あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

みかぐら歌作成について(第1節~第3節) ;資料比較

2018年10月09日 16時42分56秒 | 図書室

みかぐら歌作成について(第1節~第3節)
;資料比較

目次 
1;調べるきっかけ
2;各うたの成り立ち
 2.1;「あしきはらひたすけたまひ天理王命」
 2.2;「ちよとはなし … なむてんりわうのみこと」
 2.3;「あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい」
 2.4;第1節・第3節の変更
3;おうた作成の年表
補足;朝夕のおつとめと本づとめ

1;調べるきっかけ
「続ひとことはなし その2」p81に
 …要するに、明治十四年の私刊本以前の写本にあっては、第五節のみを内容としていたもののようである。
 明治十四年刊行の天恵組版に至って、はじめて、第四節が第五節の頭首に加わり、末尾に第二節と、第一節及び第三節を合せて一つとした二節が一枚(第廿六枚)加わり、他に木火土金水風の附表一枚を加えて、全二十七枚の木版本として発行されている。
(この本の中には、この第二十六枚を巻頭にして、廿六、一、二、三、……廿五、廿七の順序で綴られているものもあるが、この姿は後日の改綴と思う。)
 この第一節と第三節を一つにされたのは、
  あしきはらいたすけたまい
  いちれつすますかんろふだい
のおうたであって、これが第一節及第三節の古い形であったのが、明治十五年の所謂“模様替”の史実の結果、上の句、下の句にそれぞれ下の句上の句が加わり、語尾も多少変更されて、
  あしきをはらうてたすけたまへ
  てんりわうのみこと  第一節
  あしきをはらうてたすけせきこむ
  いちれつすましてかんろだい  第三節
の二節になったものと考えられる。…

と、記載され、第一節、第三節の成り立ちについて、調べることにした。

 

2;各うたの成り立ち   トップへ
「おかぐらのうた」上田嘉成著・「みかぐらうた語り艸」桝井孝四郎著より関連する事項を書き出す。

2.1;「あしきはらひたすけたまひ天理王命」   トップへ

「おかぐらのうた」p21より
 あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと
 このお歌の最初の文句は、小泉不動院の山伏が白刃を抜いて暴れ込んできて、提灯を切り落とし、太鼓を切り裂いて帰った後、教祖のお口から「あしきはらひたすけたまへ てんりわうのみこと」とお教え下され、同時にお手もお教え下されて、それまでのただ、
  なむてんりわうのみこと
と、繰り返し繰り返し唱えて拍子木を叩いていたつとめが、このお願いの言葉を唱えて朝夕礼拝することとなったのであります(注・この「あしきはらひ」のお歌は、明治十五年のかんろだい取り払いに伴う模様替えによって、第三節とともに「あしひをはらうて」と変更されますが、それについては第三節のところで詳説します)。
 ここのところを、初代真柱様の『教祖様御伝』について窺いますと、
  ○慶応二年秋の頃、小泉不動院入り来り、教祖ニ難問せしも、御明答ありし故、理ニツマリ太鼓二個ヲ切り破り、提灯を切り落とし、乱暴を極めて帰へれり、夫れより豆越村へ行き山中忠七氏ニて暴行し御幣ニて忠七氏の頭を叩けり、而して古市役所へ訴へ出でたり。(中略)
  ○此乱暴ある迄ハ只南無天理王命と連呼せり、然るニ此時より神様を拝するニ始めて、「あしきはらひたすけたまひ天理王命」と手を御つけ遊ばされたり。
と、右のようにお記し下されています。
 同じくこのくだりを記した辻忠作先生の「ひながた」にも、その頃は世の中が次第に騒がしくなって鳥羽伏見の戦いがあった頃だということを書いておられますから、この「あしき」には相当荒々しい騒がしい狂暴なものという意も含まれているようにも思われます。……

「おかぐらのうた」p26より
 てんりわうのみこと 現在のおつとめの中で、一番古いのが、この「あしきはらひ」のおつとめで、その中で最も古くからある部分はといえば、この神名であります。
 即ち、ただ今の陽気づとめの全体、かぐらづとめもてをどりも一切を含めて、その元はと申しますと、
 「なむ天理王命」
と神名を呼び出して、繰り返し繰り返しお祈りしたということに帰着するのです。また、この神名をお唱えする事から始まって、だんだんとみかぐらうたも出来、数々の手もお付け頂いたと言うこともできます。従って「天理王命」と神名をお唱えすることは、すべてのおつとめの源泉であり、核心であります。……

「みかぐらうた語り艸」p28
さて、このお勤めの最初は、どういう具合であったか。文久三年ごろから、いわゆる道の子供が、ぼつぼつおやしきに引き寄せていただかれたのである。この当時には、もちろんまだお勤めというものも定まっていなかったのである。ただ親神様の前で線香を立てて、口では「南無天理王命々々々々々々」と唱えながら、拍子木を叩いてお願いをするというのが、いわゆるお勤めであった。だから、その唱える数も定まってはいない。立ててある線香の消えるまで続けるというのであった。こういう具合であったので、ある先生のごときは、線香を短く切って立ててお勤めをしておられた。すると教祖の目に止まって、それでは勤め短い、と注意された方もあったという話である。
 用事が忙しないから、早く帰らねばならんから、というように、わが身勝手な勤めをしているようなことでは、受け取ってはもらえない。心からの勤めでなければならん。心の勤め・身の勤めである。親神様は役を受け取られるのではない、つくす心を受け取ってくださるのであります。
 ところが慶応二年の六月、小泉村の不動院の僧がおやしきに乱暴に来たことがありました。その時のことを、あとになって、こうおさしづに仰せになっています。
 「元々はなあ、何処の坊主やら分からん者が、門口さして暴れくさって/\、どうしょうや知らんと思た事もあったなあ。そら六月頃やあったなあ。その時の事を思えば、夢見たような事に成ったなあ、偉い事になったなあ。」(明治31.12.31刻限)
 「六月頃の話、坊主来よったのがあら古い事、畳へ刀を抜きやがって、ぐさと差しよった事もあって、どうしょうやなあ、こうしょうやなあ、その時の事第一思う。」(明治31.12.31刻限)
こうした乱暴ごとがあったので、
「あしきはらいたすけたまへ天理王命」
とのお歌及びお手をおつけくだされたのであるが、もちろん、これとても神のなされていることであった。すなわち慶応二年に、このお歌及びお手をおつけくだされたのであります。
 そして、この時に今一つの理由をいわれています。「南無天理王命」の、天理王命は神であるが、南無は仏である。これは神仏混合であるからと、やかましくいうので、こうなされたとの話もあります。そうしたお勤めをお始めくだされる一つの機縁になったというだけで、これはまた親神様の思わくの上からなされていることであります。と申しますのは「なむ」の「な」というのはくにとこたちのみこと、「む」というのはをもたりのみことと聞かせていただいておりまして「なむ」とは決して小さく仏法と限ったものではないのであります。教祖のお教えくだされるこの天理の道は、もっと大きいのであります。…


2.2;「ちよとはなし かみのいふこときいてくれあしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし なむてんりわうのみこと」   トップへ

「おかぐらのうた」p31より
 このおつとめのお歌と手は、明治三年にお教え下されました。ここのところは梅谷四郎兵衞先生の手記に、次のように記されています。
 「明治三年、一寸はなしとよろづよの御神楽歌を教へ給ふ」
 また、諸井政一氏の『道すがら』の中には、この辺の史実についておおよそ次のように記されています。
 「ちよとはなし、よろづよ始め、明治三年、よろづよ、十二下りのだし。一寸はなし、かんろだいのつとめのだし」
 また、山中彦七先生のお話によったものに、次のような史料もあります。
 「明治三年、御年七十三才の御時一寸はなしよろづよの御神楽をお教えになりました」(『天理教教祖実伝の御噺し』)……


「みかぐらうた語り艸」p31
このお歌は明治三年にお作りくだされたものであります。
「かみのいふこときいてくれ」……(以下は歌の解釈)


2.3;「あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい」   トップへ

「おかぐらのうた」p31より
「あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい」
 このおつとめは、初め「いちれつすます」という文句で、明治八年、かんろだいのぢば定め直後にお教え下された後、明治十五年五月の、二段まで出来ていたかんろだいの石の取り払いという迫害干渉があって、神意により「いちれつすまして」とお変えになったのでありますが、このおつとめについての神意は明治二年頃から現われ始めているのであります。……

「おかぐらのうた」p60より
 このおふでさきのご指示のままに、明治八年五月二十六日、かんろだいの「ぢば」をお定め下さいました。この時、教祖はこの前日の二十五日に「明日は命日やから綺麗に掃除をしておくように」とお命じになって屋敷の掃除をおさせになり、いよいよこの日、こかん様をはじめとし、高弟の方々数名と共にお屋敷の庭に下り立たれました。その時、お傍に居た人々は、こかん様をはじめ、仲田儀三郎、櫟枝村與助、松尾市兵衛、辻ます、同留菊等の面々です。
 まず、教祖が身も心も軽やかにお歩きなされますと、ピタリとある一点に足が吸い付いたように止まりました。その地点はお屋敷の門を入ってから、四、五間北へ行ったところのちょっと西、元治元年にお建てになったつとめ場所の南にあたる所です。そこで、教祖は、お傍の者に命じて、そこへ印を付けさせなさいました。それからこかん様をはじめ次々と目隠しをしてお歩かせになりましたが、いずれもその地点にまいりますと、ピタリと足が地に付きました。
 こうして、お屋敷のしん、また、この世初まりの由緒も深い「ぢば」をお定め下されました。そして、その直後「いちれつすますかんろだい」のおつとめをお教え下されたのであります。
 辻忠作先生の「ひながた」には、このかんろだいの「ぢば」定め及びかんろだいづとめについて、次のように記されています。
  二十四年以前即ち明治八年、教祖様、小寒様御二人指図にて甘露台の地場おためしになりました、そこを歩るいて向へも横へも一足も行けぬ所へ標しをつけ、他のものならずに信心の者、目をくゝりて歩るき、中田、松尾、市枝與助、辻ます子を負ふて歩るけば皆な同じ所で立ち止まりました。それが甘露台の場所となりました。それより甘露台一条の様め(註・勤め)となり、御手一通り教へなされました。日々の勤めは「悪しき払ひ助け給へ、一列すます甘露台」と云ふお勤めでありました。
 こうして、かんろだいの建設される場所も定まり、かんろだいのおつとめもお教え下されました。
即ち、
  あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい
のおつとめであります。そして、朝夕のおつとめにも、このかんろだいづとめの理にならって、勤めさして頂くことになりました。そして、本づとめの完成の日をさらにお急き込み下さることとなったのであります。……

「みかぐらうた語り艸」p36
……「あしきはらいたすけたまへ天理王命」というお歌は、前に申しましたように、慶応二年にお教えくだされたのでありました。ところが明治八年のこと「天理王命」というのは無い神である、ということで差し止められたのであります。それで、この年にかんろだいのぢば定めもありまして、おつとめもかんろだいづとめ一条になったと聞かせていただいております。すなわち「あしきはらいたすけたまへ いちれつすますかんろだい」とのお手をおつけくだされたのであります。そして、この明治八年におつとめもかんろだいづとめ一条によって、「をびやづとめ」「ほうそづとめ」「ちんばのつとめ」「一子のつとめ」「肥のつとめ」「はえでのつとめ」「みのりづとめ」「虫はらいのつとめ」「雨乞いづとめ」「雨あづけのつとめ」「むほんづとめ」の十一通りのつとめを教えてくだされたのであります。……(以下は2.4;第1節・第3節の変更に記載)


