あつたかい ブログ 2

日々思った事、感じた事そして、親神様の御守護を書いて行きたいと思います。

公刊本おさしづより  3 おさしづ検索「三千世界」

2018年10月25日 09時51分48秒 | 図書室

おさしづ検索「三千世界」

1件のみ

1巻・337頁・12行
明治22年1月24日
『飯降さと身上障りに付伺』
さあ/\身上々々、身上に不足が出ける。尋ねる処、身上に不足さえ無けりゃ尋ねる事は無い。一時どんならん。どちらやらこちらやら、一寸今の今、一時いつ/\までも日々の事を言うて居る。いつ/\までも同じ事を思うて居る、子供の成人しっかり分かる。今はどういうものや。子供の成人楽しみに、日々に功を積んで居る。皆その通り、いつもいつまでも親の厄介になる者はどんならん。子供の成人三才までは手離しは出けん。神一条の道も、いつ/\までも尋ねてばかり居てはどんならん。辺所の所一人前の人間、三才までの理と同じ事。どんな者もたすけ一条、さづけ一条、だん/\渡してある。分かった上の理、分からん理を今まで運んでは何にもならん。皆よう聞けよ。だん/\の道、幾重の道、長らえて五十年の理を聞け。通りたる処、一時一つの身の障り、速やかと言えば速やか。心の間違いと言えば、どういう事も身の速やかなる理を、一つ諭せよ。なれども、治まりは一日、という事も十分治めて、怖わき恐ろしきこの理よう聞いて、いつ/\までも大抵一通りの理を聞けば、心を澄まし居る。心が澄まんから身の処が澄まん。身の内思やん定め。百十五才と楽しみとしたる処、縮めた処、嘘やと言って居る。百十五才縮めたる処、既に一つの道のため、既に一つの国のため、たすけ一条のため。日本国中やない、三千世界一つの理、始め出したる一つの理。既に丹精の理を失う。何であった。丹精重なる理、幾重重々であろうな。二十年三十年、元一つだん/\の日を了えて、世界より一つの理を運び来て、改めて十分の理を聞かす。あちらへこちらへ出すと言うてござった。なれども早く出さねばならん。今はほんになあ、一日の日を早く急いで掛かる。


 
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おさしづ 目次

2018年10月25日 05時41分07秒 | 図書室

おさしづ

  1. おさしづを読むに当たって
    1. 深谷忠政編「教理研究 事情さとし」より
    2. 公刊のおさしづについて  [2003.10.20UP]
    3. 私の読み方・思うこと
  1. 公刊本おさしづより 
    ご注意:html書式の文字数制限により、やむなく改行している所があります。ご了承下さい。
    1. 青年会創設 [2003.10.20 UP]
    2. 婦人会創設(「おさしづと婦人会」より大意を掲載) [2003.11.12UP]
    3. 検索「三千世界」 [2004.2.24UP]
    4. 検索「百年」 [2004.2.27UP]
    5. 検索「親族」 [2004.11.3文欠落を訂正]
    6. 検索「明治32年2月2日夜」 [2004.3.16UP]
    7. 関連「悪が添い、天理教会、」 [2004.6.20UP]
    8. 検索「地震」 [2004.11.3UP]
    9. 検索「大風」 [2004.11.5UP]
    10. 検索「大雨」 [2004.11.5UP]
    11. 検索「金銭」 [2005.2.4UP]
    12. 比較表「おさしづm30.8.14とm31.8.14」 [2005.2.5UP]
    13. 検索「道の台」 [2005.2.15UP]
    14. 親について;いずれだん/\と
  1. 番外
    1. おやさまのお言葉 [2004.2.1追加UP]
      ご注意:これは出典も編集者も不明です。コピーをしているのをもらったものです。その点を理解してご覧下さい。他に同じような文献がありますが、中の文字が違っていたりしているようですので、あくまでも参考に止めて頂くようお願い致します。
  1. 解釈・大意の検討
    1. 青年会創設
    2. 婦人会創設
    3. 親について
    4.  
現在の所感 [2003.10.20up]
 
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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 7

2018年10月25日 05時34分47秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 7

(7)
明治31年10月26日   (4巻3124頁)
『桝井安松身上歯の痛み願』
(411)さあ/\尋ねる事情/\、いかな事情も尋ねにゃ分からん。前々一つ、ようこそ尋ねたなあと諭したる。(412)治まれば身上治まる。(413)古い処の理、(414)一日なりと楽します/\。(415)これ一つ、後は一つ。堪えられんと言うであろう。(416)一時一つ事情、後一つ小人という、だん/\事情、(417)内々の事情であろか、道の事情であろか分からん。尋ねる。(418)分かるように諭す。皆双方の理も分かる。よう聞き分け。(419)長い話に伝え置く。(420)年限の間、それ/\皆んな日々順序の道考え思やんしてみよ。(421)婦人会の理、婦人会を始め掛けた。(422)これはめん/\一つ思えば、一時どうなる。(423)事情の道と言えば楽しみ。(424)身上は楽々と言うて、長らえての道、長らえての苦しみ。(425)未だや/\年限余程身を苦しんで、(426)年限長い間、どうなる知らんと思うた日もある。(427)さしづに基づいて日を送り、(428)楽々と使わして貰うた。(429)日々取次出る中である。(430)又一時掛かる/\、(431)身上に掛かる。(432)さしづに順序、(433)中に何名取次何名中何人(434)この理を取り調べて、(435)心に関心の理を治めにゃならん。(436)この道どういう事から成った。(437)男女隔て無い。(438)一つの台にして始め掛けた。(439)この理がとんと分かり難ない。(440)この道の始めた教祖一代の処は女、後席は男。(441)男女の隔て有るか無いか。(442)この順序の理、(443)日々取り次ぎ、男女の隔て無い。(444)今日入り明日入るような者には、どうせいこうせい言えようまい。(445)道無き理はあろうまい。(446)無理に入ろうと思うても、入れるものでなし、(447)入れようと思うても、入れられるものやない。(448)隔てる理は無きもの。(449)取りよう聞きようの理、(450)又一時の理、又分かり難ない。(451)めん/\さえこうと言えばこう、(452)誰がこうと言う者は無い。(453)よっく聞き分け。(454)心又一つの理が治まらねば、尋ね返やすがよい。(455)ほんにこうとめん/\からこうすれば、皆んな心を寄せてくれる。(456)入って長らくの道と言えば、(457)日々取次の中、(458)こゝらから相談せにゃならん。(459)相談すれば、こう/\言わねばならん。(460)めん/\からこうすれば、(461)それはいかんと言う者はあろまい。(462)上から下を育てにゃならん。(463)一日でも早く入りた者は、(464)育てる理が無くば聞き流し、(465)思い違いなら、(466)育てにゃならん。(467)思い違い/\、(468)これから綺麗な順序聞き取ってくれにゃならん。(469)上の理寄って聞き取ってくれにゃならん。

『押して願、おことの事でありますや』
さあ/\尋ねる処/\、まあ年取れた者/\。そりゃ今一時の処、ならんと言うやない。今替わり/\゛替わり番/\。それはならんとは言わん。休息所々々々、結構々々、当分の一つの当番、当分日々の順序、もう程無う日が移る。どういう役はどういう役。程無う教祖存命順序、楽しみ移って、一つの理、又程無う替わって、一つ楽しんでくれにゃならん。
さあ/\未だ/\順序諭す。書取々々の理、筆に記したる。書取の理清書、こういう理の諭しであった、どういう事やら答が無くばならん。どうも、道理の道が鮮やかならん/\。日々寄り来る中に、取次何人あるか。人数改めてみよ。何人あっても、出て働いて居る者もあろ。順序替わりて働いて居る。そんならすっきり揃うは、年分に何ぼうも無い。大祭と言えば皆揃う。間は用がある中に、よう聞き取ってくれにゃ分からん。日々別席皆んな諭する中に、どういう事諭する者もあれば、こういう事諭する者もある。未だ一時は定めが有って定め無い。日々取次、別席言わにゃならん理言わず、言うわいでもよい事言う。早く取り揃えて一つ順序という。


