杏子の映画生活

新作映画からTV放送まで、記憶の引き出しへようこそ☆ネタバレ注意。趣旨に合ったTB可、コメント不可。

楽園

2020年06月29日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年10月18日公開 129分

青田が広がるとある地方都市―。屋台や骨董市で賑わう夏祭りの日、一人の青年・中村豪士(綾野 剛)が慌てふためきながら助けを求めてきた。
偽ブランド品を売る母親が男に恫喝されていたのだ。仲裁をした藤木五郎(柄本 明)は、友人もおらずに母の手伝いをする豪士に同情し、職を紹介する約束を交わすが、青田から山間部へと別れるY字路で五郎の孫娘・愛華が忽然と姿を消し、その約束は果たされることは無かった。
必死の捜索空しく、愛華の行方は知れぬまま。愛華の親友で、Y字路で別れる直前まで一緒にいた紡(杉咲 花)は罪悪感を抱えながら成長する。
12年後―、ある夜、紡は後方から迫る車に動揺して転倒、慌てて運転席から飛び出してきた豪士に助けられた。豪士は、笛が破損したお詫びにと、新しい笛を弁償する。彼の優しさに触れた紡は心を開き、二人は互いの不遇に共感しあっていくが、心を乱すものもいた。一人は紡に想いを寄せる幼馴染の野上広呂(村上虹郎)、もう一人は愛華の祖父・五郎だった。そして夏祭りの日、再び事件が起きる。12年前と同じようにY字路で少女が消息を絶ったのだ。住民の疑念は一気に豪士に浴びせられ、追い詰められた豪士は街へと逃れるが……。その惨事を目撃していた田中善次郎(佐藤浩市)は、Y字路に続く集落で、亡き妻を想いながら、愛犬レオと穏やかに暮らしていた。しかし、養蜂での村おこしの計画がこじれ、村人から拒絶され孤立を深めていく。次第に正気は失われ、想像もつかなかった事件が起こる。Y字路から起こった二つの事件、容疑者の青年、傷ついた少女、追い込まれる男…三人の運命の結末は―。(公式HPより)

 

吉田修一の短編集「犯罪小説集」の中の「青田Y字路」「万屋善次郎」を組み合わせての映画化ですが、小説の元ネタは現実に起きた事件だそうです。犯罪をめぐる喪失と再生を描いています。

舞台となったのは過疎地の村。時系列が飛ぶので全体像を把握するのに少々時間がかかりました。

愛華がいなくなる直前まで一緒だった紡は、罪悪感を抱えながら育ちます。でも彼女が責められる筋合いはないのに・・。後半、五郎が 紡に「どうしてお前だけ生きてるんだ!」と怒鳴るのですが、孫娘を喪った怒りの矛先を向けるべき相手は彼女ではないことは彼にもわかっている筈。なのに誰かのせいにしなければ生きていけないというのは何だか哀れでやるせないです。事件の犯人は、はっきりとは示されないまま終わります。回想シーンも、紡が実際に見た記憶なのか、彼女の想像なのか曖昧な描き方ですが、おそらくは豪士なのだろうと 

難民の母親と共に日本に帰化した豪士は、その境遇から云われなき差別と迫害を受け各地を転々としてきていて、トラウマを抱えていました。彼が何故犯行に及んだのか、紡の回想シーンだけでは明確な答えが得られません。観る側の想像に任せられている感があります。12年後に同様の事件が起こった時、疑念に駆られた住人たちが彼の家の捜索をしている異様な光景を見た豪士はトラウマから正気を失い、結果凄惨な最期を遂げます。警察でもないのに勝手に他人の家を家探しするなど、都会では考えられない行動なんですけど

紡は、自転車のタイヤがパンクして帰る途中に豪士と出会い送ってもらったことから彼と交流を持ちますが、祭りの夜に事件が起こりました。

その翌年、紡は上京し、青果市場で働きだしました。彼女に想いを寄せる同級生で幼馴染の野上広呂(村上虹郎)も後を追って一緒の職場で働きだします。紡もいつしか野上に心を開いていきます。

善次郎は10数年前に親の介護のため村に帰ってきました。妻に先立たれた彼の心の支えは愛犬だけでした。村のために草刈りや電気工事をして村人に溶け込んでいるかに見えたのですが、寄り合いの席で、世話役の娘の黒塚久子(片岡礼子)と心を通わせ合うようになると、噂は村中に広まっていきます。なんといっても狭い村ですからね~~ 善次郎が村おこしのプランを提案した時は受け入れられたように見えたのに、寄り合いを通さず役所に予算交渉をしたのが気に入らないと、村八分になるんです。あらぬ噂を立てられ、ハチミツも売れず、ゴミも捨てさせてもらえず、愛犬が老人に噛みついたことから檻に閉じ込められてしまったりと、精神的に追い詰められていく様子がもうほんと痛々しい。 掌を返した仕打ちをする村人の心理状態って理解したくもないぞ!人間の浅ましさや狡さをこれでもかと見せつけられているようでテンションだだ下がりです。 村人との関わりを諦め、亡き妻との思い出(家の前に置いたマネキンに妻の洋服を着せてる)に逃げ込んで植林に生き甲斐を見出した彼なのに、それすら法律違反だと撤去され、追い詰められた善次郎は凶行に走ります。これって彼だけが悪いの?村人に責任はないの?

せめてもの救いは、病に倒れた野上(抗がん剤で髪や眉が抜けただろう病院での姿は痛々しかった)が回復に向かったことを聞いて紡が笑顔をみせたことです。「楽園」とは豪士が欲していた場所でもありますが、それはどこかに存在するのではなく、自分で作っていくものだと紡は気付きます。「目を逸らしていても何も変わらない!抱えて生きる!」と決意した彼女は前を向いて生きていくのでしょう

映画では二つの物語に上手に接点を持たせまとめています。それにしても元ネタが現実に起きた事件というのがやりきれない気持ちにさせられます。どちらも犯人はもちろん悪いにしても、そこまで追い詰めたのは周囲の「自分は何も悪いことはしてません」という顔をした無自覚な悪意を持った集団だったのですから。


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イエスタデイ

2020年06月28日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年10月11日公開 イギリス 117分 G

イギリスの小さな海辺の町で暮らすシンガーソングライターのジャック(ヒメーシュ・パテル)は、幼なじみの親友エリー(リリー・ジェームズ)から献身的に支えられているものの全く売れず、音楽で有名になる夢を諦めかけていた。そんなある日、世界規模の瞬間的な停電が発生し、ジャックは交通事故で昏睡状態に陥ってしまう。目を覚ますとそこは、史上最も有名なはずのバンド「ザ・ビートルズ」が存在しない世界になっていた。彼らの名曲を覚えているのは世界でただひとり、ジャックだけで……。(映画.comより)

 

表題の「イエスタディ」を始め「ザ・ロング・アンド・ワインディング・ロード」「ヘイ・ジュード」など誰もが知る「ザ・ビートルズ」の名曲の数々に乗せて描かれたコメディです。 ジャックの父のジェッドと母のシェリアを演じたサンジーヴ・バスカーとミーア・サイアルは実生活でも本当の夫婦なんだそう2人のコメディアンぶりも笑えて楽しかったです。ジェームズ・コーデンもトーク番組の司会者役(本人)で登場しています。

