンバー、ラスベガスへ旅を思いつく。それぞれ仕事で成功して幸せに暮らしていると信じていたフランクだったが、久しぶりに会った彼らはそれぞれ問題を抱えていて、それをフランクに隠している様子。子供たちの素っ気ない態度に落胆するフランクだったが、実は彼らにはどうしても父に伝えられない秘密があった…。


原題 Everybody's Fine 
1990年イタリアで公開された同名映画のリメイク作品です。
名優デ・ニーロと豪華な共演陣が贈るしみじみとした余韻のある作品なのに、日本未公開はもったいないなと思いました。

舞台をアメリカに移し、子供の数も4人に減らしていますが、自らの汗と努力で立派に育てた筈の子供たちが、実は彼の思い描いていたような成功者ではなかったという筋書きは元版に忠実なのだろうと思われます。

妻を亡くして気付いた子供たちとの距離を埋めようと企画したバーベキューのために嬉々としてその準備をする姿が冒頭にありますが、その後に味わう失望感や孤独を予想させて切ないシーンです。

厳しすぎるほどに躾けてきたことで逆に子供たちが父親を敬遠し、母親にばかり悩みを打ち明けていたことを知ったり、自分は子供たちに愛されていないのではないかと苦悩する姿は何だか身につまされますが、同時に子供たちの方の事情も早い段階で観る側に示されるので、「あぁ、そうじゃないのに」と歯痒さも。もっとも老いた父を邪魔にする話なら邦画の方が得意かもね(^^; 子供たちには父への愛情もちゃ~~んとありますから、その点は安心して観ることができました。

フランクはフィルムカメラを携帯し、訪問先で子供たちと一緒の写真を撮ります。KYな場面も多々ありますが、子供たちはそんな父親に寛容です。これらのシーンはどちらの気持ちもわかってしまうので、何だか複雑な気持ちになります。

彼らが隠していた真実は、心臓発作で倒れた際に見た幻影の形で、子供たちが幼少時の姿で現れて語る手法がとられています。一人一人を順番に訪問する際にもそれぞれを子供の時の姿と重ねているので違和感はなかったし、フランクと大人になった「子供たち」との距離感をも現しているように思えました。最終的に彼は自分の理想ではなく、生身の子供たちと向き合い、彼らを認めることが出来ました。そして彼らに愛されていることも。♪

この旅で明かされる悲しい事実もありますが、それでもXマスには家族が実家に集まります。
アメリカのXマスは家族で祝う一年で最大のイベントですから(丁度日本のお正月のようなものね)そのことだけでもこの家族の間に再構築された絆を感じることが出来ますね。
冒頭の孤独や寂しさと対をなすこのシーンは、希望と温かさに満ちていました。

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小さな命が呼ぶとき

2011年04月11日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年7月24日公開 アメリカ 105分

オレゴン州ポートランドに住むビジネスマンのジョン・クラウリー(ブレンダン・フレイザー)とアイリーン(ケリー・ラッセル)夫妻には、難病“ポンペ病”を患う8歳の娘メーガンと6歳の息子パトリックがいた。生まれつき体内のグリコーゲンをうまく分解できないため、平均寿命9年と言われ、治療薬はなかった。ジョンはこの病気について熱心に調べているうち、ポンペ病の権威であるロバート・ストーンヒル博士(ハリソン・フォード)の研究に唯一の希望を見出し、博士と一緒にバイオ・テクノロジーのベンチャー企業を立ち上げる。だが、採算を重視する投資家の思惑や、大手製薬会社の内幕など、2人の前には様々なハードルが立ち塞がり・・。


難病の子供を救うため、キャリアを捨てて製薬会社を起業したビジネスマンの実話を映画化した作品です。ファンタジーアドベンチャーものでお馴染みのブレンダンが、難病にかかった子どもたちを救うために奮闘する父親を演じています。ハリソン演じるストーンヒル博士は、頑固で根っからの研究者ですが、人間的な優しさを秘めていて好感が持てました。

