婦人会創設に関するおさしづ 2
(2)
明治31年3月26日 (4巻2916頁)
『前日増野いとのおさしづより、婦人会の事に付おさしづありしにより、以後の道筋心得事情申し立て願』
(25)さあ/\尋ね掛ける処/\、これまでというものはどうもならん。(26)教は一つ理でありて、諭し一つ事情、これまで決まり有りて決まり無い。幾度も事情に差し詰まる理出ける。これまで何度諭したる。(27)又刻限にも諭したる。取りよう聞きようで分かり難ない。応法と言うて居て、心胆諭す理に無い。(28)元は元だけのこう無くばなろうまい。長らくそら尽して居る。尽して居りゃこそ、世界台となりて居る。(29)中に間違いどうもならん。何ぼう言うても心に間違えばどうもなろうまい。成りてからどうもならん。(30)そこで刻限というこの理諭したる。取り締まったる今日の日、これ聞き分けて万事先々いつ/\までも諭さにゃならん。(31)この道前生から今の世、又生まれ更わりまで諭す理である。すれば、元々始めたぢばという。皆んな治めにゃならん。めん/\だけ治めて居ればよいというような事ではならん。これは皆んな心に無いという。心が感じにゃなろうまい。(32)男女の隔て無く、一時に心澄み切りて通れば、男女の区別は無い。何名何人、こらどうもならん。(33)道具に譬えて話する。粗い事するものもあれば、細かい事するものもある。又中程するものもある。この道理分からねばどうもならん。よう聞き分け。(34)道急ぐ。早く事情、遠い所から寄り集まる処、ほこりという。めん/\さえ無くばよいではどうもならん。(35)これから話、男女の隔て無い。よう始めた道聞き分け。この道始めたは男か女か。これから悟ればどんな事も分かる。皆一つという。そらそうはいかん。(36)道具に譬えての話、細かいという、又中程という、又粗いという。彼はどうせいこうせい、一時伝えてないから分からん。(37)諭す事情これまでの事、もう/\始めるか始まらんか、もう出すか出さんか、思い/\日が経つ。(38)ほんのあらまし誰と彼とこうや、彼と誰とこうや。人間心の理である。これを聞き分け。(39)人間心は何程どうやこうや、今日までどうするとこうすると見許したる。見許したる処から話し掛ける。(40)最初掛かり、今日の日最初、(41)中程この理ちょい/\すれど、取り集めた事はない。これ聞き分け。(42)入り込み大切々々教の台とする。(43)不当の扱いは台と出けん。(44)そんなら不当せんと言う。(45)純粋通りてという中に、これも/\放ったる。どれも放ったる。めん/\肝心の理から分かりあろう。(46)年限の内には粗い細かい中程と言うて諭したる。(47)細かいはどういうもの、中程どういうもの、又粗いというはどういうもの、銘々事情に理持って、世界諭して居る。(48)中程というは、あちらもこちらも繰り上げ、皆伝えて理運び掛けたる。なれど、運び落ちある。(49)そこで、婦人会の台から、(50)又話々、(51)いつ/\待って居た処がならん。(52)心に浮かまん。(53)これ初め望む処、(54)この中三つ事情、(55)男の中にどんな理もある。女の中にどんな理もある。これ聞き分け。忘れ落ちありてはならん。(56)婦人会たすけ一条の道、(57)通りた道、万事見分けたら、感じは皆んなの心に湧くであろ。
『暫くして』
(58)さあ/\分かりありたらそら宜し。(59)分からんというは尋ね返やし、(60)分かる分からんの理から尋ねば、早く分かる。(61)又、見遁し/\、(62)又今度の回りと言うは、(63)何度でも同じ事、(64)くどう/\の話、何ぼうしたとて何もならせん。
『押して、元々艱難した者婦人会の中に古い者洩れ落ち有るか無いかという処話する処へ』
(65)さあ/\誰が洩れ落ち、彼が洩れ落ちは言うまで。(66)又他には言うまで。(67)このやしきの中暮らす中、出入りという。(68)道具は言うまで。(69)あちら働きこちら働き、理は一つなれど、(70)研究寄りたる中に、(71)どうか鮮やか明らか、(72)ほんに成程と、皆心に感じるであろう。
『又暫くして』
(73)何人幾人、男何人、幾人女、皆ある中聞き分け。(74)男の中にも下に居る、又中程にいるなれど、(75)女というは、下に埋れ/\てある(76)中に、(77)成程という処分かるやろ。