『教長へ別席の順序願』
さあ/\別席というもの、これ始めた時から理を以て始めた。最初一席三名、だんだん始め掛け。取次三人、書取一人、筆は三人にまで許してある。取次どうもならん。思い/\勝手を言う理がありては、欠けて了う。近い所何程の事がある。遠い所より席と言うて、教一つ楽しんで来る。先々信徒心を揃えて来る。大抵やない。皆んな揃うて来る中に、数えられん。それ/\゛心運んで、連れ戻る理を治めて来る。日々席さして、遠く所を戻りて来る。栄える元という、栄える順序の理、取次から始める。取次、人を改め/\。何人の中に何人ある。席一日遅れる二日遅れる中に一つ思いやらにゃならん。特別何席、十分運ばしてある中に一つの心の理を思いやらにゃならん。区別掛け隔てあってはそも/\という。遠く中を連れ帰りてそもそもでは映し難くい/\。一日に何席するという。成程々々という理が治まる。今日は何する、道の理を諭す。道具に譬えて話す。要るものによって違う。道具を持って居てどうもならしょまい。さしづは台。取りようという、聞きようという。清書して、この理があったと言えば、一々届けにゃならん。めん/\ばかり道理治めるのは、仕難くうてならん。心の理を積み立てゝはどうもならん。年中に席の休む日は、何日あるか。何時でも勤めさしてある。席が無くては満足与えられようまい。余儀無く席が休まにゃならんようになる。
さあ/\こうして話し掛けたら胸に嵌まるで。めん/\合点行くまで尋ね返やし、一時でも、二時でも、神は退かんで/\。

『押して』
さあ/\尋ねる処の理が治まれば諭しよう。取次何人ある。日々楽しんでこそ取次取次。皆そも/\、一日休み、三日になり、鮮やかならん。苦しいからや。何人別席、やしき何人ある。役員の中、やしきの中で今日明日に上ぼって運ばりゃしょうまい。皆々の理ではありゃしょまい。昨日や今日、一つ運ばしょまい。同じ一つの理を以て通れば、同じようにせにゃならん。むさくろしい/\。
一寸話し分かり掛ける/\。取次一条の話、一寸話し分かり掛けた。取次同時同格同様、同格外れて同じ理とは言わさん/\/\。

『押して』
さあ/\分かったか/\。女と言うてならん。女は入れてない。今日から入りて勤まらん者は、同格とは言わん。同格同様の使いである/\。

『押して(女)』
さあ/\道理を以て話し掛けるから道理を諭す。満足という理を知らんか。日々嬉しい満足の理を知らんから、この理分からん。この理が分からねば、何名何人のうち、外れのようなもの。今日は余儀無くどうもならん。余儀無く勤まるか勤まらんか。満足という理分かりたか。分かりたら分かりたと言え。
さあもう一声々々、どういう理を話する。身上から事情尋ねる。こういうさしづあったとて、皆んなそれ/\の中から、何処にどういう理あるまいかも知れん。世界身上から寄せる。楽しみなか/\の理、たゞ一つの何でもなき者なら、尋ねただけの理を諭す。又一つ深き/\の諭する。楽しみ一つの理である、と、順序一つの理をさしづして置く。


【(7)大意 】

「おさしづと婦人会」p43~46(本文1のみ)

明治31年10月26日   (4巻3124頁)
『桝井安松身上歯の痛み願』
(411)さあさあ、尋ねている事がどんなものであれ、尋ねなければ神の理はわからないであろう。前にも、「ようこそ尋ねたなあ」と諭したことがあった。(412)事情が治まれば、身上の方も治まってくる。(413)むかしの事情について理を諭し、(414)たとえ一日でも楽しませよう。(415)これ一つはいいとしても、あと、もう一つの事情がある。それについての悩みは容易ではなく、耐えられないと言うかもしれない。(416)ここでいう一つの事情、つまり、あと一つの事情というのは、子供の事情であって、それが次第に難しくなってきている。
(417)そして、それが内々の事に対する問題なのか、それとも、広く道の上の問題であるのかわからなくなってしまっている。だから、尋ねているのであろう。(418)ここで、それを理解り易いように諭そう。そうすれば、みな、内々のものと、道の上の事と両方にわたる神の理もわかってくるであろう。よく聞きわけるがよい。(419)ちょっと長い話をして伝えておく。(420)これまでの長い年限の間、それぞれがみな、神の理を聞きわけ、手を引かれるようにして、一歩々々と歩いて今日に至った道すがらを考えてみるがよい。
(421)婦人会に対する神の思いを明かし、婦人会をはじめかけたのも、その順序の道の一つである。(422)銘々が、これまでの道すがら一つをとって思案してみれば、一時はどうなるかと思ったこともあったであろう。(423)難渋な事情の中を神の理を見つめて、いさんで通ることは、さきざきの楽しみであり、(424)「身上苦しい中を、道を求めてこそ、楽々のご守護を頂ける」と言って、長い間、苦しみの中を通ってきた。(425)そうして、ずいぶん長い間、「まだよくならない。まだご守護頂けない」などと言って、身上苦しんで通り、(426)「もう、どうなるのか、わからない」と思案に余った日もある。(427)しかし、そうした中も、指図したところに基づいて、日々通ることにより、(428)「あとから思えば、楽々と身上つかわせてもらった」ということになるであろう。
(429)日々取り次ぎに出る中にも、(430)いろいろな事情が出てくる。(431)身上にかかることもある。(432)これまで指図したところに従い、(433)何名か定められている取り次ぎの者がいる中に、(434)こうした身上や事情をもっている者が何人いるかを、(435)きちんと取り調べて、そうすることによって、神の理の取り次ぎという理について、心に銘記することがなくてはならない。
(436)いったい、この道は、どういうことから成ったと思っているのか。(437)そもそも、男女の隔てはないのである。(438)この道は世界一れつ救けたいという神の思いを根本にして始めかけた道なのである。(439)それなのに、お前たちには、そのことが全くわかっていない。(440)この道を始めた教祖一代の間は、当然ながら、女である教祖が連れて通った道であるが、そのあとは、男である本席を通して教え導いた道が続いている。(441)そこに、男とか女とかの隔てがあるかないか、よく考えてみるがよい。(442)このような次第で、道が続いてきているところから思案すれば、(443)日々、取り次ぎをする者についても、決して、男女の隔てなどはない、ということがわかるであろう。
(444)しかし、今日明日に入るような者に対して、直ちに「どうしろ、こうしろ」と言って、させることはできないであろう。(445)自ずから、そのように成ってくるものでなければならないであろう。(446)無理に入ろうと思っても入ることができるものではないし、(447)また、入れようと思っても、入れることができるものではない。(448)しかし、そのことは、決して、隔てるという意味のものではない。(449)ものごとは、受けとり方、聞き方一つで、どのようにもなってしまうもので、(450)今の問題にしても、また、取りよう、聞きようで、わかりにくくなってしまうのである。
(451)こうして、神の指図を尋ねているお前たちが、「こうだ」と言いさえすれば、これで事が決まってしまう。(452)それに対して、他から誰も「こうだ」と言って反対する者はない。(453)だから、神が諭しているところを、しっかり聞きわけてもらいたい。(454)こうして諭している神の理に、まだ得心できないところがあるならば、くり返して尋ねるがよい。(455)「本当にそうだ」と得心し、お前たちが、自ら進んで神の理につくというのならば、みなの者が心を寄せてくれるようになるであろう。(456)入ってから長い年限の道を通ったというのならば、(457)日々、取り次ぎを進める中で、(458)こうしたところから相談していかなければならない。(459)相談すれば、時には、「こうするべきだ」などと言わなければならない。(460)しかし、銘々が進んで事を運ぶようにするならば、(461)それを「いかん」と言う者はないであろう。(462)いずれにしても、上に立つ者から下の立場にある者を育てるのでなければならない。(463)たとえ一日でも早く道に入ったならば、(464)その者は、育てるという心をもつようにならなければならない。そうでなければ、自らも神の理を聞き流し、思いちがいをしてしまうものである。(465)思いちがいをするようなことがあるならば、それを反省して、(466)何よりもまず、他を育てるようにしなければならない。(467)お前たちは、神の思いをまちがって受けとっていることが多い。それではならないのであって、(468)これからは、神が諭すところを、まちがいなく聞きとってくれなければならない。(469)上に立つ者が、寄り合って、しっかり聞きとってくれなければならない。