ポンペ病は遺伝的疾患で、グリコーゲンを分解する酵素の不足または欠損により、筋肉や呼吸の機能低下や内臓肥大により死に至る病気です。博士は、足りないなら補充すれば良いと考えました。それが酵素補充療法です。映画では、治療薬マイオザイム がジェンザイム社から発売されるまでの経緯を描いています。

アイディアから新薬が出来るまでには、膨大な研究と承認のための治験期間が必要だし、そのためにかかる費用も莫大なものとなります。一般論として知っていても、やはり並大抵の努力ではないことが伝わってきます。そこに、投資家や企業の採算への思惑も入ってくるのですから・・・優秀なビジネスマンだけれど、全くのアウトローだったジョンを突き動かしたのは、愛する子供たちへの希望を捨てない情熱そのものだったのでしょう。

型破りなために周囲の研究者から浮いてしまう博士と対立することもありましたが、ジョンと博士の間には、共通の目的に向かう者同士の連帯感というか友情が芽生えていたことがわかるエピソードが心を打ちます。希望のあるラストも嬉しいです。

現在も彼らはより良い薬を作り出すために研究を重ねているとテロップが流れ、実話に基づいていたことを再認識させてくれます。劇中でメーガンがリクエストしたように、「ピンクのお薬」=より簡単便利で効き目のある薬が一日も早く開発されることを祈ります。

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エクリプス/トワイライト・サーガ

2011年04月09日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2010年11月6日公開 アメリカ 124分

高校卒業を目前にしたベラ(クリステン・スチュワート)は、エドワード(ロバート・パティンソン)と共にヴァンパイアの仲間入りをしたいと願っていたが、エドワードは自分との結婚が先だと主張する。その頃、シアトルで死者や行方不明者が続出し、その裏には、ライリー(ハヴィエル・サミュエル)率いる“ニューボーン”と呼ばれるヴァンパイア集団の存在があった。彼らは人間から転身したばかりのヴァンパイアで、血に飢えた本能のままに行動するため、人間にとって最も危険な存在だった。一方、フォークスの森にはエドワードを憎むヴィクトリア(ブライス・ダラス・ハワード)が現れ執拗にベラの命を狙う。カレン家のエメット(ケラン・ラッツ)がヴィクトリアの追跡途中勢い余ってヴァンパイアとオオカミ族の間の境界線を破ってしまい、両種族の間に緊張が走る。幼なじみのジェイコブ(テイラー・ロートナー)は、ベラがヴァンパイアになろうとしていることを知り怒りに任せてキスをしてしまう。やがてカレン家で行われた卒業パーティの席で、アリス(アシュリー・グリーン)はベラを狙うニューボーンの集団が現れることを予知。ベラを守るという共通目的から、ヴァンパイアとオオカミ族は協力して戦いに挑む・・・。


ヴァンパイアと人間の禁断の恋「トワイライト・サーガ」の第3章は、人間を襲う狂暴なヴァンパイア“ニューボーン”に対して、ヴァンパイアとオオカミ族が共同で立ち向かう筋書きになっています。もちろん、彼らの共通の目的はベラを守ること。
強く優しい男たちに求愛され、自分のために命を賭して戦うというシチュエーションに目がキラキラにならない女の子は少ないでしょうね。

二人の間で揺れる女心、みたいな解説もありますが、ベラは一貫してエドワードを愛していて、ジェイコブに対しては友情以上の気持ちはないように見えるのだけどね(^^;

ヴァンパイアになることと、結婚とはどう違うのかが未だによくわからない私です。

今回はカレン家のロザリーやジャスパーの過去も語られています。
ヴィクトリアがライリーを利用していたことはわかりましたが、彼女を泳がせていたジェーンの思惑は次回に期待ってことですかね。

