婦人会創設に関するおさしづ 3
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明治31年3月27日 (4巻2923頁)
『永尾よしゑ身上願』
(124)さあ/\尋ね掛ける処、身上尋ね掛ける。身上こういう事どういう事、身上障り彼処に障り出掛けたる。皆出る尋ねる。まあ一時どういう事が出る、こういう事が出る。どうでもこうでも、身上から事情尋ねば、事情身上案じあろまい。又案じてはならん。身上尋ねる。事情身上に尋ねるに、よう聞き分けにゃなあらん。(125)何でもなき処、辺所遠く所、これ尋ねば尋ねる。(126)一つさしづ、(127)又一つ年限から一つ諭し掛ける。(128)万事の処、さしづ/\を突き合わせ、(129)さしづを以て丸めて了うて、反故同様にしてはどうもならん。(130)さしづありて、さしづ丸めて了うような事なら、さしづは要らんもの。(131)好きさしづだけこうと言うと用い、ならんさしづはそのまゝという。それではさしづ取って理と言うか。よう聞き分け。(132)どんな用あろうがあろまいが、手が抜かれんと言おうが、運ばにゃならん。(133)身上から諭したる。万事掛かるやろ。(134)身上切なみの処からさしづ出たもの。身上が変わらず、さしづ運ばにゃならん。(135)いついつにも聞かんではあろまい。いつ/\皆さしづあるのや。(136)なれど、取りようでどうもならん。(137)どうしょうこうしょう日々遅れ来たる。(138)時々理以て諭す。(139)なれど、一時諭しありたと、(140)さしづ取り掛けた。(141)取り掛けたら、これから朝あるとも夜あるとも分からん。(142)又刻限知らさんならん。(143)これまで諭そと思えども、一つも取れん。(144)日日運び方、いつまで放って置いてもそのまゝという。(145)いつまでも放って置いては、衰えるという。(146)これ一つ聞き分けにゃならん。(147)そこで、めん/\年限数えて、(148)世界見れば、(149)今一時の理でない。(150)前々運びから成りたる。(151)これから一時さしづ/\、(152)皆突き合わせ、(153)分からねばこういう処、(154)こういう悟り付いたが、(155)こういう処分からん。これはどうであろと、(156)尋ね返やして、(157)内々の処事情にて、どうでさしづありた。(158)身上の障りから、どういう処から掛かる、(159)皆運ばにゃならん。(160)事情はだん/\諭したい。(161)又夜々に諭したい。(162)なれど、筆取、取れる者あれば取れん者もある。(163)そこで伝える事出けん。(164)中にはおら聞いて居る、(165)おら聞かんというような事では、(166)三才の童児に相手になりてるも同じ事、(167)これから朝に一つ諭すやら、夜分に諭すやら分からん。(168)刻限さしづ、(169)その日から一日に持って、(170)これでこそほんにそうでありたかと、(171)改めて運ばにゃならん。(172)好き事だけ集め、(173)外の事はそのまゝ。(174)これでは勝手の理とはっちゃ言う理は無い。(175)勝手の理なら、(176)めん/\好いたようにするがよい。
『身上押して』
(177)尋ねる事情、身上は案じる事要らん。よう聞き分け。(178)何なりと/\、一つ事情無くば尋ねやせん。(179)尋ねるから諭す。(180)どうもならん。(181)刻限出る。(182)仕様が無い。(183)今日のさしづ、(184)古きさしづはどうしたやら分からんやろ。(185)そこで新しさしづ突き合わせ、(186)何したんやというような事埋もれてある。(187)前日諭したる。婦人会と言うて諭したる。(188)一時心という理分けて、(189)ほんにこうせにゃならんと、(190)男女言わん。男女区別無い。(191)気に合う者も合わさにゃならん。(192)間に合わん者は、辺所たる処で理が発しん。(193)不作なようなもの。(194)種がある。(195)めん/\それ/\、(196)日々取り次いで居れば同体の種である。
明治31年3月27日 (4巻2923頁)
『永尾よしゑ身上願』【大意】
(124)さあさあ、お前たちが尋ね出ているのは、身上障りについての神の思惑についてであろう。あちらこちらに身上障りがあらわれると、誰しもその神意を尋ね出るようになる。今の身上障りに際して、この上、更にどういう事が起こるか、こんな事があらわれてくるのではないか、などと案じる。こんな状態の中で、「何としてでも」と身上をきっかけに、そこに籠められた神意を尋ねることになる。それに対して、これから諭すことをしっかり心に治めてくれれば、身上障りは何も心配することはいらない。また、いたずらに人間思案であれこれ心配するようなことがあってはならない。身上障りについて尋ねているが、こうして尋ねている限り、それに対して神が諭すところを、よく聞きわけなければならない。
(125)たとえ特別な事がなくても、遠く離れた辺ぴなところから帰ってくる。そんな場合にも、尋ねることがあれば、尋ねるがよい。そうしたならば、指図をしよう。(126)その指図は、(127)その者が通ってきた年限に相応しく諭すことにならう。(128)だから、すべての事について神の指図を照らし合わせ、誤りなく心に治めてくれなければならない。(129)そうすることなく、その指図を書き取ったものを丸めてしまい、反故同様に扱うようなことがあってはならない。(130)せっかく指図しても、それを丸めて捨ててしまうようなことをしていたのでは、指図を願うというようなことはいらないではないか。(131)自分たちにとって都合のよい指図だけは、「神がこう言われた」と言って用い、都合の悪い指図はそのまま聞き流してしまう。そんなことで、指図を聞いた者のあり方と言えるか。この点をよく聞きわけなければならない。
