荻原浩(著) 新潮社(刊)
閉園後の遊園地。高原に立つ観覧車に乗り込んだ男は月に向かってゆっくりと夜空を上昇していく。いったい何のために? 去来するのは取り戻せぬ過去、甘美な記憶、見据えるべき未来──そして、仄かな、希望。ゴンドラが頂に到った時、男が目にしたものとは。長い道程の果てに訪れた「一瞬の奇跡」を描く表題作のほか、過去/現在の時間を魔術師のように操る作家が贈る、極上の八篇。
・トンネル鏡
故郷に向かって走る新幹線&列車の中で、いくつものトンネルを抜ける度に浮かぶ過去の記憶と窓に映る現在の自分。
故郷や母親から離れたくて東京の大学を受験し上京したこと、結婚の約束をした人を伴い帰省したこと、家を建て母と同居したものの上手くいかなかったこと、母の死、離婚。走馬灯のように浮かんでは消える思い出。そして最後のトンネの先には光が・・・
田舎に故郷を持つ者には、共感を覚える描写の連続でした。おそらくは北陸に向かっているだろう日本海側へのルートは、まさにトンネルの連続です。一つ越えるごとに天気が変わるのも、いきなり海が拓けるのも実感できて、懐かしい気持ちがこみ上げてきました。主人公の、挫折ではなく再出発を暗示するようなラストも良かったです。

・上海租界の魔術師
家族から疎まれていた祖父の死を悲しんでいるのは孫のかなめだけでした。
戦前の上海で魔術師として活躍していた祖父でしたが、戦争が彼から最愛の「あの子」を奪っていきました。
晩年「魂」を亡くした祖父の口から聞かされたフーティエという名。それは祖父がただ一人心から愛した「あの子」だった・・・。
かなめは、子供の頃の祖父との思い出深いマジックで、フーテイエを登場させ祖父の遺影に近づけます

二人が微笑んで見えたのきっと魔法
家族からは厄介者と見られていた祖父ですが、まだ幼かったかなめの目には、少し違ってみえていました。孫の前で奇術を誇らしげに披露する姿を想像すると、祖父もまた末の孫娘に対して特別に愛情を抱いていたのだと思えます。かなめが引き籠り状態になった時の祖父の言葉も素直に沁みてきます。おそらくはかなめだけに語っていただろう「あの子」の思い出は、彼が「魂」を亡くしてもなお生き続けた想いであり、それを知っているからこそのかなめなりの弔いだったのでしょう。
・レシピ
専業主婦の里瑠子は、定年退職の日を迎えた夫の帰りを待ちながら夕食の支度をしています。
ふと取り出したレシピノートに書かれた料理の数々に、かつて出会った男性たちとの思い出や、結婚生活が重なっていきます。
魚肉ソーセージの炒飯、ナポリタンスパ、実家と嫁ぎ先のお雑煮の違い・・・
夫への不満はただ一つ、一度も料理をおいしいと言ってくれなかったこと。彼女は離婚を決意して夫の帰りを待っています。
平凡な主婦として登場する里瑠子ですが、過去には複数の恋愛経験があったのね

と本題と外れた感想を持ってしまいました

でも、そんな彼女だからこそ、すっぱりと離婚を決断したのかな。そして、忘れられない人がいるからこそ、あの国へ行こうかななんて考えも出てきたのかな。

自業自得ではあるけれど、何も知らずに帰ってきた旦那さんがちょっと可哀そうになりました

・金魚
妻が病死した後、鬱になった夫。高校時代に出会い、一度は別れたものの再開して結婚した二人ですが、果たして妻は幸せだったのだろうかと考えると答えの出ない迷路に迷い込んだよう。会社帰りに商店街のお祭りに遭遇した男は、小さな女の子から一匹の金魚を手渡されます。妻との思い出のある故郷の夏祭りに帰った男は、屋台のお面の棚に妻の顔を見つけ、ずっと聞きたかった事を尋ねます。マンションの部屋に戻った男の手には一匹の金魚の入ったビニール袋が握られていました。水槽の中に二匹目の金魚を入れると部屋の中に赤い二つの灯がともります。
生前は顧みることの少なかった妻への後悔と思慕が、妻が亡くなったことで男の心の内に巣食い、精神を蝕んでいます。それが薄紙を剥ぐように少しずつ回復していく様子を、男が取り戻していく「色」で表現しています。正直、夫を亡くした妻だったら、ここまで心を病むことはないような気もしますが

やっぱり男性の方が生きるのに不器用なのかも

・チョコチップミントをダブルで
離婚した康介は、年に一度娘の誕生日に会うことを許されています。工事現場で働いたお金を節約して生活しながら、今年はディズニーシーに連れて行こうと計画を練る康介に、娘の綾乃は、かって親子三人で暮らした家から遠くない小さな遊園地のコーンアイスが食べたいと言います。当日大きな荷物を抱えて現れた康介に綾乃は呆れ顔でした。お目当てのアイスクリーム屋で二人同時に選んだのは「チョコチップミント」です。康介は「チョコチップミントをダブルで」と注文し、「二つ」と誇らしげに付け加えるのでした。
かつて彼は仕事に忙殺され深夜帰宅の毎日を送っていましたが、突然会社を辞めて家具職人になろうと決意し修行に出かけたことで妻から離婚を請求されます。妻からはいつも自分のことばかりと非難されましたが、彼の本当の願いは妻子と夕食の食卓を一緒に囲む平凡な生活を取り戻すことだったのです。離婚したあともその願いが密かに胸にあることが、彼が工芸展に応募する作品に三人用のベンチを作っていることで示されます。でも妻はもう新しい人生を歩き出していることを知るのね。彼が綾乃の誕生祝に贈ったのは三人用のベンチの真ん中だけを切り取って一人用に作り直した椅子です。それは彼なりの決別と祝福の形なんですね