快気祝いで集まった友人からプレゼントされたギターでビートルズの「イエスタディ」を弾いたら、誰もビートルズを知らなかったのに驚いたジャックは、ネットで「ビートルズ」を検索しますが全くヒットしません。何故か「ビートルズ」は世界に存在しておらず、彼等の名曲を覚えているのはジャックだけだと気付いた彼は、自作と称して成り上がろうとするんですね。

地元で無料で配ったCDが評判となりTV番組に出演したジャックを見て、エド・シーラン(本人)がモスクワでのライブの前座として採用したいとやってきます。数学教師のエリーが仕事優先と断ったので、友人のロッキー(ジョエル・フライ・・これがなかなかKYなヤツ)を伴いモスクワへ行ったジャックはエドのエージェントのデブラ(ケイト・マッキノン)に認められて契約を結びます。エリーと別れロサンゼルスに移り、アルバムのレコーディングを開始するものの、いくらファンでも完璧に覚えているわけじゃないので歌詞が思いつかず困ったジャックは、インスピレーションを得るためビートルズの故郷のリヴァプールに行き、ストロベリー・フィールド、ペニー・レイン、エリナー・リグビーの墓を訪れます。ホテルでエリーと再会するも、関係を修復することはできませんでした。

アルバムのタイトルに提案した「サージェント・ペパーズ・ロンリー・ハーツ・クラブ・バンド」「ホワイト・アルバム」「アビイ・ロード」は却下され、「One Man Only」にされてしまったジャックはアルバム発売の告知をイギリスのゴ―レストンの「ピア・ホテル」屋上でしたいと言います。実はここはジャックとエリーにとって思い出のある場所なのですが、この時エリーは恋人ができたと告げるの

黄色い潜水艦(イエロー・サブマリンですね)のオモチャを持って楽屋にやってきた2人レオ(モスクワのライブにいた男性)とリズ(リヴァプールでジャックを目撃した女性)に盗作がばれたと青ざめるジャックですが、彼等はビートルズの存在を覚えていて、ジャックがビートルズがいない世界でビートルズの楽曲を世界に発信したことに感謝していました。(まぁ、ビートルズの存在を知らない世界で盗作を訴えたところで相手にされるはずもないんだけど ここは2人が純粋にビートルズを愛するファンだということ、ファン心理を描いている場面ですね。)

2人から渡されたメモに書かれた住所を訪れたジャックは、ミュージシャンにならなかったため暗殺を免れた78歳のジョン・レノン(ロバート・カーライル)と会います。船員として働き、平凡ながら愛する女性と結ばれ幸福な人生を送ったというジョンの話を聞いて、本当の幸せに気付いたジャックは、エドのライブに飛び入り参加を願い出て、演奏後にエリーに愛を告白し、観客に真実を伝えてネットに楽曲をアップロードして無料公開すると宣言します。 これを知って激怒するデブラがちょっと滑稽 やっぱり愛は全てに勝るのね。エリーの恋人ってば良い人過ぎ!でもちゃんと次のお相手が出来そうでしたが

富や名声を全て投げ打ち、音楽教師に復職したジャックはエリーと結婚して2人の子供を授かり幸せな生活を送りましたとさ。 

本当は夢でした、とか、パラレルワールドに迷い込んだとかじゃなくて、本当に「ビートルズ」が存在しない世界のまま終わったのが逆に新鮮。ジョン・レノンが登場したのにも驚きましたが、ヨーコはどうしたぁぁ?

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バック・トゥ・ザ・フューチャー3

2020年06月27日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1990年7月7日公開 アメリカ 119分

2020年6月26日 「金曜ロードSHOW!」放送

ドクの乗るデロリアンが雷の直撃を受けた拍子に1885年の西部開拓時代に飛ばされたことを、1885年のドクからの手紙で知ったマーティは、1955年のドクの助けを借りて1985年に帰ることを決意する、ところが、1885年にいるドクが、ビフの祖先ビュフォード・タネン

に撃ち殺されてしまうことを知って、1885年にいるドクを救おうとドクが撃ち殺される1週間前にタイムスリップする。ドクに事情を説明して1985年に帰るよう説得するが、ドクは崖に転落しかけたクララを助けて2人は恋に落ちてしまう。一方、マーティはビュフォードに因縁をつけられ、1985年に帰る当日に決闘することに。マーティとドクは決闘が行われる前に元の時代に戻ろうとするが・・・。

 

完結編では、これまで科学一筋だったドクが予期せぬ恋に落ちる展開です。1885年で出会った教師のクララは、SFの父ジュール・ヴェルヌの愛読者であり、科学者の資質を持っていて、ドクと共通点があるんですね 2人の年齢差はちょっと微妙ですが、かなり進歩的な女性ということを考えたらドクに惹かれるのもまぁわからないでもない・・かな。 終盤で、ドクを追いかけて蒸気機関車に追いつこうと馬を疾走させるなど、かなりアクティブで勇気のある女性でもあります。

今まで「臆病者」と呼ばれることに我慢がならずに災難を引き寄せてしまっていたマーティですが、今回は一時の感情に流されず、先を考えて敢えてやり過ごすという選択が出来るようになります。これが何よりの彼の成長ってことですね。

1985年に戻ったマーティが、追ってきたクララを助けるため1885年に残ったドクを思っていると、蒸気機関車が現れます。ドクはマーティに「未来は自分で作るものだ」と助言し、クララと彼女との間に生まれた二人の子供(ジュールとヴェルヌという名前ってところが受ける!)と共に再び時空の旅へ出発していきます。これまでタイムトラベルで未来を変えてしまうことを憂い、タイムマシンを作るべきではなかったと後悔してきたドクでしたが、クララと出会ったことで、自分の未来は自分自身で切り開いていくという強い意志を持つようになったのですね。

1985年を軸に、30年前と30年後、さらに100年前を登場人物たちが行ったり来たりでしたが、練られた脚本が功を奏し、矛盾の綻びも感じさせず、上手くまとめた感があります。だからこそ根強いファンの支持を受けているんだろうなぁ


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GODZILLA ゴジラ

2020年06月26日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2014年7月25日公開 アメリカ 124分 G

2020年6月20日放送 土曜プレミアム

1999年、フィリピンの炭鉱崩落事故の調査に訪れた芹沢猪四郎博士(渡辺謙)は、恐竜のような化石と、何か巨大生物が這い出した痕跡を見つける。同じ頃、日本の雀路羅市(なんじゃ?その名前)の原子力発電所で働く核物理学者のジョー・ブロディ(ブライアン・クランストン)は、地震調査のため、妻で技師のサンドラ(ジュリエット・ビノシュ)と発電所に向かうが、突如発生した大地震による発電所の倒壊で妻を喪い、周辺は立入禁止区域となってしまう。15年後の2014年、ジョーとサンドラの息子フォード(アーロン・テイラー=ジョンソン)は、軍人として爆弾処理に従事していた。妻のエル(エリザベス・オルセン)と息子のサムが待つ家に帰った日、ジョーが日本で逮捕されたと連絡が入り、身柄引き取りのため来日したフォードに、ジョーは、発電所には何かがあって政府はそれを隠していると語り、真相を暴くため立入禁止区域に足を踏み入れるが、あっさり捕まってしまう。発電所を管理しているのは、特務研究機関・モナーク(MONARCH)だった。そこに隠されている巨大な物体の解明にあたっていた芹沢は、ジョーの主張に耳を傾けるが、その時、15年前と同じ大地震が襲いかかる……。

