朝日新聞夕刊1面の名物コラム「素粒子」が、鳩山法相に「死に神」の称号を贈った問題が、掲載日から3週間たっても収まらない。朝日に寄せられた抗議は軽く2000件を超えているらしい。
確かに品のないコラムであった。筆者もすぐ気づいたと見えて3日後の21日には同じ欄で「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」「風刺コラムはつくづく難しい」「法相らを中傷する意図はまったくありません」などと弁解にこれ努めた。
鳩山からの抗議だけだったら頬かむりを無理を決め込んだのだろうが、全国被害者の会(あすの会)から「私たちへの侮辱でもある」とねじ込まれて万事休したようだ。
30日付けで回答を送付し、2日付けの紙面ではお詫びらしきものも掲載している。「犯罪被害者遺族の気持ちに思いが至らなかった」とし、「批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かす」などと述べている。
あらためてコラムの全文を以下に記す。
永世名人 羽生新名人。勝利
目前、極限までの緊張と集中力
からか、駒を持つ手が震え出す
凄み。またの名、将棋の神様。
× ×
永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、2
カ月間隔でゴーサイン出して新
記録達成。またの名、死に神。
× ×
永世官製談合人 品川局長。
官僚の、税金による、天下りの
ためのを繰り返して出世栄達。
またの名、国民軽侮の疫病神。
「永世○×」と「またの名」をキーワードにした言葉遊びである。その日の夕刊記事に現れた世相を56字ほどで切り取るのが腕の見せどころで、代々〝名文家〟が担当しているらしい。
しかし、短文でばっさり断ずるわけなので、向こう傷が絶えない。殺到する抗議をさばくのも芸のうちなのだ。21日夕刊素粒子はその類である。天声人語でもときどきこういう芸を見せる。「お叱りをいただいた」で始まる一文をものしてしまうのだ。さすがである。
今回の朝日の対応を見ていると、妙なことに気づく。コラムが「死に神」と名付けた鳩山には何の謝罪も言い訳もしていないのだ。「中傷の意図はありません」の21日付けコラムがあるだけだ(政治部の担当記者を通じて誤っているとか、幹部が一席設けて手打ちしたなどということはあったかもしれないが…)。
名指ししたのは鳩山である。まず、鳩山に回答すべきではなかったか。
「死に神」よりも法相を永世死刑執行人と呼んだことの方が問題だ。刑務所には現に死刑執行を担当する職員がいる。彼らが職務と死刑囚との狭間でどれほどの葛藤に苦しんでいることか。「死刑執行人の苦悩」を読めばよく分かる。現存する執行人をこのコラムが深く傷つけたことは間違いない。鳩山はハンコを押すだけで手は汚さないのだ。
「コンベア式や乱数表で死刑執行を決めたい」という趣旨の発言をしている鳩山には「死に神はほめすぎでした」今後は「絞首台のドアボーイ」と呼ばせていただきます。これくらいの切り替えしがほしかった。
被害者の会の抗議は「遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」という理由からだ。
小生はあのコラムからそいうメッセージは読み取れなかった。だが、記事は筆者の意図とは別の読まれ方もする。その意味では配慮が欠けていたと言われても仕方がない。書かれる側の痛みを理解できないのが朝日の最大の欠陥だ。
それは被害者の会への回答文の末尾に端的に現れている。
「批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かす」。同じせりふを何回聞いたことか。改竄や盗用の際もそんな言い訳をしたのではなかったか。教訓は生かされない。それが朝日の伝統なのではないかと疑ってしまう。
素粒子の記述のどこがどう問題なのかを、抗議とは関係なく検証することから始めるべきだ。「反論しにくい団体から言われたので、とりあえず誤っておこう」という姿勢が見え見えだ。それは新聞の自殺である。