遊園地のアイスの思い出の共有があるからこそのラストの「チョコチップミントダブル」であり「二つ」と注文した時の康介は、ほんの一瞬とわかっていても、幸せだった家族の姿が蘇ったような気持ちだったのかなぁ。

・ゴミ屋敷モノクローム
「私」は生活環境課の相談窓口に寄せられたゴミ屋敷のクレーム処理で、彼女の家を訪れます。ゴミの山に埋もれた一人の老婆の家の壁に貼られた一枚のモノクロ写真には古風な髪型の綺麗な娘が微笑んでいました。彼女の屋敷のゴミ問題と関わる中で彼女の過去と出会っていく「私」ですが、彼女が倒れ意識が戻らないまま甥の許可のもと撤去が始まります。
老婆がゴミを溜め始めた理由は、「私」の推測の域を出ませんが、おそらくは正解だろうと思わせます。
彼女は30年前に小学生の息子を喪い、夫にも捨てられ独りで暮らしていました。撤去された部屋の柱に貼られたガムテープの下には、息子の背丈を測った疵がありました。そして最後の部屋のドアの先は彼女の夫の暗室でした。部屋の奥の壁に貼られた二枚の写真、一枚は黄色い雨合羽を着た男の子の全身像、そしてもう一枚は、雨傘を差し笑っている娘のモノクロ写真・・・彼女が頑なに閉ざし遠ざけていたのは思い出だったのですね。「私」との会話も「ん」という短い単語だけでしたが、その表情が言葉以上に気持ちを伝えてきます。彼女が哀れで切なくて愛おしくなるりました。でもやっぱりゴミ屋敷はなぁぁぁ

・胡瓜の馬
修二はお盆休みに一人で実家に帰ってきました。妻や娘との生活に不満はなく、妻を愛してもいます。でももし沙耶とずっと一緒だったなら・・・。沙耶は、幼馴染で初恋の人で別れた恋人でした。彼の帰省は、同窓会が目的でしたが、それは沙耶が死んだという事実を確認するためでした。
彼女との出会いや思い出が語られる中で、印象的だったのは、山の中で見る「海」(実はダム湖)のシーンです。
「山は嫌いだ」と眉をハの字にして呟いた彼女は、いつか出て行くと行った山の中で命を絶ったのです。修二の視点で語られてはいますが、沙耶は出会った時から彼のことが好きだったのだろうと容易に推察されます。でも結局成就しなかった彼との関係や、音楽でこの町を出るという夢の挫折を経て、流産の事実が彼女を打ち砕いたのでしょう。彼女が最期に選んだのは、きっとあの場所ですね。彼女の夫から聞かされた最後の顔が笑顔だったことは、修二にとって救いになりますが、沙耶が死に場所にそこを選んだことの真意には結局気付かないんだろうなぁと

遅れてやってきた妻が修二の様子を不審がっている描写がさりげなく挿入されるところが男と女の違いを浮き立たせていて面白いです。
ちなみに「胡瓜の馬」とは、お盆の迎え火の際のお供え物を指します。
・月の上の観覧車
父親の後を継いでホテルの事業を拡大してきた老経営者は、彼の会社の経営するリゾート施設の営業時間が終わった観覧車に乗り込もうとしています。動き出したゴンドラに飛び込んできたのは妻の遼子です。彼には観覧車にまつわる不思議な体験があります。子供時代、最初に乗った観覧車で一つ後ろのゴンドラに亡くなった母の姿を見つけ、観覧車を下りるとゴンドラの中は空でした。父が死んだ時も、観覧車の中で若い頃の父と出会います。死者と束の間出会える瞬間は誰にでもあると彼は言います、自分の場合は月が出ている時の観覧車なのだと。ゴンドラが降下し始めた時、二人は窓の外に夭折した息子を見つけます。そしてゴンドラが地表に近づいた時・・・
妻もまた4年前に癌で逝き、彼自身も咽頭癌に侵されていました。痛み止めで麻痺した頭の中で彼はゴンドラの空席を亡き人で埋めていきます。
向かいの席には両親が座り、隣には遼子、その膝には幼い息子の久生。空に浮かぶ綺麗な月を見ながら彼はふと手術を受けてみようかと思うのです。ゴンドラが一周の終わりを迎える中で、彼は人生に二周目があったらと思ったのです。それは死に向かう諦めではなく生をつかみ取る希望の姿に映りました。

「ゴミ屋敷モノクローム」と「上海租界の魔術師」が好きかな。「トンネル鏡」の新幹線や列車の描写も一緒に乗って故郷に向かっているような気持ちになりました。
