1月28日
天理教を知っている人で、かんろだいが立てられれば陽気ぐらしになる。かんろだいをなぜ本部が立てないのかという人がある。
かんろだいは、つとめ人衆が寄ったら出きると言われてきたが、寄らずにかんろだいの石の没収となり、「いちれつすます」が「いちれつすまして」となり、現在となっている。
親神様の望まれる神人和楽の陽気ぐらし世界は、人々の心のほこりが払われて、がとても重要な点である。
人々とは、個人それぞれの事である。
人任せではならない。
かんろだいを建てる条件を満たすのは、人間の成人が重要であり、親神様の道具衆であるつとめ人衆が、かぐらの人数とてをどりの人数、2下りずつ6交代の他に楽人など、多数の人数が必要と言われているのである。
それも3段にしてと言われる。
その人衆も、おやさまお隠れのときの人衆さだめを思うとき、あのような、親神様の心見定めの事情を抜けねばならないのである。
正文遺韻を読んで、つとめの人数についての事が出てきたので、思うがままに。。。