『又続いて』
(78)さあ話して置く。(79)とんと分からん。皆とんと忘れて了てる。忘れて居るから分からん。(80)皆下々と言うて下に働く。(81)今日は煮炊き事情、掃除場、(82)上も下も一つに成りたら、(83)中に同等の者もある。
『又続いて』
(84)それ研究と言うたるで/\。(85)どうもならん。(86)飯炊き掃除場から、(87)世上に繋ぎ、(88)飯炊き掃除場から、(89)互い/\まで尽して通りて、(90)これ一つ聞き難い、見難い。
『又暫くして』
(91)さあ/\まあ悠っくり話する。(92)とっくり見分け/\、とっくり聞き分け。(93)つとめ事情、鳴物事情/\掛かりという。鳴物掛かりという。何年数えて年を見よ。(94)先の学びから始め。(95)三人々々又控え、一人掛け替い、(96)赤衣一つ着せて始め掛け。(97)そういう処から聞き分けてみよ。(98)これもそうかえ、あれもそうかえ。話してない。(99)それから聞き分け。聞き分けたら成程分かるやろ。
『又暫くして』
(100)さあどうもならん。理が分からねばどうもならん。(101)よう聞き分け/\。(102)最初学び始めの日あろ。(103)赤衣着せて出た事ある。(104)ほんにそうか/\と分かる。
『上田ナライトの事でありますや』
(105)さあ/\これ/\/\分からん分からん。(106)もうどうでもこれから、(107)これで措いたら何も分からん。(108)元赤衣着せて学び三人、控え一人四人出したる。(109)この台日々の処、(110)結構中、(111)道の中にどうもならん。(112)同じ一つの飯炊き掃除には、(113)隔て無きと言うたる。(114)どうせいこうせい、幾度のさしづに諭したる事はないならこそ、(115)今に分からんのである。
『押して、おこと、おいゑの事でありますや』
(116)違う/\ころりと違う。(117)赤衣頂いた者やない。(118)赤衣着せた者、(119)人衆々々学びしたる/\。
『永尾よしゑなどの事でありますやろと話するうちに』
(120)分かりた/\、(121)道の理/\、分かりた/\。
『一寸してから』
(122)もうそれ分かりたら後々分かる。(123)さあ/\引き取ろ/\。
「おさしづと婦人会」p7~18
明治31年3月26日 (4巻2916頁)
『前日増野いとのおさしづより、婦人会の事に付おさしづありしにより、以後の道筋心得事情申し立て願』【大意】
(25)さあさあ、尋ね出ている事柄について諭そう。これまでというものは、この道の通り方について、神の思いを諭してきたが、それにもかかわらず、なかなか神の思うようには通ってくれなかった。
(26)この道の教えというものは、もとより神の理一つから成り立っているものであって、それに基づいて、いろいろの事柄に対する諭しもされているのである。ところが、今までは、そのようにすべての基となる、はっきりした決まりがありながら、それに基づいて事をはこぶことが、ややもすると、疎かにされていたのである。だから、これまで、いろんな事情が起こり、何度も行き詰まらなければならないようなことがあった。
(27)そのような事情が起こるたびに、幾度となく神の思いを諭してきた。またその上、旬々には刻限のさしづでも諭してきたのである。しかし、いくら諭しても、その受け取り方に人間思案を混ぜるから、肝心なところを悟ることができない。ややもすると、「世間に合わせなければー」と言っていて、心の底から神が諭すことを治めることができないでいる。
(28)この世の元であるぢばに勤めている者としては、それに相応しい心の治め方がなければならない。お前たちは、もちろん今日まで長らく道の上で勤めている。勤めておればこそ、世界たすけの台となることもできるのである。
(29)ところが、いくら長く勤めていても、神の思いに添わないような通り方があったのでは、どうにもならない。いくら神がたすけ一条の上から、いろいろと説き諭しても、お前たちが悟り違いをするというようなことがあれば、まったく意味のないことになってしまう。そんなことになってしまってから、いくらあわてても、どうにもならない。
