2017年9月29日公開 アメリカ 127分
東西冷戦下、アメリカとソ連が熾烈な宇宙開発競争を繰り広げている1961年。ヴァージニア州ハンプトンのNASAラングレー研究所では、優秀な頭脳を持つ黒人女性たちが“西計算グループ”に集い、計算手として働いていた。リーダー格のドロシー(オクタヴィア・スペンサー)は管理職への昇進を希望しているが、上司ミッチェル(キルスティン・ダンスト)に「黒人グループには管理職を置かない」とすげなく却下されてしまう。技術部への転属が決まったメアリー(ジャネール・モネイ)はエンジニアを志しているが、黒人である自分には叶わぬ夢だと半ば諦めている。幼い頃から数学の天才少女と見なされてきたキャサリン(タラジ・P・ヘンソン)は、黒人女性として初めてハリソン(ケビン・コスナー)率いる宇宙特別研究本部に配属されるが、オール白人男性である職場の雰囲気はとげとげしく、そのビルには有色人種用のトイレすらない。それでも、それぞれ家庭を持つ3人は公私共に毎日をひたむきに生き、国家の威信をかけたNASAのマーキュリー計画に貢献しようと奮闘していた。
1961年4月12日、ユーリ・ガガーリンを乗せたソ連のボストーク1号が、史上初めて有人で地球を一周する宇宙飛行を成功させた。ソ連に先を越されたNASAへの猛烈なプレッシャーが高まるなか、劣悪なオフィス環境にじっと耐え、ロケットの打ち上げに欠かせない複雑な計算や解析に取り組んでいたキャサリンは、その類い希な実力をハリソンに認められ、宇宙特別研究本部で中心的な役割を担うようになる。ドロシーは新たに導入されたIBMのコンピュータによるデータ処理の担当に指名された。メアリーも裁判所への誓願が実り、これまで白人専用だった学校で技術者養成プログラムを受けるチャンスを掴む。さらに夫に先立たれ、女手ひとつで3人の子を育ててきたキャサリンは、教会で出会ったジム・ジョンソン中佐(マハーシャラ・アリ)からの誠実なプロポーズを受け入れるのだった。
そして1962年2月20日、宇宙飛行士ジョン・グレンがアメリカ初の地球周回軌道飛行に挑む日がやってきた。ところがその歴史的偉業に全米の注目が集まるなか、打ち上げ直前に想定外のトラブルが発生。コンピュータには任せられないある重大な“計算”を託されたのは、すでに職務を終えて宇宙特別研究本部を離れていたキャサリンだった……。(公式HPより)
1962年に米国人として初めて地球周回軌道を飛行した宇宙飛行士ジョン・グレンの功績を影で支えた、NASAの3人の黒人系女性スタッフの知られざる物語を描いた実話に基づくドラマです。
人間が宇宙空間に行く時代なのに、厳然としてある人種差別に溜息がでます。NASAという先進施設でさえ、当たり前のように差別がまかり通っていて、さらに女性というだけで二重に差別されている彼女たちですが、いじけず諦めず、着実に一歩ずつその道を切り拓いていく姿に内心で拍手を送りました。 冒頭のシーンで、パトカーを先導させて疾走する彼女たちの姿がまさにその生きざまを象徴するかのようでした。
飲み物のポットも別にされ、トイレさえ白人専用で使用させてもらえず、800m離れた西棟(黒人専用棟)にダッシュしなければならない劣悪な環境の中で、黙々と与えらえた仕事をこなしながら、自分なりの数式を考え提案するキャサリン、昇進の道を断たれながらも、IBMのプログラミングを独学で学び、同僚の黒人女性たちに教え、見事データ処理の室長(管理職)の地位を獲得したドロシー、技術者になるための資格を得るため白人専用高校での受講を求め判事の心情に訴えて見事勝ち取ったメアリー。黒人というだけで理不尽な境遇に立たされながらも、ひたむきに夢を追い続けた彼女たちのサクセスストーリーは観ていて気持ちよいです。
キャサリンの上司のハリソンは、キャサリンの置かれている劣悪な環境に全く気付いていなかった仕事バカですが、彼女の能力は高く評価していました。彼女の進言を受けて会議の席に加えるという英断もしてみせます。ある雨の日、いつものようにトイレからびしょぬれで帰ったキャサリンは、ハリソンに、席にいつもいないと非難されます。たまらずトイレさえない自分の状況について感情を爆発させたキャサリンの姿をみて、男性たちは自分たちの偏見をほんの少し改めるの。これも小さな一歩です。
ハリソンはトイレの人種専用プレートを叩き外し「これからは誰でも自由に使用して良い」と宣言します。「過ちては改まるに憚ること勿」です
コンピュータの運用が開始されたことで用済みとされたキャサリンへの餞別(業績への謝意)に真珠のネックレス(服飾規定にアクセサリーはコレのみ許可とあるのですが、黒人女性にはそんな高価なものを買うゆとりはないこともトイレ事件の際にキャサリンは口走っていたのをちゃんと聞いていたのね)を贈ったり、人間味のある上司でした。
ドロシーの上司のミッチェルは白人女性。態度や口ぶりがしっかり差別してるのよね NASAで生き残っていくためにプログラミングを学んだドロシーとは後に立場が同等もしくは逆転していくのですが、ドロシーに指摘されるまで自分自身の差別意識にすら気付いていなかったのです。でも気付いてからの彼女はドロシーにも敬称をつけて呼ぶなど態度を改めます。
メアリーの判事への訴えかけも見事でした。前例のないことをするのはそれなりの正当な理由があるのだと理詰めと感情論の両面から攻めて見事に権利を勝ち取るのです。
おそらく、現実にはもっと酷い差別を受けたり恐い、悔しい思いもたくさんしたのだと想像できます。でも彼女たちは笑顔で困難に立ち向かい、ユーモアに溢れています。それぞれ家庭を持っていますが、その夫や子供たちも母の仕事に理解と誇りを持っていることが伝わってきます。それは人種に変わりなくまさに古き良きアメリカの家庭の光景でした。 彼女たちの住む家の内装や調度品がポップでカラフル、品もあってとても素敵でした
(こんな家に住めるならそこそこお給料良いんじゃないの?とちょっと思ってしまったぞ
)
この作品が今年アメリカで公開されて広く受け入れられたという事実は、黒人差別に限らず今なお残る狭量な意識へのアンチテーゼなのかもしれませんね。