(以上)


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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 6

2018年10月25日 05時33分01秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 6

(6)
明治31年3月30日   (4巻2934頁)
『前日おさしづの婦人会内の事情に付一同話しの上願』
(364)さあ/\何を聞いて居るのぞ。さしづ裏返して了うたる。(365)さあ/\、詳しい聞かねば分からんで。(366)前々さしづの理にも、男女の隔て無いという理は、重々の理に諭したる。(367)それ/\も聞いて居るやろ。男より未だも治まりて居る人体を、どう取って居るぞ。(368)女でも席をさすとまで言うたる。(369)筆に落ちたのか。心に思い違いしてるのか。(370)さあ今日の日の道具、今日から今日に道具になるか。(371)悪るなったら取り換える道具でも、使え慣れるまで一寸には行こまい。(372)皆同じ道に尽して、(373)一人は遅れ居たか、(374)よう/\席を運ぶようになったやろ。(375)女でも理さえ治まりてあれば、どんな事でも出けるで/\。(376)この道、男だけで、女は世界へ出さんのか。(377)婦人会という、一日の日を以て研究さしてみよ。出けるか出けんかさしてみよ。

『増井りんの事で御座りますや』
(378)口出したら言うて聞かそ。(379)めん/\皆それ/\同じ道の者であって、すっきり言わにゃ分からん。(380)赤衣の中に皆籠りある。(381)赤衣は俺も貰うて居ると言うやろ。(382)前々危なき処、始め掛けた中の赤衣という中に籠りある。(383)違うや違うと言え。
(384)さあ/\外には沢山ある。枝先にも多分あるわい。(385)この中に何も分からん先から楽しんだ。(386)山坂を越えて、遥々運んだ存命の間に、言い交わしあろ。よう聞き分け。(387)何でも未だ分からん/\のやない。(388)心に分かりありても、人間の義理を思うから違うのや。(389)そこで、一寸刻限以て始め掛けた。(390)三名は稽古さし、三名の中その日といえば、控えとした一人があろ。(391)よう思やんしてみよ。(392)飯炊きや、掃除番と同じ理に、日々諭す理と言えるか。(393)さあ何ぼ年限経って長いといえど、(394)前々よりさしづに及んだる。(395)物によって、三尺の道具要るのに、一寸の道具では間に合うまい。(396)道具と言えば同じ一つの名なれど、(397)三尺の道具と一寸の道具と、同じ一つの用に使われるか。(398)一寸は一寸の用、三尺は三尺の用に使わにゃなろまい。(399)このやしき皆それ/\の理によりて伝わりたる。(400)このやしき、あれは何をして居るのやなあと言うても、理は潰されようまい。(401)伝える理によってだん/\日を送る。(402)一戸の内に諭しても分かるやろ。(403)水も同じ事。汲めば飲める。(404)親があって子という。子は何人あれど皆可愛もの。(405)なれど、どんならにゃならんように片付ける。(406)中に出直す者もある。(407)我が子であってまゝにならん。(408)出すにも出せん、切るにも切られん。あんな者は何処へなっとと思えど、(409)真の理は切れるか。(410)この理から取ってみよ。


【(6)大意 】

「おさしづと婦人会」p38~42

明治31年3月30日   (4巻2934頁)
『前日おさしづの婦人会内の事情に付一同話しの上願』
(364)さあさあ、お前たちは何を聞いているのか。まるで神の思いを逆に受け取ってしまっているではないか。(365)神の説くことを、(366)詳しく聞かないことには、正しく理解することはできない。前に諭した指図でも、男女の隔てはないということは、くり返し説いたところである。(367)みなもそれぞれ聞いているであろう。男よりはるかに心の治まっている者がいるが、それをお前たちはどう考えているのか。
(368)神は女でも別席の取り次ぎをさせるとまで言ってある。(369)それを書き落としたのか。それとも思い違いをしているのか。どうなのか。
(370)たとえ、今日使う道具であっても、今日から直ぐに使いよい道具になるかというと、そうはいかない。(371)悪くなれば、すぐに取りかえるような道具であっても、使いなれるまでには日がかかり、簡単にはいかない。
(372)女でも、みなと同じように、道の上に真実を尽くしていながら、(373)一人だけが遅れていたが、(374)ようよう別席の取り次ぎに出るようになったであろう。(375)たとえ、女であっても、神の理が心に治まっていたならば、どのような大切な事でもできるのである。
(376)お前たちは、この道は男だけの道で、女は世界だすけという用事には出さないというのか。(377)このたび婦人会ということを打ち出したが、この機会に、道の理を、よく研究させてみるがよい。できるか、できないか、とにかくやらせてみるがよかろう。

ーーー増井りんの事で御座りますやーーー
(378)お前たちが当人の名を口に出して言うのならば、なおも神の思いを聞かせよう。(379)各人それぞれ、みな同じように、この道を信じて通っている者ではあるが、神の思いをすべて言わないことには、真意がなかなかわからない。(380)その神の思いは、すべて赤衣の中に籠められているのである。(381)赤衣なら私も貰っているという者もあるであろう。(382)しかし、そうした赤衣ではなく、かなり前のこと、迫害や干渉のきびしい中、教祖がはじめて着たその赤衣の中にこそ、籠められているものである。(383)もし、それを違うという者があるならば、はっきりと言うがよい。
(384)さあさあ、赤衣は、ほかにも貰っている者が沢山あるであろう。国々先々の者にも多くいるであろう。(385)こうして、赤衣を貰った者の中に、赤衣に籠められている教祖の思いを聞きわけ、このさき、どうなるか何も分からない前から、この道の行く末を楽しみに通っている者もある。(386)教祖在世の時、山坂を越えて、はるばる「やしき」に運んだ者があったことは、互いに話し合ってもいるであろう。そのことをよく聞きわけなければならない。
(387)それより長い年月が経った今、教祖の教えがいまだに判明らないということはないであろう。(388)心の中では十分に判明っていても、とかく人間の義理を思うために、神の思いと喰い違ってくるのである。(389)そこで今のこの旬に婦人会を始めたのである。
(390)かつて、(明治十年には)三名の者に鳴物の稽古をさせ、三名の中でその日に都合のつかない者も出るであろうからというので、控えとして定めた一人の者があろう。(391)そのことをよく思案をしてもらいたい。(392)ところが、その者たちを飯炊きや、掃除番と同じように扱っていたのでは、日々神が諭している理に添っていると言えるのかどうか。(393)いくら信仰してきた年限が長いといっても、神が諭したことを守らなかったならば何にもならない。(394)そのことは前々から指図してきたところである。
(395)ものによっては三尺の道具が必要であるのに、そこへ一寸の道具をもってきたのでは、まったく役に立つまい。(396)道具と言えば、同じ道具という名であっても、(397)三尺の道具と一寸の道具とでは、同じ一つの仕事に使うことはできない。(398)一寸は一寸の用、三尺のものには三尺の用というように、用向きに応じて道具も使いわけなければならないであろう。
(399)このやしきにいる者は、みなそれぞれ神の思惑があって、今日まで勤めきているのである。(400)このやしきの中にも、あの人はいったい何をしているのであろうか、というような目立たぬ用事をしている者もいるが、それも神の思いからのものであって、その理をないがしろにしてしまうことはできない。
(401)この点を伝えることによって、今日まで通ってきているのである。(402)それは一軒の家の中にたとえて諭してもわかることである。(403)水も同じ事で、汲んでこそ飲むことができる。つまり、神が諭すところも、進んで求めてこそ治まってくるものであるから、よく聞きとるがよい。今話した一軒の家にたとえていうと、(404)親があるからこそ子供がある。子供というものは幾人いようが、親にとってはみな可愛いものである。(405)しかし、たとえ可愛い子供であっても、どうしようもないような子であったならば、そのような扱いをしがちである。(406)中には、親の思いに反して、出直す者もいる。(407)
このように、たとえ我が子であっても、親の思い通りにはならないものである。(408)出すにも出せない、切るにも切ることができないのが親子というものである。あんな者はどこへなりと行ってしまってくれればと思っても、(409)親子の真実の理は決して切れるものではない。(410)この理合いをもとにして、(やしき内にいる者は、たとえ、どんな者であろうと、神の思いがあって勤めているのであることを)よく思案をしてもらいたい。