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八日目の蝉  試写会

2011年04月07日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2011年4月29日公開予定

試写会場:よみうりホール
開映:18:30~

秋山丈博(田中哲司)、恵津子(森口瑤子)夫婦の間に生まれた生後6カ月の恵理菜を誘拐し、4年間逃亡した野々宮希和子(永作博美)が捕まった。裁判で希和子は「四年間、子育ての喜びを味わわせてもらったことを感謝します」と述べた……。丈博の愛人だった希和子は彼の子供を身ごもるが、堕胎させられ子供を産めない体になった。そんな時、恵津子に子供が出来たことを知り、自分の気持ちに踏ん切りをつけようと夫婦の留守宅に忍び込むが、赤ん坊を見て気持ちが変わり、思わずその子を抱えて雨の中を飛び出してしまう。希和子は子供を薫と名づけ、逃避行を続けるが、小豆島で4年間の逃避行は終わりを迎えた……。秋山恵理菜(井上真央)は21歳の大学生となった。4歳で初めて実の両親に会った時に実感が持てず、心を閉ざして成長した恵理菜は、家を出て一人暮らしを始める中で、岸田孝史(劇団ひとり)という家庭を持つ男を好きになる。そんな頃、恵理菜のバイト先にルポライターの安藤千草(小池栄子)が、あの事件を本にしたいと訪ねてきた。放っておいて欲しいと思いながらも、なぜか千草を拒絶することが出来ない恵理菜だったが、ある日自分が妊娠していることに気付き心が揺れる。千草と共に封印していた過去と向き合う旅に出た恵理菜は、小豆島で記憶の底にあったある事実を思い出す……。


角田光代原作の同名小説の映画化で、NHKでドラマ放映もあったそうですが、今回初めて映画版を観ました。「孤高のメス」の成島出監督のヒューマンサスペンスドラマです。
前評判が高いのか、会場はほぼ満席状態で男性の姿も多かったです。

冒頭、裁判で検察・被告それぞれの言い分が語られます。家族を滅茶苦茶にしたと叫ぶ実母のヒステリックさに微かな違和感を覚えてしまった私は、以後もこの母親に感情を添わせることが出来ずに終わってしまいました。

希和子は愛人宅から連れ出した赤ん坊の恵理菜を薫と名付けて、4年に亘り逃亡を続けながら我が子として慈しみ愛情を注いで育てます。映画ではその様子を時にカルト宗教の異様な、でも平和な生活を通して、時に小豆島の美しい自然や日常の営みを通して叙情的に映し出します。
そこにあるのは、ただ、愛です。無償の愛です。

一方では、大人になった恵理菜が、ルポライターを名乗る千草という女性との出会いをきっかけに、過去の自分と向き合うことになる様子が描かれていきます。かつての父親のような男を愛し妊娠したことで、彼女は遠い記憶に閉じ込めた自分の本当の思いに気付くのです。
千草の正体(マロンちゃん)も意外でしたが、彼女が恵理菜を訪ねてきた理由も「自分探し」だったのね。一人ならダメでも二人でならと語りかけるシーンが心に残りました。

本当の両親の元に戻ってからの恵理菜は決して幸せではなかったという事実が悲しいです。
元々感情的な実母は、娘に受け入れられないことに深く傷つき、娘もまたそれ以上に傷ついていました。もし、この実母がもう少し穏やかで大らかな性格だったらと思うとやるせないなぁ。
まぁ、それだったら元々こんな事件は起こらなかったんじゃないかとも思いますが(^^;

逃避行の中で立ち寄るエンジェルホームと小豆島。
エンジェルホームは現代の駆け込み寺といった趣ですが、その独特な生活スタイルと装束はカルトっぽい。代表のエンゼルさん(余貴美子)のキャラといったら・・唖然。子供たちの天使(というよりテルテル坊主みたいだけど)のような衣装はめちゃ可愛いけれど(笑)

