数年前に、甘露台が倒壊されて、下に2段だけが残って、数カ月そのままに置かれていた。
この二段の甘露台を見ながら思ったことを書こうと思う。
2段までの石の甘露台を見て、この甘露台は没収された。
この没収を契機に、おつとめの地方は「いちれつすます」から「いちれつすまして」に変えられた。
これを当時の方々は、神様の模様替えと言っていた。
陽気ぐらしへ向けて算段されて、ここまで進めてきた方針を、甘露を授けて、不思議を見せて、それによって陽気ぐらしにしようとされたのを、人間の心を澄ましてから、と方針を変更されたのである。
この模様替えについて、長い間、話をすることはタブーのようにも感じていた。
それは、みな、親神様は絶対であると思っているはずで、その絶対である親神様が計画を変更したという事は、親神様は絶対ではないと言っているようなものだと思ったからである。
そのことを思ってから、30年以上たつ今日、
この事について、「自分は、親神様の思いを、人間の都合に合わせて思案していた」と思うようになった。
だから、話が出来ないと勝手に思う事自体が、高慢だったと、今回の新型コロナの騒動を見て、おふでさきを調べて反省をするばかりである。
親神様は教祖として、人を導く上に、試しを行って様子を見て、進められている。
その一つは、おびや許しである。自らに試しをかけてから、おびや許しを出されている。
甘露台も、ひながた甘露台を作ってから、石の甘露台をたてるように進められた。
他にも、人足やしろとして、寄せた人々を仕込もうとされたが、親神様の思い通りにはいかなかった。
その代表と言えるのは、「秀司様とこかん様」である。
親神様の思いと、人間の思案の仕方に隔たりがありすぎて、親神様の思いに人間が追い付かない。
そして、道を変えて、応法の道が始まった。
教祖が現身を隠されて、世界助けに出られて、日本中、次々と不思議が現れた。
おさづけのみならず、神名を唱えるだけでも、不思議が現れた。
そして、お道は広がった。
そして、広がると共に、おぢばに施設をはじめ、教理の体系が作られた。
それが、今日まで続いている。
ただし、今日までの間にも、教理が公に十分に解けず。
人づてに、伝わり、また、おぢばで教えられて、幾度とない節を進んでの今日である。
親神様の模様替えはあっても、陽気ぐらしへの心の成人を望まれている事には変わりはない。
私たちは、虫鳥畜類と生まれ変わりをして、この現在の人間の身体となって、知恵文字を仕込まれて、今日の文明を築き上げてきた。
それによって、今日は世界中の情報を瞬時に得ることが出来るまでになった。
また、地球を一目で見ることもできるようになった。
ただ、この心が、みな自由になって、混とんとしている。
何が本当に正しいのか、分からないのが現在だと思われる。
人間は、よくなりたいと知恵を絞って、こんにちの生活を手に入れた。
この知恵も、よくなりたいという人間の思いに親神様が授けてくれたものだと思う。
助かりたいという、真実の心に親神様は不思議を下さる。
同じように、みなの心が良くなるようにと念じて、歩みたいと思う。