ムカデとことこ

 ひとが幸福になること・意識の成りたち・物理と心理を繋ぐ道
       ・・そんなこと探りたい

田舎と都会

2012-04-06 10:31:45 | ひとの幸福
自分に気持ちを向かせようとして女を追いかけると逃げられる・・

忘れようとすると忘れられない・・・

売ろうとすると売れない・・

眠ろうとすると眠れない・・

あーさせようとすると反発を喰らう・・

こういうことと違うのは・・

歩こうとすると歩ける。

左手を挙げようとすると上がる。

食べようとすると食べられる。

(こういう行動も条件が揃えば、ということと思うけど)


売ろうとするのは自分だけど、売れるとは相手が買うことなので、

買うという主体は売る側の自分ではないから、

客である人が自分の意志で買いたいと思えば買うし、そう思わなければ買わない。

相手は相手の意志で行動するのは当たり前のことだし。

眠ろうとすると眠れない・・のはどうしてか・・

前も書いたけど、

眠るというのは意識的に出来ることじゃない。

眠るのは行動じゃないから。眠くならないと眠れない。

眠るのは自然のことなので命令が効かないと言ってもいいと思う。

自然である排尿も命令が効かない。「一日やめとこう」は無理。

忘れるというのも意識して出来る行動じゃない。

心の状態。自然なこと。


じゃ、歩こうとすると歩けるのは・・・?

歩くのは意識的に出来ることだから。

意識して身体に命令できるのは行動に限る。

歩きたくなくても(心で思ってなくても)歩こうと思えば行動は出来る。

食べようとする、手を挙げようとする、どれも、意識が命令して身体が健全なら出来る。

・・こう考えて来ると、顕在意識がやれることは本当に少ない。

眠ろうとすると眠れないのも当たり前という気がしてくるし、

売ろうとすると売れないというのも当たり前だし。

忘れようとしても忘れられない、というのも然り。

相手を~させようとすると反発を喰らうのも当たり前。


なのに、そうしようとしてしまう実態は何故起こるんだろう?

顕在意識でなんでも出来るって思いこんでいるから・・なのか??


養老孟司先生が「都会の人は意識で動いている、意識が万能だと思っている・・

田舎に参勤交代みたいに年にある程度の期間暮らすのがいい・・」というような

文章があったと思う。

こういう文章を読んだ時はその内容がよくつかめなかった私だったけど、

物事が成立するのは自分の顕在意識によってだけではない、という

当たり前のことをわかるべきというような主張なんだろうかと今は思う。

自然を相手に田舎で暮らすという経験は、

野菜が育つという事をとっても、自分の意識なんてホンの少しで、

いろんな現象の相互作用でそうなるということがわかるのかもしれない。

でも田舎に住んでいる私として思うのは・・

田舎に住んで畑仕事をしている人でも、

ひとに対しては自分の意識が万能だと思っていると見えるような人は結構多いように思う。

都会でも謙虚なひとはたくさん居るんじゃないかな。



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