(30)だからこそ、今まで旬々には、神の思惑を諭してきたのである。そして、特に今日という日を決めて諭しているのも、このためなのである。だから、こうして諭しているところをよく心に治めて、これからは、常にこのことを台として諭してくれなければならない。
(31)この道の教えは、前生のことから今世のことにまで及び、更にまた、生まれ更わりという将来のことまで諭す教えなのである。だから、ここが、この世の元であるぢばなのであり、そのやしきにいる者としては、皆しっかりと心に治めておかなければならない。そして、自分たちだけが心に治めていればよいというようなことではない。世間の多くの人びとにこれを諭していかなければならない。それなのに、人びとに諭し、人びとを救けるという心が皆の者にないというのが問題である。これではいけないので、この「ぢば・やしき」にいる者として、銘々に与えられた勤めを自覚しなければならない。
(32)もともと、こうした勤めの実行には、男、女の別というものはなく、すぐにでも神の理を聞きわけて、澄みきった心をもって通ったならば、男、女の隔てなくその勤めを全うすることができる。しかし、それを何人いても、皆同じことをすると考えるべきではないのであって、この点を、道具のたとえをもって話しておこう。
(33)たとえて言えば、一口に道具といっても、粗いことに使う道具もあれば、細かいことをする道具、また中ほどのことをする道具もある。それと同じように、その人の持場立場により違いがあるという道理を納得してくれなければならない。このことをよく聞きわけてもらいたい。
(34)神はこの道を早く世界につけるのを急いでいる。早く、そうしなければならないと、神が引き寄せて、どんな遠方からも皆このぢばに集まってきているのであるから、ほこりを立てるようなことがあってはならない。とかく、銘々自分の心にさえほこりがなかったならば、それでよいと思いがちであるが、そのようなことではどうにもならないので、世界のすべての人びとにもこのことを諭してやってくれなければならないのである。
(35)これからする話は男、女にかかわらず、よく聞きわけてもらいたい。この道を創められた経緯をしっかりと聞きわけてもらいたい。この道を創めた教祖が、男であったか女であったか考えてみるがよい。これから悟れば、当然わかることである。もちろん、隔てはないと言っても、それは全く同じということではない。区別がないということではない。
(36)前に道具にたとえて話をした通り、細かいことをする道具、中ほどのことをする道具、粗いことに使う道具というように、それぞれ道具という点では区別はないが、その使われる道によって異なるのである。つまり、その持場立場の違いというものがあるのである。その道具の理をよくわきまえて、彼はどうしろ、こうしろと言うべきであるのに、今のところ、それを皆に伝えていないから、自分の使命を自覚することができないのである。
(37)お前たちが神の思いを皆に諭してくれることを、神は「もう始めるであろうか」と、今か今かと待っていたが、そう思いながら今日まで日が経ってしまった。(38)お前たちは、だいたいの見当で、誰と彼とは「こうしてもらおう、ああしてもらおう」と役目の割ふりをしている。しかし、それは人間心でしていることである。このことを、よく聞きわけることが大切である。(39)人間心で、いくら「どうやこうや」と言ってみたところで、所詮は、神の思惑に添いきることはできないであろう。
今日までは、とかく人間心で、「どうするこうする」といって事を進めてきたきらいがあった、神はそれを見許してきた。こうして今までは見許してきたけれども、もう今日は、そのことについて神の思惑をはっきり諭そうと思う。(40)この道はじまった最初に思いをかえし、「今日の日が最初」というように、心を新たにして聞きわけてくれなければならない。
(41)これまでにも、この事をちょいちょい諭してきたが、まとめて諭したことはなかった。だから、よく聞きわけてもらいたい。
(42)このやしきに入り込んでいる者を大切に育ててこそ、教えの土台とすることになるのである。(43)不当な扱いをしていたのでは、教えの台とすることはできない。(44)それなれば、不当な扱いはしない、(45)神の理に添い切って通ると言う。しかし、そう言いながらも、人を育てることを、疎かにしていることもある。それではいけないのであって、今諭したようなことは、銘々が神の話の根本を思案するならば、自ずからわかることであろう。