2.4;第1節・第3節の変更   トップへ

「おかぐらのうた」p71より
……右のように「ぢば」定めの完了をお喜び下され、またかんろだいの寸法まで詳しくお示し下されて、さらに同月続いてご執筆の第十号には、前掲のごとくっとめ人衆の数までもお示し下され、勇みに勇んでかんろだい建設の日の来るのをお待ち下されました。そうしてその日は一度来たかのように見えました。即ち、明治十四年五月から着手せられたかんろだいの石普請です。この時、神意を受け教内の力を一つにして、その工を進めておられましたが、石工の不都合から二段目まで出来て、そこで停頓してしまいました。時に同年も暮れのことでした。しかし教祖は、なおもこれが完成の日、近き将来にあるべきを待望しておられたのでしたが、翌明治十五年五月十二日、当時本教の何たるかを理解しなかった人々の手によって、怪しき祈祷の対象として没収されてしまいました。この時の事は、初代真柱様の『教祖様御伝』に次のように記されています。
  ○明治十五年五月十二日、石造甘露台二重没収せらる。(中略)
     差押物件目録
  一、石造甘露台  一個
     但シ二層ニシテ其形六角上石経二尺四寸した経三尺二寸厚八寸、(以下略)
 この思いがけない、否、人間の目にこそ思いがけなかったにしろ、親神様には何もかもご承知だったのでしょうが、神意の意図外に出たと見える出来事によって、世界たすけの神業は大きい予定変更に遭遇せざるを得ませんでした。親神様はおふでさき第十七号において、この弾圧に対する激しい残念立腹をお述べになると共に、然らばまず世界中の心を速やかに澄ます、そのために世界中の掃除を急ぐと仰せ下され、世界中の人間の心を澄ましたその上でかんろだいをお建て下さることに模様替えとなり、この時からおつとめのお歌も、
  あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい
とご変更になり、世界一列の人心を澄まして、然る後にかんろだいをご建設下さることとなりました。
 これぞいたずらに天佑をのみ頼る甘えた心から、一躍、自らの精進努力によって人心浄化を完遂して後、天よりのお恵みを頂けよ、との親神様のお慈悲であり、信仰的に申して一つの大きい躍進であり、飛躍向上でありまして、既成のかんろだいに非ずして、待望のかんろだいである。拝み信心、呪術的魔力的なものの一切をなげうって、真の道徳的な覚醒と、浄化の上にこそ、真の甘露が降るぞという、まことに本教信仰に画竜点睛された一大発展であります。
 当時のご変更の模様を古老の先生方の聞書について見まするに、高井猶吉先生の談として次のごとく記されています。
「かんろだい没収とおつとめの手の変わったことと関係がありますか」
との問いに対して、先生は、
「すますだけではいかん。すましてかんろだいと願え、とおっしゃったので、一れつすましてかんろうだい、と願うようになったのや。手は前と同じことやが、言う事だけが変わったのや」
と語られています。
 即ち、一列を澄ますべきかんろだいを取り払われたから、やむなく澄ましてから建てようという消極的な変更ではなくして、ただ天の恵みにのみ甘えて、手を拱いて一列をお澄まし頂くのを待つというのではなく、天意のあるところ人力の最前を尽くし、一手一つの全力を挙げて一列澄ます聖業を完遂さして頂いてから、かんろだいを建設さして頂くという、まことに力強い積極的な意義強調の変更であります。……


「みかぐらうた語り艸」p37
 ……ところが明治十五年に警察が来て、二段目までできていたかんろだいを取り払い没収いたしましたので「あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい」と改められたのであります。
 以上のおつとめの変遷がありまして、明治二十一年十月二十六日の本部開筵式から、朝晩のお勤めも、ただいま勤めさせていただいているように「あしきはらい……」二十一ぺん「ちよとはなし……」から「あしきをはらうて……」のかんろだいづとめとなったのであります。ところがまたまた「あしきはらい……」の二十一ぺんのお勤めも、明治二十九年の内務省秘密訓令によって再び止められることになりました。そして現在のように、二十一ぺんの「あしきはらい……」を勤められるようになりましたのは、大正五年の秋の大祭からであります。こうしておつとめにおいてすらも、道のふしと共に変遷をたどってきて、今日のおつとめとなっているのであります。……

註;上記「みかぐらうた語り艸」p37の明治二十一年以降の事柄で、『「あしきはらい……」二十一ぺん』と記載されているのは「あしきをはらうてたすけたまへ てんりわうのみこと」の事と思われるが、これが変更された事についての記述はない。
 また、「みかぐらうた語り艸」での、ここまでの歌に変遷については「朝晩のお勤め」として記載されている。

 

3;おうた作成の年表   トップへ
「おかぐらのうた」p644・645~と「みかぐらうたの世界をたずねて」p21から関連事項を年表とし、「改訂天理教事典」より参考として「おふでさき」執筆事項を加えた年表を作成した。

註;「改訂天理教事典」の「みかぐらうた」の項(p853)には明治八年までの記載はあるが、明治十五年のお歌の変更に関する記載は無い。
また、同書の「年表」(p980)には、明治15年・かんろだい石没収(5/12)と立合って、みかぐら歌の一部改まる(「いちれつすまして」)。としか記載されていない。

「お」は 「おかぐらのうた」上田嘉成著・「み」は「みかぐらうた語り艸」桝井孝四郎著・「天」は「改訂天理教事典」より関連する事項を示す。

年号 西暦 立教 教祖年齢 作成お歌 「みかぐらうたの世界をたずねて」p21;記載事項 「おかぐらのうた」p644・645~;記載事項 天;記載おふでさき事項
嘉永6年 1853 16 56   こかん、浪速の街で拍子木をたたきながら神名を流す。    
文久3 1863 26 66   辻忠作、妹くらの病に拍子木をたたきながら神名を唱えて平癒を祈る。    
元治1 1864 27 67   10月26日のつとめ場所棟上げの翌日、大豆越村の山中忠七宅へ向かう一行が大和神社の前で、鳴物を打ち鳴らしながら、神名を唱えた。    
慶応2 1866 29 69 あしきはらひたすけたまひてんりわうのみこと 5月7日、初代真柱、櫟本村梶本家の三男として出生。秋、「あしきはらひ……」の歌と手振りを教えられる。 10月・あしきはらいのおつとめ
○秋、小泉村の不動院の山伏乱入。直後、あしきはらひのおつとめ始まる。
 
慶応3 1867 30 70 一下り目~十二下り目 十二下りの歌と手振りを教えられる。 正月~8月・一下り目~十二下り目
○正月より八月にかけてみかぐらうた十二下りを制作し、以来三年間にお手を付けられる。
 
慶応4明治元年 1868 31 71   お手振りの稽古中、多数の村人が乱暴を働く。    
明治2 1869 32 72       おふでさき第1号(正月)第2号(3月)御執筆。
明治3 1870 33 73 ちよとはなし かみのいふこときいてくれあしきのことはいはんでな このよのぢいとてんとをかたどりて ふうふをこしらへきたるでな これハこのよのはじめだし なむてんりわうのみこと 「ちよとはなし」を教え、よろづよ八首を十二下りの歌の初めに加えられる。 この年・ちょとはなし
この年・よろづよ八首
 
明治6 1873 36 76   飯降伊蔵に命じて、かんろだいの雛形を製作。    
明治7 1874 37 77   前川宅に「かぐら面」を受け取りに赴かれる。月の26日(旧暦)には、お面をつけてかぐら、次にてをどりと、にぎやかに本づとめが勤められる。   おふでさき第3号(1月)第4号(4月)第5号(5月)第6号(12月)を御執筆。
明治8 1875 38 78 あしきはらひたすけたまへ いちれつすますかんろだい 6月29日(旧暦5月26日)、ぢば定め。「いちれつすますかんろだい」の歌と手振りを、また、をびや以下11通りのつとめの手を教えられる。 6月・いちれつすますかんろだい
○六月二十九日(陰暦五月二十六日)、かんろだいのぢば定め。直後、いちれつすますかんろだいのおつとめ教えられる。
○この年、をびや・肥・萌え出・雨乞い・雨あずけ・一子・むほん等十一通りのおつとめの手を教えられる。
おふでさき第7号(2月)第8号(5月)第9号、第10号、第11号(以上6月)第12号(初2首)を御執筆。
明治9 1876 39 79       おふでさき第12号御執筆。
明治10 1877 40 80   琴、三味線、胡弓の女鳴物を教えられる。2月5日(旧暦9年12月23日)、中山たまへ出生。   おふでさき第13号御執筆。
明治12 1879 42 82       おふでさき第14号(6月)御執筆。
明治13 1880 43 83   9月30日(旧暦8月26日)、初めて鳴物をそろえておつとめ。この年、初代真柱は中山家へ移り住む。   おふでさき第15号(1月)御執筆。
明治14 1881 44 84       おふでさき第16号(4月)御執筆。
明治15 1882 45 85 あしきをはらうてたすけせきこむ いちれつすましてかんろだい 前年の春以来、2段まで出来ていたかんろだいの石が、官憲によって没収、手振りはもとのまま、「いちれつすます」のお歌が「いちれつすまして」と、「あしきはらひ」が「あしきをはらうて」と改められる。 5月・いちれつしましてかんろだい
○五月十二日、奈良警察署長村上行業が来て二段まで出来たかんろだいの石を取り払う。その直後より「いちれつすます」が「いちれつすまして」と変わる。「あしきはらひ」は「あしきをはらうて」に
この年、おふでさき第17号御執筆。

 

 

 

補足;朝夕のおつとめと本づとめ   トップへ

「ひとことはな志 その3」p1
……御承知の様に教祖様は御昇天になります迄おつとめに早くかゝれとお急き込みになってゐたのであります。而しておつとめによって傍の人々との間に色々と問答されてゐる事がおふでさき、おさしづを通じて窺はれるのであります。教祖様は親神様の御命のまゝに其の本筋からおつとめをお急きになるのでありますが、傍の人々は、やゝもすれば人間心からそのために教祖様の御身にふりかゝる御苦労をおそれ、或は又おつとめの深い意義を悟り得ずに、兎角いづみ居る様も否めない事実であった様に思はれるのであります。
 此のおつとめを中心とした教祖様と傍の者との間に生じた解釈の相違、そこに教祖様が「ざんねん」「りっぷく」と仰言ってお急き込み下さるに至った経緯がある様に思はれます。
 然らば、教祖様がお急き込みになったおつとめとは何を意味されてゐるのか、又どんなものであるのかをお話申したいのでありますが、それに先立って、言葉の上につき一寸お話申しませう。
 私達はよく本勤のことを申します。これは常識から申しますと朝夕のお勤と区別して、かぐらつとめと十二下りの手踊りを合したお勤、言ひかへれば、今日祭日に神様の前でつとめさせて頂くお勤を指すのであります。が此の本勤の言葉はおふでさきには見出されないのでありまして、言はば傍々の者から、朝夕勤に対して本勤と称へさせて頂く様になったものゝ様にも思はれます。
 尚本勤の内わけとして、常識では、かんろ台勤と十二下り手踊りとよりなると申しましたし、又この二つは切りはなせないものである様にも考へる向もありますが、実際親神様の思召は、その間に判然とした区別がある様に思はれるのです。……


「みかぐらうた語り艸」p26
「あしきをはらうて……」「ちょとはなし……」「あしきをはらうてたすけせきこむ……」
 右三首のお歌は、朝晩のお勤めのお歌であり、また、これはかぐらづとめのお歌であります。本づとめについては、あとで説かせていただきますが、まず朝晩のお勤めについて話させて頂きます。
 朝晩のお勤めは、暮らしむきの上から考えますならば一番に肝心なことであります。日々にはご飯を食べなければ生命をつなぐことができない。だから、ご飯をいただくことは忘れられない肝心なことでありますが、それ以上に大切なことは朝晩のお勤めであります。……まずこれが、子供が親に対する勤めの第一に肝心なことであります。
……この親に対する子供のすがる心、願う心、これがお勤めであります。