 

渡辺謙が出演したことで話題になった作品でもありますが、彼が演じる芹沢博士は、父親を広島原爆投下で喪った被爆二世の生物学者の設定です。また、劇中の「ムートー」という呼称は「未確認巨大陸上生物(Massive Unidentified Terrestrial Organism)」の略語であって、一種だけを指しているのではないようです。ゴジラの設定もこれまでのシリーズとは違い、先史時代から存在した巨大生物となっていて、ビキニ環礁での核実験から誕生したのではなく、ゴジラを殺すことを目的に核実験が行われたことになっていました。 人間が悪いんじゃないというアメリカ側の都合の良い事情にも見えるんだけどな~~

フォードは、陰謀論を唱える父親とは距離を置いていましたが、発電所で謎の巨大生物を目にして父が正しかったと気付きます。その父親はあっさりムートーにやられちゃうんですが

日本にいたのは雄のムートーで翼を持っているので空を飛べます。一方アメリカにいる雌(雄より遥かに大きく陸での戦闘を得意としています。)と合流すべく海を渡っていきます。ゴジラは二匹のムートーを倒すべく海から現れるのですが、人間の方はどちらも「怪物」として退治しようとするんですね 

ムートーたちの餌は放射能なので、人間が彼らを退治するために用意した核弾頭は逆に彼等に奪われてしまいます。彼等の巣におびただしい数の卵が産みつけられているのを見たフォードは巣を爆破しますが、怒り狂ったムートーが襲ってきます。まぁ、子供を殺され家を焼かれたら怪物だって怒るわな

ゴジラとムートーの戦いはゴジラが放射熱戦を浴びせて勝利しますが、体力を使い果たして倒れちゃいます。フォードは核弾頭を海上に運んで爆発させ、サンフランシスコの街を救います。あの状況でヘリで救出されるってありえね~~!!

避難していた妻子と再会するフォード、再び目覚めたゴジラは海へと帰っていくのでした。めでたしめでたし

本作のゴジラは、自然界のバランスの守護者として描かれていて、「キングコング」同様人間の味方の立ち位置ではあるけれど、同時に「破壊神」でもありますね。

基本的にVS怪獣作品で単純明快だった本作とは異なり、2016年・日本製作の「シン・ゴジラ」は、他の怪獣と戦うこともない代わりに政治色の強い内容になっていたことを思い出しました。ゴジラの存在の位置づけがそもそも違うのだから比べるのはナンセンスですけど


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クローゼットに閉じこめられた僕の奇想天外な旅

2020年06月23日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年6月7日公開 フランス・アメリカ・ベルギー・シンガポール・インド合作 96分 G

インドの貧困地域で育った青年アジャ(ダヌーシュ)は、母(アムルサ・サント)の死をきっかけに1枚の偽札を持って憧れのインテリアショップのあるパリへやってくる。ひょんなことから閉店後の店内で一夜を明かすことになったアジャだったが、入り込んだクローゼットがそのままトラックで搬出されてしまう。そこからアジャは、世界を巡る奇想天外な旅に巻き込まていく。(映画.comより)

 

小説「IKEAのタンスに閉じこめられたサドゥーの奇想天外な旅」の映画化で、クローゼットに閉じ込められたことから世界を巡るはめになったインド人青年の顛末を描いています。

ムンバイの警察署に連行された少年たちの前に現れたアジャが自分の半生を語るのですが、アジャって何者?という疑問は語り終える頃に判明します。

母の手一つで育てられた貧しい暮らしの中で育ったアジャは、家具店のカタログに夢中になります。成長したアジャはいとこたちと大道芸をして働く傍ら、客からお金を盗んで家具店のあるパリに旅行する資金を貯めていました。彼が盗みに手を染めたのはその環境故なのね 母が病死した後、遺品の中から父が母に宛てた手紙を見つけます。母は「父はいない」とアジャに言っていましたが、本当は旅行者だった父との結婚を両親に反対されて一人でアジャを産んだのですね。

父を探そうとパリへやってきたアジャは、まず憧れの家具店に立ち寄ります。勝手に売り物の壺に母の遺骨を入れちゃっておぃおぃ!なんだけど、インド人だと何故か有かもって思わせられちゃうんだなぁ ここで出会ったアメリカ人のマリー(ベレニス・ベジョ)と意気投合し、デートの約束をして別れるのですが、ムンバイでトラブルを起こして一文無しのアジャは、そのまま家具店に残りクローゼットの中で一夜を過ごそうとします。

ところが、深夜、このクローゼットがロンドンに運ばれることになり、ここから彼の「奇想天外な旅」が始まるのです

トラックの中で目を覚ましたアジャは、ウィラージ(バーカッド・アブディ)たち不法移民と出会いますが、警察に捕まりスペインへ送還されてしまうの。この時パスポートも偽物だろうとシュレッダーにかけられちゃうのですが、警察のいい加減な扱いに「マジか?」と思ってしまったぞこのノリはフランスのコメディ作品によく見られるけれど、イギリスよ、お前もか!!って いきなり歌い出すのはインド風ってことかしらん

アジャたちは空港内に留められます。しかし、ある夜、開いていた扉から逃げ出したアジャは荷物の中に隠れて飛行機へ運ばれます。(いやいや、貨物室って超低温になるんじゃなかったっけ?) 到着したのはローマのホテル。荷物の持ち主である女優のネリー(エリン・モリアーティ)に見つかりますが、彼が衣装箱の中でシャツに書いた、幼い頃に刑務所で出会った盲目の老人の物語に感激したネリーに気に入られ行動を共にするようになるの。 全く何が幸いするかわからんね

アジャはネリーの恋の成就に手を貸し、ネリーは彼の書いた物語を元夫で監督のアルフレドに彼のライバル監督を餌にして高値で売りつけます。このお金を持ってパリに戻ろうとしたアジャですが、本当のことを知ったアルフレドがお金を取り戻そうと追いかけ回され、気球に乗って脱出することに 大金の入ったバッグと共にパリに向かうアジャでしたが、途中でガス欠になりあわやこれまで!と覚悟したところを今度はリビア行のタンカーの上に。乗っていた海賊たちにお金を奪われ途方に暮れるアジャでしたが、リビアで強制送還されてきたウィラージと再会し、難民キャンプの仲間を集めてタンカーに乗り込んでお金を奪い返すの。(武器とか持ってる相手に素手でというのはあまりにも無謀な気がしますが、このエピソードはコメディ仕立てです)初めは幾ばくかのお金を渡して去るつもりだったアジャですが、難民キャンプの人々の話を聞いて、その殆どを彼等の夢を叶えるためにあげてしまうんです。わらしべ長者の話じゃなかったのか~~~

パリに戻り、マリーと再会するも、彼女は他の男性( ケイ・グライダヌス)と婚約していました。アジャは自分が何をすべきかを悟り、ムンバイに戻って教師になります。あらら、結局結ばれなかったのね?と思ったら、今度はマリーが彼を探してやってきて・・・

と、ここまで話したところで、彼がなぜ少年たちのところにやってきたのかが判明します。曰く、彼等はこのままでは少年院送りだが、毎日学校に来るなら刑務所行きを免れることができるって。彼は少年たちの未来を教育を与えることで救いにやってきたんですね。

