臓器移植法改正案の衆院本会議採決が行われ、「脳死は人の死」とし移植の年齢制限を撤廃する「A案」が大差で可決された。
今国会の最終版で「D案」なるものが駆け込みで提案され、委員会審議に付された改正案は4本に上った。脳死についての国民的合意がいまだに存在していないことの証明だろう。共産党を除く各党は、党議拘束を外して議員個人の「良識」に委ねた。メディアは「過半数を得る案はないかも」と予測していた。ところが、の結果である。
《衆院は18日の本会議で、脳死後の臓器提供の年齢制限を撤廃し、本人の意思表示がなくても家族の同意で提供を可能とする臓器移植法改正案(A案)を賛成多数で可決した。自民、民主など各党は党議拘束をかけずに各議員の判断で投票し、賛成263票、反対167票、欠席・棄権は48人だった。同案の可決により、その他の3案は採決されずに廃案となった。
1997年に成立した現行法は脳死後の臓器提供について、15歳以上で本人による提供の意思表示がある場合に限っている。衆院を通過したA案は臓器移植を推進するため、提供者の年齢制限を撤廃し、本人が事前に拒否を表明していなければ家族の同意で提供可能とした。これまで国内ではできなかった小児の臓器移植に道を開くとともに、15歳以上の臓器提供例も増える可能性がある》=日経NET=
日経の別の記事によれば、賛成者の大部分は自民党議員だという。
《賛成票263のうち、約8割が自民党議員。参院で主導権を握る民主党議員の賛成は2割以下にとどまる。賛成したのは自民党が67%の202人、民主党は37%の41人、公明党は39%の12人。社民党は全員が反対に回った。欠席・棄権(議長含む)は全体で48人だった》
朝日が全議員の賛否を掲載している。これを見るとなかなか興味深い。共産党は審議が不足として党として棄権した。社民党も全員が反対だ。硬骨の人・平沼赳夫も棄権、民族派色が濃い稲田朋美は反対だ。ごく大雑把に言えば、左右は反対、中はぐちゃぐちゃということだ。
それにしても、なぜ100票もの差がついたのだろう。総選挙が目の前にぶら下がっているからだろう。テレビなどでは、若い夫婦が涙を流して「立法不作為」をなじる。「恨まれてはたまらない」と議員心情が揺れる。
「参院があるから」という安易な気持ちも白票を投じる背中を押したように思える。信念を持って臓器移植法改正を仕上げるというより、とりあえず「賛成しました」とポーズを取ったのだ。
人の死の定義を、国会がたった8時間足らずの審議で変えてしまう。考えようによっては恐ろしいことだ。情緒が支配する政治は願い下げである。
それにしても、メディアの取材力のなさにはびっくりした。
今国会の最終版で「D案」なるものが駆け込みで提案され、委員会審議に付された改正案は4本に上った。脳死についての国民的合意がいまだに存在していないことの証明だろう。共産党を除く各党は、党議拘束を外して議員個人の「良識」に委ねた。メディアは「過半数を得る案はないかも」と予測していた。ところが、の結果である。
《衆院は18日の本会議で、脳死後の臓器提供の年齢制限を撤廃し、本人の意思表示がなくても家族の同意で提供を可能とする臓器移植法改正案(A案)を賛成多数で可決した。自民、民主など各党は党議拘束をかけずに各議員の判断で投票し、賛成263票、反対167票、欠席・棄権は48人だった。同案の可決により、その他の3案は採決されずに廃案となった。
1997年に成立した現行法は脳死後の臓器提供について、15歳以上で本人による提供の意思表示がある場合に限っている。衆院を通過したA案は臓器移植を推進するため、提供者の年齢制限を撤廃し、本人が事前に拒否を表明していなければ家族の同意で提供可能とした。これまで国内ではできなかった小児の臓器移植に道を開くとともに、15歳以上の臓器提供例も増える可能性がある》=日経NET=
日経の別の記事によれば、賛成者の大部分は自民党議員だという。
《賛成票263のうち、約8割が自民党議員。参院で主導権を握る民主党議員の賛成は2割以下にとどまる。賛成したのは自民党が67%の202人、民主党は37%の41人、公明党は39%の12人。社民党は全員が反対に回った。欠席・棄権(議長含む)は全体で48人だった》
朝日が全議員の賛否を掲載している。これを見るとなかなか興味深い。共産党は審議が不足として党として棄権した。社民党も全員が反対だ。硬骨の人・平沼赳夫も棄権、民族派色が濃い稲田朋美は反対だ。ごく大雑把に言えば、左右は反対、中はぐちゃぐちゃということだ。
それにしても、なぜ100票もの差がついたのだろう。総選挙が目の前にぶら下がっているからだろう。テレビなどでは、若い夫婦が涙を流して「立法不作為」をなじる。「恨まれてはたまらない」と議員心情が揺れる。
「参院があるから」という安易な気持ちも白票を投じる背中を押したように思える。信念を持って臓器移植法改正を仕上げるというより、とりあえず「賛成しました」とポーズを取ったのだ。
人の死の定義を、国会がたった8時間足らずの審議で変えてしまう。考えようによっては恐ろしいことだ。情緒が支配する政治は願い下げである。
それにしても、メディアの取材力のなさにはびっくりした。