スエズ運河での座礁事故について、以下のような記事がありました。
大手メディアのニュースとは違います。
比較資料として見て下さい。
記録として、記事のリンクと、スクショを載せておきます。
元は英語ですが、自動的に日本語に翻訳されますので、日本語でのスクショです。
もし翻訳されない場合は、自動翻訳をオンにしてください。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。
スエズ運河での座礁事故について、以下のような記事がありました。
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親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。
今日は、教区で支部長会が午後からある。
それまでの間、やる事があるのだが、どうも今朝頭に浮かんだことを記述したくて仕方がないので、
思いつくままに書いておく。
・・・・
甘露台の石が没収されて、みかぐらうたが、「あしきはらい」から「あしきをはろうて」に変更された。
この事を当時の人々は、「神様の模様替え」と言っていた。
この事が気になったのは、卒業論文を書く時だった。
「おふでさき」を元に、なぜ変更されたのか、その前後の差などを探していた。
結果は導き出せなかったが、その当時に思っていた事が思い出された。
そして、メディアの情報操作という事と結びついたので、書いておきたい。
・・・・
当時、どんなことを思ったかというと、「なんだか、大変な事を選んだみたい」という気が第一にした。
それは、「神様の模様替え」という事は、「神様の計画が変更された」という事である。
神様は全知全能。すべての事は知っているはずである。その神様に分からない事があったという事になる。
と思ったのである。
あれから数十年。このブログにも模様替えについて書いたと思うが、ずっと気になっていた。
それが、今朝ふと、親神様が分からなかったのではなく、私たち人間が分からないために、気長に時をのばして下さったのだと思えた。
「神様の計画変更」といえば、教祖が25年の定命を縮めて現身を隠されたのも、同じである。
この時は、「こども可愛いゆえ、親の命を縮めて、世界助けに出る」と言われており、それから日本中に不思議が現れて、一時期は日本中が天理教になろうとしたのである。
ところが、これまた、弾圧が起こり、人々の心は離れて行く。これが繰り返された。
けれども、その中でも親神様・教祖を信じて疑わない人々には、これまた不思議が現れて、続いて来たのである。
今、ようやく、この日本では中国との戦争が話題となって来た。少し前にアメリカは、アメリカ大統領選挙から中国との関係について目が覚めた。けれども日本には、その情報がメディアから流れずに今日まで来た。
親神様の導きがないからではなく、私たち人間の心が、しっかりと定まっていない。これが一番の原因なのではないかと思ったのである。
親神様は、人間の心を切り替える事を教えられた。
それも、誠の心を使うようにと。。。
そして、甘露台を建てて、甘露を教祖から渡して、115才の定命を全うさせたいと思われた。
けれども、この甘露は、誠の心を持っていないと効き目がない。
だから、甘露を貰うために、人々は心を誠にと切り替えるだろう。そのためのおつとめをという計画だった。
しかし、おつとめをつとめるための「つとめ人衆」揃わない。
せっかく渡した「おさづけ」も良いようには使わない。などなど。。
人間の未熟さや、悪事の心が深い事が露呈したのである。
親神様のお話をストレートで聞いたり話したりするときに、他人の事ならば、割と聞きやすいのだが、いざ、自分が身上や事情に成って、我が身に振り返ってみると、とても強烈なのである。
「そんなこと言ったって!!」と思ってしまうのである。そして耳を塞いでしまう事もあるのである。
これでは、心の切り替えを願う親神様の計画は進まない。
だから、「はしきはらい」から「あしきをはろうて」に変えられたと、得心したのであった。
けれども、時旬というのは、待ってはくれない。
天理に定められた時に、行わなければならないのである。
よく種まきに例えられるが、その旬にまかなければ、花は咲かず、実も乗らないのである。
その旬には少しの余裕があるが、その余裕の最後の時を外してはならない。
それが、今この時ではないかとも思えるのである。
新型コロナウィルスだけではない。地震大風水つき、そして戦争が行われているのである。
これらの元は、全て我々人間の心の現れである。
昔、山本利雄先生が「百匹目のさる」という話しをしていた事があった。
一つの場所で、芋を洗うサルが増えて、それが百匹を越えた時に、遠く離れたところにいるサルも、同じように芋を洗うようになるという話しだったと思う。
この事を掲示板に書いて、相当批判を受けた記憶がある。
実際にこのような事が起きるかどうかは、私には定かではないが、教祖の教えられた、誠をつくす事。
誠の心で日々を通る事。これをしっかりと定める人が増える必要があると思える。
といっても、心を変えるそうした気持ちにもならない人もある。
そのために、教祖はひながたを残された。
ひながたとは、形である。「中身は無くとも、形を真似よ」そうすれば、心を変える守護をする。
と親神様は教えられたと思っている。
教祖のひながたの、一番最初は物を施して「貧のどん底に落ちる事」と思っている方があれば、それは違う。
その前に、うち蔵に籠られているのである。そこで、神様との問答をされているのである。
問答とは、教えを学ぶ事と私は理解している。
それを終えたのちに、人々に施しをされて、そしておたすけをされているのである。
こうした流れは、山名大教会史を読んで、初代諸井国三郎先生の歩みからも同じように感じている。
教えを求めて、わざわざ遠州から大和へ来ているのである。そして、先生を遠州へ呼び、おつとめを皆で学んでいるのである。
その後に、仕事がうまく行かなくなる。そして、たすけ一条に歩まれる心を定めて通られるのである。
その間、どれだけの苦心をされただろうかと思う。これは、教祖が宮池や井戸に身を投げようとされた事と重なる。
諸井国三郎先生は奥様や、子供さん方の後ろ盾があり、乗り切られた。これもとても大切な事だと思っている。
教祖の後ろ盾は、前川家はそのようにならなかったが、梶本家がそれであった。
その事はおはる様がお出顔しになられた事から分かる。
そして、信者さん方が出来て、共に歩む事となる。
ひながたはまだまだ先がある。信者にしても様々であり、それぞれに対する対応もひながたと思える。
ざっと、思いつくままに書いた。資料を調べていないので、記憶違いもあるかもしれないが、それぞれに調べてみて欲しい。
そして、それぞれに教祖のひながたが心に入り、今は不安でも、先を楽しめるようになる参考になればと思う。
親神様・教祖、どうぞ大難は小難にとお守り下さい。