少年に「お父さんとは会えたのか」と聞かれたアジャ。画面にはパリに持って行った父から母へ宛てた手紙と母の位牌が並んで父の墓前に供えられている様子が映っていましたとさ。(何気に両親とも若死にしたのね

五か国合作とあって、それぞれのお国の個性が絡み合う面白さがありますが、逆に言えばどっちつかずな中途半端さに思える場面もありますが、不法移民(難民)を互いに擦り付け合うような国同士の姿勢をコメディにしながらもさりげなく批判を込めているのがでした。


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ビッグ・ウィッシュ 魔法に願いを

2020年06月22日 | ドラマ

2019年製作 メキシコ 88分

3人の子どもたちがまだ見ぬ家族を捜して冒険に旅立つ愛と魔法の物語。里親に育てられたサルマたちは両親の行方を捜していた。ある日、手掛かりになりそうな呪文の載った古い本を見つけた彼女たちは、その本を手に“死者の国”へ向かうが…。(ツタヤ紹介より)

 

原題のスペイン語タイトルは『DIA DE MUERTOS』“死者の日”。 英語のタイトルは『SALMA'S BIG WISH』です。11月1日と2日は死者の魂が帰ってくる日で、日本のお盆のような感じかな?でもあちらでは盛大なお祭りになっているんですね

ただ、死者の日を題材にした作品ではやっぱり『リメンバー・ミー』に軍配が上がります。何よりストーリーが粗く、ところどころ観客が置いて行かれる感があるのが残念ポイント

里親の筈が実の祖母だった(キャラが『カールおじさんと空飛ぶ家』っぽい)と明かされますが、彼女が真実を隠していたことで事件が起こってしまうのだし、サルマを守るためにしたことが、逆に彼女を苦しめ続けてきたことになるのも何だかな~

アニメーションキャラはそこそこ可愛いし、死者の国のカラフルな世界観は『リメンバー・ミー』っぽいというか、お国柄が窺えて面白いです。

子供の💀たち(こちらは『ナイトメア~』のティム・バートン風)や、猫&ウーパールーパー風の案内役?もとってもキュート 

隠されれば知りたくなる気持ちは理解できますが、里親や兄弟たちより親探しに夢中になるあまりに悪人の策中に堕ちてしまうなど、サルマの身勝手さが鼻につきます。穏やかな兄とやんちゃな弟のコンビは、サルマのために死者の国に落とされ、弟の方は帰ってくることができないというのも「え~~!!」でした。

死神と魔法使いの取り合わせや、サルマが急に魔女として目覚めるのも唐突感があります。愛する人を現世に留め置きたいばかりに暴走する想いは、ある意味不変の願いともいえるけれど、限りある命だからこそ愛おしいというのもまた真実。サルマがそれに気付くことが成長であり、身近にいる「家族」を大切に生きるという道徳にもなってるのかな。


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バック・トゥ・ザ・フューチャー2

2020年06月20日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1989年12月9日公開 アメリカ 108分

2020年6月19日 「金曜ロードSHOW!」放送

無事に過去から1985年に帰還し、ジェニファー(エリザベス・シュー)とデートに行こうとするマーティ(マイケル・J・フォックス)の前に未来から帰ってきたドク(クリストファー・ロイド)が現れて、30年後の2015年に連れていかれます。二人の息子のマーティ・Jrが窃盗容疑で捕まるなど家族崩壊危機のマクフライ家を救おうとするマーティたちですが、偶然タイムマシンの存在を知った老ビフ(トーマス・F・ウィルソン)が、1985年の自分にスポーツ年鑑を渡して賭博で金儲けを企んだことから、別の未来が発生してしまい・・・。

 

PART2では30年後の2015年にタイムスリップします。ホバーボードや乾燥機能付きジャケットなど、未来のテクノロジーが登場しますが、劇中に出てくる『ジョーズ19』でサメが飛び出してくるなどは、2015年が過去になっている現在(2020年)では既に3D映画やARとして現実のものとなっているんですね。さすがに空飛ぶ車はまだ出てきませんけど

前作で散々な目に遭った不良苛めっ子のビフが、今作では未来にやってきたマーティたちの会話を盗み聞きして、自らの未来を書き変えてしまいます。そのため、2015年では大金持ちになっていて、カジノタワーを建設してロレイン(リー・トンプソン)を妻とし町は荒廃しています。1970年代に不動産とカジノ経営に着手して巨万の富を築いた某大統領を連想しますが、まさに彼がモデルなようです

2015年でビフ・タネンの孫のグリフに腰抜け呼ばわりされ喧嘩を買ってしまったマーティは、宙に浮くスケートボード(ホバーボード)で逃走劇を繰り広げます。道具は進化しているけれど、前作のシーンのお笑いでいう「てんどん」ですね

一件落着したものの、古物商で買った昔のスポーツ年鑑をドクに見つかり「未来を自分のために変えることは許されない」と叱られゴミ箱に。ところがこの会話を老ビフが聞いていたというわけです。

1985年に戻った3人ですが、そこはビフ・タネンが町の権力者となり悪事が横行する場所になっていました。マーティの父は殺され、母は無理やりビフと再婚させられていました。父親は墓の中だし、母親はやさぐれていて、前作とはかけ離れたキャラの両親です

老ビフが、過去に飛んで歴史を変えたと知ったドクとマーティは、もう一度過去に戻って歴史を元に戻そうとします。ビフが年鑑を手に入れた日は、両親を結びつけたダンスパーティーの日であることを聞き出したマーティは、1955年のあの日にタイムスリップして、何とか年鑑を取り戻そうとします。「時空の崩壊を防ぐため、自分自身と絶対に顔を合わせてはいけない」とドクに釘を刺されているマーティは四苦八苦しながらやっとのことで奪還に成功します。ダンスパーティの夜の気弱な父がビフを殴り倒すシーンや、ホバーボートを駆使してのカーチェイスの挙句にビフの車が堆肥の山に突っ込むシーンなど前作でのエピソードを再び登場させながら、うまく話しを継いでいます。

未来を戻して安堵するマーティでしたが、ドクの乗ったデロリアン号が雷に打たれて消えてしまいます。呆然とするマーティの前に郵便配達人が現れ、70年間保管されていたという手紙を渡します。差出人はドクで、1885年にタイムスリップしてしまったことが書かれていました。「この状況を救えるのは1人しかいない!」とマーティは1955年のドクの元へ向かいます。そして場面は前作でデロリアン号がタイムスリップに成功した直後に。

この繰り返しながら少しずつ状況が変わっていく手法が斬新で、練られた脚本も相まって高評価なのでしょうね。

 


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バック・トゥ・ザ・フューチャー

2020年06月19日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

1985年12月7日公開 アメリカ 116分

2020年6月12日「金曜ロードSHOW!」放送

1985年、ブラウン博士(通称ドク)により一台の自動車 デロリアンがタイムマシンへと作り変えられた。ドクの親友で高校生のマーティー・マクフライ(マイケル・J・フォックス)は深夜のショッピングモールの駐車場で立ち合い、実験は成功。まさに歴史的瞬間を目の当たりにしたドク(クリストファー・ロイド)とマーティの前に、タイムマシンの燃料となるプルトニウムを騙し取られたテロリストが襲撃してきて、ドクが撃たれてしまう。テロリストから逃げるためにデロリアンに乗ったマーティは、30年前の1955年にタイムトラベルしてしまう。1985年に戻ろうと、1955年のドクに助けを求め、二人は、プルトニウムの代わりに雷のエネルギーを利用することを思いつきます。両親の出会いの場を邪魔してしまったマーティは、このままでは二人が結婚しない未来となり、自分も消滅してしまうため、何とか二人の仲を取り持とうとしますが・・・。