「みかぐらうた語り艸」p38
本づとめとは朝晩のお勤めに対しての本づとめであり、かぐらのお面をおつけになるからかぐらづとめとも、またかんろだいの所でお勤めになるからかんろだいづとめともいいます。
  このよふをはじめかけたもをなぢ事 めづらし事をしてみせるでな 六 7
  このよふをはじめてからにないつとめ またはじめかけたしかをさめる 六 8
  このつとめこれがこのよのはぢまりや これさいかのた事であるなら 十五 29
 このお言葉のようにかぐらのつとめというのは、人間を初めておこしらえになった、その理をおつとめでお現わしになったものである。この人間を初めてこしらえた元の親神様であるからして、この悪気になった人間社会を、再び元の人間をこしらえた神の思わくの世界に造りかえるということは、なんでもないことではあるが、子供可愛い一条からそうもゆかないから、このつとめ一条によって、悪気な人間心を造りかえるとの思わくから、このかぐらづとめをお教えくだされたのである。だから、この本づとめに限っては、この人間を初めてお宿し込みくだされたぢばであるかんろだいのある所でお勤めになるものである。かんろだいというのは、ここで人間をこしらえた証拠に据えるのである、と仰せくだされてあります。……

 
 
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みかぐらうた 公刊本書換について

2018年10月09日 16時40分19秒 | 図書室

公刊本書換について

◆資料を作成するにあたって

「続ひとことはな志 その二」には、写本、私刊本、公刊本「みかくらうた」本一覧表と分けて

1:題名
2:年記又は刊行年
3:筆者又は著者、発行者等
4:内容順序
5:『教祖六十年祭記念本』(以下“標準本”と謂う)との比較
6:特色

としてそれぞれ書かれているが、p64からの公刊本1(明治21年本)と公刊本2(明治34年6月1日本)の

5:『教祖六十年祭記念本』(以下“標準本”と謂う)との比較

についてのみ記載する。しかし、コンピュータでは記載できない文字ばかりなので、書換が行われた文字と「注意を引くもの」とされるものの表から新たに表を作成記載する。

◆書き換えられた文字:(現在のひらがなに相当する文字)

【公刊本1:明治21年本】も、か、に、の、が、お、す、ひ等
【公刊本2:明治34年6月1日本】が、も、か、す、し、に、の、お、は、ば、な等

 

◆書換で注意を引くものの表
注意を引くものの表から:(公刊本1、公刊本2に対してそれぞれ別の表になっているものを合わせて作表した。[]はその公刊本の表にはないので標準本と同じと考えて、同じものを記載。文字はすべて現在のひらがなにした。)

節又は下り
公刊本1
公刊本2
標準本
第四節
いさみかけ [いさめかけ] いさめかけ
二下り
ねへ [ね]
四下り
[はや/\] はや/\゛ はや/\
五下り
させぬぞへ [さゝぬぞへ] さゝぬぞへ
六下り
[かうをも] かうを かうをも
七下り
おなじこと おなじこと おなしこと
十一下り
だん/\゛と だん/\゛と たん/\゛と
十二下り
[にほいかけ] にほひかけ にほいかけ
十二下り
とうりやうが とうりやうが とうりやうか
十二下り
とうりようがよにん とうりようがよにん とうりやうよにん
十二下り
[うかゞい] うかゞひ うかゞい
十二下り
[だん/\] だん/\゛ だん/\

◆他の公刊本との比較;(同書p64からの分類から)
参照リンク:「みかくらうた」本一覧表

1:公刊本3は、公刊本2と同じ。
2:公刊本4.5.6.910は標準本(公刊本8)と同じ。
3:公刊本7は当時の事情により特別に作成されたものである。(同書p93参照)

◆内容比較;(同書P84L12)より抜粋
 公刊初版本は、前川菊太郎名義にて東京にて発行されたもので、神道直轄として天理教会所が公認されたに従って、統一された歌詞の必要より、従来の私刊本の不要を省き、神名等を正し、順序を調えて発行されたものであり、従来“十二下り”の名称が普及していたに対して“みかぐらうた”の題名を付けた点に、当時の意図が窺われる。即ち第五節は歴史的には古くあり、又量的にはその大部分を占めるとは云え、“かぐらづとめ”の要素としての地唄であるとの理から考えれば、当然第一節に重点があり、量よりも理に重点をおいて採定されたと思われる題名には、意義深く感ずるところであり、神名の改称や附属部分の削除に至っては公認教会としての一歩を踏み出した新興意気を強く窺われるところである。
 尚初版本以前に東京にて印行された一本あり、それは私刊本(2)、又は私刊本(3)を台本として“天理王命”と改めたものであるが、公刊本であったか、私刊本であったか、資料不足のため、今日では裁定し得ない。
 再版本 明治三十三年十一月五日『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』のおさしづを仰ぎ、理をかえることなく字句を訂正の上、発行所を東京よりおぢばにかえて発行したものである。
…(おさしづ掲載)…
 初版本に父の筆でその頃の文法、又は仮名遣いに照して訂正し、父筆の版下で明治卅四年六月一日再版発行となっているが、何故か内容は同一で、奥付が次の二種になっている。
…(省略)…
 一は、相続人中山新次郎、他は相続人兼発行者中山新次郎、一は発行所が神道天理教会本部であるに対して、他は印刷人山澤為蔵となっている。
 第三版は、第二版第一種本の相続人の項が中山正善となっているだけで、他は全然同一である。即ち中山新次郎の出直によりその項を改めたにすぎない。
 第四版以降の本は、教会本部で使用していた父筆の台本に典拠したのであるが、第五節に於いて、二カ所文字が増減している。

 六下り目・9・かうを(第三版)・かうをも(第四版)
 十二下り目・5・とうりやうが(第三版)・とうりゃう(第四版)

註;(第三版)(第四版)とは公刊本3、公刊本5を示す。「みかくらうた」本一覧表(摘要)を参照のこと。

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みかぐらうた再版、解釈についてのおさしづ

2018年10月09日 16時37分15秒 | 図書室

みかぐらうた再版、解釈についてのおさしづ

十二下り及び解釈版行についての「おさしづ」
1、明治24年7月31日
2、明治25年1月10日
3、明治26年3月31日
4、明治33年5月31日
5、明治33年7月14日
6、明治33年11月5日
7、明治34年3月29日

註;1~3、5~7は「続ひとことはな志 その二」;p100に掲載

 

おさしづ文

1、明治24年7月31日
『炊事場普請御許しの願』
さあ/\尋ねる事情/\、尋ねる処さあ/\普請々々一条。今一時どちらもこちらも仮家、十分の処というは先になるによって皆仮家。あちらも取り払い、何時模様変えるやら分からん。今にして今に取らんならんやら分からんで。切り無し/\と言うてある。いつまでの長い間を見ては、どういうものと思て切り無し普請。一寸年限知らしてある。十分経ち切り、一寸掛かり掛け。皆掛け出し普請。あちらも不足、こちらも不足。不足やなけらいかん。十分分かりてあるによって、一寸仮家普請にして、明日日に建て替えせんならんやら分からん。日々の処、切り無し普請という心持って、どんな建て方でもどんな事も許し置くによって、何時なりと心置き無う掛かるがよい。

『同時、巽の角伊兵衞地所に三方へ石垣の御許し願』
さあ/\決まり、一寸仮の決まりも無けらいかん。一寸仮にあちらの石、こちらの石寄せ、出けたかというは、又崩さんならんやら。何時なりと掛かるがよい。心置き無う許す。

『同時、中山会長御居間古家取り払い御許しの願』
さあ/\何時なりと、すっきり十分許し置く。

『同時、おかぐら十二下り版木、前の分損じたるに付更に版木製作の願』
さあ/\まあ今の処、別にこうという事情、実際に持たず、そのまゝじっくとして置くがよい。

『押して、暫く見合わせ置く方が宜しう御座いますや』
さあ/\まあ/\今の処、そのまゝじいと用いて置くがよい。

2、明治25年1月10日
『神楽歌本再版致しましたものにや、原版をさらえて其儘使用して宜しく御座りますや伺』
さあ/\尋ねる事情、事情々々尋ねる処、さあ/\まあ一時改めてこうという、一つには前々以てこうという。又改めて急かにゃなろまい。そこはどちらなりと事情心次第に委せ置くによって、運ぶよう。又々、変わる変わらん、万事何か尋ねて。これ運んだる処は委せ置く。

『押しての願』
さあ/\その処はこうという処、これまでよきという処委せ置く。

3、明治26年3月31日(陰暦2月14日)
かぐらうた版行の御許し願
さあ/\尋ねる事情/\/\、続いて/\/\だん/\続く/\、心置き無う/\、事情急いでするがよいで。

4、明治33年5月31日
『松村ノブの五月三日のおさしづに、天然という御言葉を下された処に、如何の処の事でありますや、押して願(尚小人義孝夜分非常に咳きますから併せて願)』
さあ/\尋ねる事情/\、さしづあれど、事情どういう事もこういう事も、皆さしづ以て順序の理。所々それ/\皆んな治まりある。身上から又々尋ねる処、よく事情諭す。分からにゃ尋ね返やすがよい/\。これではとんと分からんと言えば、尋ね返やすがよい。中にも諭したる。又候々々重ねて尋ねにゃならん。さあ/\これ聞き分け。前々に天然自然と諭したる。天然自然というは、誰がどうする、彼がこうしょうと言うても出来ん。独り成って来るは天然の理。金でどうしょう、悧巧でどうしょうというは、天然であろまい。世上から見て、珍しいなあ。何処から眺めても成程、というは、天然に成り立つ理。この理聞き分け。思案してみよ。それより明らかは無い。この道理皆伝え。銘々治め。内々それ/\治め。それから始まった道。急いても出来ん、又しょうまいと思ても出来て来るは、天然の道と言う。よう聞き分け。どれから眺めても成程と言うは天然。これ聞き分け。身上案じる事要らん。案じる事要らんと言うたら、案じた分にゃならん。ついに案じる事要らんようになる。だん/\もう仕舞なったなあ、どうや知らんと言うて、又一つの理も取り直し/\、そら一つ肥するも同じ事。これ一つ理を悟ってくれにゃならん。

『押して、たゞ今おさしづを承りし処、今度中西牛郎に十二下り解釈を致させて居りますが、この件に掛かりますや願』
さあ/\尋ねる事情/\、それ天然と言うたるで/\。これ一つに悟ってくれ。何程発明利巧な智者や学者でも、行くものやない。たゞ言葉で八方という。未だ鮮やか分からん。急いた処が行かん/\。この道何も紋型無い処から、天より天降りて始め掛けたる道。誰も分からんから、天より天降りて始めた道。誰が掛かりたかて、そら分からん。そこで、どうしょうこうしょうと思たて、一時成るものやない。なれど、何年経ったて通り抜けにゃならん。どうで危ない所も、怖わい事もあろ/\。年限重ならにゃ出来やせん。だん/\道理から、だん/\ほんに珍しい事しよったなあ、悪い事も聞くなれどなあ、そうやないなあと、明らか重なりて往還の理と諭し置こう。

『押して、中西はそのまゝ仕事をさせて宜しきや』
さあ/\どういう事もこういう事も、皆あちらでもこちらでもする。これが誠や。それ/\出て来る。連れ戻ったる。怖わいと言うて来るものやない。皆肥や。どんな者もこんな者も、年限の内に立ち寄る。金銭出したとて雇われん。一つどういう、こういう、掛かりた処が出けん。どれだけ悪口言う者もある。言うた処がそら世上へ知らすのや。そこでぼつ/\掛かるがよい。この道具に使う。急いた処が行くものやない。ぼつ/\掛かるがよい。

『松村吉太郎五月十七日身上のおさしづにどんと治まって云々は、こたまの事情に掛かりたるように思いますが、こたまの件は如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、悪い者やなかった。善かろうと言うてしたる事はどうもならん。悪い者やなかった。悪い風に誘われ、余儀無い一時の道を失うたる。そこで、銘々親に代わって、心に掛かれば、心に掛からんように明らかして了うがよい。

『前川の方片付けたら宜しい御座りますや』
さあ/\片付けて了え/\。

『こたまの籍を引き取りまして宜しきや』
さあ/\どうも一時、どうしょうと言うた処が行こまい。悪い風に誘われ、取り損いはどうもならん。これまでさしづ及んだる。風に誘われたのは、銘々の恨みと諭し置こう。

