昨日、今日と用事の合間に、「飯田岩次郎」に関するおさしづ、12件を資料にするために確認していたのだが、どうも2つほど確認すると目がかすんで、出来なくなる。
先ほどようやく、確認だけが出来た。とても重要な事を話されているように思ったが、具体的にまとめる事が出来ない。
しかし、この「水屋敷事件」が起こった明治30年は、「橋本清と前川菊太郎」が辞職する事件も起こっている。
ここまでをメモしておいて、この件については、時を改めてしたいと思う。
今日は、支部内の教会の前奥さんの葬儀に参拝させて頂き、表統領先生の弔辞を代読させて頂いた。
その弔辞を読みながら、その奥さんの功績を改めて思わせて頂いた。
そして、親神様・教祖一筋に歩まれる事がどれだけ重要な事かと、再確認させて頂いた。
午後からは、布教所の月次祭で、12下りをつとめさせて頂き、「暑い」という事から、「暑くても風があれば過ごせる」と話した途端、一人の方が、突然「風がないと物が腐る」と言われて、これはお母さん(前の所長)から聞いたという話しから、それについての逸話と、親神様の十全の御守護の話をさせて頂いた。
世の中、複雑で難しい事ばかりが起きているが、何よりも親神様の御守護を頂かねばならない。
おつとめは何のためにするのか。それは「親神様が望まれてる」からである。
これも、先の所長さんが言っていた言葉である。
私はこの言葉を聞いてから、「その通りだ」と思って、おつとめを勤めれるようになった。
ご恩返しとか様々な事を言われるが、ともかく「親神様・教祖が喜んで下さる」から。
それだけで良いと思っている。
そして、帰りがけに、その信者の方が、「教会でのおつとめの時、暑くて暑くてとおつとめをつとめる前は思っていたけれど、勤めている間に、暑く感じなくなっていた。そして終わったらまた暑くなった。不思議だったです。」と話してくれた。
嬉しかった。
今日も一日ありがとうございました。