酔眼独語 

時事問題を中心に、政治、経済、文化、スポーツ、環境問題など今日的なテーマについて語る。
 

「靖国」上映中止 もう一つの疑問

2008-04-07 22:18:27 | Weblog
 ドキュメンタリー映画「靖国 YASUKUNI」の上映中止が波紋を広げている。

 やめる館あればやる気を出す館あり、で異様な盛り上がりようだ。まあ、この種の問題で侃々諤々の論争になるのは悪いことではない。要は映画も見ないうちから潰しにかかることの理不尽さを皆が共有できればいいということだ。

 それにしても、高輪プリンスが教研集会を断ったのと今回の上映中止は、ほぼ同系統の問題であるにもかかわらず、風当たりは全く違う。ここがよく分からない。

 中止を決めた5館は、規模や経営理念が異なる。例えば新宿バルト9は名前どおり9スクリーンを擁するエンタメ系の映画館だ。この類の館が抗議にビビッて中止を決めるのは、ある意味で自然のなりゆきだ。文化より儲けが先にくるからだ。

 これがシネマートとなると若干、趣が異なる。シネマートの親会社であるSPOは経営理念についてこう述べる。「グローバル化が急速に進む中、世界の国の人々、特にアジアの国の人々と共生することが求められています。私たちは、映像文化を通して国際理解を増進させ、アジアの流通事業者として多様な映像コンテンツが流通できるよう努力することで、笑顔の溢れる平和な社会に貢献したいと考えています」

 多様な映像コンテンツを提供する決意はどうした、と言いたくなる。言葉だけ並べても実際の行為がこれでは、理念そのものを疑わざるを得ない。銀座シネパトスにしても同様だ。

 シネコン系が「問題映画」を排除するのと独立系のそれとでは重みが違うと思う。映画は撮って何ぼ、映して何ぼの世界だ。上映されなければ価値はないに等しい。今回上映中止を決めた各館は、映画を上映することの意味合いをどう考えているのか。

 近年、映画復活が話題になっている。だが、その内実は極めて空疎なのではないか。ほのぼのホームドラマや大スペクタクルにスクリーンが占拠されるようでは面白くも何ともない。

 物議を醸すのが映画と映画館の役割だ。縮こまった社会は映画や文化を遠ざける社会である。これでは中国を笑えない。
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