もっとも、朝日も毎日も不動産業が本業で、新聞は副業だったか。言論機関と呼ぶのもはばかられる。お粗末な対応を見るにつけ、その思いを深くする。
確かに品のないコラムであった。筆者もすぐ気づいたと見えて3日後の21日には同じ欄で「死刑執行の数の多さをチクリと刺したつもりです」「風刺コラムはつくづく難しい」「法相らを中傷する意図はまったくありません」などと弁解にこれ努めた。
鳩山からの抗議だけだったら頬かむりを無理を決め込んだのだろうが、全国被害者の会(あすの会)から「私たちへの侮辱でもある」とねじ込まれて万事休したようだ。
30日付けで回答を送付し、2日付けの紙面ではお詫びらしきものも掲載している。「犯罪被害者遺族の気持ちに思いが至らなかった」とし、「批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かす」などと述べている。
あらためてコラムの全文を以下に記す。
永世名人 羽生新名人。勝利
目前、極限までの緊張と集中力
からか、駒を持つ手が震え出す
凄み。またの名、将棋の神様。
× ×
永世死刑執行人 鳩山法相。
「自信と責任」に胸を張り、2
カ月間隔でゴーサイン出して新
記録達成。またの名、死に神。
× ×
永世官製談合人 品川局長。
官僚の、税金による、天下りの
ためのを繰り返して出世栄達。
またの名、国民軽侮の疫病神。
「永世○×」と「またの名」をキーワードにした言葉遊びである。その日の夕刊記事に現れた世相を56字ほどで切り取るのが腕の見せどころで、代々〝名文家〟が担当しているらしい。
しかし、短文でばっさり断ずるわけなので、向こう傷が絶えない。殺到する抗議をさばくのも芸のうちなのだ。21日夕刊素粒子はその類である。天声人語でもときどきこういう芸を見せる。「お叱りをいただいた」で始まる一文をものしてしまうのだ。さすがである。
今回の朝日の対応を見ていると、妙なことに気づく。コラムが「死に神」と名付けた鳩山には何の謝罪も言い訳もしていないのだ。「中傷の意図はありません」の21日付けコラムがあるだけだ(政治部の担当記者を通じて誤っているとか、幹部が一席設けて手打ちしたなどということはあったかもしれないが…)。
名指ししたのは鳩山である。まず、鳩山に回答すべきではなかったか。
「死に神」よりも法相を永世死刑執行人と呼んだことの方が問題だ。刑務所には現に死刑執行を担当する職員がいる。彼らが職務と死刑囚との狭間でどれほどの葛藤に苦しんでいることか。「死刑執行人の苦悩」を読めばよく分かる。現存する執行人をこのコラムが深く傷つけたことは間違いない。鳩山はハンコを押すだけで手は汚さないのだ。
「コンベア式や乱数表で死刑執行を決めたい」という趣旨の発言をしている鳩山には「死に神はほめすぎでした」今後は「絞首台のドアボーイ」と呼ばせていただきます。これくらいの切り替えしがほしかった。
被害者の会の抗議は「遺族が死刑を望むことすら悪いというメッセージを国民に与えかねない」という理由からだ。
小生はあのコラムからそいうメッセージは読み取れなかった。だが、記事は筆者の意図とは別の読まれ方もする。その意味では配慮が欠けていたと言われても仕方がない。書かれる側の痛みを理解できないのが朝日の最大の欠陥だ。
それは被害者の会への回答文の末尾に端的に現れている。
「批判を厳粛に受け止め、教訓として今後の報道に生かす」。同じせりふを何回聞いたことか。改竄や盗用の際もそんな言い訳をしたのではなかったか。教訓は生かされない。それが朝日の伝統なのではないかと疑ってしまう。
素粒子の記述のどこがどう問題なのかを、抗議とは関係なく検証することから始めるべきだ。「反論しにくい団体から言われたので、とりあえず誤っておこう」という姿勢が見え見えだ。それは新聞の自殺である。
もっとも、朝日も毎日も不動産業が本業で、新聞は副業だったか。言論機関と呼ぶのもはばかられる。お粗末な対応を見るにつけ、その思いを深くする。