『又梶本楢治郎昨年より分教会へ連れ帰り居るが如何致して宜しきや』
さあ/\尋ねる処/\、一つと言うや二つ。道理という、どうもならん/\。一人はどうもならん。こうと言うた処が、風に誘われ、又銘々思う存分、心を吐いた処が日々添わん。人に治める処は、治めにゃならん。放って置かれん。年限理を以て改めてやれ。心から改まらにゃ、改まりたとは言わん。口で言うた処が、心に改まらにゃ、真実改まったと言えん。これだけ諭したら、どんな事も分かる。

『押して、そのまゝ分教会に置く事願』
さあ/\どうも、さあ一時どうしょうと言うても、どうもならん。ほんの言葉一つで、今日から分ける事出けん。何か天然の道理持たにゃならん。天然はいつになっても、天然で通るだけは、どうでも連れて通る。これ聞き分けたら、怨むやない程に/\。銘々心恨みと諭し置こう。

5、明治33年7月14日
『天理教別派独立の件に付内務省へ書面差し出し置きし処、信徒を取り調べの事に対し、各府県より内務省へ種々の事申し込み有之、よって今少し確実のもの提出せば却って教会のためかと言われ、よって十二下りを郡山の信徒中西牛郎に解釈させて大綱を内務省へ出す事御許し下されますかと願』
さあ/\何か尋ねる事情/\、前々に一寸一時事情、いかな事情どういう処、高い所という。あれから一つ理合うたら何も言う事無い。高い所は世上の理である。この道というものは、どういう処から成り立った。遠い所高い所は何にも分からせん分からせん。一時に出来た道やない。細い道から出来たもの。そこで、もう遠からず道見えるで。心しっかり持って、皆んなの綺麗な心より働きする。働きせねば何にもならん。どんな者こんな者、皆綺麗な者。むさい事では何にもならん。
さあ/\もう、どうも一時ならん。道理から聞き分け。どんな大風、雨が降らん、旱水という。月日待っても降らん。どういう事こら何処から出来るものぞ。これも分からせん。又一時に吹き落され、一夜の間にはまりて了う事もある。これも何処から出来るか分からせん。よう考えてみよ。この元一つ、よう聞き分けてくれ。上さえさあと思うたらこれで結構、と思うなれど、この道は容易では行かん。容易では成り立たん。実というもの世界に治まりて、道理成り立ったら出来るもの。もう長い間やない。遠からず成って来る。俺が許した、彼が許した、という事は無い。独り成って来る。世界治めて居る者一人ある。始めて居る処へ、どうという処から、持ち出す。出すものは、どし/\出すがよい/\。隠し包みしてゝはならん。十分心に通り抜けたら聞く者ある。出抜けた者ある。あちら騒がしこちら騒がし、こちら聞いたら悪い、又あちら聞いたら善いと言う者もある。そこで、何よの事すっきりこちらからあちらへ耳の通り抜けた者に入れば、一時早業に火を移すようなもの。さあ/\心置き無う一時出すがよい。未だ/\掛かり掛け。独り分かりて来る。

『増野正兵衞、松村吉太郎明後日上京する願』
さあ/\尋ねる処/\、一日も早う出すがよい。

『ふでさきの処、大裏で建物して其処で調べをさして、その後別席場に用うるための建物の儀願』
さあ/\尋ねる処/\、それは道すがら道理ある。理に委せ置く。あちらから一寸、こちらから一寸、何か一つ/\道理無くば、成り立つものやない。よう聞き分け。何か、どうぞこうさしてくれ、と言うは、ならんと言わん。年限道すがらである。何よの事も道という心以てすれば、どんな事も許さんと言うた事は無い。さあ/\掛かるがよい。

『押して』
さあ/\どんな事も許す/\。

6、明治33年11月5日(陰暦9月14日)
『十二下り神楽歌本の是までの分、文字の違いを訂正の上再版致し度く御許しの願』
さあ/\尋ねる処/\、さあ理というもの、変えようにも変えられはせん。理を変えて道があるか。理を変えて居るもの世上にまゝある。この道聞き分け。文字抜き差し、上が下に、下を上に、言葉の理に変わり無ければ幾重の理もあろう。一文字でも理が変わりたら。堅く/\言うて置く。とても/\理を変わりては道に錆を拵えるも同じ事。一つの道具、そこに使う道具無かったら、皆んな揃うて居ても見て居にゃならん。どうでも一つの理を欠く事出来ん。つとめに手を抜いたる処あれば、心に唱えたら同じ事。すっきりと人間心で、こらどうそらどう、理を抜いたら、これは半文字もいかんで。

『押して、再版の事願』
さあ/\理の変わる事すっきりならん。理が変わらにゃ、上が下になるやら、下が上になるだけ。理が変わらんよう。

『十二下り解釈講社一般へ出す事の願』
さあ/\尋ねる処/\、今一時どうとは言えん。何よの事もじっとして居るがよい。今世界からどうやろうかこうやろうか、一つの気が立ったる。そこで理というものは、読みようで変わる。一時暫くこのまゝで行くがよい。世の中時々の道理変わる。世上の悪気、心変わる/\。変われば世界撫で廻しても、何処も優しきものやで。

7、明治34年3月29日
『本部十二下り再版する願』
さあ/\だん/\事情々々運ぶ処、改めて/\別に改める事無い。ほんにこれでは版使われん/\かと言えば、何度も仕替えにゃならん。変わらん事情一つの理にあれば、何時なりと許し置こう。

 
 
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みかぐらうた 5節 7~12下り目

2018年10月09日 16時32分15秒 | みかぐらうた

 

みかぐらうた 7~12下り目

 

[2004.1.16]

「天理教原典集」p733より訂正、修正
()内は私が追加

 

《第五節》

[七下り目]
一ッ ひとことはなしハひのきしん
   にほひばかりをかけておく
二ッ ふかいこゝろがあるなれバ
   たれもとめるでないほどに
三ッ みなせかいのこゝろにハ
   でんぢのいらぬものハない
四ッ よきぢがあらバ一れつに
   たれもほしいであらうがな
五ツ いづれのかたもおなしこと
   わしもあのぢをもとめたい
六ッ むりにどうせといはんでな
   そこはめい/\のむねしだい
七ッ なんでもでんぢがほしいから
   あたへハなにほどいるとても
八ッ やしきハかみのでんぢやで
   まいたるたねハみなはへる
九ッ こゝハこのよのでんぢなら
   わしもしつかりたねをまこ
十ド このたびいちれつに
   ようこそたねをまきにきた
   たねをまいたるそのかたハ
   こえをおかずにつくりとり
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[八下り目]
一ッ ひろいせかいやくになかに
   いしもたちきもないかいな
二ッ ふしぎなふしんをするなれど
   たれにたのみハかけんでな
三ッ みなだん/\とせかいから
   よりきたことならでけてくる
四ッ よくのこゝろをうちわすれ
   とくとこゝろをさだめかけ
五ツ いつまでみあわせゐたるとも
   うちからするのやないほどに
六ッ むしやうやたらにせきこむな
   むねのうちよりしあんせよ
七ッ なにかこゝろがすんだなら
   はやくふしんにとりかゝれ
八ッ やまのなかへといりこんで
   いしもたちきもみておいた
九ッ このききらうかあのいしと
   おもへどかみのむねしだい
十ド このたびいちれつに
   すみきりましたがむねのうち
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[九下り目]
一ッ ひろいせかいをうちまわり
   一せん二せんでたすけゆく
二ッ ふじゆうなきやうにしてやらう
   かみのこゝろにもたれつけ
三ッ みれバせかいのこゝろにハ
   よくがまじりてあるほどに
四ッ よくがあるならやめてくれ
   かみのうけとりでけんから
五ツ いづれのかたもおなじこと
   しあんさだめてついてこい
六ッ むりにでやうといふでない
   こゝろさだめのつくまでハ
七ッ なか/\このたびいちれつに
   しつかりしあんをせにやならん
八ッ やまのなかでもあちこちと
   てんりわうのつとめする
九ッ こゝでつとめをしてゐれど
   むねのわかりたものハない
とてもかみなをよびだせば
   はやくこもとへたづねでよ
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

註:「とても」の2行目は、「原典集」には「とても」と並列に記載されているが、校正ミスと判断して、字下げをして記載した。

 

[十下り目]
一ッ ひとのこゝろといふものハ
   ちよとにわからんものなるぞ
二ッ ふしぎなたすけをしてゐれど
   あらはれでるのがいまはじめ
三ッ みづのなかなるこのどろう
   はやくいだしてもらひたい
四ッ よくにきりないどろみづや
   こゝろすみきれごくらくや
五ツ いつ/\までもこのことハ
   はなしのたねになるほどに
六ッ むごいことばをだしたるも
   はやくたすけをいそぐから
七ッ なんぎするのもこゝろから
   わがみうらみであるほどに
八ッ やまひはつらいものなれど
   もとをしりたるものハない
九ッ このたびまでハいちれつに
   やまひのもとハしれなんだ
十ド このたびあらはれた
   やまひのもとハこゝろから
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[十一下り目]
一ッ ひのもとしよやしきの
   かみのやかたのぢばさだめ
二ッ ふうふそろうてひのきしん
   これがだいゝちものだねや
三ッ みれバせかいがだん/\と
   もつこになうてひのきしん
四ッ よくをわすれてひのきしん
   これがだいゝちこえとなる
五ツ いつ/\までもつちもちや
   まだあるならバわしもゆこ
六ッ むりにとめるやないほどに
   こゝろあるならたれなりと
七ッ なにかめづらしつちもちや
   これがきしんとなるならバ
八ッ やしきのつちをほりとりて
   ところかへるばかりやで
九ッ このたびまではいちれつに
   むねがわからんざんねんな
十ド ことしハこえおかず
   じふぶんものをつくりとり 
   やれたのもしやありがたや
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[十二下り目]
一ッ いちにだいくのうかゞひに
   なにかのこともまかせおく
二ッ ふしぎなふしんをするならバ
   うかゞひたてゝていひつけよ
三ッ みなせかいからだん/\と
   きたるだいくににほいかけ
四ッ よきとうりやうかあるならバ
   はやくこもとへよせておけ
五ツ いづれとうりやうよにんいる
   はやくうかゞいたてゝみよ
六ッ むりにこいとハいはんでな
   いづれだん/\つきくるで
七ッ なにかめづらしこのふしん
   しかけたことならきりハない
八ッ やまのなかへとゆくならバ
   あらきとうりやうつれてゆけ
九ッ これハこざいくとうりやうや
   たてまへとうりやうこれかんな
十ド このたびいちれつに
   だいくのにんもそろひきた
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 
 
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みかぐらうた 5節 1~6下り目

2018年10月09日 16時27分55秒 | みかぐらうた

みかぐらうた 1~6下り目

[2004.1.16]

