明治20年陰暦正月26日に教祖は現身を隠される。
その前年明治19年に留置所へ、最後のご苦労で赴かれる。
その間の様子が、「山田伊八郎文書」に記されていたので、研究資料として掲載しておく。
166頁から173頁
これを見ると、教祖は床に休まれていて、目も見えず耳も聞こえない状態で、石板に文字を書いて問答をしていたようで、そのような状態にいることも、親神様の思し召しで、親神様が忙しく働いている事が記されている。
また、悪行も自らの口でいわせるように働いておられるように読める。
その外、色々な事がここから悟れると思う。
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