 
 
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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 5

2018年10月25日 05時31分44秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 5

(5)

明治31年3月30日   (4巻2932頁)
『刻限』
(322)さあ/\悠っくり書き取れ。一字も落さんよう、悠っくり諭そう。筆々を揃え/\。(323)さあ/\刻限々々という、どうもこれまで刻限といえど、話出た処が、あちらちょい/\、こちらちょい/\、ほんの角目々々、(324)角目でもよい。(325)角目はそのまゝ。(326)善い事悪い事、(327)理を改めにゃならん。これまで伝えたる。よう聞き分け。(328)人間の心で曲げて了うて、(329)一二年の間はそも/\の道であったやろ。(330)さあよう聞き分け/\。(331)まあ/\一寸、一年二年の間というものは、間に合う者も間に合わぬ者も、さっぱりどうもならん。(332)道の上の理は一寸も無い。(333)よう/\席を運ぶ、話を聞かす。(334)さづけ/\一つの理。(335)これは十分の働き、先々肥とも言う。(336)これは十分の理に受け取って置こう。(337)その外さっぱり聞かすに聞かされん道を通りて来た。(338)今更後向いても橋は無い。橋が無けりゃ渡られようまい。(339)今までというは、どんな者も、惣やつしで連れて通りた。(340)ならん道を通るから、心胆の理を聞かす事出けなんだ。(341)さあこれより残る処は、真実より残らんと諭したる。(342)このやしきの中婦人多分入り込んで居る。皆働かしたる。皆間に合う/\。(343)よう聞き分け。(344)出ける事と出けん事と見分けるは今日の日、(345)そらと言うたらたすけという。(346)たすけ一条から出た道なら道の理は知らにゃならん。
(347)一寸さづけは出してある。(348)なれど、貰た処が、さづけの元が分からん。(349)何をして居るやら分からん。(350)日々取り扱うて居る者は分かりてあろ。(351)さづけという話の理を十分治めたら、一時一つの理はあろ。(352)さづけさえ貰たらそれでよい、というようではならん。(353)先々では、まあ一人でもたすけさして貰たらという。(354)やしきという元という。(355)世界から見て、あゝあんなんかいなあと言うてはどうであろう。(356)そこで婦人会の事情を始めさした。(357)埋もれて居る者、これも心に運ばにゃならん。(358)心の路銀多分集めにゃならん。(359)それ婦人会の台が出けて来た。(360)世界から出て来る。(361)今日は女の人に席を受けた。ほんに分かりよい。あんな人ぢばにありたかと、一つ理を付ける。(362)今日の刻限、度々出る刻限やない。(363)皆だれ切ってあるから、一寸集めに出た。

 

【(5)大意 】

「おさしづと婦人会」p35~38

明治31年3月30日   (4巻2932頁)
『刻限』
(322)さあさあ、ゆっくりと書き取ってもらいたい。一字も書き落とさないように、ゆっくりと諭そう。だから、書き手を揃えて、書き取ってもらいたい。(323)これまで、刻限の指図をもって、大切な旬々には神の思いを諭してきたが、いくら話しても、その本筋ではなく、あちらを一寸、こちらを一寸というような聞き取り方をしてきたきらいがある。(324)神が諭すことを、たとえ、ほんの角目だけでも心に治めてくれるならばまだよいが、(325)その角目すら聞き流してしまうことがある。そんなことでは、いくら諭してもなんにもならない。(326)大切な角目をそのままにしておいて、自分たちにとって都合のよい事悪い事だけに心をつかっている。(327)それを改めるようにしてくれなければならない。このことは、これまでに度々伝えてきているはずである。だから、この際、よく聞きわけてくれなければならない。(328)神の指図を人間心で勝手に曲げてしまい、(329)そのために、ここ一、二年の間は、皆の心が一つに治まらずに、ばらばらの道であった。(330)そこで、これから諭すことを、よく聞きわけてもらいたい。
(331)秘密訓令が出されてから、ここ一、二年というものは、役に立つ者もそうでない者も、一様に心が動揺して、まったく、どうにもならない有様である。(332)この道を通る者として、当然しなければならない事が、まったく、なされていない。(333)しかし、そうした中でも、やっとの思いで別席をはこぶ者には、神の話を聞かせている。(334)その上でさづけの理も渡している。(335)このようなお前たちの丹精は十分な働きとも言えるし、このさき、豊かな実りを見ることができる肥とも言える。(336)神はそれを十分尽くした理として受けとっておくであろう。
(337)しかし、その外のことについては、まったく人に聞かすに聞かせることのできないような道を通ってきている。(338)けれども、今さら過ぎ去ったことを悔んでみても仕方がない。それはちょうど、後をふりかえっても橋がないのと同じである。橋がなければ引き返すことはできない。(339)今までは、どのような者も、みな抱えて連れて通ってきた。(340)どうにもならないような難渋な道を連れて通るのであるから、心の奥に治めなければならないような、大切な理合いを説き聞かすことができなかった。
(341)しかし、これからの道に残された大切な歩み方としては、真実しかない、ということは前にも諭したところである。
(342)このやしきには多くの婦人が入りこんでいる。みな一生懸命に働いている。みな、よく間に合う者ばかりである。(343)しかし、これから諭すことをよく聞きわけてもらいたい。(344)この道の者であってこそ、はじめてできることと、そのほかの者ではできないことを、しっかり見きわめることが、こんにち最も大切なことであって、(345)それは、何か事があれば直ちに、たすけに掛かることである。(346)もともと、この道は「世界一列たすけたい」という神の思惑から始めた教えである。その道を通る者ならば、当然、そこに籠められている理合いを知っていなければならない。
(347)さづけの理は、その為にこそ授けているのである。(348)ところが、折角さづけを貰いながら、根本の理合いが理解っていない。(349)そのため、さづけを取り次ぐことなく、何をしているのやら、わからない有様である。(350)もちろん、日々取り次いでいる者には、そのことは理解っているであろう。(351)さづけについての話の理を十分心に治めて、たすけの道に進むのならば、直ぐにでも神の理が現れることになる。(352)ただ、さづけだけ貰うたらそれでよいというようなことでは、どうにもならない。
(353)国々先々では「まあせめて一人でも救けさせて頂いたら」と言って、日々を通っている者がいる。(354)世界の元であるやしきにいる者は、なおさら、そうでなければならない。(355)世間から見て、「ああ、あんなんか」と言われるような通り方しかできなかったならば、どうなると思うか。
(356)そこで、婦人会というものを始めさせた。(357)下働きばかりで埋もれている者に対し、心配りをしなければならないのである。(358)心の路銀であるさづけの理がわかっている者をたくさん集めなければならない。(359)そうしてこそ、婦人会の土台ができてきたということになる。
(360)これから、世界中よりこの道を求めて多くの人びとが出てくるであろう。(361)そうした者が、「今日は女の人から別席の話を聞いた。本当にわかりやすい話であった。あんな立派な人がおぢばにおられたのか」と言って、神の理を治めることであろう。
(362)今日、刻限の指図で諭しているようなことは、度々することではない。(363)みなが余りにも弛み切っているから、心を引き締め一つにするために、とくに神が出て話をしたのである。

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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 4-2