「天理教原典集」p733より訂正、修正
()内は私が追加

《第五節》

[一下り目]
一ッ 正月こゑのさづけは
   やれめづらしい
二ニ につこりさづけもろたら
   やれたのもしや
三ニ さんざいこゝろをさだめ
四ッ よのなか
五ッ りをふく
六ッ むしやうにでけまわす
七ッ なにかにつくりとるなら
八ッ やまとハほうねんや
九ッ こゝまでついてこい
十ド とりめがさだまりた
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[二下り目]
とん/\とんと正月をどりはじめハ
   やれおもしろい
二ッ ふしぎなふしんかゝれバ
   やれにぎはしや
三ッ みにつく
四ッ よなほり
五ッ いづれもつきくるならば
六ッ むほんのねえをきらふ
七ッ なんじふをすくひあぐれバ
八ッ やまひのねをきらふ
九ッ こゝろをさだめゐやうなら
十デ ところのをさまりや
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[三下り目]
一ッ ひのもとしよやしきの
   つとめのばしよハよのもとや
二ッ ふしぎなつとめばしよハ
   たれにたのみはかけねども
三ッ みなせかいがよりあうて
   でけたちきたるがこれふしぎ
四ッ よう/\こゝまでついてきた
   じつのたすけハこれからや
五ッ いつもわらはれそしられて
   めづらしたすけをするほどに
六ッ むりなねがひはしてくれな
   ひとすぢごゝろになりてこい
七ッ なんでもこれからひとすぢに
   かみにもたれてゆきまする
八ッ やむほどつらいことハない
   わしもこれからひのきしん
九ッ こゝまでしん/\゛したけれど
   もとのかみとハしらなんだ
十ド このたびあらはれた
   じつのかみにはさうゐない
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[四下り目]
一ッ ひとがなにごといはうとも
   かみがみているきをしずめ
二ッ ふたりのこゝろををさめいるよ
   なにかのことをもあらはれる
三ッ みなみてゐよそばなもの
   かみのすることなすことを
四ッ よるひるどんちやんつとめする
   そばもやかましうたてかろ
五ッ いつもたすけがせくからに
   はやくやうきになりてこい
六ッ むらかたはやくにたすけたい
   なれどこゝろがわからいで
七ッ なにかよろづのたすけあい
   むねのうちよりしあんせよ
八ッ やまひのすつきりねはぬける
   こゝろハだん/\いさみくる
九ッ こゝはこのよのごくらくや
   わしもはや/\まゐりたい
十ド このたびむねのうち
   すみきりましたがありがたい
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[五下り目]
一ッ ひろいせかいのうちなれバ
   たすけるところがまゝあらう
二ッ ふしぎなたすけハこのところ
   おびやはうそのゆるしだす
三ッ みづとかみとはおなじこと
   こゝろのよごれをあらひきる
四ッ よくのないものなけれども
   かみのまへにハよくはない
五ツ いつまでしん/\゛したとても
   やうきづくめであるほどに
六ッ むごいこゝろをうちわすれ
   やさしきこゝろになりてこい
七ッ なんでもなんぎハさゝぬぞへ
   たすけいちじよのこのところ
八ッ やまとばかりやないほどに
   くに/\までへもたすけゆく
九ッ こゝはこのよのもとのぢば
   めづらしところがあらはれた
どうでもしん/\゛するならバ
   かうをむすぼやないかいな
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 

[六下り目]
一ッ ひとのこゝろといふものハ
   うたがひぶかいものなるぞ
二ッ ふしぎなたすけをするからに
   いかなることをもみさだめる
三ッ みなせかいのむねのうち
   かゞみのごとくにうつるなり
四ッ ようこそつとめについてきた
   これがたすけのもとだてや
五ツ いつもかぐらやてをどりや
   すゑではめづらしたすけする
六ッ むしやうやたらにねがひでる
   うけとるすぢもせんすぢや
七ッ なんぼしん/\゛したとても
   こゝろえちがひはならんぞへ
八ッ やつぱりしん/\゛せにやならん
   こゝろえちがひはでなほしや
九ッ こゝまでしん/\゛してからハ
   ひとつのかうをもみにやならぬ
十ド このたびみえました
   あふぎのうかゞひこれふしぎ
(なむてんりわうのみこと なむてんりわうのみこと)

 
 
 
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みかぐらうた 1~4節

2018年10月09日 16時24分20秒 | みかぐらうた

みかぐらうた 1~4節

[2004.1.16]

「天理教原典集」p733より訂正、修正
()内は私が追加

《第一節》
あしきをはらうてたすけたまへ 
てんりわうのみこと

 

《第二節》
ちよとはなしかみのいふこと 
きいてくれあしきのことは 
いはんでなこのよのぢいと
てんとをかたどりてふうふを
こしらへきたるでなこれハこの
よのはじめだし
(なむてんりわうのみこと)

 

《第三節》
あしきをはらうてたすけ
せきこむいちれつすまして
かんろだい

 

《第四節》
よろづよのせかい一れつみはらせど 
むねのわかりたものはない
そのはずやといてきかしたことハない 
しらぬがむりでハないわいな
このたびはかみがおもてへあらわれて 
なにかいさいをときゝかす
このところやまとのぢばのかみがたと 
いうていれどももとしらぬ
このもとをくはしくきいた事ならバ 
いかなものでもこいしなる
きゝたくバたづねくるならいうてきかす 
よろづいさいのもとなるを
かみがでゝなにかいさいをとくならバ 
せかい一れついさむなり
一れつにはやくたすけをいそぐから 
せかいのこゝろもいさめかけ
(なむてんりわうのみこと)(よしよし)

註:5首目の「事」は崩した字で入力不可のため、この字に書き換えた。

 

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「みかぐらうた」本一覧表

2018年10月09日 16時22分37秒 | 図書室

「みかぐらうた」本一覧表

「続ひとことはな志 その二」p98より

註;表内の[]内は、現在コンピューターでは入力できない字をそのまま記載しているので、それをひらがなに書き換えて表示した。

区分
題名
内容順序
摘要
写本1 村田本 
文久三年伝
拾弐下り御つと[めの]歌
2.3.1.4.5  
写本2 山中本 
慶応三年
天輪王踊歌写帳
5  
写本3 梶本本 
明治四年推定
天輪踊歌おんど
5  
写本4 桝井本 
明治七年
拾弐くたり[の]本
5  
写本5 喜多本 
明治十年
拾弐降り
5  
写本6 
明治十五年
御勤之歌 控
1.2.3.4.5.附表  
写本7 
明治十七年
天輪御歌
5 表紙に『梶本氏』とあり
写本8 岩崎本 
明治十七年
十二下り御つとめ[の]歌
2.3.1.4.5.附表 岩崎新兵衞筆
写本9 天元組本 
明治十五年以降
十二下り御神楽[の]歌
2.3.1.4.5.附表 表紙に『天元組第三号』とあり
写本10 飯田本 
明治十九年写
天輪王命 十二下り御勤の歌
2.3.1.4.5.附表 明治十九年七月十五日飯田卯吉写
私刊本1 
明治十四年
拾弐下り御勤之歌
4.5.2.1と3一首になったもの.附表 大阪天恵組発行
私刊本2 
明治十五年以降
十二下り御つとめ[の]歌
2.3.1.4.5.附表  
私刊本3 
明治十五年以降
十二下り御神[楽の]歌
2.3.1.4.5.附表 私刊本2に殆ど同じ
私刊本4 
明治十五年以降
(不明)
2.3.1.4.5.附表.他のおうた 『一子』、『おびや』等の特殊勤のおうたが終りにある
私刊本5 
明治十五年以降
十二下り御神[楽の]歌
2.3.1.4.5.附表 私刊本3に比し神名が変って来ている
公刊本1 
明治廿一年
御[か]ぐ[ら歌] 全
1.2.3.4.5 初版
公刊本2 
明治卅四年
御[か]ぐ[ら]歌 全
1.2.3.4.5 再版
公刊本3 
大正五年
御[か]ぐ[ら]歌 全
1.2.3.4.5 三版
公刊本4 
昭和三年
み[か]ぐ[ら]うた
1.2.3.4.5 結婚記念本
公刊本5 
昭和六年
御[か]ぐ[ら]歌 全
2.3.1.4.5 (註;本文p74では1.2.3.4.5) 四版
公刊本6 
昭和十一年
み[か]ぐ[ら]うた
1.2.3.4.5 『[お]うた』の中にあり
公刊本7 
昭和十四年
新修 御神楽歌
1.2.3.5但し三下り目、五下り目欠 小野靖彦執筆、森田義興仮名遣い訂正
公刊本8 
昭和廿一年一月
み[か]ぐ[ら]うた
1.2.3.4.5 教祖六十年祭記念本
公刊本9 
昭和廿一年十月
み[か]ぐ[ら]うた
1.2.3.4.5 公刊本8の普及本
公刊本10 
昭和廿五年
み[か]ぐらうた
1.2.3.4.5 願出教会へ配布本(祭典用)
備考『内容順序』欄の1、2、3、4、5は夫々第一節、第二節、第三節、第四節、第五節を示す。数字の順序は各説の順序を示す。

[2004.1.16作成]

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こうき本2 こうき話十六年本

2018年10月09日 16時19分08秒 | 図書室
こうき話十六年本

 ……次に、十六年本の一つ“桝井本”を紹介いたします。同じようなお話の羅列になりますが、比較されますと、だんだん内容が粉飾されてゆく様子がおわかり頂けると思うからであります。
 十六年本の様子につきましては、前にも申しましたように、『復元』第十五号に発表されてありますが、諸本の照合による校正を避けて、桝井本の姿のままを紹介することにいたします。これには他本との間に、御守護の説きわけに、順序を異にしている点がありますので、とりあえずそのままを発表することにいたします。……(「こふきの研究」p107より抜粋)