 

ロバート・ゼメキス監督のこの作品は広く知られていますが、実はきちんと通して観た記憶がありません。地上波で放送されると知り録画してみました。

1980年代の作品ということで、当時は「現代」でも今見るとやっぱり古さを感じてしまうのは否めません。更に30年前に遡って、両親の恋の仲立ちをするという設定で、1950年代の文化やファッションに興味を惹かれる人も多かったのかな。 

父親のジョージ(クリスピン・グローヴァー)は当時から不良のビフ・タネン(トーマス・F・ウィルソン)に虐められています。ロレイン(リー・トンプソン)との出会いのきっかけを潰してしまったマーティは、何とか彼女とジョージをくっつけようとしますが、ロレインは逆にマーティに気がある様子。男女交際に厳格なはずの母親が、実はかなり積極的な女の子でたじたじとなるマーティが可笑しかったです。落雷の当日は、学校でパーティが開かれていて、そこで両親は初キスをしたと聞かされていたマーティは、一計を案じて二人が上手くいくよう仕向けます。ところがそこにビフが現れ計画が狂うけれど、ジョージが起死回生のパンチをビフにお見舞いして、結果二人は恋に落ちて一件落着、マーティも消滅の危機を回避できました。

嵐の中、倒木によりケーブルが外れるというアクシデント(このシーンだけは何故か複数回観た記憶がある)の中、何とか1985年のドクが射殺される直前にタイムスリップしたマーティですが、間に合わずドクは銃撃を受けてしまいます。ところがドクはマーティの置き手紙を読んで予め防弾チョッキを身に着けていました。 あれ?あの手紙はビリビリに破いてたのにな~・・貼り合わせたのか

安心して家に戻って眠った翌日、目覚めると何だか様子が違います。うだつの上がらないサラリーマンだった父は小説家として成功していて、母も肥満体型ではなく若々しい姿です。マーティーが過去に介入した事で、現在が変わっていたのです。ガールフレンドのジェニファー(クローディア・ウェルズ)との仲にも寛容(というかさばけてる)になっています。 ジフとの関係もひっくり返っているのが

ここで、めでたしめでたし、と行きたいところですが、マーティーの前にタイムマシンに乗ったドクが現れ、未来で起きているトラブルを防ぐため一緒に来て欲しいと言って、居合わせたジェニファーも連れて三人で未来へタイムスリップしていくのでした。・・・って初めから続編ありきだったの?

デロリアンの燃料は、1985年ではプルトニウム、1955年では落雷による電気エネルギーでしたが、未来の2015年(2020年時点で既に未来じゃなくて過去になってるのも興味深い)ではゴミが燃料です。こればかりはまだ追いついていない未来だね


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月の上の観覧車

2020年06月14日 | 

荻原浩(著) 新潮社(刊)

閉園後の遊園地。高原に立つ観覧車に乗り込んだ男は月に向かってゆっくりと夜空を上昇していく。いったい何のために? 去来するのは取り戻せぬ過去、甘美な記憶、見据えるべき未来──そして、仄かな、希望。ゴンドラが頂に到った時、男が目にしたものとは。長い道程の果てに訪れた「一瞬の奇跡」を描く表題作のほか、過去/現在の時間を魔術師のように操る作家が贈る、極上の八篇。

・トンネル鏡
故郷に向かって走る新幹線&列車の中で、いくつものトンネルを抜ける度に浮かぶ過去の記憶と窓に映る現在の自分。
故郷や母親から離れたくて東京の大学を受験し上京したこと、結婚の約束をした人を伴い帰省したこと、家を建て母と同居したものの上手くいかなかったこと、母の死、離婚。走馬灯のように浮かんでは消える思い出。そして最後のトンネの先には光が・・・
 
田舎に故郷を持つ者には、共感を覚える描写の連続でした。おそらくは北陸に向かっているだろう日本海側へのルートは、まさにトンネルの連続です。一つ越えるごとに天気が変わるのも、いきなり海が拓けるのも実感できて、懐かしい気持ちがこみ上げてきました。主人公の、挫折ではなく再出発を暗示するようなラストも良かったです。
 
 
・上海租界の魔術師
家族から疎まれていた祖父の死を悲しんでいるのは孫のかなめだけでした。
戦前の上海で魔術師として活躍していた祖父でしたが、戦争が彼から最愛の「あの子」を奪っていきました。
晩年「魂」を亡くした祖父の口から聞かされたフーティエという名。それは祖父がただ一人心から愛した「あの子」だった・・・。
かなめは、子供の頃の祖父との思い出深いマジックで、フーテイエを登場させ祖父の遺影に近づけます二人が微笑んで見えたのきっと魔法
 
家族からは厄介者と見られていた祖父ですが、まだ幼かったかなめの目には、少し違ってみえていました。孫の前で奇術を誇らしげに披露する姿を想像すると、祖父もまた末の孫娘に対して特別に愛情を抱いていたのだと思えます。かなめが引き籠り状態になった時の祖父の言葉も素直に沁みてきます。おそらくはかなめだけに語っていただろう「あの子」の思い出は、彼が「魂」を亡くしてもなお生き続けた想いであり、それを知っているからこそのかなめなりの弔いだったのでしょう。 
 
 
・レシピ
専業主婦の里瑠子は、定年退職の日を迎えた夫の帰りを待ちながら夕食の支度をしています。
ふと取り出したレシピノートに書かれた料理の数々に、かつて出会った男性たちとの思い出や、結婚生活が重なっていきます。
魚肉ソーセージの炒飯、ナポリタンスパ、実家と嫁ぎ先のお雑煮の違い・・・
夫への不満はただ一つ、一度も料理をおいしいと言ってくれなかったこと。彼女は離婚を決意して夫の帰りを待っています。
 
平凡な主婦として登場する里瑠子ですが、過去には複数の恋愛経験があったのねと本題と外れた感想を持ってしまいました
でも、そんな彼女だからこそ、すっぱりと離婚を決断したのかな。そして、忘れられない人がいるからこそ、あの国へ行こうかななんて考えも出てきたのかな。 自業自得ではあるけれど、何も知らずに帰ってきた旦那さんがちょっと可哀そうになりました
 
 
・金魚
妻が病死した後、鬱になった夫。高校時代に出会い、一度は別れたものの再開して結婚した二人ですが、果たして妻は幸せだったのだろうかと考えると答えの出ない迷路に迷い込んだよう。会社帰りに商店街のお祭りに遭遇した男は、小さな女の子から一匹の金魚を手渡されます。妻との思い出のある故郷の夏祭りに帰った男は、屋台のお面の棚に妻の顔を見つけ、ずっと聞きたかった事を尋ねます。マンションの部屋に戻った男の手には一匹の金魚の入ったビニール袋が握られていました。水槽の中に二匹目の金魚を入れると部屋の中に赤い二つの灯がともります。