2018年10月25日 05時29分43秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 4-2

【(4)大意 】

「おさしづと婦人会」p24~34

明治31年3月28日   (4巻2925頁)
『前日おさしづにより教長へ御伺い申し上げ、その趣きは婦人会の処何か区域を立てゝ何とか名前付けますものやという願』
(197)さあさあ、これまで尋ね出てきた事について(婦人会のことについて)は、これまで、いろいろと神の思いを諭してあるので、ここで、ちょっと話しかけたならば、あれこれの事について、およその理解はつくであろう。(198)そうして、あれこれ、判明ったところを合わせて思案したならば、どんなことも理解できるであろう。
(199)神は、お前たちが、諭した通りにはこんでくれるのを、今か今かと心待ちにしているが、なかなか、その時がこないで、日はだんだんと遅れてしまっている。だから、お前たちは、「今のままで十分だ」などと思っていてはいけない。
(200)この世人間の元始まりの所がぢばである。(201)そのぢばから世界中に道が延びひろがり、今では国々所々に名称の理がおろされるまでになった。(202)しかし、今日のような道の姿は、決して一度になったのではない。(203)教祖一人から、一つ一つふみ固めて始まった道なのである。(204)これだけ言えば、その先のことは、ことさら言わなくともわかるはずである。
(205)こんにち、国々所々へ道がひろく延びてきているが、その道の最初の頃のことをよく思案してみるがよい。(206)くり返して言うが、この道は決して、一日や二日、また三日といった短い日数で、一度にできた道ではなかろう。(207)それこそ長い年限かけてできたもので、このことを心に治めて、取り組んでくれたならば、(208)一つ実行すれば、一つの与え、(209)二つ通れば二つの恵みがあるという理合いをしっかりと聞きわけるがよい。
(210)今では、国々所々に道が延びていっている。(211)しかし、それも、最初のうちは、まったく、掴み所がないような状態であった。(212)人びとからは、「あれは何を言ってくるのか」「何をしてくるのか」「あんな事をー」と言われてきた。その上また、長い年限かけてできた道なのである。
(213)このように、この道のかかり(註、道をつけ始めたころ、の意)にあっては、あちらから干渉され、取り消されするなど、(214)勝手な振舞いをされてきたのであるが、実はそれも神がさせてきたので、(215)そうした中、年限が経つうちに、この道もだんだん固まり、(216)それに伴って、国々所々でも朧[おぼろ]げにも(註、ぼんやりとでも、の意)、理解されるようになってきたのである。
(217)元という理があればこそ、先にも話したように、あちらから一人、こちらから一人というように、たすけを求めてぢばへ帰ってくるようになったので、今日の道の弘がりは、みなたすけという神の働きによってできたものである。
(218)今日では、あちらにもこちらにも名称の理がおろされ、教会があるというようになっているのである。しかし、それも決して一時にできたものではない。
(219)お前たちも、この道のかかり(註、前出)にみる暗がりの道を通る心でいさえすれば、苦労をしたのも同じこととして受けとろう。(220)その心があるならば、神としても放っておくことはできない。本当に放っておくわけにはいかないのであるが、お前たちは、いつも「この道は、はたして、どうなるであろうか」などと心に思っている。(221)そんな疑念があったのでは、神がいくら諭しても、どうにもならないではないか。(222)人間心は、まったくいらないのである。(223)人間心ですることは、一時は、強くこわれないもののようではあるが、いつまでも、そうした通り方をしていようと言っても、できるものではない。(224)また、神がそうしておいてやろうと思っても置けるものではない。(225)そんなことではどうにもならないことになってしまう。
(226)そうした人間思案では、前々から諭してきている事がらは、まったく解決がつかなくなってしまう。(227)人間心をつかって、だんだんと事を進めようとしている。(228)世界には、道の理を知っている者がいない。(229)だから、それに合わせ、人間は強いものと考えて、人間心で事を運ぼうとしがちであるが、よく考えてみるがよい。(230)しかし、人間というものが、最初どこから始まったのか。それをよく思案しなければならない。(231)それは、紋型もないところから、神によって創められたものである。(232)お前たちは、このことを重い理と思っているのか、あるいは、軽いことと思っているのか。(233)決して軽いことと思ってはならない。元の理は強いものである。(234)そうした上から話しているのであるから、しっかり聞きとってもらいたい。
(235)さあさあ、これから創めようとしている婦人会のことであるが、それはたとえ小さなところからでも、神の守護によって創めるべきものであることを、まず心に置いておかねばならない。(236)神が創めよ、と言い出したのであるが、半年や一年は心ならずもおくれてしまうかもしれない。(237)形が整わないために、世間から認められない時であっても、また、「あれは何であろうか」というような状態であっても、まず、たすけの上で、働いてくれなければならない。
(238)これまで尽くしてきた真実の理が、すっかり埋もれてしまっている。(239)こうして、日々、「ぢば・やしき」と言って、入り込んで勤めていることを、(240)何でもない、ごく当然のことと言っていたのでは、尽くした理を埋めて、何でもないことにしてしまう。(241)そのように、何でもないこととする見方は、ただ人間思案だけで事を運ぶのと同じことではないか。
(242)そこで、何事によらず、皆が、これまで尽くしてきた理があるならば、それ相応の見方をするようにしなければならない。
(243)そのようにして、婦人会を創めよ、と指図した日を期して、(244)取り次ぎの者を見出すようにせよ、と言っておこう。(245)そのように、尽くした真実の理を大切にみるようにするならば、やしきの理に相応しく、本当にきれいな形姿になるであろう。
(246)今、神から取次人として、許されている者は何人あると思っているのか。多くはいないであろう。(247)それぞれ心の容姿を見わけて、それに相応しい扱いをしてもらいたいのである。(248)女だと思っていても、小さな子供の時から苦労の中を通らせきた者がいる。そうした者がこのやしきの中に、多くいるかどうか。それは、指折り数えてみたならば、判明るであろう。(249)また、さづけの理を渡した者も沢山いるであろう。(250)そのさづけの理で、人を救けたことがある者に誰がいるか。
(251)たとえ女であろうと、神の理を「ほんになるほど」と心に治めた者を引き出して同格に扱うならば、もとより、りっぱな働きをすることができる。(252)そうしたならば、人が足りない、というようなことは言わなくともよい。(253)わずかな心づかいで事が足りてくるはずである。

ーーーおつとめに出る鳴物の御方の順序の願ーーー
(254)さあさあ、その点について、これから諭すことをよく聞きわけてもらいたい。(255)はたして、今そのような取り扱いができる状態であるのかどうか。(256)それだけ多くの者がこのやしきで働いているかどうか。(257)そうではあるまい。今日勤めるつとめに、今日からすぐに出ることのできる人数をかぞえてみるがよい。よく調べてみるがよい。(258)鳴物を勤めるについては、(259)はじめ、教祖より、ある者を決めて手ほどきをし、(260)今日までその者たちが、替わりかわりして勤めてきたのである。このことをよく聞きわけるように。
(261)やしきにいるからと言って、誰彼なしに出るというようなことでは、人間心からすることになってしまう。(262)神に尋ね出たならば、やしきの実際に合わせて、神の思いを聞かそう。(263)神のさしづがないのに、鳴物の人数が出ようと言っても、出られるものではない。(264)たとえば、誰彼を出そうと言って、人間心で談じ合ってした場合、どのようなことになったか、よく考えてみるがよい。(265)このやしきにいる者はみな、聞いているであろう。(266)それを、しっかりと胸に治めるがよい。(267)決して、同格の働きをする者を人間心から、表に出さないというようなことがあってはならない。(268)女であろうが、これまで道に尽くしてきた理というものは、神が受けとり、今日まで引き上げてきたが、そうしたすがた(註、有様・様子の意)を通して、「ほんになあ、何事にあっても研究がだいじだ」と感じとってくれなければならない。
(269)このようにして、神の理を究めるならば、それこそが強いものであり、(270)強いものができるのである。(271)そのようにしようと思えばできる者を、そのままにしておいて、(272)「手が足りない、手が足りない」などと言っているのは、神として納得することができない。(273)だから、神はお前たちが「研究を始めたい」と言い出す時を待っていたが、(274)だれ一人として言う者がいない。(275)あらましはわかっている。(276)婦人だから、あらあらでいい。女だから、そのくらいでいい、と言うむきもあるが、そうではない。(277)神は決して男であるから、女であるからといって分けてはいない。(278)その神の心が、お前たちには少しもわかっていない、これではどうにもならないではないか。
(279)できない者にいくら、するように言ってみても、直ぐにはできないであろう。(280)しかし、たとえ、今できなくとも、年限かければ、できるようになるであろう。(281)たとえば、農作物にしても、今日、種を蒔いて今日に実り、収穫することはできない。旬々により芽生え、そして実のである。その理を、よく聞きわけておいてもらいたい。

