本日は新入党員歓迎会に参加させていただきました。
この地域では、定期的に新しい党員さんを迎え入れ、地道な活動を続けておられます。
今回は40歳代の若い党員さんを迎え、みなさんとても嬉しそうでした。
午前中2時間ほどの学習後の交流会に参加しました。
交流会ではレーニンが話題に上がっていました。
AさんとBさんがレーニンの多数者革命論で盛り上がっていました。
じっと聞いていたCさんに話が振られるとCさんは俺は「少数者革命論者だ」と冗談を言って聞き役に戻ろうとする^^
私は、綱領教室で最近勉強したところだ…と興味津々で聞き入りました。
〈綱領教室第2巻から要約〉
レーニンの時代
「議会で多数を得ての革命」=多数者革命論が否定され、少数者革命論が一般化された。
しかし、1920年には、ヨーロッパの資本主義諸国の革命情勢の成熟までには長い時間が必要であり、革命運動も長期的視野で落ち着いた取り組みをしないといけない、というところに変わってきました。
そのご、コミンテルンの大会で、労働者階級と搾取されている勤労人民の多数を獲得することが中心任務として述べられ、多数者革命否定論から脱却していきます。
1923年レーニンは脳卒中で活動不能に陥り、翌年息を引き取ったそうです。残念ながらレーニンの後を引き継いで頑張ろうという人が出て来ず、スターリンの覇権主義の横暴が横行することになったそうです。
交流会では搾取の話も出てきました。
今80歳代のDさんは20歳代の頃、4時間働いて残りの4時間の労働分は搾取されて資本家の儲けになっているという事を教えてもらった。働き方改革はもっとひどい物で絶対にアカン。と、話されていました。宣伝や訪問に金魚の糞みたいについて行くだけやけど、色々と学ばせてもらってすごく楽しい。この間は90歳の方からあんたはまだ若いと言われて……と、笑っておられました。
日刊紙を配ってくださっているF氏は以前、寝坊をして焦ったことがある。今は毎日午前1時30分にきっちり目が覚める。と、配達の苦労を話してくださいました。
その他に、介護や労働環境の話題など話は尽きませんでした。
世代継承が取り組まれる今、学習が本当に大切だと改めて感じた会でした。
この地域では、定期的に新しい党員さんを迎え入れ、地道な活動を続けておられます。
今回は40歳代の若い党員さんを迎え、みなさんとても嬉しそうでした。
午前中2時間ほどの学習後の交流会に参加しました。
交流会ではレーニンが話題に上がっていました。
AさんとBさんがレーニンの多数者革命論で盛り上がっていました。
じっと聞いていたCさんに話が振られるとCさんは俺は「少数者革命論者だ」と冗談を言って聞き役に戻ろうとする^^
私は、綱領教室で最近勉強したところだ…と興味津々で聞き入りました。
〈綱領教室第2巻から要約〉
レーニンの時代
「議会で多数を得ての革命」=多数者革命論が否定され、少数者革命論が一般化された。
しかし、1920年には、ヨーロッパの資本主義諸国の革命情勢の成熟までには長い時間が必要であり、革命運動も長期的視野で落ち着いた取り組みをしないといけない、というところに変わってきました。
そのご、コミンテルンの大会で、労働者階級と搾取されている勤労人民の多数を獲得することが中心任務として述べられ、多数者革命否定論から脱却していきます。
1923年レーニンは脳卒中で活動不能に陥り、翌年息を引き取ったそうです。残念ながらレーニンの後を引き継いで頑張ろうという人が出て来ず、スターリンの覇権主義の横暴が横行することになったそうです。
交流会では搾取の話も出てきました。
今80歳代のDさんは20歳代の頃、4時間働いて残りの4時間の労働分は搾取されて資本家の儲けになっているという事を教えてもらった。働き方改革はもっとひどい物で絶対にアカン。と、話されていました。宣伝や訪問に金魚の糞みたいについて行くだけやけど、色々と学ばせてもらってすごく楽しい。この間は90歳の方からあんたはまだ若いと言われて……と、笑っておられました。
日刊紙を配ってくださっているF氏は以前、寝坊をして焦ったことがある。今は毎日午前1時30分にきっちり目が覚める。と、配達の苦労を話してくださいました。
その他に、介護や労働環境の話題など話は尽きませんでした。
世代継承が取り組まれる今、学習が本当に大切だと改めて感じた会でした。