原田マハ(著) 文藝春秋(発行)
無職の娘とダメな父。ふたりに奇跡が舞い降りた! 39歳独身の歩は突然会社を辞めるが、折しも趣味は映画とギャンブルという父が倒れ、しかも多額の借金が発覚した。 ある日、父が雑誌「映友」に歩の文章を投稿したのをきっかけに歩は編集部に採用され、ひょんなことから父の映画ブログをスタートさせることになった。〈ゴウ〉のハンドルネームで父が書くコラムは思いがけず好評を博し、借金とギャンブル依存から抜け出せそうになるが、ある時〈ローズ・バッド〉を名乗る覗の人物に反論されて……。 〝映画の神様〟が壊れかけた家族を救う、奇跡の物語。(アマゾン内容紹介より)
映画も公開されているがそちらは未見。映画好きなら絶対気に入ると薦められて借りた一冊です。
21世紀になってから本格的に映画にはまったのですが、本に登場する作品名や俳優名はどれもこれも聞いたことがある、観た事があるものばかりで、親近感が湧きぐいぐい話に引き込まれました。とはいえ、基本的にはシネコンしか行かないので、本当の意味での映画ファンとはおこがましくてとても言えないのですが
名画座と呼ばれる小さな劇場でのオールナイト興行で、大好きな俳優の3本立てを友人たちと観たことや、遥か昔、小学校の行事として年に一度か二度、近所の映画館で忍者の出てくる時代劇などを観たこと、中学校の体育館で上映された半魚人が出てくる作品や「サイボーグ009」を観た記憶が鮮やかに蘇ってきました。そういえば、当時は一人ではなく、友人や家族など複数で行ったっけ。いつから一人で鑑賞するようになったかと思い返せば、やはりシネコンが出来てからかなぁ。近くて便利で複数上映している中から、好きな作品を都合の良い時間帯で楽しめる、これはシネコンの最大の恩恵です。それでも、記憶に鮮明に残っているのは、昔誰かと一緒に観た映画の方だったりするんですね
この本はそういう心の奥に眠っていた郷愁を呼び覚ましてくれました。
ギャンブル依存症の父親に振り回されてきた母と歩。借金が発覚するたび、本人ではなく母が肩代わりしてきたことが逆に作用して負の連鎖を断ち切れずにいた家族ですが、父の手術・入院を機に意識の変化が生じます。同時期、歩が謂れのない中傷から左遷されそうになり自分から会社を辞めたこともきっかけになっていました。父の影響で映画好きになった歩が、シネコン誘致建設に向けて頑張ってきたことが、後に父の親友テラシンの名画座廃業の危機を呼んでしまうのは皮肉なことですが、現代映画業界の一端を垣間見ているようでもあります。
失業した歩の就職活動は難航していましたが、父の入院の留守を引き受けた際に見つけた業務日記(中身は殆ど映画の感想)に刺激されて書いた自分の文章を父が映画の交流サイトに投稿したことがきっかけで、「映友社」のライターとして働くことになります。父がゴウというハンドルネームで寄せた映画評論が評判となり、ブログを開設したいと言われた歩は、初めはダメ親父に務まる筈がないと反対しますが、同僚の協力を得て始めてみることにします。
「キネマの神様」と名付けたサイトは、ゴウがキネマの神様に映画鑑賞の報告をする形で、その第一号に取り上げたのは、『フィールド・オブ・ドリームス』でした。これ、名前は聞いたことがあるけどまだ観てないなぁ。これが予想外に評判となったことで、歩の元部下で駆け落ち同然に結婚してアメリカに移住した清音の協力で海外版も作られ、日本版の10倍のPV数を叩き出すのですが、そこにローズ・バット(1941年公開「市民ケーン」・・これも未見・・に出てくるキーワード)を名乗る人物が現れゴウを挑発するようなコメントを寄せます。圧倒的かつ的確で辛辣なその評論にサイトは盛り上がり、ゴウとの対決が期待されるようになります。