ーーー押して、鳴物元の御方に習う事ーーー
(282)さあさあ、それは理を尊ぶことが大切である。(283)神の深い思いがあって、決めた者に鳴物を教えたのである。だから、十分にその神意を重んじ、教祖より直接教えを受けた者から習うようにするならば、それに相応しい実をみることができるであろう。
(284)はじめ、教祖が直接教えたことには深い理合いがある。だから、それは、誰でも今日言うて今日できるものではない。(285)この点を心に治めておこなうのならば、神の鮮やかな守護をみることができるであろう。

ーーー押して、この御方と見分ける事ーーー
(286)さあさあ、尋ね出ていることについて、神の思いが少しでも理解できたならば、さらに深くわかるよう努めなければならない。
(287)近ごろ、おぢば帰りする者が増えはじめ、(288)別席を運ぶ者も多くなってきている。(289)そうした者が、「女のお方に別席のお取り次ぎをしていただいた。これまで女の人でも別席の取り次ぎができるとは、まったく知らなかった。心さえ真実定めて道の上に尽くしてきたならば、結構やなあ、という
理を見ることができる。(290)あれは、長年、真実を積み重ねてきたこうのうの理が現れたものであろう。やっと、この道の歩み方がわかってきた」というように得心してもらいたいのである。
(291)また、尋ね出ていることからもう少し諭しておこう。(292)女ではあるが、尽くした真実を見わけて、はっきり表に出すという神の思いは、決して気休めのような安易なものではないのである。(293)教会本部役員という理は、それほど簡単なものではなかろう。(294)しかし、同じように心の治まった者はやしきの内々の者の中にもいるであろう。それは、銘々の胸に思い当たるふしがあるであろう。

ーーー手打ってから又さしづーーー
(295)これからも、このようにして神に尋ね、神が指図をする。(296)神が刻限の話で知らせたならば、それを、しっかり心に治めてくれるがよい。(297)銘々がその指図をしっかり心にとめて通るならば、神の話を疑うことのできないすがたを見せるであろう。(298)この道始まった頃には、神の諭すことがなかなかわからず、そのために、艱難苦労の道を通ってきた。(299)このことは、日々話さないことには容易にわかることではないであろう。(300)このことを、将来のために、よく聞きとってくれなければならない。
(301)あちらからもこちらからも、珍しい不思議な神の守護だと言って寄ってくるであろう。(302)しかし、お前たちの説き方一つによって、その珍しい守護の理を得心させることができるであろう。(303)そのためには、日々、曲がらない、濁りない澄んだ心であることが大切であり、しかも、年限かけてこうのうを積む必要があると指図しておこう。

ーーー又一寸してからーーー
(304)さあさあ、これから諭すことをしっかり書き取っておくがよい。(305)これまで、いろいろと諭してきたので、神の思いが少しは判明ってきたであろう。(306)そこで、「今は誰が留守である。彼がいない」というように、このやしきを留守にすることについて、ちょっと話をしておきたい。
(307)神が指図をする場合、三名、五名の者がその諭した理のあらましを聞きわけ、心一つに合った書き取りがなされたならば、何も小言をはさむ余地はない。(308)また、問題はないはずである。そうして書き取ったものがあるのだから、「私は聞いていないー」というようなことは、言えないであろう。(309)また、神の指図を書き取ったものについて、「おれはこう思う」「いやこのように考える」というような、心が合わないというようなことがあってはならない。(310)得心がいかない者に対しては、よく理を説き聞かせてやるがよい。そのまま放っておくようなことがあってはならない。
(311)多くの者がいる中、みな寄り合っている中に、わからないところがあれば、よく諭してやらなければならない。(312)諭し合いこそ、兄弟姉妹としての心配りである。(313)それをしないで、みな心に、神の指図が治まっていないというようなことがあるならば、「綺麗なやしき」「鏡やしき」などとは言えなくなってしまう。(314)そんなことでは、「濁りやしき」としか言えない。(315)もし、そんなことにでもなれば、何もかもが成り立たなくなってしまう。(316)頭の回りが鈍く、わかりの鈍い者があるならば、なお一層可愛がり、心を配ってやってもらいたい。
(317)これだけ諭したならば、神の思いは十分得心がいくことであろう。(318)下積みになっている者ほど大切にしていかなければならない。(319)ちょうど、道具でも、使う時まで紙に包んで仕舞いこんであるものもあるし、(320)また、だいじにしまっておくことなく放っておいても、ある日、直ぐに出して使うものもある。(321)このことを特に、話しておく。

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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 4

2018年10月25日 05時26分43秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 4-1

(4)
明治31年3月28日   (4巻2925頁)
『前日おさしづにより教長へ御伺い申し上げ、その趣きは婦人会の処何か区域を立てゝ何とか名前付けますものやという願』
(197)さあ/\尋ねる処、尋ねるまでの事情/\、さあ/\まあ一寸話し掛けたら、あちらも一寸分かる、こちらも一寸分かる。(198)分かり/\の理寄せたら、どんな事も分かる。(199)これまで何ぼ待った処が、もうであろか/\、待てどもどうでも、もうその日その日と思えども遅れ、これで十分と思て居たらならん。(200この元ぢばという、(201)世界世界所々始め、(202)何も一度で始めたんでない。(203)一人から一つ/\始め。(204)先は言わいでも理が分かりある。(205)所々と言うてこの道掛かり、よう思うてみよ。(206)一日二日、又三日という。一度で出けたものであろまい。(207)年限で出けたもの、これから(208)一つ組んだら一つあたゑ、(209)二つ組んだら二つあたゑ、この理聞き分け。(210)国々所々と言う。(211)掛かりはふわ/\としたもの。(212)あら何言うて来る、何をして来ると言う、あんな事と言う。なれど、又年限で出けたもの。(213)最初あちらから取り払われ、(214)思わく通りさして置き、(215)それより年限の固まりから、(216)所々成程一寸あら/\分かりたな。(217)皆神がする。元という、前一つ、あちらから一人事情、こちらから一人事情、たすけ/\という、皆たすけ一つの理から出たものである。(218)あちらでもこちらでも、所々名称という、教会という/\。一時に出けたものやない。(219)元暗がり/\から通りて居れば、苦労したのも同じ事。(220)これから見れば放って置けん、ほんに放っておけん、どうであるかと心にある。(221)幾度諭した処がどうもならん。(222)人間の心要らん/\。(223)人間心でする事は、一時は強いものなれども、居ようと言うても居られるものやない。(224)置こうと思ても置かりゃせん。(225)どうもならん。(226)前々事情というはどうもならん。(227)人間心を以てだん/\運ぶ。(228)世界には知らん。(229)人間強いもの、(230)最初初め何処から始まったか。(231)元紋型無き時から付けた理、(232)重い理と言うか軽い理と言うか。(233)軽いと思てはならん。理は強いもの。(234)これから話し掛ける。しっかり聞き取れ/\。
(235)さあ/\始め掛けたる処、婦人会という。一寸これも、一寸から初め守護から出したもの。(236)言い掛けた処が、半年一年はつい遅れるや分からん。(237)そこで知らん間、世界何やらという処からたすけ始め。(238)これまで尽した処の理すっきり埋もれてある。(239)こうしてぢばと言うて入り込んで来る処、(240)日送り事情、何ともないと言うは何でもない。(241)何でもないというは、人間心で来たも同じ事。(242)皆これまで尽した理は、それだけ見てやらにゃならん。(243)その日、(244)神の取次々々それから見出せ。(245)ほんに/\これというは綺麗なもの。(246)神よりさしづした者何人ある。(247)心という理調べ。(248)女という子供幼少の時から、苦労通したは中に数々有るか無いか。指を繰りて数えてみたら分かる。(249)さづけ渡した者も沢山ある。(250)なれど、誰が救けた理あるか。これから聞き分け。(251)女でありたけれど、ほんにと治めたら、同格すれば出ける。(252)人が足らん人が足らんと言う事要らせん。(253)僅かの処から事が足って来る。

