ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
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GOD・YHWE

2012-03-19 11:24:58 | 言葉
聖書の大文字の「GOD」とはヘブライ語で、YHWE というような文字で、

それはヤハウエーとか発音し、

その意味は「すべてのものに私はなる」ということだと、

聖書研究をしてる人に聞いたことがある。

そういう意味のものが英語で何故「GOD」になったのか、

その辺の事は勉強不足でわからないんだけれども。

まぁ、でも、そうだとして・・考えると・・

「すべてのものに私はなる」=「神」であるなら、

その言葉の中の一部である「私」という文字だけが「神」というわけじゃないと思う。

(すべてのものに私はなる)という“状態”が「神」であるということと思う。

その状態とはやはり 目に見えないものの状態 と言っていいと思う。

目に見える姿という物理的状態ではないだろう。

神がどういうものがわからなけど、目に見えるものじゃないのではないかと思う。

人は人であって「神」ではないし、

物理的に花は花だし、蝶は蝶だし、虫は虫で「神」ではない。

AさんはAさんであって「神」ではない。

目に見えない世界で、全てのものは神というような存在・・・

・・というような意味合いなんだろうか。

「神」とは すべてのものは私で在る・・・

・・という目に見えない現象・・なんだろうか。

全てのものに神が宿るという日本的な考えと似てるね~


そして聖書には大文字の「GOD」と明らかに異なる小文字の「god」があるという。

ある宗派はそれはイエス・キリストだという見解をもって、

それが絶対に正しいとしてるようだけど、

キリスト一人じゃないんじゃないかと思う。

それは(あなた・すべて・・のものはわたし)というような、

人間の境地のことなんじゃないのかなぁ。

そういう心の状態そのものをそういうんじゃないかと思う。

ひとの身になって考えるとか、他人事と思えないとか、

対岸の火事はここの火事とか、(そんな言葉ないか)

谷垣さんが野田さんの心を自分の心であるかのように感じるとか、

他人のことが自分のことのように思えるとか、

同感ではなく、“共感”という境地・状態・世界。

そんな言葉もそういうことを表わすのかなと思う。

聖書にかかれて在ることが絶対正しいなんて思ってないけど、

実に興味深い。


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