例月の如く、7日支部例会を終えて、おぢばへ出かけた。
3男が夏休みで連れて帰る連絡をするために、おぢばへ着く早々に寮へ行く。
この3男、不思議な事に、前回コロナでホテル隔離が終わった時にも神殿奉仕の次の日で、乗せてうちへ帰った。今回の帰寮も丁度神殿奉仕の次の日で、乗せて帰る事となった。
全く予定していない事が、自然と成ってくる。
不思議だなぁ。彼の持っているものなのか、私の都合に合わせて取り計らってもらっているのか。。。
などと考えながら、おぢばでの数日がスタートした。
8時過ぎに詰所に入り、「おさしづ」確認と、グループへの投稿とnoteの記録だけする事で精一杯で休む。
朝4時前に起床。起きるとふらつく。
これまた「???」思いつく事がない。「親神様、どうかつとめさせて頂けますように」と念じながら準備をして神殿へ。
起きた時のようなふらつきは無いが、どうも体がしっかりしない。
そんな感じで、一番最初の着座が6時に北東。
着座して、ご神座の方へ目をやると、甘露台が立っている。
ふと、
「甘露台は『芯』」という言葉が浮かぶ。
「心のしん。
芯を入れたいと親神様は言われている。
芯がしっかりしていないからふらつく。」
自分の役割、これが周囲の言葉や様子からぐらついている。
しっかりと定めなおそう。入れ直そう」と思った。
すると、体がしっかりする感じがして、違和感が全くなくなった。
3回目、9時半の着座。やけに子供連れの参拝者が目立つ。
よく考えると、「今日は日曜日だ!」と気が付く。
「こどもおぢばがえり」の感じは全くないが、「例年と変わらずに、うるさくなく蝉の声と共に、一からスタートしているおぢばの雰囲気を、今伝えられれば、親神様もお喜び下さるのでは」と思えた。
早速着座を終えて、教服のまま南礼拝場前の東手水舎で動画を撮る。
「こどもひのきしんの受付の様子」も入れた方が良いかと思い、西手水舎でも動画を撮り、すぐさまFacebookで発信した。
すぐさま、「いいね」が押された。
お守所に戻って、書棚にある「おさしづ」を調べて、このブログ用に撮影する。ピンボケになったりして、何度も取り直す。
午後から、青いシャツを着た人たちが、学生らしい人たちを引率する光景を目にする。「学生生徒修養会の高校の部」が中止となったが、その代わりに行われると言われた、「高校卒業生のためのセミナー」だと思った。
学修に比べてずっと人数は少ない。しかし道を求め、集う人たちがあり、おぢばは動いている。
これが本来の信仰の姿勢。
信仰とは、人がするからというのではなく、自ら求めてするもの。
一からのスタートが始まったと思った。
夕づとめを終えて詰所に帰ると、たまたま玄関で修養科生に会う。
そして、教養掛と修養科生の相談に乗る。
そして、今朝、朝づとめ後、市役所の上に小さな虹が出ていた。
知り合いの詰所主任先生が、「昨日はもっと大きな虹が出ていましたよ」と話をしてくれた。
西礼拝場の左側から朝日が出て来た。すると虹も大きくなった。
大切なのは、心!
「かしもの・かりもの」
全ての物を借りるための心をである。
この心に、しっかりと親神様という芯を入れる事。
親神様の思いに沿うという芯を入れる事。
そして、虹のように、丸い心でつながる事。
そして、教祖や本席様方が通られたように、どんな苦難も乗り越える心をしっかりと持つことだと思った。
朝食後息子を迎えに行って、名古屋へ向かう。
久々に下道で帰る。普通ならば4時間かかるところが、3時間弱で帰ることが出来た。
一休みした。これから「おさしづ」を仕上げる。
今日投稿出来たら良いと思うが。。。