『おつとめに出る鳴物の御方の順序の願』
(254)さあ/\これよう聞き分けにゃならん。(255)一時以てそれ/\取り扱い出来るか。(256)それだけ働いてる。(257)今日のつとめ今日より頭数えてみよ。調べてみよ。(258)こうして始め掛けたは、(259)初め手を付けて、(260)間替わり/\、よう聞き分け。(261)皆中に誰彼無しに出るというは、人間心からする事。(262)神に尋ねたら実際してかす。(263)それより人数出ようと言うて出られん。(264)誰彼と言うて、人間心談じてした事、どういう事に成りたるか。(265)このやしき中に聞いて居る、(266)胸に畳み込み、(267)同格々々の者、人間心で埋んで居てはならん。(268)女であれど、尽した理は、これは神の守りから、これから上れたが、ほんになあ万事研究という。(269)これからすれば強いもの。(270)強いもの出来る。(271)出来る者放って置いて、(272)手が足らん/\と言うは分からん。(273)そこで旬を見て居るなれど、(274)何とも言う者無い/\。(275)あら/\分かり、(276)あら/\婦人や、女や、よう聞き分け。(277)男女分けてない。(278)一寸々々心知らん/\。どうもならん。(279)出けん者言うた処が出けん。(280なれど、年限で出けるようになる。(281)今日種を蒔いて今日に出けん。旬を見て生える。又実が出ける。これ聞き分け。

『押して、鳴物元の御方に習う事』
(282さあ/\理を尊べ。(283)十分々々何ぼでも尊べばこうのうがある/\。(284)その理は今日に言うて出けようまい。(285)この心持ってあれば、こうのう理現われる。

『押して、この御方と見分ける事』
(286)さあ/\尋ねる処/\、分かり掛けたら分からにゃならん。(287)この所おぢば始め、(288)席の処多分ある。(289)女のお方に、一寸席して貰た/\。これまでこういう事とは、よう知らなんだ。心さえ定めて尽したら、結構やなあと、(290)あら積み重ねたこうのうという。この道よう/\見え掛けたという/\。
(291)又尋ね掛けた。(292)女であれど、公然思うての気休みの理と言えん。(293)教会本部役員という理は、これは一寸なろうまい/\。(294)なれど、同様の心は内々の心にある。めんめんの胸にあろう。

『手打ってから又さしづ』
(295)これから/\、こうして尋ね掛けて、尋ね掛ける言い掛ける。(296)刻限知らしたら、めん/\心に持てば、(297)神の話疑われん/\。(298)初め一寸にゃ分からん処から艱難、艱難苦労の道通り、(299)日々申さんと分からん。(300)これ将来に聞き取ってくれにゃならん。(301)あちらからこちらから、珍しや/\と言う。(302)なれど、説きようの理で分かる。(303)日々の心の曲がらん濁らん澄んだ心という処、年限のこうのうという理をさしづして置こう。

『又一寸してから』
(304)さあ/\筆を取れ/\。(305)さあ/\まあ/\、一寸話し掛けたら一寸分かり掛けた。(306)さあ誰は留守や彼は留守や。これ一寸話したい。(307)これ三名五名あら/\理、心合わせさしづ取る限りは小言無い。(308)又小言無いもの。おら聞かずという理は無い。(309)さしづ取りておらどうやこうや、そんな事ではならん。(310)いかん者には聞かしてやれ。黙って居てはならん。(311)皆んな居る中に、寄り合うてる中に、分からん処諭してやらにゃならん。(312)諭し合いは兄弟という。(313)綺麗なやしき、鏡やしきとは言わん。(314)濁りやしきはっちゃ言わん。(315)そんな理から成らんようになる。(316)鈍な者は尚、可愛がりてやれ/\。(317)これだけ諭したら分かるやろ。(318)下程大切にせにゃならん。(319)道具というは、使うて歩く日まで紙に包んで納して置いて、又使うものもあれば、(320)放って置いても翌る日出して使う道具もある。(321)これだけ一寸神が話して置く。

 


大意は4-2

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公刊本おさしづより  2 婦人会創設 3

2018年10月25日 05時24分24秒 | 図書室

婦人会創設に関するおさしづ 3

(3)
明治31年3月27日   (4巻2923頁)
『永尾よしゑ身上願』
(124)さあ/\尋ね掛ける処、身上尋ね掛ける。身上こういう事どういう事、身上障り彼処に障り出掛けたる。皆出る尋ねる。まあ一時どういう事が出る、こういう事が出る。どうでもこうでも、身上から事情尋ねば、事情身上案じあろまい。又案じてはならん。身上尋ねる。事情身上に尋ねるに、よう聞き分けにゃなあらん。(125)何でもなき処、辺所遠く所、これ尋ねば尋ねる。(126)一つさしづ、(127)又一つ年限から一つ諭し掛ける。(128)万事の処、さしづ/\を突き合わせ、(129)さしづを以て丸めて了うて、反故同様にしてはどうもならん。(130さしづありて、さしづ丸めて了うような事なら、さしづは要らんもの。(131)好きさしづだけこうと言うと用い、ならんさしづはそのまゝという。それではさしづ取って理と言うか。よう聞き分け。(132)どんな用あろうがあろまいが、手が抜かれんと言おうが、運ばにゃならん。(133)身上から諭したる。万事掛かるやろ。(134)身上切なみの処からさしづ出たもの。身上が変わらず、さしづ運ばにゃならん。(135)いついつにも聞かんではあろまい。いつ/\皆さしづあるのや。(136)なれど、取りようでどうもならん。(137)どうしょうこうしょう日々遅れ来たる。(138)時々理以て諭す。(139)なれど、一時諭しありたと、(140)さしづ取り掛けた。(141)取り掛けたら、これから朝あるとも夜あるとも分からん。(142)又刻限知らさんならん。(143)これまで諭そと思えども、一つも取れん。(144)日日運び方、いつまで放って置いてもそのまゝという。(145)いつまでも放って置いては、衰えるという。(146)これ一つ聞き分けにゃならん。(147)そこで、めん/\年限数えて、(148)世界見れば、(149)今一時の理でない。(150)前々運びから成りたる。(151)これから一時さしづ/\、(152)皆突き合わせ、(153)分からねばこういう処、(154)こういう悟り付いたが、(155)こういう処分からん。これはどうであろと、(156)尋ね返やして、(157)内々の処事情にて、どうでさしづありた。(158)身上の障りから、どういう処から掛かる、(159)皆運ばにゃならん。(160)事情はだん/\諭したい。(161)又夜々に諭したい。(162)なれど、筆取、取れる者あれば取れん者もある。(163)そこで伝える事出けん。(164)中にはおら聞いて居る、(165)おら聞かんというような事では、(166)三才の童児に相手になりてるも同じ事、(167)これから朝に一つ諭すやら、夜分に諭すやら分からん。(168)刻限さしづ、(169)その日から一日に持って、(170)これでこそほんにそうでありたかと、(171)改めて運ばにゃならん。(172)好き事だけ集め、(173)外の事はそのまゝ。(174)これでは勝手の理とはっちゃ言う理は無い。(175)勝手の理なら、(176)めん/\好いたようにするがよい。