・データ化について

16年本(桝井本・5)内容

「こふきの研究」p108~140

【註・文中カッコ内は、桝井本(5)に欠けていて、意味が通じ難いので、上田本(20)宮森本(21)梶本本(22)喜多本(23)などによって補いました。の《補・○○本》としてあるのは、補った本を示すものであります。】
(文中の[1]などの数字は「こふきの研究」には無く、資料として使う上に私がつけた。)
指定の番号へ移動します。[ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
神の古記
[1]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 此の世は、元人間も世界も無く、泥の海ばかり。その中に、神と云うは、月日両人(居たばかり。此月様と云わ《補・梶本本22》)くにとこたちのみことと云う神なり。日様はわおもたりのみことと云う神なり。その中より、月様が先に居てた。国床を見定めて、日様へお談じなされ候には、
 「泥の海に、月日両人居たばかりでは、神と云うて敬う者なし、何の楽しみもなく、人間を拵え、その上世界を拵えて、守護をさせば、人間は重宝なる者で、陽気遊山を見て、その他何事も見られること」
と相談定まり、此の人間を拵えるには、種・苗代が要るに、道具雛型なくばいかん事故(註:ことゆえ)、道具雛型を見出すること。
 見澄ませば、ぎぎよと云ううをがいる。此うをは人ぎよとも云う魚、人間の顔で、鱗なし。肌は人間の肌。又見澄ませば、みいと云うしろぐつながいる。この者も、今人間の肌にて、鱗なし。この二人とも、心は真っ直で、正直なる者、此の姿、心を見て、これを引き寄せ貰ひ受けて、此の姿をも以て人間拵える種・苗代に貰い受け様と、相談まします。右両人引き寄せて、
 「此の度人間と(云者を拵ゑ度ニ付、其《補・梶本本22》)方(註:ほふ)の姿、心を以て、人間の種・(苗代《補・梶本本22》)に貰い受けて、」
仰せられ候えば、両人嫌うて、断りを申上ると言えど、押して貰い、
 「人間を拵え、世界を拵えその上は、此の世の一神に授け、人間の親神と拝ますことゝ、」
言うて無理に承知をさせて、貰い受け遊ばされて。
[2]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 それより、なによの道具、人間の魂、五体の道具雛型を見出そふと見澄ませば、泥海中にとじよふばかりおる。この者を貰い受け、食べ、此の味わい心を見て人間の魂とす。又見澄ませば、乾の方にしやちほこがいる。此の者に承知をさせて貰い受け、食べて心味を見るに、しやちほこ云ううをは勢い強く、変にしやくばる者である故に、男の一の道具に仕込みて、人間の骨の守護とす。又、巽方にかめがいる。これ貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は皮強く、倒れぬ者である故に、女の一の道具に仕込んで、人間の皮つなぎの守護とす。又、東の方にうなきがいる。これを貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は勢強く、頭の方からでも、尾の方へも出入りする者である故に、人間の飲み食い出入りの守護とす。これを五体とす。
 人間に、息、風を以て物を言わす道具雛型と見澄ませば、坤の方にかれがいる。此の者承知をさして貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は身薄(すき、味よき者で有、丸き《補・梶本本22》)ものや、角なるものでは風が出ず、身薄きもので扇げば風が出るものである故に、人間の息、風の守護とす。尚も人間の楽しみ、食物を第一に拵え置く道具を見澄ませば、西の方にくろくつないる。此の者を引き寄せ、貰い受け、食べて心味わい、姿を見て、此の者は勢強く、引きても切れぬものである故に、食物、立毛、地より生えるものゝ引き出しの守護として、一に使た道具なり。又、人間の生るふ時親子の縁を、死に出直しの時に縁切りの道具、見澄ませば、艮の方にふぐと云ううをがいる。此の者を貰い受け、食べて心味わい、姿を見るに、此の者は大食するもので、食べて中(註:あたる)ものである故に、人間の生き死にの時縁を切る守護とす。此の世のよろづ切るものに守護とす。
[3]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 これなる魚、道具とするを嫌う者を無理に貰い受け、人間を拵える相談を定めて、ぎぎよへしやちほこを男一の道具に仕込み、それよりくにとこたちの命との心を入り込み、男神で人間の種なり。みいへかめを女の一の道具に仕込み、それにおもたりのことの心を入り込み、女神にして、人間の苗代となして、此の屋敷のかんろたいのじばを神体(註:神たい)の中央として、北枕に寝て、九億九万九千九百九十九人の人数、三日三夜に南無々々と二人づつ宿し込み給う。此の事を以て、南無とはあうんのことなり。今人間も南無々々として居ることは良ことなり。南無と云うは夫婦のことなり。夫婦とは、天と地を象りて夫婦はじめた事なり。人間と云う名を付けたは、雛形の人ぎよと人間の良き事あれば、これを今にけんと云うことの残り、この二つの理を以て人間と名を付け給う事なり。
[4]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 東西と云う、西東北南と云うは宿し込みの時、北枕の西向きに寝た人間の本芯は目の事故、西向きを西と云う。西より目を東へ送る故に東と云う。ぎ様は先に起きて北向きになる故に北と云う。み様はあとより南向きに起きなされた故に南と云う。
 此世と云うは、夜から世ふ照らしなさる月様が先はじめ、夜から始まりた此の理をもって、此の世と云う。これ皆人間の言うことは、元初めの時人間を象りて名を付けた(事を云て居るなり。《補・梶本本22》)
 身の内は神のかりものなり。人間守護下さる神は、国とこたちのみ事、おもたりのみ事、この二柱の(神《補・上田本20》)は元の神、あとの八柱の神は人間を拵えるに付き、使うた道具衆に神名を授け給う。この十柱の神は、此の世の元の神なり。
[5]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
  此の訳左に
 くにとこたちの命は、天にては月様なり。この神は男神にして、御姿は、頭一つ、尾は一条(註:ひとすじ)の大龍なり。此の世界、国床を見定め給う。此の理を以てくにとこたちの命とゝ云う。又国を見定め給う故に国見定めの命と云う。人間を宿し込み給う時に、上より突くが故に月様と云うなり。月様が先に立つ故に日月とは云われず、月日と云う。三十日を又一月と云う。仏法にては、釈迦如来と現れ、仏法を授け給う。又、先に出でて法を始め給うにて、ぜんじゆう様と云う。人間身の内目の潤いの守護の神様なり。則(註:横に?)目は此の神様のかりものなり。
 おもたりの命様は、天にては日輪様、此の神は女神、御姿は頭十二の三条(註:三すじ)の尾に三つの剣ある大蛇なり。この神様は人間宿し込みたもう後は、日々に身が重くなる故に、おもたの命と云う。日々に理を増す故に日輪様と云う。尾に三ツの剣ある故に、此の理をあしきな女は邪険と今にても云うなり。頭十二ある一つの頭にて、十二月の間、一月づつ頭代わりて守護を事。日々代わりて守護。又、十二時(註:十二とき)つゝ頭代わりて、目を一時とす守護ある故に一ケ年を十二月と定め、一日を十二時(註:十二とき)と云う。十二支の方頭(註:ほふかしら)を取り巻きありて守護あり。此の理を以て十二支と云うなり。仏法にては三尊(?)(註:三づん)の弥陀如来、又、心澄んだる理を以て、勢至観音、大き見える故に、寛大とも云う。観音と云うも同じ理なり。人間の身の内温みの守護の神、又温みは此の神様のかりものなり。
 此の二柱の神様は、此の世の人間の実の親様。人間には此の世御照らしの如く入り込み、御守護なされ、故に、自由自在を叶うことなり。
 後なる神様は、此の二柱の神様の守護に依って、御働きあることなり。
 国さつちの命、この神様は天にては源助星、女神様なり。御姿はかめなり。かめと云うは、皮強き、地につきても踏ん張り強く、倒れぬ者で、土色なるの故、くにさつちの神と名を授け、女一の道具に仕込んだ故、亀甲(註:かめこ)の理を以て、おめこと云うなり。おなごと云うも同理なり。人間皮繋ぎの守護、仏法にては普賢菩薩、達磨大師、弁天、結びの神、黄檗山(註:おふはくさん)の神の守護なり。此の世の金つなぎ、または、よろづつなぎものは皆此の神の守護なり。人間の身の内皮つなぎは、(此神様の借ものなり。万づつなぎ物は、此神の守護なり。《補・梶本本22》)
 月よみの命様は、此の神は、天にては破軍星にて、男神なり。御姿はしちほこと云う。又、鯉のこせたる者も同ことなり。しちほこと云うものは、勢い強く、変にしゃくばるもの故に男の一の道具に仕込み給う。男の道具は此の理を以て、せいのこと云う。又、男と云うは、とこわ宿し込みのとき、突くが故に、此の理を以て月よみの命と名を授け給う。仏法では、八幡様と云う。聖徳太子様、此の神様の御守護なり。人間身の内骨の守護なり。
 (雲読之命《補・梶本本22》)、神様は、天にては朝明神の星となり。女の神にして、此の姿、うなぎなり。此の者は、頭の方へも、尾の方へも出入りする者で、つるつくものである故に、人間の飲み食い出入りに使うた道具なり。故に、くもよふみの命と名を授け給う。仏法にては、文珠菩薩、龍王、神農、薬師如来、水神様。此の神、飲み食い出入りは、此の神様のかりものなり。此の五柱神様の守護によつて、これを五体と云うなり。
 かしこねの命、此の神様は、天にては未申の方に集まる星なり。男神にて、御姿はかれと云うなり。此の者は身薄き者で、故に、人間の息の、風の道具に使うた。故にかしこねの命と名を授け給うなり。仏法にては、大日如来、円光大師様、此の神様の守護なり。人間の息此の神様かりものなり。息は風、風で吹き分けて物を言わすなり。
 人間身の内は、六柱の神が入り込みて守護を下さる故に、自由に叶う事故、これ全く、此の神のかりものなり。此の六柱の神様は南無阿弥陀仏なり。南無と云うは、目、温み。阿弥とは、皮繋ぎに、芯の骨なり。陀仏とは、飲み食い出入りに、息の事なり。南無阿弥陀仏と云うは、人間の身の内の事なり。これで身の内六台と云うなり。火と水は一の神なり。風よりほかに神はなし。息は風なり、風は神なり、如何なあしきも吹き払うなり。
 おふとのへの命、この神様は、天にては宵の明神の星なり。男神にて、御姿はくろぐつな也。此の者は勢い強く、引きても切れぬ者故、人間の食物、立毛、万物引き出しの道具に使うた神なり。引き出すには大綱が要る。又、引き出す者は玄人(註:くろと)と云う。何事にても、先立つてする者は、玄人云う名今にあり。此の理を以ておふとのへの命と名を授け給う。仏法にては、不動明王と名を授け給う。尚又、弘法大師、役行者、此の神様の御守護なり。故に百姓の神なり。
 たいしょくでんのみことは、此の神様は、天にては艮の方にあつまる星なり。女神にして、御姿ふくと云ううをなり。此の者は、食えば中る(註:あたる)ものである故、人間の死に生き、縁を切り道具に使た。ふくと云うもの、人間も大食すれば、寿命を無くなる。よく中る故に、此の理を以て大食天の命と名を授け給う。仏法にては、虚空菩薩、妙見菩薩、鬼子母、県さん、此の神様の守護に同じ事なり。此の神様は鋏にて、よろづ切る。
 (伊邪那岐の命、此《補・梶本本22》)神、天にて、天の川隔てにして現れある星なり。七夕様と云う。げぎよふ、または、人魚とも云ううをなり。此の者は今の人間なる様な姿にて、心も真っ直ぐなるもので、これを雛形として、人間の種に使たもの、これは人間の父様なり。この証拠に、伊勢の内宮様、天照皇太神宮、此の神なり。
 いざなみの命は、此の神様は、天にては天の川隔てにしている七夕様という星なり。女神にて、御姿は白くつななり。しろくつなと云うは、此の者も人間の肌にて、綺麗なる者、心も真っ直ぐなるもので、これを人間の苗代に使うた。これは人間の母親なり。此の証拠に、伊勢の外宮様、天照大神宮様は此神なり。
[6]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 天輪王命は此の十柱の神の総名なり。此の神様は無い人間拵えるに付使た道具なり。此の者を神となして、人間の身の内、此の神様の守護なり。此の外に、何の処つても、(何処を尋ても《補・梶本本22》)身の内より外に神はなし。此の世の神や仏と云うて拝ましていたれとも、皆人間が、紙や金や木をもつて拵えたものばかりなる故に、どうも紙や金や木の中へは神が入り込むことは出来ずもの、人間には皆神が入り込み、何の守護もする故に、人間に勝れる神がない事なり。
 此の度、天輪王の命と名を授け給うは、当年八十六才になる中山みき、此の者も、前部にある通り、若い時より、ただ、人をたすける心一条の者、此の心を月日しかと受け取り見澄ませば、此の者の魂と云うは、いざなみの命の魂を生まれさせおきた事故、四十六年以前に天降り、体内(註:しんたいとルビあり)を月日の社に貰い受け、心を天理に叶た故に、みきの代わりに此のやしきに天輪王の命と名を授け、又屋敷は人間宿し込み元のぢばの事故に、地め名に授け給うなり。
 此の事、皆(取次ゑ《補・梶本本22》)聞かし下さる話と云うは、右みき人間の心なく、何の覚えもなく、月日様入り込み刻限をみて四十六年以前より今日に至りても、神の御話ある事を取り次ぎのものへと(聞かせ被下事なり。《補・梶本本22》)元十柱の神の魂を、一に人間に生まれさせておきて、それに月日入り込み、人間月日の使うた一の道具なる。
[7]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 此の度迄は此たすけ、教える事出来ず、故に、これ迄世界中に、拝み祈祷や、易判断、医者薬、これは皆人間の修理肥に教えある事なり。
 これ迄に、人間の宿し込み相済み、又、人間生み出(したる《補・梶本本22》)人数の年限相過ぎ候。(故、元の神々の魂を《補・上田本20》)此のやしきへ生み出している。此のやしきは、人間宿し込み、三年三月留まりて、此のやしきより生まれ出るなり。此の世人間の親里なる故に、道具を貰い受けたる時に、人間の年限を経ちたならば、元の屋敷へ連れ帰り、陽気遊山を見て、楽しみ遊びをさせますとの約束ある故の事なり。故に、元の親を生まれさせおきて、その者を月日の社として入りこみ、たすけ教えるも、無い人間、無い世界を拵えたも、何の形もなくに拵えたは、六ツかしいことである。
[8]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 又、此の度たすけ始め教えるも同じ事にて、神の言う事は、これ迄に書き物にあることや、人間の知りてる事は言わん。これ迄ある事は、言うて教えるには及ばず。書き物にても無い事、人間も知らぬ事を言うて教えること故に、これ又むつかしい筈の事。
 此の世は月日両人の身体なり。天地抱き合わせの世界。人間は、月日懐に住ま居して居るものなり。それ故に、人間のする事に、月日の知らん事はなし。人間は皆神の子なり。身の内は神のかしものなる故に、他人と云うは更になし。皆兄弟なり。
 これ迄は、人間に病と云えば、医師、薬、拝み祈祷と云うていたれども、人間には病ないものなれど、人間には八つの心得違いの道がある故に、病の元は心からと云うなり。この八ッ心違いと云うは、ほしひ、おしみ、(恨み《補・梶本本22》)はらたち、かわひ、にくい、よくに、こふまん。これ八つの心得違いは身の内のほこりとなり、十五歳になる迄の子供のあしきは親のほこりを子に現れて意見する事なり。十五歳以上はあしき病や、不時災難、これ皆、その者は第一、家内中のほこり積もり重なる故、意見立腹。此の意見も憎さではなし、たすけたいから、心直す為に意見する事なり。此の親にたすけを頼むことならば、親の教えの道家内残らず、十五歳よりの、右八ッの心得違いを真実よりさんげして、此の後は、虚言(註:きよふげん)とついしょふ、よくにこふまんなき様にして、人をたすける心と入れ替えて願えば、その心を神が受け取りて、よろつたすけをするなり。
[9]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 尚、此の度かくらつとめを教えるは、これも、これ迄ないこと始めかけ、これは元十柱の神の姿の形を以て、かくら両人は、国常立之命に面足の命なり。男神、男の面を冠り、女神は女の面を冠り、つとめ手振りも、元の道具の雛形、形を学びをし、陽気遊山踊りをする事なり。この人衆十人、鳴物数九ツ以て神をいさめる事なり。人衆都合十九人にて、よふきつとめなり、よふきつとめをしてたすかると云うは、陽気遊山を見ようとて人間を拵えたる世界なり。依って元の姿を寄せて、共々勇むるに付、たすけるものは、たゝ、人間はそれを知らずして、人はどうでも、我が身さいよくばよき事と思う心は違うから、此の度のたすけ教えるは、あしきを払いて、陽気の心になりて願えば、神の心も人間の心も同じ事故、人間の身の内は神のかしものである故に、人間心を勇めば神も勇んで守護すれば、身の内あしきことはつとめ一条で、よろづたすけすると云うは、願い人は勿論、つとめの人衆も真実よりたすけたいとの心を以て願う事なり。
[10]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 人間、神のかしもの、身の内は、神の自由はおびやのたすけで思案してみよ。産の許しは此のやしきへ願い出るなら、腹帯要らず、凭れ物要らず、七十五日の毒忌みも要らず、身の穢れなし。常の通りに許す事、おひやたすけは、人間を拵えた神の証拠に、よろづたすけの道開けなり。
[11]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 又この先は、人間の心澄まして、何時迄居りても、病まず死なず、弱らずのたすけを教える。おびや自由、早めなりとも、延ばしなりとも、願い通り叶うようの守りだす。疱瘡せぬようの請け合いの守り、又は、悪難除けの守り出す。百姓のたすけは、萌え出(註:はゑで)の札、虫払い札、成熟の札、肥のさつけの札。肥やしのさづけと云うは、糠三合、灰(三《補・梶本本22》)合、土三合、都合九合調合して、肥一駄のたすけなり。これ皆守りは、千宛てつゞ、つとめにかけて出す。札は千枚つゝ一つとめにかけて出す。肥は百駄つゞ一つとめにかけて出す。これ皆かくらほんつとめなり。
[12]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 老母に赤き着物は、天照の如く、月日、天に現れて照らすは、両人の目なり。目は開く故に世界中明らかなり。それ故に、やしろの赤き故に、世界中は明らかなり。それ故にやしろ何の事でも見いるなり。それ故に他なる着物は着れば身が暗し故、着て居る事は出来ぬ事。此のやしろも同じ人間に候らえども、此の者は、元の親のいざなみの命之魂なる故に、何の処の者でもたすけたい、可愛いばかりの心なり。此の者を雛形として月日入り込み、たすけ教える事であるから、世界中の者、親里参り、親にたすけて貰おと思うて願うなら、又、此の親の心を雛形として心入れ替えば、たすけは勿論、善悪とも神より返しをする事間違いなし。
[13]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 人間拵えたのは此のやしきの中央にて、前の部にある通り、いざなぎの命へしやちほこを男の一の道具に仕込み、それに国常立之命を入り込み、どじよふ人間の魂として、いさなみの命へかめを女の一の道具に仕込み入れた。おもたるの命を入り込み給うて、人間の苗代として九億九万九千九百九拾九人の人数を南無々々と二人宛三日三夜に宿し込み、三年三月留まりて居りて、それより今の奈良、初瀬七里四方の間七日かゝり産み下ろし、此のぢばが神かたと云うのは此の処なり。残る大和の国中四日かかりて産み下ろし、これで十(一《補・梶本本22》)日がおびやあけと云う。山城、伊賀、河内、三ケ国十九日かゝりて産み下ろし、これ三十日をはんみやと云う。残る今の日本中四十五日かゝりて産み下ろし、都合七十五日の間かゝりて産み下ろし、これ故に七十五日の間はおびや中と云うなり。即ち、産み下ろし毎に親の息をかけて産み下ろしおく。このぢばは今の宮地の地場となりてある処なり。これにていさなぎ様は死亡する。
 此の人間生まれ出しては、五分より生まれて九十九年目に三寸迄成長して、皆死亡す。又、元の人数を同じ胎内へ宿り込み、十月目より、又、諸処へ産み下ろし廻り、この地場は今の墓所なりてある処なり。此の人間も五分から生まれて、九十九年目には三寸五分迄成長して、皆死亡す。一度教えたる守(護で、元の人数同じ胎《補・梶本本22》)内へ三度宿り込み、又、十月目より、以前の諸処へ産み下ろし、此の地場は今のはらてらの詣り所なり。これを一みや、二墓、三原(註:三はら)と云う参り所なり。
 此の人間も五分から生まれて、九十九年目に四寸迄成長す。いさなみ様はこれを見て、こゝ迄成長するならば、五尺の人間になると喜こんで、にいこり笑うて死亡なされ、また四寸の理と、につこり笑うた理を以て、生まれ出るところも二寸に四寸、死に行く穴も二尺四寸と云うなり。
 又、此の人間も親の後を慕うて、残らず死亡す。それより、鳥類、畜類、虫螻(註:むしのら)異形の者と八千八度生まれ替わりた。故に、今人間は何もの真似でも出来る事なり。
 此の年限は、九千九百九十九年目に死亡す。又、さるが一人残りいる。これはくにさつちのみことなり。此の胎内に、男五人、女と十人づゝ生まれ、此の人間も五分から生まれて、五分々々とだん/\成長して、又、八寸迄成長した時に、泥水、高低出来かけ、一尺八寸迄成長したに、子が親(となりて、元の人数生揃ひ《補・梶本本22》)水土分かりかけ、これより男一人、女一人と二人つゝ生まれて三尺迄成長した時に、天地海山分かりかけ、人間物を言いかけ、それで、今人間は三才で物を言いかけるなり。五尺成長する迄は水中に住ま居。五尺になる迄に、人間の成長に応じ、天地海山、水土速やかに分かりあり。
 人数九億九万九千九百九十九人の内、大和の国へ産み下ろしたる人間は日本の地に上がり、外の国へ産み下ろしたる人間は食物を食い廻り、唐、天竺の地上がり行きたものなり。
 此の年限九千九百九十九年之間水中の住まいす。地に上がりたるより四十六年以前迄の年限九千九百九十九年なり。此の内、六千年の間人間に神が入り込み、何事も教え来たる事なり。人間のする事を神が教えたる事は誰も知りたる者はない筈の事、人間を拵えても、これ迄人間に入り込んで、口を借りて教えたことは今初めの事故に、実に承知する者少なし。虚言(註;きよふげん)と思えば虚言となる。真(註;まこと)と思えば真なる。神の言う事は真実と思て願えば、拝み祈祷や、薬飲まいでも、話一条で皆たすかる事、これ証拠なり。
[14]  [ 1・2・3・4・5・6・7・8・9・10・11・12・13・14 ]
 又、かんろだいを建てておくは、人間宿し込みたるじばの証拠に、元の十柱の神の謂うわれ形を以て建ておくなり。又この先は、世界中の心澄みたるうえは、かんろふだいの上に平鉢に食物を供え、それにかんろふを与え、これは人間の寿命薬となる、との御はなしなり。
 人間には病なく、薬なく、毒もなくして、此の元は皆心から。人間は死に行くと云うていれども、死に行くでなし。身の内は神が退く事なり。死ぬると云うは、衣服を脱ぎ捨ているも同し事なり、神が教え給うなり。
(終わり)
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【データ入力にあたって】
(註1;文字をデータ化するについて、ひらがなの横に漢字を書くような書き方は出来ないため、横に書かれている漢字を用いて入力をする。また「ゑ」という表記は「へ」「え」に、「よふ」などの「ふ」も「よう」などの「う」に、「へ」も必要に応じ「え」とし、「ハ」「バ」は「は」「わ」「ば」とし、「わ」も必要に応じて「は」と書き換えた。)
(註2;文中の各註は漢字があてられた元の読み方又は字)
(註3:本文中に《重複》とあるものは削除した)
(註4:本文中に下線があるものには下線を施したが、傍点のあるものは傍点を附けられないので字の色を緑に変えて表示した)
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こうき本1 和歌体十四年本(山澤本・37)