(46)人により信仰年限は異なるが、その中にもまた、人それぞれにより、粗いこと、細かいことというように、持場立場の区別があるということは前にも諭したところである。
(47)細かいということはどういうこと、中ほどということはどういうこと、粗いということはどういうことと、銘々がそれぞれの持場立場についての自覚をもって通ってくれるようにと、世界に諭している。
(48)たとえば、中ほどということは、あちらもこちらも、上手く纏めて事をはこぶべきものであるなどと、それぞれの持場立場により、みな異なるということをよく納得させて事を進めていくようにしなければならない。そうは言っても、時には事を進めるに当たって、仕損ずることもあるであろう。
(49)そこで婦人会を話し合いの場とし、互いに練り合って、神の思惑に添うように事をはこんでもらいたいのである。(50)銘々が勝手に事を進めていたのでは、(51)いつまでたっても、神の思惑に添うこともできないし、(52)また理に添った考え方も心に浮かばないものである。(53)これが婦人会を開くに当たって、まず神が望んでいる事柄であるが、(54)それは、今まで、だんだんと諭してきた三つのことである。(55)男の中にも、どんな事をする者もある。女にあっても同じことが言える。だから、今諭してきたことをよく聞きわけて、忘れることなく通ってもらいたい。
(56)婦人会というものは、どこまでもたすけ一条の道という上から創めるものなのである。(57)銘々、これまで通ってきた道をよく見わけて互いに諭しあって通るならば、「ああ結構や有り難い」という心も、自ずから皆の心にうまれてくるであろう。
ーーー暫くしてーーー
(58)さあさあ、先ほど諭したことが理解(わか)ってくれたならばそれでよろしい。(59)もし納得がいかないところがあれば、尋ねかえしてくれるがよい。(60)理解ったのか、理解らないのかよく思案して、理解らないというところがあれば、再び神に尋ね出るようにすれば、早く納得のいくものである。(61)理解らない事があるのに、尋ねる旬を見のがし、(62)また今度聞かせて頂く時があるだろうと思ったりして、そのままにしておくようなことがあると、(63)神が幾度同じことを諭し、(64)くどく話をしても何にもならないことになる。
ーーー押して、元々艱難した者婦人会の中に古い者洩れ落ち有るか無いかという処話する処へーーー
(65)さあさあ、古くから艱難の道を通ってきた者で、諭し合いの場に誰彼が欠けているということも当然あるであろう。(66)年限の古い者でもそうであるから、年限の浅い者で、もれ落ちている者はずいぶんあるであろう。(67)このやしきに暮らしている者は、出たり入ったりして、人は替わるのが常である。(68)世界たすけの神の道具ということであれば、それは言うまでもない。(69)だから、あちらに出て働き、こちらで働く者があっても、理は一つなのであって、(70)しかし、それも研究会で皆が寄り集い、(71)談じ合うことによって(72)はじめて納得することができることであろう。
ーーー又暫くしてーーー
(73)このやしきに男が何人、女が幾人と多くの者が寄って勤めているわけであるが、そうして寄っている者みんなが、この点をよく思案してくれなければならない。(74)男の中にも、下積みの仕事をしている者もあれば、中程のことをしている者もいる。(75)しかし、女は殆どが、いわば下積みの目立たない仕事ばかりをしていることが多い。(76)そうした事実を考えてみても、それぞれが勤める仕事はちがっても、(77)みな大事な立場を守っているわけで、「なるほど」と得心ができるであろう。
ーーー又続いてーーー
(78)さあ、もう一言話をしておく。(79)これまで神の思いをいろいろと諭しているが、お前たちには、それがさっぱり理解(わか)っていない。話を聞いても、みなすっかりと忘れてしまっている。忘れているから、いつまでたっても理解らないのである。