生前は顧みることの少なかった妻への後悔と思慕が、妻が亡くなったことで男の心の内に巣食い、精神を蝕んでいます。それが薄紙を剥ぐように少しずつ回復していく様子を、男が取り戻していく「色」で表現しています。正直、夫を亡くした妻だったら、ここまで心を病むことはないような気もしますが やっぱり男性の方が生きるのに不器用なのかも
 

・チョコチップミントをダブルで
離婚した康介は、年に一度娘の誕生日に会うことを許されています。工事現場で働いたお金を節約して生活しながら、今年はディズニーシーに連れて行こうと計画を練る康介に、娘の綾乃は、かって親子三人で暮らした家から遠くない小さな遊園地のコーンアイスが食べたいと言います。当日大きな荷物を抱えて現れた康介に綾乃は呆れ顔でした。お目当てのアイスクリーム屋で二人同時に選んだのは「チョコチップミント」です。康介は「チョコチップミントをダブルで」と注文し、「二つ」と誇らしげに付け加えるのでした。
 
かつて彼は仕事に忙殺され深夜帰宅の毎日を送っていましたが、突然会社を辞めて家具職人になろうと決意し修行に出かけたことで妻から離婚を請求されます。妻からはいつも自分のことばかりと非難されましたが、彼の本当の願いは妻子と夕食の食卓を一緒に囲む平凡な生活を取り戻すことだったのです。離婚したあともその願いが密かに胸にあることが、彼が工芸展に応募する作品に三人用のベンチを作っていることで示されます。でも妻はもう新しい人生を歩き出していることを知るのね。彼が綾乃の誕生祝に贈ったのは三人用のベンチの真ん中だけを切り取って一人用に作り直した椅子です。それは彼なりの決別と祝福の形なんですね 遊園地のアイスの思い出の共有があるからこそのラストの「チョコチップミントダブル」であり「二つ」と注文した時の康介は、ほんの一瞬とわかっていても、幸せだった家族の姿が蘇ったような気持ちだったのかなぁ。
 
 
・ゴミ屋敷モノクローム
「私」は生活環境課の相談窓口に寄せられたゴミ屋敷のクレーム処理で、彼女の家を訪れます。ゴミの山に埋もれた一人の老婆の家の壁に貼られた一枚のモノクロ写真には古風な髪型の綺麗な娘が微笑んでいました。彼女の屋敷のゴミ問題と関わる中で彼女の過去と出会っていく「私」ですが、彼女が倒れ意識が戻らないまま甥の許可のもと撤去が始まります。
 
老婆がゴミを溜め始めた理由は、「私」の推測の域を出ませんが、おそらくは正解だろうと思わせます。
彼女は30年前に小学生の息子を喪い、夫にも捨てられ独りで暮らしていました。撤去された部屋の柱に貼られたガムテープの下には、息子の背丈を測った疵がありました。そして最後の部屋のドアの先は彼女の夫の暗室でした。部屋の奥の壁に貼られた二枚の写真、一枚は黄色い雨合羽を着た男の子の全身像、そしてもう一枚は、雨傘を差し笑っている娘のモノクロ写真・・・彼女が頑なに閉ざし遠ざけていたのは思い出だったのですね。「私」との会話も「ん」という短い単語だけでしたが、その表情が言葉以上に気持ちを伝えてきます。彼女が哀れで切なくて愛おしくなるりました。でもやっぱりゴミ屋敷はなぁぁぁ


・胡瓜の馬
修二はお盆休みに一人で実家に帰ってきました。妻や娘との生活に不満はなく、妻を愛してもいます。でももし沙耶とずっと一緒だったなら・・・。沙耶は、幼馴染で初恋の人で別れた恋人でした。彼の帰省は、同窓会が目的でしたが、それは沙耶が死んだという事実を確認するためでした。
 
彼女との出会いや思い出が語られる中で、印象的だったのは、山の中で見る「海」(実はダム湖)のシーンです。
「山は嫌いだ」と眉をハの字にして呟いた彼女は、いつか出て行くと行った山の中で命を絶ったのです。修二の視点で語られてはいますが、沙耶は出会った時から彼のことが好きだったのだろうと容易に推察されます。でも結局成就しなかった彼との関係や、音楽でこの町を出るという夢の挫折を経て、流産の事実が彼女を打ち砕いたのでしょう。彼女が最期に選んだのは、きっとあの場所ですね。彼女の夫から聞かされた最後の顔が笑顔だったことは、修二にとって救いになりますが、沙耶が死に場所にそこを選んだことの真意には結局気付かないんだろうなぁと
遅れてやってきた妻が修二の様子を不審がっている描写がさりげなく挿入されるところが男と女の違いを浮き立たせていて面白いです。
ちなみに「胡瓜の馬」とは、お盆の迎え火の際のお供え物を指します。
 

・月の上の観覧車
父親の後を継いでホテルの事業を拡大してきた老経営者は、彼の会社の経営するリゾート施設の営業時間が終わった観覧車に乗り込もうとしています。動き出したゴンドラに飛び込んできたのは妻の遼子です。彼には観覧車にまつわる不思議な体験があります。子供時代、最初に乗った観覧車で一つ後ろのゴンドラに亡くなった母の姿を見つけ、観覧車を下りるとゴンドラの中は空でした。父が死んだ時も、観覧車の中で若い頃の父と出会います。死者と束の間出会える瞬間は誰にでもあると彼は言います、自分の場合は月が出ている時の観覧車なのだと。ゴンドラが降下し始めた時、二人は窓の外に夭折した息子を見つけます。そしてゴンドラが地表に近づいた時・・・
 
妻もまた4年前に癌で逝き、彼自身も咽頭癌に侵されていました。痛み止めで麻痺した頭の中で彼はゴンドラの空席を亡き人で埋めていきます。
向かいの席には両親が座り、隣には遼子、その膝には幼い息子の久生。空に浮かぶ綺麗な月を見ながら彼はふと手術を受けてみようかと思うのです。ゴンドラが一周の終わりを迎える中で、彼は人生に二周目があったらと思ったのです。それは死に向かう諦めではなく生をつかみ取る希望の姿に映りました。
 
「ゴミ屋敷モノクローム」と「上海租界の魔術師」が好きかな。「トンネル鏡」の新幹線や列車の描写も一緒に乗って故郷に向かっているような気持ちになりました。
 

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フォードvsフェラーリ

2020年06月13日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2020年1月10日公開 アメリカ 153分 G

ル・マンでの勝利を目指すフォード・モーター社から依頼を受けた、元レーサーのカーデザイナー、キャロル・シェルビー(マット・デイモン)は、常勝チームのフェラーリ社に勝つため、フェラーリを超える新しい車の開発と優秀なドライバーの獲得を必要としていた。シェルビーは、破天荒なイギリス人レーサーのケン・マイルズ(クリスチャン・ベール)に目をつけ、一部上層部からの反発を受けながらもマイルズをチームに引き入れる。限られた資金と時間の中、シェルビーとマイルズは力を合わせて数々の困難を乗り越えていくが……。(映画,comより)

 

