8月の月次祭が無事に終わりました。
おぢばから二人の子供が帰ってきてくれたのと、休みだから少しだけでもと言って、来てくれて人があり、いつもより少し賑やかなおつとめが出来ました。
婦人会の連絡をする上にも、私がお話をする前に、奥さんが少し話をする事にしています。
そこで、「自分で御守護を頂いたと感じた話をしましょう」と先月奥さんが言いました。
そしてその第一歩として、奥さんが話をしました。
私が椎間板ヘルニアの激痛でおさづけを願った時の話と、年子の長男長女が喘息で寝付けない時に、両脇に抱えながら「南無天理王命。南無天理王命。」と唱えながら背中をさすったら、静かに寝付いた話をしました。
そして、私は「願い通りではなく、心通りの守護を下さっている話」「いんねんを切り替える話」そのためには「徳積みをさせて頂きましょう」と逸話編から話をしました。
また、新型コロナが蔓延する直前の団参で、初めておぢばに帰られた方が、おさづけで足の痛みが無くなったのですが、その時に話をした「誠の中のほこり」について話をしました。
「人助けて我が身助かる」と言いますが、人様のたすかって頂きたいと心を掛け、足を運んだだけ、様々な不思議な御守護の話を頂けるものです。
そして、助かるも助からないのも、その人の心次第。と自分の体験から思えます。
こちらとしては、そうしたおたすけの時に、チャンとした親神様のお話をさせて頂けるかどうかが大切だと、近頃つくづく思うようになりました。
世界はまだまだ混迷しています。
ウソの事も平気で発信しています。
騙された経験があれば、そうした事も見抜く事が出来るようになりますが、
騙されることを恐れていては、そのようにはなりません。
ただ、騙される程度の問題が大きいかと思います。
騙されてお金を取られるくらいならばまだ良い方です。
騙されて命を落とす事になれば、それこそ一大事です。
信者さんでも、うちの子供たちでも同じでありますが、それぞれがどこでどのような事をしているかは、私には分からないのです。
そこまで気にして、心配していては、陽気ぐらしどころの騒ぎではなくなります。
ですから、こうしたところを、いざという時に大難は小難にとお守り頂きたいものと思って、
私は自分にできる、親神様にお受け取りいただける歩みをしたいと思っています。
その歩みの一つが「徳積み」だと思っています。
以下に、会報に書いた「徳についての逸話編」を記しておきます。
朝、起こされるのと。。。逸話編 111。。(徳・朝起き正直働き)
目に見えん徳。。。逸話編 63。。(徳)
参考になれば幸いです。