桃太郎の話には、「おじいさんは山へ柴刈りに。おばあさんは川へ洗濯に。」というくだりがある。
この「柴刈り」をどのように理解されるだろうか?
「柴刈り」と「芝刈り」の違い・柴刈りの道具・時期|桃太郎 - 言葉の意味を知るならtap-biz
に
「しば刈りと聞くとどのような作業をイメージするでしょうか。柴刈りは、野山で行う柴木の伐採や枝集めなどのことをいいます。芝生の手入れをイメージする方もいるかもしれませんが、近年日常生活に無縁となってきた柴刈りについてご説明します。」
と記されています。
私も初めは「芝刈り」だと思っていて、「山にどうして芝が生えているのだろうか?」と思っていたのであった。
ある時、柴というのは、雑木で、すぐに生える小枝のような木々だと知った。
そこで合点がいったのである。
なぜ突然このような事を書き出したかというと、先に、「オール電化」という話しから、環境問題についての話を書いたからである。
昔から、燃料とした木々は、すぐに生える木々を用いていたのである。
ところが、現在映画などでの燃料は、太い丸太を建ち割って、燃料にしているものをよく見る。
太い木々を次々と燃料にしては、育つまでに年限がかかるのだから、自然破壊が起こる事は当然である。
本来はそうではなかったのである。一年で伸び育つ木々を使っていた。
そこが正しい知恵のはずである。
少し前に、山の杉やひのきをすべて切り出して、中国へ輸出していた。それも他人の山で。
というニュースがあった。
本来日本の植林は、間引きをして、段々と太い木々を育てていく予定だったはずである。
けれども、木々の値が下がり、植林したままの山が増えて、困っている状態である。
そうした中に、中国でひのきなどのブームが起こり、お金目当てで日本の木々を買う中国人が増えたとの事である。
山を丸裸にしては、水に困るのである。
良い水を確保するために、山の木々は必要なのである。
けれども、そうした事には全く関心がない。その時だけの考えで行動をして、自然破壊をしているのである。
アマゾンもどんどん森林が破壊されている。日本もどんどんと山や田畑をつぶして住宅を作っている。
そんな中に、何が「脱炭素だ!」と思ってしまう。
綺麗ごとだけを口にして、行動には移さない。つまりうそばかりついて、人々をだましている。
これはアメリカ大統領選挙でまざまざと見えた事である。
そうした事を止めるための法律を作り、実行する事が、政治家の務めのはずだが、実行がない。
つまりは、うそつきという事となる。
これでは、神様の御守護はなくなる。
今、新型コロナの変異株が増えていると聞く。
せっかく第一波の時は、人々の協力で、少ない罹患者ですんだのに。。。。と思ってしまう。
「おふでさき」に、このような疫病は、親神様のざんねんの現れと記されている。
それも「ぜひなくおもて あらわしたなり」と「仕方なく思って、現している」言われているのである。
自然が神なのである。
神に守られて初めて私たちは生きる事が出来る。
その神の守りを、自分勝手の心で、おごり高ぶる心で、無くしているのである。
山の木々を無くして伝染病が広がったという話しは、ヨーロッパにある話である。
森の木々が次々と切られて、住処を無くしたネズミが街に入り込み、そのネズミがペストを流行らせて、多くの人々が亡くなったことは有名である。
これも同じである。
人間には上の人と、下の人がある。
下の人は、上の人を慕い、従い、暮らしを立てる人々である。
上の人の「上」は「かみ」と読める。「神」も「かみ」である。
上の人は、下の人々の暮らしが良くなるように導き、その恩恵を受けたならば、神には何も文句はないはずである。
ところが、自分の思うがままにしようとして、下の人々を苦しめたならばどうなるのか。
それこそ「神」からの「ざんねん」が現れて来るのである。
これを歴史上で何度も繰り返して来ているのである。
これまでは、生活する地域が狭く、蔓延する疫病も狭い範囲だけですんでいた。
影響を受けないところもあったのである。
けれども、これだけ人間の知恵が発達して、地球全体に人々が交流できるようになった今では、地球全体が一つの国と同じなのである。
この地球で、上に立つ人々の心次第で、どのようなことも起こるのである。
早く上に立つ人々が、神の教えを思案して、反省し方針転換する事を願う。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守りくださいませ。