2018年10月09日 16時08分54秒 | 図書室
和歌体十四年本(山澤本・37)
「こふきの研究」p56~73より
……先ず和歌体と説話体の両本を紹介することにいたします。
 和歌体は、明治十四年のもので、前回お話申したように、沢山の写本があり、歌の多少の差はありますが、『復元』第十四号で山澤為次氏のしるしているように、百六十首本と、百六十一首本の二首に結着するようでありますので、各写本の相違についての考証をを略して、『復元』第十四号にならい、山澤良助筆“明治十四年三月記之、山澤良助”と表記されている写本(37)を台本として、桝井本“此世初まりのお噺控え”(4)によって第百六十一首を補足して、紹介いたします。
 この山澤本は、おふでさきのように、一枚に八首の歌を、十六行に誌してあります。今、説明の都合上、歌の頭に番号をつけ、又、一枚を二頁に数えてこれを下方に記しましたが、勿論、これらの数字は、原本にはありません。また、原写本は、主として平仮名で誌され、脱字、誤写、漏写等ありますが、本文はそのままとして、右側に漢字を加え、また、訂正しておきました。神名等は、教典の例にならわず、原写本の用法をそのまま残し、側線をほどこしました。……(「こふきの研究」p56より抜粋)



和歌体十四年本(山澤本・37)内容

(註1;文字をデータ化するについて、上記のような書き方は出来ないため、横に書かれている漢字を用いて、入力をする。また「ゑ」という表記は「へ」「え」に、「よふ」などの「ふ」も「よう」などの「う」に、「へ」も必要に応じ「え」とし、「ハ」「バ」は「は」「わ」「ば」と書き換えた。)
(註2;文中の各註は漢字があてられた元の読み方又は字)