父の性格から、叩かれれば逃げるのではと危惧する歩でしたが、父を良く知るテアトル銀幕のテラシンの予想通り、彼は逆に発奮して挑戦を受けて立ちます。ゴウとローズ・バットの間で映画論争が繰り広げられ、その数は20作品を超え、ますます映画ファンからの注目が集まるようになります。
一つの作品をどう解釈するか、それは個人個人の判断に任せられるべきですが、二人のやり取りを読んでいると「あぁ、そういう見方もあるのか」「監督はこういう気持ちで作っていたのかも」と自分では思いつかなかった発見があり、その作品に更なる深みを感じてしまいます。
ゴウが「映画好きのただの爺さん」として人間のささやかな幸福や登場人物の切ない心情に焦点を当てて映画の良さを取り上げるのに対し、ローズ・バットはそれを容赦なく叩いて監督の心理や脚本に潜む闇の部分を暴こうとします。とても素人とは思えないローズ・バットは、ゴウをおちょくっているようで、どこか導いているようにも感じた歩。その判断は正しかったことが後に判明します。
歩の元いた会社のシネコンがテラシンの劇場のすぐ近くに建設されると知り、大手相手では客を奪われ立ちいかなくなると考えた彼は廃業を決意します。自分が打ち込んできたことが思わぬ方向に影響を与えたことを知り悩む歩は、名画座との共存を元部下に提言するのですが、冷たくあしらわれてしまいます。(この川野辺という男の人物描写が実に嫌らしいんですね
)
親友を助けたいゴウはローズ・バットに相談という形のメールを送ります。暫く音沙汰がなかったのですが、ある日清音から連絡が入り、彼が世界的に高名な映画評論家のリチャード・キャパネルであり、これまた有名なTV番組で対談中に自分がローズ・バットであることを明かし名画座について言及したことを知ります。時代の先端を行くシネコンと映画人の思いを大切にする名画座との共存を望む彼の発言の影響は大きく、テラシンは名画座の存続を決めます。まさに一人映画好きの老人の一言が状況を変えたわけです。
経営不振にあった映友社は、ブログ効果で大映画会社からの資金提供の話に色めき立っていましたが、ゴウのメールの件で手を引かれます。しかしローズ・バットの正体が明かされ、世間の風向きが変わると手のひら返してくるのね。これを毅然と断った編集長の高峰女史の映画ファンの言論の自由を守りたいという思いに
です。
ゴウとローズ・バット=リチャード・キャパネルの間には映画が結んだ強い友情が育まれていました。それからも二人のやり取りは続きましたが、やがてキャパネルが癌に冒された身であり、病床から会いたいというメールが送られてきます。急ぎ渡米の支度をするも、間に合わず彼は逝ってしまいます。以後、ゴウは外にも出ず名画座にも行かず引き籠っていましたが、ある日テラシンの招待で特別上映が催され一同が名画座に集まるの。
翻訳を担当してくれてい興太た清音と彼女の父の姿もあります。清音が渡米する前に歩と交わした約束、一番好きな映画を一番好きな映画館で観るという約束がこの夜実現したのです。
高峰の一人息子・興太は、父親の自殺にショックを受けて以後引き籠りになっていましたが、ゴウの出現が彼に良い影響を与えます。ブログ開設に尽力し、徐々に外に出るようになり、テラシンの名画座にも通うようになり、見事社会復帰するんですね。
母としては、何より嬉しい息子の変化。映画に対する情熱もですが、こちらも胸が熱くなりました。
そしてこの夜上映されたのは『ニュー・シネマ・パラダイス』これこそが父やキャパネル、そして歩が一番好きな映画です。まさに古き良き映画を愛する人たちのための作品に違いありません。
物語には、歩が退職し父が手術した春、一年後、二年後の春が登場します。大きく変化していくそれぞれの春にそれぞれの人生を重ね合わせるかのように感じました
公開中の映画は、配役から想像すると若い頃のゴウとテラシンが描かれているようで、本とは話の軸が異なるようで別物として観た方が良さそうですね
どちらかというと、『蒲田行進曲』を連想してしまいますが・・・