新型コロナの隔離から通常に戻った途端に、お願いづとめに、おぢばがえり。
13日、月次祭の御礼とお下がり配りの後に、お墓地の掃除に出かける。
14日、午前中、7日に支部例会に出れなかったため、天理時報の手配り予定表を作り、拠点教会へ配りにに廻る。その拠点教会の近くに信者さんの家があるため、様子を伺いに尋ねた。ちょうど娘さんたちもおられたため、身上者の詳しい話を聞く事が出来た。
そして午後から、部内の教会でコロナ感染者が出でて、今月は元気な家族のみでつとめる事になったので、近くに住む部内の信者さん宅へうちの月次祭のお下がりを持って行った。
お下がりを届けて話をした数分で、道端にハザードをつけて止めておいた車のエンジンがかからなくなり、何年かぶりにJAFを呼んだ。
ハザードはつくし、パワーウインドウは使えるので、バッテリー上がりではない可能性も考えて、JAFが来る間いつもお世話になる修理工場へ連絡を取った。しかし、JAFが来て調べると、バッテリーの電圧がセルモータを廻すだけなく、すぐにエンジンがかかった。
バッテリー自体が、4年使ったものなので、以前からいつ突然動かなくなるかと予想していたため、すぐさま近くのオートバックスへ行って交換をした。
オートバックスでは、何を考えて居たのか分からないが、私はずっとJAFの会員証を手に持っており、会計時に無意識にその会員証を見せた。するとその会員証で割引をしてもらえた。こんなサービスがあるのだと驚いた。
翌日、15日は一日夫婦とも空いていた。そこで12日には間に合わなかった教務課の用事をするために、夫婦でおぢばへ出かけた。そして、先日の信者さんのご主人の身上のお願いをさせて頂いた。
16日、久々のアルバイト、久しぶりでちょっと疲れた。
17日、大教会へ行って名簿の事務をしようと思っていた。しかし、どうもすぐに横になりたくなる。そして横になるとすぐに眠ってしまうのである。これまでも、月次祭を終えると動けなくなるのが、今日まで良く動けていたと思いついた。動けるのが当然ではない、ここまで結構に動かさせて頂けたとお礼申し上げて、一日休むことにした。
その中夕方、ふと部内教会の様子が気になり、奥さんに電話をかける。感染した孫娘さんたちは元気に隔離状態にあり、奥さんをはじめ濃厚接触者の家族は、既定の期間が過ぎたので、月次祭の買い出しにも行って来たとの事。無事でよかったと思うと共に、その時、ふと「明日の月次祭にお酒を届けます」と口から出た。
18日、部内の月次祭。孫娘さんたちの感染から家族のみで勤める事としており、当所は出向かない事にしていたが、昨日ふとでた言葉から、お酒を買って車を走らせる。
家族3人で、真柱様のテープに合わせておつとめをする事にしていた。
祭文を後継者が奏上して、すわり勤めをして、4人で12下りをつとめた。
86才の高齢の奥さんも、12下りを踊り切られた。
無事に月次祭をつとめて、ひと月のお礼が出来て本当に良かったと思った。
部内から戻り、先日の大教会神殿講話のテープほどきした文章の手直しする。
19日、終日アルバイト。大教会へひのきしんに行く妻へ、昨日手直しした文章を言づける。
アルバイトを終えて、空を見上げると、不自然な雲を見つける。
真っすぐに、四角い雲が続いているのである。
飛行機が何かを撒いて、雲を作っていると以前からFacebookで上げていたが、その雲を見て、断続的に撒く事で、意図的に行っている事に早く気がつけと暗示しているように感じた。
すぐさま、撮影してFacebookに投稿した。
アメリカ大統領選挙で、選挙の不正を知ってからこれまで、世界中の政治・医薬医療そしてマスメディアや警察にいたるまで、世の中のおかしなことに目が行くようになった。
この飛行機雲もその一つである。
20日、ずっと忘れていた大教会部内の吸収合併の事で、ある教会へFAXを送るが、送る事が出来ない。会長へ連絡を取ると電話番号が変わっていた。うちのFAXが壊れたのかと思ったが、無事に送れてよかった。
21日、朝、町内の公園掃除の日、草がとても生えているので、夫婦で出かける。夜に降った雨でとても草が抜きやすかった。
その後、支部行事の全教一斉においがけデーの予定表を作って、本部・教区へ送信する。
様々な用事の合間合間に、「おふでさきに関するおさしづ」の確認をしているのだが、しながら思うのは、新型コロナで隔離の間、熱も下がり急き込む程度だけなのに、まったくできなかったことである。
ただただ、データの間違いがないかと文字を追いながら進めるだけなのだが、心が落ち着かないと、とても難しいものだと、改めて思うばかりである。
そして、心落ち着いてやる気になっておさしづに目を通すと、次から次へと親神様の思いが心に浮かび、親神様のご苦心によるお導きによって、現在の私たちがあるとつくづく思われる。
そうしたおさしづから感じる一つに、においがけと修理肥についてである。
においがかかるのも、親神様の先回りの働きがあればこそと明言されて、そのにおいがかかった後、肥をやらねばならないと、指示をされているのである。
そして、この肥とは具体的に何を指すのだろうか?と思案している最中である。
ともかく、この道は天然自然の道であり、親神様がおふでさきで示された通りに物事が進むのだと、おふでさきに関するおさしづを読みながら現在思っている。
思うがままに書きました。
読みずらいですがどうぞご容赦くださいませ。