(132)たとえ、どのような用事があろうが、なかろうが、あるいは、どんなに手が放せないほど忙しかろうが、指図を受けたならば、どうでも、その神の思いに添うように通ってくれなければならない。(133)このことを、このたびの身上から諭しているのであるが、それは、何事にも当てはまることであろう。(134)今は、身上苦しいところから尋ね出て指図があったのであるから、なおさらのことである。そうでなければ、身上障りは決してよくはならないであろう。どうでも指図した通り、はこんでくれなければならない。
(135)こうした神の思いは、今までにも聞かなかったということはないであろう。たびたび聞いている筈である。いつの指図においても諭してある筈である。(136)ところが、いくら指図をしても、その受け取り方で何にもならないということにもなる。(137)いたずらに人間思案で、どうしようかこうしようかと思い迷って、神の理に添うことが日に日に遅れてきているのである。(138)それではならないから、折にふれ事に当たり、神の思いを諭しているのである。 (139)けれども、お前たちが、今こういう諭しがあったと言って、(140)指図を心に治めるのならば、これから、神はいろいろに指図をするであろう。(141)それは朝指図があるか夜にするかわからない。(142)また、だいじな時旬も知らさなければならないと思う。(143)ところが、これまで神の思いを諭そうと思っているのであるが、お前たちは一向にそれを受け取っていないではないか。(144)日々の尽くし方、はこび方に対するせっかくの神の指図を放っておいても、少しも気にかかるところがない。(145)いつまでも、神の諭しを顧みず放っておいたのでは、それがだんだん意味がなくなっていくではないか。(146)このことをよく聞きわけてくれなければならない。
(147)それぞれ、よく、この道創まってからの年限を数えてみるがよい。(148)この道も、今や世界にかなり広がっている。(149)そうなったのも、今一時になったものではない。(150)前々から神の指図通りにはこんできたからこそ、今日の形姿になったのである。(151)これからも、その時その時に指図をするが、(152)それを互いに照らし合わせ、(153)判明らないところは談じ合い、(154)「ここは、こう悟ればよいと思うが」(155)「ここは、どう考えてもわからない」というように話し合ってもらいたいのである。(156)そして、どうしても悟りがつかないというところは、再び神に尋ね返して、(157)「内々のこういう事情に対して、こういう指図があった」(158)また、「身上さわりに対してはこういう指図があった、だから(事を解決するためには)どういうところから掛からなければならないか」(159)という神意を明らかにして、事をはこんでくれなければならない。
(160)今この際、どのように通るべきかについて、神はだんだんと諭してやりたいと思う。(161)毎夜でも諭してやりたいと思うのである。(162)しかし、筆取の中には、十分に書き取れる者もあれば、書き取れない者もある。(163)そのために、神の思いを伝えることができない場合も出てくる。(164)その結果、「私は聞いている」(165)「私は聞いていない」というようなことになったのでは、(166)三歳の子供を相手に話をしているようなものである。
(167)今後は、朝に出て諭すやら、夜に出て諭すやらわからない。(168)神がどうでも指図をしなければならないと思えば、なんどき刻限の指図をするかしれない。(169)その刻限の指図のあったその日から、神意を心におさめて、(170)「このように通ってこそ、神の理に添うことになるのか」(171)と心にしっかりとおさめて、通ってくれなければならない。(172)自分にとって都合のよい事だけを取り上げ、(173)そうでない事は、そのまま聞き流してしまうようなことがこれまでにもあったが、それではいけない。(174)そんなことでは勝手の理というよりほかはない。(175)あくまでも勝手気ままに通ればよい、(176)と思うのであったら、それぞれ好きなようにするがよい。
ーーー身上押してーーー
(177)尋ね出ている身上障りについては、何も心配することはいらない。それには、今諭していることを、よく聞きわけてもらいたい。(178)とかく、何か問題がないと、なかなか神の思いを尋ねようとはしない。(179)何かあると尋ね出る。尋ねるから諭すことができる。
(180)しかし、いつまでも、何かがないと尋ねない、というようなことではどうにもならない。(181)だから、これからは、刻限話によって諭そう。(182)とにかく、今のような状態ではどうにもならないのである。
(183)今日諭している指図にしても、何も事新しいことではない。前々から諭してもある。(184)しかし、以前に諭したことは、どうしたのやらわからない状態になっているであろう。(185)そこで、事改めて身上を台として指図をしたのである。この新しい指図を、以前の指図とよく照らし合わせて思案してもらいたい。(186)そうすれば、神の指図に基づいて何をしたかということが、埋もれて判明らなくなっていることに気がつくであろう。
(187)前日(26日)にも諭した。婦人会を創めよと言って諭したではないか。(188)この際、心を改めて、(189)「本当にこうしなければならない」と、しっかり心におさめて通ってもらいたい。(190)もちろん、このことには、男女の区別については何も言わない。男女の区別は全くないのである。(191)お前たちの間で、気が合う者であろうと、なかろうと、ともかく合わせていかなければならない。そのようにして、勤めてもらいたいのである。(192)ところが、それができず、間に合わない者は、辺ぴな所で、まさかの時に理が効かないことになってしまう。(193)それはちょうど十分の実りを見ることのできない、不作と同じこと。(194)何事にも、実りを得るためには、それなりの種子がある。(195)だから、銘々がそれぞれに、神の理を心に治め、(196)日々しっかり取り次いでいるならば、同じ理のはたらきを見る種子となるのである。