『身上押して』
(177)尋ねる事情、身上は案じる事要らん。よう聞き分け。(178)何なりと/\、一つ事情無くば尋ねやせん。(179)尋ねるから諭す。(180)どうもならん。(181)刻限出る。(182)仕様が無い。(183)今日のさしづ、(184)古きさしづはどうしたやら分からんやろ。(185)そこで新しさしづ突き合わせ、(186)何したんやというような事埋もれてある。(187)前日諭したる。婦人会と言うて諭したる。(188)一時心という理分けて、(189)ほんにこうせにゃならんと、(190)男女言わん。男女区別無い。(191)気に合う者も合わさにゃならん。(192)間に合わん者は、辺所たる処で理が発しん。(193)不作なようなもの。(194)種がある。(195)めん/\それ/\、(196)日々取り次いで居れば同体の種である。


【(3)大意 】

「おさしづと婦人会」p18~23

明治31年3月27日   (4巻2923頁)
『永尾よしゑ身上願』【大意】
(124)さあさあ、お前たちが尋ね出ているのは、身上障りについての神の思惑についてであろう。あちらこちらに身上障りがあらわれると、誰しもその神意を尋ね出るようになる。今の身上障りに際して、この上、更にどういう事が起こるか、こんな事があらわれてくるのではないか、などと案じる。こんな状態の中で、「何としてでも」と身上をきっかけに、そこに籠められた神意を尋ねることになる。それに対して、これから諭すことをしっかり心に治めてくれれば、身上障りは何も心配することはいらない。また、いたずらに人間思案であれこれ心配するようなことがあってはならない。身上障りについて尋ねているが、こうして尋ねている限り、それに対して神が諭すところを、よく聞きわけなければならない。
(125)たとえ特別な事がなくても、遠く離れた辺ぴなところから帰ってくる。そんな場合にも、尋ねることがあれば、尋ねるがよい。そうしたならば、指図をしよう。(126)その指図は、(127)その者が通ってきた年限に相応しく諭すことにならう。(128)だから、すべての事について神の指図を照らし合わせ、誤りなく心に治めてくれなければならない。(129)そうすることなく、その指図を書き取ったものを丸めてしまい、反故同様に扱うようなことがあってはならない。(130)せっかく指図しても、それを丸めて捨ててしまうようなことをしていたのでは、指図を願うというようなことはいらないではないか。(131)自分たちにとって都合のよい指図だけは、「神がこう言われた」と言って用い、都合の悪い指図はそのまま聞き流してしまう。そんなことで、指図を聞いた者のあり方と言えるか。この点をよく聞きわけなければならない。
(132)たとえ、どのような用事があろうが、なかろうが、あるいは、どんなに手が放せないほど忙しかろうが、指図を受けたならば、どうでも、その神の思いに添うように通ってくれなければならない。(133)このことを、このたびの身上から諭しているのであるが、それは、何事にも当てはまることであろう。(134)今は、身上苦しいところから尋ね出て指図があったのであるから、なおさらのことである。そうでなければ、身上障りは決してよくはならないであろう。どうでも指図した通り、はこんでくれなければならない。
(135)こうした神の思いは、今までにも聞かなかったということはないであろう。たびたび聞いている筈である。いつの指図においても諭してある筈である。(136)ところが、いくら指図をしても、その受け取り方で何にもならないということにもなる。(137)いたずらに人間思案で、どうしようかこうしようかと思い迷って、神の理に添うことが日に日に遅れてきているのである。(138)それではならないから、折にふれ事に当たり、神の思いを諭しているのである。 (139)けれども、お前たちが、今こういう諭しがあったと言って、(140)指図を心に治めるのならば、これから、神はいろいろに指図をするであろう。(141)それは朝指図があるか夜にするかわからない。(142)また、だいじな時旬も知らさなければならないと思う。(143)ところが、これまで神の思いを諭そうと思っているのであるが、お前たちは一向にそれを受け取っていないではないか。(144)日々の尽くし方、はこび方に対するせっかくの神の指図を放っておいても、少しも気にかかるところがない。(145)いつまでも、神の諭しを顧みず放っておいたのでは、それがだんだん意味がなくなっていくではないか。(146)このことをよく聞きわけてくれなければならない。
(147)それぞれ、よく、この道創まってからの年限を数えてみるがよい。(148)この道も、今や世界にかなり広がっている。(149)そうなったのも、今一時になったものではない。(150)前々から神の指図通りにはこんできたからこそ、今日の形姿になったのである。(151)これからも、その時その時に指図をするが、(152)それを互いに照らし合わせ、(153)判明らないところは談じ合い、(154)「ここは、こう悟ればよいと思うが」(155)「ここは、どう考えてもわからない」というように話し合ってもらいたいのである。(156)そして、どうしても悟りがつかないというところは、再び神に尋ね返して、(157)「内々のこういう事情に対して、こういう指図があった」(158)また、「身上さわりに対してはこういう指図があった、だから(事を解決するためには)どういうところから掛からなければならないか」(159)という神意を明らかにして、事をはこんでくれなければならない。
(160)今この際、どのように通るべきかについて、神はだんだんと諭してやりたいと思う。(161)毎夜でも諭してやりたいと思うのである。(162)しかし、筆取の中には、十分に書き取れる者もあれば、書き取れない者もある。(163)そのために、神の思いを伝えることができない場合も出てくる。(164)その結果、「私は聞いている」(165)「私は聞いていない」というようなことになったのでは、(166)三歳の子供を相手に話をしているようなものである。
(167)今後は、朝に出て諭すやら、夜に出て諭すやらわからない。(168)神がどうでも指図をしなければならないと思えば、なんどき刻限の指図をするかしれない。(169)その刻限の指図のあったその日から、神意を心におさめて、(170)「このように通ってこそ、神の理に添うことになるのか」(171)と心にしっかりとおさめて、通ってくれなければならない。(172)自分にとって都合のよい事だけを取り上げ、(173)そうでない事は、そのまま聞き流してしまうようなことがこれまでにもあったが、それではいけない。(174)そんなことでは勝手の理というよりほかはない。(175)あくまでも勝手気ままに通ればよい、(176)と思うのであったら、それぞれ好きなようにするがよい。

ーーー身上押してーーー
(177)尋ね出ている身上障りについては、何も心配することはいらない。それには、今諭していることを、よく聞きわけてもらいたい。(178)とかく、何か問題がないと、なかなか神の思いを尋ねようとはしない。(179)何かあると尋ね出る。尋ねるから諭すことができる。
(180)しかし、いつまでも、何かがないと尋ねない、というようなことではどうにもならない。(181)だから、これからは、刻限話によって諭そう。(182)とにかく、今のような状態ではどうにもならないのである。
(183)今日諭している指図にしても、何も事新しいことではない。前々から諭してもある。(184)しかし、以前に諭したことは、どうしたのやらわからない状態になっているであろう。(185)そこで、事改めて身上を台として指図をしたのである。この新しい指図を、以前の指図とよく照らし合わせて思案してもらいたい。(186)そうすれば、神の指図に基づいて何をしたかということが、埋もれて判明らなくなっていることに気がつくであろう。
(187)前日(26日)にも諭した。婦人会を創めよと言って諭したではないか。(188)この際、心を改めて、(189)「本当にこうしなければならない」と、しっかり心におさめて通ってもらいたい。(190)もちろん、このことには、男女の区別については何も言わない。男女の区別は全くないのである。(191)お前たちの間で、気が合う者であろうと、なかろうと、ともかく合わせていかなければならない。そのようにして、勤めてもらいたいのである。(192)ところが、それができず、間に合わない者は、辺ぴな所で、まさかの時に理が効かないことになってしまう。(193)それはちょうど十分の実りを見ることのできない、不作と同じこと。(194)何事にも、実りを得るためには、それなりの種子がある。(195)だから、銘々がそれぞれに、神の理を心に治め、(196)日々しっかり取り次いでいるならば、同じ理のはたらきを見る種子となるのである。

 
 



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