只今、8月28日です。
大教会の神殿当番をつとめました。
いつもならば、布教所の月次祭がこの日になり、急いで布教所へ向かうのですが、今日は日曜日で日にちが代わっていますので、終わってからも事務所で留守番をしています。
ようやく、新型コロナに対するワクチンについて、ファイザー社とモデルナ社が、特許で争う事がテレビや新聞で報道されて、大教会にいる年をとった人々にも、利権で誘導されているという事が理解されるようになってきたと思います。
先日来、「おふでさきに関するおさしづ」として、「続ひとことはなし」に書かれているものを確認しています。
その中に、多分に「おふでさきに記している」という言葉があり、おふでさきに書かれた事が、年数を経て実現していると思いました。
また、あるおさしづには、「おふでさきを見たいと思っている人々があるが、公にしないように、徐々に出して行くように」と言われているように思えました。
おふでさきは、警察に没収されるところを、燃やしましたと言って、隠したものです。
それが公刊されたのは、昭和に入って、「復元」が提唱されてからです。
この間にも、沢山の戦争を経験し、それに対して協力を余儀なくされている事も、これらのおさしづから分かります。
現在、新型コロナをはじめ、輸出制限などで、国という単位ではなく、思想別での見えない戦争が行われています。
そしてそうした事が、インターネットによる個人の発信、個人の検証によって、巨大な利権がきれいな言葉で民衆を騙そうとすることが、次々と暴かれています。そしてその利権の思うようにいかないのが現状でもあります。
言い換えたら、政府対個人の戦争ともとれる状況です。
これからどのようになるのだろうかと、不安になる方々も多いかと思いますが、これまでの戦争に対して、おさしづやおふでさきを読んでいると、善悪を分けるための旬が到来して、それぞれが心のほこりを払う旬だというように感じます。
互いに思いやれば、争いは起こりません。
自分中心の考えを押し付け、征服しようとするから争いとなるのです。
その状況は、これまで積み重なったほこりが爆発するのと同じようなものに感じました。
そうした中、親神様はそれぞれの心を見定めて、医者の手余りなる病気に対して、不思議な助けを現して人心を治めて来たのです。
これから教祖140年祭に向けての三年千日の活動に入ろうとしています。
三年千日と言えば、「ひながたをたどらにゃひながたいらん。」と明言されたおさしづが有名です。
さらには、「辻であった人でも、この人と思う人があったら声を掛けてくれ」というお話もあります。
今の世の中、これまでの通り方に疑問を抱き、世をはかなむ方も多い時です。
そうした方々も、親神様は心を見定めて、助けの手を差し伸べておられます。
このような事になる事は重々承知で、様々な助けの手立てを用意して下さっているのです。
親神様に日々凭れて、心を澄まして、心を静めて物事に当たりましょう。
そして、自分の至らぬところに気がついたら、
至らぬところを詫びて、我が身の事ばかりを持っていた心を、他人のために使うと心を切り替える事です。
そして、思いもよらぬ不思議な体験を味わいましょう。
その大本は、おぢば、天理のかんろだいです。
人は鏡です。
人の事から自分の性分を悟り、自らを切り替えて、陽気に明るく暮らしましょう。