小豆島でお世話になる製麺場の夫婦(平田満・風吹ジュン)や近所の人たちの素朴で親切な人柄や風景の描写がとても穏やかで美しくて、希和子の涙が出そうなくらいに幸せな思いが伝わってくるようでした。
二人が引き離される最後の夜に撮った写真に残る真実の思いが深くて切なかったです。

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塔の上のラプンツェル

2011年04月06日 | 映画(劇場鑑賞・新作、試写会)
2011年3月12日公開 アメリカ

森の奥深く、高い塔の上に暮らすラプンツェル(声:中川翔子)は、母親から「塔の外は“恐ろしい世界”だから決して出てはならない」と言われ続けて育ち、18年間母親以外の人間にも会ったことがなかった。だが、好奇心旺盛なラプンツェルは塔の外の世界に憧れ、特に毎年自分の誕生日に遠くの空に浮かぶ神秘的な“灯り”に魅了される。18歳になる誕生日の前日、ラプンツェルはその思いを母親に伝えるが、いままで以上に厳しく険しい口調で塔の外に出ることを禁じられる。そんな時、お尋ね者の大泥棒フリンが追手を逃れて塔に侵入、ラプンツェルは彼を“魔法の髪”を狙う悪人だと考え、長い髪を巧みに使って捕らえてしまう。そしてフリンが盗んだ王冠を取り上げ、交換条件として“灯り”の場所まで案内させることに。初めて塔の外に出たラプンツェル。そこは、母が言うような恐ろしい世界ではなく、美しい自然にあふれ、街にはたくさんの人々が楽しそうに暮らしていた。フリンとふたりで旅を続け、いくつもの危機を乗り越えていくうちに、ラプンツェルの心に淡い恋が芽生えていく。だがその旅の先には、彼女自身の秘密を解き明かす、思いもよらぬ運命が待ち受けていた……。


ディズニー・アニメーション・スタジオの記念すべき50作目は、『白雪姫』と同じグリム童話の『ラプンツェル』(髪長姫)です。
3Dで観る無数のランタンが夜空を漂うクライマックス・シーンの美しいこと☆☆☆
いつものシネコンは吹替版しか上映がなかったけれど、しょこたんの声は違和感なくヒロインに馴染んでいました。他の声優陣も私的に無名な分、物語自体を素直に楽しめて良かったです。

ただひたすら王子様を待つ受身のお姫様像というのは現代の御伽噺にはもう見られないパターン。今回もヒロインは好奇心旺盛で優しく明るい女の子です。

黄金色に輝く長い髪を持つ彼女は、塔の中で18年間も素直な心と明るさを失わずに育ちました。カメレオンの友達がいて、その不思議な髪を自由自在に操る姿が最初に描かれます。ロープやエレベーター代わりになる便利な髪は時にユーモラスに、時に窮地を救う魔法として物語の中でも彼女を助けます。

けれど、成長するにつれ、外への憧れを止められなくなった彼女は、フリンの侵入をきっかけにとうとう塔の外へ飛び出します。そこで知った外の世界への思いと淡い恋がドキドキの冒険と共に映し出され、観客は彼女と共に驚き、喜び、悲しむことになります。

追っ手から逃れる際に、水が彼らの前に立ち塞がるシーンがあるのですが、ここだけはあの大災害の後だけに、直接被災していない身でも何だか息苦しい恐怖感が沸いてしまい楽しめませんでした。きっと震災前なら何も感じずわくわくの冒険として楽しんだんだろうなぁ(^^;

城下にやってきた二人が、プリンセスの誕生を祝って灯されるランタン(塔から見えた灯りの正体ですね)を眺めるシーンは本当に幻想的で息を呑むほど美しいです。編み込んだ長い髪に花を散らしたラプンツェルの美しさ、そしてランタンがすぐ目の前まで漂ってくるかのような映像は3Dならではの効果ですね。