1、此の世は本元なるは泥の海 元なる神は月日様なり
2、それよりも月様先へ国床を 見定めつけて日様に談じ
3、それ故にくにとこたちのみこと様 此の神様は元の親なり
4、これからに世界拵え人間を 拵えようと相談きまり
5、人間を拵えるにはそれ/\の 道具雛型見出す模様を
6、見澄ませば泥海中に見えてある うをとみいとが混じりいるなり
7、このうをは顔は人間身体には 鱗なしなる人間の肌
8、それ故に人魚と云ううをなるぞ 見澄ますところ一条なるの
9、心見て承知をさして貰い受け これに仕込むる道具なるのは
10、見澄ませばしゃちほことて変なるの 勢い強き此の勢を見て
11、貰い受け食て了もをては此の者の 心味わい引き受けなして
12、男の一の道具に仕込みあり 人間なるの骨の守護
13、このうをにくにとこたちが入り込んで 夫婦始め人間の種
14、それ故に神名をつけて大神宮 これなる神はいざなぎの神
15、此の神は何処に居るとな思うなら 当年巳の十六才
16、存命で在しますなり此の神は 元のやしきの一の神なり  註;在します=(おわします)
17、みい様はしろぐつなとて肌合いは 人間なるの如くなるなり
18、この心真あ直ぐなるを見定めて これを引き寄せ承知をさして
19、又他を見澄ますれえばかめがいる このかめなるは皮強くにて
20、踏ん張りも強くて倒けぬ此の者を 承知をさして食て了うなり 註;倒けぬ=(こけぬ)
21、その心味わいを見て女子の 一の道具に仕込み給いて 註;女子=(おなご)
22、みい様へ日様心入り込んで 夫婦始め人間なるの
23、苗代に使うたこれで一の神 いざなみの神伊勢では外宮
24、此の神は人間なるの元の親 此の親様は何処に御座ると
25、思うなら当年巳の八十と 四才にてこそ山辺の郡
26、庄屋敷中山氏と云うやしき 存命にてぞ在しますなり
27、現れて在しますなり此の親は 此の世にいる人間の親
28、又かめは人間の皮繋ぎにも 使うた道具これに神名を
29、くにさつち此の神様は親様の 胎内こもり抱きしめ御座る
30、今年から三十年経ちたなら 名はたまひめ元のやしきへ
31、連れ帰りその上なるはいつまでも よろづたすけの守護下さる
32、つきよみはしゃちほこなりこれなるは 人間骨の守護の神
33、此の神は当年巳の六十と 一才にてぞ現れ御座る
34、くもよみはうなぎなるなり此の神は 人間の食い飲みの守護神
35、此の神は当年巳の五才にて 存命にてぞ在しますなり
36、かしこねはかれいなるなり此の神は 人間息の守護の神
37、此の神は当年巳の八才で 存命にてぞ在しますなり
38、たいしょくてんのみことはふぐなるぞ 此の者心味わいをみて
39、人間の死に生きの時縁を切る これは此の世の鋏なる神 註;鋏=(はさみ)
40、此の神は当年巳の三十と 二才にてこそ在しますなり
41、をふとのべ食物の神これ神は くろぐつなとて引き出しの神 註;食物=(じきもつ)
42、此の神は当年巳の十六 存命にてぞ在わしますなり
43、人間の魂なるは泥海に いたるどじょう此の心見て
44、皆の者承知をさして貰い受け 食てその心味わいを見て 註;食て=(くて)
45、此のやあつ人間魂道具なり これに皆々神名をつけて
46、人間の子数は九億九万人 九千九百九十九人や
47、此の年を経ちたるならばいんねんの 元のやしきへ連れ帰りてぞ
48、陽気なる遊山遊びをさしますと 月日様より約束をなし
49、今此処で元の神々人間で 皆存命で現れている
50、これまでは此の親様へ出るまでは 我が身体は我がものなると 註;我が身体=(わがからだ)
51、思ていた心違いや此の度は 親様よりの教えを聞いて
52、発明して真実心誠ふと 思う心は家内残らず 註;発明=(はつめ)、家内=(かなえ)
53、かりものは目へ潤いと温みいと 皮繋ぎいに芯の骨なる
54、飲み食いや出入りなるも息なるも これみな神のかりものなるぞ
55、此の事を疑う者は更になし これ疑えば御利益薄し
56、かりものを誠真実思うなら 何叶わんと云う事はなし
57、此のやしき人間創め元のじば 此処は此の世の親里なるぞ
58、此の世の元のやしきのいんねんで 元の道具を生まれ御座るで
59、それをばな見澄まし給え四十 五年以前に天降りあり
60、日々に御話しありたその事を 詳しく筆に誌るすなり 註;誌るす=(しゆるす)
61、人間の一の道具はかめなると しゃちほことふこれ身の内へ
62、これよりも九億九万と九千人 九百九十九人子数を
63、このじばで三日三夜に宿し込み 三年三月留まりありて 註;三夜=(三よさ)
64、これよりな大和の国の奈良・初瀬の 七里の間七日かかりて
65、産み下ろし残る大和は四日にて 産み下ろしありこれで神館 註;神館=(かみがた)
66、山城に伊賀・河内と三国に 十九日にて産み下ろしあり 註;三国=(さんがく)
67、そのあとは四十五日他なるの 残る国々産み下ろしあり
68、これ故に七十五日をびやちう 産み下ろしたるじばはみや/\
69、人間は五分から産まれ五分/\と 成人をして三寸にては
70、果てましていざなぎ様はこれにてぞ をすぎましますこの後なるは
71、いざなみのみこと様なりその胎に 一度教えた此の守護で
72、又親に元の人数宿り込み 十月経ちた事なるならば 註;人数=(にんじゅ)
73、此の人も五分から生まれ五分/\と 成人をして三寸五分で
74、果てまして又もや同じ胎内に 元の人数三度宿りた
75、此の者も五分から生まれだん/\と 四寸になりてまた果てました
76、その時にいざなみ様も喜んで にいこり笑うてもうこれからは
77、五尺の人にはなると思し召し おかくれましたその年限は
78、この年は九十九年の間なり 三度ながらも九十九年や 註;この年=(このねん)
79、二度目の産み下ろしたる場所は 墓所なり三度めは 註;墓所=(はかしょ)
80、三はらやそこで一みや二墓なり 三度三はらこれ詣り所
81、これよりは鳥獣や畜類に 八千八度生まれ更わりて 註;鳥獣や畜類=(とりけだものやちくるい)
82、それ故に人なるものは何なりと 真似を出来ます事であるなり
83、此の間経ちたるならばその後は 月日様より又御守護で
84、さるなるを一人残りこれなるは くにさつち様此の胎にてぞ 註;一人=(いちにん)、胎=(はら)
85、人間を男五人と女子を 五人と都合十人づつ 註;女子=(おなごふ)
86、宿まりてこれも五分から生まれ出て 八寸の時水土分かり
87、一尺八寸の時海山も 天地日月分かりかけたり
88、一尺八寸までは一胎に 十人づつ生まれてるなり 註;一胎=(ひとはら)
89、これよりは三尺まで一胎に男一人に女子一人と
90、二人づつ生まれてたなり此の人を 三尺にて物を言いかけ
91、これ故に今人間も三歳で 物も言いかけ智恵も出来ます
92、これよりな今に於いても一胎に 一人づつと定まりなりし
93、此の人を五尺なるに海山も 天地世界も皆出来ました
94、水中を離れ出まして地の上に 上がりましたるその時までに 註;水中=(みずなか)
95、成人に応じ食物立毛も 不自由なきよふ与えあるなり 註;食物立毛=(じきもつりうけい)
96、だん/\と食物にては食い廻り 唐天竺へ上がり行くなり
97、人間を授けた神の証拠ふは をびや一条現れてある
98、此の話し宿り込むのも月日様 生まれ出るのも月日御苦労
99、産む時の守護下さる神様は たいしょくてんこれなる神は
100、胎内の縁切る神で法華(?)様 をふとのべへの神様なるは 註;法華(?)様=(ほふけさま)
101、産む時に引き出しの神真言で 産み出した後しまい繋ぎは
註;神真言=(かみしんごん)
102、くにさつち此の神様は禅宗で この三神はあつけん明王 註;三神=(さんじん)
103、此の三神をびや一切御苦労て をびや許しは腹帯要らず
104、凭れ物七十五日此の間 毒忌み要らず此の産式(?)を 註;産式(?)=(さんしき)
105、許しあり常の身体で穢れなし をびや許しは此のやしきにて
106、許し出すこれは此の世の人間を 創めかけたる親のやしきで
107、此の許し三千世界此の世に 他にあるまい生まれ故郷よ
108、人間を宿し込みたるやしきなる 証拠現すたすけ道開け
109、人間に病と言うてなけねども 心違いの道がある故
110、此の道は凡夫(?)心に八ツあり ほしいをしいとかハいにくいと 註;凡夫(?)=(ぶんぶ)
111、うらめしとはらだちよくとこふまんと これが八ツの心違いや
112、此の違い身の内なるの悪しきいの 譬え話の胸のほこりや
113、此のほこり積もり重なるそれ故に 病悩みも憂災難も 註;病悩みも憂災難も=(やまいなやみもうれさいなんも)
114、何もかも身の内守護神様の 心なおしの意見立腹
115、一れつにてんりん様を念ずるは 八ツのほこり十五才より
116、今迄にほこりつけたと思う事 心真実さんげをいたし
117、ほこりさい速やか洗た事なれば 病の根えは切れて仕舞うで
118、他なるのよろづたすけも同じ事 家内残らず心澄まして
119、願うなら家内睦まじ人間を 互いにたすけ心あるなら
120、此の心神様より見分けして よろづたすけや御利益深く
121、此の世ふも人間なるも出来たのは 月日様より御守護なり
122、此の元を知りたるものは更になし 天は月様地は日様や
123、此の世界天地日月同じ事 地と天とは実の親なり
124、父母と云うのは天地夫婦や 南無と云うのも同じ事なり 註;父母=(ちちはは)
125、後なるは道具衆なり人間の 五体残らず神のかりもの
126、神様のかりものなるは一に眼 これは月様かりものなるぞ 註;眼=(がん)
127、身の内の温み一切日様の かりものなるやこれ南無と云う
128、皮繋ぎくにさつちなる神様の かりものなるぞ芯なる骨は
129、つきよみのみこと様のかりものや これで阿彌なり飲み食い出入り
130、くもよみのみこと様のかりものや これで五倫と五体と云うなり
131、息吹くはかしこね様のやりものや 息で物言う風で吹き分け
132、これこそはなむあみたぶと六台や つなる神様たいしょくてん
133、あとなるのをふとのべゑの神様は 立毛引き出し百姓の神
134、此の神を寄り集まりて御座る故 方位八方許します
135、この内に東三神女子神 西三神は男神なり 註;東三神女子神=(ひがしさんじんをなごかみ)
136、辰巳いはくにさつち様仏法の 普賢菩薩に達磨弁天
137、戌亥はつきよみの神仏法の 八幡菩薩聖徳太子
138、東はくもよみの神仏法の 文珠菩薩龍王神農
139、薬師様薬の守護すいしやも 書物文字智恵も御守護
140、坤かしこねの神仏法の 大日様に法然様と
141、丑寅はたいしょくてん仏法の 虚空蔵菩薩妙見様に
142、鬼子母神橋詰様と儒来(?)と 県様とは同じ方なり 註;儒来(?)=(じゆらい)、方なり=(こふなり)
143、西こそはをふとのべ様仏法の 不動明王に弘法大師
144、此のやしき人間創め元の神 在わします故よろづたすけを
145、此の世を創めてからに今迄は 此のたすけをば出来ぬ事から
146、これ迄は医者薬も人間の 修理肥にて拵えありた 註;拵え=(こしらへ)
147、これからは医者や薬も呪いも 拝み祈祷もいらん事やで
148、神々の拝み祈祷や占いや これ人間の恩の報じ場
149、神様の御話聞いて思案して 真実心叶うた事なら
150、何にても叶わん事はなけねども 心違えば薬飲むなり
151、人間は死に行くなぞと言うけれと 死に行くやないかりもの返す
152、返すのは身の内ほこり積もる故 身の内神が退きなさる
153、此の事を着物に譬え話する 心のよごれはらさぬ者は
154、洗わずば着てる事をが出来んから なんぼ惜しても脱ぎ捨てるなり
155、着物でもなんぼよごれてあるとても 水で洗えば着て気がよろし
156、人間も心のよごれはろたなら 神も喜び守護下さる
157、人間は死ぬると云うは着物を 脱ぎ捨てるのも同じ事なり
158、神様は話しばかりで人間の 心よごれを洗いなさるで
159、此の話水と神様同じ事 よごれたるもの洗い澄まする
160、たすかるも心次第やいちれつに 早く心を澄ます事なり
161、心さい速やか澄んだ事ならば 親様よりはすぐに与えを

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あつたかい図書室の移転

2018年10月09日 16時06分03秒 | 図書室
あつたかい図書室として長年掲載していたHPが来年使用不可となるメールが来ました。
HPの移転も考えましたが、ここへデータを移すことにしました。
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