1966年のル・マン24時間耐久レースで絶対王者フェラーリに挑んだフォードの男たちを描いたドラマです。

シェルビーは1959年のル・マンで優勝するも、心臓病でリタイアを余儀なくされた経歴があります。一方マイルズは第二次世界大戦終結後に除隊しアメリカに渡って自動車整備工場を経営しながらレースに参戦していました。二人の出会いは決して良好なものではありませんでしたが、シェルビーはマイルズのレーサーとしての腕を高く評価します。フォード社からのオファーを受けた時、シェルビーの頭に浮かんだのはマイルズ。車を愛するあまり周囲との協調性に欠けるマイルズを社の上層部は認めませんが、二人はフェラーリより早い車を作りレースで優勝すべくタッグを組んで友情を育んでいきます。

ヘンリー・フォード2世(トレイシー・レッツ)は会社の成長戦略としてフェラーリ社との提携を考えますが、レース参加に重きを置く創業者のエンツォ・フェラーリ(レモ・ジローネ)に侮辱された上にフィアットとの合併話のダシにされてしまいます。それを知り激怒したヘンリー2世は俄然レース優勝に向けて舵を切ったのです。でも組織が大きくなるほど横槍も入るというもの。その筆頭が副社長のレオ・ビーブ(ジョシュ・ルーカス)です。現場を知らないくせに自分たちが会社を動かしていると思いあがっている重役たちの姿は苦々しく映ります。例えば、ル・マン参戦の発表会の会場で、着飾った招待客の中で浮いた存在のマイルズの息子のピーター(ノア・ジュープ)が、お披露目されているフォード・マスタングに乗り込もうとしてレオに触れるなと注意されるシーンに良く表れていました。この時のマイルズの対応が二人の関係悪化のきっかけにもなったのかな。

イメージ戦略を重視するフォード側の意向で、マイルズはル・マンのドライバーから外されます。GT40はまだ開発途中で、案の定レースは惨敗を喫します。シェルビーは敗因はフォードの体制にあると会長に直言し、指揮系統を明確にすることに成功します。マイルズとの信頼関係も取り戻し(男同士というのは拳で分かり合うものなのね)ブレーキに不安要素は残るものの遂に1966年のル・マンで、ヘンリー二世とエンツォも見守る中、王者フェラーリと挑戦者フォードの、24時間の長く過酷な戦いの火蓋が切られるのです。

カーレースのファンではなくても、レースシーンは息詰まるような迫力があります。ただ、他の作品にみられるようなレーサー同士の人間関係については殆ど描かれません。追い抜く際に交わす視線くらいかな

他のレースものでは、レーサーたちの熱き戦いや友情、ライバル心に焦点が当てられますが、今作ではレースカーの開発に向けた熱き物語となっているのね。

降りかかるピンチを切り抜け単独首位に立ったマイルズに、レオたちはフォード社の車3台の同時優勝を指示してきます。その方が宣伝になるからという何とも身勝手な理由です。シェルビーはマイルズに判断を委ね、彼は上の指示に従いますが、レースのルール上、マイルズは優勝を逃してしまうの レオはこのからくりを承知で指示してきたのだから本当嫌な奴!!

それでも、マイルズは自分の記録に満足しその場を去ります。彼は話を受けた時からこの結末を予想していたかのようなある種の悟りすら伺わせるシーンでした。

彼はその後、不慮の事故で還らぬ人となります。それでも、好きな仕事を全うして旅立ったのだから、きっと後悔なんてないんだろうなぁ。

マイルズの妻のモリー(カトリーナ・バルフ)が良い味出してますね~~ 夫のことを理解し、時に励まし、時に支える賢妻でした。息子のピーターも可愛かった~~

2人が出会った時の「スパナ」をもってマイルズの家を訪れるシェルビーですが、モリーに声をかけることなくピーターにスパナを渡して去ります。手を軽く振るモリーに彼も軽く応え・・・シェルビーにとって、マイルズは見果てぬ夢を叶えてくれた相棒であり、自分と同じ感覚を持つ優れたレーサーであり、最高の友達だったことが伝わってくるラストシーンでした。


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チャーリーズ・エンジェル2020 ネタバレあり 

2020年06月12日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2020年2月21日公開 アメリカ 118分 G

国際機密企業チャーリー・タウンゼント社で特殊訓練を受けたエリート女性エージェント組織、通称“チャーリーズ・エンジェル“。彼女たちは世界各地に拠点を置き、平和を見守る天使=“エンジェル“として隠密に活動している。ある日、巨大テクノロジー企業に勤める天才プログラマーのエレーナ(ナオミ・スコット)は、自身が開発したプロダクト=新エネルギー源“カリスト“を会社が武器として軍事利用していることに気づき、エンジェルたちに調査を依頼。それがきっかけで、エレーナは命を狙われることに。“エンジェル“の司令塔ボスレーは、変装と潜入を得意とするサビーナ(クリステン・スチュワート)、元MI6であらゆる武器を自在に操るジェーン(エラ・バリンスカ)と共に、エレーナを守りながら調査を開始。さらには彼女のハッキングスキルを高く評価し新たなエンジェルとしてスカウトする。新生チャーリーズ・エンジェルの誕生。ハンブルク、リオデジャネイロ、イスタンブール・・それぞれの特技を最大限に活用し、調査を進める彼女たちは行く先々で立て続けに危機に直面する。タウンゼント社に内通者か――?(公式HPより)

 

1976~81年のテレビドラマ、2000年にキャメロン・ディアス、ドリュー・バリモア、ルーシー・リ演じた映画版をスタッフ&キャストを一新して再映画化した作品です。エリザベス・バンクスが監督を務め、自らも姿を見せないチャーリーに代わってエンジェルたちに指令を出すボスレー役を演じています。まさに「女性が輝いている」映画

エンジェルは最早三人だけではなく、世界各地に散らばり世界平和のために戦っているという設定です。今回は新開発のエネルギーが兵器化されるのを阻止すべく戦うのですが、サビーナとジェーン、二人のエンジェルに素人ながら天才的なハッキングスキルを持つエレーナが加わることで、より戦闘能力がUPする形になっています。初めは反目していたサビーナとジェーンの間にも絆が生まれていきます。それはエレーナと二人の関係にも当てはまり、問題解決の後には強い結束が生まれています。

ボスレーとは司令塔の名称のようなもので、今作には三人のボスレーが登場します。

エレーナの依頼を引き受けた早々に命を落とすのはエドガー(ジャイモン・フンスー)。活躍シーンがあまりなかったのは少し残念ですが今回は男性には活躍の場が与えられていないので仕方ないかな

任務を引き継いだのは女性ボスレーのレベッカ(エリザベス・バンクス)です。中盤で姿を消すことでミスリードを仕掛けてきますが、黒幕は意外なアノヒト、元祖ボスレーのジョン(パトリック・スチュワート)でした 利用されていたのが巨大テクノロジー企業のCEOフレミング(ナット・ファクソン)と出資者のブロック(サム・クラフリン)。二人とも小物~~ そういえば、冒頭でサビーナが捕まえたジョニーも日和男だったっけ。

彼女たちの前に立ち塞がる殺し屋のホダック(ジョナサン・タッカー)とのファイトシーンも見所の一つです。

最後は屋敷に潜入していたエンジェルたちが総出で男たちを倒しジョンを捕まえるんですね~~まさに女たちの連帯の成果!!