(80)とかく、女は「女だから、陰の仕事をさせてもらう」などと言って、みな下積みの働きをしている。(81)たとえば、今日は煮炊き場、あるいは掃除場の仕事というように、いわば下働きをしている。(82)しかし、そうと決めてしまうのではなく、上の仕事とか下の仕事とかとわけることなく、勤めてくれるなら、(83)女の中に当然男と同等の働きをする者がある。
ーーー又続いてーーー
(84)以前に、互いに寄り合い研究をするようにと指図した。(85)それというのも、今のままではどうにもならないからである。(86)たとえ、飯炊きをし、掃除をしていても、(87)心は世間につなぎ、世界だすけの心で勤めなければならない。これが道の者のあり方である。
(88)そのためには、たとえ飯炊き、掃除場の働きをしていても、(89)その働きの中から互いに扶け合い、真実をつくすことが肝心なのであるが、(90)ややもすると、そのことを弁えずに、聞きにくい(註、聞き苦しいの意)、見にくい(註、見苦しいの意)通り方に陥ち込んでしまうものである。
研究し合うことを促した神の思いも、こんなことから出ているのである。
ーーー又暫くしてーーー
(91)さあさあ、それほど神の思いが理解り難いのならば、ゆっくりと話をしよう。(92)だから、しっかりと心に治めて、十分に見わけ、聞きわけてもらいたい。
(93)ここでつとめの事、特に鳴物の事について話をするが、鳴物を教えはじめてから、今年で幾年になるか。年限を考えてみるがよい。(94)今からすれば、かなり以前のことになるが、三曲鳴物の稽古をはじめた。(95)その時には、三名の者と控えの者一名が学んだのであるが、(96)赤衣を着せて始めたのである。(97)そうした事を通して、よく聞きわけてもらいたい。
(98)この話について、お前たちは「これもそうか、あれもそうなのか」というように、納得のいくまで談じ合っていないではないか。(99)だから、この点をしっかりと聞きわけられたらならば、成程と理解がつくであろう。
ーーー又暫くしてーーー
(100)これほど話をしているのに、まだ理解(わか)らないようでは、どうにもならないではないか。神が幾度も念を押して説いているのに、その神の思いが理解らないというようなことではどうにもならない。(101)神の言う事をよく聞きわけてもらいたい。(102)そのむかし、鳴物の稽古を始めた日のことを覚えているであろう。(103)その時には、赤衣を着せて始めているのである。(104)この事をよく思案したならば、「ああ、そうであったか」とわかるはずである。
ーーー上田ナライトの事でありますやーーー
(105)さあさあ、まだ理解らないのか。理解ろうとしないから、理解らないのである。(106)どうしても理解らないのならば、諭すのを止めようとも思うが、(107)これで諭すのを控えてしまったならば、それこそ何にも理解らないということになってしまう。だから、あえてくり返して諭そうと思う。
(108)最初、赤衣を着せて稽古をさせた者は、三人と控えの者一人の四名であった。(109)この事を台として日々のところを勤めるならば、(110)結構と思える道をあゆむことができるのであるが、(111)今の道を見ると、赤衣まで着せて稽古をはじめた事の理合いが理解されていない。それでは、どうにもならない。
(112)同じように、女の勤めとされている炊事や掃除にしても、(113)勤めという上から言えば、決して隔てなどありはしない。そのように話してある筈である。(114)これまで幾度も指図をしてきたが、それを、「どうせよこうせよ」というように、諭してなかった。(115)だから、いまだに形にとらわれていて、神の神意が理解っていないのである。
ーーー押して、おこと、おいゑの事でありますやーーー
(116)そうではない。それとは全く違っている。(117)赤衣を頂戴(いただ)いた者のことではない。(118)赤衣を着せた者、(119)以前につとめ人衆として、鳴物の学びをさせた者のことである。
ーーー永尾よしゑなどの事でありますやろと話するうちにーーー
(120)その通りである。(121)やっと理解することができた。ようやく道の理が判明ったようである。
ーーー一寸してからーーー
(122)それさえ判明れば、もはや後々の事も十分にわかるであろう。(123)さあさあ、この話もこのくらいで止めておこう。