冒頭のフリンのナレーションで一瞬ドキッとさせられますが、結末もディズニー映画らしいハッピーエンドでした。
初めはフリンを捕えようと躍起になり、後には親友のように仲良くなる馬のマックス(マクシミリアン)の存在が作品をいっそう盛り上げ楽しくさせてくれています。

この作品はブルーレイで欲しいな~~♪

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アウェイ・フロム・ハー 君を想う

2011年04月02日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)
2008年5月31日公開 カナダ 110分

グラント(ゴードン・ビンセント)とフィオーナ(ジュリー・クリスティ)は結婚44年の仲睦まじい夫婦。しかし、フィオーナにアルツハイマー型痴呆症の症状が現れる。グラントは彼女を辛抱強く支えていくが、ある日自分の居場所がわからなくなってしまったフィオーナは、自らの症状を自覚し老人介護施設への入所を決断する。一ヵ月の面会謝絶期間が終わり施設を訪れたグラントが目にしたのは、自分の事を覚えていないフィオーナの姿だった。彼女は車椅子の男性オーブリー(マイケル・マーフィ)を、自分の初恋の相手と思い込んでおり、彼の世話を焼いていた。毎日の訪問の甲斐もなく、オーブリーとの絆を深めていくフィオーナの姿にいたたまれなくなるグラントを、看護士のクリスティ(クリステン・トムソン)が励ます。そんなある日、オーブリーの妻マリアン(オリンピア・デュカキス)が夫を自宅に連れ帰ってしまい、ショックを受けたフィオーナは、気力をなくしていく。彼女の容態を心配したグラントは、マリアンを訪ねてある提案を持ちかけた・・。

アリス・マンローの短編小説『クマが山を越えてきた』の映画化です。
「私の頭の中の消しゴム」は若年性アルツハイマーを発症した妻への献身的な愛を描いて感動を誘いましたが、こちらは決して若いとは言えない夫婦の姿を描いた作品です。
フィオーナ役の女優さんが綺麗。

環境に適応するために最初の30日間は誰も面会できないという施設の規則については疑問が残りました。フィオーナは自分の状態を受け入れ自ら決断して入所したわけですから、むしろ隔離期間は彼女の病状にとってプラスになるようには思えなかったのですが・・。

愛する人が自分の存在を忘れてしまうことも辛いですが、他の誰かを愛するようになるのはもっと辛い気がします。それでもその事実を受け入れようとし、更に踏み込んでオーブリーを再入所させようとするグラントに献身以上の何かを感じますが、それにはやはり理由がありました。

穏やかな結婚生活を送ってきたようにみえた夫婦にも過去がありました。
フィオーナは18歳の時に、大学教授だったグラントと結婚しますが、彼が女子学生と浮気を繰り返したことで深く傷ついていました。彼女は施設へ入所する日の道すがら、昔の辛い思いを彼にぶつけます。やがて、彼女がオーブリーに想いを寄せるようになると、グラントは自分が過去の罪で罰せられているのではないかと思い始めるのです。彼もまた心に秘めてきた彼女への負い目があったからでしょう。

一方、夫婦の立場が逆転するマリアンにとっては、グラントの申し出は孤独で閉鎖的な日常を脱するチャンスに思えたかもしれません。けれど、グラントの方にはマリアンへの愛情(男女としてだけでなく同じ境遇への共感も含めて)があったようには見えませんでした。それは何度も名前を間違えるシーンに顕著です。2人は欲望のはけ口として互いを求めたかのようでした。

しかし、グラントの真意がどうあれ、オーブリーを連れてきたその日、フィオーナは正気を取り戻していました。もちろん彼女の回復はほんの短い間のことで、また病に戻っていくのはわかりきっているけれど、グラントにとって、このことは更なる罰になったのか、それとも幸いだったのか、私には判じかねます。

綺麗事だけじゃない感情や欲望をもしっかり描き出した作品ですが、ラストに救いを感じられなかったなぁ。

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