エレーナの同僚のラングストン(ノア・センティネオ)とジェーンが良い感じになったりというおまけもありました

事件解決の後、エレーナはエンジェルに勧誘され、もちろん承諾。厳しい訓練を経て晴れて三人はチームに

ロケーションもハンブルク・ロンドン・ベルリン・イスタンブールと、世界各地の風光明媚な都市で観光気分にもなれるし、衣装やアクセサリーもファッショナブルで豪華さもあり楽しませてくれます。

ボスの“チャーリー”は姿を見せませんが、ラストでボイスチェンジャーを使っているシーンが登場し、もしかして彼ではなく彼女?と思わせる仕掛けもありました。


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真実

2020年06月06日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2019年10月11日公開 フランス 108分

フランスの国民的大女優ファビエンヌ(カトリーヌ・ドヌーブ)が自伝本「真実」を出版し、それを祝うためという理由で、アメリカに暮らす脚本家の娘リュミール(ジュリエット・ビノシュ)が、夫でテレビ俳優のハンク(イーサン・ホーク)や娘のシャルロット(クレモンティーヌ・グルニエ)を連れて母のもとを訪れる。早速、母の自伝を読んだリュミールだったが、そこにはありもしないエピソードが書かれており、憤慨した彼女は母を問いただすが、ファビエンヌは意に介さない。しかし、その自伝をきっかけに、母と娘の間に隠されていた愛憎渦巻く真実が次第に明らかになっていく。(映画.comより)

 

是枝裕和監督が、初めて国際共同製作で手がけた長編作品ということで話題になったっけ。

母と娘の間に隠された真実を巡る物語ということですが、特に衝撃の「真実」が隠されていたわけじゃなく、良い意味で日本的な情緒を感じる作品でした。

女優として生きることを最優先してきたファビエンヌと、娘のリュミールの間には表に出さない確執があります。母の愛をファビエンヌのライバル女優でもあったサラに求めたリュミエールは、監督と寝て役を奪い、結果としてサラを自殺に追いやった母を許せないでいます。

その母が自伝を出すということで、内容が気になり出版祝にかこつけて母のもとを訪れたリュミエールでしたが、書かれていたのは真実には遠い作り話。長年献身的に尽くしてくれている秘書リュック(アラン・リボル)の存在には一言も触れられていないし、父親のピエール(ロジェ・ヴァン・オール)は死んだことになってるし、もちろんサラとの真相もありません。抗議する娘に母は「私は女優よ」と言い放ちます。

リュックが突然暇を申し出て、リュミールは渋々母の撮影現場に同行することになります。自分の存在が軽んじられているという理由で辞めたリュックですが、母娘の絆を取り戻させようとする思惑が伝わってくる描き方でした。

彼女が出演するのは、地球では2年しか生きられない病気のため宇宙で暮らす母が何年かに一度地球に住む娘を訪れるという設定のSF作品です。母親役のサラを彷彿させる若手女優マノン(マノン・クラヴェル)や、30代を演じるアンナ(リュディビーヌ・サニエ)とのシーンが本ストーリーと並行して進みます。 

夫のジャック(クリスチャン・クラエ)は料理好きで家事担当?夫婦仲はよろしいようで

家族の食事のシーンではハンクに対しても辛らつな批評を浴びせるファビエンヌですが、不思議に嫌味がないのは、やはり人柄ということかな。

シャルロットはリュミールからおばあちゃんは魔女と噂されていたと聞かされ、興味津々で魔法が使えるのかと問いかけます。庭で飼っているカメの名前とお母さんのお父さんの名前が一緒だと知って、カメがおじいちゃんだと信じ込んでしまうエピソードが微笑ましいです 例えお金の無心にやってきたとしても、そこは実の父親、ピエールとリュミールの関係は良好のようだし、現夫のジャックとも波風はなさそうです。このあたりはフランスらしいさばけた感がありました。

特に大きな出来事もなく淡々と進むのですが、SFのストーリーと現実が次第にリンクしてきて、遂にリュミールは母への不満や恨みをぶつけるます。ファビエンヌは、サラに感じていたのは自分を脅かす女優としての存在の他に、リュミールをとられたという嫉妬心だったと告白します。リュミールの記憶の中で不在だった母は実際にはちゃんと存在していて、娘を見守っていたんですね

自伝の中身はともかくとして、これがきっかけで長年の母娘のわだかまりが融けたのかな リュックも戻ってきて、ファビエンヌの我儘も健在で、たぶん人生なんてこんなことの繰り返し


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マニカルニカ ジャーンシーの女王

2020年06月05日 | 映画(DVD・ビデオ・TV)

2020年1月3日公開 インド 148分 PG12

ヴァラナシで僧侶の娘に生まれたマニカルニカ(カンガナー・ラーナーウト)は、ビトゥールの宰相に育てられ、幼い時から武士階級の男子同様に剣や弓、乗馬を習って成長した。その勇敢な行動を見かけたジャーンシー藩王国の大臣から、藩王ガンガーダル・ラーオ(ジーシュ・セーングプタ)との縁談が持ち込まれ、やがてマニカルニカはジャーンシーに嫁ぐ。藩王は彼女にラクシュミーという名を与え、マニカルニカは人々からラクシュミー・バーイーと呼ばれて親しまれる。しかし、生まれた王子は夭折し、親戚の幼い男児を養子に迎えたものの、間もなく藩王が病死してしまう。その機に乗じてイギリスは藩王国を併合、ラクシュミーは城を後にする。だが1857年にインド大反乱が勃発すると、ラクシュミーも呼応して蜂起、国のため、民のため、戦いの場へと歩を進める!(公式HPより)

 

1857年の「インド大反乱」で、北インド中部のジャーンシーの女王ラクシュミー・バーイーは、自ら兵を率いて勇猛果敢に戦い、”インドのジャンヌ・ダルク”と称えられて愛国の英雄として今も人々に敬愛されています。その実在の女性指導者の活躍を描いたスペタクルアクション作品です。インドの歴史については詳しくないのですが、イギリスに搾取されてきたことは何となく知っていました。マニカルニカは、そんな祖国を何とかイギリスから独立させようと奮闘した女王のようです。

映画のマニカルニカは、望まれて藩王と結婚します。イギリスに気圧され現実逃避していた彼は、妻の毅然とした姿と国を思う愛情を目の当たりにして変わっていきます。しかしどんな国でも王位を狙う簒奪者はいるもの、イギリスにおもねる簒奪者の計略が徐々に二人を追い詰めていきます。息子が生まれ幸福の絶頂にあったマニカルニカでしたが、その子が早逝し、夫も病で亡くなると、王宮を追われてしまうのです。

彼女の凄いのは、身の程を知っていたこと。一人で歴史を変えようとしたのではなく、他の国や民衆の心をまとめて一つにしようとした点です。それは一代でできることではないことも覚悟の上で、自らを犠牲にする覚悟を持って臨んだことでもありました。

映画は、彼女の決意を象徴するかのように、過激な戦いのシーンがふんだんに盛り込まれています。戦士としての彼女は勇猛果敢で男に引けをとりません。逆に、王宮での彼女は、華やかな衣装と宝飾品を身にまとい、美しい姿で目を楽しませてくれます。そのギャップも印象的でした。

それにしても、敵役のイギリス将校たちの何と傲慢で憎たらしいこと!植民地であるインドとその民を蔑み人とも思わぬ態度に辟易します。そういう風に作られてはいることは承知の上ですが、この映画をイギリス人が観たらどんな感想になるのかなと思ってしまいました


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